「映画を作りましょう!」


 昼休みである。突発的に人目を避けたくなる恭也は、思い出したように屋上へと逃げこ



み、一人優雅に昼食を取っていたのだが、そこに現れたのは校内一有名な、『迷惑屋』と

あだ名される少女だった。



 映画……恭也の耳が確かなら、間違いなくそう聞こえた。例によって目の前の『迷惑屋』

は、自分の思いつきが世にも素晴らしいものである、と微塵も疑っていない様子だ。雨上

がりの青空のような、不気味なくらいに澄み渡った『迷惑屋』の笑顔を胡乱な目つきで見

やりながら、恭也はサンドイッチを飲み込み、



「…………それを、何故俺に言いに来るのだ」



 『迷惑屋』の言葉とは、微妙にずれた答えを返した。



「もちろん、出演してもらうからに決まってるでしょ?」



 そして、『迷惑屋』は恭也の予想通りの答えを返した。



「俺みたいな無愛想な男を使うのなら、赤星や相川を使った方が100倍はいいと思うの

だが?」

「その二人も、もちろん使う予定よ。学園の有名人を集めた、話題性のある映画を作るつ

もりだから。自由で正義で運命で伝説なのよ」

「何故か内容よりもヴィジュアルと勢いを重視するのだ、ということが理解できてしまっ

たが……出演依頼はしてあるのか?」



 ちなみに恭也は、依頼どころか映画を作るなんてことを考えていることすら、つい先ほ

ど知ったばかりだ。思いついたら、人に見せたり聞かせたりせずにはいられないタイプだ

……どうせ思いついたのもついさっきなのだろう。『迷惑屋』の後ろでは、『迷惑屋』に

とっておばに当たる少女が、ため息をつき肩を竦めていた……諦めろ、ということらしい。



「もちろんしてないよ。二人ともファンが多くて、女の子は近づきにくいの。だから恭也、

出演交渉はよろしくね」



 『迷惑屋』からの返答は、案の定だった。



「オファーすら済んでないのか?」

「忍が完成させたのは、ノートに殴り書きした大雑把な脚本だけです。誰に何をやらせる

かも決まっていませんし、撮影のための機材も揃っていません。もちろん、スタッフもで

すが……」

「予想はしていたが、お前がきめたのは、やるということだけか?」

「失礼だね、監督と脚本もやるよ? もちろん、スポンサーも私。機材は私が揃えるし、

ギャラだって払えるかもだよ?」

「精々、ギャラは弾んでくれ。俺からの要求はそれと、あまり波風を立てるなってことだ

けだ」

「じゃあ、協力してくれるの?」

「どうせ断っても、受けるまで食いついてくるだろう? あと、たった今要求することが

増えた。受けかどうかを聞くのを最後に持ってくるのは、できれば今回で最後にしてくれ」

「うん、わかった。ありがと、恭也!」

「…………」



 邪気のない『迷惑屋』の笑顔を見て、別にこれでもいいんじゃないか、と思ってしまう

自分の甘さを、恭也は呪った。いつか、ガツンと言ってやろう、といつも思っているのだ

が、未だにその『いつか』が来たためしはない。こうまで来ないと、『迷惑屋』に振り回

されることに快感を覚えているのでは、何て怖い考えが首をもたげる。



 思い、考え……自分の周りには、自分を振り回して楽しんでいるらしい人間が相当数い

ることに気づき、ぞっとする羽目になった。



(次こそは、言うか……)



