1、



 理性と常識を持っていることで感じるプレッシャーが、ティアナ・ランスターをを苦しめ

ていた。




 正面にはプレッシャーの原因――八神はやて二等陸佐がいる。彼女の所属は本局で地上所

属のティアナとは元来それほど接点はないのだが、彼女は泣く子も黙る上級キャリア。見聞

を広めるため地上に出向しているから、ティアナでも見かける機会は何度かあった。



 もちろん話したことはないし、顔見知りでもない。ティアナははやての顔と名前は知って

いたが、向こうは一介のニ士の顔も名前も知らないはずである。八神はやては絶賛売り出し

中のニ佐で、こちらは新米のニ士。彼我の差は歴然としていた。



 その歴然とした差の上に存在する高位魔導師が、自分と相棒の前にいる。ありえないこと

に、こちらを歓待している雰囲気だった。魔導師ランクの試験を終えて、さっさと帰るつも

りだったティアナにはほどよい奇襲である。



「まぁ、そんなに固くならんでなー。別にとって食べる訳やあらへんし」



 がちがちに緊張しているティアナを見て、はやては苦笑気味に微笑んだ。有名人を前に緊

張するなというのも無理な話だが、緊張しっぱなしでは何も始まらない。



 深呼吸をして、眼前のカップに手を伸ばす。良い香りのそれは、はやてが手ずから淹れて

くれた紅茶だった。飲み物にはそれほど拘りのないティアナにも、一目で高級品と察せられ

るような一品である。



 恐る恐る口をつけてみた。今まで飲んだどんな紅茶よりも、美味しい。



「それは聖王教会の騎士さんから分けてもらった一品でな、私も大好きなんよ」

「お茶の味はよく解らないけど、お茶菓子は美味しいですよはやてさん」

「そうかー、スバルにはまだ解らんかー」



 ははは、と和やかに談笑していた相棒の後頭部を問答無用で叩く。予想以上の小気味の良

い音にはやても軽い驚きの表情を浮かべるが、それは愛想笑いを浮かべて誤魔化し、スバル

の耳のぐいと引っ張ると、耳元に顔を近づけた。



(あんた、八神ニ佐と知り合いなの?)

(く、空港火災に巻き込まれた時にたまたま現場にいたはやてさんが指揮を執ってて、その

時の縁で知り合ったんだけど――ティア、出来たらもう少し優しくお願い。このままだと耳

が取れちゃうかも)

(この際だから付け替えてみたら? 次元世界は広いから、もしかしたら私の小言を聞き逃

さない耳ってのもあるかもしれないわよ)

(私こう見えて自分の身体には愛着あるし、出来たら生まれたままの耳がいいかなー、なん

て思うんだ)



