誰かのための歌 第三話




「・・・思いのほか盛況だな」
舞台袖から見る限り、客の入りは恭也の予想を遥かに上回っていた。
盛り上がるのは内輪だけだと思っていたが、なかなかどうして一般の客、それから他校の生
徒まで見受けられる。割合は・・・女性の方が多い。
「うちのステージはそれほど魅力的な物なのか?」
今は恭也とは違うクラスの生徒達がバンド演奏を行っている。
何分興味がないために判断できないが、これだけの客を引くほど上手いとも思えない。
「そりゃあ、噂の人が歌うわけだからね」
関係者以外立ち入り禁止の舞台袖に何故かいる忍が答える。
当人曰く同じクラスだったら関係者なのだそうだが、前の連中や他の待機しているメンバー
を見る限り、出演者および実行委員でないのは忍しかいない。
「噂ねえ・・・物好きもいたものだ」
その呟きを聞いて忍の制服を引っ張る者が一人。
「ねえ、忍。恭也、気付いてないの?」
「普段からこんな感じですよ。恭也、自分がどれだけかっこいいか気付いてないんです」
「アイリーンさん、何を話してるんです?」
「別に何も。最近の恭也は頑張ってたなって話」
そう言ってアイリーンは笑顔を浮かべた。
最近見ていた少年チックな服ではなく、今日は女性っぽい服を着ている。
髪もただ後ろに流すのではなく美由希のようにみつあみにして、あろうことか伊達めがねま
でかけていた。
「しかし、ばれないものですね」
ここにいるのはステージ出演者もしくは実行委員のみ(忍は例外)だから、当然彼女もステ
ージに出ることになる。
実行委員には楽器を演奏できる知り合いということで出演を認めさせたらしいのだが(恭也
の知らない所で忍が暗躍していた)、アイリーンを見慣れている恭也からすれば、何時ばれ
るか気が気でない。
「当然。めがねをかければ正体はばれないってお約束だから」
「いつのお約束ですか・・・」
そうこうしている間に前の連中の演奏も、終わりに差し掛かっているようだ。
「恭也、緊張してる?」
「してないと言えば嘘になりますが、昂揚感の方が強いです。自分の練習の成果が出るんで
すから下手なことはできません」
「いい返事。それならいい結果もでるよ」
演奏が終わった。実行委員がステージに動いて、楽器のセッティングをする。
「それじゃあ、私はここの特等席で見てるから頑張ってきてくださいね。二人とも」
「忍、か〜さん達は・・・」
「結構前の方の席に陣取ってるはずだよ。高町家一同なんて旗持ってるかも」
「さすがにそれは・・・」
桃子達の性格を考えると、強ちないとも言い切れない恭也だった。
「準備ができました。三年G組の方々、お願いします」
実行委員の案内の下、二人はステージに上がった。
場所を変えてみると、客の入りはそれほどでもないように思えた。
多く見ても精々三百人強といった所か、これくらいならば問題ない。
「アイリーンさん、お願いします」
「任せといて」
小声で会話をして、彼女は用意されたピアノに前に立つ。そして、二人で一礼。
会場の体育館内に拍手の波が広がった。視線を巡らせると、かなり前の方に桃子達がいる。
何故か手を振る桃子を視界の隅に追い出しつつ、アイリーンと目を合わせる。

伴奏が始まった。
騒がしかった会場全体が嘘のように静まり返る。
練習した、もはや自分の一部になった歌。一緒にいてくれるのは、彼女だ。
(失敗するはずはないな・・・)
歌う目的はそれぞれだと、彼女は言った。
この歌を歌う目的・・・・・・それならば、自分は・・・
(俺は彼女のために歌おう・・・)