 どうせ無駄になるのだろう、と感じながら、恭也はとりあえず固く心に誓った。





「で、改めて聞くが、俺は何をすればいいんだ?」

「相川君と赤星君は当然として、なるべくたくさんの人に声をかけてきてほしいんだ。役

者として使うのはその全員じゃないけど、余ったらスタッフとして使うから」

「念を押すが、『なるべくたくさん』でいいんだな?」

「うん。あ、でも、なるべく綺麗かわいいかっこいい人にしてね?」

「その点だけは、安心してくれて構わん」



 何故かは知らないが、面構えに隙のない人間が恭也周りには多いのだ。片っ端から声を

かけていけば、全員とまではいかなくとも、半数くらいは協力してくれることだろう。真

一郎と勇吾の二人は、念入りに声をかけなくてはいけないか……まさか、断られたりはし

ないだろうが、多少の借りは作ることになりそうだ。



「あれ? もう行くの?」

「膳は急げ。やることが決まっているのに、のろのろ歩く趣味は俺にはない。放課後まで

には、風高の知り合いには全て声をかけてくる。今晩には纏まった人数を紹介してやるか

ら、お前はそれまでに脚本を練っておけ」

「そんなこと急に言われても――」

「お前も少しは苦労をしろ。そうでなければ、俺をはじめ誰も協力はせん」

「えー。横暴だー」

「ならば、横暴ついでだ」



 すれ違いざまに『迷惑屋』に渾身の力を込めたデコピンを入れ、痛みに呻きながらマシ

ンガンのように文句を垂れる彼女をよそに、さっさと屋上を後にする。



「…………ん」



 最初は誰から、などと考えていると、タイミングを計っていたかのように、内ポケット

の中で携帯電話が震えた。メール着信。差出人は綺堂さくら――先ほど、『迷惑屋』の後

ろにいた、学内でも一二を争う苦労人の少女である。



『迷惑をかけます』



 本文は、たったそれだけだった。だが、それはとてもあの少女らしい文面だ。恭也は、

彼にしては珍しく、少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべて、



『お互いにな』



 と、それだけを返信した。































「いいですよ」



 恭也本人も良く理解していない事情を、かいつまんで説明しただけなのに、目的の一人

である青年、相川真一郎は二つ返事でOKを出してきた。



 風芽丘学園、その図書館である。この手の施設としては近隣でも最大の蔵書量を誇り、

それに比例して、面積も最大級である。昼休みの今でも、利用者は多い。だが、その面積

の広さ故に、奥まった場所まで行くと人の集まる入り口付近まで声が届き難く、一部の生

徒達が授業中、淫らな行為に利用している、との噂もあるが、そういった相手もいない恭

也には、関係のない話である。



 とにかくその日、入り口付近で弁当を食べさせられていた(昼休みに限り、飲食可)真

一郎は、『いいのか?』と声を出さずに問う恭也に、人懐っこい笑みを浮かべて、



「月村先輩が人を集めてやるんでしょ? 面白そうじゃないですか」

「それ以前に、多大な苦労を背負い込むことになる、とは考えもしないのか?」

「それはほら、主に苦労をするのは俺じゃないし、あまり関係がないというか……」

「傍から見る分には、そりゃあ、楽しいだろうな」



 退屈であることを良しとせず、思い出したように破天荒な行動を取り、かつ見目の麗し

い『迷惑屋』は、実は風芽丘の人気者だ。しかし、ほとんどの人間は彼女のことを、ただ

眺めるだけに留めている。理由は簡単、彼女の行動に巻き込まれてはかなわないからだ。



 『迷惑屋』が行動を起こすと、近くにいる人間が巻き込まれる。その役目は、一年の綺

堂さくら、そしてクラスメートである恭也の役目で、風高、海中に通う者ならば皆、『迷

惑屋』の人身御供の名前を知っている。真一郎があっさりと映画出演の話を引き受けたの

