月村すずかは驚いていた。
眼前ではヴィータがスバルを相手に、防御魔法について講義をしている。落ち着きのない子
犬のようなスバルも訓練時であるからか、実に神妙な顔をしてヴィータの話に聞き入っていた。
スバルが真面目であるというのも驚きではあるが、すずかにとってはヴィータが先生をして
いることの方が驚きだった。
ヴィータが教官をするというのは六課配属前から聞いていたし、彼女が誰かを指導する場面
を見るのもこれが始めてではない。
しかし、あのヴィータが……という思いが、すずかの中からどうしても離れないのだった。
すずかにとってヴィータと言えば、子供っぽくて放っておけない、手のかかる妹のような存
在だった。なのは達と違って学校には通っておらず、またはやてが中学を卒業して以来、管理
世界に引っ越してしまったために、住居が海鳴のままだった恭也やフェイトと比べると交流は
少なかったが、それでもゼロにはならなかった。
はやてが時間を作る時には大抵守護騎士の誰かが一緒だったのだ。その時についてくる人間
として、ヴィータが選ばれることが多かった。
シグナムやシャマルよりも、なのは達に感性が近いことがその要因だったのだろう。逆に男
性であるザフィーラが選ばれることは少なかった。
ヴィータは近所のお年寄りとゲートボールをすることに夢中になっていた印象が強いが、子
供らしい遊び、食べ物全般に興味を示し、テレビゲームなどにも見た目相応に興味を示したの
を覚えている。
一度月村家に遊びに来た時など、姉忍の趣味で現行の機種が全て揃っている部屋を見た時な
どキラキラと目を輝かせていたほどだ。
だが、強烈な興味とは裏腹にヴィータのゲームの腕は高くなく、一緒に遊んでいたなのはと
はそれこそ天地ほどの開きがあった。生まれ変わっても勝てない程の実力差にまず怒り、なの
はの手加減に気づいてまた怒り、面白がって勝負をしかけ、全てのジャンルで勝ちを収めて逃
げていった忍にやっぱり怒り、結局はアリサとのリアルファイトに発展してノエルに怒られた
というのも、今は良い思い出である。
そんなヴィータを知っているすずかにとって、人に物を教えるヴィータ像には違和感しか覚
えられないかった。昔のままで指導教官をやっているのならなるほど、それはそれでその筋の
人には好評かもしれないが、教官としてはどうなのだろう、と考えれば考えるほどイメージは
上手くいかない。
見てみるまで半信半疑だったが、実際に見てみるとヴィータはちゃんと先生していた。
(あのゲームに負けてアリサちゃんと喧嘩したヴィータちゃんが……)
とは口が裂けても言うことはできないすずかだった。
「――まぁ、防御魔法の種類はこれで全部だな。細分化すれば他にも数え切れないほどあるが、
そういうのは結界魔導師にでもならない限り必要ねーし、お前やあたしにはこれくらいで十分
だろう。スバルはこの中で何が得意だ?」
「バリアですね。受け止めるだけならちょっとだけ自信があります」
「みたいだな。訓練データを見てもそれは良く解る。展開スピードは中々だってなのはも褒め
てたぞ」
ヴィータの褒め言葉に、えへへ、とスバルは微笑む。褒められれば喜ぶ。スバルはそういう
素直な反応のできる少女だ。『嬉しい』という感情が伝わってくる笑顔にすずかの心も温かく
なるが、ヴィータはそんなスバルの反応を見て、切れ長の目にサド色を滲ませた。
「まぁでも、それだけだよな」
にやりと笑うその姿は、いじめっこそのものだ。
褒められた直後についたオチに、スバルはしょぼんと項垂れる。悲しいと思ってることが手
に見て取れて、すずかも何だか不安になった。尻尾があったら垂れ下がっていただろう。こう
なると喜怒哀楽がはっきりしているというのも考え物である。
そんな目に見えてしょげたスバルに、流石にヴィータも不味いと思ったらしい。項垂れてい
るスバルには見えないが、ヴィータがしまった、という顔をしたのがすずかにははっきりと見
えた。口は悪く沸点も低いが、ヴィータは優しい少女なのだ。哀しむ後輩を見て何も感じない
風を装えるほど、教官姿は板についていないらしい。
相変わらずな十年来の友人の姿にすずかが暖かな気持ちになっていると、そのオーラを感じ
取ったらしいヴィータが、うん! と大きく咳払いをした。柄にもなく照れているようだ。
「そ、それだけなのを何とかするのがあたしの訓練だ! 今日はビシバシ行くからな、気を引
き締めろよ」
「はい!」
スバルの返事は強く、はっきりとしていた。嫌なことを長く引き摺らないのもスバルの長所
だ。ヴィータの妹分として、実はこれほど相応しい少女もないかもしれない。体育会系のノリ
を理解できるスバルなら、ヴィータの指導ともきっと上手くやっていけるだろう。
ワハハ、とスバルをパシリにするヴィータを想像して、すずかは思わず笑みを漏らした。小
さなジャイアンという表現がこれほど相応しい少女もそういない。
「シールドもフィールドも使えない訳じゃねーんだよな?」
「一応使えます」
「なら、今日はその使い分けの訓練をしてみるか。あたしが言ったら言った通りの防御魔法を
言った場所に展開して身を守れ」
「了解です!」
マッハキャリバーを展開し、ヴィータから距離を取るスバル。ヴィータはグラーフアイゼン
を肩に担ぎながら、さて、と一呼吸間を置いた。
「正面、バリア、受け止めろ」
グラーフアイゼンを担いだまま、弾丸のような速度で踏み込むヴィータ。あの迫力を見たス
バルは本能的に回避行動に移ろうとしたが、ヴィータからの指示は『受け止めろ』だ。言われ
た通りにバリアを展開し、グラーフアイゼンを受け止める。
威力に押されて僅かに後ろに下がるが、それだけだ。それなりに力を込めたはずのグラーフ
アイゼンを、スバルはしっかりと受け止めている。
弟子が一先ず仕事を果たしたのを見て、ヴィータはにやりと口の端をあげて笑った。
「やるじゃねーか。バリア維持だ、続けていくぞ」
宣言が済むと、立て続けにグラーフアイゼンを叩きつける。一度、二度、三度。全て正面か
らの攻撃だが、防御ごと相手を打ち倒すを信条としているヴィータの攻撃は、決して軽くはな
い。一撃受け止める度に、スバルのバリアが軋みを挙げる。バリアが砕かれたら、スバルはグ
ラーフアイゼンの直撃を食らうしかない。
バリアジャケットを展開していないことも、スバルの緊張に拍車をかけていた。医務室には
シャマルが待機しているし、ヴィータだっていくら何でも手加減はしている。最悪の事態には
なるはずもないが、当たれば痛い物は痛い。受けるスバルも必死だった。
だが、気力で埋められるほどスバルとヴィータの実力差は無視できるものではなかった。
グラーフアイゼンを六発受けた段階で、スバルの背中が木にぶつかる。衝撃の反動だけでこ
こまで押しやられたのだ。スバルにもう退路はなく、ヴィータから新しい指示は出ていない。
「いくぞ! 根性見せろ!」
大声と共に、大きくグラーフアイゼンを振りかぶる。魔力の輝きすら見えるその一撃に、ス
バルも覚悟を決めた。
「マッハキャリバー! 行くよ!」
腰を据えて腕を正面に突き出し、バリアを張りなおす。ベルカ魔法には通じていないすずか
にも、バリアの強度が増したのが見て取れた。それでも安心は出来ないのか、スバルの表情か
ら緊張の色は消えない。
どこか怯えたようにも見える部下の様子に、ヴィータは逆にテンションを挙げた。防御ごと
相手をぶっ潰すのが彼女の心情である。目の前にバリアがあるのなら、それを砕かない理由は
ない。
「ぶち抜けーっ!!」
唸りを上げたグラーフアイゼンがスバルのバリアに直撃する。宣言の通り打ち抜くつもりで
放たれたヴィータの一撃は堅牢に作り上げたスバルのバリアを揺らがせた。ハンマーとバリア
は拮抗しない。地力で勝るヴィータのグラーフアイゼンが、じわり、じわりとスバルに迫って
いく。
木に押し付けられるようにして耐えるスバルも、必死の形相だ。マッハキャリバーと協力し
全力でバリアを維持しているが、守護騎士の一撃はそのバリアをじわじわと削っていく。