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「まずはご苦労様・・・」
つい一日前に強盗にあったばかりの理事長室に二人の人間がいる。
出張から帰ってきたティオレと、今回強盗を退けた恭也だ。
幸い、理事長室の被害事態は微々たるものだった(強盗の血でカーペットが汚れた程度)の
で、ティオレの中ではこの事件はたいして重要なことにはなっていないようだった。
「当然のことをしたまでですよ」
恭也も、膝が少々痛む程度で怪我らしい怪我などしていない。
立派な造りの机に腰掛けるティオレの前に休めの姿勢で立っている姿は、やはり同年代の少
年にはない意志が感じられる。
「そこに今日の新聞があります。目を通してもらえますか?」
言われた通り、近くのソファに置いてあった英字新聞に一応目を通す。
英語が分からないので何が書いてあるのかは理解できないが、ここスクールの写真とティオ
レのインタビューからその新聞が何を訴えたいのかは理解できた。
「見出しには、『歌姫の卵、強盗を逮捕』とあります」
「いらぬ迷惑をかけたようで・・・申し訳ありません」
「いえ。勇気があるという評判はいい物ですよ。それに私達は貴方の行動にとても感謝して
います。迷惑だなど思っていません」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
「さて、今回の件に関してはこれでおしまいです。そして、これが本題なのですが・・・」
そう言ったティオレの顔は、昨日の内にスクール内では見飽きた表情になっていた。
師匠と生徒の絆を深さを実感させてくれるような、そんな笑顔である。
「俺の本能は今すぐ回れ右をしてここから立ち去ることを命じているのですが・・・」
「だめです。こんな楽しいことを見逃す道理はありません」
恭也は、何度目か分からないため息をついた。
蛇に睨まれた蛙のような構図だが、この場合の蛙である恭也は動けないのではなく、あく
まで自主的に動かない状態にされているのである。
(つまり、ティオレが喋らせているのではなく、恭也が勝手に喋るのを聞いているという構
図なのだ)
「日本の沖縄県では、ハブとマングースが取っ組み合いをするそうですけど、ご存知ですか?」
「一度日本に公演で行った時に見たことがありますが、それがどうかしたのですか?」
こちらが何を言いたいのか分かっている顔で聞き返すティオレ。
そうだ。たとえ勇気を振り絞って噛み付いたとしても、相手には毒が効かないのだ。
「・・・・・・いえ、特に意味はありません」
「そうですか。それで本題ですけど・・・アイリーンと恋仲だというのは本当ですか?」
伝わる途中に脚色されるのは予想できたことだが、いざ聞いてみると恥ずかしい。
例えそれが、自分の望むべき結果であったとしてもだ。
「いえ、そんな事実はありません。強盗を退治した現場にアイリーンさんがいただけで、助
けた現場をみんなに見られただけです」
「・・・そういう答えは面白くありませんね。では、質問を変えましょう。スクールに滞在
して一週間が立ちましたが、スクールの生徒の中で誰を一番恋人にしたいですか?」
「ティオレさん、俺と付き合ってもらえませんか?」
「嬉しい誘いですが、私には主人と娘がいますから断らせていただきますよ。これで、パス
権は使い果たしました。正直に言いなさい」
自分の女性運の無さを心底呪いながら、恭也はまたため息をついた。
「・・・・・・・・・アイリーンさんです」
「どうやら、フィアッセは振られてしまったようですね」
「振られるって何ですか・・・」
「こちらの話ですよ。それで、貴方はこれから彼女に対してどのような態度を取るつもりな
のですか?」
こっちに来てからの恭也の態度が耳に入っているのか、ティオレの口調は少しきつい。
アイリーンのことは正直、無視していた。
彼女が自分に話しかけようとしていたことも分かっていたが、気が付くと体が彼女を拒否
しているのだ。
目を合わせるのが辛い。最初に庭で見上げた時から、その感覚は恭也に付きまとっていた。
「・・・これからは、仲良くできたら・・・ちゃんと話せたらと思います」
だがアイリーンを助けた時、そんな思いは霧散した。
自分は彼女から逃げていただけだった。それに気付いた以上は関係を改善していける。そ
う思ったのだが・・・
「その様子では、あまりうまくいっていないようですね?」
「ええ。実は今度はアイリーンさんに避けられてまして・・・」
「女の気持ちというのは、殿方には難しい物ですよ。特にあの年頃の娘はね・・・」
そう言って、紅茶に手を伸ばすティオレ。
内心では、恭也にはおそらく一生理解できないだろうと踏んでいたが、同時にそれが彼の
持ち味なのだとも思っていた。
出会う全ての人間の心を理解する必要など無いのだ。人間はそこまで器用ではない。
「貴方もアイリーンもまだ若いですから、急ぐ必要はありません。ですが、この滞在中に
 ある程度の結果は出しておいた方がいいと思いますよ」
「ご忠告、ありがとうございます」
「さて、これで私の楽しみは終わりました。下がってくださって結構です」
「はい。では、失礼します」
言ってこちらに背を向けるティオレに一礼すると、恭也は理事長室から退出した。
「相思相愛なのに、お互いを知り合えないのは不幸ですよ」
恭也よりも前に呼び出していたアイリーンの顔を思い出して、ティオレは笑みを浮かべた。
普段は大人らしささえ感じさせる彼女が顔を真っ赤に染めて、恭也への思いを告白してく
れた。だが、当人にそれを言うにはまだまだ勇気が足りないようだ。
彼女にも一応のアドバイスはした。聡明な彼女なら、恭也の滞在中には答えを見つけるだ
ろう。だから、それまでは・・・
「もう少し。貴方達の恋模様を観察させてもらいますよ」
自分と生徒達の密かな楽しみを、当人達に隠れて続行するのみだ。




