時空管理局という組織は、内部を大きく二つに分けることが出来る。



 一つが『本局』。リンディが提督を務めるアースラや、恭也の所属する特設共同技術研究

開発部が属するのはこちらであり、そこに所属する魔導師は複数の次元世界に跨る案件を主

に対応する。その他の職員も原則として、本局に属する部署、及び個人のバックアップのた

めに存在しているため、独立性も高い。



 もう一つが『地上』である。その次元世界で起こり、そこで完結している案件を主に対応

する。そのために各次元世界に本部が存在し、それらの本部を統括する地上本部が、ミッド

チルダ首都、クラナガンに置かれている。



 地上と本局。本来、どちらが偉いということはない。職務の内容が異なるだけで、同じ組

織なのだ。協力し合い、共に悪を根絶し、世界の平和を維持するのがあるべき姿である……

とは、管理局に所属する人間なら、誰もが建前としては認識しているだろう。



 だが、実際には本局と地上の仲は、同じ組織とは思えないほどに悪い。本局は広い世界で

起こった案件をカバーするために、一つの案件にかけなければならない人員の数が多く、ま

た、そういった事件を起こす犯罪者は極めて精強であることが多いため、より優秀であるこ

とが求められる。



 そういったことを理由に、有望な新人や経験を積んだ指揮官などを、本局は容赦なく召し

上げてしまうのだ。



 当然、地上でも事件は起こっているので、人材がそちらに流れては対応も難しくなる。地

上の方でも抗議はするものの、上記のような理由を盾に本局は強引に押し通してしまう。



 強引になるのは、それだけ本局でも本当に人員が不足しているからで、最初は決して地上

が憎くてやっていた訳ではないのだろうが、人員が流れてしまうのは事実であり、それで地

上が困窮しているというのもまた、事実だった。



 これらの理由から、地上と本局では管理局発足以来、根強い対立が続いている。特に、そ

れは長く管理局に籍を置いている者ほど根強く、その感情の発露は色々な場所で、色々な形

となって現れていた。



 故に、管理局地上本部、正面玄関から入った瞬間、周囲の局員から視線の集中砲火を浴び

るのも、仕方がないと言えば仕方のないことだった。視線を向けてくるだけならまだ良く、

中にはあからさまな敵意を向ける物もあり、舌打ちまで聞こえてきた。



 無論のこと、恭也は彼らに何かをした覚えはない。外様は目立つのだろう。同じ服を着て

いれば流石に分からないのだろうが、恭也が身に着けているのは紺色の、本局の制服である。

ほぼ茶色一色の地上局員の中では、完全に浮いていた。アウェーで戦うスポーツ選手という

のは、こんな気分なのだろう。



 本音を言えば一秒だってこんなところにいたくはないが、恭也の階級は最低の三等海士で

あり、研修という名目とは言え、これが管理局に入局しての初仕事である。こんなものは嫌

だと難癖をつけられるような立場にはない。



 やろうと思えば本局内で完結する仕事も、リンディやリスティなら作れたはずだが、彼女

らは恭也に、地上へ行けと命じた。地上とのパイプを強固な物にしたいという、彼女らの自

由な発想が、今はただ恨めしかった。



「本局、特設共同技術研究開発部より出向してまいりました。恭也・テスタロッサ三等海士

です。首都防衛隊、グランガイツ隊での研修任務のために参りました。取次ぎ願えますでし

ょうか」

「お繋ぎします。少々お待ちください」



 受付で局員証を提示して、用件を告げる。取次ぎを頼んだのは、リンディの推薦した、比

較的本局の局員にも理解のある地上本部の職員のリストの中から、リスティが選出したゼス

ト・グランガイツなる人物が隊長を務める、首都防衛隊の一隊だった。