も、そういったことを踏まえてのことだろう。身代わりが二人もいれば、まさかとばっち

りは食うまい。



「ついでだから一応聞くが、お前達二人はどうする?」




 真一郎の答えが『参加』で決まった以上、聞くだけ無駄なような気もするが、言葉の通

り一応、恭也は真一郎の両隣で彼に弁当を食べさせていた二人に問うてみる。



「真一郎様が参加なさるのなら、私も参加します」

「久遠もー」



 二人は、恭也の予想通りの答えを返した。『迷惑屋』からの指令はなるべくたくさんだ

から、その申し出は願ったり叶ったりだが、



「はい、真一郎様、あーん」

「あーん」



 その、周囲をまったく気にしないバカップルっぷりが、いただけない。相川真一郎がこ

の二人と付き合い始めたと噂が流れた時は、特定の相手のいない男子生徒の間で、大して

長くない風芽丘の歴史上、最大級の嵐が吹き荒れたものだが……その、バカップルっぷり

が逆に功を奏したのか、今では彼らに関わるとバカが感染ると、生暖かい目で見守るとい

うことで、大多数の見解は一致していて、恭也もそれに賛成する一人ではある。



 が、しかし……目の前で自分を無視したバカップルっぷりを展開されて、一人身の人間

が面白いはずもない。



「お前らは、俺に喧嘩を売ってるのか?」

「いや、俺にそんなつもりはありませんけど……」

「真一郎様に危害を加えるつもりなら」

「久遠があいてー」



 軽い殺気を放つ恭也から真一郎を守るように、十六夜と久遠がさりげなく前に出る。こ

ちらも口調はいたって軽いが、この状態から少しでも、例えば真一郎に手を伸ばす、ただ

それだけでも、恭也の体は宙を舞うことだろう。相川真一郎が両手に抱えた花は、そんじ

ょそこらの騎士様よりも、よほど優秀なのだ。



 心はその騎士様達をなぎ倒し、真一郎にデコピンの一つでも入れてやりたいと渇望して

いるが、実力差のある相手に正面から戦いを挑むことの愚かさを、恭也はおそらく、風高

生の誰よりも理解していた。



「予定は追って連絡する。俺か、月村か、綺堂かは知らんが、明日には連絡が行くだろう。

詳しい話は、その時にでもする」



 これ以上ここにいては、バカが感染る、と精一杯に苦々しい表情を浮かべ恭也は席を立

つが、悲しいことに目の前の三人は、既にこちらを見てはいなかった。最初からバカに染

まっていた二人の神咲とは違い、真一郎には羞恥心というものがあったはずなのだが、今

ではバカに染まりきってしまったのか、人前で『あーん』をすることに幸せ以外の何も感

じなくなってしまったらしい。



 これで空手の腕も下がってくれていれば、色々なものに諦めもついたのだろうが、最近

の真一郎は、これでもか、というくらい絶好調なのだ、と居候一号から聞いた。人間失格

巻島道場にも神咲二人は顔を出しているそうなのだが、彼女らの声援の力なのか、二人と

付き合い始めてからの真一郎は、道場内でも上位の実力者ともそこそこに打ち合えるよう

になり、吼破の伝授も近いとかなんとか……相手のいない男性には、さぞかし腸の煮えく

り返る事実だろう。勉学に大して才能を発揮していないのが救いだが、それも十六夜がつ

いていては時間の問題だろう。



「次に行くか……」



 彼らを見つめることすらバカらしくなってきた。力なく踵を返し、入り口のドアに手を

かけたところで、カウンターの中の図書委員の男子生徒と、一瞬だけ視線が交錯した。見

覚えのない顔である。図書委員でもなく、図書室を普段は利用しないのだから、それも当

然なのだが、何故だかその男子生徒が、恭也には他人に思えなかった。



 どちらからともなく、苦笑を浮かべる。



「達者で暮らせよ」



 そんな恭也の言葉に、その男子生徒は肩を竦めると、苦笑のまま真一郎達を示した。無

理な相談だ、と無言の声が聞こえたような気がした。

 































