そ〜ど・だんさ〜 第三話














鍵を鍵穴に差し込んだ状態で美由希は動きを止め、手の中にある鍵を見た。
それは自分の家の物ではない。
そして、その鍵を使うべきこの家は当然自分の家ではなかった。
鍵はこの家に来た時に真一郎から渡された美由希専用の合鍵だった。
だが、泊まりに来た客に専用の合鍵を渡すというのははたして常識的なのだろうか。
しかしこの家の住人である真一郎達は、色々な意味で常識という物からかけ離れた存在
であるが、それと同時に美由希に良くしてくれている。
悪い人間にはどうしても見えなかった。
「でも、合鍵はやっぱりおかしいよ…」
誰にも聞こえないことをぼやきながらその合鍵を使って家の中に入る。
真一郎達と葉弓は午前中から彼らの『仕事』の関係で、午前中から出かけてしまっている。
美由希が学校から帰ってくるころには帰ってくると言っていたが、家はこの通り無人。
それでも誰かいないか家の中を確かめながら、美由希は宛がわれた『自分の部屋』に入って
机の上に鞄を置くと、着替えもせずにベッドに身を投げ出した。
「はぁ…」
この家に泊まりに来てから早三日が過ぎた。
環境が違うことにも慣れ、朝出て行くときに自然にいってきますと言えるくらいにはこ
の家に馴染んできたが、どうしても胸につかえるような違和感は消えなかった。
とは言え、いつもは一緒にいる恭也達と学校で顔を合わせるというのも、新鮮で面白い
体験だ。
お弁当もレン達には悪いが、真一郎の作ってくれた物のほうがおいしい。
ここに来る前は沈んでいた気分も、ここ三日で落ち着いてきた。
環境に文句の付けようはない。なのに、この感じは何だろう?
「課題、片付けないと…」
とりあえず、その疑問に関しては棚上げにして美由希はベッドから身を起こした。



呼び鈴が鳴る。



他人の家だが現在この家にいるのは美由希しかいない。
出るべきか、と心の中で自問する。
美由希が今考えていることを真一郎が知ったらなんと言うだろう。
少しばかり考えて、苦笑した。
それは、容易に想像のつく答えだった。
すぐに身を翻して、階下に降りる。
その途中ドアに写る自分の姿を確認して玄関へ。
「は〜い…」
靴を突っかけながらドアを開けて、美由希はその場で凍りついた。
玄関先にいたのは二人の女性だった。
二人ともかなりの美女で、そして不思議なことに美由希は彼女達に見覚えがある。
真一郎の知り合いなのは間違いない。
だが、それが分かるだけで残念ながら名前までは覚えていなかった。
「あの…どちらさまでしょうか?」
自分も客なのにどちらさまも変な話だが、美由希はそう言った。
二人の美女は顔を見合わせ、その内の背の低い方の女性が小さく首を横に振った。
背の高い方の女性は人差し指を顎に当て、考える仕草をすると美由希に向き直る。
「私達相川真一郎って人を訪ねて来たんだけど、それは聞いてる?」
「いえ。留守番をするように言われたんですけど…」
「千堂先輩、先輩の用事ってこのことなんじゃないですか?」
「どうやらそうみたいね。相変わらず女の子には縁のある生き方して…」
「あの…」
「あ?ううん、こっちの話。それで、私達真一郎に呼ばれてきたんだけど、とりあえず
 あげてもらえるかしら?」
「はい、どうぞ」
おどおどしながら美由希は二人を先導し、とりあえず居間のソファに座ってもらうと、
そのままそこに二人を待たせて台所へ向かった。
「えっと…」
洋の東西問わず色々な調味料が所狭しと並ぶ台所で、美由希は呆然と立ち尽くす。
お茶を入れようとしたのだが、勝手が分からず茶葉も急須もどこにあるのか分からない。
