「嬉しそうだな、キョウ」
「……そう見えるか?」
「新人どもに解るかわかんねーけどな。あたしやフェイトなら解ると思うぞ」
「そうか……」
ヴィータの言を受けて、恭也は頬に手を当ててみた。念入りに揉み解してみる。嬉しそうと他人に解るほど態度に出していたつもりはないが、考えが意識せずに行動や表情に出ていたのというのならその方が問題だった。これでも指導者である。
格好つける必要はないが、ある程度の威厳というものは新人たちの手前必要なのだ。指導者がうきうきしていたらどうだろうか? フェイトのような美人がそうしているのなら絵にもなるだろうが、いい年した男がそれでは気持ち悪いだけだ。
「忠告感謝する。以後気をつけることにしよう」
「別に気をつける必要はねーと思うけどな。さっきも言ったけど、付き合いの長い連中にしかわかんねーと思うぞ」
お前の表情は読みにくいからな、と付け加えてヴィータは目の前に椅子に腰を下ろした。六課食堂、その隅の席で一人紅茶を飲んでいた所、ヴィータがやってきたのだ。恭也は戦闘服だが、ヴィータはTシャツにズボンという訓練着である。共に、訓練をする時のいつもの格好だ。
「で、何が嬉しいんだよお前」
「スバルたちが夜に隠れて訓練しているのは知ってるな?」
「あれを知らない人間なんて六課にはいねーだろ」
ヴィータはふん、と小さく息を漏らした。当たり前のように恭也の飲みかけのカップを奪い取り、中身の紅茶を一気に飲み干す。それをぼんやりと眺めながら、そうだな、と恭也は同意した。
隠れてというのは感心しないが、自分にも覚えのあることなので新人にばかり強くでることもできない。教官になる人間には恭也と同じような覚えのある人間が多いもので、本来ならば注意しなければならない立場にあっても、それを目こぼしすることが多い。目に余るほど不調になっていたり明らかに危険行為をしているなら流石に止めるだろうが、問題ないと判断できるうちは口出しすることはない。
それが六課だけでなく、管理局全体の暗黙のルールだ。といっても、許可を求めればよほどの理由がない限り受理されるので隠れて訓練をする意味は実のところあまりない。それでもスバル達が四人全員で集まって訓練をしているのは、目指すところを知られたくないという明確な理由があるからだろう。
その目的が、今日の模擬戦に定められていることは少し考えれば分かることだ。ホテルアグスタで失敗したエリオをカバーする形で他の三人は行動している。幸か不幸かあの日からこれまで任務もなかったから、解りやすい形でエリオの失敗をカバーできるのは今日の模擬戦が最初ということになる。
エリオを活躍させて、教官に一泡噴かせる。これほど解りやすい名誉挽回もない。
「結構人の目に留まっていたからな。あれだけ目立つなら大人しく許可を取ればよいのに……となのはなど愚痴っていたぞ」
「秘密特訓って胸キュンだろ。なのはの奴、つえーけどたまに漢のロマンがわからねーよな」
小さな身体に大きな瞳。漢のロマンと口にする割には少女然とした可愛らしいナリである。めかしこんで黙っていればそれこそお人形さんなのだから、勿体無いと恭也ですら思うことがある。はやてに言わせるとこれが『ギャップ萌え』というものらしいが、初見でしか通用しなさそうなものが、果たして売りになるのだろうかと疑問にも思う。
「規則は守ってこそだ。監督及び観測する人間がいるからこそ、秘密特訓は成り立つのだ」
「そうか。じゃあ、小うるさい教官役のなのはには感謝しねーとな」
空になったカップを受け取りながら、周囲に視線を巡らせる。考えるべきはヴィータをどう売り出すかということではない。女という生き物は悪口には敏感だ。なのはがいないことは気配で察していたが、誰に聞き耳を立てられているか解らない。言ったのはヴィータであっても、連帯責任にされかねないのだ。聞かれているのならばヴィータ個人の発言ということで処理しなければ、後々面倒なことになりかねない。
念入りに探っては見たが、周囲には食堂のおばちゃんが四人だけ。しかも彼女らは彼女らで会話をしており、こちらには注意を払っている様子はなかった。
これで告げ口をされる心配もない。ヴィータは所在なさげにおさげを弄っている。『構え』という合図に苦笑を浮かべながらも今朝からずっと聞こうと思っていたことを口にした。
「ところでヴィータ。お前は今日、奴らと対戦する役目を自分でやるつもりなのか?」
「当たり前だろ? こんな楽しそうなこと、他の奴にやらせるかってんだ」
「そうか……ちなみに噂では、なのはの奴もかなり乗り気らしい」
「乗り気じゃないなのはなんて逆にこえーだろ」
「全くだ。しかし、乗り気な奴は中々に手ごわい。だからどうだろう。ここは共同戦線を張らないか? 実を言わなくとも、俺も今日の対戦に立候補したいのだ。奴を排除してから、俺とお前でどちらが戦うか決めれば良いと思うのだが」