 恭也自身は会ったこともなければ、どういう人間なのかも知らない。リスティまではリン

ディから資料が行っているはずだが、彼女らだって書類の上でしか知らないと聞いていた。



 事前知識なしというのは流石に不味かろうと、自分にも資料を、リスティに抗議したが、

こんな物に意味はないと取り合ってくれなかった。



 明らかに、こちらが困るのを見て楽しんでいる風だった。これも愛の鞭だ、とも言ってい

た。他の人間であれば嫌がらせと思うのだろうが、彼女は本気でそう思っているらしいから、

始末に追えない。それをそこまで嫌味に感じさせないのは、ある種の才能だろう。



「確認が取れました。迎えの者が来るそうです。しばらくこちらでお待ちいただけますか?」

「了解しました」



 周囲からの視線は、いまだにやまない。何しろ正面玄関から入ってきたため、官民問わず

人の出入りは激しい。局員は必ずと言ってもいいほど恭也に目を留め、様々な反応をして通

り過ぎていく。実に、その半数以上が好意的なものではなかった。事務的な受付の反応が好

意的に見えてしまう程である。



 視線を返して荒事に発展しても困るので、努めて周囲の人間は無視した。何とはなしに、

感覚の網を広げて、気配を探る。すると、その中に時たま大きな気配があるのが見てとれた。

これが、魔導師の気配なのだろう。



 アースラではリンディとクロノの他に、搭乗していた武装局員の気配しかなかったが、こ

こでは大小様々な気配を感じることが出来た。それらのほとんどを小さい、と感じてしまう

のは、最初に出会った魔導師のせいなのか。



 先天的な物だけで話をするなら、フェイトも、妹に似た生物も、傑出した物を持っている

と聞く。そんな天才と比較すれば、宝石だって路傍の石と同じだろう。



 それに自分は、魔導師の最低基準である『魔法を行使できる』すら満たしていない。彼ら

からすれば、自分こそ路傍の石だった。



「あの……恭也・テスタロッサ三等海士ですか」



 それが待ち人の声だ、と解した恭也は声の聞こえた方に振り返る――が、その主を見つけ

られず、目を瞬かせた。ぐるり、と周囲を見回してみても、それらしい姿はない。



「こっちです。下です、下」



 もう一度聞こえた声に従って、視線を落とした。



 少女がいた。身長は自分の腰程度。今年で九歳らしい妹に似た生物よりも、さらに小さい。

年齢も、おそらく彼女より若いだろう。腰まで届く淡い藍色の髪に、上品で落ち着いた服装。

スカートなのは女性局員と一緒だが、制服ではないし、妹に似た生物のような前例があると

は言え、眼前の少女が管理局員であるようには見えなかった。



 その内心が伝わったのだろう。少女は苦笑を浮かべると、改めて深々とお辞儀をした。



「ギンガ・ナカジマと申します。母の使いでお迎えに上がりました。グランガイツ隊は訓練

場にいますので、私がご案内致します」

「これはどうも、ご丁寧に」



 返礼として恭也も頭を下げる。大真面目な仕草がツボにはまったのか、ギンガは微笑を浮

かべた。一回りは年下に見える少女に、普通、男性がするような態度ではない。



「では、参りましょう」



 先だって歩くギンガの後を、黙って着いていく。普通に歩いていればコンパスの差で、あ

っいう間に恭也が追い越してしまいそうなものだが、意外なことにギンガの歩調は早かった。

こちらに合わせてのことなのだろうが、可憐な少女がずいずいと男を従えて歩く様は、ある

種異様な光景とも言える。



「ギンガさん、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「構いませんけれど……敬語はいいですよ。私の方が、大分年下ですから」

