1、



「フェイトちゃん、ちょっと聞きたい事があるんだけどいいかな」



 新人達と着替えに時間のかかる恭也達に先立って訓練場へと移動する途中、スターズ分隊分

隊長高町なのはは、隣を機嫌良さそうに歩く十年来の親友にそう声をかけた。



 僅かに先を歩いていたフェイトが振り向くと、その長い金髪がさらりと揺れる。その顔には

今も微笑があった。



 管理局で仕事をするようになって大分改善されたが、元来フェイトは非常に内向的な性格の

持ち主である。恥ずかしがりと言い換えても良い。そんなフェイトが軽くではあるものの、人

前で鼻歌まで歌うというのは、普段では考えられないことだった。



 今まで見た中でも、最高に機嫌が良いようである。なのはの問いにもフェイトは軽い調子で

『なぁに?』と答えた。無意識に小首を傾げる仕草が妙に可愛らしい。



 今なら何を聞いても答えてくれそうな気がしたなのはは、前々から思っていたことを口にし

た。



「恭也くん好き好きーなティアナが今日から同僚になる訳だけど、どうしてそんなに機嫌が良

いのかなって思って」



 直球な物言いに、なのはの隣を歩いていたヴィータが噴出した。シグナムと一緒に後ろを歩

くシャーリーが、身を乗り出したのが気配で分かる。シグナムは気にもとめない風を装ってい

るが、あれで結構噂好きであるのはなのはも知るところである。



「別に誰が恭也を好きでも、私には関係ないよ? どう思うかくらいは自由だよね」



 機嫌の良さはそのままに、フェイトは何気に上から目線で物を言った。一番は自分なのだと

いう自信の感じられる物言いに、シャーリーなどはテンションが最高潮に達したようだった。

逆にヴィータは転がり落ちるようにテンションが下がってしまったようで、興味はないと言わ

んばかりに歩調を落とし、シグナムよりも後ろに移動する



 素直じゃないなぁ……と、ヴィータの態度になのはは苦笑した。



 微妙に歪んだプライドを持っているヴィータは、色恋話に積極的に関わることを格好悪いこ

とだと思っている節があるようで、こういう話題をする時には意識的に距離を置こうとしてく

る。



 そういう時には決まって興味がない、という顔をしているのだが、実は人一倍興味を持って

いるのだという情報を、フェイトと同様十年来の親友であり、八神家の家長でもあるはやてか

ら入手していた。



 少年漫画一辺倒だったヴィータの本棚にも、教導関係の資料と一緒にひっそりと少女向けの

恋愛小説が、カバーを別の作品にカモフラージュして並ぶようになったというのは、八神家だ

けでなくヴィータを知る人物全員が知るところだ。



 プライバシーの侵害では、と最初に秘密を暴露された時はなのはもその機密情報の扱いに困

り果てたものだが、うちの子はこんなにかわいいんよ! と友人に自慢するのがはやての趣味

のようなものである。頼まなくても八神家の情報は、湯水のように流れ込んでくるのだ。



 リインが現れたことで八神家末っ子の座は明け渡してしまったが、ヴィータの少女然とした

可愛らしさは微塵も失われてはいない。ツンと済ましたヴィータは、はやての言葉を借りるま

でもなくゾクゾクするほど可愛らしかった。



 そんな可愛いヴィータにも聞こえるように、僅かに声を張り上げてフェイトに問う。



「昔は恭也くんに近付く女の人には皆噛み付きそうな勢いだったのに、どういう心境の変化?」

「敵対してても尊敬することは出来る、ってことに気づいたんだ、私」



 穏やかな表情でそうのたまうフェイトはまるで悟りを開いた人道主義者のようだったが、敵

対という言い回しを態々使う辺り、言葉の内容ほどには割り切れていないのだろう。それでも

酷い時には本当に噛み付いてきそうだった昔のフェイトと比すれば十分な進歩だった。



「ティアナは心配ないってこと?」

「そうだね。あの子はCランクの×(バツ)だしまだ安心だよ。まだ、ただの憧れだね」

「ティアナの魔導師ランクはAのはずだけど?」

「魔導師ランクじゃないよ。これは私が決めた恭也関係の危険度ランク」



 平然と、当たり前のように言い切った親友になのはの呼吸は一瞬止まった。動きを止めたな

のはをフェイトは不思議そうに眺めてくるが、なのはは慌てて苦笑を浮かべて、話を戻す。



「危険度ランクってどういうことかな」

「私の基準で決めたんだけどね、Fが敵、Eが普通、Dが友情寄りの好意、Cが愛情よりの好

意、Bが異性として好き、Aが異性として大好き、Sランクまで行くと強敵だね。不倶戴天だ

よ」

「へーそうなんだー」



 何でもない風を装いながら、なのはは確信した。フェイトはやっぱり昔のままだ。明確な指

標を持ち出す辺り、昔よりも酷くなっているかもしれない。



「ちなみにフェイトちゃん基準だと私はどうなるのかな」

「なのははBランク×くらいじゃないかな」

「私、そんな風に見える?」



 問いかけるなのはの頬は、少しだけ朱に染まっていた。フェイトの言は、彼女から見て自分

が恭也に対し異性としての好意を持っている、と認識されていることを意味していた。敵対し

ていても尊敬できる言ったばかりだから実力行使には出るまいが、フェイトのブラコン具合を

知っているだけに若干の身の危険を感じる。



 反射的に距離をおきそうになる身体を、なのはは理性で押し込めた。ここで不穏な動きを見

せたら、それこそ敵対の原因になってしまう。他人から見たらそんなに好き好き言っているよ

うに見えるのかとか、フェイトに対し言っておきたいことは山ほどあったが、ここで何か言う

ことは自分の立場を追い詰めることになると、自重する。



「見えるけど……どうなんだろう。感性で決めてることだから絶対ではないけど、自信は結構

あるよ」

「ちなみに後ろの二人はどう?」

「ヴィータはなのはと同じかな、Bランク×」

「よし、おめーそこにナオれ。アイゼンの錆にしてやる」



 自分に矛先が向けられたことで、離れて歩いていたはずのヴィータが一気に詰め寄ってくる。

流石にグラーフ・アイゼンまでは展開していないが、怒り具合は中々のものだ。対して聞かれ

たから答えただけのフェイトは、怒れるヴィータに戸惑いを隠せないでいる。



 どうしてヴィータが怒っているのか解らないほど、フェイトもブラコンを拗らせている訳で

はない。ヴィータの性格からしたら本心でどう思っていたとしても、人前で誰それが好きと断

じられれば怒るのは明白なことだ。



 例外ははやてくらいのものだろう。シグナムやシャマルなど、ヴォルケンリッターとの絆を

改めて強調するだけでも、似たようなテンションにはなるはずである。



 なのはからすれば、非常に可愛い反応だ。要するにヴィータは照れ屋なのである。



「あたしがキョウの奴に惚れてるなんて検討違いもいいところだ。今すぐに訂正しろ」

「惚れてるとは言ってないよ、ヴィータ。異性として好きって言っただけで――」

「同じだろ、何処か違うんだよ!」

「えーっと……」



 言葉では上手く説明出来ないようだったが、フェイトの中でその二つは違う物らしい。フェ

イトがまごついている間に、後ろを歩いていたシグナムとシャーリーがなのは達に追いついた。

一方的にフェイトに言い寄っているヴィータをシャーリーは困ったように見つめているが、シ

グナムはそ知らぬ顔である。



「シグナムさん、止めなくて良いんですか?」

「直ぐに飽きるだろう。あれは熱するのも早いが冷めるのも早い」

「でも、恭也くんのことでからかわれてるんですよ?」

「あれも騎士だ。直ぐに収めるさ。不当に貶められているならばともかく、好意的な事実を指

摘された程度で何時までも怒っているようでは、一人前の騎士とは言えんからな」



 態とヴィータに聞こえるような物言いのシグナムに、ヴィータの追撃は目に見えたスローダ

ウンする。恨めしそうなヴィータを視線を、シグナムは軽く受け流した。守護騎士として生き

た年月はそう変わらないはずだが、こういう言い合いはヴィータの苦手とするところらしく、

なのはの知る限り守護騎士内でヴィータが言い合いで競り勝ったことは一度もない。



「じゃあおめーはどうなんだよ。キョウと噂立てられて平気なのかよ」

「気にするほどのことでもなかろう。色恋沙汰で最も重要なのは本人の気持ちだ。他人がどう

言ってどう思おうと知ったことではない」

「……フェイトちゃん、ちなみにシグナムさんは何ランク?」

「Bランク○(まる)かな。シャーリー以外の皆は同じランクだよ」



 フェイトの言葉に、なのははそっと安堵の溜息を漏らした。



 これでシャーリーまで高ランクだったら恭也の普段の振る舞いについて本人を交えて話し合

わなければならないところだったが、流石に知らないところでフラグを立てるような真似はし

ていなかったらしい。



 はやての風紀関係の気配りが無駄にならなくてよかった、と人知れず溜息を吐いたところで、

なのははあることに気づいた。



「シグナムさんだけ○なんだね。私達とヴィータちゃんは×だけど……これってなに?」

「ナニって……やだなぁ、なのは。昼間からそんなこと……」



 なのはの言葉に、フェイトは頬を染めて視線を逸らした。まるでこちらが悪いような物言い

であるが、親友を追い詰めるようなことを言った覚えはない。×仲間のヴィータに目を向ける

と彼女もフェイトの態度を疑問に思っているようで、急にあたふたとし始めたフェイトを不審

人物を見るような目付きで眺めていた。



 ちっちゃくてかわいいヴィータだが、歴戦の魔導師だけあってその視線の圧力は中々の物だ。

隠し事をするとタメにならないぞ、と釣りあがった目はフェイトに容赦のないプレッシャーを

かけていたが、フェイトは耳を塞いで目を閉じてヴィータの攻撃を凌いでいた。



 これでは埒があかない。



「シグナムさん、○って何ですか?」

「さぁ、何だろうな……私にはさっぱりだ」



 この話はこれで終わりだ、とシグナムは視線を逸らすが、その顔にはこの状況を面白がるよ

うに微笑が浮かんでいる。さっぱりどころか全てを理解している顔だった。シグナムが隠し事

をしているというのはヴィータにも解ったようで、貝のように口を閉ざしたフェイトを諦めシ

グナムに飛びつく。



 後はもう、ただの口喧嘩だ。どうしてそうなたったかということを忘れ、お互いへの不満を

これ幸いと言い合うだけである。二人とも高位の魔導師であるだけに、慣れないシャーリーは

険悪になったように見える二人に右往左往していたが、これがただのじゃれあいであると理解

している二人と付き合いの長いなのはは、視界の隅で安堵の溜息を漏らすフェイトを見逃さな

かった。



「ねー、フェイトちゃん、○ってなぁに?」

「…………言わないとだめ?」



 涙すら目にためて問う親友の姿に、なのはは後一歩というのを悟った。ここでダメと言えば

フェイトは顔を真っ赤にして、本当のことを言ってくれるだろう。だが、



「いいよ、別に。恭也君関係のことでフェイトちゃんを困らせるのも、友達としてどうかと思

うし」

「そういってくれると嬉しいよ、なのは」

「でも、私が○になったら教えてね? 約束だよ?」



 にこりと笑って念を押すと、フェイトは小さく呻いた後に、こくりと頷いた。 







  





















