「加治木先輩、予算の件なんですけど……」

 いつもの部活動、いつもの部室。殺風景な部室の隅で麻雀の技術書とにらめっこしていた
ゆみは、後輩の声に顔を上げた。

 目の覚めるような金髪に、しかしそれには不釣合いなとっぽそうな童顔。それでいてスタ
イルは良いというのだから、男子にはさぞかし人気も出そうな少女ではあったが、幸か不幸
せか、鶴賀学園は女子高だった。

 閑話休題。

 その色々な意味で男受けしそうな後輩は、顔を上げたゆみにおっかなびっくりといった様
子で、資料を手渡してきた。それに、ざっと目を通す。後輩――佳織の言ったそれは通り予
算関係の書類だった。ゆみたちの所属する麻雀部も、少人数ではあるが一応同好会ではなく
部であるため、生徒会から予算を受け取ることが出来る。

 これはその予算を受け取るための申請をする書類の、部に保存していた分のコピーだった
が、役職持ちでない佳織がこれを持っている理由がない。疑問を視線に載せて問うと、佳織
は数度視線を左右に彷徨わせてから、答える。

「え、えーっと、実は津山さんと話し合って、私が次の副部長件会計ってことになりました。
だからこういう書類の書き方を今のうちに覚えておこうかなって……」
「なるほどそういうことか。いい心がけだ」

 ゆみの顔にも笑みが浮かぶ。佳織は智美に誘われて入部した、麻雀に関しては素人の部員だ
ったが、役職に付く意思があるということは、自分たちが引退した後も部に残ってくれるとい
うことなのだろう。佳織と銭勘定がどうしても線で繋がらなかったが、やって出来ないという
ことはないだろう。ゆみとしてもその意思だけは買いたい。

 睦月と話あってそういう結論に達したということは睦月が部長になるということで話がつい
ているのだろうが、適当な人選のは思えた。少なくとも、隣で麻雀漫画を読みながらワハハと
笑っている智美よりは、部長っぽく見える。

 佳織は部長という柄ではないし、モモは一年生である。これから部員が増える可能性もない
ではないが、そういう部員を創設メンバーを差し置いて部長にする訳にもいかない。二年生以
下の三人の中でとなると、やはり睦月が適任だった。

「ところでその津山はどうしたんだ?」
「津山さんはクラス委員の用事で遅くなるそうです」

 それも、真面目な睦月にはいかにもな役職だった。佳織を眺めながら、ふむとゆみは頷く。

「それで、予算なんですけど……」
「ああ、すまないな。この書類はだな――」

 特に何かを見なくても、何処を如何すればいいのかということがスラスラと出てくる。事
務の類は全てゆみの仕事だったのだ。智美は人間としては魅力的だったが、麻雀以外のこと
は万事において丼勘定のため、事務仕事、特に計算などには向かないのだった。予算申請書
に智美らしからぬ達筆で『出来るだけ沢山欲しい』と書かれていたのを発見した時、眩暈を
覚えるのと同時にゆみは自分の役目を悟った。

 そのおかげかどうか知れないが、部員五人の麻雀部でも部の体裁を保つことが出来ている。
欲を言えば自分たちが引退しても、来年の新入生を待たずに部を意地できるだけの人数が欲
しいところではあったが、活動できているだけでも喜ぶべきなのだろう。

「……という訳だ。まぁ、解らないことがあったら私がいる間は私に聞くといい」
「ありがとうごさいます!」
「後、予算関係で生徒会に提出する書類には会計と部長のサインが必要になる。どちらかが
欠けていると呼び出されるからな。気をつけるように」
「あ、それはさっちゃんから聞いてます」
「それは何より――」

