sacred purple 第八話 『それぞれの闘争』 後編




















 ――――同時刻、三咲町内、有間邸。







 騎士にとって、主の命とは絶対だ。どんなに理不尽な命令であったとしても、忠誠をつくすと誓

った主のためならば、命を賭してそれを遂行する。それが騎士の神聖な職務にして、誇りである。



 ……と、優等生の同僚に『騎士とは何か』と問えば、このような返答が返って来ることだろう。

頭の固い……とは思うが、彼自身も騎士とはそういうものだと思っているし、そうあるように努力

はしている。



 ただ、騎士の本分が実体を持って歩いているような同僚と違って、彼はそうあろうと努力してい

るだけの身だった。だから、主から与えられた命を、実はあまり遂行しようとしていなかったとし

ても、しょうがないと言えば、しょうがないことなのかもしれない……





「まぁ、そのおかげで面白いものが見れてるわけだけどねぇ……」





 近所の酒屋から失敬してきたワインを片手に、眼下に繰り広げられる劇を見物する。



 出演者は、小さな少女――都古とかいう名前だと、以前に志貴から聞いた――と、野蛮な匂いの

する男達が十人弱。有間家の庭先を舞台とし、自らの命を賭した劇を演じている彼らだが、その内

容は少女が無残にも男達に殺される悲劇……などではもちろんなく、年端もいかぬ少女が自分の倍

以上の体重はあろうかという男を、冗談のように吹き飛ばすという、なりそこないの喜劇だった。



 野蛮な男達にしてみれば、小さな少女に吹き飛ばされるのは、まさに悪夢といってもいいだろう

が、吹き飛ばす当の少女の瞳は、何やら使命に燃えている様子だ。ときおり聞こえる『お兄ちゃん』

がどうしたという単語から察するに、これが志貴に関連することである、ということは理解してい

るらしい。



「混血に大した『力』を持ったのはいないと思ってたけど、中々どうして……これが東洋の神秘って

やつなのかな?」



 愉快そうに気だるげに笑い、彼――フィナはワインの残りをあける。最後の男が吹き飛び、目覚め

の悪い音を立てて壁にぶつかり、沈黙した。





 これにて今夜の舞台は、幕。そろそろ主の命に従おうかと、空中で踵を返し――





 ――視線を、感じた。眼下の少女が、確かに見えないはずの自分を見ている。何がいる、とまでは

さすがに解かっていないだろう。しかし、敵とも味方ともつかぬものが、そこに存在している……そ

れだけを、あの魔術を扱うこともできない少女は感じとった。



「ほんと、東洋の神秘だ……」



 一瞬、そんな少女を手に入れたい、と思ったフィナだったが、それをすればどんなことになるのか

解からないほど、愚鈍でもない。目先の餌にとらわれて、一番の好物である遠野志貴に嫌われては、

何の意味もないから。



 憎悪に塗れた遠野志貴に殺されるという結末なら、それはそれで悪くはないが……あったとしても

それはまだ、ずっと先の未来の話。今はまだ、吸血鬼と魔術師と退魔師の馬鹿みたいな共存を、彼の

周りの存在全てが望んでいる。均衡が崩れるのは、今、この時ではない。



「ごきげんよう、お嬢さん」



 くすり、と気だるさの残る笑みを浮かべ、フィナは有間家上空から姿を消す。都古はじっと、その

空間を見つめていたが、脅威が去ったのだ、と確信すると、さっさと家の中にとって返した。





 ……明日提出の宿題が、まだ終っていないのだ。

























――同時刻、三咲町内、某所、1








「秋隆、お茶」



 適当なでっぱりに腰掛け、ぞんざいな声をあげると、最初から言われることが解かっていたかの

ようなタイミングで、適度な温度のお茶が出される。ポットを持ってきたような様子はなかったの

だが……彼ならば、持っていないものを出すくらいのことはやってのけるだろう。物心ついてより

の付き合いになるが、未だにこの無口な男のことは良くわからない。



「…………ふぅ。随分とあっけなかったな」

「左様でございますね。『死者の倉庫』とのことでしたから、私ももう少々の戦力を予想していた

のですが、どうやら当たりは巫浄様達のようです」



 見渡せば、照明のないだたっ広い倉庫に『死者』のなれの果てが転がされている。その数は、十

や二十ではきかない。三咲の街の中でこれだけ行方不明になれば大事なのだろうが……その辺りの

足りない数は、吸血鬼に組した混血の連中が都合してきたのだろう。実に胸糞の悪くなる話ではあ

るが、本音を言ってしまえば遠野の家がどうなったとしても退魔である織には関係がないし、既に

起きてしまった問題を解決するのも、『彼』の役割ではないため、気楽と言えば気楽なのだ。



「しかし、期待外れもいいところだ。せっかく刀まで持ち出してきたのに、無駄になっちまった…