「シグナムとフェイトはどうすんだよ」
フェイトはともかく、シグナムはなのはに負けず劣らずのバトルマニアだ。新人達では四人集まっても相手に不足ではあるが、秘密特訓の後とあっては何か隠し球がある可能性は大きい。そんな愉快なイベントを無視できるほど、シグナムも平和ボケをしていない。普段ではれば何をおいても立候補するはずであるが、やりたい、と彼女が言っているという話はヴィータの耳にも届いてはいないはずだ。
「二人には既に話がついている。フェイトは快く、シグナムについては後で聊か痛い思いをしそうだが、とにかく問題はない。現段階で問題なのは魔王陛下と、そしてお前だけだ」
「だからなのはを二人でぶっ倒そうって訳だな」
「悪い話ではないと思うがどうだ」
「……そうしよう。その後で、あたしとお前だ。どっちが勝っても恨みっこなしってことでいいな?」
「勿論だ。遺恨を後々まで引き摺るのは、お互い損だろう?」
おう、とヴィータは短く答える。熱しやすくキレ易いヴィータだが、食い物以外の恨みは引き摺らない。食い物の恨みだったとしてもギガ美味アイスでも貢いで謝れば大抵のことは許してくれる。
有事の際はどこでギガ美味アイスを調達するか……話が拗れた時のことを考えている最中に恭也ははたと気づいた。後で謝るのならば、今謝るのも一緒ではないだろうか。シグナムを相手にしたことで出費は既に発生している。そこにギガ美味アイスが二つ三つ追加されたところで誤差のようなものだ。話を纏めるならば早い方が良い。白い魔王はアレはアレで面倒くさい相手なのだ。
「すまん。提案をした直後で何なんだが、話がある。俺にとってもお前にとっても悪い話ではないと思うんだが、聞いてもらえるか?」
「聞くだけなら聞いてやるぞ」
「実はこの間、ハラオウン閣下に連れまわされて食事にいったのだが――」
「未亡人とデートとかエロいなお前」
「食事くらいデートでなくとも行くだろう。お前とだって何だかんだで月に一度くらいは行っていると思うが、あれはデートか?」
しかも俺のおごりで、と付け加えるのも忘れない。階級はヴィータの方が上、魔導師ランクの手当てやら何やらで稼ぎもヴィータの方が大分良いのにも関わらずだ。奢ることそのものには納得している恭也だが、からかいの種にできるのなら話は別だ。案の定、ヴィータは気まずそうに視線を逸らして、それ以上リンディに関して追求することをやめた。
別に『リンディに関しては』何も疚しいことがある訳ではない。一人で行くのも寂しいからと誘われただけなのだが、変に話が盛り上がった状態で広まるのも不味い。リンディのファンは管理局の内外に今も多いのだ。
「話を戻すが、その時付き合わされたというのがこれはまた夢に出てくるくらいの『甘さ』を追及した店なのだ」
「甘い物苦手なお前にとっちゃ地獄だろうな」
「普通の軽食があって助かった。しかし、俺にとっては地獄でもお前にとっては天国だろう。そこで相談なのだが……」
周囲を気にするようにして声を潜めると、ヴィータも解ったもので顔を寄せてくる。摘んで伸ばしがいのありそうな頬に悪戯心がむくむくと持ち上がるが、それは別の機会に、と心を戒める。
「そこの高級特盛りアイス一つ60リリカル也で、俺の味方をしてくれないか?」
「そんな訳でお前達の模擬戦の相手をすることになった恭也・テスタロッサだ。よろしく頼む」
注文通りの宣言をする恭也に、ティアナは内心でガッツポーズをした。
整列するティアナたちの正面に隊長陣は並んでいる。宣言を行った恭也だけが一歩手前におり、ティアナたちから見て右側にスターズ、左側にライトニングの隊長、副隊長が並んでいた。その中でスターズ分隊隊長、高町なのはだけが氷点下の機嫌をしている。機嫌が悪いというのを隠そうともしていない。時折恭也を睨んでいるところを見るに、原因は恭也にあるようだ。
白い魔王とあだ名される魔導師が、見えかねないほどの不機嫌オーラを放っているのだ。これでは堪ったものではないだろうと隣に立つヴィータを見るが、なのはのことなど何処吹く風とばかりに機嫌が良さそうにしている。恭也のついでに睨まれてもいるようだが、やはり気にしていない。流石は守護騎士だ。肝が太いのか他に理由があるのか、いずれにしてもその振る舞いはティアナには真似できそうにない。
反面、ライトニングの二人は穏やかなものだった。なのはの態度にフェイトは苦笑を浮かべているが、シグナムは平然としている。顔に出ている感情は隊長副隊長で真逆とも言えるが、スターズの揉め事に関わりに合いたくないというスタンスは同じのようだ。恭也を挟んでスターズとは線対称の位置にいるものの、心もち離れているようにも思える。恭也が模擬戦の相手を獲得するまでに、何かあったのは間違いない。