2、



「はい、じゃあこれから皆には模擬戦をしてもらいます」



 これからピクニックに行きます、というような気軽さで宣言したなのはに、まばらな拍手が

起こる。新人は全員拍手していたが、元気に拍手をしているのはスバルだけで、キャロとすず

かは苦笑を浮かべながら、エリオの拍手はどこか御座なりだった。



 ティアナはどれかと言えばエリオの仲間だったが、それは別に拍手をすることがバカらしい

と思っていたからではない。これから始める模擬戦で、どうすれば目に見える結果を出せるの

か、そのことで頭が一杯だったからだ。



 機動六課、訓練場。



 ティアナの眼前には、臨海部に作られたスペースを利用した市街戦のための訓練設備が展開

されていた。廃棄区画を任意に演出できるシステムは、訓練スペースの問題に悩まされる都市

部の部隊にはない大掛かりなものである。



 さらに郊外であるということが生きて、魔法による騒音の問題も解決され、飛行魔法の許可

も取り易い。訓練するためのスペースとしては、何気に最高級のものだ。



 水を得た魚のように、なのはの言葉を受けて嬉々として訓練スペースとデバイスについて説

明をしてくれるシャーリーの言葉を話半分で聞き流しながら、隊長側に並んだ恭也に視線を向

けた。



 先ほどは地上本部の制服を着ていたが、今は陸戦部隊の魔導師でない職員――六課で言えば

ヘリパイロットのヴァイスが来ているような服を、恭也の分隊全員が着用している。



 テスタロッサ式はバリアジャケットの精製がまだ上手くいっていないらしく、防御手段とし

て着ているのだ、という説明は受けた。見た目は本当にただの服だが、あれで防弾、防刃の効

果があり、魔力攻撃に対しても大きな効果を発揮するという特共研の大発明の一つだった。



 そんな服を着た恭也は姿勢が良いこともあって、整列する隊長陣の隅にただ立っているだけ

なのに異様に様になっていた。隣に立つ美由希も以前に見た緩めの雰囲気は微塵もなく、二人

並んでいるとそこだけ別の部隊のような空気が漂っている。



 シャーリーやなのはの緩い口調との対比が、妙なアンバランスさを誘っていた。



「本当は新人皆で戦ってもらおうと思ってたんだけど、最初は分隊ごとに分けて実力を見るこ

とにします。スターズはスターズの二人、ライトニングはライトニングの二人で組んでね」



 つまりティアナはスバルと、キャロとエリオが組むということになる。なのは側の最初の予

定の通り、ティアナも新人全員でのチーム戦を想定していただけに、これは嬉しい誤算だった。



 スバルの行動パターンはほぼ完璧に把握しているし、意思疎通もしやすい。活躍するという

目的のためならば最高のパートナーと言えた。



 これならば行けると、内心で邪悪な笑みを浮かべるティアナだったが、遅れてあることに気

づいた。建前を抜きにした実際のフォワード部隊の新人は全部で五人である。分隊ごとに組む

としたら、当然一人余ることになり、



「あの……なのはちゃん、私は?」



 その事実に気づいた本人が、困ったような笑みを浮かべて手を挙げていた。



「すずかちゃんはお姉ちゃんと、と思ったんだけど、お姉ちゃんは新人さんではないので、か

わいそうだけど一人でやってもらいます」

「その……いいんですか?」



 と、すずかが確認を取ったのはなのはではなく恭也だった。直接の上司は恭也であるが、こ

の場を仕切っているのはなのはである。自分ではなく恭也を頼られたことになのははちょっと

だけむっとしたようだったが、新人達の前ということもあり直ぐに表情を引き締めた。



 問われた恭也はふむ、と小さく頷き、



「別に構わんだろう。実力を見てもらう良い機会だ。存分にほどほどにやれ」

「わかりました」



 存分にほどほどという恭也の妙な注文に、しかしすずかははっきりと頷いた。ティアナには

それが手加減をしろ、という指示に思えて気分が良くなかったが、新人とは言えあの恭也が連

れてきた人材である。加減をしなければならないような実力があっても可笑しくはない。



 思うところは多々あるが、味方であるならば隠した実力があるくらいの方が頼もしいという

もの。隠しているのならば、後で見せてもらえれば良いだけの話だ。



「順番はスターズ、ライトニング、ブレイド分隊の順番でやってもらいます。だから最初はス

バルとティアナ。所定の位置についてー」



 なのはの号令に合わせて、新人の集団の中からスバルと共に駆け出す。所定の位置には解り

やすいようにマーカーで印が付けられていた。偽装廃棄区画の全容を見回せる位置で、そこか

ら50メートルほど行った辺りに、転送用の魔方陣の光が見える。



 おそらくあれが、敵の出現ポイントなのだろう。模擬戦というから新人同士で戦うのかとも

思ったが、手数及び実力を正確に見るという目的ならば標的は別に用意した方が良い。



「良かったねティア。私とコンビなら活躍できるよ!」

「自分のことなのに大した自信ねスバル」



 結果を出せることを疑う様子もないスバルに溜息をつきつつ、内心ではその通りだとティア

ナは安堵していた。訓練校でコンビを組んでから三年少々。改めて作戦を決めなくても行動で

きるほどの相方には、ティアナも全幅の信頼をおいていた。



 自分を含めた二人組みならば、スバル以上の相方はいないだろう。分隊ごとに模擬戦、とい

うことを決めた誰かには、いくら感謝してもし足りない。



「私達が一番活躍できると思う?」

「タイムアタックだったらまず無理かな。キャロは兎も角エリオはすっごく速く動けるし、強

いよ。後はすずかさん。すずかさんが戦ってるところ見たことないけど、キョウ兄が連れてく

るくらいだし強いんじゃない?」

「まったく、明るい展望が見えないわね」



 誰よりも活躍するのがベストだが、不確定要素の多い現状ではそのための指針を決めること

も出来ない。せめてすずかがどれくらい強いのか解ればよいのだが、今更スバルを問い詰めた

ところで意味がない。



 自分達の良さを見せることで、活躍とするしかない。一番は難しいかもしれないが、スバル

とコンビで事に当たれるというのは、ティアナにとって最高の采配である。これ以上の采配が

望めないのならば、これでで結果を出すしかないのだ。



 逆に言えば、これで結果を出せなければ、ティアナ・ランスターはまだまだということでも

ある。努力を怠ってきたつもりはないが、それでも認められないとなるとティアナには打つ手

がなかった。



 もしも恭也に役立たず、と思われたら……お前は凄いなと言ってもらえるように、また努力

のし直しだ。



 立ち直れないほどに落ち込んで、スバルを相手に大泣きするのだろうけど、それからまたい

つものように――いつも以上に努力を始めるだろう。



 天賦の才に恵まれていると思ったことは一度もない。最も近いスバルと比べてさえ、ティア

ナ・ランスターは明らかに凡人だ。それを嘆いたこともあるにはあるが、そんなことをする暇

があるのだったら、努力をするべきだというのがティアナの出した結論だった。



 出来ないのならば、出来るまでやれば良い。目指すところはあまりに遠いのだ。才能のなさ

に絶望して、足を止めているような暇はなかった。



「使用するのはガジェット八体。特にノルマはないけど、5分以上かかったら恭也くんによる

泣く子も黙るペナルティが待ってるから気をつけてねー」

「お前の私的制裁に俺を巻き込むな」

「おしおき係は恭也くん、って皆で話し合って決めたじゃない……恭也くんは抜きだったけど」



 その言葉が終わるよりも早く、乾いた音と共になのはの頭が大きく後ろに揺らいだ。後には

額を押さえて蹲るなのはと、済ました顔で右手の指を擦り合わせている恭也がいた。



 軽度とは言え、上司のグループ内における明らかな暴力行為だったが、ヴィータをはじめ他

の隊長陣はまたか……とばかりに見向きもしない。新人の中でも驚いているのは自分だけのよ

うで、人の良さそうなキャロですら蹲るなのはをいつものこととして処理していた。



「キョウ兄のデコピン、また速くなってる……」

「あれでデコピンなの?」

「なのはさんとかミュー姉くらいにしかやらないけどね。前は私でも何とか避けられるくらい

のスピードだったのに、さっきのはほとんど見えなかったもん。やっぱりキョウ兄、お仕置き

には命賭けるんだね」

「……どうしたら、ああしてもらえるようになるのかしらね」

「…………やめようよ、ティア。ティアは今のままでも十分勝負できるよ。ミュー姉達みたい

にヨゴレ役になることないって」



 あまり物事を深く考えないスバルでも流石にヨゴレという単語は聞かせたくなかったのか、

静かにこちらへ顔を寄せてくると、耳元でぼそぼそとそう囁いた。聞かれたくないことなら後

で言うか念話でもすれば良いのに、アナログに声に乗せる辺り、スバルらしいと言えばスバル

らしい。聞かれたら不味いよりも、今言いたいが勝ったのだろう。



 今顔を寄せ合って話していれば、誰もが模擬戦前の打ち合わせと思うだろう。それに聞き耳

を立てようという人間はこの場にはいないだろうが、やろうと思えば、実際に効果があるかど

うかは別にしても、スバルの声を拾うのはなのは達から見ても、エリオ達から見ても十分に可

能な距離だった。



 無論、スバルの声は小さく、彼らの距離で拾えるような音量ではないとティアナも思うが、

恭也をはじめ人外の領域に足を突っ込んでいるような連中が、隊長陣の中には揃っているし、

すずかの実力は未知数だ。



 誰に対しても、スバルの物言いが聞こえていないとも限らないのである。こんな時に上司の

悪口とも取られかねないことを言っていることがバレれば、五分を越えるのを待たずに泣く子

も黙るペナルティの犠牲になることもありえない話ではない。



 先ほどのなのはに対する態度を見る限り、恭也はやるべき相手に対しては手加減をしないタ

イプのようだった。



 だが、それが恭也なりの親愛の証だというのならば、痛みを伴うとしてもアリかもしれない。



 スバルが態々ヨゴレと言った意味を考えれば、デコピンをされることが親愛に基づいた特別

扱いであるというのは解りそうなものだが、特別扱いという事実にのみ目が行っているティア

ナはそれに気づかなかった。



 相棒は蹲るなのはに熱い視線を向けるのを見て、スバルがこっそりと溜息をついたことは本

人だけの秘密である。



「準備はいいかなー? 良ければ二人とも右手を挙げて?」



 なのはの言葉に、アンカーガンとリボルバーナックルが高々と掲げられる。既にバリアジャ

ケットは展開済みだ。合図さえあれば、いつでも行ける。



「言い忘れてたけど、ガジェットは逃げるし攻撃もしてくるからね。質量兵器は予算と認可の

関係で今回のにはつんでないけど、魔力攻撃はガンガンしてから気を抜いてると怪我するよ」




 なのはの型どおりの忠告に、ティアナもスバルも答えなかった。怪我をする可能性を考えて

いたら何もできない。危険なのは覚悟だ。アンカーガンを握る手に、力が篭る。



「それじゃあ、スターズ分隊模擬戦訓練、スタート!」



 打ち合わせは何もない。スバルがローラーで全速力で駆けるのを、ティアナは自分の足で追

う。移動系の簡単な術式で補助しているため、生身で動くよりも圧倒的な速力を得ることが出

来るが、相棒であるローラーを駆るスバルとティアナの差は開く一方である。



 本来ならば足を止め、敵もスバルも確認できるような位置で狙撃の真似事をするのが常道な

のだろうが、時間制限を設けられた今回はそんな悠長をしてはいられない。



 畳み掛けるように攻撃し、手数で押し切る。スバルのフォローと攻撃を走りながら行うこと

には相当な体力が要ったが、スバルとコンビを組むようになってから体力バカの彼女に着いて

いくための体力造りは欠かしていない。



 最大五分ならば、ずっと走りっぱなりで魔法を使い、スバルのフォローまでしてもまだ余裕

がある。



 先行したスバルの先に展開された魔法陣の中から、敵――ガジェットが姿を現した。現れた

のは八体。なのはが宣言した全数である。その八体が出現したのは十字路だったが、現れた八

体のうち半数の四体が正面に、残りの四体はさらに半分に別れ、左右に二体ずつ逃げていく。



 腰を据えて戦ってくれるのならば、さっさと勝負が決められたのだが、世の中そう甘くはな

いらしい。



(正面、右、左、私は?)

(正面の四体。出来るだけ数を減らしておいて。私は右に行くわ)

(了解。でも、出来るだけじゃなくて倒しちゃっても良いよね?)

「出来るもんならね!」



 念話での軽口に肉声で答えると、先行するスバルは右手を高々と掲げて振り回した。十字路

を通過したスバルがより速度を上げて、四体のガジェットに肉薄していく。ティアナが目視で

きたのはそこまでだ。



 スバルに遅れること数秒、十字路の中央に差し掛かったティアナは、右に向かって地を蹴る

のと同時に振り返ると、既に小さくなった二体のガジェットに向けて銃を構えた。



 リロードされたカートリッジの空薬莢が排出され、魔力が充填される。銃口の先に浮かぶの

はオレンジ色の魔力弾。その外殻がさらに魔力で覆われていく。



「ヴァリアブル……シュート!!」



 魔力弾が、射出される。鋭角的な軌道を描いたそれは、全速力で逃げていくガジェットに容

易く追いつくと、周囲のAMFに噛み付いた。



 外殻の魔力とフィールドがかち合ったのは一瞬のこと。



 AMFを抜いた弾丸はその先にいたガジェットを貫く。それでも尚勢いの止まらない弾丸は、

残ったガジェットにも噛み付き、同様の結果を齎す。



(残り六体)