…」

「無駄、ということはありませんでしょう。本気を出せば、それだけ仕事も早く、安全に片付ける

ことができます。私共使用人といたしましては、それはとても喜ばしいことでございまして――」

「そりゃあ、お前は喜ばしいだろうさ。でも、少しは憂さを晴らせると思ってた俺の立場ってのは、

一体どうなるんだろうな?」

「さあ……私に言われましても」

「俺が思うに、だ。こういう時には使用人が主の不満を解消する役目を担うと思うんだが……」



 さりげなく立ち上がり、立てかけてあった刀を腰に差すと、秋隆に向き直る。執事然とした、し

かし幽鬼のような容貌をした彼は嘆息し、



「従僕には、主に振るう刃などございません」

「その主が振るえと言ってる。ほらほら、さっさとしろよ」

「そこまでおっしゃるなら、とお付き合いしたいのは山々なのでございますが……」



 秋隆は懐から手帳を取り出すと、目を細め、



「明日は黒桐様が両儀の家を訪ねてくる可能性があるため、お嬢様の幸せを第一に考えます私とし

ましては、ここでいらぬ疲労を抱え込むのは得策ではないかと判断しますが……」

「……待て、秋隆、お前なんで――幹也君の予定を知っているのですか?」



 途中から、意識が『織』から『式』へと変わる。戦闘できればそれでいい織と違い、それ以外の

ものにもきちんと興味のある式は、刀など放ってしまいそうな勢いで、秋隆へと詰め寄る。心なし

か、顔も赤い。



「人様の予定など、調べようと思えば調べのつくものでございましょう? ましてお嬢様はまだ学

生です。連日は退魔の仕事で欠席が重なっておりましたから、溜まりに溜まった課題などのプリン

トを『誰か』が持ってくることなど、不自然なことではないではありませんか」

「でも……それが幹也君であるとは、限らないでしょう?」

「この秋隆、執事としての仕事に抜かりはございません。失礼ながら昔の人脈を少々使いまして、

『そのように事が運ぶよう』手配しておきました」



 つまり、明日には間違いなく彼は両儀の家に来るのだと、目の前の執事はそう言いたい訳だ。



 飴をやるから言うことを聞け……そう言われて言うことを聞いてはそれこそ子供だが、目の前に

ぶらさげられた飴は、式にとっては極上の飴だ。心の中で、織がうるさい。もう一人の自分のこと

だ。普段に不自由をかけている分、できるだけのことはしてやりたいと思うが……それとこれとは

話が別だ。



「今すぐ戻ります。この場の処理の手配は済んでいますね?」

「万事、抜かりなく。この時間でしたら、半刻もあればお屋敷に到着しましょう。湯殿の用意がで

きていますので、お休みください」

「結構なこと……貴方、最高の執事ね」

「お褒めにあずかり、恐悦至極にございます」





 和装の少女と執事、入れ替わるようにして、両儀の家のものが施設の中へと足を踏み入れる。ご

苦労なことだ、と思いながら、当たり前のようにドアを開ける秋隆に促され、車の中に――





「あれは、藤乃かしら?」



 ここから見て街の反対側。東の方に、『光』が落ちた。耳を澄ませば、何か、爆発するような音

まで聞こえる。一度だけ間近で見たことがあるが、あれほど目立って近所迷惑な力もない。



「そのようでございますな。存外、苦戦しておるようで」

「手は必要かしら?」

「藤乃様ならこう仰るでしょうな。『大きなお世話です』、と」



 愛しの彼にアピールするための機会を、みすみす棒に振るような彼女達ではないし、彼我の実力

差の見えないほどの素人でもない。手におえなければ連絡はあるだろうし、あの力を使ってこちら

に何も連絡がないということは、本当に必要がないのだろう。



 そう思うことにした式は車に乗り込むと、さっさと全身の力を抜いて、目を閉じた。



「少し眠ります。屋敷についたら、起こしてくさだい」

「かしこまりましてございます」





















 ――同時刻、三咲町内、某所2











「凶がれっ!!」



 その呪詛の声と共に、藤乃の背後にあった死者が上下に分たれる。肉の捻じ切れる不快な音を意

にも介さず、次の獲物を求めて戦場を走る。



 千里眼を持つ彼女に、死角というものは存在しない。無論、知覚できる範囲のことが全て意識で

きている訳ではないから、油断していれば奇襲をされることは十二分にありあえることだが、今晩

の彼女の神経は、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。



 湯水のように沸きでてくる死者の群れを目に付くはしから凶げ、凶げ、凶げる。その度に血煙が

舞い、肉や骨の割ける音が響き、死した者がもう一度死ぬ、断末魔の叫び声があがるが、そんなも

ので今の彼女は止まりはしない。獅子奮迅とは、まさに今の彼女のためにあるような言葉だった。



