艦船アースラ、艦長執務室。私室は文化が混濁した空間であると聞いているが、通された

部屋は実に事務的なものだった。必要なもの以外は置いておらず、整理整頓もされている。

もっと大掛かりな部屋を想像していた恭也は、部屋をぐるりと見回して、少しだけ拍子抜け

した。



「どうかした?」

「いえ、何も」

「そう? あ、そうそう。喉が渇いたのならお茶でも出すけど――」

「結構」



 リンディがお茶と称するゲル状の何かは、普通の味覚をした人間には飲めたものではない

らしい、素人お断りの液体だが、罰ゲームの定番アイテムとして、アースラクルーの間では

親しまれている。無論、進んでリンディ茶を飲もうとする人間は、当のリンディしかいない

らしい。



 教えてくれたのはクロノであったが、甘い物が苦手な人間であれば、冗談抜きで意識が飛

ぶほどの代物だそうだ。医務室送りになった人間も数知れないと聞いている。あまり友好な

関係であると言えないクロノが、それでも注意を促してくれたのだから、その効果は推して

知るべし。



「さて、恭也君、貴方の今後についてだけれど、まず、言っておかなければならないことが

あるわ。貴方は管理局に就職しなければ、ミッドチルダの戸籍が確保できないと思っている

のかもしれないけど、別にそんなことはないの」

「そうなのですか?」

「審査を通ったのであれば、別に管理局に拘る必要はないのよ。貴方には別に黒いところは

ないようだし、問題なく生活できると思うわ。ついでに言えば、ある程度文字が読めるのな

ら改めて学校に行くことも可能よ。他の次元世界から来た人のための奨学金とか、他の次元

世界と比べて、ミッドチルダは充実しているから」

「ありがたい話ではありますが、今更学校で学ぶことはありません。俺は、俺の腕を買って

くれるところで、できるだけ早く働きたいのです」

「それは、フェイトさんのため?」

「それが第一ではありますが、俺のため、でもあります。このままでは妹に養われかねない

のですよ。それでは流石に、男として兄として、立つ瀬がありませんので」

「確かに……では、貴方は時空管理局に就職を希望する、ということでいいのね?」



 今ならまだ、とリンディの目は言っていた。他に選択肢があるというのなら、今すぐ決め

てしまうのは確かに性急である。



 だが、既に管理局で働く意思を固めているフェイトに遅れを取る訳にもいかない。家族に

なってからこっち、まだ兄らしいところを見せてやれていない。フェイトが誇ることの出来

る兄であるためにも、職には就いておきたい。



 いずれフェイトも管理局には来るつもりのようであるし、リンディが渡りをつけてくれる

というのなら、同じ組織であるし、願ったり叶ったりだった。



「はい。よろしくお願いします」

「そう……では、時空管理局にようこそ、恭也君。私は貴方を歓迎するわ」



 そう言うと、リンディはデスクの上にばさばさと書類を投げ出した。



「これがミッドチルダの身分IDカード。住所はフェイトさんと一緒に私の家になってるわ。

転居した時には書き変えないといけないから、注意してね。当たり前のことだけど、なくさ

ように。再申請はとても面倒くさいわよ。こっちが管理局に入局するに当たっての書類。結

構細かいから、記入漏れはないように注意してちょうだい。その他、寮の申請とか交通費の

請求とか色々あるけど、それは直近の上司と相談して決めてね。後はデバイスの保有申請も

忘れないように。自前のデバイスを持っている管理局員は、自分で届けを出さないといけな

いの。定期的なメンテナンスが義務付けられているから、本局の総務とメンテナンスを頼む

技術部に書類を出しておいてね。それから――」

「話の腰を折って申し訳ない。質問があるのですが」

「なにかしら」

「何やら既に、俺は管理局で働くことが決まっているようなのですが?」



 机からは次から次へと書類が出てくる。たった今言ったことを受け入れたにしては、信じ

られない程の準備の良さだ。ある程度見越していたくらいでは、ここまでのことは出来ない。

彼女自身の望みを押し通せるという確信があったのだろう。どこかで歯止めをかけなければ、

子供の名前まで決められそうな勢いである。



「そうなのよ。実は知り合いから適当な人材はいないかって前から相談されてて、その知り

合いに恭也さんのこと話したら、何が何でも連れて来いって言うの。彼女、直接人事に掛け