どちらに軍配があがるのか……傍で見ていたすずかも手に汗握る展開は、意外とあっさりと
決着した。
グラーフアイゼンがスバルの身体に触れるよりも大分前の位置で止まったのだ。バリア原型
を留めないほどに破壊されたが、それで勢いと魔力を大きく削られたのだ。スバルから見れば
防御には成功したということなる。グラーフアイゼンを納めるヴィータに、スバルは大きく、
大きく安堵の溜息を漏らすと木にもたれかかるようにして倒れこんだ。
全身は汗に塗れて、息も荒い。今の一撃を受けることに全力を尽くしたことが良く解る。そ
んなスバルをヴィータは無感情に眺めていた。
すずかはその表情に嫌な物を感じ取ったが、口には出さないでいた。一応部外者である自分
がそれを口にするのはルール違反と思ったからだ。
やがて、呼吸の整ったスバルが顔を上げた。額には汗で前髪が張り付いている。疲労してい
るが、顔には物事をやりとげた充実感があった。
それを見るヴィータは不自然なまでに無表情だ。
「死ぬかと思いました……やっぱりヴィータ副隊長、凄いですね」
「そういうお前は甘いよな」
「えっ――」
と、きょとんとするスバルに、ヴィータは無常に宣言した。
「シールド、正面、逸らしてみせろ」
そうしてグラーフアイゼンによって打ち出されたヴィータが後ろ手に隠していた『鉄球』は、
スバルの顔面を直撃した。
自分の予感が当たったことに、すずかはそっと溜息をついた。
「これはちょっと酷いんじゃないかな……」
防御が間に合わずに攻撃が直撃し、目を回して気絶してしまったスバルを眺めやりながら、
すずかはヴィータに抗議を声を挙げる。
指導の観点から見れば勝手に休み始めたスバルに問題があるのは解るが、もう少しやり方と
いうのがあったように思う。何より顔を狙うのはいただけない。顔は女の子の命だ。恋や愛と
は別の意味で顔を真っ赤に染めたスバルはそれはそれで可愛らしいが、可笑しな傷や痣が残っ
たら流石にかわいそうだ。
すずかの責めるような視線に、ヴィータもそっぽを向く。後ろめたさは感じているのか、視
線を合わせようともしない。
「傷が残ったりはしねーって。どうしても心配なら、シャマルに見せたらいいだろ? あいつ
なら綺麗さっぱり治してくれるさ」
「それはそうだけど、でもわざと顔を狙うのはやっぱり良くないと思う」
「キョウの奴はそんな甘いこと絶対に言わなーぞ?」
「絶対に言わないしいざとなったらやれる人だけど、選択できるうちは絶対に顔を狙ったりは
しないよ。それはヴィータちゃんも解るでしょ?」
視線の高さを合わせるために、膝を屈める。青い瞳を真っ直ぐに見据えながら諭すように言
うと、ヴィータは苛立たしげに頭をかいた。
「おめー相手にキョウを理由にすんじゃなかった」
「女の子には優しく、だね」
「あいつ結構嘘ついたりからかったり苛めたりするぞ。あたしだって結構やられたからな。良
く知ってるんだ」
「あれは恭也さんなりの愛情表現だよ。私にはそういうことしてくれないから、ヴィータちゃ
んやスバルがちょっと羨ましいな」
「デコピンされてみたら価値観も変わるだろうよ。いてーぞ、あいつのデコピンは」
「じゃあ、ヴィータちゃんは私みたいにされたい?」
問われて虚空に視線を彷徨わせたヴィータの表情が苦々しく歪む。
「……いや、今のままでいいや。いてーのは嫌だけど、今更変に距離を取られるのは気持ちわ
りーし」
言葉に出さないだけで、ヴィータも恭也のことが好きなのだ。すずかの好きとは違うかもし
れないが、恭也に対する暖かな気持ちは、こうして話しているだけで感じることができる。
「ほら、いつまで寝てんだ起きろスバル」
こいん、とグラーフアイゼンで軽く頭を叩くと、一気に意識を覚醒させたスバルは飛び起き
て構えを取った。染み付いたその行動には敬服するが、ダウン後にそれでは少し格好悪い。
覚醒したスバルが最初に見たのは、仏頂面のヴィータだった。そのどう考えても褒めてくれ
そうな気配ではない上司の姿に、スバルが構えを解いて自然と気をつけの姿勢になる。
「気を抜くなよ。敵は待ってくれないんだぞ」
「ごめんなさい。次からは気をつけます」
「まぁ、今日が訓練で良かったな。それにしたって、言われて直ぐに展開できないってのは問
題だぞ。そんなにシールドが苦手なのかお前」
「苦手というか、普段使ってないからとっさには出てこなかったというか……」
「使わないのはお前の自由だけどな、使えねーのは問題だ。レスキュー志望なんだから、もう
少し気合を入れて防御魔法を覚えろ。いいな?」
「了解です」
「とっさに展開できねーってのは理解したから、お前はまず他の防御魔法の基礎訓練から始め
るか。シールドとフィールド、得意なバリアくらいの強度にしろとは言わねーけど、とっさに
展開するには問題ない程度には慣れてもらうからな」
「わかりました!」
「よし、まずはシールドからだ。出したり引っ込めたりを繰り替えしてもらうぞ。はじめ!」
「はい!」
おりゃー! と無駄に気合の入った声を発しながら、言われた通りシールド魔法を出したり
引っ込めたりを始めるスバル。ヴィータはそれを見ながら展開が遅いだの強度が弱いだの注意
し、たまにグラーフアイゼンで容赦なく頭を叩いた。
スバルはそれに抵抗することもなく、注意されたことを改善し、即座に実行する。格闘の方
面ほど慣れてはいないのか、魔法の展開にはぎこちなさが残るが、反復練習はスバルの得意と
するところだ。今は苦手でもすぐに慣れるだろう。
「ヴィータちゃん、何か私に手伝えることはある?」
「実はねーんだよな。防御に関してはお前らアテにならねーし……」
歯に衣着せぬ物言いに、すずかは肩をこけさせる。言い方は悪いが確かにその通りだったか
らだ。その物言いをシールドの展開解除を行いながらもスバルは聞いていた。視線はこちらに
向けぬまま、世間話のように問うてくる。
「すずかさん防御苦手なんですか?」
「キョウと一緒で取っ組み合いの防御はうめーけどな。低い威力の攻撃を捌くのも得意だけど
高威力……そうだな、ティアナのヴァリアブルシュートくらいになると、もう手に負えねーな」
「そうなんですかー」
感心はするも、シールドの展開解除の手は休めていない。早くも慣れの片鱗がみえ始めたス
バルに感心しながらも、すずかはヴィータの言葉に続いた。
「私も美由希さんも恭也さんも、攻撃は避けることが前提になってるから、防ぐことにはあま
り向いてないの」
「その分避ける、速く動くことに関しては管理世界中でもトップクラスだろ? 速いだけなら
他にいくらでもいるし、そういう奴はあたしが相手にするの得意なタイプなんだけどな。キョ
ウやお前らは速いだけじゃなくて、防御を抜いてくるから始末におえねー」
「あぁ、私も見たことあります。バリアの向こうにいる人を攻撃できるんですよね」
「見たことあるだけか? なら体験しねーとな」
いじめっ子の笑顔を浮かべ、ヴィータが手招きする。スバルは展開解除の手を休めヴィータ
に言われた通りの場所に立った。ちょうど、すずかの正面、直線上だ。
「私にやれって言うの?」
「キョウの一味なんだからできるだろ?」
「出来るけど……お二人ほど上手には出来ないよ?」
「こいつだって半人前なんだから十分だろ。でも一応軽くな」
「……分かった」
反対してもヴィータはきかないだろう。ならば手早く済ませてしまうに限る。幸いなことに
スバルの方は乗り気だ。体験したことのないものを体験できると、目を輝かせている。
そんな好奇心でいつか足元を掬われるのではないか。人生の先輩としてすずかはふと不安に
なったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「じゃあ、バリアを展開してね」
「シールドじゃなくていいんですか?」
「貫通する効果を体験するには、受け止めるバリアが最適なの」
「わかりました」
言われた通りに、スバルは正面にバリアを展開する。ヴィータに押しやられたことを意識し
