「――――で、この私に教えを請いたいと?」

「そ〜なの。お願い助けて、アリサちゃんっ!」



 ぱんっ、と手を合わせて文字通りお願いしてくる妹分に、アリサはそっとため息をつき、



「そんなに不安になるなら、普段から勉強をすればいいと思うの。普通は急に勉強なんて

しても、身につくもんじゃないわよ?」



 普通に、の部分を強調して、アリサは妹分の目の前で指を振ってみせる。言外に自分は

普通ではない、と自慢しているのが見て取れるが、縋りつくようにしている妹分の少女に

は、それを気にするような余裕はなかった。



「それは……解ってるんだけど……」

「だいたい、そんなに切羽詰るまで何をやってたの?」

「ちょっと……新しいゲームが……」



 妹分の少女は、決まりが悪そうに目を逸らす。



「それなら、テストの成績が壊滅的でも自業自得よね。ゲーム好きなんだから、ゲームで

撃沈するなら、本望ってものでしょう?」

「ア〜リ〜サ〜ちゃ〜ん…………」

「……冗談よ。ちゃんと手伝ってあげるから、そんな泣きそうな顔しないで」



 本気で泣きの入りかけた妹分の少女をあやす様に曖昧な笑みを浮かべ、その頭をぽんぽ

ん、と撫でる。気心の知れた人間にそうしてもらうことが、何よりも好きな妹分の少女は、

泣き顔から一転、なのは、という名前にふさわしい笑顔を浮かべた。



「ありがとう、アリサちゃん」

「これに懲りたら、今度からはもう少し勉強するようにしなさい」



 一応、型どおりの忠告をするが、それがなのはには無理だ、ということはアリサにも解

っていた。普段からできる人間なら、そもそもテスト二日前になって頼みに来るようなこ

とはないし、間近に迫るテストを前に、ゲームに興じたりもしないだろう。



「で、なのははこんなこと言ってるけど、久遠はどうなの?」

「くぅ?」



 購買で買った大福を幸せそうに食していた久遠は……話を聞いていなかったのだろう。

その首を傾げる仕草だけでそれが手に見て取れたアリサは、今度は若干噛み砕いて、



「だから、久遠はテストはだいじょうぶなの? って聞いてるのよ」

「だいじょーぶ。久遠、ぬかりなし」



 言って、小さくガッツポーズ。ぬかりなし、というその言葉を、そのまま信じていいも

のか迷うアリサだったが……とりあえず、信じてみることにした。如何に『天才』アリサ

=ローウェルと言えども、暇をもてあましている訳ではないのだ。面倒を見る人間は、で

きるなら少ない方がいい。



「後で泣きついてきても知らないからね?」

「だいじょーぶ。アリサ、やさしいこ」

「結局、私を当てにしてるのね……」





 面倒くさそうにため息をつくアリサだったが、そうして頼ってくれる妹分達を可愛く思

う部分も自覚していた。時折自分が、凄く冷めた人間のように思うこともあるが、こうい

うことで幸せを感じてしまうあたり、まだまだ捨てたものではないとも思う。

















 アリサ達がいるのは、学園からの帰り道……アリサの住まいである学生寮までの短い道

のりの途中である。



 仲のいい三人はよく一緒に帰るのだが、市内に住んでいるなのは、久遠と、学生寮に住

んでいるアリサでは、その道程は思っているよりも短い。その時間を引き延ばすために、

市外に繰り出すことがほとんどなのだが、今日は久遠にどうしても外せない用事があると

かで、順次解散と相成る。他愛も無いことを話すその時間が――今日は、少々切羽つまっ

たことを話題としていたが――基本的な趣味を持たないアリサにとっては、至福の一時な

のだった。









「そう言えば、く〜ちゃん、また振っちゃったんだって?」

「また? 今度はどこの誰よ」

「ん〜っと……剣道部の凄い人、だったと思うんだけど……」



 どうやら又聞きらしいなのはのその情報では、男子、剣道部、凄い、という情報しか得

られないが、戯れに全校生徒の顔と名前、そしてある程度のステータスを覚えているアリ

サには、それだけで大体の察しはついた。




 神咲のつながりということで、剣道部には久遠のファンが多く、しかし、そのほとんど

が既に玉砕している。リベンジということも考えられるが、それを考慮から外すとすると、

久遠に直接物が言えそうな度胸のある男子は、もう一人しかいない……



「男子剣道部の副部長でしょ? 全国ランカーじゃない。顔もそれなりだったと思うけど

……」

「どっちにも、あんまりきょうみない」



 それこそ、本当にどうでもよさそうに、久遠は大福を頬張り続ける。



 アリサが全幅の信頼を置く記憶では、確かその男子、女子の間では人気者だったはずな

だが……相手の言葉が終わるよりも早く『やだ』と一言で切って捨てたのだろう場面を想

像すると、顔を知っているだけの関係とは言え、少々胸が痛む。



「何人目だっけ、く〜ちゃん」

「両手より、いっぱい。あとは、しらない」



 答える声には、やる気もない。聞く人間が聞けば、さぞかし腸の煮えくり返る物言いだ

