sacred purple 第五話 『アカシャの蛇 白の姫君』















0、


 少女には思い人がいた。相手は同じクラスの、何処か普通とは違う雰囲気の少年だ。秘
めた片思いである、と少女本人は思っていたのだが、どうも少女は顔や態度に出易い性質
だったようで、少女の思いを知らない人間は同じクラスどころか、同じ学年にはいないほ
どだった。ただ一人、その少年本人を除いて……

 鈍感、と少女の友人は少年のことを非難するが、少女は別に少年が鈍感でも良かった。
そりゃあ恋人なんて関係になれれば嬉しいが、今のようなたまに話をして一緒に帰るくら
いの関係でも、少女は十分に幸せなのだから非難なんてお門違いというものだ。


 それなのに、どうしてなのだろう?


 その少年が、夜の街を徘徊しているという話を友人がしてきた時、冗談と笑うことがで
きなかったのが悪いのか? 信じようとしてそれができず、噂と同じように深夜、街に出
たことがいけなかったのか……

 誰が悪い、何が悪いとは言えない。ただ、少年を信じることができれば、少女はこんな
目に合わずに済んだはずだ。例え噂が本当だったとしても、少年には何も疚しいことなん
てないんだと思うことができれば、こんなモノにはならずに済んだのに……


 身体が、書き換えられていく。人間から、そうでないモノへと。


 痛い、痛い、喉が渇く。誰かに助けを求めたくても、もはや人間でなくなりかけている
少女には、どうすることもできない。


(助けて……遠野君…………)


 少女は呪詛のように繰り返す。それが届かない言葉であると知りながら、いつまでも、
いつまでも……























1、


「埋葬機関の司祭ですか?」

 隣りを歩く霧絵の反応は、どうにも険しい。このまま放っておくと際限なく機嫌が悪く
なるのは目に見えているが、先程シエルに定時連絡のメールを入れたのは事実であるし、
ついでに屋敷で上手いこと取り成してくれているはずの琥珀に連絡を入れた事実まである
から、霧絵に対する上手い言い訳など思い浮かばないのだ。

 もっとも、何故機嫌が悪いのかいまいち理解のできない遠野志貴には、そんな天啓があ
ったところで上手く取り成すなんてことができるはずもないのだが。

「そうですよ。先輩も街を見に来てくれてますから、情報交換はした方が便利でしょう?」
「個人的にはそう思いますから賛成はしておきますけど、それを話すのは秋隆さんまでに
してくださいね? 長老達にバレたらことですから……」

 埋葬機関と仲のいい組織など、地球の何処を探しても見つからないだろうが、この極東
地域の退魔組織も、仕事が似通っている部分もあるのでその例外ではない。代が変わって
最近はそうでもないが、戦前育ちの古参には今でも外来を毛嫌いする節がある。さらに、
面と向かって勝ちが見えないようなものが相手では、その怒りも一入だろう。

「バラすつもりはありませんよ。退魔と聖堂協会が上手くやれるとは思えませんし、これ
はあくまで俺個人のコネのつもりですから」
「……さっきから気にはなっていたんですけど、どうして司祭が先輩なんですか?」
「言ってませんでしたっけ? あの人、今俺の学校に通ってるんですよ。一つ上の学年で
すから、しょっちゅう顔を合わせる訳じゃありませんけど」
「私が宗主になる以前から、埋葬機関七位『弓』のシエルの話は聞いていました。彼女が
どんな姿をしているのか知りませんが、間違いなく私よりも年上ですから騙されないでく
ださいね。ただでさえ志貴君は子供からお年寄りまでなんですから」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ」
「もう何年も前に巫浄を出て行った分家の双子の姉の方から、昼間久しぶりに手紙が来て
ですね、人に読んでもらったんですけど、それはもう嬉しそうに近況が綴ってありました。
長年の妹の男嫌いが治るかもしれないと」