料理の手伝いは何度かしたが、その時は予想通り凄いことになってしまったので、間取
りまでは記憶に残っていなのだ。
「ここに来るのは初めて?」
「わ!?」
慌てて振り向くと、さっきの女性の一人が立っていた。
驚きの残る美由希を他所に彼女は慣れた様子で戸棚から茶葉と急須を取り出すと、湯の
みを三つ並べ、てきぱきと準備を始める。
「だいじょうぶよ。私も千堂先輩もちゃんと先輩の知り合いだから」
「あ、あの、別に疑ってた訳じゃ…」
「分かってるわ。先輩がこの家に置いている娘なんだから、そんなこと考える訳ない」
「私は―」
何か言おうとした時、女性の指が美由希の口に当てられた。
「お話だったら、お茶でもしながらしましょう?」
柔らかく微笑むその女性に、不覚にも美由希は見とれてしまった。
少年のような反応をする美由希に、女性は微笑みを深くすると、美由希を促して居間へ
向かう。
「千堂先輩は緑茶でもいいですか?」
「いいですかって、もう用意してあるじゃない」
テーブルにお盆を置いて、女性二人は並んでソファに座った。
必然的に美由希は彼女達の反対側に座ることになる。
(何か話さないと…)
使命感に駆られ、必死になって話題を探すがこんな時に限って何も思いつかない。
そもそも、美由希は彼女達が誰かも知らないのだ。
真一郎に呼ばれてきたらしいが、その彼はいまここにはいない。
「それじゃ、自己紹介でもしましょうか」
美由希が本気で悩んでいると、見かねた女性の一人が口を開いた。
「私は綺堂さくら。先輩―相川真一郎さんの後輩です」
「あ、私は高町美由希って言いまして…風芽丘の一年生です」
「じゃあ私達の後輩ね。私は千堂瞳、風芽丘の卒業生よ。真一郎の一年先輩で、今はこ
 の綺堂さんと一緒で海鳴大学に通ってるわ」
そこまで聞いて、美由希は彼女達のことをおぼろげに思い出していた。
「確か、医学部に通ってらっしゃるって聞いたんですけど」
「あら、真一郎から聞いてた?」
「以前、鷹城先生に写真を見せていただいた時に伺いました」
ついでに思い出した記憶によれば、目の前の女性は『秒殺の女王』などという物騒なあ
だ名で呼ばれていたような…
「その顔は『秒殺の女王』の話を聞いたことのある顔ね…」
困ったような、それでいて嬉しそうな顔で瞳はため息をついた。
「あの…でも、その名前は別に悪い意味で聞いたんじゃなくて、その…鷹城先生、風芽
 丘に遊びに来るときは、楽しそうにその話をしてくれるので…だから、私はかっこい
いなって思ってて…」
もはや途中で何を言っているのか、美由希本人にも分かっていなかったが、言いたいこ
とは瞳に伝わったようで、彼女は美由希を宥めるように微笑んだ。
「別に私だって気にしてる訳じゃないのよ。あだ名がつくっていうのは、誇らしいこと
 だと思ってるから。それはそうと、高町さん。貴女、何か武道をやってるの?」
「はい、古流武術を少し、兄と…やってます」
恭也の名前が出て、少し美由希の口調が暗くなる。
瞳はその影はとりあえず無視して、美由希の全身を観察した。
美由希の言う『少し』というのがどの程度の物か見抜いたのか、やがて彼女は満足そう
に頷いた。
「真一郎が連れてくるだけのことはあるわね」
「それで、本題に入ろうと思うんですけど…美由希さん、貴女最近何か重大なことに直
 面しなかった?」
確信を突かれ、美由希は一瞬言葉を失った。
さくらは勿論、今まで誰にもその話はしていないのだから、例え彼女を知るものなら誰
でも感付くようなことだったとしても、美由希が驚くのも無理はない。
「さっきも言ったけど、私達は先輩に呼ばれてここに来たの。それも、なるべくならこ
 の一週間の間に、私達二人でってね」