てか、最初からしっかりと足を踏ん張っていた。バリアの強度も心なしか上がっているような
気がする。
生半可な攻撃ではあれを破壊することは難しいだろう。特に受け止めるタイプのバリアは単
純な物理攻撃には強い効果を発揮する。基本的に棍や拳で叩く殴るしか出来ないすずかには防
御を固めて閉じこもる敵は、相性の悪い相手だ。
そう、本来なら――
「では、行きます」
宣言すると、すずかはゆっくりと歩み寄った。一歩、二歩、歩きながら自分の身体をどう動
かすのかをイメージする。そういう風に意識をすれば、バリアを抜くのはすずかにとってもそ
れほど難しいことではないが、恭也と美由希はそれ以上の技量を持っていた。
あの二人は使うと身構えなくても、呼吸するようにあの技術を使うことができる。恭也に言
わせればそこまでに至って初めて『使える』と表現しても良いとのこと。使いたい時に使えず、
成功するかも分からないような技術を、使えるとは言わないらしい。
こういう技術の話になると、恭也の前では自分の未熟さを痛感するばかりだった。対面して
戦えばそこそこの勝率を出せるようにはなったが、戦う者としての技量はまだ遠く及ばない。
もっと精進が必要だ。魔法が普通に存在するこの世界で、彼の役に立つとあの日決めたのだ
から。
考え事をしながらも、すずかの身体は事前にイメージしたように動いていた。スバルの前で
気持ち大きく踏み込むと一直線に拳を突き出す。
気を僅かに込めた拳は、スバルの張ったバリアに叩きつけられた。全力から見れば、お遊び
のような威力。バリアなどなくとも、スバルならば普通に受け止めるとが出来ただろう。
だが、バリアの向こうにいたスバルは、弾かれたように上体を仰け反らせた。そうなった自
分が信じられないという顔で体勢を維持しようと手をばたばたとさせるが、足元が重心を取り
難いローラーではそれも叶わず、その場に尻餅をついてしまう。
スバルのかわいい反応に、ヴィータが溜息を漏らした。あれは説教の内容を考えている溜息だ
な、と感じ取ったすずかはヴィータの姿を隠すようにしながらスバルの手を取った。
「びっくりした?」
「しましたー。自分で体験してみるとびっくりです。確かにこれができると便利ですよね。ギ
ン姉も一生懸命練習する訳です」
「ギンガちゃんが?」
ギンガの名前を聞いて、すずかの眉が僅かに細められた。会ったのは数度だけだが、恭也へ
の本気度が物凄く高い少女だったと記憶している。身内で例えるならフェイトに匹敵するほど
で、そのフェイトとはとにかく相性が悪い。
もしスバルとティアナをなのはが落としていたら、その代わりはギンガであったと言う。そ
うならなくて良かったと、フェイトとギンガが顔を合わせた時の空気を忘れられないすずかは
心の底からそう思った。
「こいつやキョウは例外だが、まぁ、防御魔法を過信するなって教訓だな。意識ははっきりし
てるな。なら、防御魔法の訓練を再開するぞ。今度はあたしだけじゃなくすずかも加わるから
気を引き締めていけよ」
えー、という形にスバルの口は動いたが、それを声にすることはなかった。ヴィータ一人で
気絶したのに、二人がかりではどんな目に合わされるのかと、心配している顔だ。
流石にやりすぎではないかとヴィータを見れば、彼女はこの場で唯一、目に見えてやる気に
満ち溢れていた。こうなってはもう、はやてか恭也くらいしか止めることはできない。
弱いものいじめをするようで気は進まないが、これも訓練だ、とすずかは気持ちを切り替え
た。
「ヴィータちゃんの指示に従って動けばいいんだよね?」
「何だったら勝手に動いても良いぞ。その方が実戦的だしスバルのためにもなるだろ」
「怪我をしたら困りるから、ちゃんと指示は出してね」
「ん、りょーかいだ」
強く念を押したら、あっさりとヴィータは引き下がった。やり込めた形になるため、スバル
が視線で感謝の念を送ってくる。その気持ちに苦笑で応えながら、すずかは棍を構えた。
(まぁ、感謝されるのはちょっと早いかもしれないけどね)
月村すずかは、他人と一緒に戦うことにあまり慣れていない。恭也や美由希とはきちんとコ
ンビネーションの訓練をし、同じ生き物が二つに分かれたのではと疑いたくなるほど息の合っ
た動きをするが、その二人に比べてすずかは圧倒的に経験値が足りない。
加えて、ヴィータと協力するのはこれが始めてだ。教官役ができるくらいなのだから、彼女
の方には連携を決める自信があるのだろうが、初めてのペアを組むことになったすずかは、実
はスバル以上にどきどきしていた。
勢い余って不必要な怪我をさせてしまうかもと、気が気ではない。
「おーし、じゃあいくぞー」
そんな心配を知ってか知らずか、ヴィータは開始を告げる。やると言われればやるしかない。
ヴィータはやる気で、スバルもやる気だ。自分一人気が入っていなければそれこそ相手に怪我
をさせてしまう。
すずかは気を引き締めた。たれ気味の目がすっと細められ、戦士の顔になる。その顔を正面
から見たスバルが、僅かに後退る。
「正面から棍で突け」
指示された通りに。棍を握り締めたすずかは、矢のように駆けだした。
スバルが耐えられたのは、合わせて五撃までだった……
「お前達、もう少しやる気を出せ」
あまりに淡々と訓練を続けるフェイトとエリオに、我慢の出来なくなったシグナムはついに
言葉を切り出した。求められない限り助言はしないつもりだったが、シグナムをいないものと
して扱うつもりらしい二人は、いつになっても助言を求めない。
聞くことがないのならばそれで良い。二人とも訓練で手を抜くような性格ではないから、よ
り良い訓練には出来なくとも上等な訓練にはできるだろう。
だが、明らかに気の入っていない様子の二人を見て、シグナムは気持ちを切り替えた。こい
つらは駄目だ。今のうちに何とかしておかないと、今日一日実りのない時間を過ごすことにな
る。
「確かに訓練にはなっている。今までに取り入れていなかった訓練をしているようだ。エリオ
もこれで腕を上げることだろう。だがそれだけだ。今のお前達には明らかに覇気が足りない」
「その原因が何を言いますか……」
淀んだ目付きのフェイトはいつになく言葉に棘があった。その言葉に聊かカチンときたシグ
ナムだったが、恭也にはくれぐれも二人をよろしくと頼まれている。ここで声を荒げては恭也
の顔まで潰すことになってしまう。
ベルカの騎士は名誉を重んずるのだ。友人の名誉を自ら汚すような行いをすることは出来な
い。
「賽の目は天の采配に寄るものだ。配置はそれによって決められた。私に文句を言うのは筋違
いというものだ」
「シグナムが恭也よりも大きな目を出せばこんなことにはならなかったんです」
「ならば四五六を出した私ではなく六ゾロを出した奴に文句を言え。私が負けたのは私が弱運
だったからではない、奴が強運だったからだ」
「いつでも最強の目を出すくらいのことはしてください」
「ならばお前が振れ!」
「私が振ったら恭也より大きな目を出せたとでも!?」
「そんなこと私が知るか!」
一度テンションが上がってしまえば喧嘩を始めるのは簡単だった。手を出すことは流石にな
いが、睨みあいで散った火花は、枯れ葉くらいならば一瞬で灰に変えるほどの熱さがある。正
常な感性を持っている人間ならばこれに関わろうとは思わないだろう。女の争いに巻き込まれ
たら碌な目に合わないというのは、管理世界でも常識だからだ。しかし、
「お二人とも、子供じゃないんですからその辺にしたらどうです?」
淡々とした口調で口を挟むエリオは、幸か不幸か正常な感性をしていなかった。躊躇いなく
踏み込んできたエリオに毒気を抜かれたシグナムとフェイトはお互いに顔を見合わせる。相手
の瞳に映った自分の姿を見て取り戻した理性で、エリオの言葉の意味を考えた。
子供に子供ではないのだから、と言われることほど格好悪いことはない。胸を張って大人と
は言えなくとも子供ではないと自認している二人は、気まずそうに視線を逸らした。