 てへ、と微笑みを浮かべて見せるスバル。痛いと言いつつまだまだ余裕のありそうなスバ


ルにティアナのボルテージは一瞬で上昇したが、はやてを前にいつまでも漫才を続ける訳に

もいかない。



 何事もなかったかのようにスバルの耳を離し、紅茶を一口啜る。美味しい紅茶は、気分を

幾らか落ち着けてくれた。一段落ついたことを察したはやてが、スバルとティアナを見比べ

て、苦笑を浮かべる。



「ほんま、二人は仲ええんやなぁ」



 反論しようかとも思ったが、ここで反論するとスバルが調子に乗る。耳を引っ張るなり頬

を引っ張るなりして、スバルが恥ずかしいことを言い出すのを止めることは簡単だが、はや

ての前で何度も漫才をやるのは宜しくない。



「それで、八神ニ佐。ご用件を伺いたいのですが……」

「ん? あー、せやったなぁ。用件があるから呼んだんやった。スバルと会うんも久し振り

やったから、危うく忘れるところやった」



 そう言ったはやては一瞬だけ苦笑を浮かべて、表情を引き締めた。それだけではやてはス

バルの知り合いのお姉さんから、現役のキャリアの顔へと変化した。そうして見ると、まだ

二十歳にもなっていない自分とそれほど年の変わらない眼前の女性が、管理局の中で厳しい

出世競争を戦っているのだと実感する。



 何を言われるよりも先に、ティアナは姿勢を正した。見ればスバルも隣で同じようにして

いる。動物的な勘が鋭いのか、普段はあまり空気を読まないくせにこういう時はどう行動す

るべきか本能的に察する。



 万事において鈍いよりは遥かにマシだが、どうせなら普段からこの鋭さを発揮してほしい

と、ティアナは思っていた。



 とは言え、この無意識的な要領のよさがスバルの長所の一つでもある。鋭さを発揮するた

めに、いつも表情を引き締めてキリリとしているスバルなど、冗談を通り越して怪奇現象で

しかない。理詰めで物を考えるのは相棒である自分の役目。スバルには伸び伸びやってもら

うのが一番良いことは、ティアナが一番よく知っている。



 だから食事の時によくおかずを取られることも、一日に最低一度はイライラさせられるこ

とも、もはや自分の仕事と諦めていた。友達、相棒というよりも保護者なのではと思うこと

が多々あるが、こういう時は特にそう思う。



 二人が自分の話を聞ける状態になったと見て、はやては努めて重々しく口を開いた。



「実はな、今度新部隊を作ることになったんよ。私は二人を、そこにメンバーとして迎え入

れたいんや」

「新部隊……ですか?」



 意外なことのように聞き返すティアナだったが、部隊の新設というのは管理局において珍

しいことではない。



 何しろ管理、管理外世界を合わせて千を越える世界を相手に日々の業務を行う管理局であ

る。その世界の政治情勢や民族的な問題など日々変化する事態に対応するために、管理局も

それに合わせて変化しなければならない。



 新部隊の設立もその一つだ。この場合は既存の部署から独立する形で設立されるのが一般

的で責任者は元々の部署から選ばれることが多い。試験的に運用される物もあれば、恒久的

に残る物も存在する。要は何を目的としているかによって、重要性も恒久性も変わってくる

のだが、果たして二等陸士の自分達に声をかけるような部隊は、どの程度の物なのか。



「せや。古代遺物管理部の六番目の部隊や。一年間の限定付きやけど、色々な部署からエー

スを集めた、上の指示を一々待たんでも迅速に動ける強力な部隊を目指しとる」



 はやての言葉に、ティアナは僅かに目をむいた。



 古代遺物管理部と言えば、本局においても地上においてもエリートの部隊だ。前線に立つ

のは経験を積んだ高位魔導師であり、彼らをバックアップする人員も優秀な人間が揃ってい

る。



 間違っても、入局二年目でニ士の自分達が声をかけられるような部署ではない。将来性は

ともかく自分達には実績がない。新米でも戦闘要員として活動していたのならまだしも、訓

練校を卒業してから今まで、籍を置いているのは災害救助の部隊だ。



 魔法の腕を生かす機会もあるにはあるが、上の目に留まるだけの実績を挙げたとはどうし

ても思えない。



 スバルの知人であるということから、縁故的に声をかけたのではとも推測できるが、はや

てははっきりとエースを集めたと言った。



 『夜天の王』八神はやての部隊であればその守護騎士達も当然いるだろうし、彼女と仲が

良いとされる高町なのはやフェイト・テスタロッサもいるだろう。



 いずれも、少しアンテナを高く張っている管理局員ならば知らぬ者はいない有名人だ。魔

導師としての能力でも実績でも知名度でも、自分達とは次元が違う。



 はやての誘いに乗るということは、彼女らと肩を並べるということだ。



 普通に考えれば光栄なことである。目立つ人間が集まっているということは、それだけ注

目されるということ。そこで実績を残すことが出来れば、上を目指すのにこれ以上のことは

ない。



 さらに言えば、高位魔導師である彼女らに訓練をつけてもらうことは、ティアナのような

下っ端には名著なことだ。特に『エースオブエース』高町なのはは航空戦技教導隊に所属す

る現役の教導官。おいそれとお目にかかることも出来ない人間と毎日顔をつき合わせて訓練

できるのだから、環境としては申し分ないだろう。



 だが、名誉であると同時に問題もある。



 今挙げた全ての人物はいずれも本局の人間で、その最大派閥の一つであるハラオウン派に

名前を連ねている。対してティアナとスバルは地上本部の人間。同じ管理局ではあるが、そ

のニ組織が仲が悪いことは管理世界に住む人間ならば子供でも知っている。



 本局閥の息がかかった地上の人間も、逆に地上閥の息がかかった本局の人間もいるにはい

るのだろうが、そういう人間は内通者であるとか情報提供者であるとか、繋がりを隠して協

力するのが主だ。



 立場が上の人間ならば仕事上の付き合いと割り切ることも出来るが、ニ士である自分達は

吹けば飛ぶような身分である。上に変に悪い印象を持たれてしまえば、一気にクビとまでは

いかないだろうが、どうやったって肩身の狭い思いをすることになる。



 ティアナ個人としては、この誘いには乗ってみたい。望んでも得られないような濃い経験

を得る機会が、向こうから飛び込んできたのだ。これを逃す手があるはずがない。



 しかしながら、それと同時にティアナの中の慎重な部分が、手放しで飛びつくのは危険だ

と言っていた。



「もちろん、返事は考えてもらってからでも構わんよ。ただ、異動の手続きとか部隊の準備

のこともあるから、一週間以内には返事してなー」

「了解しました、八神二佐」

「資料は持ってかえってな。今の段階で決まっとる六課に関することが全部書いてあるから、

参考してしたってな」



 ホチキスで束ねられた紙の資料が、目の前に差し出される。受け取ろうと伸ばしたティア

ナの手は、横から伸びてきたスバルの腕に遮られた。スバルは二人分の資料を胸に抱きとめ

る。それにどういう意図があるのか解らなかったが、にやけたスバルの顔から、彼女がロク

でもないことを考えているのは解った。



 誘われたのは、自分一人ではない。訓練校からずっとコンビを組んできたのだし、一度は

スバルと話し合う必要があるだろう。スバルのことだから、ティアの言う通りにするよ! 

