そ〜ど・だんさ〜 第四話















『ごちそうさまでした』
全員で食後の挨拶を済ませると、美由希が食器を片付け始める。
今日の夕食当番は真一郎で、彼女は料理の製作にはまったく関わっていないのだが、そ
の代わり後片付けだけは誰よりも率先している。
念のため、それは雪の時も同様である。
「七瀬やざからは手伝ってくれないから助かるよ」
真一郎は笑いながら美由希を誉めて居間を見るが、件の少女達はそ知らぬ顔で話に花を
咲かせている。
「美由希ちゃん、食器洗いは手際がいいね」
「お料理はできませんから…これくらいはできないと」
「これが料理にもいかせればもっといいんだけどね…」
食事を作るたびに相川家の料理人達は美由希に指導を試みているが、いまだにその成果
は現れていない。
分かったのは、料理に関しては並以下の才能しか持ち合わせていないこと。
それから、どうも「料理」を開始すると何かのスイッチが入るらしくとたんに…言って
しまえば、少々「馬鹿」になってしまうのである。
砂糖と塩を間違えるのは当たり前だし、普段より余裕もなくなっている。
これでは成功するはずもなかろう。
まあ、苦手なもので緊張するのは当たり前だし、真一郎も雪も最初からできていた訳で
はないのだから、焦らず気長にやることにしている。
当初の予定では、この滞在中に何かマスターさせるつもりだったのだが、それは残念な
がら諦めるしかなさそうだ。
「あはは…」
乾いた笑いを浮かべ、布巾で拭いた食器を真一郎に渡す。
それを食器棚に戻し、真一郎は急に思い出したかのように手を打った。
「あ、そうだ。美由希ちゃん」
「なんですか?」
何枚かの食器を持ったまま、美由希は体ごと振り返る。
「明日、で〜としない?」
当然、美由希の手から食器達が滑り落ちた。
それらは危うくただの危険物に成り下がるところだったが、すばらしい反射神経を発揮
した真一郎が間一髪のところで救助した。
「危なかった…」
「…で、で〜と?どうして…」
「明日土曜日だから休みでしょ?美由希ちゃんが家に泊まるのは一週間だから日曜はあ
まり遅くなれないし…どこか行くなら明日しかないから…」
「二人だけで…ですか?」
「そのつもりだけど…いや?」
「そんなことはありません!…でも、七瀬さん達は…」
祈るような気持ちで、居間でまったりしている七瀬達に目を向けると彼女達は少し考え
て―
「私は人と会う約束があるの。さざなみ寮にいる幽霊仲間なんだけど…」
ちなみに耕介の霊剣『御架月』シルヴィのことである。
幽霊で一番仲がいいのは十六夜なのだが、彼女は薫についている手前あまり会う機会がない。
「溜まっている本の整理をしないといけません」
「私は久しぶりに刀を研がないと…」
三者三様だが、要するに『明日は用事がある』ということだ。
美由希とて、真一郎と一緒にいたくないわけじゃない。
ただ、いきなり放り出されるというのは心の準備が…
「しんいちろう…で〜とするの?」
いつの間にか近寄っていた幼体の久遠が、美由希と真一郎を交互に見上げる。
「まだ返事はもらってないから決定じゃないんだけどね」
「久遠もい―」
「久遠は明日私のお手伝いをすることになってるので駄目です」
何か、美由希にとって助けになりそうなことを言いそうだった久遠を、横合いから飛ん
できたざからがさらって、強引に彼女の隣に座らせた。
久遠は不満げにざからを睨むが、ざからが取っておいたらしい油揚げを渡して何か言う
と、とたんに大人しくなってしまった。
「それで、どうかな?」
「わ…私でいいんですか?」
「良くなかったら誘わないよ。せっかく来てもらったのに何もしないと悪いし…」
「そこまで気を使っていただく訳には…」
「いいの、俺が行きたいんだから。で、付き合ってもらえないかな?」
「……はい」
真一郎にここまで言われて、断れる女性はそういないだろう。
