sacred purple 第八話 『それぞれの闘争』 前編

















「どうしました? 遠野君。もしかして、緊張してるんですか?」

「いえ……夜に学校に来たりするのは、初めてなもので、少し、見入ってました」



 空には満月、目の前には人気のない学校。昼間はあれだけ学生の気配で溢れているのに、今は

静まり返っている。夜なのだから、そういう時間なのだから、当たり前と言えばそれまでなのだ

が、普段の学校と比べると大分違って見える光景に、少しだけ違和感を覚えてしまう。



「私は何度か足を運んだことがありますよ? と言っても、いつも素通りしてましたけど」

「でしょうね……貴女がロアに気づくことができていれば、この話はもっと早く片付いていたで

しょう」

「…………喧嘩を売らせようったってそうはいきませんからね。不謹慎かもしれませんけど、こ

の地にロアが降りたことを、私は神に感謝すらしているんです。だって遠野君に会えたんですか

ら……」


「私にとってはどうなのかしら? 友人ができたのは嬉しいけど、塩を送っただけのような気も

するし……ねえ、志貴。どっちだと思う?」

「……いや、俺に聞かれても、困る」



 これから決戦だというのに、三人の雰囲気は日常のそれだった。プライミッツ=マーダーに至

っては、話に加われない分、その日常さも一入で、呑気に欠伸すらしている。一体の吸血鬼を倒

すために集められた戦力として三人と一匹と、数は少ないかもしれないが、彼らはあらゆる意味

で史上最強の戦力。そんな連中に『普通に緊張をする』という感性は、ないのかもしれない…



「時間はだいじょうぶですか?」

「ああ、そろそろですね……あと一分です。最後に作戦の確認をしておきますけど、あいつらの

作戦決行時刻になったら、俺達は学校に突入。先輩は学校全体に結界を張ってください。遮音と

……」

「逃走妨害ですね?」

「頼みますよ。侵入まで妨害したら、アルトとプライミッツ=マーダーの仕事がなくなっちゃい

ますから」

「私は別に、無理してまであの娘と戦いたい訳じゃないんだけど……」

「癇癪起こして、リィゾさん達のところにいかれても困るだろ? ちゃんと足止めしてくれよ、

あの姫君のこと」

「はいはい……あの娘がちゃんと、私のところに来たらね」

「…………お前の主はこんなこと言ってるから、サボらないようにしっかりと監督を頼むぞ、

プライミッツ=マーダー」



 ばふっ、と小さくないて、また欠伸。これはこれで、主以上に信用がならないが……他に頼む

相手もいない。一抹の不安を覚えないでもない志貴だったが、仮にも血と契約の支配者と呼ばれ、

自らも名乗るものである。交わした約束を違えるような存在でないことは、志貴も良く知ってい

た。



「カウントを始めます。10、9、8、――――」

「これが終ったら、遠野君にはカレーでも奢ってもらいましょうか。いいお店を知ってるんです

よ?」

「私は洒落たレストランにでも連れていってもらいたいわね。今度は、藤乃や代行者は抜きの、

二人きりでね」



 考えておくよ、と意味をこめて、左手の親指を立てる。二人が返したのは……苦笑だった。

あまり期待されていないらしい。







「――――3、2、1、スタート!!」







 瞬間、目の前の学校から、街のそこかしこから、夜に属するモノの気配が解き放たれた。



 正確すぎる情報に、琥珀――いや、『魔法使いの琥珀』に対して薄ら寒さを感じながらも、志

貴は耳につけたインカムに指示を飛ばす。



「これより、本体は突入をかけます。俺とアルト、それから先輩はこれから通信不能になります

から、各自、その……頑張ってください」



『両儀織、了解。美味しい役を持ってったんだ。しくじるなよ? 七夜」

『浅上藤乃、了解。無事に帰ってきてくださいね、志貴先輩」

『巫浄霧絵、了解。終ったら、次の休みにでもどこかに行きたいですね、皆で」



 遠野家にいる『魔法使いの琥珀』と、哨戒を担当しているリィゾ、フィナにはインカムを持た

せていないから、反応を返す予定になっているのは、これで全員だ。志貴は満足そうに頷き、イ

ンカムを放り投げ――走り出す。





「先輩、お願いしますよ!」

「了解です。遠野君も、死なないでくださいね!」



 学校の敷地に踏み込んだ段階で、シエルと別れる。この一週間で、ばれない程度の下準備はし

ていた。後は黒鍵を打ち込み、結界を敷く……だけ、と言ってあるが、自分がしくじった場合の