「女性には丁重に接するべし、というのが死んだ父の遺言でして」



 苦笑を浮かべて、答える。歩きながら、ギンガは口の中で小さく唸って見せた。納得して

いない様子だったが、恭也に態度を変えるつもりがないことを悟ると、ため息をついた。



「せめて、名前だけでも呼び捨ててもらえませんか?」

「分かりました、ギンガ」



 言ってみて、自分でも不自然なことに気付いた。ギンガのような少女ですら控えめな文句

を言うのだから、傍からみたら相当なのだろう。迷惑をかけるくらいなら口調くらい、と今

更思い直したが、一度口から出た言葉を撤回するのも格好が悪い。海鳴で出会ったすずかだ

って、こういう会話をしていた。親睦を深めるような縁があれば、段々と直していけばいい。



「ギンガは、管理局員なのですか?」

「残念ながら、違います。今日はたまたま母に用事を頼まれて来ただけで、普段は学生です」

「母、と言うと……」



 覚えがあるかと思ったが、資料すら見ていないのだから分かるはずもない。恭也がグラン

ガイツ隊について知っていることは、隊長の名前くらいのものだ。



「クイント・ナカジマと言います。階級は准陸尉で、隊長補佐を務めているそうです」

「ほう。首都防衛隊の一隊で、隊長補佐ともなれば、お強いのでしょうね」

「魔導師ランクはAAで、シューティング・アーツという格闘術の使い手です。強いですよ」

「格闘術ですか……」



 ギンガが強いと躊躇いなく言うことも気になったが、それ以上に魔法主体のファンタジー

な世界において、相手との距離を詰めることが前提の格闘術を修めていて、しかもそれで猛

者という事実に、恭也は驚いた。



「徒手となると、俺は少々齧った程度ですね。今後の参考までに、手合わせしてみたいもの

です」

「恭也さんは、何が得意なんですか?」

「俺は、剣術です。魔導師という訳ではないので、ランクはありませんが」

「……魔導師じゃない?」



 ギンガが小首を傾げる。管理局で荒事を担当していれば、大抵は魔導師だろう。そうでな

い人間もいて、事実、魔導師でなくとも出世している人間もいるとのことだが、ギンガくら

いの年齢で、身内に魔導師がいるのであれば、疑問に思うのも頷ける。



 聞き様によっては失礼なことではあったが、恭也はそれに気づかない振りをして、答えた。



「どうも、俺の使う技術はマイナーなようでして。魔導師とも戦えるのですが、協会とやら

が魔法と認めてくれんのですよ。だから、ランクはありません」

「ベルカ式でも、ミッドチルダ式でもない魔法ですか?」

「そうです。だから何なのか、という疑問には答えられませんが」



 むしろ、何なのかは自分が聞きたいことだった。扱う技術に名などなくとも恭也自身は困

ることはないが、今後管理局で働いていれば、こういう話をする機会も増えてくる。その時

に、心中ですら名無しでは、説明もしずらい。



 名前があれば便利だが。いざ名前となると、浮かばない。勝手につけていいものか、とい

う思いがあるし、現状、自分しか使えない技術なのに、それを自分でつけた名前で呼ぶとい

うのも、子供のようだ。リスティ辺りなら喜んで決めてくれそうなことではあったが、この

場ではどうしようもない。



「お見せする機会もあるでしょう。どういうものかは、その時にご理解いただくということ

で」

「楽しみにしてます」



 長い通路を抜ける。地上本部正面入り口を中央とすると、東に向かったエリアである。先

の場所では行きかう人間も制服姿が目立ったが、今は動きやすそうな服を着ている人間ばか

りだった。中には、バリアジャケット姿の者までいる。



「この辺りは、どういう場所なのですか?」

「屋内で訓練をするための区画になっています。本当は外でやるのがいいんですけど、周囲

への安全とか、中々難しいとかで。あるにはあるそうなのですが、母の隊は今日、本部に詰

める番らしくって、今日はここで訓練をしています」

「魔法を使った訓練となると、屋内では難しいと素人考えで思うのですが、建造物に影響は

ないのですか?」

「激しい戦闘を行う時は、結界魔導師の人が結界を張ることになっていますよ。訓練場の壁そ