美由希が真っ赤になって頷くのを見ると、真一郎は残った食器を全部片付けて身を翻した。
「じゃあ、明日十時くらいに出発するから。よろしくね」
言ってさわやかに退出していく、真一郎。
美由希は何をするでもなく、その背中をぼ〜っと見送っていた。












「まあ、そうかたくならなくてもいいんじゃない?真一郎わざわざ『で〜と』って言って
 喜んでるだけだから」
居間のソファに腰を降ろして、美由希は何だか分からない励ましを受けていた。
雪も七瀬の言葉にうんうん頷きながら、美由希のカップに紅茶を注いでくれる。
「真一郎さんも飢えている訳ではありませんから、大丈夫ですよ」
「それに相川さん話上手ですから、退屈もしません」
女性達は気楽なものだが、男性に免疫のない美由希にとっては一大事である。
『兄』の恭也に買い物に付き合ってもらったことはあるが、それ以外に男性と出かけた
ことなど皆無。
元々人付き合いが得意でない美由希には『で〜と』などまさに夢の世界の出来事なので
あった。
「ご主人様、お出かけするときには気前がいいですからきっとおいしい物食べられますよ」
「久遠も…お菓子買ってもらったの」
幼少組も、彼女らなりの励ましをしてくれる。
美味しいものか…と少しだけ気持ちも傾いたりもしたが、やはり緊張する。
紅茶を飲んでも味が全くしない。こんなに緊張するのも、はじめてかもしれない。
「かわいいわね…こうして見てると。今の娘ってのはこんなに緊張するものなのかしら」
「そんなことはないと思いますけど…」
「大丈夫だって。ただ、真一郎についていって、何か食べて遊んで帰ってくるだけだから」
「そんな簡単に―」
「簡単なことなの」
ずいっと七瀬に詰め寄られ、美由希は思わず身を引いた。
「惚れてる私達が保証するんだから、問題ないでしょ?誘われたんだから行ってくる。
 それで万事解決、いい?」
「…分かりました」
何か良くない気もしたが、美由希は頷いた。
美由希だって生きたくない訳じゃないのだから、反対する理由もない。
男性と…真一郎と『で〜と』
わくわくするのと同時に、どこか怖くもある。
でも…それでも―
(行きたい…)
それは偽らざる美由希の本心だった。














内向的な人間というのは人の目に晒されるほど戸惑うものだ。
かく言う美由希もその例には外れていない。
今彼女は自分に向けられる視線に困惑していた。
隣の真一郎は慣れたことなのか、そしらぬ顔で英語で書かれた文章に目を落としている。
実際、電車の中の乗客の視線のほとんどは彼に向けられているものであるから、美由希
は巻き添えを食っているようなものだが、彼女はそんな風に人を攻めたりはしない。
それに、真一郎に視線が集まるのも無理からぬことではある。
綺麗で淡い色の茶髪を腰まで伸ばした青年。
髪を縛る無造作加減と、長身がなければ女性と思われたところでおかしくはない。
「美由希ちゃんはどれくらい本持ってるの?」
美青年真一郎が本を閉じながら言う。
栞が挟まれていたのは中ほどだったが、もう読み終えてしまったようだ。
読書家の美由希から見ても中々の速読力である。
美由希は中空に視線を彷徨わせて、
「五百冊…くらいでしょうか。それほど多くはありませんよ。だいたいは借りて済ます
 から」
本音を言えば買って手元に置いておきたいのだが、そこは学生、資金が追いついてこない。
たくさんの本に囲まれて過ごすなど夢ではあるが、今では手がとどきそうにない。
「うちは雪さんがけっこう読む上にもらってくるからね。雪さんの部屋と書室じゃもう
 収まりきらなくなってきてるし…」
反面、社会人の話は気前がいい。
「相川さんも本読まれるみたいですけど、昔からそうだったんですか?」
「いや、退魔師の修行を始めてからかな。それまではたまに読む程度だったよ」
「英語、読めるんですね」
目で真一郎の手の中の本を示す。