合ったのよ? 本当なら試験とかあるんだけど、私とクロノ、それからその知り合いの推薦

ということで、当座の試験はパスさせたわ。後で形式的にやってもらうことにはなると思う

けど。ああ、試験なしでの入局はそれなりに異例のことだから、あまり他言はしないように

お願いするわ」

「既に部署まで決まっているのですか?」

「ええ。彼女のところに配属されることになっているわ。もっとも、しばらくしたらアース

ラで働いてもらうことになると思うけど」

「仰る意味が良くわかりません」

「そうよねぇ……でも、私から説明することはないわ。彼女も自分で説明したいだろうし。

楽しみを勝手に奪ったら、恨まれちゃうもの」

「はぁ……」



 笑顔のリンディだったが、その笑顔は最高傑作の落とし穴に、関係のない人間がいつひっ

かかるだろうかと楽しみにしている、悪戯小僧の笑顔だった。間違いなく、ロクでもないこ

と……自分にとって、致命的ではないにしても、それなりに不都合なことを考えている顔だ

った。



「参考までにお聞きしますが、そこはどのような職場なので?」

「それも内緒。でも、女性の多い職場だから、期待しててもいいんじゃないかしら」

「俺は、俺の腕を買ってくれるところい行きたい、と申し上げたつもりですが」

「もちろん、そのつもりよ。ある意味、管理局の組織の中で、最も貴方のことを必要として

いる職場のはずだから。後は、行ってからのお楽しみ。これから本局に行って引き合わせま

すから」

「服はこれだけしか持っていないのですが」

「大丈夫よ。形式とかそういうことが大嫌いな人だから。あそこは皆、思い思いの服装で仕

事をしてるわ。管理局で一番、自由な雰囲気の職場の一つよ」



 羨ましいわー、と微笑むリンディは制服姿である。捉えようによっては、相当な皮肉だ。

これがクロノが言ったのであれば、言葉が終わるよりも早く近寄って体勢を崩し、シャイニ

ングウィザードの一つも叩き込んでいたのだろうが、目の前の女性は勢いでどうこうするに

は難物過ぎる。ロクでもない反撃を嬉々としてする光景が、既に起こったことのように想像

できた。



 書類の中からIDカードを取り上げる。何時の間に撮ったのか、そこには仏頂面をした自

分の顔があった。あいも変わらず無愛想なその顔を眺めながら、



「提督閣下、楽しいですか?」

「ええ、とっても。あ、それとアルフさんと喧嘩してたようだけれど、仲直りはした? し

ばらく口も利いてなかったみたいじゃない」

「少々、行き違いがありまして……まぁ、機嫌は直してくれましたが」

「何があったのかは聞かないけど、女の子には優しくしておかないと駄目よ?」

「肝に銘じておきます」



 こちらを見て、楽しそうににこにこ笑うリンディを見て、理解した。この人は、自分の苦

手な『おっとりマイペースな年上の女性』であるということ。



 そして、彼女を敵に回すことが、この世の最も愚かな行為であるということを……
























 時空管理局本局、特設共同技術研究開発部。それが部署の名前だった。長い名前だ、とい

うのが最初の感想である。次点は、明らかに戦闘を得意とする人間が集まるような名前では

ない、ということ。こっちの世界流の隠語という可能性もあるが、隠語で隠さなければなら

ないようなヤバい部署を、リンディが紹介してくれるとも思えない。額面通りに、特設され

た、共同技術とやらを研究開発する部署なのだろう。


「俺に合いそうな単語が特設しかないのだが、どう思うプレシア」

『確かに主様には知性とかそういったものが感じられませんけれど、でも、おバカな主様も

素敵ですわ』

「お前が知的で聡明なのだから、バランスが取れて良い」



 改めて目の前の扉に視線をやる。ここまで案内をしてくれたクロノは、フェイト達の裁判

の件で行ってしまった。緊張を解すために色々と小突き回したのが気に入らなかったらしく、

始終文句を言っていたが、去り際に『ここの部長には気をつけろ』とあり難い助言を残して

くれた。



 どういう対処をすればいいのか。そこまでの助言をしない辺りがいかにもクロノらしい。



 しかし、助言そのものは信用できた。クロノはクロノで、ある種の女性に対して苦手意識

を持っているらしく、先の助言を寄越した時の彼の表情は、真に迫っていた。気を付けなけ

ればならない相手がいる、というのは間違いがない。全くもって、ありがたくない確信であ

る。



 本音を言えばそんな人間と好き好んで関わり合いになりたくはないが、手に職を持たねば