「は〜」
またもため息をついて、アイリーンはベッドを転がった。
行ったり来たり、もう時計の針は昼過ぎを示していたが、彼女は朝からずっとこの調子であ
る。理由は、スクールの生徒ならば誰もが知っていた。
「恭也・・・」
一言で言えば、アイリーンは恭也に好意を抱いていた。
おそらく、最初に彼を見かけた時から・・・
一目惚れ。いざ自分の身に起こってみるまで、そんな運命めいた物はまやかしだとずっと思
っていた。
「まやかしじゃない・・・」
この思いは嘘じゃない。そう呪文のように心の中で繰り返す。
だからといって、それを唱え続けたところで事態が好転する訳でもない。
アイリーンの思いはまやかしではない。だからこそ、今彼女はここにいる。


「いつか、歌は手段だと言いましたねアイリーン」
ティオレに呼ばれて理事長室にきたアイリーンは恭也のことを尋ねられた後、そう切り出さ
れた。
非難されていると思ったアイリーンは俯いてしまったが、ティオレは柔らかな笑顔を浮かべ
てそれを否定した。
「別に貴女を責めているわけではないのですよ。そういう考え方も大いに結構です。ただ、
世の中には歌を神聖視している人もいますから、あまり公言するのはお勧めできませんね」
ティオレの言いたいことは解かるが、それが何の関係があるのかとアイリーンは首を捻る。
「話が逸れてしまいましたね。ようするに人の関係についても同じことが言えるのです。
 例えば貴女が恭也に思いを伝えるというのも、手段であって目的ではないのですよ」
「目的・・・ですか」
「そうです。思いを伝えてそれで終わりではないでしょう?どんな物であれ、その先を望む
故に人は思いを伝えるのですから」
「・・・結局、先生は私に何を言いたいんですか?」
「それが私からの課題です。恭也に対する貴女の気持ちが本物なら、悩んでみなさい。答
 えが見つかれば、あなたは成長できますよ。歌い手としても人間としても・・・もちろん、
女性としてもね」


「課題か・・・」
なにしろアイリーン達の先生であるティオレからの課題だ。明確な答えが在るかどうかさえ
疑わしい。
「私の思い・・・恭也への・・・」
嘘じゃない・・・もう一度心の中で繰り返す。
自分が一番望むべき未来・・・恭也と共にある、そんな風景。
それさえあればいい。例え、それで歌手としての歌を捨てることになっても・・・
それがアイリーン・ノアの・・・答え。
「よし!」
アイリーンは頬を叩いて気合を入れる、ベッドから起き上がって、クロゼットを開けた。
その中から比較的目立たない服を選ぶと、彼女は町にでた。