美由希は読書家で文系だが、日本語以外の文章は残念ながら読むことはできない。
だから、雪の部屋に並んでいた異国語の背表紙の本達を目の前にした時はすごくうらや
ましかったものだ。
「これは俺の知り合いのそのまた知り合いの言葉だけど、英語なんて気合だよ。俺だって
 高校の英語のテストが特別できたためしはないし…やってればそのうちできるもんさ」
当の本人は笑ってそう言うと、ぽんぽんと美由希の頭をなでた。
その笑顔に離れた場所の学生の集団からささやかな歓声があがる。
「…今日はどこに行くんですか?」
「つくまでは秘密。多分嫌いではないと思うけど…」
電車は海鳴から離れ、どんどん進んでいく。
行く先には人ごみとかあるのだろうか。
美由希は、それが得意でないから少しだけ心配である。
でも、例え先に人ごみがあったとしても真一郎がいるのなら退屈しないだろう。
「楽しみにしてますね」
「おう。まかせといて」
言って笑う真一郎に美由希は頬を赤らめ、遠くでまた歓声があがった。















「いらっしゃいませ、Piaキャロットへようこそ。お二人ですか?」
「はい。あ、禁煙席でお願いします」
そう言って軽く微笑む真一郎。
ウェイトレスは数秒その笑顔見とれてから、頬を染めて彼らを案内した。
「ここには初めて来るんですか?」
去っていくウェイトレスを見ながら、美由希が問う。
お昼頃に駅に着いたので、真一郎達はここに直行したのだ。
ここが目的の場所なのか…と美由希は邪推してしまう。
家業が喫茶店なだけに、『制服がかわいいファミレス』がどこかにあるという話は聞い
たことがあった。
もちろん、それが女子だけでなくかなり男性受けしていることも知っている。
「初めてだね。こういう所があるとは聞いてたけど…」
「もしかして、相川さんの趣味ですか?」
美由希の言葉に険が増し、目つきも少しだけ胡乱な物になる。
「否定はしないさ。可愛い物は可愛い物だよ」
はい、とメニューを差し出され美由希はとりあえずそれを手に取った。
メニューに目を滑らせながら、それでも気になって店内のウェイトレスの姿を追ってし
まう。
「気になる?美由希ちゃんも」
「え!?わ…私は別にそんな…」
「ここの制服可愛いもんね。女の子はやっぱり憧れるのかな?」
「私なんかが着ても…似合いません」
ここのウェイトレスは洗練されていて、美由希にはどの女性も皆輝いて見えた。
対して自分は地味な服しか着ないし、ここの制服のように華やかな服が似合うとはどう
しても思えなかった。
これは美由希の密かなコンプレックスでもある。
一番身近で姉のような存在であるフィアッセが、華のある美人なためそれは少しずつで
はあるが、強くなってきているものだ。
「そんなことないって」
だが、美由希のそんなコンプレックスを真一郎は笑い飛ばした。
「美由希ちゃんはかわいいよ。ここで働いたって絶対に見劣りしないよ。それは俺が保
証する」
「そんなこと…」
赤くなって俯く美由希に、真一郎はさらに続ける。
「自分がどう見えるかなんて、案外自分では分かってないもんだよ。美由希ちゃんが鏡
 を見て、抱いた感想よりも皆が抱く感想の方がいいってこともあるし、俺はその方が
 多いと思うよ」
無論そうでない場合だってあるのだが、美由希は間違いなくかわいい部類に入る。
自信がないだけで―ありすぎて天狗になられても困るが―それさえあれば、本当にここ
にいても見劣りしないと、真一郎は思っている。
ここのウェイトレス達だって、最初から洗練されていた訳ではないだろう。
美由希のように、自信がなかったときだってあったはずなのだ。
「要は自信だよ。かわいいんだから、自信持ってもいいと思うよ」
言い終わると、真一郎は席を立った。
「どちらに?」
「ちょっと花を摘みにね」
今時誰も使わないような言い回しをわざわざ使って店内を見回すと、真一郎は店の奥に
消えていった。
要するに、トイレに行くということである。