予防線の役割も担っている。



 彼女も、それは解かっているのだろうが、あの日、隠れ家で会ってから今まで、その話はつい

ぞされなかった。負けるはずがないとでも思われているのか……ありがたい信頼だった。



「私はここでやるわ。志貴、無事でいてね?」

「アルトこそ、ちゃんと仲直りしろよ」

「それはあの娘の出方しだいよ。でも……努力はするって言ったでしょ? アルトルージュは、

契約を違えたりしないのよ」

「それを聞いて安心した。よろしくな、プライミッツ=マーダー」



 校庭のど真ん中を過ぎた辺りで、アルトルージュ、プライミッツ=マーダーとも別れた。既

に学校内部に存在する死徒を凌駕する気配が、こちらに向けて高速で移動している。アルトル

ージュを素通りされれば、それこそ目も当てられない事態になりかねないが、その辺りはきっ

と彼女がなんとかしてくれるのだろう。



 真祖の姫君一人に対し、こちらは十位以内が二人……オッズにそれほど差はないはずだ。





「じゃあ、俺は俺の務めを果たそうか……」



 鍵のかけられたドアを、ルーン石の一つで破壊し、静まり返った夜の校舎を、土足で疾走す

る。校則違反をとがめる声もない。事務とか、その辺の教師がいないことも確認済みだ。シエ

ルの結界が張られれば、これからしばらく、この学校で何が起こったとしても、外に漏れるこ

とはない――好き放題に暴れ、殺しあうことができる。



 この街の人間にとっては、一月ほどの、志貴にとっては八年の、そして、かの姫君、当の吸

血鬼にとっては、数百年の時を経た因縁が、今夜、一つの結末を迎える。







 勝利のルーンを虚空に刻み、志貴は吸血鬼の待つ場所――屋上を目指す。







































 ――――同時刻、三咲町郊外、遠野邸。

















 遠野秋葉抹殺の実行犯は、今宵三隊に分かれて行動していた。



 遠野本家のタイムスケジュールは徹底している。この時間、遠野秋葉は自室に、使用人の一人が

見回りをし、一人はやはり自室にいるはずだった。



 自分達の役目はその三人の身柄を同時に押さえ、殺すこと。最終的に殺すのならば、過程はどう

でもいい、という指示も受けている……裏を読むまでもなく下種な内容まで含んでいるが、その指

示に意義を唱えるものはいなかった。



 仮にも遠野本家、命をかける仕事なのだ。それくらいの楽しみはあったとしても、罰はあたるま

い……その時、見回りをしている方の使用人を襲う手はずになっている隊の長を務めるものは、そ

う考えていた。楽な仕事だ、と。



 窓にへばりつき、轟音と共に破壊する。音に気づいて逃げたとしても、もはや手遅れだ。人間が

主力だが、隊の中には混血も混じっている。警報がなり、分家の穏健派がやってくるまでには、い

くらなんでも片がつくだろう。



 隊員で背中合わせになり、気配を確認。耳を済ませば、離れた場所でも銃声が聞こえる。向こう

の使用人を相手にする隊は、もう対象を見つけたらしい。



「行くぞ、メイドの一人が――」

「ご心配なく、私は、ここにおります」



 背中合わせになった隊員達の『ど真ん中』に、件のメイドはいた。



 清潔な、メイド服姿の少女は、スカートの両端をつまんで、一礼する。自分達の命を狙った無礼

な侵入者達ですら、彼女にとっては『客』であるらしい。



「夜分遅くにご苦労様です。ですが、秋葉様は既にお休みになられました。多忙なお方ですが、急

用ということなら、明日には時間が取れることでしょう。皆様方には、またのご来駕をお願いいた
したく――」

「殺せ!!」



 最もシンプルな命令が隊長の口からとび、隊員は各々の武器を抜き、散る。ナイフなどの近接戦

闘の武器を持ち出した隊員がメイド服の少女へと殺到し――





 どさっ、と、彼らのうち、最も少女から遠い位置にいた隊員が、崩れ落ちた。そのすぐ近くには、

隊員達が取り囲んでいたはずのメイド服の少女が、当たり前のように佇んでいる。


 信じられないモノを見るような視線がメイド服の少女に集中する。だが彼女はそれらを意に介す

ることもなく、小さく一礼すると――またも、今度は少女から最も遠い位置にいた隊員が一人、先

ほどと同じように崩れ落ちた。



 それが一体、どのような技術に寄るものなのか、隊員達には理解する術がなかった。一応の抵抗

を見せる者もあるにはあったが、それらは全て実を結ぶことはなく、一人、また一人と不可思議な