「月村の奴がまた珍妙なことを言い出した。映画を作りたいらしい。赤星を含め、剣道部

の面々には是非とも参加して欲しいそうだ。俺もそう思っている。だから、参加しろ」

「参加してくれ、ですらない辺りにお前の必死さを感じるな……」



 昼食も終わり、剣道部活動場所である道場で気心の知れた部員達と食後のひと時を楽し

んでいた男子剣道部部長、赤星勇吾は、学園入学以来の悪友のあまりな物言いに、苦笑を

浮かべる。件の『迷惑屋』と、眼前の苦労人とはクラスメートであるから、彼女にものを

頼まれることがどれほど厄介ごとなのか、他人よりはずっと解っている分、理解もあるの

だ。



「それで、返事は?」

「もちろん、参加させてもらうさ。ここで断ったら、お前に恨まれそうだしな」

「そんなことはせん……と、言いたいところだが、月村の関係に限って言えば、ないとは

言い切れん。まぁ、引き受けてくれたことには素直に感謝させてもらおう」

「いいってことさ」

「なぁ、恭也兄さん。その映画の話、俺の席は当然開けてあるんだよな?」



 話の切れ目を律儀に待っていたらしい、悪ガキをそのまま成長させたような風貌の青年

は、尻尾があったらぶんぶんと振りかねないような勢いで、恭也に詰め寄る。



「椅子の数だけ人を集めるような贅沢は、俺には言ってられん。参加したいというのであ

れば、俺が木から削りだしてでも椅子を用意するが……なんだ、参加したいのか?」

「する。っつーか、やらせてくれ」



 ずい、と顔を近づける悪ガキ青年――ちなみに、名を神咲和真という。部長赤星勇吾に

続く剣道部のエースであるが、見た目通りの性格なのが玉に瑕だ。姉の薫と生まれた順番

が逆であったら、さぞかし『迷惑屋』とも気があったのだろうと思うと、苦労人一号の恭

也としては、残念でならない。



「和真兄さんの話が済んだのなら、次は僕の番ですね」



 座布団に正座し、湯のみで緑茶をすする姿が実に様になった男子――神咲北斗が、控え

目に手を上げる。



「何分、特にすることもないもので、僕も参加を考えているのですが……耕兄さん――失

礼、耕兄さん先生は参加されないのですか?」

「先生にはまだ声はかけていないし、俺にはかけるつもりも正直に言えばなかったのだが

……」



 『迷惑屋』の奇行はとにかく目立つ。微笑ましいと思ってくれる人間が、奇跡的にも大

半を占めているというのが救いだが、当然のごとくそうは思ってくれない人間もいる。そ

の割合が高いのが、教師陣だ。話に上った槙原耕介は話のわかる教師として生徒に親しま

れているそうだが、『迷惑屋』の一味だと思われてしまっては、流石に肩身も狭くなって

しまう……のだろう。恭也には、あの母の教えを受けた人間が、それほど柔な神経をして

いるとも思えないのだが、一応、常識に沿ってそう考えている。が、



「そうだな、生贄は一人でも多いほうがいいか……」



 目先の難事の前には、常識的考えなど塵芥に等しい。



「耕兄さん先生が参加なされるのなら、僕はもちろん那美も参加させてもいいですよ?」

「善処、いや参加させることを今のうちから約束しよう。大船にでも乗ったつもりでいる

といい」

「ねぇねぇ恭也、僕には声をかけてくれないのかい?」



 そんな無意味に陽気な声を共に、恭也の視界いっぱいに銀髪の少女が割って入る。息の

かかるその距離に、話に加わる機会をうかがっていた他の女子連中が奇声を上げ、銀髪の

少女を引き剥がそうとするが、彼女はそんなことはお構いなし、と言わんばかりに言葉を

続ける。



「恭也の頼みなら僕は何でもしちゃうよ? あ、でも、恭也と一緒に映画に出るんだった

ら、僕はヒロインがいいかなぁ……ラブシーンとかあったりすると最高なんだけど、そん

な話は忍から聞いてない?」

「どんな内容なのかすら、俺は知らん。ただ、自由に正義で運命で伝説とか言っていたぞ」

「…………ストーリーその他、色々大切なものを放り投げて、ビジュアルを重視する方針

だっていうのは、何故だか理解できたよ。でも、それなら別に、僕と恭也のラブシーンが

あっても、全然問題はないよね?」

『異議あり!!!』



