相川真一郎が覆面二人組みに追い掛け回され、高町恭也によって助け出されていたちょう

どその頃。風芽丘側の校舎、三年G組の教室では別の出来事は起こっていた。



 乱雑に隅に追いやられた机によって確保されたスペースに、後ろ手に拘束され、ついでに

ロープでまかれた女性が一人に少女が一人。神咲十六夜と久遠の二人である。出るところは

出て、引っ込むべきところはちゃんと引っ込んでいる二人なだけに、そこから漂う背徳的な

エロさは、これが仮に映画なのだとすればそれだけで客を取れるくらいに、人の目を引いて

やまない。



 教室の外では、彼女らの扱いに関して誰かが文句を言っているような声が聞こえるが、誰

もそれに取り合っている気配はない。まぁ、この場には関係のない話である。



 教室の入り口付近には、彼女らを監視するように覆面が二人。それぞれ木刀と拳銃で武装

しているが、その身にまとう空気は武装したもの特有の触れれば切れるようなものではなく、

集団でムードメーカー的なポジションにいる人間が、必殺のギャグをすべらせた瞬間を目撃

してしまったかのような、やるせない空気を漂わせていた。それも――



「きついー」

「我慢なさい、久遠。耐え忍んでこそ女は美しいのです」

「久遠は、今でもかわいいもん。しんいちろーはそう言ってくれるもん」

「貴女が愛らしいのは私も認めるところではありますが、それに甘えて研鑽を怠ってはいけ

ません。真一郎様のためにも、私達は常に最高でなければならないのです」

「なにをすればいいの?」

「そうですね、例えば――」



 彼女達は覆面を無視して、ずっとこんな話を続けていた。立場上話に加わる訳にも行かず、

加われたところで何を話せばいいのか分からない覆面二人は、彼女達二人を眺めるくらいし

かすることがない。



 しかし、それにもしびれを切らしたのか、覆面の僅かに背の低い方が口を開く。



「なぁ、あー、お前の名前なんて言ったかな……浜中?」

「違いますけど……言いたいことは分かりますので、それでいいです。何ですか?」

「俺達は監視のためにここにいるって役回りだよな。ってことは、ずっとこれを眺めてなき

ゃいけないのか、鳥谷」



 これ、というくだりで、十六夜達をあごで示す覆面(小)。覆面(大)はそれを頬をかき

ながら見やり、その覆面の下で苦笑を浮かべる。



「そうなりますね。俺も待機ってことしか話は聞いてませんから」

「こんな話を聞いてて、誰か喜ぶ人間がいると思うか? 金本」

「特殊な趣味の人間なら……」

「まぁ、眼福ではあるけどな。そうでもなけりゃ、俺はとっくに逃げ出してるぞ、掛布」

「分からないでもないですけどね。でもそういうこと言ってると、貴方のお師匠様に殴られ

るんじゃないですか?」

「その辺は問題ないぞ、グリーンウェル。何故だか知らんがあの人は、このテの話題には寛

容なんだ。しかしなんだ……俺もこういう学生時代が送りたかったな」

「モテたんじゃないんですか? 剣道部で活躍してたと聞きましたが」

「あの師匠の修行に付き合わされて、俺には女を追っかける時間なんてなかったぜ、井川。

耕の奴は……いや、どうだか知らんがね」



 ちら、と虚空に視線を移した覆面(小)は、疲れたように首を横に振ると大きくため息を

ついた。



「とにかく俺は仕事が恋人なんだよ、ユージ」

「悪いこと聞いたみたいで、すいません……今までで一番近いような気がしますが、何でユ

ージなんですか?」

「俺の相方はユージって、二昔前から決まってんだよ。さて、いい加減話を進めようか。今

なら急かしたところで誰も文句は言わんだろう」



 懐から拳銃を取り出し、覆面(小)は女性と少女に歩み寄る。縄で縛られたまま、二人は

