恭也・テスタロッサの一日は目覚まし時計が鳴るきっちり五秒前に置き、目覚まし時計の目

覚まし機能を解除する所から始まる。朝起きて夜寝る所謂普通の生活をしていた頃は目覚まし

がなくても起きられたのだが、六課に来て変則的な生活をするようになってから、目覚ましが

手放せなくなってしまった。



 惰弱だな、とフェイトに愚痴を零したら逆に自身の寝起きの悪さを愚痴られてしまった。寝

坊などはしない娘だが低血圧らしく、朝はいつも辛そうにしているのを思い出す。



 隊舎に住むようになってから朝に顔を合わせることは少なくなったものの、フェイトの生活

態度については同居しているなのはやアルフからも聞いている。生活態度はしっかりしている

が相変わらずの低血圧らしい。



 今日も寝ぼけ眼でいるだろうここにはいない義妹の姿を想像して苦笑を浮かべると、恭也は

身支度を整えるためにベッドから立ち上がった。海鳴の部屋と同じく、私物のほとんどない部

屋を横切って洗面所へ。



 鏡に映ったのはもう三十年以上も付き合っている自分の無愛想な顔だ。戸籍として申請して

いる年齢は海鳴でも管理世界でも二十六歳――奇しくも、湖で彼女に唆された時と同じ年齢だ

――だが、実際にはそれよりも年上に見られることが多い。



 オブラートに包まずに言えば老けて見えるということだ。故郷にいる時と変わらない評価は

良いことなのか悪いことなのか。



 思い出すこともあまりなくなった今となっては、判断のつかないことだ。



 とは言え、軽く見えると評価されるよりは褒められていると思うべきなのだろう。同僚でヘ

リパイロットのヴァイスなど、顔も整っていて仕事もそつなくこなすのに、何だか軽そうと女

性受けはイマイチ宜しくない……と、聞いてもいないのに顔なじみになった食堂のおばさんが

教えてくれた。



 三枚目な態度と裏腹に、あれで女性の目を気にする地味に繊細な性質なので、ヴァイスには

教えていない。彼のマイナス評価に関しては友人の一人として墓場まで持って行こうと心に決

めている。グリフィスがおばさん達の一番人気であることも含めて。



 身支度は瞬きする間に終わった。男の準備などそれくらいで十分だ。最後にネクタイを締め

て、じっと、鏡の中の自分を見つめる。



「……行くか」



 誰にともなく呟き、サイドテーブルにいる相棒を左腕に通す。



『おはようございます。私の主様』

「おはよう、プレシア。今日も変わりはないか?」

『良好です。主様もお変わりないようで安心しましたわ」

「健康なことが俺の数少ない俺の取り得だ。さて――」



 バンドを締めて、プレシアにそっと触れる。腕時計のようにして肌身離さずというのが、最

近の相棒のお気に入りだ。



「今日の予定を確認したい」

『今日は朝番シフトです。ブレイド分隊はすずかが主様と一緒に朝番、美由希が夜番です。今

日は午前から訓練。開始前に部隊長の所に出頭するようにとのことです』

「訓練の段階を今日から一つ上げるということだったが……」

『なのはからはそのように聞いておりますね。主様にも、新人の面倒を見て欲しいと言ってお

りました』

「あまり俺の意見は参考にならないと思うが……」



 新人の中で戦闘スタイルが噛みあうのは精々エリオくらいだろうが、それにしたってばフェ

イトやシグナムが指導した方が上手く行くに決まっている。



 かと言って、全く系統の違うティアナやスバルの所に行っても、それほど実のある意見を言

えるようにも思えない。



 なのはのことだ。いないよりはマシ、使えるのならば使う程度の気持ちで呼んだのだろうが、

指導する側としてはもっとためになる教官を用意してやりたいところだ。



『主様、忘れ物はありませんか?』

「ない……はずだ」



 昨日のうちに確認はしたが、そう言われると気になってしまう。デバイスが地球で言うとこ

ろのノートパソコンみたいな扱いになるので書類などを持ち運ぶ必要はほとんどないが、それ

でも持たなければならない物はゼロではない。



