大好きだった兄は、唐突に死んだ。いつものように家を出て行ったのに、帰って来た時に

は冷たくなっていた。兄が死んだという事実に、不思議と涙は出なかった。



 ティアは笑顔がかわいいよ、というのが兄の口癖のようなものだったから、少しでも兄の

期待に応えようと思っていたのかもしれない。



 流石に笑顔を作ることはできなかったが、葬儀を手伝ってくれる大人たちの前でも涙を見

せることなく、それまでは兄の死に気丈に耐える出来た妹を演じることが出来たと思う。



 兄はこの世界の平和のために戦い、命を落としたのだ。



 悲しいことではあるけれど、立派なことなのだ。兄の同僚だった大人達は涙を流しながら

そう教えてくれた。兄の仕事については漠然と執務官を目指す管理局員であるということし

か知らなかったティアナだが、彼らの涙に兄はこれほど仲間に信頼されていたのかと思うと

心が熱くなった。



 いつか、お兄ちゃんみたいになる! 



 そう言うと兄は嬉しそうな、でも困ったような顔をして首を横に振っていた。危険なこと

に関わってほしくないというのが、兄の言い分だった。子供扱いをして、と不満に思うこと

もあったが、兄が自分のことを大切に思ってくれているのは子供ながらにも理解することが

できた。



 そんな兄が、ティアナは大好きだった。もう兄がいないのは悲しいことだけれど、世界の

ために戦って命を落とした兄が、ティアナは誇らしかった。



 兄のことを罵る声が聞こえたのは、葬儀も終わりに差し掛かった時のことだった。



 信じられない物を聞いた思いで、声の主を見た。茶色い地上本部の制服を来た、一目見た

だけで『偉い』立場にあることが解る人間だった。その男は従えた三人の部下に向かって、

誰に憚ることなく兄のことを罵倒していた。



 救いがあるとすれば、彼らに同調する人間が周囲にいなかったことだろう。周囲皆は男に

同調していたら、その時点で声をあげて泣いていただろう。



 今にしてみれば、男の主張も一部は理解できる。



 管理局の人間が、犯罪者を相手に後れを取り、あまつさえ命を落とした。本来ならばそれ

は絶対にあってはならないことだ。他の局員を戒める意味でも、こうあってはならないとい

うことを知らしめるのは、多かれ少なかれ必要なことではある。自分が同じ立場にあっても、

似たような方針は取るかもしれない。



 だが、唯一の肉親を失ったティアナとって、目の前にあるのは大好きな兄が貶められてい

るという事実だけだった。



 そんなことはない! と声を張り上げたかった。見っとも無く泣き喚いてでも、男を罵倒

したかった。



 しかし、ティアナにはそれだけの力がなかった。まだまだ子供だったティアナにとって、

男はずっと強大で、恐怖の具現のような存在だった。兄が貶められているという事実の前に

も足を踏み出せなくなるくらい、男のことが怖かった。



 ずっと堪えていた涙が零れそうになった。せめて葬儀が終わるまでは我慢しよう。そう心

に決めていたのに。泣いたらもう取り返しがつかなくなる。兄の好きでいてくれた、ティア

ナ・ランスターを守れなくなる。



 必死に堪えようとしても、涙を流そうとする身体を止めることが出来なかった。自分が泣

きそうだ、その気配を感じ取った兄の同僚が意を決して男に踏み出そうとしたその時、周囲

の人波を割いて、一人の男性が歩み出てきた。



『恐れながら申し上げます。今すぐその口を閉じていただきたい』



 その声は決して大きなものではなかったが、葬儀の会場に響き渡った。その言葉の意味す

るところと、その言葉を向けられた男がどういう立場の人間かをよく知っていた周囲の人間

達は、あまりの出来事にしん、と静まり返った。



 男がその強面を、声の主に向ける。その段になって、ティアナは彼の姿を見た。



 地上本部と茶色の制服と、航空隊の白い制服の中にあって、彼は一人だけ濃紺の制服――

本局の制服を着ていた。管理局の地上と本局の仲が悪いことは、ミッドチルダでは子供でも

知っている。新たに現れた本局の彼の言葉を受けて、というよりも彼の制服の色を見て男は

不快感を露にした



『本局の犬が……私のことを知らぬ訳ではあるまいな?』

「生憎と。寡聞にして存じ上げません』



 男の額にはっきりと青筋が浮かぶ。上司の激昂の予兆を感じ取った彼の部下達は、生意気

な本局への罵倒を上司に任せ、男から距離を取った。周囲の人間は元より、彼らに関わろう

としていない。



 葬儀の場にあって、俄かに地上本部と本局の人間の間に、火花が散った。



『小僧、所属と階級を言え』

『本局、特設共同技術研究開発部所属、恭也・テスタロッサ二等海士であります』



 彼の階級を聞いて、会場の人間はざわつき始めた。彼らは皆、『偉い』男が一佐であるこ

とを知っていた。違う組織の人間とは言え、階級としては最下層にいる人間が佐官に喧嘩を

売るとは――



 地上本部の人間が本局の人間と言い合っているのである。地上に所属する人間がほとんど

だった周囲の人間は本来『偉い』男に追従するのが普通であるのだが、彼のあまりにも剛毅