むしょうに恥ずかしくなった美由希は、手元のコップに口をつけた。
頬が熱い。
鏡を見たらさぞかし真っ赤になっていることだろう。
でも、これが他の人間だったら美由希もここまでにはなっていなかったはずだ。
自身がかなりの美形であるにも関わらず、他人の容姿を自然に誉められるのは一重に真
一郎の人付き合いの才能による。
この辺りが『ハーレム・マスター』とか呼ばれる所以の一つなのだが、純粋な美由希は
そこまでは知らない。
ともあれ、美由希が本気で今度服を探しに行こうとか考えていると、ふと気になる声が
耳に入った。
目が悪い分さりげなく美由希は耳がいい。
喋っていたのはこの店のウェイトレスが二人だったが、まさか彼女達も自分達の会話が
お客様に聞こえているとは思わないだろう。
美由希自身聞くつもりはなかったし、会話の半分くらいは聞き取れなかったが、それで
も彼女達の表情から何を話しているのか察しはついた。
おそらく、突然来店した美形のお客様についてだろう。
そして、誰が注文を取りに行くのか、ということで少しもめているらしい。
三十秒ほどもそうしていただろうか。
結局、ウェイトレス達の話は纏まらなかったらしく、彼女らは店内にいたもう一人の少
女を小声で呼び寄せると、さりげなくこのテーブルを示して何事かを伝えた。
そのウェイトレスは、こちらのテーブルを一瞬だけ確認して頷いた。












「ただいま…どうしたの?難しい顔して」
「難しい顔ですか?」
「うん。何か嫌なことでもあった?」
そう言って本気で心配そうな顔をする真一郎に美由希は何だか申し訳なくなって、ぶん
ぶんと首を振って否定した。
真一郎はそう?と不思議そうに聞き返したが、それ以上は追求せずコップの水を飲む。
「俺はもう決まったけど、美由希ちゃんは?」
「私も決まってます」
「わかった。すいません―」
真一郎が手を上げて呼ぶと、さっき頷いたウェイトレスがとてとてと寄ってきた。
誰かに似ている―そう美由希が思った矢先、
「あ!」
そのウェイトレスは何もないところでいきなり躓いた。
受身も何もあったものではない。文句のつけようもないくらい、盛大な転び方である。
(助けないと…)
そう考えて美由希が動くよりも早く、倒れていくウェイトレスの体は空中で止まった。
その彼女は一瞬だけ不思議そうな顔をして、自分が助かった理由―体を支えている真一郎
の腕―を知ると真っ赤になって姿勢を正した。
「申し訳ありません、お客様!」
「いやいや。転ばなくてよかったよ」
助けた本人、真一郎はたいしたことでもないかのように首を振る。
「ですが…」
「いいの。どっちにも大事はなかったんだから、それでよしとしましょう。あ…もしか
して、怪我しちゃったかな」
真一郎にしたから顔を見られて、ウェイトレスは真っ赤だった顔をさらに赤くしてぶん
ぶん首を横に振った。
「そう、よかった。じゃあ注文したいんですけど、いいかな?」
「…は、はい。どうぞ」
「んとね―」
真っ赤になっているウェイトレスを気にすることもなく、真一郎は注文する。
自分の分を言い終わって、美由希を見る。
「美由希ちゃん?」
「…私は―」
決めておいた物を注文して、美由希は黙る。
ウェイトレスが去ってからも、二人の間に会話はない。
「…美由希ちゃん、どうかした?」
「別に…なんでもありません」
言葉に険があって、誰が聞いても何でもないとは思えない。
美由希自身、機嫌の悪くなっている自分に気づいていないほどの静かな怒りだった。
気づいていないから、当然始末が悪い。
「そう、ならいいけど」
とりあえずそっとすることを選んだ真一郎は、それ以降話は振らなかった。
ただ、むっとしている美由希を心配そうに見つめる。
美由希は、黙っていた。

料理が運ばれてきて、食べ終わっても二人の間に会話はなかった。







会話がない。
料理を食べ終わって店を出てからも、二人は一言も口をきいていなかった。
