誰かのための歌 第二話







この前の美由希のヴァイオリンのように、人間には得手不得手という物がある。
無論、恭也にだってある。そして、その分野には決して手を出すべきではない。
なぜなら、そうすることによってしなくてもいい仕事が増えるからだ。
「おししょ、すいませんがそこのはさみ取ってもらえます?」
「うむ」
無駄に鷹揚に頷いてレンはさみを渡すと、彼女はまた作業に戻った。
「恭也、暇そうね」
「何分、仕事がまったくないからな」
振り向きもせずに答える恭也。言葉通り本当にすることがないので、さっきからずっとこうしてレンの作業を見守っている。
「それだったら手伝えばいいじゃない」
「俺に針仕事は向いていない」
黙って座っている恭也は、衣装の仕立てをしている一同からは少々浮いているが、だからと言ってそれを気にして手を出
せば、余計に仕事が増えるのは明白だった。
「ふ〜ん。恭也にも苦手なことあるんだ。それより、ねえこの服どうかな?」
「似合うんじゃないか?」
やたらと平坦ではあるが、それは間違いなく恭也の本心だった。
声をかけてきた少女―忍が着ているのは恭也の教室が出展する喫茶店(学祭の中なので、もちろん禁煙)のコスチュームである。
誰の発案かは知らないが、月村家でノエルが着ている服をそのまま改造したようなメイド服は良くも悪くも客を呼びそうではある。
ちなみに、男子用の服は執事のようなスーツだった。
向こうでは、赤星がその服を試しに着ているが、なかなか様になってはいる。
「心がこもってない気がするけど・・・まあ、いいわ」
「そうか。では、いいついでに俺は退散する」
椅子から重い腰をあげ、教室を出て行こうとするが、ふと思い至って振り返る。
「レンはどうしてここにいるんだ?」
「忍さんに勧誘されまして・・・」
「帰りに翠屋でケーキ奢ることになってるんだ。レンちゃんお裁縫得意みたいだし、私の服はレンちゃんの作品なんだ」
「すまんな、レン。これからも何か頼まれると思うが、犬にでも噛まれたと思って引き受けてやってくれ」
レンと、何やら不貞腐れている忍の頭を撫でて、恭也は教室を出た。




「恭ちゃん」
「・・・・・・美由希か?」
「そうだよ。私がフィアッセに見える?」
その肯定の言葉を聞いても、恭也は目の前にいる少女が自分の妹だとは実感できなかった。
いつものとろんとした雰囲気から離れて、今の美由希は理知的にすら感じる。
髪はお下げではなく解いて後ろに流していて、眼鏡もしていない。
そして、着ているのはここ風芽丘の制服ではなくどこか昔を感じさせる和服だった。
「それは何の仮装だ?」
「私達のクラスは和風な喫茶店をやるの。恭ちゃん達のクラスにだって負けないんだから」
美由希はそう言って、胸をはって威張って見せた。
本当は鼻を鳴らして見下ろしたいのだろうが、恭也の方が身長が高いため、その姿は負け惜しみをしている子供のよ
うだった。
「まあ、頑張れ」
苦笑して、恭也は頭を撫でた。
そうされると目の前の子供は一瞬だけ拗ねたような顔を見せたが、すぐに頬を緩めると恭也のするに任せた。
「俺はもう帰るが、美由希はまだ仕事か?」
「うん。出展する料理とか、接客のやり方とか決めるんだ。恭ちゃんは何も手伝わないの?」
「歌う俺は、それ以外の時間を自由に使う権利があるからな」
今はもう乗り気だが、独唱を押し付けられた時に恭也に与えられた権利がこれである。
自分の独唱の練習を怠らなければそれ以外の準備は手伝わなくともいいし、当日も発表の
時以外は自由にしていていいという物だ。
だが、さすがにそれだと悪いので―見ようによっては仲間はずれともとれる―恭也も要請されれば、クラスの展示を手
伝うということになっている。
もっとも、今日のような針仕事は手伝えるはずもないが・・・
「先に帰って「練習」している。ちなみに今晩も鍛錬は休まないから、そのつもりでいてくれ」
「うん、分かった」