「見送り・・・ありがとうございます」
二週間の療養とは言えない療養を終えて、恭也は三人の見送りと共に空港にいた。
「恭也・・・桃子達によろしくね」
一応姉の立場のフィアッセが微かに涙を浮かべて恭也を抱きしめる。
彼は周囲の目が気になるようだったが、彼女の背中に手を回して軽く叩いた。
「フィアッセ泣かないで。今度はフィアッセがこっちに来る番だから、その時は美由希の相
手でもしてほしい」
「うん。バイ、恭也」
恭也はフィアッセノ体を離し、ゆうひに向かい合う。
その手には宛名の書かれていない二通の封筒が握られていた。
「それで、これを国守台のさざなみ寮に届ければいいんですね?」
「そや。大きい方の封筒は管理人の耕介くんにな。椎名ゆうひから愛を込めてって、ちゃん
と言ってや」
「善処します・・・」
それらを大事そうにバックにつめて、恭也は最後の相手に向かい合った。
「あのアイリーンさん・・・楽しかったです」
最初は会話すらできなかったし、あの事件の後は何故か避けられていたためにアイリーンと
本当の意味でアイリーンと過ごしたのは、僅かな期間だが、それでも恭也はこの女性を気に
止めるようになっていた。
「今度は日本にも遊びに来てください。いつでも歓迎しますから」
「うん・・・ありがとう」
そして、握手を交わし恭也は三人から離れた。
「じゃあ、もう行きます。みなさん、お元気で」
恭也は笑顔を浮かべると、荷物を抱えて歩き出した。
「恭也!」
だが、五秒としないうちにさっき別れを告げたアイリーンに呼び止められた。
周囲の大人の視線の中、彼女は恭也の所に駆けてくる。
その背中ごしにゆうひ達を見ると、あの笑顔を浮かべて出口に歩いていく所だった。
「恭也・・・時計持ってる?」
「時計ですか、持ってますけど・・・」
そう言って、恭也は腕に巻いたアナログ時計をアイリーンに見せる。
「これ・・・大切な物?」
「いえ、自分で買った安物ですよ。そう言ってもそれなりに気に入ってますけど」
「そう、なら良かった」
合点のいかない恭也を尻目にアイリーンは懐から小さな物を取り出した。
それはグリップのついたデジタルの時計だった。
まだ、買って間もないのか真新しい造りだが、何も包装されていない。
「これ、恭也にあげる」
「・・・わざわざ買ってきたんですか?悪いですよ」
「いいよ。どうせ他に使うことないから。それでこっちこそ悪いんだけど、恭也の時計をち
ょうだい?」
「・・・やっぱり悪いですよ。割りに合いません」
「これにはプレゼントの意味も含まれてるんだからいいのよ」
「はあ・・・」
恭也は腕の時計を外しアイリーンに渡した。
彼女はそれを嬉しそうに自分の腕につけると、恭也にグリップ時計を渡した。
「何にしようか悩んだんだけど、やっぱり実用的な物がいいかなって・・・」
「それでどうして俺の時計と交換なんですか?」
「別れ際にお互いの身に付けてる物を交換する、それで思いが繋がっていることの証にする
みたいなの。思いって言ってもこの場合は・・・」
アイリーンは不意打ち気味に恭也に顔を近付け、恭也の額に口付けた。
「まだ、言わない。でも、いつかは言うよ。それまでは私のこと忘れないでいて」
アイリーンは恭也から身を離すと、呆然としている彼に笑顔を浮かべた。
「See you again!恭也」
「・・・・・・ええ、また・・・会いましょう」
最後の精神力でもって笑顔を浮かべると、恭也はアイリーンに背を向けた。
その顔には、久しぶりの年相応の戸惑いが浮かんでいた。