「真一郎からそういう風に呼ばれるのは珍しいから、どういうこのなのかって話してた
 んだけど、ここに来たら貴女がいたの。真一郎、ああ見えるけど人のことすごく考え
る性格だから、私達と貴女を引き合わせたかったんじゃないかな…って思ったのよ」
考えてみれば、彼女達に話す義理はどこにもない。
自分の中にできてしまった黒い感情。
それについて話すのは、自分の深い部分を曝け出すことに他ならない。
桃子にだって真一郎にだってまだ話してはいないことだ。
それを、彼女達に話す必要はどこにもない。
「私には、兄がいます…」
自然と、その話は口をついていた。












一通り話し終えて、美由希は深いため息をついた。
言ってしまった、という気持ちが半分。残りは、奇妙な充実感。
背負っていた肩の荷が少しだけ軽くなったような、そんな感じ。
「少し、私達の話をしましょうか…」
美由希が話している間ずっと黙っていた瞳が口を開いた。
「私が真一郎に初めて会ったのは、今から…そうね、六年くらい前かしら。その時は、
 本当に手のかかる弟みたいな感じだったの」
美由希が見た写真の時よりも昔の話である。
弟のような…というのは美由希には持ち得ない印象だが、あの写真の時の真一郎と一緒
の年代だったら、美由希も同じ瞳と同じ感想を抱いたかもしれない。
「理由があって、その頃私は男の人と関わりあいにならないようにしてたんだけど、不
思議と真一郎とは付き合えた。男性って印象がなかったからかもしれないわね」
「その時から、千堂さんは綺堂さんと知り合いだったんですか?」
「私達が出会ったのは、春原先輩がきっかけね。旧校舎にいた春原先輩が先輩にとり憑
いて、それを最初に見つけたのが私」
「後は、薫も巻き込んで祓うだの祓わないだの物騒な話になってたんだけど、いつの間
 にか、あの人は真一郎の守護霊になっていつも一緒にいるようになったの」
「雪さんは、その三ヶ月くらい後にまた『事件』があって、その時からの付き合い。ざ
 からはその時に私達が総出で戦った魔物よ」
二人は他愛のない思い出話のように語るが、守護霊、魔物と非日常な単語が多いので、
話を聞きながら美由希は理解に苦しんでいた。
ざからと戦ったと言われても、美由希には真一郎達が彼女と遊んでいるような光景しか
想像できない。
美由希としても、ざからの強さは話半分といった認識しかしていないのだ。
彼女の怖さは、実際に戦ってみるまでは決して理解はできないだろう。
「思えば、そのときに気後れしてたせいかもしれないわね。そうこうしてるうちにあの
 四人で結束が固まっちゃって、今みたいになっちゃったの」
「あの…それが何の関係が?」
「私達ね。愛してるわ、真一郎のこと」
「はあ…え!?」
事も無げに言ってくれたせいで、美由希の理解は一瞬遅れた。
「私は退魔とかそういうのはできないから遠慮してるけど、昔から真一郎に対する気持
 ちは変わってないわ。むしろ強くなってるくらい」
「相川さんは、七瀬さん達と一緒に暮らしてますけど、平気なんですか?」
「そんなことは別に関係ないわね。確かに、たまにいいなぁくらいには思うけど、それ
 は先輩が先輩であることになんの関係もないし、私が先輩を愛していることにも関係
 がないから」
「自分以外の女性と仲良くしてるのを一々気にしてたら、真一郎を好きになんてなれな
 いからね。真一郎の得意技は無意識のうちに女の子を落とすことだし」
次々と暴露される話に、真一郎の人間像がより不可解な物に変わっていく。
「別に美由希ちゃんに私達の真似をしろって言ってるんじゃないの。覚えておいてほし
 いのは…」