な態度に毒気を抜かれたのか、彼らはどちらを支持することもなく対決を見守っていた。



 あまり周囲の支持を得られていないことを敏感に感じ取った男は、不快感を一層深くし、

彼の所属と名前を心中で反芻した。男の顔に不快感に加え、侮蔑の色が浮かぶ。



『その名前、覚えがあるぞ。貴様、あの犯罪者の情夫か。よくも管理局の制服を着て――』



 男の言葉が、引き攣るようにして途中で止まった。ざわついていた周囲の人間達も、再び

しんと静まり返る。視線の中央にいたのは恭也・テスタロッサ。恭也は何をするでもなく、

ただ男を静かに見つめている、それだけだった。



 それだけなのに、ティアナは恭也が激怒しているのだということを感じ取れた。気配を感

じ取るような技能はティアナは勿論、恭也と相対していた男にもなかったはずだが、そんな

人間でも分かるほどに、その場には彼の感情が吹き荒れていた。



『…………制服を着て、どうしました?』



 彼が男の言葉の続きを促す。その頃には、その場に吹き荒れていた彼の感情の波も収まっ

ていた。二等海士に恐怖していた。その事実を振り払うように、男は彼に詰め寄り襟首を掴

み挙げる。一触即発の気配に周囲の緊張は高まるが、自分の襟首を掴む腕を眺める恭也の瞳

は冷ややかだった。



『離していただけますか?』

『黙れ! 貴様のような人間がいるから――』

『奇遇ですね、俺も似たようなことを思っておりました。殉職した人間を、葬儀の場で罵倒

するような人間がいるから、この世界は良くならんのですよ』

『貴様、私に楯突いてタダで済むと思うなよ』

『元より、この首をかけて御前に』



 自分の首筋を軽く叩いて見せた彼に、ついに男の堪忍袋の緒が切れた。渾身の力が込めら

れた男の拳が、彼の顔面を捉える。思わず顔を背けたくなるような轟音。誰もが彼が無様に

吹っ飛ぶ様を想像したが、彼は自分の足でしっかりとその場に立っていた。口の端に流れる

血を拭いながら、男を気丈に睨み返している。



 倒れない彼に、男はさらに激昂し拳を振り上げた。それに対応し、すっと彼が拳を引くの

がティアナには見えた。男の拳が彼の顔面に炸裂する、その刹那――それよりも速く放たれ

た彼の拳が、男の顔面を捉えた。



 先に聞いた轟音よりも、もっと異質な音が会場に響く。兄を罵倒した男の意識は、一瞬で

刈り取られたのだ。大柄な身体は冗談のように吹っ飛び、ごろごろと床を転がってようやく

止まった。



 誰もが唖然として彼を見守る中、最初に動き出したのは男の部下だった。



 完全にノビている男に駆け寄り安否を確認すると、主の復讐を果たさんとばかりに彼に憎

しみの篭った視線を向ける。この段階になって、ようやく周囲の人間も慌て出した。



 二士が佐官を殴り飛ばしたのだ。それだけでも前代未聞なのに、彼は本局の所属で、男は

地上本部の所属である。更に言えばこの葬儀は、故人の所属していた地上本部が取り仕切っ

ている。



 多かれ少なかれ、地上本部の人間は本局の人間に対し反感を持っている。地上所属ばかり

のこの場所で、普通ならば恭也は無事に帰れるはずはなかったのだが、男の行動を最初から

最後まで見ていた周囲の人間はどちらに追従したものか決めあぐねていた。



 組織の人間としては男に味方するべきであるが、最初に問題のある行動をしていたのは男

であり、手を挙げたのも男である。恭也は即座に対応したのではなく、一発は無抵抗に拳を

喰らってから、反撃を開始した。



 最終的に手を挙げたことに変わりはないが、一度は堪えたという事実は、周囲の人間が職

場意識に従って拳を振り上げさせることを躊躇わせるには、十分だった。



 そして、躊躇なく彼に味方する人間もいた。それまで拳を握るだけだった故人の同僚達が

恭也に掴みかかろうとする男の部下達に、背後から奇襲をかけたのだ。



 後はもう、皆入り乱れての乱闘騒ぎである。厳粛な場であるはずの葬儀会場での乱闘は騒

ぎを聞きつけた警備の人間がやってくるまで続き、恭也を始め多くの人間がしょっ引かれて

いった。



 後に残されたティアナは、乱闘に参加しなかった兄の同僚の前でついに涙を流した。声を

挙げて号泣するティアナに、流石に残された人間も慌て慰めの言葉をかけてくるが、ティア

ナの耳には、彼らの言葉は全く聞こえていなかった。



 誰も何もしてくれなかったあの場で、彼だけは男に向かってくれた。兄の名誉が汚されて

いることに憤り、自分の身を省みずに戦ってくれた。



 悲しみに耐えていただけのティアナは、それで救われた。誰かが自分のために戦ってくれ

る。それがどれだけ心強いことなのか、理屈ではなく心の奥底で理解した。





 そして、涙を流しながら思った。悲しみに暮れる自分のような人間を、身をもって助ける

ことの出来る強い人間になりたい。







 兄の残してくれた魔法と、その日芽生えた決意を持って。ティアナが管理局員を志すよう

になったのは、それからしばらくしてのことだった。



 







 





