真一郎は気にするでもなく歩き、美由希はその後をただ黙々とついていく。
しばらくそれを続けるころには、美由希にも冷静さが戻ってきた。
(どうして、あんな態度…)
考えても、答えに行き着くことはできない。
本当に、気が付いたら怒っていたのだ。
訳もなく怒って―きっと真一郎に不快な思いをさせてしまった。
自分が嫌で真一郎の顔も見れない。思考も堂々巡りする。
少し先には真一郎の背中がある。
あれから何も会話していないが、見る限り真一郎に変化はない。
だんまりを決め込んだ美由希を、当初の予定通りに先導して歩いている。
大人だな…と思った。
子供みたいに臍を曲げてしまった自分を受け入れて、何でもなくしている。
恭也とも違う、思い出の中の士郎ともきっと違う。
それは、美由希のおそらく初めて見る『男性像』だったのだろう。
(このままじゃ…うん、嫌だ)
謝りたい。このまま、終わってしまったら後悔してもしきれない。
すぐ近くに真一郎の背中がある。
こんなにも近いんだ。謝って、ここから先はいい気分でいきたい。
(よし…)
意を決して、声をかけようとして―
「着いたよ―」
「わ!」
いきなり止まった真一郎の背中に、美由希はぶつかってしまった。
彼もまさかそうなるとは、思っていなかったのか少しだけ驚いている。
「どうしたの?」
可笑しそうに微笑んでいる真一郎。
あたふたと美由希は何か言おうとして、失敗した。
言葉にならなかった呻き声が小さく漏れる。
「今日はここに連れて行きたかったんだ」
その建物を見上げる真一郎の目を追って、美由希も見上げた。
『五月雨堂』
どこか人を引き付ける魅力のありそうな、年季の入った看板。
佇まいはどこまでも落ち着いていて、店先も綺麗になっている。
「ここは?」
「雪さんが見つけた所だけど、美由希ちゃんには気に入ると思ってね」
すっと、真一郎が美由希に道をあける。
美由希は、何かに導かれるように店の戸を開けて中に入った。









店内には、独特の匂いが満ちていた。
自分の年齢の何倍も生きていそうな物達が並んでいる。
生活に直接的な関係はないような物でも、そこには味があった。
この店を美由希は一目で気に入ってしまった。
「…いらっしゃいませ」
レジの近くに座っていた少女が顔を上げた。
蒼い髪、眼鏡をかけたどこか美由希に似た雰囲気を持った少女である。
もし図書館とかで会っていたら、そのまま仲のいい友達にでもなれそうな感じだった。
「こんにちは、リアンちゃん」
「相川さんですか…いらっしゃいませ」
リアンを呼ばれた少女は、真一郎を見て柔らかく微笑んだ。
「おね〜さんは?」
「姉さんは、今ちょっと里帰りしています。今は私と健太郎さんだけです」
「そっか…健太郎君はいる?」
「ええ、お待ちください」
リアンは立ち上がると、店の奥に引っ込んでいった。
「お知り合いなんですか?」
「何回かここにきたことがあるからね。おとくいさんは雪さんの方だけど、俺も何回か
 話す機会があってね」
「仲…よさそうでしたけど」
「そう?普通だと思うよ」
「そう…ですか」
それを聞いて、何故か少し安心した。
例によって、その安心する自分を美由希は理解していない。
「相川さん、お久しぶりです」
しばらくすると、リアンと一緒に青年がやってきた。
年は真一郎とそう変わらないだろう。
これといって特徴のない顔立ちだが、雰囲気全体に何か優しさがある。
リアンと並んで立つと、お似合いだった。
「うん。健太郎君も元気そうで何よりだよ」
「今日はどういったご用件で?槙原さんのお探しの物は―」
と、健太郎の視線が美由希に向くと、彼は不思議そうな顔をした。
美由希が頭を下げると、健太郎も会釈を返す。
顔を上げると、彼はばつの悪そうな笑顔を真一郎に向けた。
「今日は違う人を連れてるんですね」
「誤解を招くような言い方しないように。雪さんは今日家にいるよ。この娘は―」