 放った魔法が魔導師に返してくる手応えで目標を撃破したのを確信すると、ティアナの意識

は正面のガジェットへと向く。反対側に逃げたガジェットよりも距離は近いが、速度は向こう

の方が早いために、距離はどんどん広がっていく。



 今ここで同じようにヴァリアブルシュートを撃てば、おそらく直ぐにでも撃破できるだろう。

タイムアタックを考えるのならばそれがベストだが、活躍するためにはそれではいけない。



 撃破するまでの時間は、速度重視のエリオとバックアップのキャロのコンビには勝つことは

出来ないだろう。ならばここで見せるべきは、自分にあってエリオもないものであるべきだ。



 十歳で空を飛び、高い戦闘技能を持つ少女魔導師に対し、凡人の自分が持っている物などた

かが知れている。同僚で年下の少女にはっきりと対抗意識を燃やしている自分に、格好悪いと

苦笑しながらも、ティアナは正面のガジェットを撃破するためのプランを数通り構築し、その

中から最も演出性の高い物を選んだ。



 アンカーガンを一振りすると、前を行くガジェットの前に銃を構えたティアナ・ランスター

が出現する。フェイクシルエットで生み出した幻影だ。



 スタートした位置と技能から、人間であればそれがいくら精巧に生み出された幻影であると

言ってもティアナ本人でないというのは解っただろうが、機械であるガジェットにそんな判断

は出来ない。足を止めることはなかったが、速度が目に見えて減速する。



 後一歩。そう判断したティアナは幻影を操作しながら銃撃させる。幻影が放つ銃撃に威力は

なく、幻影と同様にただの幻影なのだが、ガジェットは回避行動を取り二体揃って空中に逃げ

る。



 幻影はそれで銃撃を止め、足も止めた。幻影なのだから本体のティアナと異なり空を飛ぶこ

とも出来るが、幻影を操作して追わせることに意味はない。ガジェット二体が逃げた先には銃

を構えたティアナがいた。



 両手に持った銃、その両方の銃口には先ほどガジェット二体を破壊した魔力弾が装填されて

いる。ただ乱発される魔力弾よりも、その危険度は遥かに大きい。ガジェットにそこまでの判

断が出来たのか。ティアナの姿を捉えた二体のガジェットは、逃走ではなく攻撃することを選

んだ。



 二体のガジェットから射出される、合計で八発の光弾。機械らしい正確な狙いで放たれたそ

れらは、狙い違わずティアナを直撃し――その姿を霧散させた。



 幻影である。人間が消失したという事実を瞬時に理解することが出来なかったガジェット達

はそのために一瞬動きを止めた。



 しかし、その一瞬が命取りだった。『背後』から放たれたヴァリアブルシュートが一体を貫

く。アンカーガンで幻影がいたビルと、通りを挟んで向かいにあるビルの屋上に移動していた

ティアナが、ガジェットを狙撃したのだ。



 狙撃手の確認のために生き残ったガジェットが振り向くが、そこにティアナの姿を見ること

はできなかった。オプティックハイドで姿は消している。ガジェットに搭載されているレベル

の光学センサーでは、隠れている魔導師を捉えることは出来ない。



 姿を隠したまま、しかし目標の真正面に陣取ったティアナはにやりと口の端を上げ、そのま

ま引き金を引いた。ヴァリアブルシュートが、最後に残ったガジェットを破壊するのを確認す

る間もなく、隣のビルにアンカーを打ち込み、真下の路地に着地する。



(大見得切ったスターズ03スバル隊員? 全部破壊してくれたのかしら?)

(ごめーん、まだ。後一体なんだけど、ちょっと逃げられちゃった。今そっちに向かってる!)

(そっちってどっちよ)

(逃げた方角から最初の交差点に向かってるよ。私も今追ってる)

(了解、そっちに幻影と誘導弾を出すわ)