まだ『女とはかくあるべき』のテーマでトークを続けていたのだが――



「――だから、私達は真一郎様を何があってもお守りできるくらい、強くなくてはならない

のです」

「久遠、強いよー」

「そしてそれを真一郎様に知っていてもらわなくてはなりません。そうでなければ、真一郎

様も安心できませんからね。だから、適度に『私達は強い』ということをアピールする必要

があります。あくまで控えめに、という条件が付きますが」

「かっこよく?」

「貴女なら、それでも構いません。誰にでも分かりやすい結果を示すことが肝要なのです」

「じゃあ、もうやってもいいの?」

「ええ、構いません」



 二人の視線が、覆面の各々を捕らえる。久遠が入り口付近の大きい方の覆面を、十六夜が

今まさに近づいている途中だった小さい方の覆面を捕らえる。



 体を走った怖気に覆面二人が木刀を構えるのと、彼女らが手品のように縄を抜け出すのは

ほとんど同時だった。



 獣のような低い姿勢で駆け出した久遠が、そのまま相棒の覆面(大)に襲い掛かるのを横

目で見ながら、覆面(小)は左手の拳銃を真後ろに放り投げ、木刀を正眼に構えなおした。

相対した女性――十六夜は武器を持たず構えも取らず、穏やかな笑みを浮かべて覆面(小)

を見返している。



「お久しぶり、というべきなのでしょうか」

「俺は覆面のテロリストだ。お前なんぞ知らん」

「そうでした。では、お覚悟を、と」



 言って十六夜は深々と頭を下げ――覆面(小)の視界から姿を消す。



「くそっ、いきなりかっ!!」



 社会人になって鈍った体を意識しながら、それでも学生時代に培われた本能に従い、木刀

を右手に踏み込んできていた十六夜に振り下ろす。



 先回りされたことに十六夜は軽い驚きの表情を浮かべるが、余裕を持って足を止め、僅か

に後ろに下がってこれを避ける。覆面(小)の木刀は振り下ろした勢いのまま十六夜を追っ

て突きに移行するが、彼女は僅かに体を逸らしてこれを避け、逆に踏み込んでくる。



 十六夜の閃光のような手刀――に見せかけた、逆手に握られた鉛筆による一撃を、覆面(小)

は何の躊躇いもなく木刀を手放し、大きく後ろに跳び退ることで避ける。



 勢い余ってすっ転びそうになる体を何とか制御し、覆面(小)は十六夜を睨みやる。



「……鬼に金棒ってことか?」

「まぁ、女性に鬼などと言うものではありませんよ」



 ころころと笑う十六夜の手には、覆面(小)が手放した木刀が握られていた。大して覆面

(小)の手には武器はなく、ついでに言えば彼は無手による戦いを得意とはしておらず、さ

らに言えば眼前の相手はああいった得物を持って戦うことを何よりも得意としている。噂に

聞いた限りでは、師匠に一撃を見舞ったこともある正真正銘の天才だ。



「降伏してくだされば、悪いようにはしませんが?」

「冗談だろ。敵を前にして降伏したとなれば、俺は師匠に殺される」

「真理です。あの方ならそれくらいやりかねません」

「結託してそのお方を妥当するってのはどうかね」

「冗談を。結託した程度であの方に勝てるのだったら、私はとっくにあの人に土をつけてま

すわ」

「ああ、真理だな」



 腰を落とし、じっと十六夜を見つめる。正眼に構えるその姿に、覆面(小)は隙を見つけ

ることができなかった。自分はこの女には勝てないと確信する。



 利口な人間なら勝つことのできない戦いには臨まないだろうが、『始まった戦いから逃げ

る』という選択肢は、覆面(小)の人生から削除されている。どうせ負けるのなら、誇らし

く負けるべし……負けの前には等しく半殺しが待っていたが、それを悟れたことで覆面(小)