「あ、高町美由希っていいます」
「俺は宮田健太郎。一応ここの店長」
「私はリアンです。その…ええと…」
自分の紹介に困るリアンの肩に手を置いて、健太郎が彼女の言葉を継いだ。
「俺の、婚約者。今はこの店を手伝ってもらってるんだ」
「そう…です」
赤くなって俯くリアンの頭を優しく撫でると、健太郎は真一郎に顔を向けた。
「それで、今日はどういったご用件で?」
「この美由希ちゃんをで〜とに誘ってここに来たんだ」
「で〜とですか?」
健太郎とリアンは顔を見合わせる。
「自分の店を言うのもあれですけど…ここはで〜とで来るような場所じゃないですよ?」
「でも、雰囲気はあるでしょ?」
「そう言っていただけると嬉しいですけど…高町さん、何か好きな物ってある?」
「本とか…かなり読む方だと思いますけど」
「本か…だったら、古書とかあるけどなぁ」
残念ながら、美由希は読書家だが古書収集家ではない。
時代を生きてきた本に魅力を感じないでもないが、本の最たる魅力は内容だと考えてい
るので、ただ古書と聞いてもあまりときめかない。
美由希の反応が芳しくないのを見て、健太郎は腕を組んで唸った。
「あ、そうだ。何か新しい物は入った?」
「新しい物ですか…一応ありますが、それはもっと女の子受けはしないと思いますよ?」
「中世の拷問器具とか?」
「そんなやばい物は置きません。刀なんですけど…『菊一文字』って知って―」
「あるんですか!」
その大声の主に、その場の全員の視線が集まる。
普段の彼女だったらそれで沈黙してしまっただろう。
だが、スイッチの入ってしまった美由希に恐い物はなかった。
「刀があるんですか!?」
「ああ、奥の方にしまってあるけど…」
「お願いします!見せてください!」
もはや、違う人になっている。
健太郎はその剣幕に少しばかり怯えたが、気を取り直して店の奥に引っ込んだ。
対して、美由希はとても幸せそうである。
「あの…美由希さんは高町さんは刀がお好きなんですか?」
「はい。自分で古流剣術をやってるせいもあると思いますけど…好きですね」
確かに、誰の目から見てもさっきの美由希は気合が入っていた。
リアンも、美由希が冗談を言うようながらではないと分かるのか、それ以上はつっこま
なかった。
(単に刀に関する知識がないだけかもしれないが…)
「お待たせしました」
奥から健太郎が和紙と一緒にその刀を持って帰ってきた。
期待に目を輝かせている美由希に、健太郎はそっとその刀を渡す。
美由希は和紙を口に咥え呼吸を整えると、鞘から刀を抜き放った。














「しかし、刀が女の子に受ける時代なんですかね、今は」
レジの近くに椅子を引っ張り出して座った健太郎が、美由希を見て呟く。
彼女はまだ、刀を見て自分の世界に入っていてた。
日に翳して光の加減を見てうっとりしたりと、何かと急がしそうである。
「そんなことはないと思うよ。でも、ここまで刀が受けるとは予想外だったな」
「俺も冗談のつもりで言ったんですけどね…刀があるって」
「ちなみにあれはいくら?」
「お買いになるんですか?」
目を丸くして訪ねるリアンに、真一郎は手を振って否定した。
「まさか。一応これも『で〜と』だからね。最初のそれで刀を贈るなんてしなくないな、
 俺としては…」
「おとくいさんの価格でも…」
健太郎はしばらく難しい顔で電卓を叩き、出てきた数字を二人に見せた。
「1500…か」
「言っておきますが、千五百円ではないですからね」
「分かってるよ」
「流石にここまでの買い物は無理ですよね」
「いや、ちょっと無理すればとっぱらいでも買えるけど…」
この発言に、骨董品屋の二人はしばし呆然とする。
「相川さん、実はお金持ちだったんですね」
「一応、命張って仕事してるからね。で、健太郎君。女の子に贈れそうな物何かないか
 な?」
「別の刀を手配しましょうか?今日渡すのでなければ、体裁は整うと思いますけど」
