自分で言うと自慢にしか聞こえないが、リスティ=C=クロフォードって人間は人気者だ

と思う。銀色の髪はさらさらだし、つりめがちな青い瞳だって評判はいい。将来のスタイル

に全然自信を持てないことが悩みの種の一つであるが、それは同じ異国の血を引いている神

咲十六夜を見て希望を持つことにしているので、容姿の面では何一つ問題はない……ない。

ないはずなのだが……




(ほんと、一緒にいると、たまに自信がなくなるんだよね……)



 隣に座り、自分には目もくれずに読書を楽しんでいるこの世で最も愛すべき男性、高町恭

也を横目で見やり、リスティは深々とため息をついたのだった。



























 今のような関係……恋人関係になった日のことを、実はあまり覚えていない。そんな記念

すべき日のことを覚えていないのが悔しくて、あの日確かに一緒にいたはずの『かつての』

ライバル、神咲薫に聞いたこともあったが、射殺せそうな視線を送ってくるだけで、答えを

返してはくれない。恭也本人に聞いてもはぐらかされるばかりだ。『告白は向こうから』と

いうのがリスティのポリシーだったはずだが、自分の記憶だけではそれが守られたのかも怪

しい。





 果たして、自分たちはどのようにしてこんな関係になったのか……





 気になる謎ではあるが、今が幸せならそんなことはどうでもいい。高町恭也の恋人という

のは、高校に入学する前からの夢だった。それが手に入ったというのなら、他のことはどう

でもいいのだ。これから始まるのは、誰もがうらやむような、それはもう熱い生活……





 ……だったはずなのだ。いや、そうだと思っていた、なのかもしれない。今となっては。





 前から分かっていたことではあったが、高町恭也は枯れている。これを口にしたのは、彼

の中学生の妹(なぜか、目のかたきにされているような気がする)だったが、実に的を得た

言い様だと思う。姿形は一応高校生であるはずなのに、それっぽいことをまるでしないのだ。



 顔はいいのに服は地味。趣味と言えば、剣術と盆栽と釣り、あとたまに読書。あの翠屋の

マスターの息子なのに、何故か甘いものが苦手。二人で翠屋に行った時、アイス宇治茶を頼

んだ時は、何の冗談かと思った。あと、真顔で平気で嘘をつく。赤星勇吾が実は女だと言わ

れた時には、最初に自分のセンスを疑い、最終的には彼のセンスに疑問を感じた。



 それに、付き合い始めてもう一ヶ月がたつのに、いまだに何もしてくれないどころか、何

処にもつれていってくれない。さすがに学校帰りに寄り道をするくらいのことはするが、ど

こか遠くに二人で出かけたり、映画を見たり、そういった恋人らしいことは何一つしてもら

っていない。もちろん、プレゼントだってもらってない。



 今日、こんな場所――おそれ多くも、高町恭也、その人の部屋だ――にいるのだって、顔

から火が出そうな思いまでして、自分から言い出したことだ。年頃の女の子が恋人の部屋に

……健全な男子だったら、動揺するとか、それくらいはありそうなものなのに、枯れている

恭也はもちろんそんなことはなく、いつものように無表情で、二つ返事で了承した。頼みご

とをしたら、大抵のことは引き受けてくれるというのが、付き合い始めてから見つけた唯一

の、彼のいいところかもしれない。



 