と何も考えずに言いそうなことを思うと、今から頭が痛い。



「よ〜く二人で話し合って決めてな」



 資料を独り占めしたスバルを咎めることもせず、はやてはにこりと微笑んだ。






















2、



 二人が去ったドアを見つめながら、はやては大きく息を吐いた。何故だか自分一人で勧誘

することになってしまったが、その任はとりあえず無事にこなすことが出来た。



 感触としては上々だろう。即決してくれるかも、と淡い期待も持っていたが、その期待は

良い意味で裏切られることになった。部隊について、自分の将来について、ティアナが良く

考えていることは顔を見て解った。コンビとしての行動指針も、彼女が決めているようだ。



 スバルは少々頭の緩い所があるから、ティアナのようなタイプが相棒としては相応しいの

かもしれない。性格は真逆と言ってもよい二人だが、試験の映像を見てもコンビネーション

には見るべきところがあった。あれならば、二人纏めて部隊に来ても良い仕事をしてくれる

だろう。



「私は是非とも来てほしいけどな、なのはちゃんはどうや?」

「私もOKだよ。フェイトちゃんも納得してくれると思う」



 通信するつもりでシュベルトクロイツに話しかけたのだが、帰ってきたのはなのはの肉声

だった。地上の茶色い制服に着替えたなのはと本局の制服のままの美由希が、並んで部屋に

入ってくる。



「まぁ、お兄ちゃん子のフェイトちゃんは納得するやろうなぁ。ティアナやなかったらギン

ガやった訳やし」

「訓練を見る人間の一人としては、ギンガでも良かったんだけどね。でも、私は個人的に気

にいっちゃったよ、ティアナのこと。危機的状況でも適格に幻術を操作出来る冷静さと、無

謀にも見える作戦を即座に実行できるハート。何より私を見つけて、躊躇いなく撃ったとこ

ろなんて最高だよね?」



 だよね? と同意を求められても困る。なのはの表情はまるで恋する乙女だったが、今の

状態のなのはが色々な意味でヤバいことは、はやてにも解った。なのはの隣では美由希も妹

のトリップした姿に若干引いていた。



「美由希さんはどないですか?」

「ティアナは私とは違うタイプだからねぇ。指導者として見るならギンガの方が面倒見れる

しありがたかったんだけど、それはスバルもいるしいいかなって」

「ギンガも災難ですねぇ」



 美由希の言葉に、はやては苦笑を浮かべる。何しろ、ギンガを採用しようと強く推す人間

が部隊の中には一人もいないのだ。ギンガ本人は六課入りを熱望しているようだが、ゲンヤ

の補佐として部隊に根付いてしまっている彼女では、協力的なゲンヤの部隊からと言っても

引き抜きも手間がかかる。それならば、まだまだ新人であるスバルとティアナの方が引き抜

く側から見ても都合が良い。



 ギンガはぶーぶー文句を言うかもしれないが、皆で意見を出し合って決めたことだ。縁が

なかったと、諦めてもらうより他はない。



「これでメンバー勢ぞろい?」

「保有制限を考えると、これが限界やろうなぁ」



 魔導師の所有物としてカウントされる使い魔である、アルフやザフィーラ。ユニゾンデバ

イスということで、あくまで魔法を使えるデバイスとして扱われるリインなど、裏技で集め

られる人材はもう限界だ。スバルとティアナが勧誘にイエスと言ったら、それで勢ぞろいで

ある。部隊の人員としては少ないが、元より少数精鋭が部隊の売りなのだから強ち間違った

采配でもない。



 しかし、である。ティアナとスバルからは、まだ色良い返事を貰った訳ではない。話して

みた限り感触は悪くなかったが、それでも断られることは十分に考えられた。



 それに、スバルとティアナはワンセット。どちらかがノーと言えば、もう一人もノーなの

だ。二人とも来ないということになれば、なのはのスターズ分隊にぽっかりと穴が空いてし

まう。部隊隊運用者のはやてとしては、聊か苦しい状況だ。



 補欠のギンガに声をかければ彼女は着てくれるだろうが、今から他の人間を探したのでは

間に合わない。二人に断られたら、ここから補充できる人員はギンガ一人ということになる。

そうなればフェイトも不機嫌で部隊の風紀も乱れ、はやてにすればいいことは何もない。



 ただ、はやては確信していた。ティアナは絶対に、この部隊に来ることになると。



 実は、試験を見ると決めた時からティアナのことはこっそりと調査していたのだ。生い立

ちから訓練校の成績、現部隊での評定にいたるまで、局が保有している情報ならば全てはや