のものが、魔力攻撃に強い特殊な材質で出来てるらしくて、頑丈です。私は母の訓練を何度か

見学したことがありますけど、壊れているところは一度も見たことはありません」

「世の中上手く出来ているものですね」



 訓練となれば、激しい攻撃などもするのだろう。フェイトや、妹に似た生物などが放つ魔力

の攻撃を、屋内施設で受け止められるとは、恭也にはどうしても思えなかったが、ギンガが嘘

を吐く理由もない。



 やがて、ギンガは大部屋の前で足を止めた。プレートには『第3訓練室』とある。迷い無く

足を踏み入れたギンガは、室内に向けて声を挙げた。



「恭也・テスタロッサさんをお連れしました」



 ギンガを追って中に入る。想像していたよりもずっと広大な部屋に、ミーティングでもして

いたのだろう、バリアジャケットを纏った隊員達が輪になって顔をつき合わせていた。総勢1

5名で、女性も二人混じっていた。



 その女性のうちの一人、ギンガに面差しの良く似た女性と、男性がもう一人、輪から抜けて

歩み寄ってきた。残った隊員達は横一列に整列し、恭也達を眺めている。



「隊長のゼスト・グランガイツ一等陸尉だ。こちらは隊長補佐のクイント・ナカジマ准陸尉。

我が隊へようこそ、恭也・テスタロッサ三等海士」



 整列した隊員と共に敬礼するゼスト達に倣い、恭也も敬礼を返す。



「ギンガは粗相をしなかったかしら」

「丁重に案内してくれました。俺などよりもよほどしっかりしていますよ」

「そんな……」



 思っていたことをそのまま口にしただけだったが、ギンガは頬を染めて照れていた。周囲

にはない、奥ゆかしい反応である。このまま成長してくれるのなら、非常に将来が楽しみだ

ったが、面差しの良く似た母のクイントは、実に溌剌とした印象を受ける。ギンガとは真逆

の印象と言ってもいい。



 クイントの見た目が若いこともあって、姉妹にすら見えたが、ここに案内するまでにギン

ガはグランガイツ隊の母の使いで、と言った。クイントの他に女性は一人だけで、その女性

も美人ではあったが、ギンガとは似ていない。本当に、姉ではなく母なのだろう。プレシア、

リンディに続いて、三人目の『年齢よりも見た目の若い女性だった』。



 他の人間に聞いたことはないが、今までの人生を振り返ってみても、その遭遇率は驚異的

だった。そういう女性を引き寄せる何かが自分にあるのかと、疑ってしまうほどに。



「リスティ・C・クロフォードより、こちらの部隊で研修を受けよと命を受けて参りました。

書類を持参しておりますが、それは誰に」

「アルピーノ」



 ゼストに呼ばれて、もう一人の女性が進み出た。上品に微笑みながら、手を差し出してく

る。握り返した手は柔らかで、荒事部署に所属しているようにも思えなかったが、訓練室に

他の男性隊員達と一緒に並んでいる以上、彼女も武装局員なのだろう。



「メガーヌ・アルピーノ准陸尉だ。ナカジマと共に隊長補佐でもある。書類の一切は彼女に

渡してくれ」

「了解しました」

「研修の間、宿舎が必要なら隊で確保しているアパートを紹介するが」

「クラナガンの知人の家に世話になることが決まっておりますので、問題はありません」



 研修の間に限らず、先立つ物が手に入るまでは、フェイトやアルフ共々、リンディの家に

世話になることになっている。リンディの家なのだから、当然クロノもおり、フェイトに先

だって少ない荷物を運び込んだ時に顔を合わせた。同じ屋根の下で暮らすと思うと気分が滅

入ったが、渋面を作ったのは向こうも同じだったので、仕方のないことだ、とは思うように

している。



「では早速、研修任務だ。今日は訓練のみだが……俺は貴官の実力を知らない。貴官は魔導

師ではないらしいが、ハラオウン准将は貴官が戦闘任務に参加できる程の実力を持っている、

と太鼓判を押している」



 メガーヌとクイントを手で隊員達のところまで戻すと、ゼストは背を向けた。ゆっくりと

歩き、恭也から距離を取る。



「それが嘘とは、俺には思えない。准将もお前も本局の人間で、もし嘘であれば、自分達の

恥部を態々地上に宣伝して回ることになる。あの聡い方が、そんな愚を犯すとも思えん。だ