ったが、久遠の親友を自負する二人は、いつものこと、と笑うしかなかった。









 神咲久遠という少女は、神咲であるということを差し引いても少々特殊な少女だった。



 学年は海中の二年。なのはと同学年でクラスを同じくし、部活動などの所属はない。武

道一族として有名な神咲の一員というだけあって、運動能力はやたらとハイスペックなの

だが、勉強のレベルは人並み以下、手先の器用さも十人並みである。イヌ科の小動物と甘

味をこよなく愛する無邪気な――口の悪い同級生の言葉を借りれば、少々頭のネジの緩ん

だ少女である。



 よく笑う少女で、悪い人間ではないのだが、人の好き嫌いが激しく、家族以外の傍に寄

る人間はその感性でのみ選ぶため、友人の数は少ない。同じ中学に限れば、登下校をよく

同じくするアリサとなのは、なのはの家に居候している鳳蓮飛と、城島晶しか自発的に会

話をする人間がいないほどだ。女子の中では、浮いた存在であると言える。



 しかし、悲しいかな。そんなことは異性である男子には関係なく、その容姿と中学生に

しては発育もいいことから人気はあり、告白する生徒も後をたたない。その度に一言で切

って捨てているらしいのだが、『それがまたいい』と男子の評判は一向に下がる気配がな

いのだ。悪循環で女子の間の評判は下がる一方なのだが、久遠は一向にそんなことは気に

しない。自分の好きな人間が周りにいてくれれば、それで十分なのだ。





「前から聞こうと思ってたんだけど、久遠って、どんな男の人が好みなの?」



 言ってから、どうしてそんな基本的なことを今まで聞かなかったのか、とアリサは自問

する。



 答えはすぐに出た。告白を一言で切って捨て、年がら年中甘味を口にしている久遠に、

色気などあるものか、と無意識に思っていたのだろう。何かに熱を上げている久遠、とい

うのは比較的想像しやすいが、それが異性、ということになると、アリサの頭脳をもって

しても、想像することは難しかった。



 では、今日に限って何故そんな質問をしたのか、と問われれば、アリサにも何となく、

としか答えることができないのだが……





「ん、久遠、しんいちろーが好き」





 まさか、その甘味を食べるためだけに存在するような口から、好き、という単語と一緒

に異性の名前が挙がるとは思ってもいなかった二人は、思わず顔を見合わせて、足を止め

た。一人先に進んでしまう形になった久遠は、数歩だけ進んで振り返り、首を傾げて見せ

る――



「――くぅ? じゃ、なくって……そんな話、今まで聞いたことないわよ?」

「好きになったのは、このまえだもん。アリサにもなのはにも、好きな人のはなし、きか

なかったよ?」

「しんいちろーって誰なの? く〜ちゃん」

「しんいちろーは、しんいちろー」

「んっと……多分、風高の相川真一郎のことを言ってるんじゃないかしら」



 久遠からのデータ不足のために、アリサにも自信はないが、この辺りで真一郎と言えば、

一番可能性が高いのは、彼だ。二年の久遠から見て三つ年の離れた、女顔の男子だ。風の

噂では、神咲の姫と付き合い始めたと聞くが……



「……ちょっと待って、久遠。ひょっとしてその『しんいちろー』、貴女のお姉さんの彼

氏じゃないの?」

「そうだよ? しんいちろー、十六夜のかれし」

「お姉さんの彼氏さんのこと好きなの? く〜ちゃん」



 両手をあげた万歳のポーズで驚くなのはに、久遠は当たり前のように頷いてみせる。



「どうしてまた、そんな修羅場なのを選んだの?」

「しんいちろー、いいにおい。だから、だいすき」

「お姉さんの彼氏さんなんでしょ? だいじょうぶなの?」

「だいじょーぶ。久遠のみりょくで、いちころ」

「…………念のために確認するけど、そのしんいちろーと大福、どっちが好き?」



 案の定、それまで幸せそうにしんいちろーのことを語っていた久遠は、手の中の大福を

見つめ、押し黙ってしまった。一個150円の大福と秤にかけられてしまう時点で、意中

の相手としてはどうかとも思うが、少なくとも、考慮に値しなかった今までの有象無象と

一味違うことは窺い知ることができる。



「く〜ちゃんにも、好きなひとが……」

「別に、なのはがそこまで引きずることはないんじゃない? 愛しの恭也お兄さんを好き

になった訳じゃないんだから、安心でしょ?」

「愛しのって、アリサちゃん……」

「今の私の前で、嘘はつけないわよ? 久遠の口から出てきた好きな人の名前が、恭也お

兄さんじゃなくて、内心、ほっとしてるでしょ?」

「…………うん」



 頷くなのはの顔は、火が出そうなほどに赤い。とっぽくても人当たりがよく、年齢の割

りにはしっかりした娘なのに、兄の話になるとこれなのだ。人気も久遠ほどではないにし

ろ、それなりなのに、浮いた話が今までに一つもないのは、高町なのははブラコンである、

ということが知れ渡っている、という事実に寄るところが大きい。



(一体何を想像してるのかしらね……)



