すのう・ほわいと   エピローグ














「ん…」
寝ぼけ眼に日の光が飛び込んでくる。
いつの間にか眠っていたようだ。
体を起こして大きく伸び。そして、時間を確認しようとして…苦笑した。
(時計は荷物の中だったかな?)
太陽はちょうど真上に差し掛かっている。適当に正午くらいだと当たりをつけた。
「おはよう、真一郎」
「おはよう七瀬。ずっと膝枕してくれてたの・
「そだよ。しっかりと真一郎の寝顔観察させてもらったから」
「見てて楽しいものでもないでしょう?」
真一郎は欠片も自覚のない笑みを浮かべて、立ち上がる。
近くを流れる小川に歩み寄って、冷たい水で顔を洗った。
こういう自然が近場にあるのは、武術家として重宝する。
高校最後の夏休み…十蔵の指示で、真一郎は現在海鳴市内某所に山ごもり中だが、いざ
暮らしてみると、これが中々過ごしやすいのだ。
鍛錬の相手もいづみや瞳など、とかく暇を持て余した連中が一日おきくらいにやって来
るので、事欠くことはない。
(ま、最強の相手は一緒に寝泊りしてるけどさ…)
また心の中で苦笑し、顔の水滴を払い伸びたままの髪を古いリボン(唯子のおさがり)
で縛る。
「そろそろ、お昼だよね」
「そう言えばそうね。今日の当番は雪だったっけ?」
「そだよ。なにせ味付けが昔風だから、俺としても参考に―」
「ご主人様〜」
…何と言うか、表現しがたい感情に捕らわれて、真一郎は頭を掻いた。
見ると、七瀬が俯いて、必死に笑いを堪えている。
そうこうしているうちに、その元凶が姿を現し、てぺてぺと駆け寄ってくる。
「ご主人様。ご飯ができたので早く来てください」
「あのね・・・ご主人様ってのは・・・いや、嫌いな訳じゃないけど・・・やめてって
 言ったでしょう?」
「・・・そうでしたね。ごめんなさい」
その声の主は、深々と頭を下げた。
ポニーテールに結われた銀髪に近い白髪が、さらりと流れる。
「今日のご飯はなに?」
「それは、見るまでのお楽しみなのです」
そう言って、邪気のない笑顔を浮かべる少女に、何か恥ずかしくなって、顔を逸らす。
この少女はいつもそうだ。
背丈も顔立ちも真一郎の年代と変わらないくせに、言葉遣いと行動がやたらと幼い。
それも、似合っているから別にいいのだが・・・
「ねぇ。どうしてそういう格好してるの?」
「はぁ・・・似合わないですか?」
こくんと首を傾げると、少女はその服―薫の式服と巫女服を足して二で割ったような特
殊な和装―の裾を両手で摘んでくるりと回って見せた。
似合わない・・・どころか、殺人的に可愛い。
可愛いが・・・それを認めたくない、認められない根本的な理由が彼には存在する。
「似合うけど・・・今度は、他の服も着ようね・・・・・・ざから」
「はい!」
時間にしておよそ三月ほど前、真一郎達と激闘を繰り広げたあの魔獣は、今こうしてこ
こにいる・・・
















「さて、今日のご飯はカレーですか・・・」
結局、真一郎達に知らせるだけ知らせて先に帰ってしまったざからを追って、仮住まい
のテントまで足を運ぶと、そんないい匂いが彼の鼻をついた。
「はい、口に合うかどうか分からないけど…」
愛から借りた軽装に身を包んだ雪が、皿にご飯を盛って真一郎に渡す。
彼は自分の好みの量を盛って、何だかとてつもない勢いでカレーを平らげるざからの隣
に座って、自分もカレーを食べ始める。
「…うん。おいしいよ」
真一郎がそう言うと、雪は安心したようにため息をついた。
「よかった。ここに来る前から挑戦しようと思ってたの」
「でも、雪さんが料理できて助かったよ。俺が作るんでもいいけどたまには人が作った
料理も食べたかったところだし」
「小鳥さんとか…作ってくれないの?」
「う〜ん…頼めば作ってくれるかもしれないけど、最近は昔ほど一緒にいるわけではな