 不安に駆られて身なりを点検するが、何も問題はなかった。



「ないな。大丈夫だ」

『安心しました』



 最後に一度、玄関脇の小さな鏡で自分を確認する。いつも通りの仏頂面だ。



「プレシア、今日も一日よろしく頼む」

『主様のお心のままに』




























「恭也さん、おはようさんです」

「おはようございます、はやて」


 起きたその足で隊長室に向かうと、そこにはもうはやてがいた。彼女の勤務シフトは恭也と

は逆に基本的に朝番である。部隊長である彼女を待たせないよう、少し早めに出てきたつもり

なのに、はやては仕事を始めてから幾らか経っている様子だった。デスクに置かれたコーヒー

からも、湯気は立っていない。



「ファータ、おはようですよ!」

「おはよう、リイン。今日も元気が良いな」



 挨拶と共にスーツで粧し込んだリインが飛びついてくる。管理局員ではないが協力員という

形で六課に所属しているリインの仕事は、主に部隊長であるはやての補佐だ。本人は恭也付き

が良いと最後まで駄々を捏ねていたが、事務仕事をマスターすればいずれ恭也の隣に行けると

いう、リインを相手にする場合のいつもの論調で説得されて以来、小さな身体で頑張っている。



 始める前は流石の恭也もリインで勤まるのか不安に思ったものだが、いざ始めてみれば仕事

ぶりは中々のもので、六課の仕事も軌道に乗り始めた今となっては名実共にはやての秘書様だ。



 最初は馬子にもだったスーツ姿も、どこか凛々しく見える。



「恭也・テスタロッサ准海尉。お呼びと聞いて参上しました。どういったご用件でしょうか」

「恭也さんは今日のスターズとライトニングの予定って聞いてます?」

「訓練の新しい段階に入ると聞いておりますが」

「そうなんです。どっちもデバイスの最初の限定解除の申請してきて、えらく本格的なんです

よ。私はちょう早いような気もするんですけど、私とフェイトちゃん以外は皆賛成言うて今日

からになりました」

「まぁ、早いに越したことはありませんからね」



 はやての手前言葉を濁したが、その多数決に参加していたら恭也もなのはと同じ賛成に票を

投じていたことは想像に難くない。



 新人四人には、それだけの力がある。数年前に空港で出会ったような機人と戦うことを考慮

すれば、訓練する時間はいくらあっても足りないくらいだ。



「体力と体つきの面からエリオとキャロに若干の不安を感じないでもありませんが、なのはや

シグナムが問題なしと判断したのなら、大丈夫でしょう。あれらも目は確かです」

「シャマルも問題なし、言うてました」



 医療担当のシャマルが言うのならば、益々問題がない。せめてシャマルが反対してくれれば

はやても隊長権限で先送りに出来たのかもしれないが、その道のエキスパート達が問題なしと

言ってしまった以上、不安だから、くらいしか理由のないはやてでは強行に反対することも出

来ない。



「俺も気をつけて見ることにします。怪我などしないよう、細心の注意を払いますよ。まだま

だ若い身空で下手な怪我などしては可哀想ですからね」

「年齢いう点では、スバティアの二人と私たち、そんなに差はないはずなんですけどね」

「中学で行き違うようになったら、もう世代は違うものですよ」



 そういうもんですかー、とはやてはぼやきながら、冷たくなったコーヒーを啜った。はやて

の空になったカップを見て、リインが素早くポットへと飛んでいく。



「お茶係はリインの役目なのですか?」

「立派なレディになるためなのですよー、言うて頑張ってくれてます。腕前の方はまだまだで

すけど、毎日美味しいお茶、飲ませてもらってます」

「それは羨ましい。夜番はクイントさん以外は皆味に無頓着でしてね。美味いお茶とはご無沙

汰です」

「……リインはうちの子ですからね、恭也さん」

「その問題は本人の意思に任せることにしましょう」



 かれこれ八年繰り返している遣り取りを他所に、リインがふよふよと漂って、はやての前に

