「恭也ー、リスティが早く仕事しろってー」



 特共研、テスタロッサ研究室。高校を卒業し特共研が個別に採用したすずかに、上司として

細々とした仕事を教えていると、紙の資料を抱えてやってきた美由希が開口一番にそう言った。



 すずかにちらと視線をやり、一息を吐く。頼んだ訳でもないのに、すずかはお茶を淹れるた

めに席を立った。美由希は資料を机の上に放ると、自分の席に腰を降ろす。新人にお茶を淹れ

てもらうことに全く抵抗を覚えないらしいこのメガネを果たしてどうするべきか。



 詮無いことを考えながら、美由希の言葉に応える。仕事と言われれば、悲しいかな、誰の言

葉であっても無視することはできないのだ。



「俺は常日頃からあの人に仕事を押し付けられているぞ。仕事と言われても何を指しているの

か分からん。もう少し具体的に言え」

「はやての機動六課に出向するでしょう? その時に使う私達の分隊名をさっさと決めて、分

隊印の草案も早く出せって」

「面倒くさいな」



 思わず本音が恭也の口をつく。



 形に拘るのが重要だ、というリスティの言い分は分かるが、恭也にとってはほとんどの物は

実用的でさえあれば、その他はどうでも良い。正気を疑うような名前でなければ分隊名など何

でも良かったし、分隊のマークなどなくても構わない。



 それを出せとリスティに言われたのはもう二週間は前のことだったが、恭也のそういう感性

が仕事そのものを忘却の彼方へと追いやっていたのだ。そのまま誤魔化せるかとさえ思ってい

たが、流石にそれは問屋が卸さなかったらしい。



 三人分のお茶を淹れたすずかが戻ってくる。メイドさながらの優美な動作で配膳するすずか

を何とはなしに眺めながら、この少女ならば妙案をひねり出してくれるのでは、という考えに

至った。



「すずか、何か意見があれば言ってくれ」

「意見ですか……」



 すずかは頬に指を当てて思案する。



 やがて何か思いついたのか小さく声を挙げたが、しかし、何も言わずに頬を染めて俯いてし

まった。恭也は美由希と顔を見合わせる。何か恥ずかしがるようなことがあっただろうか。



「ないならないで良いのだが、あるならば言ってくれると嬉しい」

「本当に何でも良いんですか?」

「意見がないよりは遥かにマシだ。あるならばどんどん言ってくれ」

「それじゃあ、あの…………グリフィンドールとか?」



 すずかのその言葉に、恥ずかしがっていた理由がすぐに理解できた。沈黙が三人の間に降り

る……よりも先に、恭也と美由希は反射的に口を開いていた。



「あー、それなら私はハッフルパフがいいかなー」

「ならば俺はスリザリンと答えねばなるまいな」



 二人ともすずかにだけ恥をかかせまいという理由で勢いで発言したのだが、恭也がすずかの

言葉に追従したことで、今度こそ本当に沈黙が部屋を支配した。何だ? と片眉を上げて問う

恭也を他所に、美由希とすずかが顔を見合わせて頷きあう。



「いいんじゃないかな、スリザリン。私はそれでいいと思うよ」

「分隊印を蛇にしろと? 異世界にまで権利がどうこうという問題は発生しないと思うが、流

石にそのまま使うのは良心の呵責がだな」

「間を取ってレイブンクローにしますか?」

「いいね! 真っ黒だし分隊長のイメージにぴったり!」

「同じことだ、馬鹿者……」



 溜息を吐きつつ、恭也は考えを巡らせた。良いアイデアを捻り出さねば本気でスリザリンに

されかねない。



「なのはとフェイトの分隊名はもう決まってるのか?」

「なのはのところがスターズで、フェイトのところがライトニングだって」

「二人とも、イメージ優先で決めたみたいですね」

「ならば俺達もイメージで決めるのが良いと思うのだがな」

「恭也のイメージねぇ……朴念仁?」

「強くてかっこよくて、素敵なところとか」

「じゃあ、強くてかっこよくて素敵で朴念仁な恭也分隊ってことで――」



 突っ込むよりも先に、恭也の指が美由希の額を弾いた。痛みに呻いて机に突っ伏す美由希を

見るともなしに見ていると、ふいに無難な案が閃く。



「ブレイド分隊……それで良しとするか」

「シンプルですね。でも、とても良いと思います」

「分隊印の草案だが……いつまで呻いてるそこのメガネ。何か案を出せ」

「……ブレイド分隊って決まったなら、刀で良いんじゃない? 交差する二本の刀とか」



 それだ! と言いかけて、恭也は慌てて口を噤んだ。ブレイド分隊の分隊印がそれならば確

かに覚えやすくて良いが、安直に過ぎる。ここで恭也がゴーサインを出したとしても、これは

つまらないとリスティに一蹴されるのが目に見えるようだった。