「すまん。ついかっとなって言ってしまった。反省はしている」
「私の方こそすいませんでした、シグナム」
「では、仲直りの握手でもしましょうか」
提案するのはエリオだ。それがこの場で一番年若いという事実に、年長者二人の顔は曇る。
ちらり、とシグナムはエリオを見た。実に落ち着き払った顔をしているが、それが苛立ちを隠
したポーズであることを、シグナムは見抜いていた。
この場で一番機嫌が悪いのは、きっと彼女だろう。苛立ちが限界値を越えて、逆に冷静にな
れたのかもしれない。今のエリオならばキャロの靴に画鋲を仕込むくらいの悪辣なことも、平
気でやってのけそうな雰囲気があった。
エリオの提案に従って握手をしながら、シグナムはエリオを凝視する。戦闘技術の師匠の一
人でもあるシグナムの視線に、エリオは直ぐに気づいた。
「僕に何か?」
「どの程度成長したものか、少し気になってな。腕を見たいのだが、可能か?」
「別に構いませんよ。シグナムは副隊長ですし」
「そうだったな……」
昼の訓練にはあまり顔を出さないせいで忘れていた。とは言え、訓練のデータと報告だけは
毎日目を通しているから、エリオだけでなく他の新人三人がどの程度成長しているのかは把握
している。
特にエリオとキャロは、年齢を考えれば規格外の力量を有していると言える。なのはやフェ
イトなど例外中の例外を除けば、同年代に敵はほとんどいないはずだ。
だがそれ故に、はっきりと分かる欠点が存在する。
訓練データの最後には指導する立場の人間全員のコメントが添えられている。なのは、フェ
イト、ヴィータ、恭也、美由希の五人。シグナム以外の全員が新人四人の訓練を総合して評価
しているのだが、エリオに関しては彼ら全員が同じ注釈をつけていた。
全員が同じ判断をしたのだ。指導する立場から見れば、それほどエリオが解決するべき課題
は、はっきりとしている。
今日から訓練も新たな段階に進むと聞いた。面倒見の良いフェイトのことだから、遠回しに
指摘する腹積もりだったのだろう。横目で顔を見ると、こちらの意図を察したのか、避難する
ような視線を向けているのが見えた。
荒療治は好みでないと見える。やんわりと、褒めて伸ばすのがフェイト流だ、それが悪いと
は言わないが、フェイトが荒いやり方を好まないように、シグナムもまたまどろっこしいやり
方は好まない。
問題がはっきりとしているのならば、それは早急に解決するべきだ。打ちのめされても立ち
あがれるだけの強さは、エリオにもなければならない。
デバイスを持って立つということは、そういうことなのだ。自分一人も満足に支えられない
ような人間に、騎士を目指す資格はない。
「では、エリオ。今日はお前の欠点を教えてやろう。どんな方法でも構わん、ストラーダで私
に一撃を入れてみろ」
「全力で言っても構いませんか?」
上から目線の物言いに、エリオの視線がすっと細められた。エリオは侮られることが大嫌い
だ。それが例え目上の人間であっても、下に見られることを極端に嫌う。
殺気すら感じられるエリオの佇まいに、シグナムは背筋がぞくぞくするのを感じた。まるで
抜き身の刀のようなエリオの姿に、未来の偉大な魔導師の姿を見る。
その未来に到達できるか……成長する上での壁にぶつかっているエリオにとって、今がその
分岐点だ。
「構わん。ついでにハンデをやろう」
やるからには、全力でやる。殊更エリオの気持ちを逆撫でするために、不必要なハンデまで
自分から言い出した。当然エリオは面白くない。機嫌の悪い方向へ凄まじい勢いで下降してい
く。さっきまで詰まらない言い争いをしていたはずのフェイトが、はらはらしているほどだ。
他人が取り乱すと逆に冷静になれるもので、苛立つエリオを慌てるフェイトを横目に見なが
ら、シグナムは己のするべきことを落ち着いて考えることが出来た。
左足を中心に、右足を擦りながら一回転する。そうするとシグナムを中心に円が出来上がる。
およそ半径1Mの円だ。人一人が立つにはそれほどでもないが、動くとなると非常に狭い。
「私はこの円からは出ない。バリアジャケットは装着するが、それ以外の魔法は使わん。お前
が届く範囲にきたら反撃する。それだけだ。注意すべきは我が刃だけ、それ以外は気にする必
要はない。お前の持つ力を存分に発揮し、目標を達成してみろ」
「必ず一撃を入れます」
挑発が相当に効果を発揮したのだろう。エリオの瞳には闘志が燃えている。淀みなくバリア
ジャケットを展開した。ストラーダはランスではなく取り回し易いスピアの形をしている。
速さを活かしたランスによる突撃がエリオの最も得意とするところである。ストラーダの性
能とエリオの魔力、突進力があれば大抵の防御魔法は突破できる。現状、実戦においてエリオ
がシグナムにダメージを与えられる方法があるとしたらそれしかない。
だが、エリオの手にあるのはスピアだ。攻撃の威力よりも当てることを念頭に置いている証
拠でもある。勝ちにきているエリオに、シグナムは笑みを浮かべる。
そうこなくては、面白くない。
「いつでもいいぞ」
「では――行きますっ!」
その瞬間、エリオの姿は掻き消えた。ソニックムーブ。近代ベルカ式の高速移動の魔法だ。
エリオの最も得意とする魔法で、高速戦闘の要とも言える。あれを目で追うには同じように
高速移動魔法を起動するか、それ専用の対処――道具なり魔法なりを用意しなければならな
い。
シグナムはそのどちらも行ってはいなかったが、エリオが消えるのに合わせて円の中で身
体の向きを入れ替え、レヴァンティンを構えた。
がっ! と、シグナムの背後に現れたエリオのストラーダと、レヴァンティンが魔力の火
花を散らした。シグナムの表情には余裕、エリオの顔には驚きが浮かぶ。
エリオも手を抜いた訳ではないだろうが、この一撃に全てをかけてもいなかった。言わば
最初の攻撃は様子見である。
しかし、そこに来ることが分かっていたかのように余裕を持って防がれるとは思っていな
かったはずだ。実戦であればここで追撃が来ただろう。カウンターで魔法なり拳なり刃なり
を叩き込まれて、それで勝負は終わっていたはずだ。
だが、今はハンデがある。シグナムは地面に描いた円の中から出てくることは出来ないの
だ。大きく跳び退れば追撃が来ることはない。攻撃に失敗したと悟ったエリオは、セオリー
通りに距離を取って様子を伺うことに決めた。
反応の速さに、シグナムは感嘆の溜息を漏らした。事実、思考停止して動きまで止めてい
たらその場で殴り倒してやるつもりだったのだ。
「悪くない一撃だ。また腕をあげたようだな」
「防がれた後に言われても、微妙に嬉しくありません」
「褒め言葉くらいは素直に受け取っておけ。お前は良くやれているよ」
「ならば、次こそは――」
また、エリオの姿が消える。今度は正面だ。シグナムの手前で急停止したエリオは、神速
の勢いでストラーダを突き出してくる。
それをシグナムはレヴァンティンの腹で受けた。剣の溝と槍の穂先がかみ合い、一瞬、ど
ちらの動きも静止する。魔力の火花が再び散る中、今度のエリオは退かなかった。近い間合
いで器用に槍を振り回し、シグナムに二度、三度と攻撃を浴びせる。
足を止めているが、ソニックムーブの効果は生きている。槍の速度はやはり目で追えるも
のではなかったが、円の中という制限された状態でも、シグナムはレヴァンティンでストラ
ーダを難なく受け続けた。
シグナムの余裕は崩れない。エリオがどれだけ速度を上げても、レヴァンティンで攻撃を
いなし続けている。これがティアナやスバルであれば、途中で参りましたと頭を下げていた
だろう。
真面目に修練を積んでいるものなら、いくらやっても無駄というのが理解できたはずだ。エ
リオにもそれは理解できていた。強くなることに最も真摯である彼女に、彼我の実力差が理解
できないはずがない。
だが、エリオはやめなかった。無駄だと頭では理解していても、攻撃の手は緩めない。訓練
であるからこそ途中でやめる訳には、負けを認める訳にはいかなかった。体力の続く限り、自