恭也はもう一度美由希の頭を撫でると、背を向けて階段を降りた。
ふと、気になって振り返って見ると、廊下をパタパタ駆けていた美由希が何もない所で転んだ所だった。




「ん?」
薬局によって買った喉飴を舐めながら家に帰ると、鍵は開いていた。
この時間、桃子とフィアッセはまだ翠屋、なのはと美由希、レンはまだ学校にいるはずだ。
「晶か・・・」
それも可能性としては低い。
断言してもいいが、晶は間違いなく帰ってきていない。
恭也は気配を殺すと、なるべく音を立てずに扉を開けた。
泥棒のような輩が忍び込んでいるのだとしても、そんなものに遅れを取る恭也ではない。
もっとも、この家に入る可能性のある人間のうち五人は外れだから、高町家を選んだ時点でその命運が尽きていると言
えよう。
玄関を見ると、見慣れない靴が一足。
それでも足音を殺して歩くと、恭也は居間の中に気配を感じた。
そのドアから中を覗いて、ため息をつく。
「・・・どうしてだ?」
ドアを開けて、居間の中央にあるソファに寝ている人物に歩み寄る。
少し赤みがかった日の光が差し込む中、彼女は呑気に寝息を立てていた。
十人に尋ねれば全員が美人と答えるようなその顔に微かな笑みを浮かべて、少年のような服をきたアイリーンはまるで
猫のようだった。
触り心地の良さそうな髪、柔らかそうな頬―。
(・・・って、待て!)
自分の心の中の絶叫で、恭也は伸ばしていた指を―今まさにアイリーンの頬に触れようとしていた指を止めた。
理性で分かっているのに、体が動かない。
寝ている間に目の前に男性がいれば、悲鳴を上げられたっておかしくはないのだ。
(いや待て、落ち着いて考えろ俺)
そう自分に言い聞かせると、恭也は目を閉じた。
まず、アイリーンがここにいる理由だが、そんなことはどうでもいい。
問題は自分がこれからどういう行動を取るのかということだ。
(・・・とりあえず、アイリーンさんから離れて、盆栽の手入れでもしようか)
結局行き着いたのは、まったく関係のない所だった。
世間ではそれを現実逃避と言う。
それで、考えが纏まっ所で目を開けると、アイリーンとばっちり目が合った。
「おはよう、恭也」
「・・・・・・・・・おはようございます」
脱力して、その場に座り込む恭也。
対して、アイリーンはソファの上で大きく伸びをすると、まだ少し眠いらしく目を擦りながら言った。
「恭也、何時の間に帰ってきたの?」
「ついさっきですよ。そしたら、アイリーンさんがここで寝ていて・・・」
「それで、私の寝顔に見惚れてたって訳ね」
「・・・ごめんなさい」
しゅんとする恭也がよほど可笑しかったのか、アイリーンは腹を抱えて笑う。
「それで、アイリーンさんはどうしてここにいるんですか?」
その質問にはどうやって家に入ったのかという意味も含まれていた。
アイリーンは浮かんだ涙を拭うと、ポケットから鍵を取り出して恭也に見せた。
「今日は仕事が開いたから、フィアッセからここの鍵を預かってたの。残念なことに今週の金曜は仕事が入っちゃって・・・」
「構いませんよ。これは俺も忘れていたことなんですが、今週の金曜は音楽室は使用禁止になってるんですよ」
「それまたどうして?」
「学祭が土日にありますから、さすがに前日ともなると諸々の事情から封鎖されてしまうようです」
「じゃあ、今日が私が付き合うのは最後になっちゃうわね」
「そう・・・なりますか」
「あ、でも心配しなくてもだいじょうぶだから。私も当日は何があっても行くし」
「なんだか恥ずかしいですね・・・さて、どこで練習しますか?うちには楽器なんて在りません―いや、なのはの部屋にあっ
たかな?」
「だめだよ」
立ち上がろうとした恭也の服を、アイリーンが掴む。
「いくら妹だからって留守中に女の子の部屋に入っちゃだめです」
「分かりました。じゃあ、どうします」
「伴奏楽器に頼ってるようじゃ成長しないから、今回はアカペラでやりましょう」
「ここでですか?」
