美少年的美少女とか、バカップルの中心とか、最近は色々なあだ名を色々なところから

言われている相川真一郎だったが、それでも、堕落した人生は送っていなかった。空手の

修練を始めとしたトレーニングは、毎日欠かさず行っていたのである。肝心の腕っ節の方

は自分で言うのもアレだが、同年代の中ではそれなりのものだし、周りにいる人間が規格

外が多いためにあまり目立たないが、体力も平均を大きく上回っていると思う。華奢な体

の割りに体力があるというのは、体が小さいことがコンプレックスでもある真一郎にとっ

て、ささやかな自慢でもあった。



 だが今、真一郎はそれを自慢に思ったことを後悔している。どうして、もっと貪欲に体

力をつけておかなかったのかと。どうして、『ささやかな自慢』程度でとめてしまってい

たのか、と……













「あぁ、もうっ!!」



 背中に走った悪寒を頼りに全力疾走しながら体を反らせると、そこを見えない何かが通

過していった。それは壁にあたり小さく音を立てると、わずかに壁を削って床に落ちる。



 銃弾だ、と本物を見たことのない真一郎だったが、先ほどから何度も見せられているそ

れを見て、確信した。あれは、間違いなく人を傷つけることのできるものだ、と。



 何でこんなことになったのか、真一郎には分からない。いつものように学園に来て、い

つものように授業を受け――そして気が付いたら、こんな状況になっていた。



 いつもは人の多い学園だったが、学内には人の気配がまるでない。何事か、誰かいない

かと見て回って見つけたのは、今現在真一郎の後ろを走り、思い出したように銃弾を見舞

ってくる連中だけ。



 追ってくるのは二人。二人とも全身黒尽くめで、顔には同色の覆面をしている。手には

拳銃。何十発も連射されるものでなかったのが救いといえば救いだったが、命の危機にさ

らされているという点では、連射されようがされなかろうが、あまり関係がなかった。あ

んなものは『当たれば痛い』ということと、『当たり所が悪ければあの世行き』というこ

とが分かれば十分だ。



 階段を転がり落ちるようにして、下りていく。相変わらず後ろの連中は追いついてくる。

全力疾走してしばらくたつが、連中は普段から体力つくりでもしているのか、疲れた様子

はない。どうも、体力の面では向こうの方に分がありそうだ。武器もないので、戦力の面

でも劣っている……ないない尽くしもいいところだ。あるとすれば地の利だが、それにし

たって有利かどうかも分からない。前情報もなしに突っ込んでくるようなお間抜けさんで

あれば救いもあったが、ここまでのことをするのだ。さすがに予習くらいはしているだろ

う。逃げれば逃げるだけ、絶望的な気分になってくる。



 廊下を駆け抜け角を曲がると、すぐそこには校舎間をつなぐ通路と、こちらの校舎を隔

てる扉がある。あれを開ければ、一応外だ。外に出れば何とかなる……という保障はどこ

にもないが、このまま追われ続け、追いつかれ、打たれるという未来予想図に比べれば、

数ミリくらいはましだろう。



 いくらかの希望と共に真一郎は扉を開け――その先に、黒光りする銃口を見た。



「…………は?」



 まさかいきなりそんなものを突きつけられるとは思ってなかった真一郎は、間抜けな声

をあげて硬直した。そうしているうちに、追っ手も角を曲がり、硬直している真一郎を発

見する。向こうからは真一郎の体が陰になっているせいで、銃口は見えないらしく、彼ら

は自分達に武器が向けられていることを知ることもなく、真一郎に向けて銃を構えた。



「どけ!」



 銃口の向こうの男が、怒鳴り声をあげる。指示に従ういわれはないが、とっさに真一郎

はその言葉に従い、思い切り身を投げ出し……壁に頭を強打した。銃口の向こうの男はそ

れを確認する間もなく、今まさに銃を構えた追っ手達に向けて引き金を引いた。



 耳を劈くような轟音が、数発。男の銃から発せられる音は、追っ手の連中とは明らかに