らの技術の許す限り、ストラーダで、拳で、攻撃し続ける。
「もう良かろう」
五分もそうしていただろうか。流石にキレの鈍ってきたエリオのストラーダを、シグナムは
高々と弾き飛ばした。武器が手から離れたことで緊張の切れたエリオは、その場に崩れ落ちて
荒い息をつく。バリアジャケットが自然に解け、地面には大量の汗が落ちる。
誰の目にも明らかだ。シグナムの勝ちで、エリオの負けである。
「攻撃の鋭さは増しているな。良く訓練されているのは見て取れる。その年でそれだけできる
のならば大したものだ」
「……フェイトさんやなのはさんは、僕くらいの年で貴女と渡り合ったと聞きます」
「規格外と一緒にするな。それに渡り合っただけで私よりも強かった訳ではないぞ。現に勝率
だけを比べれば、今も私に分があるからな」
自信に満ちた物言いは、まるで恭也のようだ。事実ではあるが流石にふかしすぎたかとフェ
イトを見ると、悪戯小僧を見る母親のような顔でこちらを見つめていた。アレは良くないこと
を考えている顔だ。真性のブラコンであるフェイトのこと、恭也と比べでもしているのだろう
がそれを指摘すると恭也トークが始まるので、思っても口には出さない。
「さて、お前の欠点の話だが……」
フェイトには何も振らずに話を戻す。息の落ち着いたエリオはストラーダを抱えて、シグナ
ムの前に立った。目上の人間から教えを受ける時、エリオはこうして畏まることができる。恭
也の教育の賜物だが、彼に対して反抗心の強いエリオにこういう教育が出来たことは、奇跡の
ようなものだとシグナムは思う。
「第一に、何故最初に仕掛ける時に予告した?」
「何故と言われても……」
「理由を答えられないようなことはするな。正面から行きたいというのは好き好きだが、これ
から攻撃するという宣言をする必要はない。次からは黙ってしかけろ」
「わかりました」
「まぁ、これはいつもやっていることではないだろうから強くは言わん。第二に、これは手放
しに欠点とも言い切れないことだが……お前は手数を増やす時、その状態から次に最も速く打
ち出せる攻撃を選択しているだろう」
「そう……なんですか?」
「私を含めた指導する全員が気づいていたのだから間違いない。。なのはもフェイトもヴィー
タも美由希も、もちろん恭也も気づいている」
恭也の名前が出ると、エリオの目が不機嫌そうに細められた。師匠として立ててはいるが、
恭也のことは嫌っているのだ。指摘されればそれを受け入れるだけの度量はあっても、指摘さ
れることそのものは面白くないらしい。
これがなければ完璧な良い子なんだが、何事も完全にとはいかないものだ。
「素早い連撃で畳み掛けるというのは悪くないが、次の攻撃を相手に読まれてはどうしようも
ない。逆につけ入る隙を与えることになりかねんのだ。それを捨てろとは言わんが、違うよう
にも出きるようにしなければならん。スピードが落ちても構わんから、しばらくは相手を良く
見て次の攻撃を考えてみろ」
「わかりました」
素直に頷くエリオ。考えろ、と言われた瞬間から、どうすれば良いのかを考えている。向上
心の強さは見上げたものだ。これできちんと応用もできるのだから、末恐ろしい存在である。
その恐ろしい才能があった故に、二つ目の欠点は生まれたとも言える。
固まった手だったとしても、相手を倒せてしまうのだ。恭也やシグナム、フェイトもエリオ
の面倒を見ていたことはあるが、本格的に魔導師としての戦い方を身体に覚えこませたのは訓
練校に入ってから。
つまりは、エリオにとって魔導師として戦う相手はそのほとんどが同期の訓練生だったのだ。
立場としては同じだが、一級の魔導師達から手ほどきを受けていたエリオと他の訓練生では
出来が異なる。入学してから卒業するまで一度も主席を外したことはなかったというエリオの
話を聞く限り、どれだけ他の訓練生と溝を開けていたかが伺える。
それだけにエリオが自分で自分の欠点に気づくことはなかったのだろう。負けるだけの訓練
生ではエリオの欠点などに目が行くはずもなく、教官も高い成果を出しているエリオに欠点を
見つけることは難しかったはずだ。
六課の指導組が気づくことが出来たのは、入学前のエリオと卒業後のエリオを単純に比べる
ことが出来たからで、特に恭也などは一目で気づいたようだった。気づいたのならば直ぐに言
えば良いだろうに、あの男はそんなことはせず、黙って矯正するための訓練メニューを考える
だけに留めた。
もしかしたら自分で気づくかもしれないという期待でも持っていたのか、自分で忠告するこ
ともついにしなかった。フェイトがエリオに教えているメニューも、実を言えば恭也の案が一
部に採用されている。絶対に言うなと口止めされているから、エリオがその事実を知ることは
ないが、何もそこまでしなくても、というのが周囲の共通意見である。
はやてなどはエリオをデレないツンデレと評するが、恭也も恭也でツンの要素が強いように
思う。要するに、似た物同士なのだ。
「矯正する方法は私の意見も参考にしたものをフェイトに伝えてある。精進すると良い」
「わかりました。精進します」
「さて、第三、これが最後で、最も重要なものだ。エリオ、お前は何故打ちかかってきた?」
「何故って……シグナムさんが打ちかかってこいと言ったからです」
「事実を捻じ曲げるな。私はどんな方法でも良いから一撃を入れてみろと言っただけだ。打ち
こむことを選択したのはお前自身だ。円の中から出ず、レヴァンティンの届く範囲でのみ反撃
するだけという条件の私に、お前は馬鹿正直に打ちかかってきたのだ」
そこまで言われて、エリオはシグナムが何を言いたいのかに気づいた。俯いたままの顔は高
潮していく。それはシグナムに言われたことが事実で悔しく、恥ずかしいからだ。
「足を止めて電撃を放ち続けることもできたな? 距離を取って魔力を溜められるだけ溜め、
ランスを構えて突っ込んでくることも出来たはずだ。私に一撃を入れる方法ならば他に幾らで
もあったはずだが、槍で打ちかかることを選択したのは何故だ?」
「…………僕がそうしたかったからです」
「言い難いことでも正直に口にできるのは、賞賛に値するな」
褒めるところがあるとすればそれだけだ。叱責するだけならば簡単だが、エリオにはそれを
きちんと理解させなければならない。エリオは賢い少女だ。言えば必ず理屈では理解してくれ
るだろうが、これは頭ではなく心で理解させなければならないことだ。
「我々は一人で戦っている訳ではない。我々の肩には仲間の命があり、我々の後ろには守らな
ければならない人々がある。そのためには倒せる敵は迅速に倒さなければならない。お前は自
分がそうしたいから槍をもって突っ込んできたというが、それは自己の都合を優先させて敵の
命を永らえさせたことになる。倒すべき敵を倒すのに時間をかければ、その分自分や仲間、守
るべき人々の命が危険に晒されるのだ。私の言っていることは解るな?」
「わかります」
そう答えるエリオの顔は苦渋に満ちていた。言葉はきちんとエリオには届いている。それを
心で理解し実践してくれるかは、時が経たなければ分からないことだ。
「解れば良い。心しておけ? 世の中大抵のことには取り返しがつくが、言い換えればそれは
取り返しのつかないことは確実に存在するということだ。自分の勝手な判断でそうならないよ
う、最善は何かということは考えておくようにしておくのだ」
「ご指導痛み入ります」
畏まったエリオの態度に、シグナムは満足そうに頷く。小言を続けるこちらに、そろそろ隊
長殿が痺れを切らす頃合だ。レヴァンティンを待機状態に戻し、フェイトに場所を譲る。本来
の役割に戻すのだ。今日エリオを指導するのはフェイトの役目であり、シグナムはおまけであ
る。
刃を振るうべき理屈も重要ではあるが、それには力が伴わなければ話にならない。力なき正
義は無力なのだ。とにもかくにも訓練である。駆け出しのうちは、それがさらに重要になる。