 自分で撃ち倒した機械があげる煙の向こうに、ティアナは自分の過去を見た。



 あの日の決意を胸にここまで来た。決して平坦な道のりではなかったが、ただ泣くだけし

か出来なかった少女のティアナ・ランスターは、その代わりにほんの少しだけ強くなること

ができた。。まだまだ、あの日の恭也・テスタロッサのように誰かの心を救えるまでには至

っていないが、それでも、自分の力で何かを成したその時、自分がほんの少しでも前に進め

たと実感できた時、あの日の感動がティアナの心の中に昨日のことのように蘇るのだ。



 この身体を奮わせる思いが、ティアナ・ランスターの原動力だ。恭也が自分を救ってくれ

たように、誰かを救えるような強い人間になりたい。



 日々の勉強も訓練も、そして今日のこの試験も、そのための一歩だった。



 魔導師ランク、陸戦Aクラス。どうせならば仕事の成果だけで判断してほしいとも思うが、

こういう資格が上に行くために必要なことは変わっていない。高位魔導師としての実力を持

ちながら下位のランクに甘んじている魔導師もいるにはいるが、そういう輩は犯罪者である

か相当な変わり者のどちらかだ。



 魔導師ランクは給与の査定に直接影響するし、執務官や教導官などの特定の役職に就くた

めには一定以上の物が求められる。特別向上心がある訳でもない局員でも、上のランクを狙

えるだけの力量に達したら、とりあえず受験するのが普通だ。



 ティアナはそのランクを上を目指すために取得している。執務官になるためには最低でも

AA−以上のランクが必要で、今回受験するAランクなどは通過点に過ぎない。いずれはず

っとずっと上をという思いもあるが、自分に突出した才能がないことは十分に承知していた。



 訓練校にいる間に試験を受け、卒業してからも半年ごとにきっちりと受験してきたが、落

ちることなく合格できるのはこれで最後だろう。訓練と勉強を重ね、次に試験を通るのはい

つになることか……



 鬱々した気分を振り払うように頭を振る。目標が決まっているのだから、後はそれに向か

って努力するだけ。悪い未来を直ぐに想像するのは、自分の悪い癖の一つだ。



 さて、と自分が倒した相手を観察する。



 頂上部にセンサーのついた、丸い球体である。自分の腕では抱えられないほどに大きく、

体積は自分の五倍はあるだろう。その巨体の中央には自分で空けた大穴がある。球体が張っ

たバリアに対し一点を射撃し続け、僅かに薄くなったところを貫通弾で一撃。



 高い防御力を持った相手というのは射撃型の自分には相性の悪い相手だったが、どうにか

一人で対応することが出来た。これと同程度の反応が同じビルの中にあったが、それも今は

消えている。相棒も上手いことやってくれたのだろう。



 そんなことを考えていると、向かいの扉の外からローラーの駆動音が聞こえてくる。その

あまりの勢いの良さにティアナは溜息を吐き、一歩身体を引いた。こちらに合流と伝えたの

は、やはり間違いだったかもしれない。



 ティアナが身体を引くのと同時、くの字に折れ曲がった扉が弾丸のように今さっきまで立

っていた場所を通り過ぎていった。扉が壁にぶち当たって壁を削り、ガランガランと音を立

てて自分の扉としての使命が終わったことを周囲に告げた。



 そんな無常を感じさせる音を耳の端に聞きながら、扉以上の速度ですっ飛んできた相棒を

抱きとめる。勢いが強すぎて押し倒されそうになるが、これもいつものこと。慣れた調子で

相棒の勢いを殺し、ティアナはカップルがするように相棒を抱えてくるくるとその場で回転

する。



「ティアー、やったよ私!」

「そうね、偉いわねスバル」



 子犬がするように身体を擦り付けてくる相棒に辟易としつつも、その言葉からきっちりと

成果を挙げたことを確認して安堵する。



 スバル・ナカジマ。訓練校時代からの相棒である。スバルが優秀であるというのは何より

相棒であるティアナが一番理解していたが、同時に短所も理解していた。



 スバルは高い実力の割りに抜けたところがある。もしかしたらしなくても良い怪我でもし

てるのではと、あくまで相棒として気が気ではなかったのだが、スバルの身体の見える部分

には怪我らしいものなく、その童顔にはいつも通り能天気な笑顔が浮かんでいる。



 言葉の通り、無事に分担をクリアしてきたのだろう。デバイスをリンクさえて、ターゲッ

トを打ち漏らしていないことを確認すると、いつまでも抱きついたままのスバルを強引に引

き剥がし、ビルの出口に向かって移動する。



 ゴール地点までおよそ一キロ。このビルにあったような強力な障害はもうなく、後は途中

にある設置式のターゲットを破壊して、ゴールテープを切るだけ。空を飛べず加速系魔法を

習得していないティアナがただ走るだけでも十分に間に合うほど、時間には余裕があった。



 張り詰めた気持ちはそのままに、ティアナは微かに笑みを浮かべた。



「どうにか一発で合格できそうね」

「だねー。Aランクの試験なんだからもう少し手ごわいかと思ってたけど、どうにかなっち

ゃったね」

「楽に済むならそれに越したことはないでしょ? その分、勉強とか訓練に時間を避けるん

だから」

「ティアー、こういう時くらい勉強とか訓練のこと考えるのやめようよー」

「あんたは考えなさ過ぎよ。それで結局出来ちゃうんだから、デキる人って得よね」

「そんなことないよ。学科試験をクリアできたのは、絶対にティアのおかげだもん!」



 力説するスバルからは、本当にそう思っている気配がありありと感じられる。本人が一番

自覚していないことだが、スバル・ナカジマという少女は実は頭が良い。訓練校の単純な学

科試験程度ならば、例え自分のフォローがなくとも問題なく単位を取得できただろう。



 それなのに同室のよしみで尻を引っぱたいて勉強させたものだから、結局学科の成績もト

ップクラスで訓練校を卒業してしまった。それでもティアのおかげー、と能天気に褒めちぎ

ってくるものだから、たまにどころか一日一回は張り倒したくなるものの、スバルの能天気

な笑顔を見ていると苛立っている自分が馬鹿らしくなってしまう。



 訓練校時代からスバルの明るさの笑顔には何度も救われてきた。口に出して言ったことは

あまりないが、スバルのことはこの世で一番の親友と思っている。



 こういうのも惚れた弱みと言うのかしら、と馬鹿なことを考えながらドアを開け、外に一

歩踏み出すと――



「ティア!」



 スバルに襟を捕まれて引き倒されたのはその時だった、ティアナを引き倒した反動で、ス

バルは一人外に身を乗り出す形になった。不安定な体勢のスバル。空気を割いて何かが飛来