異なっていた。音が派手な分威力もあるようで、まともに喰らったらしい追っ手は二人そ

ろって全身から血を噴出し、『ぐあぁ……』なんて声をこちらまで聞こえるように声を漏

らしながら、背中から床へと豪快に、しかし、ゆっくりと倒れこんだ。





「ふむ……」



 男は面白くもなさそうに自分の銃口を見つめると、倒れている真一郎には目もくれず、

追っ手の黒尽くめに歩み寄ると、その片割れに銃口を突きつけた。



「人を探している。銀髪の、背の小さい少女だ。知らないか?」

「し……しらね――」



 銃声。片割れは大きく足を上げると、そのまま動かなくなる。男はもう一人に銃口を向

け、





「人を探している。銀髪の、背の小さい少女だ。知らないか?」



 同じ質問を繰り返した。普通ならためらいなく引き金を引いたことに恐怖するのだろう

が、残りの覆面は男の行動に、違うものを感じたらしく、



「てめえ、高町、俺は一応お前の先ぱ――」



 神の声が聞こえたかのごとく、男は引き金をひかず、かかとを覆面の腹に打ち込んだ。

カエルが潰れたかのようなうめき声をあげ、男は気絶――せず、そのまま腹を抱えて転が

り回る。



「危ないところだったな」



 と、男はまるで転がっている男が見えていないかのように、真一郎へと歩み寄り、手を

差し出した。



 風芽丘の、学生服を着た男だ。身長は真一郎よりは高いが、特筆するほど高くはない。

面構えは十分に過ぎるほど美形で、左手の銃も相まってか、ハリウッドのアクション俳優

のような威圧感があった。



「なんで……殺したんですか」

「台本にそう書いてあったからだが……」

「いえ、危ないところをありがとうございました」



 人間としてある意味当たり前の質問を、全てを無視した言葉で返す男。これ以上喋らせ

たら何かが終わる、と直感した真一郎は、男の言葉を遮るように強引に手を取り、立ち上

がった。床に転がった時壁にぶつけた頭がじんじんと痛むが、走ることに支障はなさそう

だった。



「俺は、二年の相川真一郎です。貴方は……先輩ですよね?」

「三年の、高町恭也だ。ところでお前にも聞いておきたいことがあるんだが、銀髪の女の

子を知らないか? この学園に残っているはずなんだが」



 いきなり走らされた真一郎は、黒服以外の人間の存在を知らされていない。黙って首を

横に振ると、元々大した期待もしていなかったのか、恭也は小さく『そうか……』とだけ

呟くと、握りっぱなしになっていた拳銃を懐に収めた。



「どうやらこの学園は、謎の組織に占拠されたらしい」

「……な、謎の組織ですか」



 何の脈絡もなく告げられた驚愕の事実に、真一郎は思わずたじろぐ。



「ああ。犯行の動機から組織の構成から、ほとんど分かっていない。分かっているのは、

全員が黒尽くめであること、それから銃器などで武装しているということだけだな」

「その銃は……」

「先ほど俺は叩きのめした黒尽くめから奪い取った。お前の分もある。くれてやるから、

好きに使うといい」



 言って、恭也は懐から……



「おい、月村」



 と、魔法の言葉を唱えると、視界の外から飛んできたリボルバーを掴み取り、真一郎に

差し出した。



「弾丸に関しては気にするな。その銃は、弾が尽きることはない」

「さっき、俺の横の壁がえぐれるのを見たんですけどー」

「それは……なんだ? あぁ。仕様だそうだ。演出、と置き換えてもいいと言っている」

「当たるといたそうですよね」

「死にはしないだろう。それで十分と思っておいたほうが、この先幸せになれるかもしれ

ん」

「……そう思っておくことにします。理不尽なものは、ひしひしと感じてますけどね」



 盛大にため息をつくと、真一郎はリボルバーを懐に……短ランの内ポケットには収めら

れなかったので、ズボンのベルトに直接差し込む。



「これからお前は、女性を助けに行くそうだが――」

「いえ、言ってませんし聞いてません。そもそも、どこからそんな情報が」

「叩きのめした男から聞き出した。俺にとってはハズレの情報だが、お前の役には立つの