 答えようとした言葉をゆみは止めた。佳織の言葉に違和感がある。その正体に気づくより
も先に、部室の中に笑い声が響いた。

 降って沸いたような声にゆみは佳織と共にびくり、と体を震わせたが、それが気配を消し
ていたモモの声だと気づくと安堵の溜息を漏らした。普段が大人しいモモが腹を抱えて笑っ
ている。何がそこまで可笑しいのか……理解できなかったゆみがその疑問を口にするよりも
先に、自分たちの話を黙って聞いていた智美が勢い良くパイプ椅子から立ち上がった。

「佳織! 学校ではそう呼ぶなって何度も言ってるだろ!」
「あぁっ、ごめんなさい、さっちゃん!」

 佳織は慌てた様子で謝るが、智美の注意は何も反映されていなかった。コントのような遣
り取りに、モモの笑い声のボリュームも更に増す。

「さっちゃん! いいじゃないっすかさっちゃん、可愛くて私は好きっすよさっちゃん」
「だったらまず笑うのを辞めたらどうなんだモモ」

 見かねてゆみも助け船を出す。モモにとってゆみという存在は特別だった。余程さっちゃ
んがツボに入ったのか、智美が二つ上の先輩であることも忘れて散々からかい通すつもりだ
ったモモが、ゆみの言葉を受けて強引に笑い声を押し込める。大爆笑の名残である涙はまだ
残っており、時々思い出したように小さく笑うが、それでもモモはゆみの言葉に従った。

 突発的に発生した笑いは、抑えようと思って簡単に抑えられるものでもない。それを抑え
込ませたのだから、モモのゆみに対するウェイトが相当な物であるのが窺い知れる。

 普段が普段なだけにそんなことは他の部員達にとって……それどころか、鶴賀に通う物な
らば教職員まで含めてモモがかじゅ先輩ラブなことは知られていることだったが、改めて見
ると凄いものだと、あまりの猛獣使いっぷりに智美と佳織から『おぉ……』と感嘆の声が漏
れた。

 だが、ゆみはそんな二人を横目に見ると、にやりと口の端を挙げて笑う。

「モモも反省しているようだ。どうか許してほしい、さっちゃん」

 ユミノゴーサインに、モモは再び大爆笑を始めた。幼馴染の怒りゲージがじわじわと上昇し
ていくのを察した佳織があわあわ呻きながらモモに駆け寄るものの、大爆笑が収まる気配はま
るでない。

「ゆみちん、酷いぞ……」
「あだ名で呼ばれることを隠すこともなかろう。可愛いというモモの言には、私も賛成する」
「一応私は部長だぞ?」

 むっとした顔を浮かべて、智美はそっぽを向いた。威厳とかそういう物がある、と言いた
いのだろうが、童顔もあいまってそういう態度は拗ねた子供そのものだった。普段も親しみ
易さはあるが、威厳とかそういったものとは無縁の智美である。

「別にモモにさっちゃんと呼べと言っている訳じゃない。妹尾と仲がいいことを学校で隠す
必要はないということを言ってるんだ」
「……そうすれば、自分もモモともっとイチャイチャ出来るって?」

 意地悪くフハハと笑って、智美は言い返してくる。仕返しのつもりなのだろうが、温い。
ゆみとっては何処吹く風だった。

「ああ、その通りだ」

 薄く勝ち誇った笑みを浮かべると、智美は大きく息を吐き出した。降参だ、と小さく両手
を挙げる。が、大きな目を思い切り細めて、睨みやってくることも忘れない。

「……何だか私が一方的に損してる気がするぞ」
「気のせいだろう」
「すいません、遅れました!」

 走ってきたのだろう、息を切らせてやってきた睦月は、部室の様子を見て首を傾げた。普
段は認識するのも難しいモモが腹を抱えて大爆笑しており、佳織があわあわと――これはい
つも通りかもしれないが――言っている。智美が半笑いなのもいつものことだったが、その
半笑いもどこか不機嫌そうにも見えた。

 いつもの部室の雰囲気ではない。その中でいつも通りのゆみに、睦月は遠慮がちに声をか
けた。

「何かったんですか?」
「特に何も。強いて挙げるのならばそうだな……」


「皆仲良くしましょう、ということだな」