技法によって、意識を刈り取られていく。



「姉さんに言わせれば、私は甘いのだそうです。目の前に現れた敵に情けをかけるのは愚かなこと

だと、そういうことらしいのですが……」


 仲間が倒される中、幸運にもメイド服の少女に触れられる位置にまで近づくことのできた隊員は、

しかし、引き絞ったナイフを突き出すこともできず、顎をかち上げられ、崩れ落ちる。特に力を込

めた様子もない、たった今大の男を昏倒させた拳を事も無げに振るい、少女の姿は再び、隊員達の

意識の外へと移動する。



「私は使用人の立場なれば、主の言葉は絶対です。私の主……志貴様は寛容なお方です。存外のお

客様にも慈悲をかけろと……そう仰ると判断しました」


 残りの隊員は三人。間の悪いことに一塊になっていた彼らは、真後ろに出現した少女の攻撃によ

り、一瞬で沈黙した。長を務めていた男は、薄れていく意識を必死に繋ぎとめながら、動かないは


ずの体を強引に動かし、少女に向かって銃を構え引き金を――引いた。





 銃声――確かに銃弾は、発射された。




「故に私は殺すことはありません。例え姉さんや秋葉様がどれだけ死体の山を築こうとも、私の前

に『赤』は存在しません。主を気持ちよくお迎えすることこそが、私の仕事ですから」


 確かに少女の額を貫くはずだった銃弾は、しかし、その時『既に男の背後にいた』少女には、当

たるはずもない。



 驚愕の表情を浮かべる暇もなく、男の意識は闇に沈んでいった。誰もが少女の技を知らぬまま崩

れ落ち、しかし誰も命を失うことのないまま、少女を殺すための戦いは、ここに失敗した。





「拙い見世物でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか? それでは、またのご来駕のないこ

とを、心より願っております」












































「どちらに行かれるんですか〜?」



 自室で待機しているはずの使用人を殺す手はずになっていた男達は、背後からかけられた、その

場違いに明るい声に、一瞬、足を止めた。ターゲットの使用人の声に、間違いはない。たまたま用

をたしにでも行っていたのか、部屋の外にいるのは少々計算違いだったが、仕事は早く済むのなら、

済むだけいい。





 九人の部下に『殺せ』と指示を出して、部下が実行して、それで終わり……の、はずだった。





 数発の銃声。夜の闇……月明かりの中、赤色が舞う。



 確かにその時、人が死んだ。殺そうという意思の込められた攻撃によって、死という結果を与え

られ、吸血鬼や魔術師のように抗う術を持たないその存在は、当たり前のように死んだ。



「見敵必殺……いい言葉です」



 死んだはずの少女が微笑み、場が動き始める。



 何が起きたのか、理解する間もない。仮にその赤を生み出したのが、使用人に一番近い位置にい

た部下――首から上のない、部下だったモノから噴出す、冗談のような量の血液であったとしても、

これから同じ運命を辿ると決められた彼らには、一体何の意味があるのだろう。



 仮面のような微笑を張り付かせたまま、使用人は箒に偽装した凶器を振るい、男の部下をただの

肉の塊へと変えていく。抵抗する……ということを考えることもできない。男達は呆然と立ち尽く

したまま、ただ己が身に刃が振り下ろされるのを待つのみだった。



「私は翡翠ちゃんみたいに甘くはないですからね〜。私の前に、志貴様や秋葉様の前に敵として現

れた以上は、そのことを後悔する間もなく死んでもらうのが決まりですから。ほんとなら、そんな

連中が現れないようにするのが、私のお仕事なんですけど……難しいものです」



 話している間にも、少女の刃は止まらない。一度振るわれる度に、確実に一つ以上。都合、五回
の刃を振ることで、男達はリーダーをたった一人残して、血の海に沈んだ。



 その男に、血のべっとりついた刀を突きつけ、使用人は告げる。



「背後関係を吐く必要はありません。命乞いも必要ありません。ついでに言えば、私には身代金を

受け取る義務はありませんし、停戦交渉に応じる用意もありません。私の前に現れたことに絶望し

ながら、後悔と失意の果てに……惨たらしく死んでください」



 一撃で命を刈り取っていたはずの刀が五度閃く。まずは、両足。痛みに悲鳴をあげて崩れ落ちる

男の、次は右腕を切り落とす。口から漏れるのは、もはや声ではなくただの音だ。生存本能に従っ