「精が出ますねぇ……藤乃さんも」



 その藤乃から近すぎず遠すぎず、絶妙の距離を維持したまま、同様の速度で動き回っている女性

――巫浄霧絵。実際のところ、倒すべき敵は藤乃が倒そうと息巻いてしまっているから、彼女には

ほとんど仕事らしい仕事がない。することと言えば、たまに藤乃は撃ち漏らし、彼女を目標に牙を

向く死者を、戯れに『解体』することくらいだった。





「I'm siging in the darkness.」





 キーワードを呟き、自分にとっての領域――霧絵を中心とした半径五メートル、そこに紛れ込ん

だ異物を隅々まで走査し、その構造を理解する。



 その能は、『擬似絶対知覚』。もし、霧絵に物を創る能力があったとすれば、そうして得た設計

図を元に、寸分違わぬ『それ』を創造することが可能となっただろうが、生憎と彼女にそのような

能力はなく、彼女はただ、それを元に破壊するだけだ。



 霧絵の脳裏に、解体までの手順が閃く。どこに、どのように、どのタイミングで魔力を流せばい

いのか……対象を完膚なきまでに破壊し、内側から絶滅させうる術式。キーワードを呟いてから知

覚し、対象を理解し、実際に魔力を流し――



 指を打ち鳴らす。その思い描いた通りの結果を得るまで、一秒とかからない。反射の域の技。退

魔の家系にあって、近隣の四家の中では唯一、魔術の恩恵にあずかる巫浄、その宗主であるからこ

その、芸当である。





 無論、誰が相手でもここまでできる訳ではない。魔術的なガードが皆無の死者だからこそ、ここ

までのスピードが出せる。生物を『解体』することは、言うほど簡単なことではないのだ。



 だが、知覚範囲内に対象があれば、霧絵はその構造を瞬時に理解する――それが、よほど高度な

科学、もしくは魔術の産物でない限りは可能だし、彼女の魔力で何とかなる範囲であれば、解体は

可能だ。





 全身の魔術回路をずたずたにされ、あらゆる神経を破壊された死者は、やはり血煙を上げながら、

崩れ落ちる。不快な音は、聞きなれることができない。こういうことんなったら『入れ込む』こと

のできる藤乃の神経が、本気で羨ましい霧絵だった。



「藤乃さん、これではラチがあきません。あまり時間をかけてもいいことはなさそうですから、こ

こは一気に行きませんか?」

「――――っ、はい? ああ……一気に、ですね。分かりました。では、少しの間、死者の群れの

相手を任せてもいいですか?」

「少し……どれくらいですか?」

「十五秒。それ以上はかかりません」

「任されましょう。大船に乗ったつもりでどうぞ」



 戦闘を開始して始めて、二人のポジションが入れ替わった。襲いくる死者たちを前に霧絵が、藤

乃を守るようにして前に立つ。



『それは、宵闇の星々を彩る者。それは、彼方より来たりて、等しく地に降り注ぐ者』



 藤乃は唄うように、言葉を紡ぐ。自分を基準に発生する緑と赤の線を束ね、散らし、あらゆる場

所に、道を作る。殺到する死者の群れは霧絵の魔術が、即座に解体する。キーワードを呟き、指を

打ち鳴らすまでの一動作で、三から五体の死者を一度に解体し、そらにその死体でもって死者達の

侵攻を阻み、また、死者を解体する。



『私は紡ぎ、描く。全てを切り裂く物、全てを貫く物、全てを破壊する物」



 藤乃達の周囲――その施設の全体に、『それ』の通り道が完成する。後は、数秒の時間を置き、

発射を告げるだけ。それに気づいた霧絵は一際大きく腕を振るって両手で指を打ち鳴らし、死者の

群れの薄い箇所を切り開き、藤乃を促して強引に脱出する。それを合図とし、



『その名は『光』。私の命によって集い、私の意を成せ。『光あれ』っ!!」




 その瞬間、天井の隙間から、窓から、入り口から、ありとあらゆる光の通り道から、力を持った

光の群れが殺到した。藤乃の力によって荒れ狂った光は死者達を切り裂き、貫き、完膚なきまでに

破壊し――



 ――やがて、その光の群れが過ぎ去った頃には、藤乃達以外には動くものなどなくなった。つい

でに言えば、施設まで半壊しているが、元よりただの倉庫のようだし、権利は遠野の、しかも反体

制派にある。いくら壊れようが、二人の知ったことではない。





「一応、確認しましょう。私達に任せられた分は、全部片付きましたか?」

「…………千里眼で検索しました。高度な魔術での隠蔽が成されていない限り、この場所にはもう

死者はいません。私達のお仕事は、これで終了です」

「そうですか、それは何よりです。ならこれから、シャワーでも浴びて体を綺麗にして、志貴君の

帰りでも待ちましょうか……と貴女をからかいたいところではありますけど、どうですか? 予定

を変更して街に行きませんか?」

「街に散った分の死者を狩るんですか? それは確か黒騎士様と白騎士様の役割だったはずでは?