コーヒーを運んできた。危なげなくはやての前にカップとソーサーを置くと、そこが定位置で

あるかのように、恭也の肩に腰掛ける。



 それを見てはやてはむっとした表情を浮かべた。



 うちの子発言をした後に、向こうにいかれては八神家のお母さんとして立場がない。こっち

にきーやーと言うのは容易いがそれでリインが移動するようだったら、八年と待たずに問題は

解決している。



「……スターズとライトニングに関わることとのことでしたが」



 いつまでも睨まれているのは身体に悪い。話題の転換としては少々強引だったが、仕事の話

でははやても無視することは出来ない。消化不良と大きく顔に書いたまま、大きく咳払いして

八神家のおかーさんから機動六課の部隊長に戻る



「…………今日からメニューが変わる言うんは決まっとったことなんですけど、シャーリーと

シャマルから、キャロに別メニューをやってもらいたい言う要望があったんですよ」

「シャムが訓練内容に口を挟むとは、珍しいですね」



 珍しい、と言うか、恭也の記憶にある限りでは初めてのことだ。



 守護騎士の中で参謀であったシャマルはそんじょそこらの仕官よりもずっと頭が回る。部隊

長補佐として日夜頑張っているグリフィスには申し訳ないが、有事においては彼の三人分くら

いの働きをシャマル一人でやってのけることだろう。湖の騎士、風の癒し手の名は伊達ではな

いのだ。



 そんな能力を持つシャマルであるが、六課に赴任してからは基本的に医務室から出てこない

というスタンスを貫いていた。個々人が与えられた職務を真っ当するべし、というのが彼女の

スローガンのようで、請われない限りアドバイスもしないという徹底ぶりだ。



 しかし、医務室というのは訓練ばかりの前線組とは切っても切れない間柄にある。怪我や不

調が日常茶飯事の昼番メンバーは毎日シャマルと顔を合わせるし、時には戦略戦術について新

人組リーダーであるティアナと激論を交わすこともある。



 そんな頼りになる面を知っている隊員の中にはシャマルの参戦を望む声を少なくない。



 だが、シャマルは優秀な参謀であると同時に超一流の医療魔導師だ。



 作戦はシャマルでなくとも……魔導師ではないグリフィスやシャーリーでも立てることが出

来るが、魔法でもって大怪我を治癒出来るほどの腕を持っているのは、六課の中ではシャマル

しかいない。



 なのはやフェイトなどと比べると地味にだが、シャマルはシャマルで替えの効かない人材な

のだ。



 その替えの効かない医務室の主が、自ら出てきた。これはつまり、



「シャムにとっても、スバル達の伸びが予想以上だったと見えますね」

「驚いてましたよー。私からも、先生がええんやって言っておきました。これなら新人達も、

六課解散までには恭也さんといい勝負できるようになるんやありませんか?」

「まだまだ後輩には負けませんよ。それよりもキャロの話でしたね。シャムが関わるというこ

とは補助魔法か、回復魔法の関連ですか?」

「全部みたいですよ。召喚魔法と、その次に補助魔法の適正があったいうだけで、防御魔法や

回復魔法も中々筋が良いって聞いてます。基礎訓練が終わったいうことで、そっちの方もやってみ

ようかいう話が出まして」

「実戦で使えるようにするには訓練も必要でしょう。フリードの制御に加えて魔法の講習まで

増えては、キャロも身体を壊すのではありませんか?」

「無理するようなら魔法を使ってでも休ませるように言って聞かせてありますし、シャマルな

ら上手くやってくれる思います」



 そう言われると恭也には反論できない。恭也やなのはも相手の体調を見て訓練の内容を決め

ることは出来るが、体調を見るということに関してはシャマルの方が三枚は上手だ。



「俺やなのはがスバル達を締め上げ過ぎる可能性の方が高そうですね」

「恭也さんやなのはちゃんのことも、信頼してますよー」



 ころころとはやては笑う。笑顔で場を和ませることが出来るのは、彼女の長所の一つだ。そ