 友情よりも遥かに黒い何かを原動力にした二人の少女のそんな叫びと共に、銀髪の少女

はようやく、恭也から引き剥がされる。



「リスティ、高町の意思を無視することは感心せんよ」

「そやで? それにうちらにはまだ、ラブシーンは早いと思う」

「何を今更……僕らは皆、十八歳以上じゃないか」

























「…………クロ、いや、リスティ。それはよく言えば建前、砕けた言い方をすれば大人の

事情、早い話が……大嘘だ」

「あぁ!! 高町君がお約束を無視しよった!! 芸人殺しや!!」

「それも意味が……いや、いい。それよりもリスティに神……薫に楓は、映画に参加とい

うことでいいのか? 無理に、とは言わないが……どうせ遊びだ」

「リスティを一人にすると、何をしでかすかわからんしな……」

「うちもえーよ。何か、おもしろそうやし」

「すまんな、感謝する」

「感謝してくれるなら、お礼は恭也の体で――」

「下ネタは禁止やー」



 どこから取り出したのか、死角から高速で迫るつっこみハリセンの一撃を、リスティは

見向きもせずに掴み取る。



「でしゃばりすぎだよ、楓。僕の恋路を邪魔しないでもらえるかな」

「それはこっちの台詞や。それに何や体って。そないにぺったんこーなくせに」

「ぺったんこなのはお互い様だろ? 僕はまだ成長してるからね。将来は十六夜くらい…

…は流石に無理だろうけど、色々挟めるくらいには成長する予定さ――」



 ここで初めて、リスティは楓を振り返り、



「うらやましいだろ?」



 口の端をあげてにやり、と笑った……



























「止めなくていいのか?」



 声にならない絶叫をあげながらつっこみハリセンを振り回し、逃げるリスティを鬼婆の

ように追い立てる楓を見ながら、恭也は暢気に茶を啜る。怪我をするとかそれ以前に、剣

道部の部員が剣道部の活動場所で、剣道部員でない生徒を追い立てているという事実はそ

れなりにまずいのだが、



「別にいいでしょう」



 それに続いたのは、北斗だった。恭也と同じように茶を啜りながら、なんとなく雑誌を

立ち読みするかのような気軽さで、道場を走り回る二人を眺めている。



「部活の内容から、部員が怪我をすることも珍しいことではありません。護身道部との練

習を許可する程度には上も肝要ですし、いざとなれば葉弓姉さんと耕兄さん先生に、揉み

消しをお願いすればすむだけの話です」

「うちの学園は、存外に大雑把なのだな」

「あの大雑把という言葉の具現のような九重師範の子息にしては、気づくのが遅いですね」

「俺は母とは違って、普通のつもりなのだ。一緒にしてくれるな」

「貴方が普通なら、僕なんて無個性以下ですよ」

「……お前は一度、自分という存在を見つめなおしてみることを薦める」

「高町先輩が普通でないと思う人ー」



 無感動な北斗の声に間髪を入れず、勇吾、和真の手が。そして、申し訳なさそうに薫の

手も上がる。



「その言葉は、そっくりお返ししますよ」



 当然、自分も手を上げていた北斗は、彼にしては珍しく得意げに笑ってみせた。































「失礼します」



 ノックもせず返事も待たず、恭也は生徒会室のドアを開け、押し入った。剣道部で思わ

ぬ時間を食ってしまったため、今は放課後。職員室で耕介の所在を聞き、全速でここまで

来たのだ。昼休みに北斗に言い負かされたこと、そしてついさっき『迷惑屋』から知らさ

れたある事実が、恭也を妙にハイにしていたのだ。今の恭也は恭也ではない、スーパー恭

也だ。



「なんだ、どうした?」



 耕介は、ちょうど葉弓と向かい合わせで何かを相談していたところだった。他の役員は

いない――いや、一人だけ。耕介の背後に付き従うように、一人の少女の姿があった。ウ

ェーブのかかった淡い茶髪に、意思の強そうな顔立ち。高町の家に遊びにきたのを、何度

か見たことがある。彼女は――



「ローウェル……だったか。妹がいつも世話になっているな」

「あー、いえ……私もなのは……さんには、良くしてもらってますから」