 念話を着るのと同時に、最初にガジェットが出現した路地に自分の幻影を出現させ、偽者の

射撃を始めさせる。続いて誘導弾を射出する。ヴァリアブルシュート程の威力はなく、AMF

でしっかりと無効化されるだろうが、ガジェットの行動制限には役立つだろう。



 その誘導弾を先行させ、自分も全速力で駆け出す。時計を確認すると、既に一分半を過ぎて

いた。残り一体。五分を超過してお仕置きコースはなさそうだ。



 幻影の背後に隠れるようにして交差点に飛び出すと、自分の放った誘導弾がガジェット無効

化されるところだった。幻影を更に増やし、自分はオプティックハイドで隠れたまま、幻影の

射撃に織り交ぜて本物の射撃を打ち込む。



 正面に目標が急に増えたことでガジェットの足が止まり、そのまま上空へと登っていく。正

面を塞がれ、両サイドはビルの壁面。後ろからはスバルが追ってきているから、空にしか逃げ

る場所はない。



 だが、空に逃げるには時間をかけすぎた。



「もらったぁーーっ!!」



 空から降ってきたスバルが渾身の力を込めた拳をガジェットに打ち込む。魔力の篭った拳は

AMFでその威力を減衰されたが、自由落下の勢いまで殺すことは出来ず。拳はそのまま本体

にめり込み、スバルの肩口辺りまでめり込ませたところで抵抗をやめた。



 着地すると同時に、スバルはローラーを履いた足でガジェットを蹴り飛ばす。弾丸のように

地面と平行にすっ飛んでいくそれを、ティアナは雑な射撃で打ち抜いた。正確に四発。吸い込

まれるようにガジェットに着弾した魔力弾は、小規模な爆発を引き起こした。



 それで、八体目。模擬戦の終了である。



『模擬戦終了。記録は2分3秒。頑張ったね、二人とも』



 デバイスから発せられるなのはの声は喜色に富んでいたが、記録そのものはティアナとスバ

ルにとってイマイチ納得のいかないものだった。後三秒縮めてさえいれば……二人の心が一つ

になった瞬間である。



 とは言え、なのはの言ってくれた通り、自分達の実力を加味すれば悪くない内容だろう。ど

こまで本気か知れないがなのはも褒めてくれたのだから、形の上では合格だ。寝る前にスバル

と反省会をしなければならないだろうが……







「キョウ兄は褒めてくれるかな、ティア」

「……さあ、どうかしらね」






























3、



「フリード! ダメだってば、フリード!」



 きゅー! と唸りながらバタバタと羽ばたく相棒の尻尾を、キャロは渾身の力を込めて引い

ていた。小柄なキャロの体はフリードの勢いにずるずると引き摺られている。フリードはまだ

子供の竜だったが、それでも竜には違いない。炎を吐かなくても全力を出せばキャロでは抵抗

し難いのだった。



 今も、恭也の方に飛んで行こうとするフリードを必死に引き止めている最中である。



 スバル達の模擬戦終了を待たずにキャロはエリオと共に開始地点に移動していた。エリオと

簡単な打ち合わせをしながら自分達の番を待っていると、スバルがティアナをおんぶして横を

通りすぎていった。



 模擬戦の前はあれだけ思いつめた顔をしていたのに、帰ってきた二人は実に晴れやかな笑顔

をしていた。データはシャーリーが取っているので報告などは必要ないが、それでも二人は分

隊長であるなのはの元に直行し、模擬戦の問題点を洗い出している。



 そこに手が空いていたらしい恭也が割って入ったのが始まりだった。建前上はフォワードで

ないとは言え、誰かに物を教えた経験ではなのはに勝るとも劣らない恭也である。その助言に

は千金の価値がある……以前に、恭也個人に対する思いが強いのだろうが、スバルもティアナ

も熱心に恭也の言葉に耳を傾けていた。



 キャロの位置からでは何を話しているのかまでは聞き取れなかったが、どうやら二人は褒め

られているようで、恭也の手がティアナの頭に載せられるのがちらりと見えた。



 隣のエリオの機嫌が下降線を辿っているのが見て取れたが、キャロにはどうしようもなく、

それ以上にテンションを上げてしまった相棒の対処にかかりきりになった。



 移動のために恭也の頭から降ろされた上に、さっきまでいなかったティアナが恭也に褒めら

れているのが気に食わないらしい。何とも解りやすい反応をしてくれる子竜である。はっきり

とした意思表示はいつもならば助かることだったが、これから皆で戦わなければならない状況

では害にしかならない。



 フリードがいなければ戦えない、ということは流石にないが、キャロの攻撃手段のほぼ全て

を担っているのがフリードである。彼女がいなければキャロの魔導師としての戦力は激減する

のだ。



 とは言え、今回のような相手が何処にいるか解っていて、かつ、その力量が大したことがな

いという状況では、キャロは元よりフリードの出番すらないかもしれない。



 ライトニング分隊での相棒は、高速戦闘を得意とするエリオだ。補助魔法さえかけてしまえ

ば、後はキャロにすることはない。フリードの炎で支援するよりも早く、キャロが妨害魔法を

使うまでもなく、彼女の槍は全ての敵を切り裂き、貫いてくるだろう。



 仮にもチーム戦でそれはどうかと思わないでもないが、自分とエリオの取り合わせだったら

それが最も効率的で、安全な手段であることはキャロにも分かっていた。そういう方法で行く

というのはエリオからの提案だったが、キャロにも異論はなかった。



 キャロにも活躍したいという思いがないではない。管理局に入ってから、一生懸命魔法の修

行もした。先生にも筋が良いと褒められたし、今日はその成果をフリード以外に見せることの

出来る最初の日である。仕事をしないで良いはずがない。



 だが、同時に隣に立つ少女が誰よりも『誰か』に褒めてもらいたい、と心の中で思っている

ことをキャロは知っていた。そのために血を流しても涙を流してもずっとずっと努力を重ねて

きたことを、エリオの親友であるキャロは知っていた。



 彼女が活躍するための場を作れるのなら……引き立て役になることにキャロは何の不満もな

かった。。補助魔法をかける以外に何もしないことをなのはやフェイトは怒るかもしれないが、

その程度で済むのならば安いものだ。



 相棒のことを考えていると、もう一人の相棒の尻尾がキャロの頬を打った。それで思索から

現実に引き戻されたキャロは、両手からすっぽ抜けたフリードの尻尾を抱え込み、全ての体重

をかけて引き摺っていく。



「きゅきゅー!」

「『きょうやのところにいくんだー!』? ダメだよ、これから私達は模擬戦なんだから。真

面目にやらないと、恭也さんにも怒られちゃうよ? 頭に載せてもらえなくなったらフリード

だって嫌でしょう?」

「きゅー……」

「でも、頑張ったらご褒美にお肉くれるかもしれないし、頭の上でお昼寝させてくれるよ。だ

から一緒に頑張ろうよフリード」

「きゅ、きゅくるー!」

「『お昼ねするなら抱っこされたい』? それは私にはちょっと……」