する音。



 攻撃された。ティアナがそれを理解しスバルの援護をしようと動き出すよりも早く、その

攻撃はスバルに着弾した。爆風と一緒に吹っ飛ばされるスバルを受け止め、ビルの中に退避

すると同時に周囲の索敵を行う。



 魔導師が潜んでいる気配も、今まで撃破してきたスフィアがいる気配もない。



 だが現実にスバルは攻撃された。身体に当たる直前にバリアで覆った腕でガードしたのだ

ろうが、それでも相殺しきれなかったらしい。右のデバイスが周辺のバリアジャケットごと

吹き飛び、地の肌が露出している。



 デバイスはコアさえ破壊されなければ機能する。無事だったデバイスの機能によって破損

したバリアジャケットなどは直ちに修復されたが、奇襲されたとは言え防ぎ切れなかったと

いう事実はティアナとスバルの肝を冷やした。



「……スバル、大丈夫?」

「何とかね」

「狙撃されたのかしら。近くに魔導師の気配はなかったはずなんだけど」

「撃たれた弾がこの辺りにいくつか浮いてるのが見えたよ。そのうち一個が私達を狙ったみ

たい」

「手の込んだことしてくれるわね、まったく」



 ぶちぶちと文句を零しながらも、周囲を索敵する。高度に圧縮された魔力――攻撃用の弾丸

だろう――が十三個、こちらを包囲するように周囲を漂っている。窓まで這って近付き肉眼で

確認してみる。特に光学的な迷彩はしていないらしく、スバルだから弾丸が見えたというので

はなさそうだった。



 何某かの理由でスバルにしか見えない、もしくは偶然視認できたのだったらこの時点でお手

上げだったが、まだ運は残っているらしい。見えている分が囮で実際には隠された弾丸がある

可能性は否定できないものの、索敵して発見できなかったものまで気にしていたら何も出来な

い。



 そうされたら負けるしかないのだ。その可能性は、この際無視して良い。



「状況から見て、スバルを撃ったのは私達よりも高ランクの魔導師でしょうね。魔力弾の数か

ら考えて、それが二人から三人、このビルが見える位置に陣取って網を張ってるわ」

「中までは襲ってこないのかな。そうなってたらピンチだったから、今は助かってるけど」

「あり難いことに倒しにくるつもりはないみたいよ。これは試験だから、私達を倒さなくても

向こうは勝利できる訳だしね」



 ティアナ達の勝利条件は、ターゲットを全て破壊し時間内にゴールすることだ。要はゴー

を邪魔することさえ出来るのならば、僅かでも危険を冒して倒しに来る必要はない。



「魔力弾も本当ならもっと増やせるんでしょうけど、消耗した弾丸以外は補充しないってル

ールみたいね。ビルから出たら、私でもスバルでも問答無用で撃ってくる……そういう方針

でしょ」

「ゴールまで後少しなのにね……どうしよっか、ティア」



 何も考えている様子のない相棒に思わず手が出そうになるのを、ぐっと堪える。訓練校時

代からずっとこの能天気な相棒にはイライラさせられてきたが、そのお陰で高い忍耐力を得

ることが出来た。



 この程度の苛立ちなど、いつものことである。落ち着いて、冷静に。呪文のように心中で

繰り返し、思考に没頭する。



 足止めされたことで、時間は厳しくなってしまった。ゴールまでの距離はおよそ一キロ。

魔力弾の中を行くことを考えたら、もうティアナの足では間に合わないだろう。二人一緒に

ゴールするにはスバルに背負ってもらって走るしかないが、ティアナを背負うとスバルの両

手は塞がってしまい、飛来した弾丸を防ぐことが不可能になる。



 ティアナが自分で撃ち落すという選択肢は、最初から除外されている。射撃の訓練は欠か

していないが、スバルに背負われた状態で全方位から襲ってくる魔力弾全てを撃ち落すのも、

どう考えても不可能だった。



 ティアナはそっと、スバルを見た。何か良い案を考えてくれる。スバルの瞳はそれを信じ

て疑っていなかった。その信頼を裏切りたくはない。



 だが、自分が足止めをして、スバルが全速力で走れば、彼女一人ならばきっと合格できる。



 その可能性にはスバル自身も思い至っているはずである。考えてみたが、それが一番現実

性のあるプランだ。スバルの盾になると決めれば自分にだって時間は稼げるし、スバルも背

中に重りを背負わず全速力で走れるなら、仮に魔力弾に被弾しても力尽きる前にゴールでき

る。



 口に出かけたその案を、しかしティアナは頭を振って体外に追いやった。スバルは見た目

通りの少女だ。自発的に仲間を裏切るような真似は、どれだけ理屈を並べられたとしても絶

対にしない。



 大きく深呼吸をし、ティアナは気持ちを落ち着けた。二人分の人生を背負っているという

プレッシャーが、逆にティアナの頭を冴え渡らせた。



「考え付いたけど、ぶっつけ本番よ。スバルにも危ない橋を渡ってもらうし、私も失敗する

かもしれない。成功する確率は多分五割もないと思うけど……それでもやる?」

「私はティアが考えてくれたことなら、何も文句はないよ」

「私のせいで試験に落ちるかもしれないのよ。あんた一人だったら、合格できるのに」

「そんなの全然嬉しくないよ。ティアと一緒じゃなきゃ意味がないもん」

「……あんた、本っ当に馬鹿よね」

「えへへ、よく言われる」



 スバルの無邪気な笑顔には、力があった。私達ならやれる……そんな気分になってくる。

彼女が相棒で本当に良かったと思う瞬間だった。この気質に、何度励まされたかしれない。



 零れ落ちそうになる涙を指で誤魔化しながら、空薬莢を輩出しカートリッジを入れ替える。



「落ちたらお詫びに例の店の特大パフェをご馳走するわ」

「じゃあ受かったらお祝いに二人でそのパフェ半分こしようよ。もちろん、支払いは割り勘

で」

「アンタが八割以上食べるのに割り勘って理不尽っていうか、その条件だと私が一方的に損

してない?」

「じゃあ、何かティア食べたいものある? 何でもいいよ、一緒に食べよう」

「あんたの頭の中には食べ物のことしかないの?」



 誤魔化すようにスバルは微笑み、右手を差し出してくる。ティアナは黙ってその拳にアン

カーガンの銃床を打ち合わせた。



 作戦、開始。

























「さてさて、どう出てくるかな」



 ティアナ達が足を止めているビルから200メートル離れた高台で、高町なのは一人呟い

た。レイジングハートを一振りすると、その意を受けてビルの周囲に配置された魔力弾が再

配置される。配置されている魔力弾は13個。最初は14個だったが、スバルに落とされて

しまったので一つ減っている。



 損耗した魔力弾は補充しない、というのが試験官の仕事を受けた際になのはが自分に課し