いし…退魔の修行と空手を再開するようになってからは、特にね」
「ごめんなさい…聞いちゃいけなかった?」
「ううん。そんなことないよ。どっちも楽しいし、それほど遊べない訳でもないから…」
「真一郎様は遊んでる場合ではないです!」
ざからがびしっと、真一郎にスプーンを突きつける。
「早く私と同じくらいの強さになってもらわないと困ります」
「ざからと同じレベルで打ち合える人なんて…もはや闘神だよ」
苦笑しながら、自分に向けられたスプーンをどける。
彼女―ざからの実力は恐ろしい物がある。
ああだった時そのままの腕力に、元々のセンスと実戦経験が絡み合った上、へたに自分
達と同じサイズになってしまったために余計に手がつけられないのだ。
以前、レクリエーションのつもりで真雪が喧嘩を吹っかけた所、この少女はかすりもさ
せずに彼女をのしてしまった。
その後、薫や耕介、いづみなど真一郎が知る限りの実力はのメンバーが立て続けに挑戦
したが、その結果は押して知るべし。
とにかく、さざなみ寮における何かの順位が、綺麗に変動したわけだ。
「こうして食べるのも面白いですけど、やっぱり戦ってる方が面白いです」
「いや、そういう所だけそのままでいられてもね…ほらほら、この苺おいしいよ」
「ありがとうです…でも、真一郎様は強くなってください。ほら、修行始めますよ」
「待って…俺、もう少し食べたいんだけど…」
「ご飯は逃げません。さあさあ、早く始めましょう」
こうなってしまった時の彼女には手がつけられず、真一郎はなす術もなく引きずられて
いく。
「雪さん…悪いけど、後片付けよろしく」
「はい。がんばってください」
真一郎はぎこちない笑みを浮かべたまま、最近の修行場になっている原っぱへと消えて
いった。
雪はしばらくその方角を眺めていたが、使われていた食器をまとめて立ち上がる。
「私も持つよ」
「…ありがとう」
全体の半分を七瀬に渡して、二人で近くの小川まで歩き始める。
新緑の森。空は綺麗に晴れていて、空気は心地よい。
三百年…彼女はこの空気に触れていなかった。
それは、まだ精神の発達していなかった彼女にとっては拷問に近かったかもしれない。
だが、その三百年は彼女にとっても自分にとっても価値のある物だった…と今では素直
に思える。
「真一郎もよく付き合うわね…叩きのめされるって分かってるのに…」
「真一郎さんも、ざからと「遊ぶ」のが好きなんですよ。きっと…」
「ねぇ、不躾なこと聞くけど…」
「はい、何でも聞いてください」
「雪って…真一郎のこと好きよね?」
「は?」
「あ、別にだからどうこうって訳じゃないの。確かに私は真一郎の「永遠の伴侶」だけ
ど、誰が真一郎を好きになっても別に干渉するつもりはないから」
「…真一郎さんを独占したいとか、思わないんですか?」
「そりゃあ、あんなに可愛い顔してるんだしそう思うこともあるけど…そうするのは間
違ってると思うの。私が真一郎を好きなのは変らないし…それでいいかなって…」
「大人ですね…なんか凄いです」
「何年も地縛霊やってたからね。変に達観しちゃったのかも…って私の話はどうでもい
いの。雪は、真一郎のこと好き?」
「……はい、大好きです」
「ぐっど。これから私や…雪やざからと真一郎の関係がどうなるか分からないけど、と
りあえず長い関係になりそうね…よろしく、雪。私のライバル」
「はい。よろしくお願いします」
「とにかく、真一郎狙ってる娘は多いから気をつけないとね」
「そうですね…瞳さんとかさくらさんとか―」
ど〜ん!!と、地を振るわせる轟音が辺りに響き渡った。
間を置かずして、何本か木の倒れる音が聞こえる。
ざからの「鍛錬」の影響だろう。それに付き合っている真一郎はやはり、凄い。
涙を浮かべながら…それでもどこか楽しそうに打ち合っている真一郎の姿が、二人の脳
裏に浮かぶ。
海鳴市の山の中…二人の笑い声が響いていった。