 フリードの直接的な要望に、思わずキャロは苦笑を浮かべた。恭也とは親しい間柄だが、そ

の腕の予約状況まで把握してはいない。恭也のことだからフリードを相手に出来ないくらい予

約で埋まっているということはないだろうが、それを頼みそうな人間はいくらでもいる。



 ここで安請け合いするのは簡単だけれど、引き受けておいてダメだったとなったらいくらフ

リードでもヘソを曲げてしまうだろう。もっとも、竜であるフリードにヘソはないのだが……



「模擬戦が終わったら私も一緒に頼みに行くから、だから頑張ろうね、フリード」

「きゅくるー!」



 元気な同意の声が返って来たことで、キャロはようやく安堵の溜息を漏らしエリオの隣に並

んだ。エリオはちらり、と一度だけ視線を向けると、目標の出現予定点に視線を戻した。打ち

合わせは終わっているから、今特に話すようなことはない。



 話しかければ答えてくれるのだろうが、今の怖いくらいに集中しているエリオに声をかける

勇気はキャロにはなかった。



「ライトニング分隊、準備はいい?」



 そう確認する声は、なのはではなくフェイトのものだった。どういうことかとキャロが隊長

の方に視線を向けると、彼女が振り返ったことに気づいたフェイトが、軽く手を振っていた。



「ちょっとだけ無理を言って合図の役を変わってもらったんだ。それだけだから心配しないで

ね。さて、準備が良かったら二人とも、左手をあげてもらえるかな?」



 エリオは無言で左手に握ったストラーダを、キャロは控えめに左腕を振り上げ、その隣で宙

に浮いたフリードも、羽ばたきながら器用に左の腕を挙げて見せた。



『条件はさっきまでと一緒だよ。それじゃあ、ライトニング分隊模擬戦、スタート!』



 フェイトの声と共に、スバル達の時と同じ位置に目標ガジェット八体、その全てが出現する。

エリオはゆらり、と身体を前に傾けるとそのままソニックムーブで加速を始める。彼女の脚力

ならば接敵までほんの数秒だ。



 もたもたしていたら、本当に何も出来ないまま模擬戦が終わってしまう。キャロは慌てて指

を組むと両手で数度印を切り、



「我が請うは疾風の翼。若き槍騎士に、駆け抜ける力を!」



 慌ててかけた魔法は、しかし実を結んだ。キャロの魔法を受けたエリオはまさに疾風のよう

な速度でもってガジェットの群れに突っ込む。



 まだ動き始めだったガジェットのうち一体を騎兵槍の形にしたストラーダで貫き、力任せに

振りぬいたそれで、動き出すのが遅れた一体を真っ二つに断ち切る。開始の合図から、ここま

でおよそ五秒。キャロが一つ息を吐くよりも早く、エリオは二体のガジェットを破壊してみせ

た。



 今更思い出したようにガジェットが高速で散り始めるが、エリオの速度はそれよりも速い。

分散して逃げたガジェットを一体、また一体と貫き、断ち斬って行く様は彼女と付き合いの長

いキャロにすら、鬼気迫るものを感じさせた。



 それがエリオであることも忘れてキャロは一歩後退るが、頭を振って一歩前に出る。親友に

恐怖などしてはいけない。あれはエリオで、何も怖いことはない。親友が強くなったのならそ

れは喜ばしいことだ。



 耳元で、フリードが鳴いた。心配してくれたらしい相棒に、笑顔を向ける。少しだけ力のな

い微笑みになってしまったのは、しょうがないことかもしれない。元気のない様子のキャロに

フリードはぱたぱたと近寄って頬を舐めてくれた。



 健気なフリードの様子に、キャロの心に勇気が沸いた。瞳に力が戻ったのを見て、フリード

も大きく、遠く鳴く。



 デバイスが敵接近を知らせたのはそんな時だった。



 十時の方向、距離50。



 視線を向けるとそこにはガジェット。それの前に灯ったいくつかの光弾が、この上なく明確

な攻撃の意思を示していた。



 エリオが撃ち漏らしたガジェット。その事実を理解するよりも早く、身の危険を回避するべ

くキャロは片手で素早く印を切ると、ガジェットに向けて腕を掲げた。



 光弾が放たれたのは、それとほとんど同時だった。高速で迫る光弾はキャロの前に出現した

ラウンドシールドに受け止められ、霧散する。



「フリード、ブラストフレア!」



 攻撃の指示に、フリードが高く嘶く。発せられた炎はガジェットの正面に着弾し、その周囲

を火が包み込む。魔法が原因であっても一度物理現象として発生してしまった火は、AMFで

も無効化出来ない。



 火攻めで倒せるとキャロも思っていなかったが、周囲の火をガジェットは脅威と判断したら

しい。急な上昇をかけて、その場は逃げようとする。



 だが、その時にはキャロの準備は終わっていた。



「我が求めるは、戒める物、捕らえる物。言の葉に答えよ、鋼鉄の縛鎖。錬鉄召喚――アルケ

ミックチェーン!」  



 ガジェットの真下に展開された魔法陣から、鋼鉄の鎖が無数に伸びる。それらは不規則に動

くと逃げるガジェットを雁字搦めにし、中空に束縛した。なおもガジェットが逃げようとする

が、召喚された鎖は本物で魔法はそれを召喚、操作するためにしか使っていない。一度拘束し

てしまえば、ガジェットと言えどもそれを解くのは困難だ。



 光弾で破壊することもあるいは可能かもしれないが、自らを拘束するものを至近で破壊すれば

自爆に繋がりかねない。詰みに近い状況に、ガジェットの行動が一瞬止まる。



 その一瞬を見逃すほど、キャロ・ル・ルシエの相棒は遅くなかった。



 キャロの目の前で、ガジェットが真っ二つに断たれるのとほぼ同時に、すぐ近くにエリオが

着地する。先ほど纏わせた補助魔法の光が、ストラーダに淡く灯っている。



『模擬戦終了。記録は一分十三秒。スバル達よりも速いね。凄いよ、二人とも」



 エリオが撃破したのが、最後のガジェットだったらしい。キャロとエリオ、二人のデバイス

からなのはが模擬戦の終了を告げる声が聞こえた。































4、



 模擬戦を終えた二人の顔は対照的だった。



 喜んでいるのはキャロと、その相棒フリードである。きゅくるーと鳴きながら恭也の頭に取

り付いたフリードは、喉を撫でられてご満悦だった。あれで生物の頂点である竜種族であると

いうのだから、可愛いものだ。



 キャロも自分の上司であるフェイトから褒められて、素直に喜んでいるようだった。自分の

所に現れたガジェットに、フリードと力をあわせて迅速に対処したことが高評価の対象のよう

である。



 聞けば、キャロのような役割は守ってもらうことが前提で、不意に攻められると非常に弱い

ところがあるとのこと。それをフリードと協力してとは言え、十歳の少女がそれを成したとい

うことが、フェイトは甚くお気に召したようだった。



 すずかの記憶では、十歳の頃の彼女達はそんなものは目ではないほどの成果を挙げていたよ

うな気がするのだが、今それを引き合いに出すというのは野暮というものだろう。キャロ達が

良くやったというのは、紛れもない事実なのだから。



(問題は、エリオくんだよね……)