 魔法使いの手の早さに、志貴は思わず頭を抱える。止めておかなかった自分が悪いのか、
いや彼女のことだ、言えばどういうことが起こるかまで解かってやっているのだろう。

「まったく。志貴君の先輩なんて、私だってやりたいシチュエーションなのに……」
「本音はそこですか。さすがに霧絵さんには無理だと思いますよ」
「代行者にはできて、私にはできないと言うんですね、志貴君は」
「高校生には見えませんよ。確かに霧絵さんは綺麗ですけど。と言うか、藤乃ちゃんには
そういうことを理由に断ったじゃないですか」

 出掛けの藤乃の恨めしそうな視線と、それに反した霧絵の真ん中にあって生きた心地が
しなかったのだから、ここで霧絵に不用意な行動に出られては、本気で藤乃の怒りが爆発
しかねない。

「……まあ、志貴君がそう言うなら諦めてもいいですけど」

 大人ぶって何のかんの言っても、綺麗と面と向かって言われたことは相当に嬉しかった
らしい。照れてそっぽを向く霧絵の横顔を見ながら志貴は、

(女の人って解からないなぁ……)

 などと考えていた。だから愚鈍なのだと言われることに、遠野志貴は気付くことはない。


 夜の街。それなりに都会でありながら、それなりに田舎である三咲の街で最も賑わう場
所だ。吸血鬼殺人のせいで人の出入りは少なくなったと聞いているが、それでも何かを求
めて彷徨う人の流れが途絶えることはない。

 いっそ、公的機関の権力でもって封鎖でもできれば楽なのだろうが、楽を求めるのは人
間の本質であると、師匠の態度から数年を賭けて、身をもって学習した志貴にはそれが如
何に困難なことであるのか理解できる。自らの命が危険に晒されるという程度では、楽を
求める人間には何の抑止力にもなるまい。

「今日は食いつくでしょうか?」
「食いつかない方が建前としてはいいんですけどね。俺の感覚では、どうにも。藤乃ちゃ
んの千里眼にも引っかかってないみたいですし……霧絵さんの領域はどうですか?」
「残滓が混在してるんですよね。どうも、複数の何かが出入りしているような感じがしま
す」
「埋葬機関の司祭を出張らせるような相手が、二体以上ですか? そうなるといよいよ、
俺達の手には負えなくなるかもですね」

 真祖や死徒の十位以上は別格であるとしても、それ以下の祖や祖に満たない存在でも、
人間にとっては十分に脅威になりうる。そうそうの存在が相手でも負けるつもりはない志
貴にはないが、連携を組まれでもすると厄介ではある。

(最悪、援軍を呼ぶことになるかもしれない……)

 退魔師としてはあまり頼りたい相手ではないが、戦力としては志貴の知る限り『先生』
を除けば最も頼りになる彼女達の姿を脳裏に浮かべ、巻き起こされるだろう騒動にやはり
頭を抱える。

 できることなら平穏無事に、これ以上被害者を出さずに終わらせたいものだが……

「聞き込みでもしてみますか――」
「当たりみたいですよ、志貴君」

 霧絵の光を捉えぬ目が細められ危機が伝えられるとほぼ同時、圧倒的な死を内包した気
配が『いきなり』出現し、反対に急速に死に向かう気配がその近くに生まれる。

「式達に連絡を。俺は先に行きます」
「気をつけて。間違いなく本体ですからね」

 別れの挨拶を言うが早いか、魔術回路を起こし『他人に注視されない』ルーンを起動。
同時に身体能力を幾ばくか強化し、人間には決して出せないだろう速度で疾駆する志貴に、
しかし目を向けるものはいない。

 人の波を抜けて裏路地に飛び込む。二つの性質の異なった死の気配を辿り、探知専門で
もない志貴でも相手との正確な距離、力量が分かる位置まで来たところで並走する気配が
現れる。

「今晩は。いい夜ですね」

 にこりともしない。第七位の瞳は志貴の方を見てはおらず、まだ見ぬ怨敵の姿を求め、
殺気を撒き散らしている。

「共闘、ということでいいんですか?」
「この街の吸血鬼には私も因縁がありますから、欲を言わせてもらえれば、手は出さない
でほしいんですけど?」
「了解しました。俺が危ないと判断するか、先輩自身から手伝ってくれと言われるまで、
あれには絶対に手を出さないことをここに『契約』します」