んな笑顔に密かに癒されていると、部隊長室の部屋が控えめにノックされた。



「キャロ・ル・ルシエとフリードリヒです」



 今まさに話題にしていた少女の声に恭也が軽く目を見開くのを見て、はやてはさらに笑みを

深くする。人を癒す笑顔ではなくイタズラが成功した子供のような顔だ。口さがない人間は彼

女のことを小狸というが、今の笑顔はまさにそれだった。



 可愛らしいとは思うが、整った顔立ちをしているだけに小憎らしさも一入である。



 シグナム辺りに言わせれば『とにもかくにも主はやては素晴らしい』ということになるのだ

ろうが、八神一家の一員として扱われることもある恭也をしても、今のはやては何だから小突

いてやりたい気分になった。



 これがはやてではなくなのはだったら、遠慮なく拳骨でも落としていただろう。はやて相手

ではそれも出来ず、微妙にストレスが溜まっていく恭也である。



「失礼します」



 恭也が声に出さずに葛藤しているのに関係なくキャロは部隊長室に入ってくる。主であるは

やてを見て、そのお手伝いであるリインを見て、そのリインの椅子になっている恭也の姿を見

つけ、そこで目を丸くする。いるはずのない人間を見た、という顔だ。



「どうして恭也さんがいるんですか?」

「俺もはやてに呼ばれたのだ」



 アホでも出来る返答だった。部隊長室にいる理由としてそれ以外に考えられるものはないが、

恭也の存在に関してはキャロもそこまで気にしていなかったらしい。一割くらい冗談のつもり

で放った言葉は、純真無垢なキャロに華麗にスルーされた。



 突っ込み待ちだと気づいていたはやてからは笑い声があがる。



「きゅくー!」

「何をするですかー!!」



 キャロの傍らではお供でやってきたフリードが、リインとポジション争いになり軽い乱闘騒

ぎが起こっていたが、二人がじゃれ合うのはいつものことなので恭也もキャロも、はやてすら

も突っ込まなかった。



「キャロはな、今日は他の三人と別メニューをお願いしたいんよ」



 そんな言葉を皮切りに、はやてが先ほどした説明をキャロに繰り返す。皆と別、という扱い

が自分の落ち度に因るものではとキャロの表情は固くなったが、これも訓練の新メニューの一

環なのだと説明を受けると、たちまち安堵の表情を浮かべた。



「――せやから、安心してな」

「解りました。午後はリオくん達と一緒の訓練で良いんですよね?」

「せやねー。座学がどれだけ続くかは先生役のシャマルとシャーリーに任せてるから、二人に

聞いてなー」

「了解です」

「ギブ! ギブアップですよ!!」



 話が纏まったと同時に、リインVSフリードの戦いにも決着がついた。負けたのはリインの

ようで、その背中ではキャメルクラッチを極めたフリードが勝利の雄叫びを上げている。



 勝者であるフリードは敗者リインを慰めるように頭を軽く二度叩くと、彼女に見せ付けるよ

うに悠々と飛び、定位置である恭也の頭の上に納まった。敗者リインは床からそれを悔しそう

に見上げている。



「何度も言うが喧嘩をするな。そもそも、肩の上と頭の上で何故喧嘩をするのだ」

「女の子には譲れない戦いがあるのですよ!」

「きゅくーっ!!」



 復活したリインだけでなく、頭上のフリードからも非難の声があがった。一人と一匹が顔を

合わせた時の恒例行事のようなものだが、毎回キャットファイトを間近で見せられる身として

はもっと仲良くというのが正直なところだ。



 敗者リインも結局は、恭也の肩の上に落ちついた。頭上のフリードは文句を言うでもなく、

頭の感触を堪能している。勝負をしたという事実だけが重要であるらしく、その後の結果に関

してはリインもフリードも頓着しない。



 リインが勝つことも稀にあるが、その時の雰囲気も和気藹々としたものだった。何気にマス

コットコンビは仲が良いのである。先の勝負も喧嘩というよりはじゃれ合いだ。いつもギスギ

スしているフェイトとギンガとは対照的である。



