すのう・ほわいと 第三話











「この地方に五月に雪なんて…反則だと思いませんか?」
元々歩き難い道をさらに歩き難くしているそれに悪態をつく。
だが、それでも別段歩き易くなった訳ではなかった。
「昔の術者は天候を操ったと聞いている。雨乞いとかがその代表例だけど」
「封印されている者の影響でこうなったのだとしたら、恐ろしいですね」
真一郎に僅かに遅れて歩く薫とさくらが同じようにぼやく。
日も落ちた森の中。
彼らは昼間の現象の原因を突き止めるため、湖近くの社を目指していた。
「これだけ近くにそんな化物がいたのに、どうして誰も気付かなかったんでしょうね…」
「よほど強力な封印がしてあるんだろうね。うちは近くに行っても分からなかったよ」
ふと、開けた場所に出る。
月の光で鈍く輝く湖から僅かに離れて、その社はあった。
時代を感じるのに朽ちた印象はなく、こじんまりとしていてもどこか神聖さがある。
「…この社が封印の要なんですか?」
「おそらくはそうなんだろうが……御神体がなくなってる」
「やばくないですか?それで封印が弱まったとか…でも、なくなるなんて、一体どんな
御神体だったんですか?」
「こんな…」
薫は手を動かして、大きさを示した。
「ちょうど氷那くらいの大きさですね」
「先輩、もしかしたらその物かもしれませんよ」
まだ社を調べていたさくらが、その入り口を指す。そこには『氷那社』とあった。
「あの生物が封印の要?」
「そうなると…あの雪という娘も関係があるということか…」
重苦しい沈黙。
真一郎は視線を巡らせて湖を見た。
化物の気配でも探れないかと感覚を研ぎ澄ませるが、今は封印が正常に働いているのか、
それも徒労に終わる。
「帰ろう」
「何も手段は講じないんですか?」
「うちらにできることは何もない。ただ一時的に封印が弱まったとも考えられるし、う
ちはそう思いたい」
「そう…思うことにしましょうか。でも、寮に戻っても化物と同じくらいの脅威がある
と思いますけど…」
「…分かっちょる…分かっちょるが、それもどうにもできん」
「まあ、さざなみ寮の味ですから…」
真一郎達は苦笑して、社を後にした。











「唯子〜マグナ〜ム!!」
脅威発生。
真一郎の周りでは既に凶器と化している雪球が、唸りを上げて飛び交っていた。
尻尾頭唯子の狙いは主に幸薄い少女ななかだったが、彼女は悲鳴をあげながらも奇跡的
な動きでもって、殺人魔球を全て回避していた。
向こうの方では弓華といづみがこれまた人外な戦いを繰り広げている。
そして、真一郎は―
「おりゃ〜」
「え〜い」
参加者の比較的平和人の雪合戦の中に混じっていた。
愛やゆうひのそれは、向こうの人外魔境と比べると天国と地獄だった。
「ほら、雪さん」
雪合戦に参加せずにぼ〜っとしていた雪に、真一郎が雪球を差し出す。
「参加しないと。それとも、楽しくない?」
「いえ…楽しいですよ」
「じゃあ、参加。俺が手本を見せるから…」
真一郎は鷹になった気分で得物を探した。
全力で放り投げても大丈夫なくらい頑丈で、後で謝れば許してくれそうな的は―
「お前だ、岡本!」
「わ…」
予想外の襲撃に、さすがのみなみも反応できずまともに顔面に決まる。
そして、見ようによっては悪魔に見える笑みを浮かべて真一郎は雪玉を振りかぶって―
大きく後ろに飛び退った。
その直後、殺人的な速度の雪球がさっきまでいた場所に着弾する。
「ふっふっふ…みなみちゃんの仇、覚悟しろ真一郎」
「ついに来たかしっぽ頭…そろそろ決着をつける頃だと思ってたけど…何か俺に恨みで
もあるのか?」
「真一郎、最近遊んでくれないからその仕返し!」
二人はそのまま不敵に笑いあうと、雪玉を一個ずつ持って身構えた。
そのまま、時間が流れること数秒…
「鷹城スクリュー!!」
「相川ブラスター!!」
謎の技名と共に投げ出された雪玉は、空中でぶつかり合い、どちらも対象には命中しな
かった。
真一郎は、予め作っておいた雪球二個を取り上げると、左に持ったほうを唯子に投げつ
ける。
彼女は余裕を持ってこれを避けるが、これはフェイント。