ての元に集まっていた。加えて、周囲の人間が知っている程度のものではあるが、趣味嗜好

までも把握している。



 本職の探偵に依頼した訳ではない。管理局で少し権力を持っていれば集められる、それだ

けの情報だったが、ティアナ・ランスターを陥落させるにはそれだけで十分だった。



「そう言えば、もう二人のフォワードが来るのも今日やったね」

「そうだね。シグナムさんがお迎えに言ってるよ。今晩中には隊舎に連れて行くって、さっ

き連絡があった」

「あれ、シグナムが行ったんか? 恭也さんに頼んどったはずなんやけど、恭也さんも忙し

いんやろうか」

「恭也はね、うちの期待の新人に付きっ切りだよ。仲良くしてる部隊に顔見せをかねた挨拶

周りをしてこいってリスティに言われて、昨日から飛び回ってるんだ」

「そっかー、じゃあ、エリオとフリードには悪いことしかかなぁ。サプライズで恭也さんを

迎えに行かせて、喜んでもらいたかったんやけど」

「喜んでるところを見られるのも、それはそれでエリオにとっては苦痛なんじゃないかな」

「まぁ、エリオもあれでツンデレキャラやからなぁ。人前で喜ぶところなんて、死んでも見

せへんやろうし」



 尤も、ツンのところばかりが目について、デレの部分を一度も見たことがないのだが。こ

れがいつかのデレのための仕込みなのだとしたら、何とも気の長い話である。今のツンツン

したエリオも嫌いではないが、女の子はやはり笑顔を浮かべている方が良い。



 出来ることならば早くデレ期に入って欲しいとはやては思うが、肝心の恭也は釣った魚に

興味はないとばかりにエリオに対して深く踏み込もうとしない。



 保護者は恭也なのだから、部外者としては教育方針に口を挟むべきではないのかもしれな

い。施設にいた時は見ていられないような状態だったエリオが、今では普通に社会生活を送

れるようになり、管理局員にまでなった。社会復帰という観点から見れば、恭也は十分に仕

事をしていると言って良い。



 だが、はやてはエリオの友人の一人としてそれ以上を望んでいた。



 エリオと仲良くなろうとすると、どうしようもない壁を意識してしまうことが多々ある。

人間ならばそれ以上踏み込んで欲しくない部分というのがあるが、エリオはそれが驚くほど

に広い。人当たりのよさでそれを意識させないようにしているが、仲良くなろうとすればす

るほど、その領域の広さと壁の高さが目に付いてしまうのだ。



 その壁も領域も無視して、エリオの近くにいることの出来る唯一の人間が恭也である。親

友であるキャロやルーテシアですら、壁と領域の外にいるのに、だ。



 しかし、恭也は手を伸ばせばエリオに触れられる位置にいるのに、そこから着かず離れず

動こうとしない。何か考えがあるのか……とはやては何度も考えたが、恭也を良く知る美由

希とフェイトは揃って首を横に首を振る。



 曰く、恭也は何も考えてないよ。



 他人との距離の取り方は驚くほどに上手いのに、自分から踏み込もうとするのは最初だけ

で、後は自分の位置をキープしているだけ。相手が動くのに合わせて距離を取ったり縮めた

りはするが、基本的に一度構築された人間関係をどうこうするために恭也が自分から動くこ

とはほとんどない。



 相手の意思を尊重している。無理やり良い風に解釈すればそうなるのだろう。事実はやて

も恭也といて居心地の悪さを感じたことはないし、それははやての家族も――あの癖の強い

性格をしているヴィータでさえ同様のようだから、彼が生きて行く上でこのスタンスは成功

している、と言えなくもない。



 だからこそ歯痒いと思うこともある。



 もう少し踏み込んでくれれば、もう少し言葉をかけてくれれば、それだけで劇的に関係が

変わる要素が恭也の周囲にはあり過ぎるのだ。エリオはそれがおそらく良い方に変化するタ

イプである。



 心に傷を持った彼女が心の底から笑えるようになったら、友人としてこれほど嬉しいこと

はない。恭也には是非とも頑張ってほしいのだが、エリオ一人に踏み込むということは、方

々で擽っている火種が一斉に火を吹くということでもある。



 そうなったらどうなるのか……想像するのも恐ろしい。これを今の状態のままで維持して

いるということが、恭也の持つ最大の才能なのかもしれないと勝手に結論付け、いざという

時にはその中には絶対にいないことにしよう、とはやては固く心に誓った。 







  

