と宣言してきたばかりだ。フェイトのヒモになっている自分を想像し、そして、嬉々として

自分の世話をしてくれるだろうフェイトと、このロクデナシが、という視線を向けてくるア

ルフを同時に夢想して、頭を振った。



 働かざる者、食うべからず。



 意を決して、ドア横のインターフォンを押し込むと、まもなくドアはスライドし、どうや

らドアの前で待っていたらしい人間の姿を目に留めて、恭也はぴたり、と動きを止めた。



 ドアの向こうの銀髪の女性は恭也の様子には構わず手を差し伸べ、勝手に自己紹介を始め

た。



「はじめまして、僕はリスティ・シンクレア・クロフォード。ここの部長をしてる者だ。ハ

ラオウン提督から話は聞いてるよ。ようこそ、恭也・テスタロッサ」



 リスティと名乗った少女の、手袋をしていない手をぼんやりと眺める。白い、綺麗な手だ

った。剣を握るために無骨になった自分とは、違う種類の手である。同じ名前の女性の手を

眺めることはついになかったが、どんな手をしていたのか、とまさか異世界で知ることにな

るとは思わなかった。



 割と顔を合わせることの多い分、家族以外の女性の中では、最も苦手意識を持つ女性でも

あった。その分、魅力的に思っていたことも事実ではあるが、目の前のリスティは、その女

性よりも随分と縮んでいる。



 第一印象で判断するなら、十代の前半。肌の色はやたらと白く、体つきは食生活が心配に

なるほど華奢であった。常にからかいの色を湛えていた瞳だけが、目の前の少女がリスティ

なのだということを認識させた。丈のいまいちあっていない白衣が、眩しい。



「……どうかしたのかい? 恭也・テスタロッサ」



 出された手ばかりを見つめられては、不審に思われるのも当たり前である。怪訝そうな顔

を見せるリスティに、失礼、と小さく頭を下げると、その手を握り返した。



「知人に貴女と似ている女性がいたもので、少々混乱していました」

「へぇ……僕と似てる女と知り合いなんて、君っていうのはよほど女運がいいんだね」



 軽口で返すリスティには、苦笑を向けるしかなかった。



「さて、まずは僕らの仕事について説明させてもらおうか。一応確認させてもらうけど、ハ

ラオウン提督は、僕の楽しみを奪ったりはしていないだろうね?」

「貴女がそう仰ると思って、説明は控えていました。貴女によろしく、とも」

「よろしくなんて勿体ない。よくしてもらってるのは、僕らの方さ」



 リスティに促され、オフィスの中に入る。



 まず目に付いたのは、性別の構成比だった。見事なまでに10対0。見える範囲には、女

性しか見当たらない。リスティに連れられて歩く自分を物珍しそうに眺め、中には手を振っ

てくる者までいる。自由な空気の職場、という言葉にも嘘はないようだ。ともすれば、自由

過ぎると思えるほど、周囲に漂う空気は緩かった。



「自由な空気の職場ですね」



 半分以上は皮肉のつもりで言ったのだが、リスティはそうは受け取らなかったらしい。前

を行きながら、誇らしげに胸を反らす。



「まあね。仲間意識はそこらの武装局員達にも負けてないと思うけど……なんで敬語?」

「上司になるのでしょう? ならば敬語を使うのが妥当ではないかと」



 本当はそんな理性的な理由ではなく、本能がそうさせたのだが、それを目の前のリスティ

に言っても仕方がない。あちらのリスティもタメ口を利くことくらいは許してくれたのだろ

うが、その対価として何かとんでもないものを要求されるような気配があった。対して目の

前のリスティにそんな気配ははない。



 だが、安心することが出来るはずもない。この顔をした女性が自分をからかうことがない

などと世迷言を言うような時期は、とっくの昔に過ぎたのだ。なるべく隙を見せないのが、

彼女と付き合う上で最も賢い――ダメージの少ないやり方である。突っ込まれるような要素

は、極力排除するべきだ。



「そう? 君の方が年上だろう? さっき君も言ったようにうちは自由な職場だからね。友

達に接するようにしてくれても構わないよ」

「一応、けじめはつけないといけませんので」

「ハラオウン執務官みたいなことを言うんだね、君は……まぁ、そうしたいのなら僕は別に

止めないけど、ただ、職場の説明を始める前に、一つだけ言っておくことがある」



 部長室、とプレートの貼られた部屋の前に辿り着くと、リスティは振り返り、人差し指を

鬼軍曹のように、こちらの胸に突きつけた。