「あれは誰に似たのか、何もないところでも転ぶようなドジだからな。苦労をかけること

とは思うが、これからも是非友達でいてやってくれ。さて――」



 アリサに対する言葉を区切り、恭也はずい、と耕介に顔を近づけた。その瞬間、耕介の

瞳に本能的な怯えが浮かんだのを、恭也派見逃さない。顔を極端に近づけ、じ〜っと相手

の瞳を見つめるのは、夏織が下の立場の人間に無理強いをする時の癖のなのだが、時折彼

女と同じ顔と評される恭也が、彼女への恐怖が心の奥底にまで染み付いた人間にやるとど

うなるのか……推して知るべしである。



「月村が自主制作の映画を撮りたいそうで、広く人員を募集しています。本当なら槙原先

生をお誘いする予定はなかったのですが、北斗の推挙によって参上いたしました。参加し

てください」

「……許可は、とってあるのかな?」



 自主制作の映画を撮ることに、許可も何もあったものではないが、『迷惑屋』がやるこ

とで、学校を巻き込まないはずがない、という確信でもあるのか、耕介は縋るように学園

でのそういった許可を管理する立場――生徒会長の役職にある、葉弓に目を向ける。が、



「つい先日、月村さんが『所属しているということになっている』新聞部の部活動という

ことで、書類を受理しました。場所の確保も済んでいるようですね。どちらも月村さんで

はなく、綺堂さんの名前で申請されていますけど……私たちが内容をチェックして、何も

問題がなければ、文化祭などで放映することも可能ですよ」



 その願いは、あっけなく打ち砕かれた。



「こちらの準備に抜かりはありません。後は、槙原先生がイエスかはいか了解の言葉を言

ってくれるだけで済みます」

「いや……残念だけど、俺も暇な訳じゃないんだ。学生が暇だってバカにする訳じゃない

けど、これでも一応社会人なんで」

「ご多忙なのは重々承知しています。ですから、申し訳ありませんが逃げ道を塞がせてい

ただきました」



 言って、懐から『繋ぎっ放しになっていた』携帯電話を取り出し、耕介に差し出す。



「あまり学園ではおおっぴらに使わない方がいいぞ?」

「ご忠告痛み入りますが、早くでることをお勧めしますよ。おそらく、貴方がこの世で最

も苦手とするものが、かれこれもう十分以上――」



 恭也が言い終わるよりも早く――顔を真っ青にした耕介は、恭也の手から携帯電話を引

っ手繰ると、転がるようにして生徒会室を出て行く。肩を竦める恭也に、苦笑しながら資

料を片付ける葉弓、話の展開についていけていないアリサ=ローウェル……



「ローウェル、この際だ。お前も参加するか? 神咲久遠は参加すると言っているし、物

はついでだ。うちの愚妹にも参加するように言おうじゃないか」

「え? でも、海中生が参加するのは――」

「月村法の前に常識なんてものは無意味だ、ローウェル。それに文化祭などでも海中、風

高での合同企画は珍しくないと聞く。海中だから、という理由は、参加を拒む理由にはな

らんよ」

「参加してもいいんじゃありませんか?」



 助けの船は以外なところから来た。恭也とアリサは揃って、その声の主の方を見る。二

人の顔が可笑しかったのか、くすくすと小さく笑いながら、



「次期生徒会に参加するのであれば、今のうちから風高生に顔を覚えてもらった方が、や

りやすくはなるでしょう?」

「知れ渡るのは悪名かもしれんがな……」



 『迷惑屋』の一味と知られれば、それは名前は知れ渡るだろうが、各方面に無駄な軋轢

を生む。特に生活指導の教師や一部の熱心な風紀委員と『迷惑屋』は犬猿の仲だ。アリサ

=ローウェルは来期生徒会のホープと恭也は聞いているが、そういった役職でイメージが

重要視されるということくらいは、いくら月村一家幹部筆頭と勝手に目される恭也でも、

知ってはいる。



「自分で誘っておいて何だが、生徒会活動に携わりたいのだったら、月村に関わるのは止

めておいた方がいい。真っ白な経歴に、態々泥を塗りこめる必要はあるまい」

「ご自分の活動を、そう卑下するものではありませんよ? 恭也さん」

「その意見は尤もだが、現在進行中なのは月村の計画であって、俺の計画ではないことを