「恭也さんにはとりあえず今日一日、フリードを預かってほしいんですよ。一緒に講義を受け

てもらおーとも思ったんですが、フリードには退屈かなぁって」

「俺はそれでも構いませんが……」

「恭也さんが迷惑でないなら、よろしくお願いします」

「キャロに異論がないのなら受けない理由はありません。フリード、今日一日よろしく頼む」



 握手の意味を込めて指を差し出すと、フリードは当たり前のようにそれを甘噛んでくる。熱

心な教育のおかげで歯を立てないようにはなったが、しゃぶる癖が抜けないのは相変わらずだ。

口から抜いた指は、案の定唾液塗れになっていた。



「もう、フリード。恭也さんに迷惑かけちゃ駄目でしょう!」



 いつものことだ、と指をハンカチで拭いていると、キャロは小さな身体でぴょんぴょん跳ね

ながらフリードに抗議をする。身長差の関係で力いっぱい跳ねてもキャロの手がフリードまで

届くことはない。



 そこが安全圏であると知っているフリードは余裕の表情でキャロの声を聞き流していた。遅

まきながら反抗期だ。口煩く言う人間を煩わしく思うことは恭也にも理解できたが、フリード

の保護者はキャロである。教育方針を決めるのも彼女だ。



 指を噛まれて舐められるくらいは恭也にとっては愛情表現の一つだが、キャロがそれを迷惑

をかける行為というのなら、顔は立てなければならないだろう。



 安心しきっているフリードの身体をそっと掴み、キャロの前に差し出す。裏切られた! と

フリードは慌てて抗議の視線を送ってくるが、目の前に降りてきた相棒を見逃すよなキャロで

はない。



 普段からは考えられない俊敏な動きで、恭也からフリードを奪い取るとその腕の中にがっち

りと抱え込む。成竜ならばまだしもフリードはまだ子供なので、翼を抱え込むように抱きしめ

られると力が入らず何もできないのである。



「いい、フリード。私がいないからって恭也さんに迷惑をかけちゃ駄目なんだからね」

「きゅくー」

「噛んじゃ駄目だよ? 涎を垂らすのも駄目。本当は頭の上に座るのも駄目だけど、それは恭

也さんだから大丈夫。でも他の人には乗っちゃ駄目だからね」

「きゅくるー」



 うるせーなこのピンクは、とでも言いたげなぞんざいな雰囲気でフリードは相槌を打つ。主

にして親友であるところのキャロのこの忠告は今日が初めてではなく、彼女がキャロの元を少

しでも離れる時には、毎度のように言っていることだ。



 母親としての立場もあるキャロとしては、それを当然の行動だと思っていることだろう。事

実、毎度のように忠告されていてもたまに最近のフリードはたまに思い出したように今キャロ

が言ったような悪戯を恭也以外の人間にもする。



 してはいけないこと、というのはフリード本人も解っているはずだ。



 しかし、やってはいけないと言われたからこそ、やってみたいと思うものでもある。特にフ

リードはまだ幼い。人間で言えばやんちゃな盛りだろう。年齢を考えればこれでも聞き分けて

いる部類に入るはずである。



 それはキャロの教育の賜物であると同時に、フリードからのキャロへの歩み寄りの成果でも

あった。人の世界の常識を竜であるフリードに理解させようというのだから、その常識をある

程度は実践できている小さな竜の努力は並大抵のものではないだろう。



 もう少しすればキャロの方がフリードの態度に気づき、ひと悶着あるのだろうが……それに

口を出すことを恭也はしない。



 ぶつかって、よりお互いを理解して行けば良い。



 対等な立場の存在がいるのは幸せなことだ。幼い頃から家族に囲まれてはいたが、中々対等

の人間にめぐり合うことの出来なかった恭也にとって、キャロとフリードの関係は非常に羨ま

しいものでもある。



「――わかった? フリード」

「きゅくるー」



 いつもの遣り取りが終わるとフリードはキャロの腕から解放さら恭也の頭上に戻った。あま

り解っていない様子だというのはキャロにも察せられたようで、彼女は頬を膨らませた実に子