領分を侵すのは失礼に当たると思いますけど」

「私達のことは、あの人達も理解してくれているでしょう? なら、私達は私達のしたいことを成

すべきだと思うんです」



 要するに、できる時にできるだけ仕事をして、ポイントを稼いでおきたいということなのだが、

ついこの間、調子に乗ってその黒騎士の不況をかったことを、霧絵はおろか藤乃まで失念していた。

何しろ、考えるのはお互いに自分の全てを賭けてもいいと思えるほどにウェイトの高い、志貴のこ

とだ。しかも、遠野の屋敷に戻ってからこっち、志貴の周りにはどうにも女の気配が増えている。

手をつくして、やり過ぎるということはないと思うのだが……



「アルトルージュさんは、真祖の姫君と戦って、ポイントを稼いでいます。私達の相手は雑魚なん

ですから、もっともっと仕事をしないと、釣り合いが取れません」

「…………成果は私と霧絵さんで半分こ、ということならお供します」

「契約成立ですね。じゃあ、いずれにしても近くに部屋を用意していますから、そこで着替えまし

ょう。血糊のついた服じゃ、いくら夜の街と言っても目立ちますからね」



































 ――同時刻、『某所』、伽藍の堂





「ふむ……始まったようだな。二十七祖級が五体に真祖の姫君が集ったにしては、随分と小規模な


ような気もするが、これは助かった、とでも言うべきなのかな。私にしてみれば、大事になればな

るほど、面倒になる訳なのだから――」

「人形師! 無駄口を叩く暇があるのなら、手伝っていただきたい!!」





 窓際に張り付き、遠視でもって三咲町の状況を楽しんでいた橙子は、臨時の来客の言葉でもって

振り向き、笑いたいのか呆れたいたのか、とても微妙な表情で嘆息した。



「大変そうだな、アトラシア。そのような仕事を押し付けてしまって、すまなく思っているが……

私にとっても可愛い弟子の頼みなのだ。気を悪くしないでもらえると、嬉しい」

「私にとっては研究の一環ですから、気を悪くなどはありません――いえ、そういうことではなく、

私一人では手に負えない可能性があります。手伝っていただけるのなら、早く!!」

「ふむ……致し方あるまいな」




 煙草を灰皿に押し付け火を消すと、アトラシアと呼んだ少女に近づき、その『仕事』に目を向け

る。数日前に、橙子の弟子、遠野志貴が持ち込んできた、今三咲で話題の吸血鬼に噛まれた少女だ。

詳しい事情は聞かなかったが、あの志貴が血相を変えて運んできたこと、彼の通う学校の制服を着

ていることから、少なくとも知り合い以上の関係であろうことは推察できるが、それだけだ。弟子

の人間関係が特殊なのは今に始まったことではないし、今さら死徒の親戚がそれに加わったところ

で、驚きはしない。どうせ、いつものことだ。



 エーテライトでその少女の神経系を支配しようと躍起になっているアトラシアを、ルーンでもっ

て補助をする。使うのは『遅滞』のルーン。『停滞』までさせてしまってはアトラシアが施術でき

ないし、そのルーンは三咲の吸血鬼が活性化された時に破壊され、その直後の今では耐性ができて

しまって、効力がない。



 エーテライトの支配を逃れようと反応する少女の体を、ルーンとエーテライトの組み合わせでも

って再び、こちらの支配下におく。アトラシアの到着が三咲の吸血鬼の活性化よりも先であったか