たルールの一つだった。倒すつもりならば先ほどスバルに魔力弾を当てた時にやっている。

なのはの役目はあくまで試験官だ。受験者を妨害することでそ力量を見極めるのが仕事であ

る。



 その試験官の観点に立ってみれば、スバルの力量は申し分ない。



 死角から放った魔力弾に対応できる反射神経。受け止める防御の堅さ。その他スフィアを

撃破する際の反応など、現在の魔導師ランクがBというのが信じられないほどの動きだ。現

時点でも単純な力量だけならば十分にAランク、上手くすればAA−ランクを狙えるかもし

れない。



 訓練校を卒業して間もない新人であり、救助部隊に所属していることからあまり上層部に

は注目されていない。ここまでの対応とその事実だけで、新部隊への引き抜き決定と試験の

合格を決めるには十分だった。



 問題はもう一人。スバルの相棒たる、ティアナ・ランスターである。



 スバルには何度か会ったことがある。彼女の師であるクイントも姉のギンガも立派なSA

の使い手で、クイントは既に新部隊交代部隊への異動が内定している。スバルはそのクイン

トからの推挙で、SAに関してはあの恭也も条件付ではあるが腕前を認めている。



 だが、ティアナのことはなのはも全く知らない。



 訓練校での成績と配属されてからの評定には目を通した。執務官志望というだけあって見

識も広く、現場指揮や緊急対応の評定も最高ランク。空を飛ぶことは出来ないようだが、目

に見えた減点要素はそれだけだ。局員歴と年齢を考えたら、この評価、この実績は十二分に

優秀と判断することができ、将来が有望なのは手に見て取れた。



 何れは夢を叶え執務官になれるだろう。色々な部分からその片鱗を感じることは出来るの

だが……ティアナに関しては残念ながら『それだけ』だった。高水準で纏まってはいるのだ

が、突出したところがない。



 現場指揮や緊急対応など見るべきところはあるものの、それは自分やフェイトならば問題

なく出来ることだし、いざとなったらあの恭也でも可能なことだ。デンと構えて指示を出す

人間が現場で重要なことはなのはも理解しているものの、今求めているのはそういう人材で

はなく、現場で戦い生還できる人材だ。そういう点において、ティアナは聊か力不足に見え

た。



 そっと、溜息を吐く。



 ティアナが駄目となると、もう一人の候補――ギンガを採用することになる。ギンガは実

力、実績と申し分なく、妹であるスバルとのコンビネーションも期待が出来た。現在所属し

ている部隊からの引き抜きは交渉、手続きは難航するだろうが、部隊長であるゲンヤ・ナカ

ジマとは皆知らない仲ではない。既にクイントもこちらにいることであるし、一年間という

期間限定ならば表面上は快諾してくれるだろう。



 だが、問題もある。



 局員として優秀なギンガであるが、彼女の採用に関してはなのはと同じく分隊を率いる予

定であるフェイトが難色を示していた。クイントの手前声に出してはいないが、お兄ちゃん

子の彼女は、兄に猛烈にアプローチをかけてくるギンガを強く警戒しているのだ。仕事に私

情を挟むな、と友人としては言うべきなのだろうが、選考しているのはいざという時に命を

預けなければならない相手だ。仲良くできる人間を集められるなら、それに越したことはな

い。



 だから今日の試験でティアナが問題なければ彼女をそのまま採用し、密かに新部隊入りを

希望しているらしいギンガ本人以外は丸く収まるはずだったのだが……



 さて、となのはは首を捻る。



 スバルの採用が半ば決定的な現在、保有制限を加味すると採用できる人間は後一人。これ

以上人材を探すことに時間は割けないから、ティアナかギンガ、採用するのはそのどちらか

ということになる。フェイトが率いる分隊は彼女本人とシグナム、残りはエリオとキャロで

埋まっているから、スバルと最後の一人は必然的になのはの部下ということになる。採用の

最終的な決定権もなのはに帰属していた。



 フェイトと同じく私情で判断するのなら、自分の精神衛生のためにもティアナを採用した

いが、現状知りうる限りの情報で判断した場合、引き抜きの手間とフェイトとの確執を考慮

にいれてもギンガにせざるを得ない。フェイトはそれでも反対意見を出してくるだろうが、

ティアナに関する資料と今日の試験のデータを見せれば、フェイトでも同じ結論になるはず

だ。



 陸士部隊への交渉よりも、フェイトの説得の大変さを想像し辟易していると、ビルに動き

があった。



 出口から弾丸のようにスバルが飛び出してきたのだ。ティアナの姿は見えない。資料には

幻覚魔法が得意とあったが、それで姿を隠しているのだろうか?



 デバイスでサーチすればこの距離からでも正確な位置は解るのだろうが、それはハンデと

して禁じている。刺し当たっては目に見えている相手に攻撃を加えなければならない。



 この後に及んで隠れているティアナに少しだけ幻滅しながら、なのはは行動を開始した。

 

 隠れているティアナのために数個を残し、残りをスバルへ。最初は正面に迂回させた弾で

攻撃――着弾する瞬間、スバルはローラーで爆走しながら体を捻り、魔力弾を強引に避けて

みせた。スバルの視線が魔力弾を追ってせわしなく動いているのがここからでも見える。至

近距離まで引きつけて避けたことに感嘆の溜息を漏らしながら、魔力弾で立て続けに狙撃す

る。



 その雨のような攻撃をスバルは器用に避け続けた。体を捻り、ローラーを加速させ、時に

は地面を這うように滑走しながら、それでも少しずつ、こちらへと向かってくる。



 魔力弾の動きに関して手を抜いているつもりはない。セーブしているのは威力と個数だけ

だ。撃退するつもりで攻撃しているのに、スバルはそれを避け続けている。後進の技量を素

直に褒め称える場面であるが……その整然とした動きになのはは微かな違和感を覚えた。



 時間をかけては不味い。そう判断したなのはは魔力弾を全てスバルの周囲に集め、反応す

る間も与えず、一斉攻撃を放った。



 動線は全て塞いだ。空間転移でもしない限り、これを避けることは物理的に不可能だ。ス

バルの選択肢は直撃を受け入れるか、押し切られるのを解った上で防御するしかない。普通

の神経をした魔導師ならば生存本能に従って、当然後者を選択するはずである。



 だが、スバルは前者を選択した。魔力弾はスバルの身体に殺到し――その全てがスバルの

身体を通過した。全ての魔力弾の直撃を受けたスバルの身体は、空気に溶けるようにして消

える。



 魔法による幻体だった。それを理解すると同時に、なのはの顔に喜色が浮かぶ。



 ティアナの仕業だ! 