「シグナムさん、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「もし、僕がランスで突っ込む選択をしてたら、貴女は僕を褒めてくれましたか?」
「評価はしたろうが、褒めはしなかっただろうな」
「何故です?」
「私も刃で打ち合うのが好みだからだ。先ほどの主張とは反することになるが、お前が槍で打
ち合う選択をしたことは、素直に嬉しく思うぞ」
「これは、褒められているんでしょうか」
「似た物同士というだけだ。これを褒め言葉としたければ、正面からでも私を打ち倒せるよう
になってみろ」
挑むようなシグナムの物言いに、エリオは少しだけ嫌そうな顔をした。その表情が恭也に重
なって見えたシグナムは、声をあげて笑った。
熱の入った訓練だった。六課の訓練で手を抜いている者がいるとは思っていなかったが、そ
れにしても、今日の訓練は熱が入っているように思う。
指示を出すなのはも、それに従いメニューをこなすティアナも何故か非常に生き生きとして
いる。指導する上で最も難しいのが、訓練を受ける側にやる気を出させることだ。自分一人で
は熱意というのは中々持続しない。指導者の役目は適度にそれを刺激してやる気を出させるこ
とにあるのだが、なのはの指示するターゲットをバシバシ落としていくティアナを見ていると
そんな必要すらないように思えた。
「最近の若い局員は皆あんなに熱心なのかな」
『なのはもティアナも主様が見ているから張り切っているのですよ』
「俺が見ているからと言って何が変わる訳でもないだろうに……」
これがスバルやエリオならば意見も出来たろうが、ティアナは射撃型で、前述の二人や恭也
自身とはタイプが異なる。なのはならば簡単に指摘できることが、恭也には全く出来ないとい
うことも在りうるのだ。
その場合、なのはは得意気な顔でそんなことも知らないの? というようなことを言うに違
いない。無論迅速に報復は行うが言われれば悔しいのも事実。
意見を求められるに終わるならば良いが、勉強熱心で気の回るティアナは、意見の一つも求
めてくるはず。答えられるような質問を態々選んではくれないだろう。どうも、ティアナは恭
也・テスタロッサを過大評価している節がある。練りに練った難しい質問をしてくる可能性さ
え考えられた。
そういう質問をいかになのはに突っ込ませずに切り抜けるかが、頭の使い所だ。
『何やらつまらないことでお悩みいなっている気配ですが』
「男の沽券の問題だ。くだらなくはあるが、つまらなくはないぞ」
『頭に子竜を乗せておいて沽券も何もないと思うのですが……』
相棒の指摘に恭也は小さく呻いた。
確かに傍から見れば間抜けだろう。丸まって寝息を立てているフリードは遠めに見れば帽子
に見えなくもないが、戦闘服を着たいい年をした男性が被る帽子にしては白一色のフリード帽
子は派手で大きすぎる。
『大方、年下の娘の前でどうやって良い格好をするかと考えていたのでしょう?』
「当たらずとも遠からずといったところだな。ティアナにアドバイスを求められたらどうしよ
うと考えていた」
『思っていることをそのまま言えば良いではありませんか』
「お前がいったばかりだぞ? 後輩の前でいい格好がしたいんだ」
『私の主様は見栄っ張りですわね』
「男は皆そうだ」
ムキになって答えると、プレシアは『はいはい……』と相槌を打つ。明らかに解っていない
調子だったが、不思議と悪い感じはしなかった。これがなのはであれば拳骨の一つでも落とし
ていただろう。
「そうだな、どうせだからお前の意見も聞いておこう。ティアナだが、どう思う?」
『陸士訓練校上がりという経歴に若干ひっかかるものを覚えますが、新人であることを加味す
れば魔導師としての力量も申し分ありませんね。勤勉で、努力も怠りません。少々熱くなりや
すいところも見受けられますが、それを自制するだけの精神力も持っている様子。相手として
は悪くないと思いますわ』
「何の相手だ?」
『主様の方から迫れば喜んで子供を産んでくれそうなところが特に良いのではないかと』
「後輩を毒牙にかけることを考えるようになったら先輩としてはお終いだと思うのだ」
『思い出しました。主様は年上の女性が好みなのでしたわね』
「好みという程でもないと思うが……」
言っては見るが、過去を振り返ってみるとそういう傾向があるように思える。近い所ではレ
ティやシグナム、遠い所では初恋の人の女性も皆年上だ。
そういう要素だけを見れば、年上好みと言われても反論できない。
しかし、年下がそういう対象にならないかと言われれば否と答えなければならないだろう。
後輩に自分から声をかけるほど飢えていないというだけで、ティアナもスバルも十分に魅力的
であるとは思う。ふとした時に仕草や表情にどきりとしてしまったのは一度や二度ではない。
『そういうことは口に出さないと伝わりませんよ?』
「口に出したら人生が決まってしまいそうだからな。慎重にならざるを得ないのだ」
『ズルいお方……』
「何とでも言え」
「恭也くん、ちゃんと見てた?」
プレシアと言い合いをしている内になのはとティアナの訓練は終わっていた。汗をかいて荒
い息をついているティアナと教導隊の制服を着たなのはがこちらを見ている。ティアナは息を
整えることに一生懸命だが、指導していただけのなのはには体力に余裕があるようだ。
あくまでゲストである恭也には、この訓練において役割は割り振られていない。強いて挙げ
るならば訓練を見ているのが唯一の仕事だ。
なのに、それが訓練を見てもいないでデバイスと世間話をしていたら、真面目に訓練をして
いる人間は気分が悪いだろう。
それは恭也にも解ったが、決して見ていなかった訳ではない。プレシアと会話をしながらも
見るべきところは見ていたし、聞くべきものは聞いていた。
「ちゃんと見ていたぞ」
ありのままを口にしてみたが、口に出した瞬間、自分でも嘘臭いな、と思ってしまった。現
に険しかったなのはの表情が更に険しくなっている。
「ほんと? 嘘吐いてない?」
「本当だ。若いうちからそんなに怒ると肌に良くないぞ」
「私はおかーさん似だから大丈夫。それより、見てたなら何でも良いからアドバイスもらえる
かな? ティアナも恭也くんから意見とか聞きたいだろうし」
話を振られたティアナはまだふらついていたが、恭也が視線を向けると無理やり身体を起こ
して気をつけをした。期待に満ちたその表情は『食べてよし』という飼い主の言葉を待つ子犬
のようだ。
期待されているのならば応えなければならない。男として先輩として、そう考えるのはある
意味当然と言える。
しかし、改善すべき点はいくつか思いつくものの、それらは全てティアナ本人でも少し考え
れば気づけるようなことばかりだった。なのはに至ってはこちらに言われるまでもなく気づい
ているだろう。それでは面白くないし、態々一緒にいる意味がない。
自分にしか言えないようなことがここで口にできなければ、意見を求められた意味もないの
だ。ない知恵を絞って考え……最終的に残った事柄に、恭也は苦笑を浮かべる。
「……アドバイスとは違うのだが、前々から一つ気になっていたことがある」
「なんでしょうか!」
意気込んでいるのはティアナだ。綺麗な瞳が心に痛い。前置きをした手前、何か凄いことを
言わなければいけないような気になってくるが、本当にただ気になっていただけのことなので
ティアナの期待に沿えるかどうか、自信はなかった。
見れば、なのはも興味深そうにこちらを見つめている。
退路は塞がれてしまった。
滑ったらなのはにデコピンの一つも打ち込んでやろう、と失敗した時の方針をきちんと決め
てから、恭也はそれを口にする。
「砲撃や射撃は、何故杖や銃の先から出るんだ?」
「何故って……」
ティアナへの、という風に向けられたのでティアナに向けて質問したが、当のティアナはそ
の問いに明確な答えを持っていなかったようで、戸惑いながらなのはに視線で助けを求める。