「うん。さあ、がんばって」
ソファの上で座り直すアイリーンの前に立ち上がって、恭也は呼吸を整える。
ここ最近、彼女に言われて練習してきた事柄が頭の中に浮かぶ。
それを一つ一つ、それでも高速で整理しながら、恭也は歌った。




「どうして、部屋とトイレが離れてるのかしら・・・」
誰ともなしに文句をいいながら、アイリーンは暗いスクールの廊下を一人で歩いていた。
別にそれに関しては誰が悪いというわけでもない。
スクールの誰に文句を言ったとしても、お門違いだろう。
「でも、ティオレ先生ならやりかねないわね。あの人は無用に人を困らせるのが好きな人だから・・・」
それでも、アイリーンをはじめとするスクールの生徒全員に慕われているのは、「世紀の歌
姫」たる彼女のカリスマによる物なのだろうか。
何とはなしに、窓から星を見上げる。
心に余裕があれば、星の声に耳を傾けたりもするのだろうが、今アイリーンの心を占めて
いる事柄はそれを許してはくれなかった。
「恭也・・・」
彼がこのスクールに来てから、もう一週間が過ぎようとしていた。
その間は別に何をするでもなく、付近を散歩したり、フィアッセやゆうひの遊び相手にな
ってあげたり(決して、彼女達が遊んであげているのではない)、そうでなければ、スクー
ルの庭で一人で黙々と鍛錬をこなしている。
そこにアイリーンが介入する余地は全くなかった。
食事は無論、スクールの生徒ほとんどが集まって食べるのだが、その時を含めてすらアイ
リーンが恭也と会話したのは、片手で数えられるほどしかない。
「私が何をしたっての?」
また誰ともなしに呟くが、それに答えを返す者はいない。
アイリーンは深々とため息をつくと、自分の部屋へと踵を返して―
「――――――」
―ふと、声を聞いて立ち止まった。
距離があるせいか、内容までは解からないが少なくとも男性の声、それも複数だ。
スクールの生徒は全員女性だし、この敷地内にいる男性は恭也だけのはずである。
「強盗?」
このスクールに?時代錯誤も甚だしい気がするが、実際にいるということはそれでも商売
が成り立つのだろう。
アイリーンは、精一杯に足音を消してその声がする方へと歩き出した。
危険に遭遇した場合の対処法としては最悪かもしれない。
「・・・と、やっぱり強盗?」
声と物音がするのはスクールの中で比較的金目の物がある理事長室だった。
普段はティオレがスクールにいる時の職場だが、今中にいるのは・・・
「四人・・・う〜ん、五人かな?」
聞こえる声から、中にいる大体の人数を割り出す。
何故かは知らないが、彼女は昔からこういったことが得意だった。
(だからって今役に立つ訳じゃないけど・・・)
とりあえず部屋の方に戻って、警察にでも連絡を取ろう。
そう決めて歩みだそうとしたその時―
「――――!」
後ろから口を押さえられ、アイリーンは羽交い絞めにされた。
思わず声を挙げそうになるのを何とか堪え、その代わりに彼女の口を押さえる指に思い切り噛み付いた。
多少は効いたようだが、後ろの相手は声も挙げずにアイリーンを引きずると理事長室から離れていく。
(何か・・・人形みたいな扱いね・・・)
状況を見れば助けてくれているのは後ろの相手だが、彼女の中ではぞんざいな扱いを受けていることの方が、
重要だった。
(このまま噛み切ってやろうかしら・・・)
そう思ってまさに実行しようとしたその時―
(アイリーンさん、痛いです。俺、恭也です)
(恭也!)
もう囁く程度なら聞こえないと判断したのか、後ろの相手―恭也がアイリーンを解放する。
(どうしてこんな所にいるの?)
(それはこっちの台詞ですよ・・・)
アイリーンの歯形がくっきりと残ってしまった指をわざと見せびらかし、妙に疲れた顔で恭也は言った。
(賊の気配を感じて、とりあえず武装してからこっちに来てみれば、現場と目と鼻の先にアイリーンさんがいた訳です)
(だって・・・声が聞こえたんだもん・・・って武装?)