3、



 視線というものは、力を持っている。



 何を馬鹿な、という人間もいるかもしれないが、エリオは今まさに視線の驚異に晒されて

いた。



 行き交う人々の誰もが皆、自分を――いや、自分の隣を見ていた。見られているのは自分

ではないが、その圧力は存分に感じる。視線の圧力に酔いそうだ。出来ることなら逃げ出し

たいが、ここで待つことも仕事の一つ。逃げる訳にはいかない。



 迷惑である、ということを顔に出さないように気をつけながら、エリオは隣に立つ人間を

見上げた。何人かいるエリオの戦闘技術の師匠の一人であり、この春から同じ部隊、同じ分

隊で働くことになるその女性。



 名前はシグナムと言った。高位のベルカ式魔導師である。



 キツめに整った顔には、意思の強さが見える。女性にしては身長が高く、近くで見上げる

時には首が疲れて仕方がない。ともすれば、それだけで男性と思われかねない刃のような雰

囲気を纏っていたが、長く伸ばした桃色の髪と、管理局地上本部の制服の上にコートという

地味な格好の上からでも分かる女性らしいメリハリのある身体つきが、その雰囲気を中和―

―せずに、怪しい方向に増幅させていた。



 生物学的には一応性別女であるエリオの目から見ても、シグナムは美人だった。今まで出

会ったことのある女性の中でも、間違いなく三指に入る。普通に暮らしていたら滅多にお目

にかかることの出来ない美人がそこにいるのだから、何をしていなかったとしてもそれは人

目を惹く、というのは理解できるのだが……



 人目を惹いている本人が、何故そうなっているのかを自覚しているのならまだ救いはあっ

た。それとなく目立たないように振舞うとか、目立たない格好をするとか、完全とはいかな

いまでも、年端もいかない自分にすら思いつく、目立たないようにする方法はいくらでもあ

る。



 だが、エリオの世界で三指に入るその美人は、自分の魅力には呆れるほどに無頓着だった。

自分の外見に関して他人がどう思おうと、全くと言って良いほど気にしないから、待ち合わ

せの時に人目につくところで堂々と待つし、その整った顔立ちを衆目に晒している。



 もし自分が彼女と同じ容姿を持っていたとしても、同じ行動は出来ないだろう。恵まれた

容姿を持って生まれた人間と、それを与えられた場合では思考が違うのは当たり前だが、例

え生まれた時から彼女のような容貌だったとしても、やはり結果は同じだったように思える。



 今の悪目立ちがこの女性のせいだと思うと怒りも沸いてくるが、怒りを自覚すると自分が

彼女の容姿に嫉妬しているだけの惨めな存在に思えてきて、怒りも急速に萎んでしまう。



 シグナムが溜息を吐く。釣られて、近くを通りかかった女性の二人組が足を止めた。その

二人組はしばらく呆然とグナムを眺めていたが、彼女が目を向けると顔を真っ赤にして足早

に去っていった。



 不可解な行動をした女性二人をシグナムも暫く怪訝そうに眺めていたが、直ぐに頭の隅に

追いやり、ただただ待つことを再開する。



 ただ立っているだけなのに、その姿が異様に様になっていた。近いところでは恭也が似た

雰囲気を持っている。客観的に見て、彼らは手持ち無沙汰になることがない。ただ立ってい

ること、それが絵になるのだ。



「来ませんね、キャロ」



 シグナムに見とれてしまっていた自分に気づいたエリオは、今思い出したように親友の名

前を口にした。



 キャロとその愛竜のフリードを出迎えにこの駅に来たのだが、約束の時間を五分過ぎて

もキャロは現れる気配を見せなかった。几帳面な彼女にしては珍しく、連絡も寄越さない。



 不足の事態でもあったのだろうか。友達になってしばらくになるが、普段はしっかりし

ているくせにキャロは抜けているところがある。生まれが山岳地域で仕事場も辺境である

ことから、都会にも人込みにもなれていない。



 合流場所に指定されたこの駅は、クラナガンでも有数の規模を誇る。混雑する時間帯と

重なっていることもあって、人でごった返してもいた。デバイスにはナビゲート機能もつ

いているから、場所さえ正確に把握していれば迷うことなどないはずなのだが、人がたく

さんいれば進むのも一苦労だろう。



「シグナムさん、僕、キャロを探してきます」

「行って来い。二次遭難には注意しろ?」



 シグナムの穏やかな微笑みに見送られ、エリオは駆け出した。



 視線の圧力から解放され、気分も晴れる。注視されないということは、こんなにも心安ら

かなことだったのか……



 声を挙げて、キャロを探す。デバイスに呼びかける方が確実ではあるが、設定によっては

その音声が使用者まで届かないこともある。この駅まではモノレールで移動してきたはずで、

車内ではバイブレーション設定にするのが一般的なマナーだ。モノレールを降りた今もその

状態ならば、あのキャロのことだ。間違いなく気づかない。



 大声で他人を呼ぶのは気恥ずかしかったが、子供のすること、ということで周囲の大人は

それほどエリオには注意を払っていない。



 とは言え、注目を集めかねない行為をいつまでも続けることは、ストレスが溜まる。自分

が恥ずかしいということはキャロはもっと恥ずかしいかもしれない。早く彼女を見つけない

と、無駄に恥をかくだけの時間が積み重なることに……



「リオくん!」



 頭上から、キャロの声が聞こえた。穏やかな彼女にしては珍しい大声。見上げると、大荷

物を持ったキャロが、エスカレータの最上段に足をかけるところだった。



 エリオは身体を緊張させる。根拠があった訳ではない。しかし、何かが起こる予感がした。



 案の定と言うべきか、キャロは大荷物を持ったままバランスを崩した。大声を出したこと

で注目は集めている。周囲の人間もキャロに起こるだろう惨事を予期したが、誰も反応する

ことは出来なかった。



 エリオだけが、反応することが出来た。キャロが転ぶよりも先に神速を発動すると、人の

波を縫って駆け、ほとんど止まって見えるエスカレータを瞬時に駆け上がる。



 そこまで駆けたら、キャロはもう目の前だった。バランスを崩した彼女のの身体を抱えて、

ついでに宙を舞っていた荷物も回収してブレーキをかける。いくらキャロが軽いとは言え、

女の子一人分の体重と大荷物は流石に身体に堪えたが、それで音を上げるほど軟な鍛え方は

していない。



「大丈夫? 怪我はない?」



 痛みを訴えてくる身体を無視して、腕の中のキャロに微笑みかける。呆然とエリオを見上

げていたキャロは、コクコクと、ただ頷くばかり。



 もしかして怪我でもしたのかと無遠慮にキャロの身体を弄ったところで、キャロは正気に

返った。顔を真っ赤にしてエリオから距離を取り――白い民族衣装の裾を踏みつけて、その

場で盛大に転ぶ。



 ごちん、という派手な音が響いた。



 周囲の人間にもその音は届いていたらしく、行きかう人間の視線が民族衣装の少女に集ま

った。何かとしっかりしているキャロであるが、人目を集めるのが好きではないのはエリオ

と同じである。



 キャロは後頭部の痛みを強引に無視して立ち上がると、お騒がせしました! と頭を下げ