 スバルの幻でこちらを騙していたのだ。ありきたりな手段ではあるが、驚くべきはその精

度である。ティアナは近接戦闘に重きを置くタイプではない。クロスレンジで力を発揮する

相棒のスバルとは、ちょうど対局にいると言っても良い。



 そのティアナがスバルの動きを、おそらく本物と違わないだろうレベルでもって再現して

見せた。これは時間をかければ、そして幻術が使えれば誰でも出来るというものではない。

真逆のタイプであるスバルの動きを理屈と感覚の両方で理解していなければ、成し得ないこ

とだった。



 自分の感覚が研ぎ澄まされて行くのを、なのはは感じていた。



 獲物を狙う狩人の目で、二人が立てこもっていたビルの付近からゴールの間を探る。一直

線に、しかし静かに立ち上る土煙を見つけるのに、一瞬もかからなかった。



 なのはが捕捉すると同時に、スバル達は不可視の幻覚を解除した。こちらの視線を知って

か知らずか、脇目も振らずにゴールに向かって一直線に駆けて行く。ローラーで速度の出せ

るスバルがティアナを背負い、ゴールまで走るというあまり格好いいスタイルではなかった

が、二人でゴールするためにはそれしかない。



 差し迫ったこの状況でも二人でゴールしようというその根性は見事なものだ。こちらに捕

促されてもなお、スバルはティアナを放りだそうとはしていない。あくまでも二人でゴール

するというのが、二人の意思なのか。



 だが、幾ら強く思っても、それだけでどうにかなるほど現実は甘くはない。



 先の精巧なスバルの幻体も時間稼ぎだったのだろうが、ゴールまでの時間を稼ぐには不十

分だった。高町なのははこの距離からでも、人を撃てる。そして魔力弾はスバルのローラー

よりも絶対的に速い。



 レイジングハートが算出した。スバル達がゴールするまでの時間、残り十秒。



 自分の勝ちを確信し、なのはは口の端を挙げた。その意に従い鋭角的な軌道を描いた魔力

弾が二人に殺到する。その瞬間――



 スバルの背後から、光の道が伸びた。そして現れたもう一組のスバルとティアナが、その

光の道に飛び込む。妨害しようにも、既に狙いの定まった魔力弾の軌道にその道はない。魔

力弾は二人を――二人の幻を貫き、誰よりも先にゴールテープを切った。



 螺旋を描いた光の道を、ティアナを背負ったままスバルは撃走する。その背でティアナは

しっかりと銃を構え、ぴたりとこちらに狙いを着けていた。200メートルの距離を隔てて、

視線が交錯する。



 ティアナの銃から、オレンジ色の光が放たれる。事務的に警告を発するレイジングハート

の声をどこか遠くに聞きながら、なのは彼女らが同僚になる近い未来を思い描いて心を躍ら

せていた。









 