「職場の仲間を呼ぶ時は、名前か愛称で呼ぶこと。もちろん、僕のこともだ。それがここの

一番大事な鉄則だけど、守れるかい?」

「その程度ならお安い御用です、リスティ」

「宜しい。実はそういう妙な壁を作った態度にムカついてるところではあるけど、それは追

々解決するってことで。うちの連中は押しが強いから、しばらくすれば無駄な抵抗だって嫌

でも気づくだろうし」

「それは、何となく分かります」



 ここに来るまでの間に、見覚えのある顔を何人か見た。妹に似た生物や提督閣下、それに

クロノ・ハラオウンやもう一人の自分を見た時に、覚悟は出来ていた。あれだけいたのだか

ら、他に何人日々の生活に紛れこんでいたところで、驚くには値しない。部署の人物全てに

見覚えがなかっただけ、マシというものだ。



「まぁ、何にしても僕のオフィスにようこそ、恭也」

「失礼します」



 通された部屋は、想像していたよりは、綺麗だった。足の踏み場もないような空間を想像

していたが、とりあえず、どこに足を踏み出せば悩まなくてもいい程度には片付いている。



「少し汚いところだけど、適当に寛いでくれ」

「ここで寛げるのは部屋の主である貴女だけですよ」

「じゃあ、努力して寛いでくれ。休める時に休まないと、この業界で生き残れないぞ?」

「それに関しては同意しますが……」



 ソファを発掘して、その上に積もっていた紙の書類やらデータディスクやら女性ものの服

を適当に隅に寄せて、座る。コーヒーを持ったリスティが、足で強引にソファを占有してい

たものを蹴散らし、対面に座る。



「さて、何から話したものかな」

「研究開発部とありますが、そういった部署が俺の何を必要としているのですか?」

「君の得意分野は戦闘なんだろう? 僕らが期待しているのもそれだよ」

「俺は頭が悪いので、もう少し分かるように説明していただきたい」

「じゃあ、この部署が設立された経緯から話そうか」



 リスティはテーブルの上から砂糖を発掘し、一本だけコーヒーの中に入れる。特に砂糖を

入れるでもなくブラックのまま口を付けると、珍獣を見るような目を向けられた。



「経緯と言いますと?」

「ああ、そもそもこの部署の設立メンバーの僕ら……僕の他にも数人いるんだけどね、僕ら

は優秀なんだけどはみ出し者でさ、色々な理由で部署をたらい回しにされてたんだ。おまけ

に研究職から外そうなんてするもんだから、徒党を組んで直訴してやろうと思って計画を練

ってたのさ。そしたら三提督の……三提督は知ってるかい?」

「寡聞にして存じ上げません」

「……そうか、管理外世界出身だったか。管理局設立当時に活躍した、凄い爺さん婆さん達

が三人いるんだ。だから、三提督。で、その三提督の中にミゼット・クローベルって婆さん

がいて、彼女が僕らのことを助けてくれたのさ。そんなに研究がしたいのなら、誰にも邪魔

されずに研究できる場所を作ってやるって。ただし、お前達の頭を本当に大衆のために使う

覚悟はあるか? ってさ」

「大衆のために?」

「僕らは即座にOKしたよ。出世とかそういうものに興味のない、研究バカばかりだからね。

正直研究ができたらどこでも良かったのさ。ただ問題があってね。設立の経緯とかもあるか

ら、研究のための人員は集まるんだけど、データ収集の戦闘要員がまったく集まらないのさ。

研究できればいいって奴は結構いるんだけど、戦えればいいって奴は中々いなくってね」

「そこで、俺という訳ですか……」

「そう。君のように反体制的で根性が太く、出世に興味のない戦闘のプロが欲しかったのさ」

「褒められている、と思うことにしますよ」



 次元世界を管理する組織ともなれば、上昇志向の強い者達ばかりだろう。立場に執着しな

い自分のような人間の方がイレギュラーというのは、理解できる。反体制的という評価には

納得のいかないものがあったが、過去、言われたことがない訳でもない。リスティがそう評

価するということは、リンディの時点でそう判断されたということ。何も見ていないようで、

見るべきところはしっかりと見ている女性だった。



「戦場で俺がデータを収集するとして、貴女方はどういう研究を?」

「大別すると、攻撃魔法、防御魔法、補助魔法、回復魔法の術式理論の新規構築及び、既存

の魔法の効率化。後はデバイスから戦艦まで受け持つ魔導工学と、ドラゴンや亜人などの生

体を魔導生物学……細かく分類するともっと増えるんだけど、君にはこれでいいだろう? 