る。転んだ当人が大丈夫だと言っているのだから、野次馬にはそれ以上することもない。人

だかりになる前に人は散り、その場にはエリオとキャロだけが残される。



「改めて……大丈夫?」

「痛いけど、平気」



 そう言ってキャロは微笑む……が、両目には涙がいっぱい溜まっていた。



 どう見ても平気ではなかったのだが、キャロの意地を無駄にする訳にもいかない。涙を堪

えるキャロの言葉をそのまま信じたふりをして、荷物を運ぼうと力を込める。



 大きさの割りに、何だか重い。女の子の荷物なのだしこんなものか、と思ったら荷物がも

ぞもぞと動いた。じー、っと勝手にファスナーが開き、中からひょこりと竜が首を出す。竜

は首を巡らせて周囲を確認し、最後に気づいたエリオにピタリと視線を合わせた。



「フリードも久し振りだね。元気だった?」



 エリオの声にキャロの愛竜兼友達のフリードは特に反応を示さず、マイペースにエリオに

鼻を寄せ、匂いを嗅ぎ始める。



 もしかして匂うのだろうか。一応女の子である身としては、その反応は気になってしまう。

フリードが鼻を近づけたところに、エリオも同じようにしてみるが、特にいつもと変わった

所はなかった。一緒に山篭りをした時は確実に今よりも酷い匂いだったのだから、その時特

に気にした様子もなかったフリードが今更匂いを気にするとも思えない。



 フリードの行動の原因が解らなかったエリオは、真意を確めようとフリードに顔を近付け

……ガブリ、と耳に噛みつかれた。



 とっさに挙がりそうになった悲鳴を強引に押し込む。甘く噛まれただけで、歯は立てられ

ていない。攻撃の意思表示ではあるが、完全にこちらを害する目的でやったのではなさそう

だった。



 そう強引に自分を納得させて、大慌てのキャロに落ち着くようにサインを出すと、そっと

フリードの身体を自分から離す。



 唾液でべとべとになった耳が気持ち悪いが、まずは原因から突き止めなくてはならない。

キャロに目配せをすると、彼女はフリードを受け取って顔を付き合わせる。きゅくるー、と

しか言わないフリードの話を真面目に聞いている少女というのは、外野からすると多分にシ

ュールな光景であったが、本当に意思疎通ができるキャロは大真面目だ。



 やがてフリードの意思を確認できたらしいキャロは、申し訳なさそうに振り向いた。自分

の仕事は終わったとばかりに、フリードはキャロの荷物の中に戻って首を引っ込めると、一

人で器用にファスナーを閉める。



「……失せろこの赤毛、くらいのことは言ってた?」

「そこまでは言ってないよー。『匂いがしない! 恭也はいないの!?』って拗ねちゃった

みたい。ごめんねリオくん、痛かった?」

「フリードも加減してくれたみたいだからね。それほどでもないよ」



 噛まれた耳をハンカチで拭きつつもキャロにばれないように注意しながら、エリオは静か

に溜息をついた。往来で竜の子供に耳を甘噛みされた原因が、よりにもよってあの男とは。



「恭也さん、いないの?」

「元々来る予定ではあったらしいんだけどね。何か仕事が入ったんだって。すずかさんを紹

介しに回らなきゃいけないとかで、昨日今日と方々を飛び回ってるらしいよ」

「へぇ……すずかさんってちょっとしかあったことないけど、あの人も管理局に入ったんだ

ね」

「六課でも仲間になるからよろしくね、ってこの前挨拶されたよ」



 その時のすずかの顔を思い出す。穏やかで綺麗な笑顔を浮かべる人だと思った。昔からそ

の印象は変わっていないが、ここ最近は特に華やいでいるように思える。



 よほど、管理局に入局できたことが……恭也と一緒に働けることが嬉しいのだろう。フェ

イトやギンガも解りやすいが、アプローチが控えめなだけですずかも大概に解りやすい。こ

れはフェイトも心中穏やかではないだろうな、と六課で同じ部隊で働くことになる姉貴分の

ことを思うと、今から胃が痛いエリオだった。



 これでまだ決まっていないらしいなのはが受け持つことになる部隊の残りのメンバーに、

フェイトの天敵であるギンガが入っていようものなら、一年の間に胃に穴が開くことまで覚

悟しなければならないだろう。



 そうはならないように頑張る、と部隊責任者のはやては苦笑していたが、世の中というの

はこんなはずじゃなかったということばかりである。仕事に私情を持ち込んで冷戦状態にな

るということはないと信じたいが、フェイトもギンガも恭也が絡むと人が変わる。



 最悪の事態を想定しておいて、損はないだろう。



「私達以外にも新人さんっているんだよね?」

「新人かどうかはまだ決まってないみたいだけどね。はやてさんの話では、上手く行けば今

日には決まるってことだったんだけど……」



 結果は追って知らせるとのことである。選定のための試験は今の時間では終わっているは

ずだが、相手のいる問題でもあるので、正式な結果が出るのはもう少し先の話になるだろう。

上手く行けばというのは、最短で決まった場合だ。



 果たしてどうなることか、とエリオが黄昏れていると、ふいに携帯デバイスがメールの着

信を告げた。キャロにも同様の物が送られてきたようで、鞄の中で突然震えたデバイスに驚

いたフリードが暴れて抗議をしている。



 エスカレータ付近まで駆け寄って手すりから身を乗り出してみると、遠くにシグナムも同

様のことをしているのが解った。



 ならば対象は、六課の全員か。



 吉報か、そうでないか……エリオは祈るような気持ちでデバイスを操作し、メールを展開

する。差出人は、予想の通りはやてだった。



 心臓の鼓動を近くに聞きながら文章に素早く目を通したエリオは、思わず溜息を漏らした。

フリードに妨害されデバイスを取り出すことを諦めたキャロに、メールを見せてやる。



 エリオよりもたっぷり三倍の時間をかけて文章を読み終えたキャロは、確認するようにぽ

つりと呟いた。



「……えーっと、残りのフォワードが決まったってことで良いんだよね?」

「そうだね。どうやら本当に話が上手く転がったみたいだ」

「スバルさんは知ってるけど……この人だれ? リオくんは知ってる?」

「さあ、僕も知らない」



 はやてのところに行けば選考用の個人資料くらいあるだろうが、それを見せて、というの

も馬鹿らしい。近いうちに会うことになるのだから、彼女が誰なのかはその時本人に聞けば

良いことだ。



「良い人だといいなぁ」

「それは大丈夫じゃないかな。はやてさんたちが選んだなら、問題はないと思うよ」



 平気で冗談を言うしよくからかわれたり時々厭らしい手付きで身体を弄られたりもするが、

人を見る目に関してだけは、エリオははやてのことを信頼していた。その眼鏡に適って採用

が決まったということは、この名前も知らない人は『良い人』ではあるのだろう。



(仲良くやれるかとは、別の問題だけどね……)



 そればかりは、会ってみなければ解らない。出来ることならば騒々しいスバルを操縦でき

る、物静かな女性であってほしいと、エリオはただ願うのだった。

 





