「いや、刀は他に当てがあるんだ。できれば刃物じゃないほうがいいんだけど…」
真一郎はぐるりと店内を見回した。
古めかしい掛け軸、皿にタンス。
茶器が若干多いように思えるが、広い造りの店内には様々な品が並んでいた。
「…?」
そんな中、レジの近くのガラスケースに真一郎の目が止まった。
中には、こじんまりとしたアクセサリーが並んでいる。
骨董品屋にあるだけに年代物のようだが、その中に一際真一郎の目を引く物があった。
ペンダント、のようなものだろうか。
金属製の鎖に、動物の牙のような形をした石が取り付けられている。
その石は、水晶のように透き通っている。綺麗だが、装飾品としてはそれまでだろう。
骨董的な価値は、おそらくほとんどあるまい。だが―
「これは、どこから仕入れてきたの?」
「リアンとスフィーと一緒に旅行に行ったときにそこにあった骨董屋で買ったんですよ。
高山だったかな?そんな名前の温泉地なんですが…」
出てきた名前は、その筋には有名な地名である。
なるほど、あそこだったらこんな物が落ちていたとしてもなんの不思議もない。
「これ、見せてもらえるかな?」
「いいですよ…どうぞ」
健太郎から受け取って、真一郎は改めてそれを眺めた。
見れば見るほど、安っぽい感じはする。だが…見る人間が見れば分かるだろう。
この安物っぽいペンダントの価値…少なくとも、値札に乗っかっている値段ではとうて
い割に合うものではない。
式具と言うほど大層な物ではないが、これを持っているだけで大抵の霊障の問題は解決
できる。一定以下の霊なら、近寄ることすらできないだろう。
言うなれば、少々強力なお守りみたいなものだ。
無論普通の骨董品屋においてあるような代物ではない。
「これ、もらえる?」
「いいですが。他にも何か見ます?」
「いや、いい買い物をした。さすがは五月雨堂」
財布から料金を出して、ペンダントを受け取る。
見ると、ちょうど美由希もトランスを終えて帰ってきたようで、刀を鞘に納めてこちら
に戻ってきた。
「ありがとうございます。目の保養になりました」
「いえいえ。こっちも若い人に骨董に触れてもらって嬉しいですよ」
「さて、美由希ちゃん」
「はい?」
刀を健太郎に渡して振り向く美由希の首に、真一郎はさっきのペンダントをかけた。
美由希はきょとんとした目で、胸のペンダントと真一郎の顔を交互に見ている。
「プレゼントかな?一応で〜とだから、受け取ってくれると俺としては嬉しい」
「え…え!?」
「刀を贈ってもいいかなとも思わないでもなかったんだけど、やっぱりこういう物の方
 がいいと思って…どう思う?」
「それは…贈るならこっちの方がいいと思いますけど…そうじゃなくて、いただけません」
「真剣にもらえないと思ってるならそれでもいいけど、遠慮してるだけだったら貰って
 ほしいな。俺も一応男だから、こういうときに見栄を張りたいとか思う訳で…だから、
 俺を助けるとでも思って、受け取ってくれる?」
美由希はそれでも何か考えていたが、しばらくしてゆっくりと頷いた。
時間をかけて悩んだ割には、ずいぶんと嬉しそうではあるので、とりあえず真一郎は安
心した。
「じゃあ、俺たちはこれで失礼するね」
「ありがとうございました。槙原さんにはよろしく伝えてください」
「何か、椀を欲しいなんて言ってましたから案外すぐにでもくるかもしれない」
常連と店員の会話を少しだけして、真一郎は美由希と連れ立って『五月雨堂』を後にした。














「今日はありがとうございました」
日も落ちた臨海公園を歩きながら、美由希は言った。
ファミレスでの一件の機嫌も直って普通に真一郎の隣を歩ける、自分が嬉しい。
『五月雨堂』を出た後はまずまず『で〜と』と呼べる物だった。
適当にウィンドウショッピングをしながら街を歩き、夕食も真一郎にご馳走になって今
ここを歩いている。