供っぽい表情で不満を表していたが、恭也が目線で『そのくらいで……』と訴えると、そこで

矛を収めた。



「私からは以上です。何か質問、ありますか?」



 恭也にもキャロにも聞くべきことはない。



 二人が何も言わないことを見ると、はやては椅子から立ち上がり敬礼する。恭也もキャロも

それに倣う。





「それでは、今日も一日よろしく任務に励んでください」

『了解』


























「えーそんな訳で、今日から訓練の内容を一段上げることになりました」



 フォワード組、午前の訓練。訓練を受けるべき新人達を前になのはが宣言すると、新人達か

らはどよめきにも似た声が上がった。望むべきところ、という気持ちはもちろんあるようだが、

不安にも思っているようである。



 六課の訓練は決して軽くはない。



 それなのにこれ以上レベルを上げられてしまったらどうなるのか、そういう不安があるのだ

ろう。



 体力に自信のあるスバルや人に弱さを見せるのが大嫌いなエリオはそうでもないが、ティア

ナなどは気丈に振舞おうとしているものの、腰が引けているのは隠せていなかった。表情もど

こか固い。



「と言っても、単純に訓練内容をハードにする訳じゃないよ。今日から応用訓練も入れてより

高度な技術を学んで貰うことになるから、覚悟してね」



 一頻りびびり終わるのを待ってからのなのはの発言に、新人達にも安堵の空気が広がる。



 その反応を楽しんでいる様子のなのはに、抗議の意味を込めて指の動きだけで小石を放つ。

へろへろと飛んだ小石は狙い違わずなのはのサイドポニーに命中する。なのはから見て恭也の

位置は死角になり、また気配を悟られるような真似はしていないが、自分の髪に小さな衝撃を

感じとったなのはは、ノータイムで恭也にギロリ、とした視線を送ってきた。



 そんななのはに、恭也は片眉を上げて応える。覚えはない、という意思表示だったが、なの

はには通用しないようで、犯人はお前だ! とでも言いたげな表情で小さな唸り声を上げてい

る。



「……今日はゲストとして、ブレイド分隊のお二人にも来てもらっています」



 本当ならば詰め寄りたかったのだろうが、今は仕事中でそれを続けない訳にはいかない。恭也

の方を向いたことを紹介のため、という風に誤魔化しなのはは言葉を繋げる。紹介された恭也

とすずかは一歩前に出て、スバル達新人に頭を下げた。新人達からやる気のない歓声とまばら

な拍手があがる。



 ブレイド分隊からは恭也とすずかの二人が参加だ。本日夜番の美由希も面白そうだから、と

ボランティアでの参加を申し出ていたのだが、それは隊長権限で却下されていた。



 美由希の体力ならば一日二日寝ないでいても問題はなかろうが、部下の体調を慮るのも上司

の仕事だ……という建前で封じ込めている。本音は無論、その方が面白そうだからだ。



 元来、昼番の新人達の面倒を見るのは、昼番固定のすずかと基本的に昼番にいる美由希の仕

事だ。今日この訓練にゲストとして呼ばれるのも本当であれば美由希とすずかのはずだったの

だが、なのは、フェイトを始めとした隊長陣の意向でシフトの入れ替えがあったことは既に調

べがついている。



 ちなみにこのシフト変更に関して、恭也の意思は何一つ絡んでいない。知らないところで提

案され、知らないところで可決されたことなのだ。



 それらを知った美由希はとても悔しそうな表情をしていた。仕事なのだからしょうがない、

というべきところで良い気味だとからかったら、案の定喧嘩になった。



 その軽い取っ組み合いは、すずかが仲裁に入ったことで一分ほどで終わったものの、妹にの

け者にされた……と精神にダメージを受けた美由希は拗ねてしまい、今は大人しく隊舎の自室

で休んでいる。



 結果的にはボランティアを諦めさせ、きちんと休ませる作戦は無事に成功したことになるが、

後日あのメガネが義妹にぶちぶち文句を言うだろうことは想像に難くない。

 