彼女の驚きを恭也はさも当然といった顔で聞き流した。
武装と言っても、いつもの私服に二本の木刀を差し、両手に金属製の糸を巻きつけただけの格好だった。
(危ないじゃない!それだったら、警察とかに連絡した方がいいって)
(大丈夫ですよ・・・俺は強いですから、けちな賊などに遅れはとりません)
そう言って、恭也は微かな笑みを浮かべた。
アイリーンの頭の中にはまだ説得の言葉があったはずだが、その笑顔で霧散してしまった。
諦めたようにため息をついて、恭也から離れる。
(分かった。でも、本当に危ないことはしないでね)
(理解してくれて嬉しいですよ)
恭也は目で軽く武装を確認すると、アイリーンに背を向けた。
(ねえ、恭也)
(・・・なんですか?)
(今日は初めてこんなに話せたね。恭也って笑うとかわいいんだ)
今まで無視してくれた恨みも込めて放った言葉は、彼には効いたようだった。
(・・・ここから動かないか、そうでなければ部屋に戻っていてください)
恭也はぶっきらぼうにそう言うと、一通りの装備を確認して、アイリーンから離れていった。









(かわいいか・・・俺にそんなこと言えるのはか〜さんだけだと思ってたんだが・・・)
アイリーンのことを考えそうになるのを頭を振って抑え、部屋に意識を集中する。
(中にいるのは・・・五人か・・・。英国だけあって銃は持っているのだろうな、よくは知らないが・・・)
相変わらず、部屋の中から声が聞こえる。
あいにく日本語でないため何を言っているのかはさっぱりだが、声を出して作業するなど愚の骨頂だ。
それで素人のアイリーンにまで気付かれているのでは世話ない。
(正攻法でいっても大丈夫なようだな・・・)
そう手早く決めると、恭也は両の木刀を引き抜き、部屋の照明を点けた。
「誰だ!」
突然の声と光に驚いて、五人の強盗の意識が入り口へ向く。
だが、その頃には滑るように移動した恭也の木刀が、一番手前にいた男の鳩尾に深々と突き刺さっていた。
白目を剥いて倒れる男に隠れるように動いた直後、その後を追うようにして銃声が上がる。
(素人・・・)
恭也は前方に身を投げてその銃弾をやり過ごすと、落ちていた「物」をいくつか掴み、向かって左にいる男に投げつけた。
右の木刀に思い衝撃。
視線だけ動かして見ると、強盗の一人がナイフを抜いて切りつけてきていた。
その顔には、こちらを明らかになめている嘲笑が浮かんでいる。
「その子供に仲間を倒されたの・・・忘れてるみたいだな」
突き出されるナイフを半歩身を引いて避け、空いた男の腹に思い切り膝を叩き込む。
何やら涎を垂らして前屈みになる男の首筋に木刀を叩き込んで、これで二人目。
「次は・・・」
今立っている強盗は二人。
いずれも嘘のような恭也の動きに目を奪われ、硬直している。
彼はその内、近い方に狙いを定めた。
恭也の意識が自分の方に向いたと知ると、さすがに我に帰ったのか男も一応構えのような物を見せる。
様にはなっているが、それだけだ。
「せぁ!!」
右の木刀でやや大ぶりの一撃。男がそれを身を引いて避けると、恭也は大きく跳び退った。
それを好機と見て取ったのか、男はやはり大ぶりで右から払ってくる。
「素人と玄人の違いはさ・・・」
恭也はそれを木刀の柄頭で受け止め、ナイフを引いた。
握りが甘かったそれは男の手を離れ、乾いた音を立てて理事長室の床に落ちる。
その光景を呆然と見ていた男の顎を下から右の木刀ですくい上げて、これで三人目。
「無駄な動きをしないってことだな。だから、こんな子供に負けるんだ。だが・・・」
至極落ち着いて、恭也は出入り口に向き直った。
予想していたことではある。にもかかわらずそういう事態に陥らせてしまったのは明らかに自分のミスだ。
「――――――――――!!」
残りの強盗の一人が唾を飛ばして、何やら叫んでいる。
強張った腕で銃を握り締めて、その銃口の先にアイリーンをおいて・・・
何分英語が理解できないので正確には分からないが、この状況で小悪党が言う台詞など、万国共通のはずだ。
すなわち、『抵抗するな。そうでないと、こいつをぶっ殺す』といった所だろう。
「・・・人質を取るのは悪くない手段だ。だが、それでもお前達は素人だ」
それだったら、動きが止まった瞬間恭也を殺せばよかったのだ。
千載一遇のチャンスを棒に振ったら、その時点で悪党の末路は決定する。
恭也は両手を挙げると、持っていた木刀を後ろに放り投げた。
男の顔に会心の笑み。嬉々として銃口を恭也に向ける。
アイリーンはそれと対照的に恐怖を浮かべていた。
この男に自分が殺されると思ったのだろうか?