 キャロの隣で無表情に立つエリオは、先ほどから一言も発していないようだった。前に出た

スバル達の記録を一分近くも更新出来たのは、エリオの高速機動型のエリオの働きに寄る所が

大きい。



 確かに一人で対応する選択をしたのに後衛のキャロの所にガジェットを通したのはあまり宜

しくないことだったが、それはキャロとフリードの力で十分対処できるレベルの物であったし、

結果、何の被害も出なかった。



 だから何も気にするなというのは結果論的な帰結だが、直属の上司であるフェイトやシグナ

ムもエリオ達の動きは評価していて、模擬戦を総括しているなのはも何も言っていない。辛口

批評を遠慮なくする恭也も、何も口を挟んできていなかった。



 これが最初の合同訓練であることを考えれば、十分に成功と言えるだろう、少なくともなの

は達はこれを成功として見ているようだ。エリオの相棒であるキャロやフリードも、褒められ

て素直に喜んでいる。



 だが、エリオだけがそれを不服としていた。



 やるつもりで行動し、でもそれを完遂できなかった。その事実だけがエリオの心に残ってい

るのだろう。



 やるからには完璧を求めるというのは別に悪いことではないが……若いを通り越して幼い時

分から、そこまで完璧主義者である必要はないと思うのだ。終わりよければ全てよしと、踏ん

反り返って言ってのけるくらいの図太さが必要な時もある。



 尤も、そういうことができないからこそ、ああして凹んでいるのだろうが、それを感じ取り

労わりの言葉をかけ、彼女の心を癒してあげられる唯一の人間は、こういう平時の時には絶望

的なまでに気が回らない。



 彼が一言声をかけて、気を使ってあげれば、あるいはエリオ自身がもう少し心を開いて彼に、

そして皆に接すればすぐにでも解決する問題であるはずなのに、彼も、エリオもそれをしよう

としない。



 それが傍で見ていると歯痒くなる時もある。



 すずか自身人付き合いには不器用な方だと思うが、だからこそ、同じように人と上手く接す

ることの出来ない人間には、目敏くなるのだった。



 ただ一言、ただ一つの行動が、難しいということも良く知っている。



 幼い自分はなのはが手を貸してくれて、友達を作ることが出来た。



 今のエリオには手を取り合える仲間がいる。すずか自身、エリオの仲間のつもりでいたが、

そういう英雄的な役目はもっと近しい所にいる友達か、あるいは白馬に乗った黒ずくめの王子

様の役目だとも思っていた。



 しゃしゃり出るのは、もっと場が煮詰まってからでも良いだろう。それまでに解決している

のが一番良いが、友情や愛情が育まれるには、それなりの困難が必要なのだ。距離のある者が

直ぐに手を出すことが、長期的に見て本人の助けになるとは限らない。



「さて、ブレイド分隊のすずかちゃん。準備はいいかな?」



 なのはの言葉に、すずかは片手を挙げて答えた。



 エリオの環境も大事だが、今は目の前の自分のことだ。ガジェット召喚のための魔方陣を遠

くに見ながら、すずかはこれからのことを考えた。



 スバル達スターズ分隊の記録が二分三秒、エリオ達ライトニング分隊の記録が一分十三秒だ。

どちらも二人で行動しての記録がこれである。ブレイド分隊の新人は自分一人であるので、こ

れと比較される記録はもちろん、すずか一人で出さなければならない。



 さて、どうするのが一番無難であるのか。



 何をしても良いというのならば、ライトニング分隊の記録を抜くことは容易い。逆にスバル

達スターズ分隊よりも遅く、ペナルティを受けない五分よりは早い記録を不自然でない程度に

出すことも出来る。



 角が立たないようにするためには後者の方が良いのだろうが、恭也からはほどほどにやれと

言われている。全力を出せとは言っていないが、手を抜いて良いとも言っていないのだ。



 しばらく考え、すずかは気にすることをやめた。ほどほどに動いて、その結果を良しとする。

それで誰よりも早かったり遅かったとしても、良く考えれば誰に責められる理由もない。



 習得した力の性質上加減は難しいのだが、力の配分をコントロールするのも修行と恭也なら

ば言うだろう。日々是修行也。恭也や美由希の良く使う言葉だ。



「それじゃあ、模擬戦――」



 なのはの言葉に、すずかは腰を落としてスタートダッシュに備える。ほどほどに、ほどほど

にと心中で念じながら、



「スタート!」



 なのはの言葉と共に、一気に駆け出した。50メートルの距離を一息で踏破し、出現したば

かりのガジェットにとび蹴りを喰らわせる。くの字に折れ曲がったガジェットは弾丸のように

すっ飛び、ビルの壁を粉砕して土煙の中に消えた。



 完全に破壊した感触を足裏に感じたすずかは、着地すると同時に身体を半回転。既に行動を

開始した他のガジェットに阻まれて、動き出すのが一拍遅れていたガジェットに左のボディー

ブローを放つ。



 ガジェットに胴体という概念があるのか知れないが、人間で言う肝臓の辺りに下方から突き

刺さったすずかの拳はガジェットを浮き上がらせ、左の拳を引く勢いで振り下ろされた右の拳

が、そのガジェットを容赦なく地面に叩きつけた。



 ぐしゃり、というとても機械が立てるとは思えないような音が響いた。見学をしていたキャ

ロが思わず目を背けているのを遠めに見ながら、ポケットに隠していた物を取り出す。



 こちらに集合する前に拾っておいた石だ。掌に乗るくらいの、道端で拾える物としては大き

な物だろう。握って人を殴れば十分に鈍器になるそれだが、今回は鈍器としての役割は期待し

ていない。



 破壊を免れて逃げおおせた六体のガジェットのうち、最も距離が近い物に向けてすずかは大

きく石を振りかぶって――投げた。



 先ほど吹き飛ばしたガジェットが弾丸だとしたら、石は一体何なのか。すずかの手を離れた

石は一瞬後にはガジェットを直撃し、その胴体を貫通してもなお勢いは止まらず、ビルの壁面

に当たって粉々に砕けた。それでもなおビルの壁面には亀裂が入っていたのだが、直後に爆発

したガジェットが、すずかの所業を見えない物にした。



 ちらりとなのは達の方を見ると、キャロに続いてティアナまでが唖然とした表情をしていた。



 無理もない、と自分の行動を振り返って苦笑する。



 スバルのように体術を使って戦う魔導師もいるが、ここまで腕力に訴えるスタイルを持って

いるのは管理世界広しと言えどもそう多くはないだろう。すずかの戦い方は、魔導師としては

異端の部類に属するのだ。技能をある程度知っているなのは達隊長陣はまだしも、すずかを見

るのが初めてなキャロやティアナにとっては衝撃だったのに違いない。



 そして、事情を知らない人間にとってはその反応が普通であるということが、すずかの心を

ブルーにさせた。



 元々戦う技能を得たいとすずかが考えたのは、海鳴で闇の書事件が起こった際に恭也に守ら

れたことが原因だった。それまで絵に描いたようなお嬢様生活をしていたすずかだったが、こ

と戦うことに関しては特別な適正がすずかの一族にはあったため、力を手にすることその物

はそれほど難しいことではなかった。



 姉にそれを打ち明けた時には、すぐに親戚の『戦うことに秀でた』人に連絡を取ってくれ、

一週間ほどして一人の先生が現れた。ドイツに住んでいるらしいその女性は、見た目は二十代

の半ばと若々しかったが、それでも一族の中では重鎮と扱われる存在で、戦うことに関しても

一族でトップクラスの技能を持っているとか。



 どうして強くなりたいのか、と問うその女性にすずかは起こったことをありのままに話した。

異世界とか魔法とか、正気を疑われるような単語の連続だったが、全てを聞き終わった後その

女性は事も無げに教えてくれた。



「魔法なんて、この世界にもあるものなのですよ?」



 穏やかに微笑む女性に、すずかは身を乗り出して食いついた。私にも魔法は使えるのかと。

読書家であるすずかは、密やかにファンタジーには憧れていたのだ。絵本の中に出てくるよう

な魔法が使えて、かつ戦えるようになるのならこれ以上はない。



 だが、すずかの言葉を受けて、女性は苦笑を浮かべた。何でも、すずかの魔法に関する適性

は並であり、戦闘に最低限使えるような魔法を習得できるようになるまでは最低でもニ十年は

かかるというのが、女性の言い分だった。



 それでも習得する見込みがないと宣言されるよりはマシだったが、一刻も早く恭也の力にな

りたいと考えるすずかにとって二十年というのは長すぎる。