避けられないタイミングを狙って残りの雪玉を唯子に放り投げ…られなかった。
「あまいなぁ、相川」
その声と気配に気付いた時には、唯子の陰から飛び出したいづみが真一郎の雪玉をピン
ポイントで叩き落していた。
真一郎は逃げようと飛び退るが、いづみの唯子に劣らぬ剛速球が彼の腹に命中。
たまらずに肩膝をついたところに、唯子の雪球が顔に着弾。真一郎は雪のマットに沈ん
だ。
「うめてまえ〜」
ゆうひの非常な号令以下、唯子達が真一郎に大量の雪を被せ始める。
不覚を取ったとは言え、真一郎なら逃げられるはずなのだが、最初にみなみが動いたた
めに、逃げようとした時には既に雪だるまだったのだ。
「七瀬…さくら…助けて」
「お呼びとあらば」
「即参上」
そんな声と共に襲来した唯子匹敵する速度の雪球十数個で、即席の真一郎埋め立て班は
わらわらと散っていった。
「だいじょうぶ、真一郎さん」
「く〜あ!」
一声気合を入れて、雪を全て払いのける。
頭から足の先まで雪まみれだったが、真一郎の目には炎が燃えていた。
「真一郎さん?」
「だ〜いじょうぶ。雪さんはあっちの小鳥だるまを救助しておいて。俺はあっちの連中
 を仕留めてくるから」
そのあっちでは、唯子班と七瀬達がこれまた人外の勝負を展開していた。
七瀬たちの方が少ないのに、形成は互角。真一郎が加われば勝てるだろう。
「じゃあ…いってきます」
「はあ、頑張って」
「ありがとう」
真一郎は雪だまに恨みを込めて固めると、唯子達に向かって駆け出した。















「くそ…なんかついてない」
所々腫れている体を摩りながら、真一郎が乱闘の後残る庭に屈んでいた。
ちなみに、雪合戦は真一郎サイド優勢のまま進んでいたが、唯子といづみが予想外のコ
ンビネーションを発揮し、それから審判だった十六夜達がルールを理解していなかった
ため、ドローとなった。
(薄情者どもめ…)
天然のエコーのかかった調子の外れた鼻歌が聞こえる。
それに合わせて歌う声も笑い声も幸せそうだ。
「だいたい。あれだけ雪合戦やってどうして俺だけが財布を落とすんだ?」
その事実に気付いたのが雪合戦が終了した直後。
別に大金が入っている訳ではないのだが、あの財布は小鳥に誕生日に貰ったお気に入り
なので、なくすには少し惜しかったのだ。
雪をはじめ、心の優しい何人かは手伝ってくれると言ったのだが、ちょっとした―さり
気なく七瀬やさくらの力を使った集中砲火を根に持った唯子が、彼女らを連れていって
しまったのだ。
その唯子を含めた彼女らは今風呂に入っていて、まだ雪の降る庭に出ているのは真一郎
と―
「運が悪かったと思ってあきらめなさい」
真一郎の永遠のパートナー、七瀬にみである。
ちなみに彼女、まだ普通の人っぽく振舞うのを続けているらしく、足はちゃんと地に付
いている。
「手伝いが七瀬しかいないのは運のせいじゃなくてしっぽ頭のせいだ」
まったく…とぼやいて、財布のサルベージを再開する。
普段は特に広いと思わないこの庭…しかし、今日は雪が積もっている上に屈んでいるの
で、小憎らしいまでに広く見える。
これで実は財布は家にあったという落ちだったら、真一郎は本気で泣くかもしれない。
「…真一郎」
「見つかったか!」
「違う違う。あれ…」
「ん?…真雪さん、なにやってるんですか?」
隠密行動を取っていたらしい彼女はその声に痛く驚き、慌ててこちらを振り向くと「黙
れ!」のジェスチャーを送ってきた。
その手に握られているのはビデオカメラ。そして、壁の向こうには唯子達のいる風呂場
がある。
「同じ女性としては…止めるべきなのかな?」
「…心の中ではやっちゃえって感じがあるけど、やっぱり止めるべきだろうねぇ」
「でも…真雪さんだし…」
「困ったねぇ〜」
既に傍観を決め込んだ声で呟くと、真一郎は何の気なしに振り向いた。
何故そうしたのかは分からない。それは、偶然だった。
「七瀬、真雪さんを!」
そう支持して身構えると、地面からそれが現れた。
太さは子供の手首ほどか…触手と形容するのが相応しい形態で、その先端は凶器の如く
鋭利に尖っていた。
(あれで刺されたら痛いだろうな…なら!)