4、



「ティア、ティア。ティアも一緒に食べようよ」

「食べたくなったらいただくわ。気持ちだけ貰っとく」



 山盛りの特性パフェを目を輝かせながら食べるスバルを横目に、ティアナは資料に目を落

とす。



 はやてと分かれて着替えてから、二人はクラナガンの街に出ていた。試験中の約束を早速

果たそうとスバルが言い出したからである。ティアナはさっさと下宿に帰って休みたかった

のだが、約束を後に持ち越すのも具合が悪いということで、スバルの言に付き合うことにし

た。



 スバルに半ば引き摺られる形でいつもの店に来た訳だが、甘い物は別腹と言ってもスバル

ほどに食欲の沸かなかったティアナが注文したのは、ケーキが一皿とコーヒーが一杯だけ。

顔よりも大きいパフェを攻略にかかっているスバルとは対照的だ。



 そのパフェも普通は数人で攻略するものである。それを当たり前のように一人で食べてい

るスバルは店内の注目を集めていたが、こういう場所でスバルが注目を集めるのもいつもの

こと。ティアナの対応も慣れたものだった。



 資料を捲りながらコーヒーを啜る。



 設立の目的など建前の書いてある場所は飛ばして、実用的な部分が書いてある場所を重点

的に目を通す。後見人には、リンディ・ハラオウン中将、レティ・ロウラン少将の名前が連

名で記されていた。どちらも管理局員ならば誰でも名前を知っているような女傑で、ティア

ナより2周りくらい上の世代には、いまだに相当な数の支持者がいることでも有名だ。



 ハラオウン派のはやてが部隊長を務めるのだから、二人が後見人であるのは予想できたこ

とでもある。確かな後ろ盾があるのとないのとでは、部隊の動きやすさが全く異なる。それ

だけに本局色は濃くなってしまうが、働く人間からすれば頼もしいことではあった。



 次に部隊施設の立地条件。



 クラナガンでは地上本部が大きな力を持っている。本局施設も無論存在しているが、地元

の人間は本局よりも地上本部に恩義というか愛着を持っている者が多いため、大人数になる

ほど、例えば企業や団体などになるほど、本局よりも地上を支持する傾向が強くなる。



 そんな中で用意した施設にしては、立地条件も設備も悪くはない。寮も部隊専用のものが

あるようだし、読んだ限りでは寮母さんまでいるとのこと。流石に全員に個室は用意できな

かったようだが、少し前までスバルと同じ部屋で暮らしていたティアナには、それも大した

問題ではなかった。どうせ、ルームメイトはスバルだろう。



 そのスバルに目を戻すと、既にパフェは半分ほど攻略されていた。訓練校にいた同年代の

少女と比べてもスバルは特に健啖だったが、甘味になるとその食いっぷりにも拍車がかかる。



 育ち盛りだから! と本人は言うが、同期の男子と食べ比べをして完膚なきまでに打ちの

めしたことも記憶に新しい。育ち盛りという言葉一つでは説明出来ないだけの食欲がスバル

にはあった。それでいて無駄な肉は一切なく、出るべきところはしっかり出ているのだ。毎

日運動しても腹回りが気になるティアナにとっては全く持って羨ましい限りである。



 ある種女性の夢を体現するスバルを横目に見ながらコーヒーを啜り、資料を捲る。最後の

ページには、現時点で所属が確定しているメンバーの名が記されていた。



 八神はやてに高町なのは、そしてフェイト・テスタロッサ。他にははやての守護騎士達の

名前もある。



 一騎当千の魔導師が勢ぞろいだ。これが一つの部隊に集まるというのだから、新部隊の異

様さが伺える。新部隊に入るとなれば彼女らと名を連ねることになる訳だが、二等陸士の自

分では名前負けしないだろうか。



 と思ったら、リストの下の方にエリオ・モンディアル、キャロ・ル・ルシエという名前が

あった。どちらも二等空士と三等陸士。自分やスバルとそれほど変わらない階級だったが、

二人とも年齢は10歳。魔導師ランクが書いていないことは、果たしてどういう理由に寄る

ものか。



 いずれにせよ、自分達の魔導師ランクが飛びぬけて最下位ということはなさそうだ。同じ

ヒラ隊員である以上、十歳の二人が魔導師ランクで手の届かないほど高みにいるということ

はない……はずである。



 分隊長の高町なのはは十歳の時にはAAAランクを取得していたというが、そんな超の付

くエリートがエース揃いの部隊とは言え、新人で採用されるということもないだろう。階級

も二士や三士というのは最下級もいいところで、天才魔導師に対する扱いではない。



 いずれも願望込みの予想であるが、精神衛生のためにも、せめて同じ新人くらいは現時点

での能力は同じであってほしい、というのがティアナの希望だった。



 現実が希望の通りにならないことくらいは解っているが、希望を持つことくらいは自由だ

ろう。スバルの相変わらずの食欲を横目に見ながら資料を読み進めていると、ティアナの目

がぴたりとある一点で止まった。



 資料はメンバーリストで締めくくられている。ティアナが目を留めたのはそのリストの最

後の部分だった。ヘリパイロット、食堂のおばちゃんよりも後に記されている、形式だけを

見たらただのオマケのような配置。そこにティアナの目は釘付けになった。



 分隊名とか、他のメンバーの名前も一緒に記されていたが、そんなことはどうでも良い。

ティアナが見つめていたのは、たった一つの名前、それが意味するただ一人の人間のことだ

った。



「ティアー、どうしたの?」