が……」



 申し合わせたように、隊員全員が距離を取った。ゼストは隊員達を見向きもせず、その手

に大槍を出現させ、腰を落とした。



 魔導師に武術など、という思いが恭也にはあったが、中々どうして、堂に入った構えだっ

た。魔法の存在を考慮に入れず、槍の腕前だけでも、ゼストが相当な実力者であることは見

てとれた。



「俺も、部下達も、貴官の実力を知らん。戦えぬ人間を、現場に連れて行くことは出来ない。

俺の隊は全て、戦闘することを任務としているからだ。研修、最初の任務は、俺と戦うこと。

判断は俺を含めた隊員全員でする。もし過半数の人間がお前が戦闘するに値せずと判断した

場合は、研修終了までここで訓練をしていてもらう」

「それは、隊長としての言葉と解釈してよろしいのですよね」

「構わん。戦闘を拒否することも可能だが、どうする、テスタロッサ三等海士」

「拒否など……」



 口の端を上げて苦笑する。いくら恭也でも、舐められていることは理解できた。はらはら

して見ているのはギンガだけで、クイントも他の隊員達も、そうすることが当然のように見

守っていた。



 自分が戦えるというリンディの言を疑ってはいないのだろうが、その顔は、まさかゼスト

が負けることなどない、という顔だった。勝負をする前から、負けるのは恭也・テスタロッ

サだと勝手に判断している。愉快な状況ではない。



「プレシア、起動」



 呟くと、黒いプレートだったプレシアが変形し、二刀の差し込まれたベルトとなり、勝手

に装着される。



 魔導師でない人間がデバイスを起動したことに、隊員達から驚きの声が上がったが、ゼス

トは構えも崩さず、ただ眉を小さく動かしただけだった。両の小太刀に軽く手を添えて、腰

を落とす。



 構えた。何かを感じ取ったのか、小さく会話を続けていた隊員達も、しんと静まり返った。



『おはようございます、私の主様(マイ・マスター)』

(話は聞いていたか?)

『それはもう。舐めきってますわね。私達を』

(ああ。連中には、思い知らせる必要がある。そこで俺は、『それなりに』全力で戦ってや

ろうと思うのだが、どう思う?)

『大変結構ですわ。私達を舐めることが、どれだけ高くつくのか、思い知らせてあげません

と』

(指し当たっては、お前を力の限り振るうことになると思うが、耐えられるか?)

『誰に物を言っていますの? 私はプレシア。恭也・テスタロッサの刃ですわ』

(頼もしい相棒だ)



「ナカジマ、合図を頼む」

「了解しました。では――」



 クイントが、手を振り上げる。



「はじめ!」



 神速。モノクロの空間を駆けてゼストの背後に回り、左の小太刀を抜き打つ。



 無防備な背中への一撃。しかし、ゼストは反応した。背後に回した槍で小太刀を受け止め

る。世界に色が戻った。



 離れて見ていたら、恭也が瞬間移動でもしたように見えていただろう。隊員達も修羅場を

潜った猛者なのだろうが、一見で動きを看破できた者は少ないようだ。



「素早いな、テスタロッサ」

「隊長殿におかれましては、あまり驚いておられないようですが」

「速いが、最速ではない。お前よりも速く動ける人間を、俺は知っているぞ」

「ならば、存分に俺の技を堪能されるが宜しいでしょう」



 大きく跳び退り、納刀。ゼストは鑓を構えたまま、不動の構え。打ち込む前よりも、気配

が濃くなっている。隙までなくなってしまったが、侮られるよりはずっといい。



 寄らば、斬る。壁を通り越して、山のような圧。プレシアが持っていた深い闇のような気

配とはまた別の、強大な気配。あの鑓の一撃を喰らえば、魔法的な防御など無いに等しい自

分は、紙のように吹き散らされるだろう。



 これは訓練であるとか、そんなことはゼストには関係ないことのように思えた。隙があれ

ば打ち込んでくる。ゼスト・グランガイツとは、そういう男なのだと理解する。



『見合っていても勝てませんわよ、主様』

(ならばお前がやってみろ……というのは暴論なのだろうな)

『強敵ですわね。でも、主様の勝てない相手ではありませんわ』

(主思いのデバイスを持てて、俺は嬉しいよ)