の人生は少しだけ変われた。



 負けることに前向きになれた。



「では、参ります」



 ゆらり、と水が流れるように十六夜が動く。木刀は既に振りかぶられ、覆面(小)を狙っ

ている。避けるか、受けるか。受ければ意識を刈り取られ、避ければ追撃され、振り出しに

戻る。そんなビジョンがはっきりと見える。



 その二択……覆面(小)は、受けるを選択した。



 避けるものと思っていたらしい十六夜は僅かに眉をひそめるが、その動きに緩みは生まれ

ない。激突までは数瞬――



 覆面(小)が、動く。



 十六夜をぎりぎりまで引きつけた状態で後ろ手に、ベルトに差し込んでいた拳銃を引き抜

き、今まさに木刀を振り下ろさんとしていた十六夜にポイントする。



 十六夜はもう止まれない。木刀は覆面(小)に直撃するだろうが、攻撃動作に移行した十

六夜もまた、直撃を受けることになる。覆面(小)は負けるが……負けない。



 覆面(小)は引き金を引き、十六夜は木刀を振り下ろす。



 木刀は――覆面(小)の拳銃を真横に弾き飛ばした。銃口が僅かにそれた瞬間、吐き出さ

れる弾丸……ありえない、と覆面(小)の顔が驚愕の色に染まる。十六夜は笑顔を維持した

まま、木刀を切り返し、





 そして、覆面(小)の人生に、また一つ黒星が刻み込まれた。



























「はい、カットー」



 やる気のない忍の声と共に、手の余っている人間がフレームに入ってくる。立ち回ったせ

いで教室が少しばかり荒れてしまったが、軽く見てみた限り許容範囲だろう。壊れた物は最

悪弁償して済ませればいい。それで何とかなる程度には忍と葉弓が話をつけているはずだ。



「国見さん、本気で気絶してるけど?」

「気にするな。うちの母を相手にしてる人間なら、どうせいつものことだ」



 木刀の切っ先で顎をかすって、ただの一撃で気絶させた。後遺症も残らない、スマートな

やり方だ。圧倒的な実力差のある相手を前にこれなのだから、覆面(小)は役柄として幸運

と言うべきだろう。不肖の母を相手にしていたのなら、鼻歌交じりで半殺しだ。



「しかし、神咲の姫様は凄い腕だな」

「生きてたのか、赤星」

「随分な言い草だな。これでも男子剣道部の部長だぞ?」



 これからも撮影があるため覆面はしたままだが、その下で覆面(大)――赤星は、得意そ

うに微笑んだようだった。普段はあまり自己主張をしない人間のフランクな部分に、恭也の

顔にも自然と笑みが浮かぶ。



 だが、言うべきことは言わなければならない。



「お前が相手にしたアレは、人間の中でも規格外の部類に入る。俗な言い方をすれば天才だ

……姫とはまた、違う意味でだがな」

「俺は天才じゃないからなぁ……運が良かったんだろう」



 赤星勇吾は肩をすくめ、折れた木刀を掲げて見せる。いくらか殴られはしたようだが、目

だった被害はそれだけのようだ。恭也の笑みが、静かな苦笑に変わる。



「気まぐれなのが救いだな。アレは母と違って発揮される実力に非常に斑がある」



 件の久遠はカットの声がかかると共に脱兎のごとく駆け出し、真一郎に飛びついていた。

笑顔のままゆっくりとそちらに向かう十六夜の手には、木刀が握られているが……まあ、誰

も死ぬことはないだろう。



 もっとも、武器を持った彼女を止めることのできる人間はこの場にはいないのだから、気

にしてもしょうがない。正義感に燃えてでもいれば彼女を止めるのだろうが、高町恭也はそ

んなことはしない。無駄な戦いはしない主義なのだ。



「根本的な質問してもいいかな、高町」

「無意味な質問がきそうな予感がするが……なんだ?」

「これはさ、どういう映画になるんだ?」

「さあな。そういう質問は月村にしてくれ」



 映画になっているかどうかも怪しいが、最終的には彼女が満足のいく作品に仕上がってい

ることだろう。それが汚点になるかそうでないのかは、受け取る側の人間――出演者、協力

者の心持次第だ。



 恭也はもうどんな作品ができようが、それもまた人生と諦めていたが、この気持ちのいい

友人はおそらくそこまでの覚悟はできていないだろう。最終的に出来上がったものに彼がど

んな顔をするのか、想像するのが少しばかり怖い。







 だから祈る――祈るだけだ――せめて彼の清廉潔白な経歴に、傷がつきませんように、と。