この場で最も権威ある射撃、砲撃の魔導師であるなのはは、恭也の言葉を心中で吟味し――
あっさりと白旗を揚げた。
「それがやりやすいからじゃないの?」
「イメージの問題だろうというのは想像がつく。そういうものだと最初からイメージがあり、
事実そうしているというのが大多数の魔導師だと思うのだが、ならばそうではないところから
出せたら、意表を突けると思わないか?」
「……詳しく聞かせてもらえるかな」
なのはと、ティアナの目の色が僅かに変わる。本職の魔導師が乗ってきたことに気分を良く
しながら、恭也は言葉を続ける。
「固定観念が蔓延しているのなら、それを裏切ることは武器になる。極端な話相手に背中を向
けたまま、背中から砲撃が出来れば無警戒の相手には大きな効果が得られるだろう?」
「やってみようとすると分かるけど、あまりデバイスから離れた部分から魔力を発生させたり
はできないんだよね。さらに目の届かないところってなると、集中するのも難しくなるし」
「お前はシューターを身体の周りに発生させたりしているだろう? あれは見えない部分にも
あったりするが、あれはどうなんだ?」
「ただ射撃砲撃するのと、シューターは違うよ。あれは直ぐに撃つ訳じゃないし、コントロー
ルするのが前提だからある程度は射撃砲撃よりもデバイスに制御維持をお願いできるの」
「ただ撃つだけならば発生させる場所を変更するのは難しいと?」
「見えないところにやるのは凄い練習が必要になると思うよ。デバイスがあっても魔力を出す
のも狙いをつけるのも魔導師本人がやるからね」
「……つまり、魔導師の見える範囲でかつデバイスの周辺ならば可能ということか?」
「そういうことになるかな。要するに……」
言葉を切ったなのはの腕に、杖の形になったレイジングハートが一瞬で出現する。出現と同
時にそれを構え、砲撃する自分を恭也に見えるようにしながら、空中に出現させた的に向かっ
て軽い砲撃を放つ。
狙い違わず、砲撃は的を粉砕した。
話の中に出てきた通りそれは杖の先端からではなく、レイジングハートのコアの五十センチ
ほど左方から放たれていた。ティアナは溜息を漏らした。なのはの対応の早さに、驚いている
のだ。
後輩に良い所を見せるのに成功したなのはは、得意そうに微笑ならが振り返る。
「こういうことでしょ?」
「あぁ、そういうことだ。それは簡単に出きることなのか?」
「難しい訳じゃないよ。私はあまりやろうとは思わないけど」
「近接戦闘を主とする人間からすれば、発生点がブレるというのは脅威以外の何者でもないの
だが……その辺りは仕事に寄るのだろうな。時間を取らせたな、忘れてくれ」
「いえ、恭也さんのアイデアは面白いと思います。私も練習してできるようにしますから、で
きるようになったら相手をしてくれますか?」
「別に構わんよ。俺も対応できるようになることが増えるのは、今後の参考になる」
「恭也くん、ティアナには優しいよね。私にはほんと、いじわるばっかりなのに」
「本局の白い魔王が何を弱気なことを言っている」
「……恭也くんは教会の女の子から黒騎士様とか言われてたりするよね。かっこいいね、中学
生みたいで」
「あれは別に俺が言わせてる訳じゃない」
「私だって好きで魔王とか言われてる訳じゃないもん!」
ちなみに白い魔王の出所はなのはの所属する教導隊の先輩方というのは、調べはついている。
彼らが面白おかしく言い出したことが各方面に広まり、今では雑誌などでも目にするようにな
ったそれは、高町なのはの数あるキャッチフレーズの中でも有名な一つだ。
本人は甚だ迷惑しているが、かっこいいじゃないか、と男性職員の多い教導隊には好評であ
る。大仰な呼び名の好きな人間が多いため、それを本気で言っているのが恭也から見ても始末
に悪い。
逆に恭也の黒騎士は100%善意だ。言い出した彼らは彼女らで本気でかっこいいと思って
いるらしい。もちろんベルカ人全てがそういう感性を持っている訳ではないが、根強い支持が
あるのも事実だ。剣の騎士や鉄槌の騎士と自分から名乗るシグナムやヴィータなどはこの感
性の支持者である。身近にそういう感性の持ち主がいるせいで、イマイチ邪険にすることもで
きないから、呼び名に関してはストレスが溜まるばかりだ。
「お二人とももうその辺で……」
あだ名について醜く争う二人を見かねたのか、ティアナが割って入ってくる。一番下の立場
で仲裁に入れる辺り見上げた根性であるが、そのタイミングは宜しくなかった。あだ名という
共通の話題で盛り上がっていた二人は、次の標的を見つけた、と揃ってティアナに視線を向け
る。
力の篭ったその視線に、ティアナは自分がヤバい領域に足を踏み入れたことを遅まきながら
理解した。
「ティアナにもあだ名って必要だよね。私達だけだと不公平だし」
「そうだな。ティアナに相応しいあだ名が必要だな」
ふむ、と新たな犠牲者の前で上司二人は真剣にあだ名を考え始めた。これは碌なことになら
ないとティアナは直感する。不名誉なあだ名を付けられる前に話題を変えるべきだと優秀な頭
脳は生き残るためのプランを構築したが、相手はあの高町なのはと恭也・テスタロッサだ。
管理局でも有名な二人が何やら喜んで頭を捻っているのに、一介の二等陸士が口を挟むこと
などできるはずもない。立場を相応に弁えているティアナは、黙ってあだ名を付けられるのを
待った。苦行の時間が過ぎること一分ほど、最初に死刑を宣告してきたのはなのはだった。
「ティアナ・ザ・ツインテールとか」
そのあだ名を聞いた瞬間、恭也は小さく息を漏らした。目敏く気づいたティアナが顔を赤く
染めてこちらに強い視線を送ってくる。視線には避難の色が宿っていたが、後輩がからかわれ
るのは縦社会の宿命のようなものだ。気づいていないふりをして、笑みを浮かべる。
「悪くないな」
追従するような言葉を恭也が吐くと、ティアナは一転して顔を青くした。本気でそれを定着
させるつもりなのか、と心配している顔である。それを見て本気で広めてみようかと悪戯心が
むくむくと起き上がるが、ティアナ・ザ・ツインテールと笑わずに口にする自信はなかった。
「そういう恭也くんは何か考えた?」
「双銃使いとかシンプルで良いと思うが」
「恭也くん、やっぱりそういうセンスしてるよね。黒騎士さんだし、色も追加してみる?」
「色か……」
恭也の目に留まるのは、ティアナの鮮やかな髪の色だった。ティーダと同じその色が、今は
亡き友人の姿を連想させて少し切ない。
そのティーダならばどんなあだ名をつけるだろうか考えてみる。
「世界一かわいい妹とか言いそうではあるな」
「……急にフェイトちゃん自慢始めてどうしたの恭也くん」
「いや、こっちの話だ。そういう訳なのでこれからも頑張って訓練に励んでくれ橙の双銃使い」
「私もばっちり協力するからねティアナ・ザ・ツインテールさん」
「…………お願いですからそれはここだけの秘密ということにしていただけませんか?」
先輩二人の意地の悪い物言いに、とうとう泣きそうな顔でティアナは頭を下げた。
日が沈んでから起き、軽い運動の後にシャワーを浴びてから出勤すると施設のロビーに上司
の姿を見つけた。
恭也・テスタロッサ。
いつも通り無愛想なその顔を見つけるや、美由希は即座に気配を消した。恭也の死角に移動
し、背後からそっと忍び寄る。足音も衣擦れの音もしない。自己採点するに完璧な隠形だった
が、後十歩という所で『おはよう』と振り返りもせずに恭也が声をあげた。
あちゃー、と思わず声に出して呟いた。完璧と思った矢先に看破されていては立つ瀬がない。
恥ずかしさを誤魔化すように足音を立てて歩き、恭也の近くに寄る。
「いつから気づいてたの?」
「お前が施設に足を踏み入れた辺りからだな」
「恭也にだ〜れだ? ってやりたい女の子は大変だね」
「俺にそんなことをして喜ぶ奴はいないだろう」
相変わらず自分のことを何も解っていない恭也に、美由希は密かに溜息をついた。肩越しに
恭也の手元を覗き込む。
すると、美由希の目の前に白い顔が現れた。キャロの友達、フリードである。予想外の登場