 戦えば、勝つ。それが幼い頃から叩き込まれてきた、流派の理念。負けるということは、

大切な人を危険に晒すということ。守りたかったら、勝て。そう言った父親は、依頼人とそ

の娘の盾になり、死んだ。父は、本望だったのか。言葉を交わすことの出来ない身には永遠

の謎だが、死の瞬間まで後悔はしていなかったと思っている。



 勝たねばならない。それが山でも何であってと、斬り伏せる。それが、自分の刃の役割だ。



 踏み込むと同時に、神速。背後に回らず、正面から突っ込む。先よりも速く、ゼストは反

応した。恭也に向かって、正確に鑓を振り下ろす。一撃必殺。そんな呪いの篭った鑓の一撃

を、『貫く』。気づけば攻撃の内側に居た敵に、今度こそゼストの目が開かれた。




 御神流 奥義の肆 『雷徹』




 打ち込んだ小太刀に、もう一刀を重ねて、衝撃を徹す。本来は武器の破壊を目的とした一

撃を、直接人体に打ち込んだ。常人であれば、肉は裂け骨は砕け、苦しみ抜いて死に至るだ

ろう。



 だが、ゼストは歴戦の魔導師だった。バリアジャケットに守られた身体は堅牢で、雷轍の

衝撃に大きく跳び退ったものの、生まれた傷は致命傷には程遠い。僅かに裂けて地肌が覗き、

いくらか流血もしているようだったが、それだけだった。



 その結果が恭也には甚だ不満だったが、隊員達はそうではなかった。魔導師でない人間が、

訳の解らない技で魔導師に傷を付けた。魔法世界で暮らす彼らにとっては、信ずるべき常識

を否定されたに等しい。



「ふむ……」



 呻いて、鑓を構えたまま、ゼストは傷を見た。隊員達ほどに、衝撃は受けていない。



「これは、魔法なのか? それとも、お前の技か」

「技です、隊長殿。人間は魔法に頼らずとも、これくらいのことは出来るのですよ」

「深いな、人とは。だが、技だけでは俺を倒すには至らぬようだ」

「では、魔法と呼べぬ魔法をご覧じろ」



 二刀に気を込めると、刃が仄かに輝き始めた。魔力の光――魔法世界の住人はそう呼ぶ。

相棒にして師の存在が言うには、根源は同じものであるらしいが、ならば多少なりとも気を

扱える自分は、魔導師ということになるまいか。



 社会は、それを認めなかった。社会が認める魔法でなければ、それは魔法ではないのだと。

歴史を積み重ねてきた、社会の判断だ。それはある意味では正しいのだろうが、個人の前で

は往々にして、社会は建前になりうる。



 デバイスが、魔力を纏った。そういう技能を持つ者を、人は魔導師と呼ぶだろう。魔導師

でないと聞いていた恭也の行為に、隊員達から歓声が上がった。



「次は、怪我をさせるかもしれません」

「させてみろ。若造に何度も打ち込まれるほど、軟な鍛え方はしていない」

「ならば、打ち込んで見せましょう」

「来い、テスタロッサ」



 ゼストの気配が、膨れ上がった。騒いでいた隊員達が、一斉に押し黙る。本気になった。

それが恭也には見て取れた。戦うことを生業にしている魔導師を、本気にさせることが出来

た。その事実に、恭也の心は躍った。



 納刀した両の小太刀に、手を添える。全ての技を、出し惜しみしない。ゼストが全力で来

るのなら、こちらも全力で相対しなければならない。



 微動だにしないまま、睨みあいを続ける。ゼストは動かない。頬を流れる汗が、滴り落ち

る。それが顔を離れ、地面に落ちようとした時、恭也は、ゼストは、動いた。





「止め!」





 訓練場に、声が響いた。既に動き出した後だったが、ゼストの鑓も、恭也の小太刀も、打

ち出される寸前で止まっていた。



「アルピーノ……」



 ゼストが、抗議の声を挙げる。穏やかに、と心がけた物言いだったのだろうが、強面の風

貌と低い声は、言い知れぬ迫力があった。メガーヌもその迫力に一瞬怯んだようだったが、

自分を奮い立たせるように両の拳を握り締めると、隊員達の列から離れ、歩み寄ってきた。



「止めです、止めてください。こんなことして何になるというのですか」

「男の戦いだ。アルピーノ」

「今は勤務時間です。私闘なら、プライベートでやってください」

「これは、テスタロッサの力量を測るためのものだ。途中で止めていいはずが、あるものか」

「既にテスタロッサ三士の力量は、伝わりました。彼を受け入れてもいい隊員は、挙手を」



 メガーヌの声に、呆然としていた隊員達が一斉に手を挙げた。その中にはメガーヌ本人は

勿論、クイントや、さらには一緒に観戦していたギンガまで含まれていた。見える限り、全

員が挙手している。手を挙げていないのは、ゼストだけだった。