 もっと手早く強くなれないものか、と詰め寄るすずかに、方法はないこともない、と女性は

答えた。一族が持つ最も解りやすい特徴、人並み外れた身体能力を生かすこと。それが強くな

るための一番の近道であると言う。



 抵抗はあったが、手早く強くなりたかったすずかにとって、選択を躊躇う理由は存在するは

ずもなかった。元より、性格に反して運動神経だけは良かったすずかである。女性が想定して

いたよりも早く怪力を生かした戦闘技能を習得し、恭也の許可を得て現在に至っている。



 夢にまで見た恭也の力になれているのだ。現状には何の文句もないすずかだったが、未練が

ない訳ではない。



 小学校の時からの仲良しであるなのは達は、十年前から魔法少女を続けている。十九を越え

た今、少女というには微妙な年齢になってきているが、スタンスは今も変わっていない。ひら

ひらとして服をきて空を飛び、きらきらとした攻撃で悪い奴を退治している。



 イメージと実際は違うものだ。今どころか十年前のなのは達を捕まえてさえ、本家の本当に

ひらひらきらきらしていた魔法少女達は、自分たちの看板に泥を塗られたと怒り狂うかもしれ

ないが、ファンタジー趣味のすずかにとってはなのは達のような技能は憧れだった。



 幼い頃から抱く魔法とは随分と形は違うが、殴る蹴る吹っ飛ばすしかできない自分とは雲泥

の差である。本当なら自分もあっちの側にいたのだと思うと、気分が参ってくる。キャロのよ

うな可愛らしい少女に唖然とされると尚更だ。



 せめて武器があればもう少し華麗に決められたのかもしれないが、恭也に成果を見せた時に

使っていた鍛錬用の鉄棍は、高校を卒業する少し前に鍛錬で折ってしまった。今は就職祝いで

先生から貰った金属製の棍を使っているが、それは特共研に持ち込んだ時にリスティに取

り上げられて手元にない。



 何でも管理世界では見たこともない金属で出来ていたそうで、本局の特共研では現在解析が

進められている。官製初のテスタロッサ式デバイスの試作品一号を回してもらう予定だが、そ

れもまだ完成はしていない。卒業前からデータを提供し、予定では遅くとも6月には完成する

予定だったのが、すずか自身が持ち込んだ謎金属によって完成はずれ込みそうだった。



 そのデータを反映するので、出来上がるデバイスは予定よりもさらに高性能になるとのこと

だったが、その間ずっと怪力女をやらなければならないと思うと、今から気分が滅入る。



 抜き手でガジェットを軽々と貫きながら、すずかは考えた。世の中、本当にこんなはずじゃ

なかったということばかりだ、と。





 、


























5、



「二分十五秒かぁ……思ってたよりも時間かかったね、すずか」

「ほどほどと言い含めておいたからな。まぁ、こんなものだろう」



 本当の本当に全力を出せばもっと出来たのだろうが、武器もなくほどほどと制限がついた状

態ならばこんなものだろう。言いつけを守った上での結果としては、むしろ上々と言えた。



 すずかが素手でガジェットを八つ裂きにした時は、キャロなどドン引いていたものだが、新

人達に揉みくちゃにされているすずかを見る限り、不和を心配する必要はないようだった。



 新人たちの問題はとりあえず頭の隅に追いやり、恭也は思考を切り替えた。



「プレシア、セットアップ」



 恭也の言葉に答え、剣帯と共に二本の小太刀が出現する。他のデバイスにはない真剣然とし

た重みに心地よさを感じながら、小会議を開いていたなのは達四人に歩み寄る。



「次は俺と美由希の番だったな。さっさと始めよう」

「それは別に構わないけど、すずかちゃんに何かアドバイスとかない? 一応上司さんとして

はかっこよくアドバイスとかしたいんだけど」

「すずかの先生とやらから鍛錬について詳細なデータを預かってる。渡すのが遅れていたが、

持参してるからそれも参考にしてくれ。砲撃主体のお前ではあまり参考になることは言えない

ような気はするが、まぁ、ないよりはマシだろう。あれのアドバイスに関しては俺も協力する

から、今はとりあえず後回しだ。適当なことを言って、混乱させるのも上手いことではないか

らな」



 鍛錬によって詰んだ経験値はともかく、局員としてすずかは新人だ。チームで戦うことも多

くなるだろう現状で、鍛錬の方向性が混乱してはチーム全体に影響する。



「恭也くん、ちなみに目標タイムは?」



 微笑ながら問いかけてくるなのはに、恭也は黙って指を一本立てた。それを見たなのはえー

と不満そうに声を挙げる。



「一分? もうちょっと頑張ろうよ」

「寝ぼけたことを言うな。十秒だ」



 さも当然のように言う恭也に、今度なのはは驚いた。興味なさそうに話を聞いていたヴィー

タが、悪ガキのような口の端を挙げて話に加わってくる。何か悪巧みを考えている顔だな、と

恭也は気づいたが、口にはしないでおいた。



「随分ぶち上げるじゃねーか。それで出来なかったら大恥かくぞ」

「エリオが実質一人でやって一分少々だったのだ。俺も美由希も奴より速く動けて、奴より錬

度は高い。頭数が多いことも考慮すれば、それほど的外れな数字でもないと思うが」

「じゃあ、賭ける? 十秒を達成できなかったら、次の皆のご飯は恭也君とお姉ちゃんのおご

りってことでどう?」

「構わんよ。俺達が達成できた時には、お前にその条件をそっくり実行してもらうからな」



 ふふん、とお互いに笑いあって、恭也は踵を返した。その後ろを苦笑を浮かべた美由希がつ

いてくる。



「あまりうちの妹を苛めないでほしいなぁ」

「苛めてるのは俺じゃない、ヴィータだ。なのはが賭け事を持ち出すように誘導してたぞ。俺

達が勝つと解っての発言だ」



 視線を向けられた時には何を考えているのか解らなかったが、ヴィータが口にした内容で何

を求められているのかは解った。確か今週の週替りわりデザートはヴィータの好みであったよ

うに記憶している。解ってるんだろうな、というヴィータの顔は酷く印象に残っていた。



「態と負けてあげるって手もあるけど」

「挑まれて手を抜くのは俺の流儀に反する。それはお前だってそうだろう?」

「そうだけどさ……」

「それとも何だ、十秒を切れないとでも言うつもりか?」

「まさか、恭也と二人なんでしょう? あのままの設定なら五秒でも余裕だよ」

「だろうな。後はアレがガジェットの設定を変えないことを祈るばかりだが」



 あの強さのガジェットが八体だから、賭けにも乗れたのだ。これが無駄に数を増やされたり、

設定を弄られて高速で逃げを打たれたら、いくら美由希と二人で挑むにしても、十秒を切るの

は難しくなる。



「なのははそこまで姑息じゃないよ」

「それは俺も知っている。だからこの賭けは勝ったようなものだな。喜べ、次の食事は豪勢に

なるぞ」

「妹のお金で食べるご飯ってあまり美味しそうじゃいなぁ」

「無料で食べる食事というのは美味いものだ」

「フェイトに奢られるご飯って美味しい?」

「…………さぁ、始めようか」



 胡乱な目の美由希の言葉は聞かなかったことにして、恭也はスタート地点に着いた。美由希

はこれみよがしに肩を竦めて、恭也の後ろに立った。



「キョウ兄ー! 頑張れー!」



 能天気なスバルの声援に、キャロの声が続いた。



 たかが訓練で声援というのもむず痒い。



 しかし、なのはをはじめ隊長陣は誰もスバル達を咎めはしなかった。流石に声援を送る人間

は隊長陣の中にはいなかったが、僅かの金銭とプライドをかけているなのはとヴィータの表情

は真剣そのものである。



 なのはは隣に立つヴィータと視線の火花を散らした後、腕を高々と振り上げ、宣言した。



「それでは今日最後の模擬戦! スタート!」













































6、



「まぁ、こうなるのは解ってた訳だけどな」

「うー……今までで一番悔しい」



 模擬戦を含めた全ての訓練の終了した後、予定通りになのはとの賭けに勝った恭也はなのは

の奢りで夕食を取っていた。食堂にいるのは恭也となのはの二人だけで、すずかを除いた新人

達は模擬戦後の訓練で絞られてダウンしており、すずかは美由希と一緒にデータ分析のために

本局へ。フェイトは執務官の仕事があるからと、模擬戦が終了すると何処かへふらりと消えて

しまった。六課隊員寮に部屋があるフェイトだが、今日は帰ってこれないかも、と寂しそうに

微笑んでいたのを覚えている。



 賭けの切欠となったヴィータだけは、是が非でも今日中に奢ってもらうつもりだったようだ