「アイリーンさん、大丈夫ですよ。俺は死にません」
「――――!」
また、男が何か叫ぶ。勝利の言葉だろうか?
だが、それが終わるよりも早く恭也の視界の色は変わっていた。
世界がモノクロに染まり、体全体を水中にいるような圧迫感が包み込む。
そんなゼリーの中を泳ぐように恭也は男との距離を詰めた。
少し前に砕いてしまった膝はまだ完治していない。再起不能にならない程度の使用制限は
精々一日一回、時間にして一秒といった所だ。
(それだけあれば、十分だ!)
その一秒の中で、恭也は男の銃を掴みそれをあらぬ方向に向けた。
そこで、「神速」が解ける。
男が勝利を確信して放った銃弾は、恭也や、ましてアイリーンを傷つけることなく壁にめり込んでいた。
呆然としている男。恭也は軋む膝をおしてその腕を極めると、即座にへし折った。
たまらず絶叫を上げて、男はアイリーンを突き飛ばしその場にうずくまる。
「俺の前で女性を人質に取ったんだ」
蹴りやすい位置にあった男の顎を「徹」の乗った爪先で蹴り上げ、体を浮かせる。
それに合わせて左手を引き、全身の力を溜めて待った。
「・・・再起不能は覚悟しろ」
爆発的な踏み込みと共に拳が突き出される。
それをまともに食らった男は手近の壁まで吹き飛び、面白いくらい盛大な音を立てて激突すると、沈黙した。
小太刀二刀御神流 奥義の参 「射抜」
徒手による攻撃であることを差し引いても、その威力は絶大な物がある。
いくら恭也が完成前の体で放った技だとしても、肋骨の何本かは軽く砕けているだろう。
「これに懲りたら、もう馬鹿なことはするなよ」
動かない男にそう言うと、腕に万年筆やボールペンを突き立てられまだ呻き声を上げていた男に止めを刺し、
強盗五人を鋼糸で拘束していく。
全員を縛り終わって、それらを部屋の隅に捨てた所で恭也はやっと安堵のため息をついた。
「父さんに比べると俺もまだまだだな。さて―」
巻き込んでしまった謝罪か、この場に残っていたことに対する叱責かどちらを言うべきか思案して振り向こうと
した恭也の背中に、重みがかかった。
恭也の体に回された腕が、か細く震えている。
相手が雑魚だと解かっていた恭也でさえ、心のどこかに怯えがあったのだ。
普段こういった世界と何の接点もないアイリーンであれば、気絶していたとしても不思議ではない。
「アイリーンさん、その、離してくれませんか?」
とは言っても、恭也にとって嬉しくもあり、困る状況であること変わりはない。
どうにかして、アイリーンに離れてもらおうとしても、彼女は首を横に振って、離れるどころかますます腕の力を
強くする。
「なんやすごい音がしたけど、どないしたん?」
金属質の音―自前らしい金属バットを床に引きずっていた音だった―と共に、出入り口にゆうひと、フィアッセが
顔を出した。
二人とも起きたばかりらしく、寝間着のままだった。
特にフィアッセはサイズの合っていないぶかぶかのナイトキャップをかぶって、半分以上寝たままゆうひの長身
のゆうひにぶら下がっている。
「強盗です。俺が倒しておきましたので、警察にでも連絡とってもらえませんか?」
「お〜それはすごいことしたな、恭也君。それよりも・・・」
ゆうひの表情が、玩具を見つけたような子供のようになる。
恭也がそれの意味する所を知ったときには、もう手遅れだった。
「恭也君とアイリーンがラブシーンしとるで〜!!」
その良く通るソプラノで五分もしないうちに、スクールの全生徒が集結した。
深夜にたたき起こされたのにも関わらず、全員が一様にゆうひと同じ表情をしている。
その日、恭也は「ティオレの愛娘達」の凄さを垣間見た気がした・・・