だろう。女性たちは、三年G組にいるらしい」

「RPGの主人公にでもなった気分です……」

「それでは武運を祈る」

「話を――」



 聞いてくれというよりも早く、まるでそういう風に指示でもされているかのように、恭

也は全力疾走でフェードアウトしていった……







































「はい、カット」

『異議あり!!』



 待っていましたといわんばかりのタイミングで、複数の場所からその声があがった。



「扱いに関して文句を言いたいんだけどね……」



 黒尽くめのうち、恭也に踏まれた方――国見(役者兼スタントマン)が、マスクを取り

ながら監督席の忍に詰め寄る。血糊がついたままだったので、忍(監督兼スポンサー)は

嫌な顔をしたが、扱いに関してエキサイトしている国見は、そんなことでは止まらない。



「本気で踏まれるなんて聞いてないぞ。俺じゃなかったら死んでたはずだ」

「いいじゃないっすか、死ななかったんだし」



 と、軽口を言うのはもう一人の黒尽くめだった神咲和真(役者兼AD)である。覆面が

気に入ったのか血糊のついた衣装のまま、銃を構えたりして遊んでいる。今ここにいる人

間の中では、一番楽しそうだ。活動するなら、こういう人間だけを集めてやればいいと真

一郎(役者)は思うのだが、監督である月村忍はそうは思ってくれないらしい。詰め寄る

国見に対し、落ち着いた様子で懐から一枚の紙片を取り出すと、不敵な笑顔と共に彼の眼

前に突きつける。



「起用方法は私に一任すると、書類にサインを貰ったはずですが」

「サインをした覚え、ないんだけどなぁ……」

「夏織さん(役者)からもらいました。しっかりとほら、ここにサインと判子が」

「…………あぁ、確かにあるね。これは俺の筆跡だ」



 未練がましくサインを凝視していたが、彼はため息と共にそういう結論を下したらしい。

明らかに犯罪だと思うが、彼にはそれを追求しようという気はさらさらないらしい。



「師匠からの頼みごとって時点で、嫌な予感しかしてなかったんだけどなぁ……」

「うちの母が、ご迷惑をおかけしています」



 何か、悲しい悟りでも開いたかのような寂しい笑顔を浮かべる国見に、フェードアウト

から返ってきた恭也(役者)が、儀礼的に頭を下げる。自分の関係ないところで行われて

いることに対して謝るのに慣れているのか、下げる頭にもためらいがない。



「いいよ、もう。学生の時から慣れてるからさ。部屋を出る時は、全治三ヶ月くらいは覚

悟してたような気がするから、まだまだこんなもの、屁でもないね」

「それは何よりです。では、これを」



 渡されるのは次のシーンの台本だ。国見はそれをパラパラと捲り、ため息。



「シーンごとに扱いが酷くなるとか、そんな仕様なのかい? これは」

「迫力は、後半に行くごとに凄くなるって仕掛けです」

「迫力はいいんですけど月村先輩。俺、この後どんな役回りになるんですか?」

「え? 相川君はこれで終わりだよ。ご苦労様。後はレフ板とか持っててくれると、忍ち

ゃん嬉しいかも」

「いや、俺は女の子を助けに行くんではないんですか?」

「女の子は自分たちで犯人を何とかして、自力で脱出するの。今日び、女の子にもアクシ

ョンがないといけないって思わない?」

「アクションに関しては、この際どうでもいいんですけど」



 出番がないことが嬉しいのか、残念なのか。判断に困るところだった。



「台本は、全て小出しにするつもりなのか?」



 次のシーンの台本を抱えているのは、この世の終わりのような顔をしている国見と監督

である忍だけで、他の人間には渡されていない。カメラ担当のさくら(助監督兼メインカ

メラマン兼編集責任者)は既に機材のチェックと、移動のための準備を始めている。それ

にはメカに詳しい高町家の末妹(サブカメラマン兼編集補助兼照明責任者)が手伝いをし

ていたが、専門用語の飛び交う会話をしているため、外野の男たちには何を言っているの