 真っ赤になったまま、なのはは帰ってきてくれない。久遠はまだ、大福かしんいちろー

かで悩んでいる。往来の真ん中で動かなくなった少女二人に挟まれて、アリサは一人、途

方に暮れる。することもないので、空に浮かんでいる雲の数でも数えてみる……



























「しんいちろーのほうが、だいじ」



 二十個も数えたところで、久遠が正しい解答と共に帰還した。なのはも、どうにかクー

ルダウンしている。何やら恨みがましい目で見つめられているが、からかわれるような隙

を見せた方が悪いのだ、ということで一つ納得してもらうとしよう。



「じゃ、私はこの辺で。二人とも気をつけて――」

「アリサちゃんって、好きなひといるの?」

「――帰りなさいよ……って、なに、なのは。何か言った?」

「聞こえなかったふりをしても、そうはいかないの。今の私の前で、嘘はつけないんだか

ら。アリサちゃん、私とく〜ちゃんの好きな人知ってるんだから、アリサちゃんの好きな

人も教えてほしいの」

「……そんなの、知ってどうするの?」

「不公平だと思うの。それと、今から好きな人はいない、なんて言っても駄目だからね。

好きま人がいるのは、私にも分かっちゃったんだから」



 とっぽいくせに、こういう時だけは鋭い……幸い、学生寮の入り口はすぐ近くだ。走っ

て逃げ込めば、どんくさいなのはをまくことはできるだろうが、久遠からは逃げられそう

にない。屁理屈を並べて煙に巻くのは得意技だが、それをしたらなのはと久遠は、三日く

らい口を利いてくれないだろう。



「…………」



 見つめるなのはの瞳は、随分と真剣だ……腹を括るしかない。







「…………先生よ」

「……海中の先生?」

「風高。槙原先生って言うんだけど……」

「耕介さん? アリサちゃん、耕介さんが好きなの?」

「……そっか。なのはってそういう風に呼べるのよね」



 軽く調べて分かるようなことなら、槙原耕介のことは出身地から経歴まで全てアリサの

頭の中に入っている。なのはと彼が顔見知りなのは、彼が海鳴大学教育学部に在学中、翠

屋でバイトをしていたからだ。過去のことを悔やんでもしょうがないが、いいなぁ、と思

う。



「久遠も、槙原先生のことは知ってるんでしょ? 神咲の道場には、今も顔出してるって

話だし」

「こうすけ、どうじょうにはほとんどこないよ? どうじょうでは、きょーやの方がよく

見るもん」

「ということは、道場じゃなくて会ってるんでしょ? いいわよね、久遠は」

「…………アリサ、こうすけのこと、好き?」

「好きよ。もちろん、男性としてね。彼女はいないみたいだし、風芽丘にあがってから担

任になってもらって勝負をかけるつもりだけど……でもやっぱり、教師と生徒ってまずい

かしら。どう思う? お兄さんのことが好きな、高町なのはさん」

「え? ……だいじょうぶ、なんじゃないかな」



 教師×生徒よりもずっと高いハードルに挑戦中のなのはは、大丈夫かと問われれば、大

丈夫と答えるしかない。予想通りの望んだ答えに満足して頷き、じゃあね、とアリサは踵

をかえす。





「アリサ……」

「なぁに、久遠。あ、槙原先生の情報だったら、随時受け付けてるけど」

「……がんばって、久遠も、おうえんしてる」

「ありがと、貴女も頑張ってね、久遠」



 久遠が言いよどんだことが少し気にはなったが、今まで誰にも秘密にしていたことを応

援してくれるという、その言葉が素直に嬉しかった。



 今日も、いい一日だった。アリサ=ローウェルはその日で一番の笑顔を浮かべると、寮

の中に消えていった。































「く〜ちゃん」

「なぁに、なのは」

「…………聞かない方がいい?」

「久遠は、なにも言ってないよ?」

「…………そうだね。私も何も知らないと思うの」

「うん、久遠も、何も言ってない」

「じゃ、また明日ね、く〜ちゃん」

「ばいばい、なのは。またあした」