 力を持った言葉が、志貴とシエルの間に存在しないはずの線を形作る。あまりと言えば
あんまりなその早業に、シエルは殺気を緩め呆れ顔で志貴を見つめ返す。

「魔術師があまり契約をするものではありませんよ?」
「俺の知り合いに一人、契約の達人がいましてね。まあ、俺からの誠意とでも受けとって
ください」
「……受け取りましょう。では、遠野君は感染者の『対処』をお願いします。私は本体の
方を追いますから」

 ここは奴の狩場。外来の狩人の動きは既に察知されているらしく、既に逃げに入ってい
る。志貴でもまだ捉えきれるレベルだが、その速度はさすがに吸血鬼、速い。

「死なないでくださいね。仲間の話では、大分強敵のようですから」
「誰に物を言ってるんですか!?」

 叫び、ちらと犠牲者の姿をその目に収めると、シエルの姿は文字通り掻き消えた。目当
てに追いつくので半々。シエルの力量を疑っている訳ではないが、志貴もあれを今晩倒せ
るとは思っていない。

 それでも、彼女ほどの腕があれば何某かの手掛かりを掴んで帰ってきてくれることだろ
う。犠牲者が出たのは不本意ではあるが、これで何もない状態から一歩前進できた。

 後は、犠牲者への対処だ。ルーンを志貴個人ではなくこの場所全体に展開。人払いを済
ませてから、その犠牲者へと歩み寄り、苦痛を感じさせないよう一息に止めを刺そうとナ
イフを振り上げ――目を剥いた。

「弓塚さん……」

 顔色は蒼白。今にも人でないモノに落ちようとしていても、それは紛れもなく志貴のク
ラスメートの少女だった。

 本来なら即座に書き換えられるはずなのによほどの適正でもあったのか、できそこない
に変じたりはしていないが、既に彼女が人外の身であるのは事実である。そう遠くない未
来には、人の血を求めるようになるだろう。

 無論、そうならない可能性もあるが、今『処断』をすれば確実に彼女による被害を出さ
ずに済む。

 遠野志貴に正義の味方を気取るつもりはない。より多くの人間を助けることができるの
なら、そうすることが正しいのだということは解かっている。事実、この眼で犠牲者がク
ラスメートの少女であると確認するまで、志貴はそれを殺すつもりだったのだから。

 正しいことは何なのか、解かっている。しかし、彼の成したい、目指すものはここには
ない。

「ちくしょう!!」

 姿の見えぬ吸血鬼にあらん限りの憎悪を込めて罵倒し、さつきを抱えて志貴は走る。


 そして、およそ十分後。現場に残りの退魔三頭目が集合したが、既にそこには志貴の姿
はなく、藤乃の千里眼でもってしても彼の足取りを掴むことはできなかった。

























2、


「参りましたね。大見得を切った手前、討滅までこぎつけたかったんですけど……」

 軽口と共に黒鍵を繰り、弾丸のような速度で飛来するカラスの群れを払う。何気ない動
作で形をなさぬほどに細切れにされたそれらは力を失い、地面に落ちると……解けて消え
た。

 それを視界に収めるような余裕は、シエルにはない。吸血鬼を追い、討滅するはずだっ
た彼女は今、黒の異形の軍団に道を阻まれていた。

 誰でも知っているような動物から、幻想種を模したもの。果ては合成獣のできそこない
のようなものまで、周囲にあるのは大小を合わせて軽く二百は越える。元々足止めが目的
なのか、襲い来るそれらに手応えなどはないが、自らの命の危険とはまた別の戦慄をシエ
ルは覚えていた。

 これは、混沌――死徒二十七祖が十位、ネロ=カオス。アカシャの蛇と知己という情報
は小耳に挟んでいたが、まさか彼らがこんな極東の島国で手を組んでいると、一体誰が思
うというのか……いや、組んでいると考えるのは早計かもしれない。

 アカシャの蛇は死徒の中では鼻つまみ者だ。たまたまこの国に現れた混沌が、たまたま
この街で発生したアカシャの蛇に、興味本位で傍観から一歩進んで手を貸しているのだ…
…などと、一体何処の馬鹿が信じるというのか。