「よ〜く自分の気持ちを考えて、自分のやりたいようにすること。人の言葉を聞いてそ
 のまま実行すると、いつか後悔するから」
「まあ、ずっと一人を追いかけるってのも面白いわよ。あまりお勧めはできないけど…
 気付いたら行き送れって可能性だってあるしね」
最後に笑って、二人はそれきり話を打ち切った。
しばらくの沈黙。
立ち直ると、聞きたいことが山ほど出てきた。
「あの―」
「ただいま〜」
狙ったかのようなタイミングで、玄関から数人分の声と足音。
「帰ってきたみたいね。さっきの話は七瀬さん達には内緒にしておいてね。僻んでるな
 んて思われたら悔しいから」
「ごめんね。話こんでたら遅れちゃった。瞳ちゃんもさくらもいらっしゃい。ごめんね
 美由希ちゃん、応対なんてさせちゃって」
「ほんと、女の子一人残してくなんて。真一郎少し薄情になったんじゃない?」
「う…返す言葉もございません」
「反省してくれたら、今度私達に付き合ってくださいね」
真一郎が来たとたん、瞳もさくらも少女のように微笑む。
それを、美由希は輝いていると思った。
真一郎を愛することに何の疑問も持っていない。
誰が周りにいてもそれを貫き通せるのは、多分強い。
美由希にはそれが…できていたのか分からなかった。
重要かもしれない、必要はないかもしれない不確かな、それでいて確かなそれを持って
いる彼女らは、輝いている。
美由希になくて、彼女達にある物。それは、きっと…













「結局うまくかわされちゃったわね…」
相川家からの帰り道、瞳の機嫌は少しだけ悪かった。
美由希のことに関して真一郎の真意を探ろうとしたのだが、言葉の通りうまく逃げられ
てしまったのだ。
「まあまあ、千堂先輩。先輩が女性のことで奔走するのは今に始まったことじゃありま
 せんから」
しかし、瞳と同じ気持ちであるはずのさくらの表情はどこか明るい。
「魅力で負けてるなんて思いたくないけど…でも、若い娘がいたら不安じゃない」
言外に七瀬達ならば心配はない、と言っているようなものだ。
気持ちに揺るぎはないが、瞳はいつまでも若い訳ではない。
そして美由希は、瞳の目から見ても魅力的だった。
自分に自信を持っていないのがマイナスだが、それは時間と『真一郎』が解決するだろう。
それだけに、歯痒い。
真一郎が外見で人を判断するような心の狭い人間とは思わないが、自分と七つも離れて
いる少女が彼の傍にいれば、いかに瞳でもさすがに不安になる。
そんな瞳を見てさくらは微笑むと、
「千堂先輩、予言みたいな物があるんですけどお聞きになりますか?」
「予言?性質の悪い物かしら」
「どちらとも取りかねますけど…強いて言うなら悪い物です」
「聞きたくない気もするけど…いいわ、聞きましょう」
それでも迷っている様子の瞳をしばらく眺めてから、さくらは何でもないかのようにぽ
つりと言った。
「さっきの美由希さん。そう遠くない内に私達に近くなります」
その言葉は何気ないくせに確信に満ちていた。
瞳はしばらくその言葉の意味を反芻していたが、その意味する所を理解するとわずかに
肩を落とした。
「ライバルが増えるのね…」
「簡単に言えばそうなりますね」
静かにため息をつく瞳を他所に、さくらは自分が今言ったばかりの予言の意味を考える。
それは、「さくらにとっては」もう一つ意味を持っていた。
遠くない未来、美由希はきっと自分達に近付く。
運命とかそういう言葉はさくらの好む所ではないが、彼女にはそれを感じた。
瞳にばれないように、微笑む。
どうなるか、分からないが真一郎がいるなら悪いようにはならないだろう。
そう思うことにして、まだへこんでいる瞳の肩を叩きながら、さくらは歩いていった。