どうせ解らないだろうし」

「それはいいのですが、俺が戦場でデータを集めて、そのうちどの研究が捗るのでしょうか」

「全部だよ。何も君は一人で戦場に行く訳じゃない。まず、君をどこかの部隊に派遣して、

同じ作戦に参加してもらう。そこには正規の武装局員もいるはずだから、開発した術式のモ

ニターとかは、彼らにやってもらうことになる。魔法に関するデータは彼らを当てにするつ

もりだ。君の場合は、魔導生物……ドラゴンとかだね。そういった連中と戦った際のデータ

の収集が主になるかな。あまり大規模にやると目を付けられるから、血と肉片を少し回収し

てきてくれるだけでいい」

「それでしたら、何も俺が行かなくても直接モニターをお願いすればいいのでは?」

「言ったろう? ミゼット婆さんの庇護があるとは言え、僕らははみ出しものなのさ。命令

系統も独立してるようなものだから、荒事担当の部署には頼みずらいんだよ。だから、一緒

に作戦に参加して、僕らと彼らの間を取り持ってくれる、戦闘要員が必要になる。局内派遣

局員とでも言えば解りやすいかな、君の立場は」

「俺としては腕を活かせるのならば、特に言うことはありません」

「そこに関してだけは安心してくれてもいいよ。君が嫌と言い出しても、僕は君を使うこと

はやめないつもりだから」

「お手柔らかにお願いしますよ」

「覚悟はしなよ? あ、そうそう一つ伝えておくことがある。君からすればあまり大したこ

とはないのだろうけど、管理局員としては大事だ」

「なんでしょうか」

「僕らは、君を武装局員及び魔導師として雇うことはできない。君の扱いは、あくまでも戦

場に出ることの出来る一般職員ということになる」

「……俺は自分を魔導師だと思ったことはありませんが、何か問題なのですか?」

「武装局員とそうでない局員では、給与の面で大きく差が出る。魔導師ランクによって特別

手当が出たりもするし、ランクで力量を判断する傾向になるから、より多くの現場に借り出

されることになる。出世もし易いよ? 君には関係ないだろうけど」



 ふむ、と頷く。金にそこまで興味はない。暮らしていけるだけの給与があれば、それ以上

は求めない。ただ、貰えるというものを拒む理由も、恭也にはなかった。



「俺を魔導師として認定してもらうことはできないのですか?」

「魔導師ランクを発行する機関が定義するところによれば、魔導師とは彼らが魔法と定めた

技術を扱うことの出来る存在だ。人間でなくてもランクを発行してもらうことは可能だが、

大前提として、魔法を扱える必要がある。君の技術は魔法に近いが、機関がそれを魔法と認

定していないから、魔導師として扱うことはできない。魔導師になりたいのであれば、まず

は君の技術を魔法と認定させることから始めなければならないけど、僕の目算では最低でも

十年はかかる」

「そんなに……ですか?」

「ああ。まずは君がどういう原理でその技術を使っているのか解明しなければならないし、

解明しても、君以外に使える人間がいるのか、その人数は、人体に与える影響は、習熟する

までの期間は……解明しなければならないことは腐るほどある。解明できたとしても、お偉

いさん達を説得しなければならない。色々な機関と交渉して、世間にも認められて、ようや

く市民権を獲得するまでの最低での時間が、十年かな」

「意外と面倒なのですね」

「新しいことをやるってのは、そういうことさ。だからこそ、やりがいもある。新しい魔導

体系を作れれば、学者として歴史に名前が残るしね。実は君に関するハラオウン提督のレポ

ートを読んだ魔導理論学者の間では、君はちょっとしたヒーローだったのさ。結局は一番立

場がフリーだった僕らが君を獲得することになったけど、僕がもう少しもたもたしていたら、

所属する部署は変わっていたかもしれないね」

「そんなことになっていたのですか……」



 既に完結した事柄であっても、どのような形であれ、自分の力が必要とされていたという

のは悪い気はしない。