が、はやての誘いで八神一家で予定が入ってしまったため、残ったのはこの二人だけだったの

だ。



 ちなみに、アルフ、ザフィーラ、リインの魔導師ランクにカウントされない都合の良い魔導

師たちは、今日は各々の主と共に行動をしている。つまりアルフはフェイトと共に捜査に尽力

し、ザフィーラは八神家の団欒に。リインは彼女本人が主張するところの主――つまりは自分

だ――と行動を共にしていた。



 一緒に食事をするつもりでここまで来たのだが、はやての手伝いでした仕事の疲れが出たの

か、恭也の傍らにあるリインハウスの中ですやすやと寝息を立てている。



「お土産でデザートとか用意すると、リインも喜ぶかもよ」

「土産までつけてくれるとは、高町なのはにしては実に清清しい金払いだな」

「……女の子への贈り物を自分のお金でしないってのはどうなのかな男の子として」

「皆に、と言い出したのはお前だぞ? まぁ、普通に解釈するならあの場にいた全員というこ

とだろうから、リインへの土産代は俺が持つ」

「なら最初からそう言えば良いのに」

「敗者を見据えて踏ん反り返るのは勝者に許された特権だ」

「いつか必ず、今までの無礼を許してくださいなのは様って言わせてあげるからね」

「期待しないで待っている」



 なのはも女性にしては食べる方だったが、流石に恭也ほど健啖でもない。先に食事を終えた

なのはは手持ち無沙汰に恭也が食事をするのを眺めていた。



 じっと見られていると箸が進まないと、普段であればデコピンの一つも入れていたのだろう

が、気分が良かった今日はさせたいようにさせていた。



「うちの子たちはどう?」

「ティアナは今日始めて見たが、悪くないな。良く勉強しているようだし、よく考えている。

他の三人ほど光る物がある訳ではないが、スバルの動きを頭に入れて自分の予定を立てられる

というのは素晴らしい。あれならリオとキャロもまとめて指揮できるだろう。スバルの相棒と

は言え、良い拾い物をしたな」

「ギンガとどっちにするか最後まで悩んでたんだけどね」



 なのはの苦笑に、フォワード最後の一人が決まったと告げてきた日のフェイトのことを思い

出した。大人しいフェイトが小躍りしそうなほどに上機嫌だったのはそう言えばそういう訳が

あったな、と今更ながらに思い出す。



「ギンガが来ていても中々面白い部隊いなったかもしれないな」

「やめてよ。私の胃に穴が空いちゃうから……」

「だが、もし人員が足りないという事態になったら、補強を頼めるのは108隊しかいないだ

ろう。その時にやってくるのは、ほぼ間違いなくギンガだぞ」

「そんな事態にならないように、頑張ってね恭也くん」

「仮にも指導者が他力本願でどうする」

「私と恭也くんは同じ分隊長だし、立場としては同じでしょ? だからこれは、お願い」



 拝み倒すように手を合わせるなのはを横目に捉えつつ、恭也は食事を終えた。リインのお土

産デザートを注文し濃い目に入れてもらったお茶で一息吐く。



「エースオブエースと俺が同格のはずもなかろう」

「魔導師ランクでみればそうだけど、恭也くんだって知名度は中々だよ。本局局員なのに地上

で好感触って普通じゃないよ」

「俺は俺の仕事をやってるだけなのだかな」



 恭也とて本局に帰属意識は持っているが、管理世界出身者ほど強いものではないのだろう、

ということは、各々の組織に所属する局員を見ていた理解したことだった。



 普段一緒に仕事をしている特共研の面々はリベラル過ぎて参考にならないものの、派遣され

た先で話をすると、そういう感情の根深さが良く伺える。



 理解はできても共感は出来ない話だったが、決して軽視して良い問題でもない。内部の不和

は外部にも影響し、その被害を受けるのは本来自分たちが救済しなければならない人々だ。出

来る限りそういう物をなくそうと努力はしているものの、個人的なネットワークが広がっただ

けで全体の改善には至っていない。



 なのはなどは地上でも受けが良いと長所のように捉えているが、自分一人だけ受けが良くて

も意味がないのだ。



「明日から通常訓練に入るよ。基礎訓練が終わるまでは私が一人で面倒見るけど、恭也くんも

それが終わったらヴィータちゃんと一緒に参加だからね」

「俺が毎回入れる訳ではないぞ? 昼番固定のお前達と違って、ブレイド分隊は三人を昼と夜

に割り振らなければならんからな」



 それにしても必ずという訳ではないが、建前の中に戦闘行動の観測という物が入っている以

上、そう頻繁に昼か夜、そのどちらかにブレイド分隊が誰もいないという状況を作ることは出

来ないのだ。



 新人ということですずかは昼番に固定してあるが、恭也と美由希はシフトが非常に不規則に

なっている。



 夜番には古強者しかおらず、また夜間であるために大規模な訓練は出来ないため、訓練の面

倒を見るとしたら必然的に昼番の新人たちということになるが、前述のようにシフトが安定し

ていないから、訓練を見るという約束はできても、誰が、という確約は出来ないのだった。



「出来るだけ都合つけてくれると嬉しいな。恭也くんも大変なのは解ってるけど、あの子達、

成長するには今が大事な時期だし」

「出来る限り都合をつける。訓練メニューを決めたら俺のところにも送ってくれ。参考程度に

意見を沿えて送り返す。美由希にも同じように言っておこう」

「後、すずかちゃんのことなんだけど、訓練ってどうしたら良いと思う?」

「基礎訓練は俺か美由希が見るか、すずか一人でやってもらうことになるだろうな。今日を見

て解ったと思うが、魔力の運用の仕方が管理世界式の魔法とは異なるし、そもそも基礎体力に

雲泥の差がある」



 雲泥とは言うが、突出していると思っていたすずかの体力は新人の中で唯一、スバルとだけ

均衡していた。厳密に判断をするならすずかの方が上だろうが、誤差の範囲だろう。



 二年前、ギンガは自分たちについてこれなかったことから、スバルもそれくらいと思ってい

た恭也には、これは嬉しい誤算だった。元々ギンガよりも体力があったのか、それともスバル

が死ぬほど努力したのか知れないが、体力造りなどの基礎鍛錬ならば、自分たちと一緒でも良

いと恭也が判断できるほどだった。



「上手くすれば恭也君に基礎鍛錬を見てもらおうかと思ってたんだけどね」

「見る分には構わんが、俺達と同じメニューというのはやめておいた方がよかろうな。すずか

以外でついてこれるのは、おそらくスバルだけだろう」

「コンビネーション訓練は一緒にやっても良いんだよね?」

「その辺りはキャロ辺りと一緒に重点的に教えてやってくれ。他の三人は訓練校上がりだから

チームで戦うことも想定して訓練したろうが、あの二人はさっぱりだからな」

「まかされたよ。まぁ、すずかちゃんから教わることも多いだろうけど」

「切磋琢磨できるというのは良いことだ」

「そういう経験があるの?」

「俺の成長期はほとんど我流で終わってしまったからな。それで得た物も多いが、上達のため

にはやはり良い師と仲間がいるのが一番だ」

「良い師匠は恭也くんがいるからね。期待してるよ」

「俺を煽てる暇があるのだったら、訓練メニューでも考えることだな」



 さて、と恭也は膝の上の埃を払って立ち上がった。リインハウスを揺らさないように持ち

上げ、なのはに別れを告げる。



「もう帰る?」

「いや、リインを部屋においてから仕事だ。知っているだろう? 俺は今日夜番だ」

「その……大丈夫?」

「体力だけは有り余っているからな。多少寝なかったところで問題はない」



 夜番は昼番と異なり待機が主な任務だ。事件が起きなければ事務仕事と屋内訓練だけで一日

が終わる。恭也にとっては聊か退屈な仕事と言えたが、有事に備えるためにはこれも必要な仕

事である。


「夜番なのにごめんね、訓練につき合わせて」

「後進の指導も俺の仕事だ。事前に言ってさえくれればいつでも付き合おう」



 この発言になのはは心底驚いたような表情を見せる。俺が手伝うのがそんなに意外か、とデ

コピンを放つべく指を構えたが、今はリインハウスを左手に持っているために激しく動くこと

はできない。



 リインハウスを揺らさずに打ち込むことは可能だが、それだといくらなのは相手でも避けら

れてしまう。既に腰を浮かせて防御体勢に入っているし、当てるのは無理だろう。



 そう判断した恭也は構えた指を解くと、なのはの頭を軽く二度撫でて食堂を後にした。



 後に残されたなのはは、遠くなっていく恭也の背中をいつまでも呆然と見つめていた……