「恭也さん、顔がリスティみたいになってますよ」

「お前も何気に酷いことを言う……」



 ただでさえ強面と言われるのだ。それがあの上司と同じ顔をしているのなら、さぞかし邪悪

な顔になっていたことだろう。子供がここにいたら泣き出していたかもしれない。



 ちら、とこの場に集まった中では子供代表のエリオに目をやる。エリオは再開されたなのは

の説明にきちんと耳を傾けていたが、恭也が見ているのが解るとギロリと強い視線を向けてき

た。



 視線を送り続けると沸点を通り越して騒ぎ出しそうな気配だ。



 それはそれで面白いかと思ったが、エリオの視線に気づいたフェイトがやんわりと、止める

ように視線を送ってくる。他人が他人に視線を向けることに気づいたのは、流石家族というこ

とか。



 名残惜しいがフェイトに言われては仕方がない。エリオから視線を外し、中空に視線を彷徨

わせる。



「個別訓練なので、皆のことは分隊長副隊長で分担します。スバルはヴィータ副隊長が、ティ

アナは私が、エリオはフェイト分隊長が担当になるから、訓練内容に関しては監督の人の指示

に従ってね」

「シグナム副隊長とブレイド分隊の方々はどうするんですか?」

「ちょうど三人なので一人ずつ分散してもらいます。どんな決め方でも良いから、誰が何処に

行くかはそっちで決めてね恭也くん」



 恭也くん、という言葉に力が篭っているように感じるのは気のせいだろうか。なのはだけで

なく、フェイトやスバルを除く新人達からも強い視線を感じる。殺気だったそれらを受けて、

流石に恭也も後退った。



「すずか、我々は何処に行ってもハズレ扱いのようだぞ?」



 担当を決めるためにこちらに寄って来たシグナムが、皮肉な口調と共に肩を竦めて見せる。

明らかにからかう様子であるから、恭也も取り合うことはしない。



「いっそのこと恭也を連れて三人で同じチームに行くか?」

「それはそれで邪魔者扱いされそうで嫌ですね」

「ジャンケンでもするか。勝った奴から好きなチームに行くという条件で。恭也、私とすずか

はグーを出すからお前はパーを出せ」

「……そういう本人の意思が介在する方法で決めるのはやめないか」

「ならば何か良い方法があるとでも?」

「ちょうどここに、チンチロて使ったサイコロがある。出目の合計で行くチームを決めよう。

大きい方から順番になのは、フェイト、ヴィータのチームだ」

「どうして戦闘服のポケットにサイコロが……」



 すずかの疑問に恭也とシグナムは貝のように口を閉ざした。恭也は黙って三つのサイコロを

すずかに差し出し、シグナムは黙って懐から取り出した椀を差し出す。



 何も言うなという先達二人に、すずかは苦笑を浮かべて椀とサイコロを受け取った。



「私、あまり賭け事強くないんですよね」

「ただサイコロを振るだけだ。賭け事に強かろうと弱かろうと関係ない」



 ダイスロールによって全てが決定するチンチロというゲームは誰が振っても強い目が出るこ

とがある。強かろうと弱かろうと一投による結果が全てなのだ。



 故に勝負事に熱くなる性質のシグナムの、すずかに向ける視線には力が篭っていた。出目の

合計で、と最初に断ったはずだが、それはもうシグナムの頭から消え去っているだろう。





「それでは、振ります」



 すずかの手からサイコロが放られる。恭也と、シグナム。遠めに昼番フォワードの視線が集

まる中、サイコロは全て同じ面を上にして止まった。赤い点が三つ。出目の合計は三である。



「……最低数は確定ですね。決めてませんでしたけど、同数だった場合はどうします?」

「もう一投ということで良いだろう。まぁ、二百十六分の一が被ることはないだろうが……」



 そうですねー、と暢気に微笑むすずか。行き先がほぼ決まったすずかは、その足でヴィータ

とスバルの所に向かった。その先では項垂れるヴィータを不用意に慰めたスバルが、関節技を

かけられて苦しんでいる。ヴィータ班担当になったすずかの最初の仕事は機嫌の悪いヴィータ

を慰めることになりそうだ。



「さて、図らずも対決は俺とお前の二人に絞られた訳だが」

「私は既に打ちのめされた気分だ」

「見方を変えてはどうだ? ここで良い目が出るというのは、やはり賭け事に弱いということ

だと」

「……そう思うことにするか。では、次は私の番だ」



 表情を引き締め、シグナムがサイコロを放る。出た目は四、五、六。合計は十五だ。見る間

にシグナムの表情が得意気になった。サイコロの残った椀を、意気揚々と差し出してくる。



「最後はお前の番だ。見事私に勝ってみろ」

「そういう言い方をする時、お前は勝利を確信しているな。あまり相手を舐めていると足元を

救われるぞ」

「何を言う。私は人事を尽くし天命を待った。出目はその結果だ。何も恥じ入ることはない。

誇って当然のものだ」

『貴女のそういうところ、かわいいですわね』

「さっさと振れ!」



 人を食う物言いのプレシアとシグナムは相性が悪い。癇癪を起こす寸前のシグナムを他所に

恭也はサイコロを投じた。





 その出目は――