 アカシャの蛇が発生するのはここでなければならなかったのかもしれないが、混沌がこ
の街に来ることには、何か別の理由がなければならない。吸血鬼が広大な流水である海を
渡り、日光の危険を冒してまでこの島国まで来るだけの理由。

 思い当たる節は、幾つかある。しかし、アカシャの蛇とまで符号する強大なものとなる
と、シエルに思い浮かぶのはただ一つだった。

 混沌が属する一派、白翼公が掲げる『真祖狩り』。現在、埋葬機関で確認されている真
祖はただ一人。アカシャの蛇を追う、白い吸血姫とあだ名される彼女の名は――

「あら、誰かと思えば……懐かしい顔が踊ってるわね?」

 灰色の雑居ビルの上――月光を背負って現れたのは、夜に生きるあらゆるモノの頂点に
立つ存在。金色の髪を風に靡かせこちらを見下ろすその姿には、彼女が魔に属すると知り、
この身が一応聖職にあると解かっていても、ある種の神々しささえ感じられた。

「ロアの気配を追って来たんだけど、どっちに行ったか知らない?」
「追ってたのは間違いないのですけどね……見ての通り、混沌の眷属に阻まれました。こ
れは、貴女の背後霊ですよね?」
「勝手に追ってきただけでしょ? 私には混沌が何処で何をしようが、関係ないわ。それ
こそ、貴女が何かの間違いでここで朽ち果ててもね」
「貴女の処刑人なら、貴女が倒すべきでは?」
「私の命題はロアを倒すことよ。混沌が私を目的にしているのだとしても、やっぱり関係
がない……と言うか、元々死徒狩りは埋葬機関の役目でしょ?」
「では、せめてこの鬱陶しいモノ達を何とかしてくれませんか? そうすれば少しくらい
なら、ロアの情報を教えて差し上げますよ?」
「そう? なら少し手を貸してあげるわ」

 白き吸血姫は腕を振り上げ、一つ、指を打ち鳴らした。


 空想具現化能力――


 彼女の意思に従って現実はその姿を変え、あらゆるものを両断せんと、不可視の刃が荒
れ狂う。暴風と呼ぶのも生温いあまりにも一方的な殺戮は、ほんの一瞬でもって幕となっ
た。抵抗を試みた眷属もあったようだが、それらも大多数の同胞と同じく虚空へと消えて
いく。

「相変わらず非常識な力ですね……」

 アスファルトが抉れて土煙の舞う中、シエルの身には傷一つもついていない。挨拶代わ
りに腕の一つでも切り落とされるかとも思ったが、今夜の彼女は少しばかり機嫌がいいら
しい。

「そう言う貴女は普通じゃないわね。私に助けを求めるなんて、何か悪いものでも食べた
のかしら」
「今は人の協力者がいましてね。その人のことも考えると、あまり貴女と事を荒立てたく
はないんですよ。それと、ロアの情報でしたね。彼はあちらの方角に逃げましたが……貴
女でも捉えられないのなら、うまく逃げ果せたのでしょう」

 やられました、と肩を竦め、黒鍵の刃を消去する。敵の集団をまるごと一掃するような
真空刃の一撃――大雑把な彼女のこと、遮音をするような芸の細かさはあるまい。

 退魔師、混血、一般の手のものと言わず、すぐに人が集まってくるだろう。あまりここ
に留まっている訳にもいかない。

「もしかしたら近いうちに貴女に会いに行くやもしれません」
「協力者も連れて? いよいよもって気持ち悪いわ。貴女、本当に何を考えてるの?」
「ロアの討滅、人間種族に害をなすモノの討滅です。無限に続きかねない追いかけっこを
続ける気は、私にはありませんからね。貴女と組んで彼を滅ぼせるというのなら、そうし
ましょう。幸い、協力者は貴女のような存在にも寛容なようですから」
「まあ、いいわ。その気があるのならそっちから来なさい。『あの』シエルにそこまで言
わせる協力者、少し興味が沸いてきたわ」
「……さよなら、アルクェイド=ブリュンスタッド。次に会う時はお互い、無事だといい
ですね」
「さようなら、『弓』のシエル。その日を楽しみにしておくわ」