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恭也の歌が終わり、アイリーンの伴奏が余韻を残して消える。
会場は奇妙なほど静まり返っていた。
だが、次の瞬間にはそれを打ち消すかのような拍手と歓声がそこを支配していた。
アイリーンと共に並んで一礼すると、二人はそそくさとステージ袖へと引き上げた。
「凄いじゃない恭也!」
袖に引っ込むと同時にアイリーンが恭也を抱きしめた。
「・・・夢中で歌いましたからね。今日の歌は特別ですよ」
「どこかの誰かのために歌ったとか?恭也らしい、古風なやり方だけど」
「古風とはなんだ。からかうのだったら、せめて感想くらい言え」
「私も同じ感想。後は・・・そうだね、いつまでそうしてるのか少し気になるかな?」
呆れ顔の忍に言われて初めて気付いたように、がらにもなく恭也は慌てた。
周囲では笑いを堪えた実行委員が次の準備を進めていく。
「アイリーンさん・・・その、離してくれると・・・」
「だめ、お姉さんはしばらく離してあげません」
「あ、そうそう。桃子さんがね、今日の打ち上げをやるから用事が済んだら、翠屋に来てだって」
笑いを堪えた忍が出て行くと、他の連中も恭也達から視線を外す。
(恭也・・・かっこよかったよ)
(貴女のおかげですよ。アイリーンさんがいたから・・・)
(・・・私は・・・ううん、私もそう思いたい。恭也の力になれたんだったら・・・すごく嬉しい)
「そろそろ離してくれませんか?」
いいかげん周囲の目にも慣れたが、やはり恥ずかしい物は恥ずかしい恭也だった。
(分かった。離してあげる)
そう言って素直に離れる間際、アイリーンは恭也の首に腕を回して、その頬に軽く口付けた。
「お疲れ様、恭也!さあ、学園祭めぐりでもしましょう!?」
しばらくその頬に手を当てていた恭也だったが微かに笑みを浮かべると、彼女の後について歩き出した。


「ここまででいいわ」
恭也の隣りを並んで歩いていたアイリーンは、わずかに歩を進め振り返った。
「見送りありがとう。三ヶ月も会えなくなるのに、一人だけっていうのは寂しいけど」
「いえ。高町家全員来てますよ。俺が追い払っただけです」
そうすることが当然のように恭也は言った。
その態度にアイリーンは苦笑する。彼が追い払ったのではなく、彼女達が気を利かせてくれ
たのだろう。隠しているつもりでも彼女には分かった。
相変わらず表情に乏しい恭也だが、今では彼の嘘なら絶対に見抜ける自身があった。
「そう。そんなに私と二人きりになりたかった?」
分かっていて聞き返す。恭也は頬を僅かに染めて視線を逸らした。
「まあ、そんな所です。コンサート気をつけてくださいね」
「うん。だいじょうぶだと思うけど、そうする」
そう言ってアイリーンは恭也に腕をまわした。
「私に会えなくなって寂しい?」
「そんなこと・・・ありますね。貴女の姿を見れなくなるのはつらいですよ・・・」
「偉い。よく正直に言えました」
アイリーンは少しだけ背伸びすると、恭也の頭をがしがし撫でた。
恭也は迷惑そうな顔をしたが、その手を払いのけることはなかった。
「俺はもうそんな子供ではありませんよ?」
「そうだったね。じゃあ、成長した恭也に・・・」
目を閉じて、二人は唇を重ねた。
「・・・じゃあ、行ってきます」
「連絡はちゃんとしろ」
「分かってる。ちゃんと帰ってくるから・・・」
搭乗アナウンスが、別れの時を告げる。
アイリーンはもう一度だけ恭也を抱きしめると、振り返らずに歩き出した。
その姿が見えなくなるまで見送ると、彼も踵を返した。
―――、―――、
ベルトにつけた時計が、電子音を響かせる。
「早く・・・帰ってこい」
その音に掻き消されるほどの微かな呟きを漏らして、彼は足を早めた。