歌を、静かに締めくくる。
問題はない。今まで歌った中では最高のできだったと言ってもいい。
部屋に、アイリーンの拍手の音が響いた。
「上手になったじゃない。見違えたわ・・・」
「アイリーンさんの指示が良かったからですよ」
恭也は照れながら、アイリーンの隣りに腰を下ろした。
「練習したのは恭也なんだから、もっと自信を持っていいよ。恭也は凄い。私が、アイリーン・ノアが保証する」
「・・・ありがとうございます」
「ねえ、ちょっと手を見せてくれる?」
「手、ですか?」
首を捻りながらも、恭也は言われた通りアイリーンに右手を差し出す。
彼の手は鍛錬のせいで堅くなって、さらに傷だらけである。
子供の頃はそれが誇らしくもあったが、今さら美術品のように綺麗なアイリーンに見せるほどの物ではない。
「俺の手なんて見てて楽しいですか?」
「興味深いよ。ちゃんとがんばってる人の手してる」
「そんなの見て解かるんですか?」
「何となくだけどね。恭也はこんなになるまで、どうして剣を続けるの?」
「突然ですね。どうしてまた」
「別にそれが悪いって言ってる訳じゃないよ。ただ、少し気になったんだけど・・・」
「理由ですか・・・」
そう言われて、昔―まだ戯れにしごかれていた頃を思い出す。
あの時は何も考えずにただ強くなることを目標にしていた。
「自分のしたいことを可能な限り実行するため・・・そんな所ですか?」
「随分現実的だね。恭也だったら、守りたい人を守るためとか言うと思ったけど」
「もちろんそれだって含まれますよ。それに、俺は天寿を全うしたいですからね。自分の身を守るため、というのも
あります」
実際、士郎のような仕事につけば、仕事上逆恨みをうけることも少なくないのだ。
それで、自分を含む家族が危険に晒されることもある。
恭也はそういった物からも家族を、「大切な人」を守らなければならない。
「恭也ならできるよ」
「そう言ってくれると嬉しいですが・・・照れますね、面と向かって言われると」
「・・・ねえ、私はどうして歌ってると思う?」
「自分の思いを世界に伝えるため・・・ですか?歌が好きとか」
「スクールの生徒は、大体がそんな感じかな。ゆうひがいい例だけど」
「アイリーンさんは違うんですか?」
「私はね・・・自分に恥ずかしくないように生きたいから・・・かな?」
「また、漠然としてますね」
「いいでしょ。でね、私の尊敬する人誰だか知ってる?」
「ティオレさんじゃないんですか?」
「先生も尊敬してるけど・・・一番は違うの。一番は・・・エヴァンおばあちゃん」
エヴァン―エヴァーグレイス・M(マギウス)・ノア。
ティオレの恩人で、国際救助隊特殊分室の室長である。
「おばあちゃんのしてる仕事がどういうものか知った時、私すごく誇らしかったんだ。自
分はこの人の孫なんだって。でもね、そうすると今度は自分が凄く小さく見えたの。だから、私にもできる「何か」が
欲しかった。それで見つけたのが・・・」
「歌、だったと・・・」
「もちろん歌は好きだよ。でも、私は歌う理由がみんなと少し違うの。歌は目的じゃなくて、理由―エヴァンの孫なん
だって、思えるためのね・・・目的は、その時によってそれぞれかな?今は・・・」
アイリーンは微笑んで、恭也を抱きしめた。
「・・・こうして恭也の先生だってできるじゃない?」
そして、子供をあやすように恭也の頭を撫でる。
「・・・俺は子供じゃありません」
「そうだったね」
瞳を閉じたアイリーンの顔がゆっくりと恭也に近付く。
さっきの言葉に反して、恭也の心臓は張り裂けそうなほどに鳴っている。

ピピピッ!