「喜んでもらえて何よりだよ」
「それから…ごめんなさい。こんなものいただいちゃって」
美由希の胸に輝いている牙の形をしたペンダント。
結局、真一郎は値段を教えてくれなかったが小遣い一ヶ月分くらいでは買えないことな
ど、美由希でも分かった。
プレゼントされて嬉しいが、やっぱり少しは後ろめたい。
「いいの。俺があげたいからあげたんだから気にしないで」
だが、真一郎は美由希の考えを笑って受け流した。
それきり話すことがなくなってしまったので、そのまましばらく二人は黙って歩いた。
いきなり、真一郎が足を止めた。
「どうしたんですか?」
美由希は振り返って、真一郎を見る。
真一郎は何でもない様子で欄干まで歩いて、背をもたれた。
「…一週間、どうだった?」
「?…」
「この一週間、美由希ちゃんは色々な人にあったと思う。そして、色々なことを考えた」
葉弓、瞳とさくら、そして相川家の面々。
真一郎に色々連れて行ってもらって、怒ったりもした。
そして、それ以上に考えた気もする。それは―
「生き方って色々あるよ。恋人とか友達とか、そういう物を越えた関係になるのもいい
 し、もちろん『誰か一人』を追いかける生き方だって悪くないと思う。何故か、俺の
 周りにはいい見本になる人がいるけど…」
言って、真一郎は申し訳なさそうに苦笑する。
彼女達の怒っている顔でも想像しているのだろうか。
「生き方は色々ある…」
繰り返して、真一郎は美由希に向き直った。
湖面のように落ち着いた瞳。
その瞳に見つめられて、美由希の心は自然に静かに落ち着いた。
「美由希ちゃんは、何を選ぶ?」
いつか、誰かに聞かれる…そう覚悟していた質問。
一週間前にはその答えを考えもしなかった。
人に会って、考えて、そして今、美由希の中には答えがある。
「私は…歩きたいです」
恭也を好きだった。本当に、誰よりも好きだった自信があった。
それでも、恭也は那美を選んで美由希を選ばなかった。
正直、本当に落ち込んでいた。
恭也と那美と、顔を合わせるたびに胸が苦しくなった。
一人で泣いて、眠れなかったこともあった。
「恭ちゃんのことは好きですけど、それはこの際どうでもいいんです」
一週間、美由希は確かに強くなった。
笑みすら浮かべて恭也の名前を口にする彼女の顔に、もう陰りはない。
「どうでもいい?」
「はい。恭ちゃんが那美さんを選んだなら、それはしょうがないことなんです。好きに
 なって二人とも思いが通じてるなら、私はそれを見守っていきたいです」
「恭也君を思いつづけるって選択肢もあるんだよ?」
「私じゃ那美さんに勝ち目がありませんから。それで二人とも嫌な思いをさせちゃった
 ら、私こんどこそ本当に落ち込んじゃいます」
笑って、答える。
真一郎は美由希の顔をしばらく眺めていたが、小さく首を横に振って小さく笑った。
「美由希ちゃんは強いね…」
「そんなことありませんよ。相川さんの方が強いじゃないですか…」
誉められて、素直に嬉しいと思う。
何だか恥ずかしくなって、美由希は真一郎から目を逸らした。
「ううん。道を選べたのなら、それはすごい。だから、敬意を表して、俺も美由希ちゃん
に言うことがある」
真一郎の気配から、笑いが消える。
なにやら只ならぬ雰囲気を感じて、美由希はちゃんと彼に向き直った。
「俺は…」
真一郎はゆっくりと目を閉じた。
周囲の空気が変わる。
剣士としての美由希の本能に、何か得体の知れない信号が走った。
体が根拠のない『危険』を告げている。
昼間貰ったペンダントが、気のせいか微かに震えているような―









そして、閉じた時と同じくらいゆっくりと真一郎は目を開けた。
その目に、美由希は吸い寄せられる。
それはおそらく、人間の血よりも濃い赤。
およそ現実的でないその光景は、何故か真一郎には合っているような、そんな気がした。









「……人間じゃないんだ」

肌寒い風が、二人の間を駆け抜けた。