 パフェを攻略し終えたスバルが、突然動きを止めたティアナを不審に思って資料を覗き込

んでくる。もごもごと口を動かしているのは、さくらんぼの蔕を口の中で結ぶのに挑戦して

いるからだろう。えーっと、と態々声を出しながら、ティアナが凝視しているページを上か

ら順番に見て行く。



 そして、ページの最後に到達した時に合点がいったとばかりに声を挙げた。



「キョウ兄もいたんだねー」



 その言葉に空気が凍る。自分が失言したらしいことを感じ取ったスバルが、ギギィと、冷

気の発生源を見やった。



「キョ、ウ、兄?」



 スバルが聞き違えることのないように、発音を明瞭にして区切って言う。口にしたのはそ

れだけだったが、スバルはそれだけで言いたいことを理解してくれたようだった。視線を彷

徨わせながら後退りするスバルの肩を押さえつけ、対面の席に座らせる。



 空になったパフェの器を脇にどけ、テーブルの上に身を乗り出し、息がかかりそうな距離

でスバルの瞳を覗き込んだ。



「ねえスバル。私とあんたが知り合ってから、もう随分立つわよね?」

「うん、そうだねティア。あと、ちょっと顔が近くて怖いかなーなんて、ほらほら、皆見て

るよ?」

「あんたが良い娘になってくれたらそれも考えるわ。で、私の記憶が確かなら私、あんたか

ら恭也・テスタロッサという名前を聞いたことはないんだけど……キョウ兄なんて随分親し

そうに呼ぶのね。もしかしなくても、知り合いなの?」

「む……昔、お母さんの部隊に遊びに行った時に知り合った縁で、ギン姉と一緒にそれ以来

良くしてもらってるんだ。ほんとだよ? 嘘は言ってないよ?」

「別にそこまで言うことはないわ。私、スバルの言うことなら信じるから」



 何故だか視線を逸らそうとするスバルの顔をがっちりと固定する。何やら店内が本格的に

ざわつき始めたが、そんなことをティアナは気にしない。



「で、私が誰のファンか言ってごらんなさい?」

「キョウ兄のファン……だよね?」

「どうしてここで疑問に思うのか、不思議ね。尤も、私があんたと恭也・テスタロッサが知

り合いだって知らなかったことに比べれば、ちっとも不思議じゃないけど」

「言い訳させてもらってもいいかな」

「お互いの未来のためにも、出来るだけ建設的な言い訳を頼むわよ」

「訓練校に入ってからは一度もキョウ兄に会ってないし、そもそも私じゃキョウ兄捕まえら

れないよ? だから知り合いなんだーって自慢しても、だったら証拠を見せなさいよって言

われた時に見せられないし、ほらみなさい! って怒られるの嫌だったし……」

「だから私には内緒にしてた、とそういう訳ね」

「そう! だから許してくれると嬉しいなーって」



 えへへ、可愛らしく微笑むスバルを見て、ティアナは深く溜息を漏らし、顔を離した。席

に深く腰を落ち着けて瞼を閉じ、その上から眼球を揉む。



 こんなことで怒るのも、流石に大人気ない。



 我慢我慢、と強引に心を落ち着かせて、深呼吸。



「……別に最初から怒っちゃいないわよ」

「嘘だっ!! ……いや、ごめん、ちょっと調子に乗っちゃった」



 慌てて微笑みを浮かべるスバルに、大きく溜息を吐く。スバルが調子に乗るのは何時もの

こと。こんなことで一々怒っていたら、脳の血管がいくつあっても足りない。



「私はもう六課に行くことに決めたけど、あんたはどうするの?」

「私はティアが行くなら行くよ」

「あんたはそればっかりだけど、いいの?」

「ティアと一緒だと楽しいもん。良い経験も出来そうだし、行って損はないと思うな。まぁ、

ちょっとギン姉に報告する時が怖いけど……」

「そう? あんたのお姉さん優しそうだったじゃない」

「そうなんだけどね。強くて美人で優しくて仕事も出来る自慢のお姉ちゃんなんだけど……」



 けど、の続きをスバルは言おうとしなかった。僅かに顔を青くしながら、この話題には触

れてくれるな、と全身で主張している。



 ギンガには一度しか会ったことがないが、ティアナの目にも彼女は出来た女性のように思

えた。二つしか違わないとは思えないほどに、大人の女性という感じがする。自分が後二年

経験を積んだとしても、あの雰囲気を持つことはできないだろう。



 自分にない物を持っているという点で憧れないでもないが、そこにスバルが恐れるような

要素があるとは思えない。



 一度会っただけの人間に全てを曝け出すとは思えないし、穏やかな人が怒ると怖いという

のは良くあることだ。案外、妹の教育に対しては厳しいお姉ちゃんなのかもしれない。



「じゃあ、あんたもセットってことで返答するわよ」

「さっきの今でどういうことかー、ってはやてさんも不思議に思うかもね」

「でしょうね」



 部屋を出て一時間もしないうちに返答が出来るなら、その場で返答を決めていても良さそ

うなものだ。その間に心変わりがあったにしては挟んだ時間が短すぎる。



「どうして? って聞かれたらどうする?」

「どうするって言われても……」



 はやてがそういう質問をしてくることは十二分に考えられたが、恭也・テスタロッサがい

るから、と答えるのは流石に恥ずかしい。



 どうしたものか、と頭を捻りながらも、デバイスを操作する指ははやてに教えてもらった

連絡先を入力している。



 時間は待ってくれない。



 なるようになれ、とぎゅっと目を閉じて、ティアナは覚悟を決めた。







「八神二等陸佐ですか? ティアナ・ランスターです。先ほどお誘いいただいた件でお話が

あるのですが……」