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「おーっす、おはよー」

 人のいない部室に、純の声が響いた。ずかずかと部室に入り込んできた純は、しかしある
と思っていた返答がないことに気づくと、肩に手を当て首を傾げる。

 不必要に広い部室をゆっくりと見回した。部員五人の龍門渕高等部の麻雀部は、龍門渕全
ての部活の中でも少数の部類に属する。それでも少数部特有の寂れた感じを感じたことはな
いのは、部長にこれでもかと言うほどエネルギーが有り余っているからだろう。正直小五月
蝿いと思うことも多々あるが、彼女のあの明るさは部員全員の好む所ではあった。

 その部長の姿が、今日は見えない。普段ならば誰よりも率先して部室に顔を出すのに。そ
の理由を導き出そうと純はさらに首を傾げるが、答えに辿り付くことができなかったのか、
端整な顔を不機嫌そうに歪め、無意味に床を踏みつける。

「床に当たるのは良くない……」

 そのままにしておくと所かまわずスタンピングでもしそうな勢いだったので、面倒くさく
はあったけれども、声をかけた。そこで初めて部室にもう一人いることに気づいた純は、不
機嫌だった顔に笑みを浮かべ、駆け寄ってくる。

 部室中央の、やはり無駄に大きな高級品のソファ。一般家庭では手も出ないようなその高
級品に、純は飛び込むようにして腰を下ろした。純のダイブで、ふかふかのソファが波打つ
ように揺れる。迷惑そうに純を見ると、悪びれなく純は笑った。

「透華の奴はどうした?」
「委員会活動。聞いてなかった?」
「あー……そういや、そんなことやってたな」

 才色兼備を絵に描いたような透華は、目立つことが何よりも好きだった。どれだけ時間が
ないような状況でも、『よっ、透華様!』みたいな煽てられかたを同級生にされれば、大抵
の頼みは断らないのである。

 悪く言い方をすればただの便利屋だが、金持ちお嬢様は嫌われるが世の常であるのに、龍
門渕高校での透華は、生徒皆の人気者である。頼みごとをする人間も、透華ならばと頼むの
だ。それが解っているからこそ透華も頼みを断らないのかとも思うが、やはり一番の要因は
目立てるからなのだろう。

 一事が万事。デジタルに徹しきれないところが、実生活にも出ているのだ。一ならばそれ
こそが透華の魅力だと言うのだろう。透華マニアの友人の顔を想像し、智紀は苦笑を浮かべ
る。

「透華がいないんじゃ、今日は二人だけだな」

 透華が委員会の仕事をしているのなら、一はその手伝いをしているはずだし、衣が神出鬼
没なのはいつものことだ。来た時にいないのならば、今日はもう現れないと考えて差し支え
ないだろう。それ以前に、学校にいるかどうかも怪しい。

 ともあれ、五人中二人しかいないのだから、今日は卓が立ちそうにもない。データ重視の
自分は卓がなくても研鑽は出来るが、感性を重視する純のようなタイプは練習にしても相手
を必要とする。部室に来た以上麻雀をしにきたのだろうが、いくら何でも二人では麻雀は出
来ない。

 気を使って何処かに行くべきだろうか。黙々と作業することに純は耐えられないだろう。
外に出ても何か二人で出来ることがある訳ではないが、沈黙したまま部室にいるよりは遥か
にマシのはずだ。

「智紀、そのノート退けてくれ」

 しかし、今まさにそのノートを畳もうとしたところに、純がそんなことを言ってきた。特
に反抗する理由もない。膝の上からノートを退けると、待ってましたとばかりに純はそこに
頭を乗せた。男物の香水の香りが、智紀の鼻を擽る。

「どうしたの、突然」
「お前の膝枕が恋しくなった」

 見も蓋もない物言いである。それも純らしいと言えば純らしいが、そう思えるのは自分が
普段の純を知っているからだろう。女性比率十割のファンクラブの熱狂的なファンが見たら、
あまりの落差に気絶でもしかねない光景だった。

 男らしく見えて、甘えたがり。他の仲間の前ですら男らしく見えるという態度を崩そうと
しないから、純本人も普段は忘れている自身の性質である。

 だから、普段が男前なだけにいきなりこういう態度を取られると、とても心臓に悪い。

 平然としている――自分ではしているつもりだ――ように見えて、心臓はバクバク音を立
てている。奇襲不意打ちは鶴賀の選手の必殺技のはずなのに、何時の間に覚えたのか。

「あぁ、お前の音が聞こえるな……」
「錯覚。膝で音が聞こえるはずがない」
「聞こえるさ。オレと智紀の仲だからな」

 膝の上で、純は気持ち良さそうに目を閉じている。普段とはかけ離れた緩んだ表情。思わ
ず頭をなでたくなるような顔をあの井上純がしているのだ。どんな重度のファンでも、純の
この顔は知らない。透華も一も、衣でも知らないだろう

 知っているのは自分だけ。何て心地よい響きだろうか。適度に切りそろえられた髪に手を
入れる。弱い癖のある髪が指に絡むのが、気持ち良い。

「やっぱり智紀の膝が最高だな」

 純の髪に差し入れていた手が、ぴたりと止まった。

「私は一位?」
「当然。もうダントツだな」
「二位は?」
「この間膝枕してもらったファンの――」

 最後まで聞かずに膝を引き抜いた。ソファの上に、純の頭がぽてっと落ちる。何すんだ、
と純が抗議の視線を送ってくるが、指定席だとばかりに膝の上にノートを置く。視線も何も
無視してノートを開き、純に背を向けて画面に見入る。

 慌てた様子で純が背中に飛びついてくる。純の方が頭一つ半は身長が高いから、覆い被さ
るようになってしまう。冷房の効いた屋内とは言え、ここまで密着されると流石に暑苦しい。
いつもならば文句の一つも言うところだが、今は絶対に口を聞いてなどやらないと心に決め
ていた。

「なぁなぁ、機嫌直せよ、智紀」
「…………」
「お前が一番だって言っただろ? もうお前以外に膝枕とかしてもらわないからさ、な?」
「……………………」

 腕の中でそっぽを向くが、強引に体の向きを変えられて、顔が向き合う。男役のように整
った純の顔が目の前にある。いつもは自信に満ちた顔に、今は僅かな焦りの色。顔を背ける
と回り込んでくる。あの純が、随分と必死だ。

「……反省した?」
「した。完全にした。お前以外には絶対に膝枕してもらわない」
「絶対に?」
「約束する。絶対に、絶対だ」

 必死な純の顔。実を言えばこの台詞を聞くのは初めてではないが、必死に食い下がる純を
見ていると、許してもいいかな、と思えてしまうのだ。自分も大概に甘い。甘やかすと調子
に乗るのは解っているのに、そういう純を見たいと思ってしまう。

 惚れた弱み、という奴なのだろう。純はやはり、自信に満ち溢れた顔で踏ん反り返ってい
るのが似合う。

 あさっての方向を見る。純が泣きそうな顔をしたのが解ったが、ぽんぽん、と膝を叩くと
飛び込むようにして膝に頭を乗せてきた。

 頭を撫でて髪を好きながら思う。

 純を可愛いと思えるのは、私だけなのだ。