らこの手段も有効だったが、後少しでも遅れていたら、この伽藍の堂は今ごろ戦場になっていたこ

とだろう。その際に出た被害を想像すると、つくづく蒼崎橙子と言う人間は、悪運が強いのだな、

と思う。



 とは言え、流石に吸血鬼の支配力は強大だ。時計塔と巨人の穴倉……その二派でもトップクラス

の魔術師二人がかりで、フライングのオマケがついても、完全に支配をすることができない。神経

を支配するエーテライトは接続した端から焼ききられ、生半可なルーンは効力を発揮することもな

い。しかも命がけとあっては、とてもとても、割に合わない仕事だ。



 やれやれ……と気づかれないように小さくため息をつきながらアトラシアを見ると、必死ながら

も非常に満たされた顔をしていた。吸血鬼化の研究が、彼女の命題と聞くが……彼女にすればこの

目の前の少女は、その研究のための絶好の素体だろう。そりゃあ、少女を救いたいという使命感も

あるだろうが、アトラス院を出奔してその禁を破り、アトラス院はおろか教会にまで追われてまで

行っている研究が進むとなれば、文句を言いこそすれ、依頼を断ったりはしないだろう。吸血鬼化

の途中の素体など、望んで手に入れられるようなものでもないのだから。





「人形師、スピードが落ちていますよ!」

「人使いの荒いことだな、アトラシア。私はもう少し、のんびりとやるのが好きなんだがね」

「今はのんびりなんて、のんびりなことを言っている暇はありません。手を抜くと――あぁ、左手

が動きました。放っておくと戦闘になりますよ。それでもいいんですか?」

「私の体には予備があるからなぁ……命の危機というものが、他人と比べるとどうにも希薄なんだ

が……それはアトラシア、お前だって一緒なのだろう?」

「それはそうですが……それとこれとは話が違います。危機に対して強かったとしても、態々自分

から危険に飛び込むというのは、ただの馬鹿でしかありません。貴女はたたの馬鹿ではないと、判

断しますが?」

「ふむ……確かに私は馬鹿ではないな」

「理解してもらえて、ありがたい――」

「その路線で物を考えるのなら、私は馬鹿ではなく大馬鹿だ。頭のネジが外れた、という意味では

力ある魔術師というのは、皆そうだ。お前もそうなのではないか? アトラシア」

「今は言葉遊びをしている場合では――くっ」



 暴れ出した少女の左腕をブラックバレルレプリカで打ち抜き、沈黙したところに再びエーテライ

トを接続。銃弾で空いた穴にもエーテライトを押し込み、強引に左手全ての支配権をもぎ取る。



「手を抜かないでくださいっ!!」

「分かったよ、分かった。今晩は真面目に仕事をするから、耳元でがなるな。後、煙草は吸っても

構わないな?」

「仕事さえしてくれれば、私は他に何も文句は言いません」

「助かるよ。お前とはベストパートナーになれそうだ」

「私は早くも、前途が不安で仕方ありません……」

「そう言うな。これでも私は封印指定の魔術師だぞ? そこらの野良よりは、よほどいい仕事をす

る。まあ、期待はしてくれ」



 言って煙草に火をつけ、紫煙を胸一杯に吸い込むと、ようやっと意識が覚醒する。目の前の少女

は難物ではあるが、強敵ではない。先の見えない戦いではあるが、あちらの吸血鬼が何とかなるま

での辛抱だ。割に合わない仕事だが、悪い仕事ではない。



「さあ、始めようかアトラシア。大勢に属さない私達のような魔術師もいるのだと、馬鹿どもに知

らしめてやろうじゃないか」