て残った左腕に床を這う男に、何の慈悲の欠片もなく、残された左腕を切り落とす。



「痛いですか? 苦しいですか? それが私の敵になった代償です。私の大切なものに手を出した

代償です」


 僅かに離れた男に追いすがり、その胸に刀を突き立てる。男の口から吐き出される血液と、ひゅ

ー、という耳障りな音。それで命を狩ることもできたのに、男はまだ『生きていた』。殺すと生か

すのぎりぎりのラインを見極めたからこそ、できる芸当……男にしてみれば、まさに生き地獄だ。



「死にたいですか? 言えば今すぐ殺してあげますよ? ……もっとも、私の声なんて、聴く余裕

もないでしょうけど……」



 くすり、と小さく笑った使用人は、胸に突き立った刀を引き抜くと、一息に男の首を切り落とし

た。苦しみから開放してやるための慈悲……ではない。単に、男を相手にするために時間を賭ける

ことが、馬鹿らしくなっただけだった。



「…………さて」



 自分の成果を、見回す。大の男の死体が、都合九つと一つ。派手になるように殺しまくったせい

か、辺りには血がこれでもかというくらいにこびりついている。掃除をする人間は大変だろう。い

つもならそれは妹、翡翠の役割だが、こればっかりは使用人――琥珀が身銭を切ってでも、それ専

門の業者を雇って処理させるつもりだった。



 翡翠には嫌な顔をされそうな結果だったが、これで頭を悩ませていた問題が一つ解決できる、と

なれば安いものだった。あちらの吸血鬼の方は、志貴が何とかしてくれるだろうし、後は自分が上

手く事後処理をしてやればいい。そういう分野こそ、『魔法使いの琥珀』の腕の見せ所だ。



 懐から取り出した和紙で、刀身についた血を綺麗に拭うと、刀は一瞬にして箒に戻る。掃除とい

う作業を禁止されている自分に箒という取り合わせは、いかにも不自然だったが、観客は死体とな

った男達だけ。問題はあるまい。





「お掃除完了です」





 軽い調子で呟いた琥珀は、主人の下へと足を向ける。慈悲深くないのは、何も琥珀一人ではない

のだから。



























 遠野の屋敷に侵入した残りの一隊――此度の計画の本命、集まった戦力のうちもっとも洗練され

た部隊は、しかし、他の部隊の結果を聞くまでもなく、結果を押し付けられた。



 時間的には、もっとも目的の場所に到着するのが遅かった彼らであったが、戦闘、というものに

かけられた時間を比較した場合、最短を記録していた。



 秘密も何もあったものではない。彼らはその部屋に侵入した瞬間、一番後ろにいた男を除いて、

一瞬にしてこの世から消えうせたのだ。残された最後の男も、目の前で起きたそれを受け入れられ

ずにいるうち、両手足の自由を略奪され、無様に地面に転がされる。



 遠野秋葉の持つ異能、『檻髪』。今宵、襲撃があると事前に知っていた彼女は、寝室の周囲にそ

の異能による結界を張っていたのだが……当に消し炭になった襲撃者と、現在進行形で地面に転が

されている男には、知る由もない。



「もっと手応えのある連中が来ると思っていたのですけれどね……」



 窓枠に気だるげに寄りかかりながら男を見下ろすのは、遠野家当主、遠野秋葉――男の暗殺目標

の少女だった。流れるような黒髪は、最強の混血の証、赤色に染まり、見下ろす瞳には一切の慈悲

がない。そこらに転がっている石を見るのと同様に、男を見下ろしている……どんな運命が待って

いるのか、想像するだに恐ろしい状況だった。



「しかし、手応えのある連中が来られても困りますか。むしろ、そういった連中が参加しないよう

に手をつくした、部下の手腕を褒め称えるべきなのでしょうね……なんだか、釈然としませんけれ

ど」



 ゆっくりと、男に歩み寄る秋葉。男の体の自由はまだ戻らない。力を込めようとしても、自分の

ものであるはずの体は一切の反応を示さず、幸か不幸か、恐怖に慄くこともできない。





「さて、遠野家当主である遠野秋葉が、貴方に命令します。貴方には明日開かれる一族会議で、私

に有利になるような発言をしてもらいます。この際、私を裏切るような素振りを見せたら、殺しま

す。それまでに逃げようとしても殺します。無事、私の望むような結果が得られた場合に限り、と

りあえずの命の保障はしましょう。それから生き残れるかは……貴方の力量と、これまでの行いし

だいですね。琥珀?」

「はいは〜い。お呼びですか? 秋葉様」



 箒を片手に持った使用人――実質的な遠野の情報網の支配者が、そこにいた。



「関係各位に連絡は済ませているかしら?」