 列挙したら悪いところしか出てこないような気もするが、それでも……リスティは高町恭

也のことが大好きだ。どんなに枯れていても朴念仁でも無神経でも、それも彼の魅力の一つ

だと思って、付き合っていくことができる。その思いは今この瞬間だって少しも揺らいでい

ないし、これから先もきっと変わることはないだろう。ラブ、フォーエバー。



「クロ……リスティ、退屈か?」



 だから、恋人がそんな無神経なことを耳元で囁いても、気にしたりはしない。一ヶ月たっ

ても苗字で呼ぶ癖が直らなくても、気にしない。というか、最近は『それら』を分かってて

やっているような気がしてきた。彼女というものを舐めているとしか思えない。そういう意

地悪をするくらいなら、好きだよ、の一言でも囁いてほしいのに。



「いーや。僕はいたって満たされているよ。恋人と一緒にいられるんだ。これほどすばらし

いことはないね」

「そうか、ならいい」



 精一杯の皮肉を込めた言葉が流されたその瞬間、リスティは自分が女に生まれたことを感

謝した。もし性別が逆だったら、自分は間違いなく女高町恭也を殴っていたことだろう。



 熱い恋人生活を思い描いていたはずなのに、どこで間違ってしまったのか……ため息をつ

いて、部屋に入った時に渡された本に目を落とした。読みかけなのか、赤と黒の栞の挟まれ

たその本のタイトルは『純粋理性批判』……



「恭也、この本好きなの?」

「欠片も面白いとは思わなかったな」



 恋人に本をぶん投げなかった自分を、力の限り褒めてあげたい。



 さて――本を読む理由も消滅した。部屋の隅に詰まれた布団に怒りを込めて本を放り投げ、

身を投げ出す。彼はいまだに本に目を落としている。彼女よりも本が大事なのか……さすが

にリスティにも、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。もっと、僕を見ろ……







「退屈か? リスティ」



 心の声が聞こえたのか、恭也は先ほど同じ質問をしてきた。今度は間違いなく名前を呼び、

しかし本から目を逸らすことはない。



「…………恭也は、退屈じゃないのかい? 恋人と一緒にいるっていうのに、本なんて読ん

でさ」

「恋人と同じ時間、空間を共有できる。すばらしいことだな……さっき、お前がいった言葉

だ。俺も、心からそう思う」



 ここで初めて、恭也は本から顔を上げた。愛用の黒い栞を本に挟み、静かに閉じる。黒い、

まっすぐな瞳に見つめられ、リスティの頬がさっと朱に染まる。目を見なきゃいけないのに、

見返すことができない。



「お前は違うのか? リスティ」

「…………満たされてる、と思う。でも、退屈でもあるかな。僕達は恋人なのに、な、に、

も、ないしね」

「何かあっても困ると思うがな……俺達はまだ学生だろう?」

「僕も大概に古風な考え方してると思うけど、恭也には負けるよ……」

「そうなのか?」

「そうなの。嘘だと思うなら、レンとか晶を捕まえて聞いてみるといいよ。今の学生ってい

うのは、進んでるんだ」

「そうか、進んでいるのか……」



 あごに手をあてて中空を見上げる。考えるときの彼の癖だ。というか、本気でそんなこと

を居候の彼女達に聞くつもりなのか……本気で聞くのだったら、そのときはとび蹴りの一つ

でもいれてやらないといけない。



「なぁ、リスティ」

「なんだい? 恭也。恋の悩みかな? それだったらこの僕がしっかり聞いて、ちゃんと答

えてあげるよ。これでも最近はそんなことばかり考えてるからね。大抵のことには――」

「俺は、お前を押し倒した方がいいのか? 今、この場で」





 …… 



 …………



 ……………………



「お前の言を借りるなら、俺の考え方は古風だ。俺はそれを間違っているとは思わないが、

お前がそう思うのなら、改善の余地があるとは思う。俺も人並みに性欲はあるから、それで

もいいというのなら、そうすることも吝かではないのだが……」

「まったまったまったっ! 何をそんなロマンの欠片もないこと言ってるのさっ!!」

「……俺から言い出したことではないのだが……」



 頭が痛くなってきた。この上女に恥までかかせる気なのだろうか、この男は……



「……っていうか、なに? 人並みに性欲はあったの? 初めて知ったよ、そんなこと」

「俺だって男だ。仙人には憧れるが、今は未熟だからな。リスティは見目麗しいし、それほ

どおかしなことではあるまい」

「嬉しいこと言ってくれるけど……じゃあ、じゃあ、さ」



 ひざをすって進み、恭也に近づく。憧れていた黒い瞳が、とても近い。恋人になって初め

て、こんな、息がかかりそうな距離にまで顔を近づけた気がする。言葉につまりながら、言

葉を選びながら思った。やっぱり、恭也はかっこいい。



「僕がして、って言ったら…………恭也は、僕を押し倒すのかい?」

「それがリスティの望みなら、な。でも……」



 恭也の手が、頬に触れる。剣術家の手だから、少し痛い。



「俺はまだ時期が早いと思う。できることなら、まだ、そうしたくはない」

「どうして……って、聞く権利は、僕にはあるよね?」

「…………もしものことがあったら、学生の俺には責任が取れんし、リスティだって、子供

ができたからと言って学園を辞めるのはいやだろう? そういうことをするなら、きちんと

責任を取れるようになってからだと思っていた。二人とも学園を卒業したら、俺から言い出

すつもりではあったのだがな。いや、きちんと給料をもらってない身としては、三ヶ月分が

どれくらいなのかと思うところでもあるが…………どうした、リスティ」



 いつのまにか、ぎゅっと、恭也にしがみついていた。今、顔は見せたくない。泣いてはい

ないけれど、どうしようもなくみっともない顔をしてる。



「まぁ、なんだ……本格的なことをするのは、二人とも卒業してから、と考えていたのだが、

やはりそれはおかしかったのか?」

「おかしいよ。それはもう、すごくおかしい」

「ふむ……では、もう少し基準を緩めるとするか。今度からは常識の範囲内でリスティを求

めることを約束しよう」

「じゃあ、手始めに、キス、してほしいんだ」







 ……行動は迅速だった。彼は軽くこちらのあごに手をあてて上を向かせて、自然に唇を重

ねてきた。目を閉じる暇もありはしない。キスをされたことに気づいたのも、実際にされて

から、軽く十秒はたってからだ。







「どうした。今にも卒倒しそうな顔をしているぞ」

「…………恭也は、馬鹿だ」

「自覚している。直すように努力はしているのだが、結果は芳しくないな」

「…………ロマンも何もないじゃないか」

「それこそ、俺にはもっと縁遠いものだな。最優先で学ぶよう、善処しよう」

「…………何か、僕に言うことはない?」

「……………………何か、してほしいことはないか?」

「そうだねぇ……」













 自分の笑顔をというものを、初めて思い出したような気がする。妖精のように、小悪魔の

ようにリスティは微笑み、









「もっとキスしてほしいな。今度はもっと、情熱的に、さ……」