「先手…必勝!」
真一郎は拳を固め、まだ出現しきっていない触手の根元近くを狙って突いた。
確かな手応え。だが、それを倒すには至らなかった。
(浅かったか!)
心の中で舌打ちして慌てて飛び退るが間に合わず、出現しきった触手の鋭利な先端が真
一郎の左肩を浅く裂いた。
「真一郎!」
「来るな!心配ない!」
見回すと、他にも何本か触手が出現しようとしていた。
物理的な攻撃が効く以上たいした敵ではないし、凌いでいればそのうちさくら達がくる
だろうが、受けだけというのは癪に障る。
(初の実戦…修行の成果見せてやる)
呼吸を整え、体内の霊力を練る。
体の…引いては魂の奥底から湧き上がる熱い感覚。
後は、これを解けば撃つなり留めるなり術者の好きなように扱える。
この能力、実戦で使用するためには普通、それなりの修行を必要とする。
真一郎がこのレベルに達したのは、約一月半。
それを、耕介や薫ほどの霊力を持たない彼が、何の力も借りずに行ったのだ。
驚異的なスピードを発揮した原因は、霊力の何たるかを本能的に知っていたこと―霊に
取り付かれていたことにあった。
同意なしに霊が生者に取り憑けば大抵の人間は正気を失い、下手をすれば発狂して命を
落とすこともある。真一郎のようなケースは稀と言っていい。
そんな幸運と持っていた才能。扱い方だけだったら、彼は既に耕介達を超えている。
「神気…」
霊力を解放し、腕に留めようとした所で異変が起こった。
全ての触手の動きが鈍くなっている。それは段々と進行し、やがて止まる。
触手の表面を雪の延長のような薄い霜が覆っていた。
「……砕けて」
そのか細い声に反応して、全ての職種が粉々に砕け散った。
「雪さん…」
いつの間にか外に出ていた彼女は額を押さえて、苦しそうに壁に寄りかかっていた。
「…ごめんなさい。あれは、私の」
「記憶が戻ったの?」
雪は持ち直し、裸足のまま地面に降り立った。
寒々しい光景に真一郎は眉を顰める。
「私は…三百年前、あの子―ざからに滅ぼされた雪女の一族の生き残り…」
地面の雪が…彼女の足に収束し、瞬く間に靴の形を取る。
続けて自分の服に手を滑らせると次の瞬間には白と紫を基調とした和服に変化していた。
「あの子は…骸様の影を追って…相手を探している。自分の乗り手となる人間を…」
「雪さんは…一人で行くつもりなの?」
背を向け、既に歩き出していた雪は足を止め振り返った。
「真一郎さん、私は貴方に会えて嬉しかった。みなさんと一緒にお話して…遊んで…初
めての経験ばかりだった」
雪が手を差し出すと、その上にどこからともなく現れた氷那が乗る。
「だから…私が大切に思えた場所だから…私は行きます。もう…普通の暮らしをしてい
る、普通の人を巻き込めません」
真一郎達は顔を見合わせると、項垂れた。三人とも一様に方を震わせている。
「あの…私は…」
続けようとした雪を真一郎が手で制する。
「…ふ」
「ふ?」
雪が首を傾げる。七瀬も真雪も何も言わずに方を震わせ続けている。
「は…ははっ!」
「あっはっは―!」
誰が最初に堪え切れなくなったのか、真一郎達は堰を切って笑い出した。
服が濡れるのも構わず地面に膝を付き、息が切れるまで笑い続けた。
「…あ〜久しぶりに大笑いしました」
「だな。まさか、あたし達を捕まえて「普通」とか言うんだもんな」
「一番縁のない言葉だね」
「あの…どういうことでしょう?」
「つまりは…こういうことさ」
そんな声と共にフィンを展開したリスティが、真一郎の隣りに転移する。
突然のことに固まっている雪をよそに、困った笑みを浮かべた知佳がリスティの隣りに
並ぶ。もちろん、フィンは展開済みだ。
「変異性遺伝子障害病患者、雪の時代にあったかどうか知らないけど…僕らはその特殊
ケースなんだ」
「体が弱かったりしますけど…色々できたりします」
「無事か、相川君」
「耕介さん、気付かれてたんですか?」
「相川君が戦おうとしてるのが分かったからね。はい」
耕介は真一郎に篭手を放り投げ、自らは腰に愛刀『御架月』を差した。
「えと、改めて。さざなみ寮管理人兼コック兼神咲一灯流霊剣使い見習、槙原耕介」