「久我峰様、軋摩様を始め主だった分家の方々には声をかけています。もちろん、馬鹿げたことを

企画した皆々様のつるし上げの準備も怠ってはおりませんよ〜」

「結構。あと、有間の家の状況はどうなっていますか?」

「先ほど啓子様から連絡がありまして、『無事に切り抜けた』とのことです」

「有間の家には私の名義で謝礼を出しておきなさい。なんだったら、私が直接足を運んでも構わな

いけれど……」



 数年に渡って志貴の面倒を見てくれていた家。その間に兄がどんなことをしていたのか……察す

ることができないほど秋葉は馬鹿ではなかったが、遠野にいては得ることのできなかったろう時間

を過ごすことができたのも、あの家の、あの家族のおかげだ。感謝してもし足りないほどの感謝を

秋葉はしているが、有間との関係上、そう簡単に会うこともできない。



 有間とは、血の濃さを強さの基準とする遠野一族において、最弱の部類に属する。加えて久我峰

のような経済力もないとなれば、一族の中での位置など末端も末端、一族会議に呼ばれていなくと

も誰も気にしない……それくらいの位置に在る家系だった。



 しかし、そんな家系に何故、遠野の鼻摘み者とは言え、形の上では長男である志貴を預けること

になったというのか……権力をもたぬ家に預け、当主候補から外れた志貴の増徴を防ぎ、ヘタな権

力争いに利用されないようにするというのもあるが、もし、志貴が全てに気づき、その上で遠野に

反旗を翻したら――その時に、志貴を始末することのできる人間が必要になる。



 そのための有間。混血としての異能は持たないながら、その技を研鑚し、それだけで混血その他

と渡り合うことの出来る者。混血を殺す、限りなく薄い血統の混血。一族内においては最もマーク

されない、最弱を演じる一族内部専門の殺し屋。



 経済力を基板にする現在ではその出番も少なく、有間がその役目を実行する時も皆無に近くなっ

てはいるが、その力は衰えるということを知らない。現在の有間当主も既に四十を越えた身であり

ながら、その力量は志貴にも決して引けをとることはないだろう。



 依頼をしたのは先代の宗主、遠野槙久だったが、有間の家はこの胸糞の悪くなる依頼を、ただ一

つの条件をつけることで承諾した。



『遠野志貴を家族として扱うこと』



 いざという時には殺さなければならない人間を、彼らは本当に、家族として扱い、愛してくれた。

本当に、いくら感謝をしてもし足りない。

 

「それはまたの機会にいたしましょう。気を使わせるのもいけませんし、何よりそれでは、意味が

ありませんから」

「…………それもそうね。では琥珀、今宵の処理は任せるわ。私はもう休むから、そこの男を片付

けてちょうだい」

「かしこまりました〜。それでは、お休みなさいませ」





 ぴくりとも動かない男のゴミでも引き摺るようにして、琥珀は部屋を出て行く。





 遠野秋葉にとって、命を狙われるというのは何も初めての経験ではない。直接に狙われたことも、

狙撃をされそうになったこともあったが、そのいずれもが失敗に終わり、遠野秋葉は今もこうして、

ここにいる。



 遠野本家にまで侵入を許した……正確に言えば、わざと侵入させたのは今回が初めてだったが、

それでも、秋葉は微塵も命の心配をすることはなかった。性格的には油断がならないが、情報戦に

おいてはこれ以上はないくらいに信頼を寄せている琥珀が、『だいじょうぶですよ〜』と太鼓判を

押した……それだけで、命を落とすような危険は皆無に等しい。



 兄が遠野から出て行って以来、真っ当な人生を歩めないことは覚悟していたが、信頼の置ける、

優秀な仲間を得ることができたのは、全くの幸運だった。妹の翡翠の方は、どうにも志貴に懐き始

めているようだが、それもまあ……寛容な精神で許してやるべきだろう。例えその、尻尾を振る子

犬のような仕草が、言い様のないくらい癪に障っても……





 たかが考え事で、熱くなり過ぎたようだ。大きく深呼吸をし、体の中に溜まった熱を追い出す。

とりあえずの決着は見せたが、正念場はむしろ明日からだ。吸血鬼騒ぎ、此度の暗殺計画……遠野

の当主として処理しなければならない案件は、山のようにある。しかし、それを少なからず楽しみ

と思えるようになっている自分は……やはり、遠野に毒されているのか。





「それも、悪くはありませんけどね。まったく、退屈しない世の中だこと……」





 自らの考えに苦笑し、クローゼットを開ける。遠野秋葉の朝は、明日も早い。