か理解できなかった。



「そ、次のシーンに出る人達だけに渡すんだ。そのほうが迫力のあるものが取れそうな気

がしない?」

「しない。本番の五分前に渡されては、演技も何もあったものではない」

「美少年美少女が華麗なアクションをしてれば、演技も何もいらないんだって、この前見

たアニメで私は学んだわ。都合の悪いことは編集でカットして、ピンチになったら種が割

れるの」

「どうすれば種が割れるのか、俺には理解できないのだが」

「安心して、私にも分からないし、分かってる人って実はほとんどいないと思うの。まぁ、

絵的に映えれば何でもいいよ。後は何か決め台詞でもあればいいかな。恭也、『お前を殺

す』とか言ってみてくれない?」

「……君はバカか?」

「あーん、それでもいいんだけど、今のキャラとはちょっと違うんだ。やっぱり学生服っ

てやめない? 実はもっと派手な衣装が用意してあるんだけど――」



 ガラガラと、どこからともなく衣装が大量にひっかけられた台車を、月村家のメイド、

ノエル・綺堂・エーアリヒカイト(メイク兼衣装兼小道具)が運んでくる。色とか露出度

とか社会的な立場とか、そういったものを色々と無視した衣装がズラリと並んでいて、一

応常識人を自認する真一郎は、思わずめまいを覚えた。



「知らん。俺は学生服しか着ない」

「じゃあ、せめて眼鏡でもかけてみない? 恭也ならきっと似合うからさ」

「俺は視力には不自由していないが……」

「度の入ってない眼鏡も各種用意してございます。これだけあれば、恭也様の好みに合う

ものも、あるかと存じますが」

「…………ノエルさんが、そこまで仰るのなら」

「ずるーい。私とノエルで態度がちがーう」

「さてな……」



 気のない相槌を打ちながら、本当に各種取り揃えられていた眼鏡の中から、恭也は適当

な一つを選び出してかけると、す、と差し出された鏡を覗き込む。慣れないものが視界に

入るのが落ち着かないのか、目を細めてじーと鏡を見つめるその仕草を見て、過去の嫌な

何かを思い出したのか、国見が悪魔でも見たかのように顔を引きつらせていたのだが、唯

一それを見ていた真一郎(役者兼AD)には、彼が何故そんな顔をするのか理解できてい

なかった。事情を知っている耕介(役者)と夏織(役者)は、次の撮影場所で待機してい

るから、彼がその事情を知るのは、もう少し後のことになる。



「どうだ、相川。可笑しくはないか?」

「ばっちり決まってますよ。ポーズでもとってみたらどうです?」

「お前も月村みたいなことを言うのだな……」



 だが、それでも褒められれば嬉しいのか、満更でもない様子で恭也は懐から銃を抜くと、

さくら達に指示を出していた忍に向け――



 ぴたり、と自分のこめかみに突きつけられた銃に、動きを止める。



「……」



 無言で銃を構えるのは、ノエルだ。忍はこちらには気付いていない。彼女に視線を送っ

ているのは、恭也を眺めていた真一郎と、国見、和真である。離れてみていた和真に視線

を送ると、彼は慌てて首を横に振った……初動を見ていなかったらしい。



「人に銃を向けるのは危険です、恭也様」

「……身にしみて理解した。以後、気をつける」

「ご理解いただけて、幸いです」



 にこりと微笑み、ノエルの手に握られていた銃は魔法のように消えうせた。小道具担当

なのだから、銃を持っていても不思議ではない、不思議ではないのだが、何故だろう……

彼女の持つ銃からは、不思議なプレッシャーを感じた。



 恭也と顔を見合わせ、同時に小さくうなずく。男と男の視線会議で、彼女には逆らわな

いということが、一瞬で決まった。



「ノエルさん、強いんですか?」

「さあな。戦ってみないことには、それは分からん。隠した実力を看破できるほど、俺は

達人ではないつもりだからな」

「仕掛けてみます?」



 冗談のつもりで言ったその言葉を、恭也は正しく、冗談だと理解したらしい。眼鏡をか

けたまま嘆息すると、口の端をあげてにやり、と笑ってみせた。



「君は、バカか?」