静まり返った部屋にやけに大きく電子音が響いた。
「興がそれましたね」
そう言って身を離す恭也を、アイリーンは軽く睨む。
だが、この邪魔を悔しいと思っているのは何も彼女だけではないのだ。
「もう五時ですか・・・」
いつも正確に時を知らせてくれるグリップ時計を、少しばかりの恨みを込めて指で弾く。
「・・・その時計、長持ちしてるね」
「まあ、俺は物持ちがいい方ですから」
恭也は照れたように頭を掻いて立ち上がると、大またで歩いて居間のドアを開けた。
「で、お前達は何時頃から見ていたんだ?」
「え〜っと、師匠が歌い始めたくらいから・・・」
重なって中を覗いていた下の方が、申し訳なさそうに言った。
「お兄ちゃん、歌上手になったね」
対して、親子のカメのように上に乗っていた妹は純粋に恭也の腕前に感心しているようだ。
「一応、ありがとうと言っておこう」
なのはを猫のように掴んで床に降ろす。
ここまで来ると、なのはも恭也の言わんとしていることが解かったのか、ばつが悪そうに笑っている。
「あの〜師匠、一つお聞きしたい事が―」
「却下だ。着替えてロードワークにでも行ってこい」
「恭也、そういう言い方しないの」
「あのアイリーンさん。アイリーンさんはうちのお兄ちゃんと恋人さんなんですか?」
「う〜ん、恋人・・・とはちょっと違うかな?」
「そうですか・・・」
なんとも複雑な表情でため息をつくなのはと晶。
それを見て悪戯心が刺激されたのか、たちの悪い笑顔を浮かべて彼女は言った。
「でも、恋人よりも深い仲かもしれないよ?」
『え!?』
一転、とにかく驚く二人(なのははあのポーズで)。
「アイリーンさん、何もそんな誤解を招く言い方しなくても・・・」
「じゃあ、恭也は私のこと何とも思ってないの?」
自分の女性運―特に年上の女性に対する物が極端に悪いことを実感していた。
額を押さえて、アイリーンから目を逸らす。
それで何の解決にもならないことは解かっていたが、何か時間が欲しかったのだ。
「・・・嫌いではないです」
「ふ〜ん、そんな曖昧な返事で許されると」
「・・・好きですよ」
「本当?ありがとう恭也」
その過程ではなくそう言われたことが重要なのか、またも子供のような顔で呆然としていた二人に抱き
つくアイリーン。
「恭也が・・・私のこと好きって言ってくれたよ」
「アイリーンさんは・・・お兄ちゃんのこと・・・」
「うん、大好き。なのはが小さい時から、私は恭也のこと好きだよ」
(敵わないな・・・・この人には一生・・・)
自分に向けて言われているのではないのに、顔から火が出るように熱い。
異性に対する初心さということでは、高町家の誰とも大差がないのかもしれない。
「じゃあ、お兄ちゃんと結婚するんですか?」
「なのちゃん、それはいくらなんでも気が早すぎ・・・」
「うん。恭也がちゃんとプロポーズしてくれれば、私は受けるつもりだよ」
「アイリーンさん!それは―」
彼女にしてみれば、スクールの生徒相手に言う軽い冗談のつもりだったのだろう。
だが、そういった物に慣れていないお子様二人は雷に打たれたように―いや、それでも何かに目を輝かせながら、
アイリーンの言葉を真に受けたようだった。
「そうですか、おめでとうございます!じゃあ今夜はお祝いしないと・・・」
「おい晶、何か勘違い―」
「師匠、俺ひとっ走りして晩飯の材料買ってきます。今晩はご馳走作りますから、期待しててくださいね〜!!」
晶は伝説レベルの速さで恭也の前から消えると、着替えて買い物へと出かけていった。
「お兄ちゃんとアイリーンさんが結婚すると、アイリーンさん私のお姉ちゃんになるんですよね?」
「そうだよ。これからよろしくね、妹」
恭也の内心の葛藤を他所に、こっちは勝手に盛り上がっている。
今頃、走っている途中の晶が携帯でレンに事の「詳細」を伝えている頃だろうか?
当然その近くには忍もいるはずだ。もしかしたら、美由希や那美にも一瞬にして伝わるかもしれない。
「まあ、なるようになるか・・・」
アイリーンとなのはの「姉妹」の会話は、この間にもどんどんエスカレートしていた