「僕らの所に来たことは、後悔させないよ。差し当たって僕らの素晴らしさを理解してもら

うために、これから君の歓迎会に参加してもらう」

「……なんですって?」

「だ、か、ら、歓迎会だよ。僕らと君が仲間になったことを祝し、また親睦を深めるための

催し物さ」

「歓迎会がどういう意味かくらいは、俺も知ってますが、その……これからですか?」

「歓迎するのに時間なんか関係あるものか。明日も仕事があるんだから、それに差し支える

ようじゃいけないだろ?」



 だからと言って日の高いうちから仕事を切り上げて宴会をするというのも、社会人として

どうかとは思うが、責任者からして乗り気なのだから平の恭也に返す言葉はない。扉の向こ

うでも騒々しさが増しており、仕事場という雰囲気は微塵も感じられない。



 逃げられそうにない状況だと悟って、恭也は覚悟を決めた。



「会場の規模は?」

「クラナガンで一番広い居酒屋の一番広い部屋を押さえてるけど、少し手狭かもしれないね。

何しろ僕ら全員で行くから」

「差し支えなければ、何人の職員がいるのか聞いてもよろしいでしょうか」

「153人。喜んでもいいよ、全員女性だ。気に入った人がいたら持ち帰ってもいいけど、

合意の上でね。その時は何をしたのか詳細なレポートを要求するから、そのつもりで」


 答えるべき言葉はなかった。ほほほ、と笑うリンディが見えた気がする。事前にそんな職

場だと知っていたら、違う展開もあっただろう。あの段階でも言うことは出来たどころか、

これだけ偏った構成をしているのなら言うべきであったと思うが、彼女ならば面白そうだか

ら、というただそれだけの理由で、何もかもを秘密にすることくらい、どうということはな

いのだろう。



 そういう気質の、そういう人なのだ。頭の上がらない女性というのは、いつもそうだ。



「俺は、これから何をすればいいので?」

「何も。宴会担当のアイリーンとエレンが外で待ってるから、彼女達の誘導に従ってくれ。

仕事が残ってる連中は超特急で仕事を片付けてから会場に向かうことになってる。壮絶なジ

ャンケン大会を勝ち残って権利を勝ち得た二人だ。くれぐれも、失礼のないようにエスコー

トするようにね、新入社員」

「確認しますが、俺の歓迎会なのですよね?」

「もちろん。だから美味しい思いが出来るように、皆趣向を凝らしているのさ。退屈しない

ことだけは、全職員を代表して僕が保障しよう」

「ありがた過ぎて涙が出そうです」



 行け、という仕草をリスティがするものだから、残りのコーヒーを一気に飲み干して、立

ち上がる。ドアの向こうには既に人の気配。姿は見えないが、期待されているのが手に見て

取れた。女性ばかりが153人。精神的に勝てるはずもない。



『私の主様なのですから、これくらいの数の女性、手玉にとってくださいましね?』



 胸ポケットから恭也にだけ聞こえるように発せられたプレシアの呟きは、従者からのお願

いという形態を取ってはいたが、命令に近いものだった。そうでなければ許さない、といっ

気概さえ感じられる。彼女には明確に望む主像というものがあるのだろう。その中に女性を

手玉に取る、というのが最低条件として組み込まれているのだろうが、女性は恭也にとって

勉学以上に相性の悪いものだ。やれと言われて出来るものでもない。



 だが、やれと言われた以上、やらざるを得ないだろう。彼女をプレシアと名付けたのは自

分なのだ。そんな彼女に対して恥じ入ることなど、出来るはずもない。命じられれば、それ

を成す。それが自分の役割だったはずだ。



「……分かった。俺の真の力を見せてやろう」

『頼もしいお言葉。そんなに自信がありまして?』

「見くびらないでもらおうか。本気になれば女性の1人や2人や153人、何とでもしてみ

せよう」

『いえ、私も言いすぎました。お猿さんに空を飛べと言っても無理ですもの。まずは手を握

るところから始めてみては――』



 恭也は勢い勇んでドアを開けた――



 

