念押ししておく。勘違いしてはいけないぞ、生徒会長」

「さぁ、どうでしょう。これは独り言なのですけれど、恭也さんは最近月村さんにばかり

構って、神咲にはあまり顔を出してくれませんから……私、このまま放っておかれたら、

あることないこと、各方面にチクってしまうかも――」

「神……いや、葉弓にも是非、この企画には参加してほしいのだが……」

「そうですねぇ……恭也さんがどうしても、と仰るなら、考えないでもないですけど」

「どうしても、だ」



 彼女を巻き込むのは、何故か懐に爆弾を抱えるようなことのような気もするが、今、

自分の乗っている月村という名前の船を攻撃され、沈められても困る。葉弓にはそれだけ

の力があるし、それを実行に移せるだけの度胸もある。絶対的な暴力で他を圧倒する夏織

とはまた別の意味で、敵には回したくない相手だった。



「どうしても、ですか……恭也さんにそこまで言われては、仕方がありませんね」



 くす、と葉弓は微笑んだ……つもりなのだろうが、恭也にはそれが、にやり、という悪

魔の笑みに見えてならなかった。



「関係各位には私が取り計らっておきましょう。もちろん、私自身も撮影に協力させてい

ただきます。アリサさんと一緒に」

「ちょっ――」

「助かる。槙原先生も参加してくれるようだし、ここに来た甲斐もあったというものだ」

「お礼は今度、神咲に来た時にでも、返してくださいね」

「善処させてもらおう」



 何やらマシンガンのように言葉を捲くし立てるアリサを無視して、恭也と葉弓はがっち

りと、握手を交わす。



「…………俺のいないとこで、話は纏まったかな、疫病神」



 まるで重病人のような空気を引きずった耕介が、黒い携帯電話を突っ返してくる。親の

仇を見るような視線が、痛痒く、何とも言えない気分だった。



「ところで、貴方の師匠はなんと?」

「おもしろそーだから参加しろ。あたしも出る。文句があるなら相手になってやるからか

かってこい、と。君にも同じことを伝えるように言われたよ」

「かかっていかれますか? 俺としては、生徒の身を案じた教師が、その命を賭して邪悪

な剣士を倒してくれるような展開が望ましいんですが」

「ご都合主義的な力に目覚めた悪い剣士の息子が成敗してくれるって展開の方が、俺の好

みではあるね。そうでもなければ、俺はあの人に対してはずっと負け犬のままでいいよ。

昔、俺がまだ風高生だった頃、犯罪者になる覚悟で仲間二人と一緒に、あの人の寝込みを

襲って、冗談抜きで生死の境を彷徨ったあの日から、俺はそう悟ったのさ……」

「いつか、俺が負かしてみせますよ」

「俺が生きてるうちに頼むよ。期待はしてないけど……というか、あの人から生れ落ちた

らしい、君に聞きたい。あの人は、ほんとに人間なのかい?」

「…………世の中、知らない方がいいことってのも、確かに存在します」

「悪かった。バカな質問だったよ、忘れてくれ」



 正直、息子の恭也でもあれが人間なのか疑わしく思う時があるが、耕介のようにあれを

最大の脅威であるとは思っていない。何故なら、彼女にも負けのエピソードがあるからだ。

一度として彼女が土をつけることができなかった、恭也にとって、もう一人の親である、

男の話だ。その男すら、実家にいた時は自分の母――恭也にとっては祖母にあたる人間に、

片手で数えられるくらいしか勝ったことがないと言っていたのだから……まったく、世界

というものは、広いのだと思い知らされる。



「それでは、映画撮影の件、よろしくお願いします」

「誰が脚本を書くのか知らないけど、俺は師匠とは絡まない役どころか、そうじゃなけれ

ば裏方にしてくれよ?」

「これはここに来る前、月村から知らされたことなのですが、奴が勝手に母にオファーを

出して、それを受け入れさせた条件が、『貴方との殺陣』だったそうです」



 死刑宣告に近い恭也から告げられた事実に、耕介はがくっ、と膝から崩れ落ちた。慌て

て駆け寄るアリサと、それを苦笑して見守る葉弓を横目に見ながら、



「ご愁傷様です……」



 明日はわが身か、と恭也は深く深く、ため息をついた。