「ゴールっ!!!!」



 自分の放った弾丸が相手に届いた手応えを感じると同時に、ティアナはスバルの背から放

り出された。そのまま碌な整備もされていないアスファルトの地面をゴロゴロと転がる。と

にかく走れと止まる時のことを考えずに指示を出したのは自分だが、バリアジャケットを展

開しているとは言え、地面を転がればそれなりに痛い。



 少しくらいは文句を言ってやろうと額を押さえて立ち上がると、復讐相手であるところの

スバルはは重りを捨てても止まりきれなかったらしく、壁を突き破って遥か下の地面に落下

していくところだった。



 遠くなっていくスバルの悲鳴には、どこか楽しさすら感じられた。普通の人間ならば命の

心配をする場面であるが、落ちた本人があの調子ならばそのうちひょっこり帰ってくるだろ

う。



 ティアナは大きく息を吐き、アスファルトに大の字になった。



 魔力弾を操る試験官に、バレずにゴール出来るかは本当に賭けだった。スバルの幻覚が後

少し早く見破られていたら、試験官がほんのちょっと注意深かったら、自分達はゴールする

ずっと前に宙に舞っていただろう。



 特に幻の自分達の背後を魔法で隠れたまま、試験官の前に姿を出した時は死ぬかと思うく

らいに緊張した。試験官が速度を優先して直線的に攻撃したから良かったようなものの、万

全を期して魔力弾で包囲する選択をしていたら、幻ごと貫かれていても可笑しくはなかった。



 思えば馬鹿な作戦を立てたものだと思う。運を天に任せた最低の作戦だったが、それを実

行するに最低限の実力はお互いに持っていたし、何より時間がなかった。作戦が成功した最

大の要因は運であるのは間違いないが、二人で無事にゴールするという目的は果たすことが

出来た。同じ作戦を二度とやりたいとは思わないが、上々の結果と言える。



 一時は受かることすら危ぶまれた試験だったが、ターゲットは全て破壊し、時間内にゴー

ルした。ビルで足止めを喰らったこと、最後の作戦のことまで含めて途中の行動はお世辞に

も満点とは言えないが、不合格にされるだけの要素は何処にもない。スバルが落ちたという

オチが不安要素ではあるものの、それだって合格を取り消すだけの問題にはならないはずで

ある。自己採点では合格は確定的だ。何も問題はない……



「お疲れのところ申し訳ないけど、良いかな」



 逆さになったティアナの視界に、申し訳なさそうな顔をした女性の顔が現れた。



 試験はまだ完了していないのだ。気を抜いていた自分を恥じ、ティアナは大慌てで立ち上

がる。



 全然それっぽくはないが、この場に現れたということは試験官の一人なのだろう。試験開

始の時はガイドアナアナウンスのみだったから、この女性とと顔を合わせるのはこれが初め

である。



「貴女はティアナ・ランスター二等陸士で良いんだよね。で、さっきそこから落ちていった

わんこが――」

「スバル・ナカジマ二等陸士です!」



 ぎゅるり、と落ちていったのと逆サイドからウィングロードが伸び、土煙を上げてスバル

が帰ってきた。試験官の女性と自分の間で急ブレーキをかけ、何事もなかったかのように敬

礼する。



 思わず頭を抱えたくなるくらいの間の悪さだったが、試験官の女性は寛容な性格をしてい

るらしい。それとも態々付き合うのも面倒臭いと思ったのか、女性ははスバルの行動には小

さく苦笑を浮かべるだけに留めると、サインフレームを呼び出し試験の内容を確認する。



「結論から言うと貴女達二人は合格です。おめでとう。書類上では今この段階からランクA

の魔導師になるけど、免許そのものは明日付けで発行になるから、時間がある時に免許セン

ターに受け取りに行ってね。見せる機会がないからっていつまでも受け取りに来ない人がい

るらしいから、ちゃんとだよ」



 困ったように微笑む試験官の女性は、何だか自分よりも年下に見えた。



 野暮ったい黒ブチの眼鏡に、みつあみにされた長い黒髪。物腰も穏やかで顔には人を安心

させるような笑顔が浮かんでいる。管理局の制服を着ていなければ、花屋の店員とでも思

っていただろうが、人畜無害そうな女性を前にティアナは逆に肝が冷えるような思いを味わ

っていた。



 立ち振る舞いに、恐ろしいまでに隙がない。訓練校にも近接戦闘の得意な高位魔導師の教

官はいたが、その彼が話にならないくらい眼前の女性は高みにいるように思えた。見れば、

慣れない手付きでサインフレームを操作してい女性の手は、まるで別の生物のものであるか

のようにゴツゴツとしている。



 あれは長い時間を過酷な鍛錬に費やした人間の手だ。スバルの手をいつも見ているティア

ナだから解る。スバルのそれとも比較にならないほど、女性の手には鍛錬の歴史が刻み込ま

れていた。