 送り出すには送り出したが、流石にあれだけの数の女性がいるところに、見るからに女性

慣れしていない青年を放り込むのはやり過ぎたか、と夕食後のまったりとした時間にリンデ

ィは思った。



 時計を見ると、既に日付は変わろうとしていた。今日は遅くなるという連絡がリスティか

ら入ったので、恭也が帰るのを待とうとしていたフェイトとアルフは、先に休ませた。尤も

彼女らのことだ。ベッドに入りながらも目は冴えているのだろう。眠気と戦いながら、彼が

帰ってくるまで待とうとするに違いない。



 リンディとしては、新しい部隊で親睦を深めてくれるのなら、朝帰りくらいしてくれても

構わなかったが、初日からそれではせっかくアルフとも仲直りしたのにまた冷戦に逆戻りだ。

家庭とは楽しい空間であるべきである。不穏の芽は摘み取っておかなければならない。



 家長としての多大な義務感と騒動への期待を僅かばかり持って、通信機のスイッチを入れ

る。いくら歓迎会と言ってもプレシアは携帯したままのはず。何かの事情で服ごと遠ざけて

いるのでもなければ、繋がるはずだ。



『……どちらさま?』



 しかし、聞こえてきたのは若い女性の声だった。そこがまだ歓迎会の会場なら、もしくは

外ならば雑音も聞こえてきそうなものだが、周囲は静かなものだった。



 これはもしや、と内心で冷や汗を垂らしながら、リンディは言葉を紡ぐ。



「リンディ・ハラオウンと申します。恭也・テスタロッサさんはそちらに?」

『あー、提督ですか? 僕です、部長のクロフォードです』

「リスティさん? しばらくぶり。もしかしてお邪魔だったかしら?」

『だったら良かったんですがね……僕らもそういうことを期待してたはずなんですが、ホス

トの方が思ってたよりも耐久力が低くって……現在、一番近かった官舎で介抱してるところ

です』

「……介抱?」

『途中までは結構頑張ってたんですが、キャラに合わないことを続けることが頭に負担がか

かってたみたいで。知恵熱を出して倒れました。もちろん命に別状はありませんよ。目が覚

めたらそちらまでお送りします』



 想像以上の恭也の戦果に、リンディは思わず噴出した。あの性格では流されて玩具にされ

ると思っていたのだが、何の心境の変化か、頑張ってしまったらしい。それで倒れるという

のもいかにも恭也らしかったが、彼なりに頑張った結果なのだろう。決して男らしい結果で

はないが、微笑ましくはある。



「悪いわねぇ、迷惑をかけて」

『いえいえ。提督の紹介ですから疑ってはいませんでしたが、思った以上に楽しめましたよ、

あの青年。皆のウケも良かったみたいだし、うちでも活躍できるんじゃないかと』

「それを聞いて安心したわ」



 その後適当に談笑をして、通信機を切る。思い直して、クロノの部屋に繋ぎ、一息入れる

べしと呼び出した。若干迷惑そうな顔をしながら、部屋から出てくるクロノを、リンディは

特性のお茶を入れることで出迎える。



 クロノの顔が一瞬、絶望に染まったような気がしたが、気のせいだろう。



「恭也さん、上手くやっているみたいよ?」

「本当ですか? 知恵熱でも出して倒れるのではないかと思っていたのですが」

「それは、経験談?」

「想像にお任せします……」



 恐る恐るお茶に口をつけたクロノは、『うっ……』とうめき声を上げると、そそくさと部

屋を出ていった。戻ってきそうな感じではない。残すのももったいないと、お茶に角砂糖を

十個追加して口を付け、その会心の甘さに陶然とため息を漏らした。



 






















説明ばかりの回でした。リンディさんの部下にすることも考えたのですが、今後のストーリ
ーのこともあって、オリジナルの部署に所属してもらうことになりました。
上司のお嬢さんは原作からの登場です。他にも職員の名前として二人出しましたが、今のと
ころリスティ以外の人物が目立つ予定はありません。組織体系に関しては、適度なオリジナ
ルを出せたら、と考えています。


次回は、恭也研修に行く。地上本部で脅威の格闘技術に触れます。