 そうして、夜の闇に溶け込むように白い吸血姫は姿を消した。

 遠くにサイレンと、人の声が聞こえる。どの組織が来るのが早いか、いずれにしても逃
げ出す自分には関係がない。

 代行者は群れず、ただ敵を討つのみ。協力者は一人でもいれば十分だ。

「さ、お勤めは終了です。お夜食でも食べて、今日は寝ましょうかね」
























3、


「……現実が書き換えられたか。空想具現化……真祖の姫君が来日したという噂は、本当
だったらしいな」

 だとすれば目的はアカシャの蛇。死徒二十七祖が外位、ミハイル=ロア=バルダムヨォ
ンか。あの姫君がロアに執心なのは裏の世界では有名な話だが、こうも近場でとなると迷
惑な話だ。

 事件がどのような結末を迎えることになろうとも、協会の人間が幾らかあの街に足を運
ぶことになるだろう。そう簡単に見破られるような結界を張ったつもりはないが、そろそ
ろヤサの変え時かもしれない。

「このビルも、気に入っているのだがな」

 肺にめいいっぱい紫煙を吸い込み、吐き出す。いずれにしても、もうしばらくは先のこ
とだ。それよりも今は、解決すべき問題がある。

「この夜分にそのような目立つモノを連れてきたのだ。つまらない用件ならば、弟子と言
えども消し炭にするが?」
「……この娘を、助けてください……」

 荒い息を吐きながら、ついこの間免許皆伝を許した弟子が蹲っている。腕の中には制服
を着た少女――着衣が乱れていて、一瞬そういう関係なのかとも思ったが、つまらない冗
談を言えば『殺す』とでも言いかねない空気が、弟子にはあった。

「面倒ごとばかりもってきおってからに。吸血鬼化の進行を止めろだと? お前は私に今
一度封印指定でも受けろというのか? それに私の専門はルーンと人形で、治療の類は得
手ではない。根本的な解決はできんぞ? 解かっているのか?」
「それでも……俺の知る限り、貴女は最も優秀な魔術師です」
「……その少女の身体を、私に向けて支えていろ。暴れるかもしれないが、その時はお前
が何としても止めるように。下手に抵抗されたら、その場で死ぬからな」

 弟子の返事を待たず、魔術回路を起こす。かつては根源への道を目指した自分も、今は
俗世に塗れて久しい。失敗の許されぬ状況など、封印指定狩りのハンターと戦って以来だ
ったが、不思議と何の緊張感も沸かなかった。それよりも、不肖の弟子が始めて自分を頼
ってきた、その事実の方が橙子には嬉しかったのだ……




 大魔術に匹敵するそれは、随分と簡単に成功した――




「私の魔力をほとんどぶちこんで、彼女の身体そのものに『停滞』のルーンを刻んだ。吸
血鬼の魔力に耐えられずそのルーンが消滅するまで、彼女の時間は止まっているかのよう
にゆっくりと流れる」
「ありがとうございました……」
「だが、先にも言った通り、これは問題を先延ばしにしたに過ぎない。遠くない未来、彼
女は吸血鬼になる。それは、覚悟しておくべきだな」
「治すことはできませんか?」
「確立された方法がある、とは聞かないな。ただ、その問題に取り組んでいる流れの錬金
術師を一人知っている。研究の進歩になるだろうから、そいつも喜んで協力してくれるだ
ろう。連絡を取ってやるから、感謝しろ」
「……師匠への依頼料は、後で振り込んでおきます。その錬金術師にも、そう言っておい
てください」

 半死人のような身体のまま、弟子は少女を横たえると、振り返りもせずに窓へと歩き出
す。

「もう少しゆっくりしていったらどうだ?」
「今夜は、一人に。今は……誰でもいいような気分なんです」
「師として言おう。自制はしておくように」
「ご迷惑をおかけします」

 言って、弟子は窓から飛び降り、夜の闇へと消えた。

 紫煙の煙にくらり、とする。魔力を使いすぎたせいなのか、少しばかり調子が悪いよう
だ。