 戦えば、この女性はどんな動きをするのだろう。そして、自分はどれだけ持ちこたえるこ

とが出来るのだろう。



 夢想するが、女性のことをティアナは何も知らない。答えが出るはずのない脳内の問答に

区切りをつけて、改めて女性を見やる。黒ブチ眼鏡の奥に、茶色の瞳が揺れている。



 瞬間、ティアナの脳裏に一つの名前が閃いた。一度たりとも話したことはないが、遠目に

見た記憶がある。本局特共研に二人いる、『魔法を使わない魔導師』の一人。あの高町なの

はの姉にして、『彼』の部下。当代最強の剣士の一人――



「……もしかして、高町美由希一等海士ですか?」

「そうだけど……あれ、スバル、私のこと教えた?」



 んーん、とスバルが首を横に振る。妙にフランクな反応に違和感を覚えたティアナが視線

を向けるとスバルは不思議そうに首を傾げ、それからぽん、と手を打った。



「ミュー姉はね、私が小さい頃からの知りあいなんだ。ギン姉と一緒に遊んでもらったこと

もあるんだよ」

「そんなこともあったよねー。ギンガもルーテシアもイマイチ私に懐いてくれなかったから、

ミュー姉ミュー姉言ってくれるスバルは凄くかわいかったよ」

「あー、今が可愛くないみたいな言い方じゃない?」

「そんなことないって。スバルは今でも十分かわいいよ」

「ありがとー、ミュー姉」

「話を進めてもらっても良いでしょうか」



 そのままではいつまで経ってもいちゃいちゃしていそうだったので、咳払いをして強引に

話を引き戻す。ハメを外し過ぎたという自覚はあったのか、美由希は僅かに頬を染めてスバ

ルから距離を取った。



「話っていうと何かな。私の仕事は合格を伝えるだで終わりなんだけど」

「ゴールする直前、追撃回避のためとは言え試験官に向けて発砲しました。それに関してお

咎めがあったりはしないのでしょうか?」

「自分で答えを言ってるよ。追撃回避って理由があるなら、こっちから罰する理由はないよ

ね」

「ですが、試験官の裁量によっては危険行為と認定されます」



 まるで危険行為を認定してほしいかのようなティアナの物言いに、美由希も言い淀んだ。

もちろんティアナもそうしてほしい訳ではない。ただ、自分のやった行いでどういう結果が

起きたのか知っておきたかった。



 普通にしていたら試験の細かな内容など受験者には教えてくれない。多少評定で痛い目を

見ることにはなるが、情報が得られるのならばそれで良い。



 尤も、情報が得られるかどうかというのは別の話だが……



「多少撃たれたくらいじゃあの娘はびくともしないから大丈夫。危険は全くなし。だから危

険行為なんてありませんでした。細かな評定が欲しいなら後で資料を送るように手配するけ

ど、どうする?」

「いえ、そこまでお手を煩わせるわけにはいきません。ありがとうございました」



 ティアナの予想を裏切って美由希は存外にあっさりと口を割ったが、聞いた側のティアナ

にとって、その内容は期待していたほど喜ばしいことではなかった。



 あの時間で準備できる攻撃の威力などたかがしれている。しかし、その範囲で出来るもの

として、最後の攻撃は最高の物だった。それが問題にされていないのである。



 相手は自分よりも高位の魔導師。ランク一つで魔導師の質は大きく変わる。試験官で攻撃

を受け持つような魔導師なのだから一流であるに違いない。自分がその一角に加わっている

と踏ん反り返るつもりはないが、悔しい物はどうしたって悔しい。



「ティア、また怖い顔してるよ。ほら、スマイルー」



 考え込んでいたティアナの頬を、スバルが無遠慮に摘む。最初は言葉の通り無理矢理にで

も笑顔を作ろうとしていたのだろうが、初めて二秒でただ頬を弄ることに専念し始める。



 スバルなりの気遣いに礼儀として一瞬だけ心を温めると、ティアナは直ぐに気持ちを引き

締めて拳を握った。スバルの肩を強引に下に押し込み、躊躇いなく拳骨を振り下ろす。



 火花が散った、ような気がした。



「仲がいいね、二人とも」

「友達で仲間なことが自分でも不思議ですけどね」



 若い身空でお互いの一番が同性といのは悲しい事実だが、今は愛情よりも友情、色気より

も食い気である。特にスバルがその傾向が顕著だったおかげで、今の自分があると言っても

過言ではない。寂しい青春が現在も進行していても、気にすることではない。そんなものは

一人前になってから取り返せば良いのだ。



「ほら、いつまで痛がってんのよアンタ」

「自分でやっておいて酷いよティア」

「アンタが下らないことするからでしょ? まぁ、元気は出たけど……」

「そう? なら良かった」



 にこー、と笑うスバルからティアナはそっと目を逸らした。見慣れた天真爛漫なスバルの

笑顔を見るのが、何故だか妙に気恥ずかしかった。