「神道破魔、霊剣『御架月』シルヴィと申します」
「お…遅くなりました」
既に式服に着替え「十六夜」を手にした薫が、いづみに弓華、さくらを連れて居間へと
入ってくる。
「うちは、神咲一灯流当代、神咲薫です。こっちが霊剣の十六夜」
「大急ぎで風呂から上がったので、途中でこけたことは秘密なのだ」
「黙っとれ、陣内」
照れた薫は睨んで凄んで見せるが、美緒は持ち前の逃げ足の速さを発揮して、あっと言
う間に愛の後ろに隠れた。
「私は…一応忍者なんてやってます」
「私の方は、凶手です」
「夜の一族…貴女と近いかもしれませんね」
さくらは耳を出し、一瞬だけ目を赤く染めて見せた。
「みんな…さっきの話聞いてたの?」
「深刻そうな話だったからね、僕がみんなに中継しておいたよ。風呂の人達もみんなも
うすぐ出てくるはずだよ」
「いい判断だ、ぼうず。で、あたしは日門草薙流跡取予定、草薙真雪だったことがある。
 まあ、この中では一番剣の扱いはうまいな」
「次は、私」
七瀬は大きく伸びをして僅かに宙に浮くと、わざわざ一回転して降り立った。
「…私は真一郎の守護霊。兼、奥さんの春原七瀬」
「お…奥さん!?」
「永遠のパートナー…って意味だけどね。法的な意味での結婚はしてないよ。俺は霊剣
使いじゃないけど、神咲一灯流退魔師見習、相川真一郎」
「……」
「ここには死ぬかもしれない場所に行く雪さんを放っておける人なんていないよ。それ
からこれは俺の意見だけど、そんな泣きそうな顔してる雪さん、嫌だ」
氷那が雪の手を離れ、真一郎の手に収まる。
「一緒に御飯を食べて一緒に遊んだ仲間じゃない。ずうずうしいかもしれないけど、俺
達にも手伝わせてほしいんだ」
呆けた顔のまま、雪は真一郎を見つめていた。
人間ではない自分、彼はそれを受け入れてくれた―仲間だと言ってくれた。
自然と笑みが―愛しさが込み上げてくる…
(…私は…この人が好きなんだ…)
「……はい、お願いします」
この瞬間、彼女は本当にさざなみ寮の仲間になった。








「決まりだな。リーダーズ、作戦はどうする?」
「待っていてもいいことなかですから、今から攻めます」
「メンバーは…俺と薫、相川君、春原さんに綺堂さん、弓華と雪ちゃん…後は、知佳か
リスティのどっちかついてきて」
「それなら僕が行くよ。バリアの出力は知佳の方が上だからね」
「あたしと忍者少年は?」
「ないとは思いますけど、もしさっきのがここを襲ってきた時のため…」
「じゃあ、各々準備を済ませて、出発は十分後で…」
『了解!』
出撃組みは装備を整えるため、そうでないメンバーも、それぞれにできることをするた
めに散っていく。
「ねえ、知佳」
自分の体以外持っていく物のないリスティは、ゆうひ達にすることを取られてしまった
ためにすることのなくなっていた知佳に声をかけた。
「相川先輩は…ああいうふうにして、みなみのような女の子を増やしていくんだね」
「あれは…みなみちゃんじゃなくても負けちゃうかもねぇ」
「知佳も惚れた?」
「私は!…他に好きな人がいるもん」
「その好きな人は真に鈍感だけど、相川先輩は確信犯じゃないかな?」
「そうだったら、いっぱい泣く人でてきちゃうよ」
「恋っていうのはそういうもんさ。だから…おもしろいんだ」
「リスティ…お姉ちゃんと同じこと言ってる。将来お姉ちゃんみたいになるかも…」
「やめてくれ。想像しただけで寒気がする」









奥からは楽しそうな声が聞こえる。
死地になるかもしれない場所へ行く直前にしては、緊張感に欠けるかもしれない。
いや、そんな雰囲気だからこそ他人のために何かをしようとする、そんな人間達が集ま
るのかもしれない。
運命とか、神とか―ここに集まるべくして集まったなんて、そんな言葉、昔は吐き気が
するほど嫌いだった。
他人のため―そんなことは偽善だと信じて疑わなかった。
(偽善だっていい…それで、みんなを守れるなら…)
世界は誰にも優しくない。だから、運命とか、神とか…そんな曖昧な物に頼ってはいけ
ない。

雪は止んでいた。
雲の少ない夜空に…星が輝いている。