「これで、テスタロッサ三士を試す必要はありませんね?」

「任務の続行を決定する。これは、隊長判断だ」

「ならば、隊長補佐の権限で意義を唱えます。当該任務が特例事項に類するものでなければ、

隊長は任務を中断し、任務続行が妥当であるのか協議しなければなりません」

「どうしても、反対か」

「反対です。このまま続ければ、どちらも怪我ではすみません。訓練です。それがいけない

とは言いませんが、今はすべきではないと考えます」



 睨みあいは暫く続いた。折れたのは、ゼストだった。深々とため息をついてデバイスを消

去し、バリアジャケットを解除する。



「隊長補佐の判断を優先し、任務を終了とする」



 ゼストは、無表情のまま不貞腐れていた。途中で任務と言い出してしまったために、終了

の言葉も物々しい。ゼストが苦笑している隊員達を睨みつけると、彼らは口笛を吹きながら

視線を逸らした。



「ごめんなさい、テスタロッサ三士。うちの隊長は、いい人なのですけど融通が聞かなくて」



 隊長補佐と紹介されたが、図書館の司書でもしているのが似合そうな女性である。メガー

ヌは恭也の周囲を回って身体を確認したが、正面まで戻ってきたとろで、小さくため息をつ

いた。



「やっぱり、所々破れてますね。制服のまま始めるからですよ。支給品とは言え、タダでは

ないのですから、扱いには気をつけてください」

「面目次第もありません」



 差し出された手に、上着を脱いで渡す。メガーヌがそれを光に翳して見ると、なるほど、

小さくはあるが、数箇所破れているのが見て取れた。袖を通して仕事をしたのは今日が初め

てなので、初日で破ってしまったことになる。それを考えると、聊か勿体無いという気はし

た。



「訓練着を渡しますから、それに着替えてください。ズボンも上着も幸い軽度の補修で済み

そうですから、補修業者に渡しておきます。今日、受け取り場所を教えますから、訓練終了

後、私に付き合ってください」

「何から何まで申し訳ない」

「男性なのですから、こういう訓練をするな、とは言いませんけど、これに懲りたら、次は

着替えてからやってくださいね」



 更衣室まで走って行ったらしいギンガが、訓練着を渡してくれた。一緒に差し出されたタ

オルを見て、恭也は初めて自分が大量の汗をかいていることに気づいた。汗を拭こうとタオ

ルを奪おうとするギンガの動きを何気なくブロックしながら、シャツも脱ぐ。損耗を考えな

くとも、制服などで動くべきではない、というのが今更ながらに解った。



「隊長が怪我をするところなんて、久し振りに見たわ」

「打ち倒すつもりでやったのですがね。いや、魔法というのは手強い」

「魔法を使っても、中々貫通できないものよ。私だって驚いたもの。ギンガなんてずっとキ

ャーキャー言っていたわ」

「お母さん!」



 頬を染めたギンガが、クイントの腰の辺りをばしばし叩いた。腰の入ったいい攻撃だった

が、クイントはそれを全く意に介さない。屈託のない笑顔を、向けてくれた。



 そして変わる変わる、隊員達が握手を求めてきた。笑顔で自己紹介をし、肩を叩いてくる。

驚いたことに、歓迎されているようだった。データとして好かれる要素は何一つないはずだ

ったが、彼らは認めてくれた。



「訓練の開始を五分遅らせる」



 簡単な怪我の治療を終えたゼストが、やってくる。



「アルピーノから訓練着を受け取ったろう。更衣室の場所は分かるな? さっさと着替えて

こい。お前の合流を待って、訓練を始める」

「俺も参加していいのですか?」

「俺を含めた全員が認めた。嫌と言っても、参加させる」

「ありがとうございます」

「礼を言う必要などない。言っておくが、俺の隊の訓練は厳しいぞ? ここで認められたこ

とを、後悔することもあるかもしれん」

「厳しい訓練には、慣れています。望むところです」

「良い返事だ。出動がかかった時には、お前にも現場についてきてもらう。現場に出た時は、

ナカジマの指示に従え。お前の力量はある程度は把握したが、魔導師との連携に関しては素

人だろう。研修が何時までになるか知らんが、俺の隊に居る間に、それを習得してもらう」

「望むところです」

「解ったら、さっさと着替えてこい。今この時から、お前はグランガイツ隊の一員だ」



 そう言って、ゼストは背を向けた。自分の言葉に照れているらしく、隊員から野次が飛ん

だら、拳が飛んだ。冗談のように隊員は吹っ飛んだが、それが可笑しかったらしく、クイン

トも、メガーヌも、他の隊員達も、ギンガさえも笑い出した。受け入れられたのだ。それが

どれだけ素晴らしいのかを、恭也はまた、知った。