に美由希の腰も思わず引けてしまう。
「何でフリードがいるの?」
「今朝方キャロから預けられてな。せっかくだからと今晩は俺が預かることになった。これか
らしばらくキャロも座学が増えるようだから、一緒にいる時間は増えるかもしれんな」
恭也の声にフリードがきゅくるーと鳴いて頬を摺り寄せた。それだけ見ていると竜というよ
りも子犬だ。子供の竜なのだから人懐っこいというのも分かるが、長いこと文系少女だった美
由希にとってドラゴンとはもっと神秘的で強い生き物というイメージがあった。
これはこれでかわいいと思うものの、何か違うとも思ってしまうのは精神の贅沢だろうか。
「訓練メニューの提案?」
「ああ、今日の訓練を見た上での問題点や改善案を俺なりにまとめてみた」
フリードの頭を撫でながら、恭也の手元の資料に目を通す。指導方法に関する提案。対外的
には魔導師でない恭也が魔導師であるスバル達の訓練メニューを考えるのもおかしな話だが、
今までの魔導師とは異なる観点を持つ恭也の訓練案は多方面からも注目されていて、六課にお
いても重宝されている。
流石にそのままメインの訓練案として取り入れられたりはしないだろうが、それでも大いに
なのは達の参考になることだろう。
「恭也の目から見て、あの娘たちはどう?」
「十分に訓練されているし、年齢を考えれば相当な物だろう。少なくともあの年の俺は奴らほ
ど強くはなかった」
「エリオやキャロならともかくスバル達とならそうでもないんじゃない? 魔法を知ったばか
りの恭也でも、スバルやティアとならいい勝負すると思うよ」
美由希の指摘に恭也は不思議そうな顔をする。その疑問に、今度は美由希が不思議そうな顔
をした。
恭也と出会ったのは十年前で、その時に魔法を知ったのだと聞いていた。それまでは習得し
た剣術のみで戦っていたと聞いている。その剣術の腕前も瞠目すべき点ではあるが、恭也・テ
スタロッサ以前の恭也では魔導師に対抗するには心もとない。
だが、気の扱いを覚えた後ならば――魔導師に対抗するだけの手段を持っている恭也・テス
タロッサならば、一方的にやられるということはないはずだ。
実際、ただ霊剣を持っただけの美由希でも、手加減されたとは言え猫の使い魔二人と戦うこ
とはできた。期待の新人と言ってもその二人に比べればスバルとティアナの錬度は大分下であ
る。
最初は恭也が自分を卑下して言っているのだと思ったが、不思議そうな表情を見る限りどう
も本気であるらしい。彼我の実力差を正確に把握することは、戦う人間としての最低条件であ
るといつも言っている恭也にしては珍しい反応だ。
恭也は数秒そんな顔をしていたが、やがて自分がおかしなことを言ったことに気づいたよう
だった。あぁ……と小さく呻き、苦い顔をする。
「すまないな。自分の年齢を十年ほど勘違いしていた」
「言い訳としてそれは無理があるんじゃないかな……確かに恭也は老けて見えることはあるけ
ど」
「それは昔から良く言われていた。枯れているとか老人のようだとか、家族からも言われたな」
「まるでうちの兄みたいだね。こっちの恭也の方が老けてる感じはするけど」
事実、美由希よりも三つ年上の月村恭也よりも、一つ年下の恭也・テスタロッサの方が老け
て見えた。これは誰に聞いても同じ結論を出すことだろう。恭也にはそれだけ、年月を経たよ
うな雰囲気がある。顔の造作も決して若々しい訳ではないが、実際に彼を年上に見せている最
大の要因は、その老成した雰囲気にあると言える。
「否定はしない」
美由希の指摘に、恭也は苦笑を浮かべるだけだった。枯れているとか年齢のことを言うと微
妙にムキになることが多いのに、兄の話題と一緒だと反抗してくることは少ない。月村恭也に
対して思うことがあるのか……
二人が顔を合わせたのはなのはのことで高町の家にやってきた時の一度だけであるはずだか
ら、共通する要素は多くても繋がりはないと言ってよい。
「まぁ、うちの兄のことはどうでもいいけどさ」
話を変えたのは美由希の方からだった。抵抗はないという風を装っているが、月村恭也の話
題に関して、こちらの恭也はあまり良い顔をしない。
より具体的に言うのなら、少しだけ辛そうな顔をするのだ。
それに気づいているのは美由希と、プレシアくらいのものだった。気にならない訳ではない
が、恭也本人が話さない以上、踏み込んで聞くのは躊躇われる。恭也もあれで結構傷付き易い
性質だ。年長者としては秘密くらいあっても良いだろう、くらいの寛容さが必要なのだ。
「訓練の方はどうだった?」
「良く考えられた訓練だと思う。少なくともミッドやベルカの魔導師として強くなる過程に、
俺やお前は必要ないかもしれんな」
「かもねー」
負け惜しみのように聞こえなくもないが、魔導師としての特性がある以上、新人達には隊長
陣の方が相性が良い。
限定状況下での戦闘方法の指導ならば遅れは取らないだろうが、スバル達が覚えるべきはま
ず自らの力を活かす方法であり、恭也が指導するようなことを覚えるのはさらに次のステップ
に進んでからのことだ。
自分が必要ないと恭也が思うのも無理はない。
しかし、遠からず必要とされる日は来るだろう。
仕事の特性上、機動六課の面々はAMFと接する機会が多い。今やっている訓練が一段落し
たらすぐに、恭也や美由希にもお呼びがかかるはずである。
「そうなったら、私も忙しくなるね」
「普段の仕事に加えて新人の指導だからな。それに自分たちの訓練もしなければならんし、す
ずかの訓練もみないといけない」
「特共研の仕事も忘れちゃ駄目だよ、恭也」
「それが一番楽だというのが救いだな」
恭也と美由希とすずかは、特共研という研究組織の人間として六課に派遣されている。戦力
として数えられてはいるが、肩書きは研究員なのだ。テスタロッサ式の魔法に関してのデータ
を実地で取り、なのはやフェイトなど高位の魔導師の戦闘データと合わせて本部のリスティ達
に転送するのが主な仕事である。
データはデバイスが取ってくれるためにすることはなく、恭也達三人のやることと言えば、
それをメールで本局の特共研に送ることだけだ。
罪悪感に苛まれて一度、すずかが自分なりの考えを沿えて送信したことがあるが、余計なこ
とをするなと怒られてしまった。
特共研の職員達が個性が強いが、それ以上に研究に人生を捧げている。仕事が半ば趣味のよ
うなものなのだ。することを取り上げてしまうとそれだけで喧嘩の原因になってしまうので、
今ではデータを転送するだけに留めている。
恭也の言う通り仕事は楽だが、仲間外れにされているようで何だか寂しい。
「だが、おかげで注力すべきことに注力できる。新たな魔法体系を作るというのもそれはそれ
で有意義ではあるが、今は何よりスバル達の育成が急務だ。魔法は完成するのが遅れたところ
で現在の情勢に影響はないが、スバル達がヘボでは最悪人が死ぬことになるからな」
魔法体系の完成と、スバル達の訓練。どちらを優先すべきなのかかは、考えるまでもない。
「そのうち私にも見せてね」
「完成したらすぐに送る。できるだけ早く目を通しておいてくれ」
「了解。それじゃあ、私は仕事があるからもう行くね」
「しっかりな。クイントさんによろしく伝えておいてくれ」
それだけ言い、恭也はモニターに視線を戻した。それで話は終わりと一方的に話を打ち切ら
れた形だ。男が女にするにしてはつれない反応である。仕事に集中するその横顔は美由希から
見てもどきりとするほど格好よいが、こういう素っ気無さは特共研のスタッフの間でも意見の
分かれるところだ。それが良いという人間の方が多いのがせめてもの救いだろう。
男性が恭也しかいない職場で、あれは女の敵という風評が広まったら、如何に恭也と言えど
も生きてはいけない。
はっとするような横顔に苦笑を向け、声をかけることなく美由希は身体を離した。その際に、
フリードの喉を撫でるのは忘れない。
恭也と違って優しいフリードは、去っていく美由希の背中にきゅくー、と鳴いてくれた。