「さっきの話に戻ってしまいますけど、カラスを使うのはどうでしょうか。交差する二刀に跨

るカラスなんて、良いと思うのですけど」



 会話しつつ、すずかは紙に鉛筆を走らせた。交差する二刀に跨る黒いカラス。さっと描かれ

た割りにははっきりとした図案が気づけば出来上がっていた。完成されたそれを見て、思わず

美由希と一緒に声を挙げる。感嘆の声に、すずかは頬を染めて俯いた。



「上手いじゃないか。これならリスティも文句は言わないだろう」

「素人仕事で恥ずかしいですけど……でも、草案ならこんなものでも良いですよね?」

「上出来だ。しかし、草案ということは外部に発注するのか?」

「リスティの知りあいの漫画家さんに発注するとか言ってたよ。売れっ子らしいけど友達価格

で引き受けてくれたんだって」

「リスティの知りあいの漫画家か……」



 嫌な予感しかしなかった。遠い故郷で知り合った、彼女の姿が脳裏に浮かぶ。



「参考までに聞かせてもらうが、その漫画家というのはどんな人だ?」

「局員一家の生まれで元執務官だったんだけど、いきなり管理局を辞めて漫画家になったらし

いよ。今は週刊漫画の連載を持ってるとか何とか」

「異色の経歴だな。そんな元エリートとリスティが何故知り合いなんだ?」

「その人が執務官やってた時、リスティが補佐をやってたんだって」



 あまり興味がないのか、美由希の言葉はあっさりしたものだ。それに反して、恭也は自分の

身体が緊張しているのを感じ取っていた。嫌な汗が背中を流れる。漫画家の顔として浮かぶの

は、紛れもないあの人だった。



「言い忘れてたけど、分隊名と草案が決まったらさっさと持ってこいって」

「来客中みたいですけど、大丈夫なんですか?」

「いいんじゃない? お客さん、その漫画家さんらしいし」

「お前は俺にそんな魔境に行けというのか」



 出来ることなら窮地に自分から首を突っ込むような真似はしたくなかったのだが、そう思う

根拠を恭也は美由希達に説明することが出来なかった。今日まで話も聞いたことがなかった人

間が、故郷での苦手だった女性と同じに違いないと思うに至る根拠など、言葉で言い表せるは

ずもない。



 美由希は意味不明な抵抗を示す恭也に不思議そうな顔を向けていたが、適当な理由をつけて

リスティに会いたくないのだ、と勝手に解釈したらしく無言で出入り口を示して、行ってこい

と促してきた。



 深く突っ込まれるよりはありがたいが、やはり会いたくないものは会いたくない。



 陰鬱な気分で立ち上がり、分隊印の草案を持つと研究室を出る。リスティのいる部長室まで

はすぐだ。すれ違う同僚に適当に挨拶をしていると、目の前にはもう目的地の扉が。



 扉の向こうからは覚えのある声が聞こえる。外れて欲しいと願っていた確信に近い予想は、

これで確信に変わってしまった。出来ることなら誰かに仕事を丸投げしたい。人気の漫画家と

いうことなら、特共研の職員の中にも一人くらいはファンがいるだろう。



 だが、それで出来るのはその場凌ぎだ。確かに草案その他を知らせる仕事はそれでクリア出

来るが、他人に任せたということで報復を受けるに違いない。何より職場が同じなのだ。他人

を呼びに行かせた時点で強制呼び出しくらいは、リスティならば平気でやる。



『主様、リスティが呼んでいるようですわよ』



 律儀にもプレシアが忠告してくれる。忘れていた。部長室の前にはカメラがあるのだった。

部長室にいる間、その映像は自由に見ることが出来る。これで、来客である漫画家先生にも顔

は知れてしまった。



 覚悟を決めて、恭也は部長室のドアをノックした。軽い空気音と共に、ドアがスライドする。



「よぅ、お前が恭也・テスタロッサか?」



 ソファに腰掛けた漫画家先生は、肩越しに振り返ってにやりと笑みを浮かべる。



 また一歩、平和な時間が遠のいた。



 恭也は軽い眩暈を覚えながら、部長室に足を踏み入れた……
















 ちなみにこの分隊印であるが……



 機動六課がその設置期間を満了して一度解体された後も、せっかく作ったのだからとテスタ

ロッサ研究室のシンボルとして長く使われることになる。恭也は反対したが、恭也以外の特共

研の職員全員が賛成したため、彼に拒否権はなかった。



 そして、さらに二十年の後。



 地道な活動が功を奏し、テスタロッサ式が管理局にも世間にも第三の魔法体系として遅まき

ながら認められたる。そうして設立された魔導師協会のシンボルマークに採用されたのがこの

分隊印であるのだった。



 こんなことになるのだったら、もっと強固に反対しておけば……とその協会の初代会長に祭

り上げられた時に後悔することになるのだが、それはまた別の話である。