(それに係わり合いになりたいとは思わないけどね……)
恭也が相手という状況は整えられた。それ以上に、望むことはない。第一隊長たちの揉め事などに首を突っ込んでいたら、命がいくらあっても足りない。
お膳立てとしては完璧だったが残念だったことが一つある。立場上、一応新人に分類されるすずかが今この場にいないのだ。彼女はテスタ式デバイスの最終調整のために今朝から本局の特共研に出向いていて、少なくとも今日一日は帰ってくることはない。恭也をやっつけるという企画を打ち明けた時には喜んで協力を表明してくれたのだが、いないものは仕方がなかった。すずかの実力を当てにしていた面もあるが、いないのならばいないなりに立ち回るだけだ。そういう作戦を考えるのも、リーダーであるティアナの役目である。
「こちら側は俺一人、お前たちは四人だ。俺に有効打を一度でも与えたらお前達の勝ち。お前達全員が戦闘不能になるか、あるいは降伏すれば俺の勝ちだ。他に条件は特にないが、何か質問はあるか?」
「有効打と仰いますが、それはどうやって判断するんですか?」
「俺達五人で判断するが、手心を加えたりはしないから安心してほしい」
手心、と恭也が口にした時、なのはの瞳がきらーんと光ったような気がした。今のなのははおそらく、頼まれたって恭也に有利な発言はないだろう。判定が多数決で決まる以上、勝利のためにこれは有利な条件である。手心を加えないと言っても気持ちがどちら寄りかというのをフラットな状態にすることは難しい。どちらか判断がつかない時は、こちら……そういう人間が一人いるだけでも今はありがたい。
「キョウ兄に勝ったら何か良いことあるー?」
「一週間、お前達全員に俺が昼食をご馳走してやる。食堂で何でも好きなもの頼むがいい」
「ほんとっ!?」
大盤振る舞いに、スバルの目の色が変わった。スバルを知る人間には秘密でも何でもないが、食べ物が関わった時の彼女は実力が二割増しになるのだ。子供のようなはしゃぎっぷりに子供らしからぬ落ち着きを持ったエリオが面倒くさそうな視線を送るが、食べ物で頭が一杯になったスバルに気づく様子はない。我が親友のことながら現金なものだ。
しかし、それで全力以上のものが出せるというのなら、手段は問わない。格好つけて勝てるようなら、元々作戦など練ったりする必要はないのだ。力不足を自覚しているからこそ、人はこうして徒党を組み協力して事を成そうとするのである。
「他に質問はないな? ならば十分後にスタートだ。俺はこの位置からスタートする。お前達は訓練フィールド内部ならば好きな場所に移動して構わないぞ」
話は終了とばかりに恭也は手で散れとティアナ達に促す。それに従い、ティアナたち頭を下げると、間違っても声を聞かれない距離までさっさと移動した。
展開されている訓練フィールドは、いつもの市街戦仕様だ。森林を使う可能性も考慮していたが、こちらの方が慣れているだけにティアナたちにとってはやり易い。
「スバルにエリオ。改めて聞くけど、一足一刀の間合いで構えた状態からスタートして、合図と同時に恭也さんに攻撃を当てる自信ある? 訓練だし、多分恭也さんもそれなりに手加減はすると思うんだけど」
準備が整わない内に一方的に攻撃することができるのなら、相手がどれだけ強かろうと関係ない。特に今回のルールでは、有効打を一度でも当てればこちらの勝ちなのだ。先手必勝を考えるのは、挑む者としてある意味当然と言えた。どこからスタートしても良いというルールを聞いた時にもしかしたらと思ってした質問だったが、二人はティアナの予想通りに首を横に振った。
「むりむり。不意を打つなら兎も角、構えた状態ってことはキョウ兄にも分かるってことでしょ? 来るって解ってる攻撃がキョウ兄に当たる訳ないよ」
「なら不意を打てばどうにかなるってことよね」
「それも無理でしょう。初手を確実に当てられる距離まで近付いて、アレに気づかれないというのは僕らでは絶対に無理です」
「楽はできないもんね……」
期待していた訳ではなかったが、確信に満ちた二人の物言いにティアナのトーンも落ち込んでいく。ここ数日考え尽くしたことではあるが、改めて思う。恭也・テスタロッサは、色々な意味で規格外な男だ。小癪な作戦を持ったヒヨッ子四人だけで、果たして彼を打倒できるのか。スバル、エリオ、キャロ。今日一緒に戦う仲間たちの顔を見る。
勝つことはできない。そんな不安に押しつぶされている人間は、誰一人いなかった。全力でもって相手にぶつかり、これを打倒する。そんな意気に満ち溢れている。これが仲間なのだと思うと、頼もしい限りだった。彼女らとならやれる。そんな気持ちがティアナを満たしていく。
勝つ。勝たなければならない。ティアナの心にもう迷いはなかった。
「事前の打ち合わせの通り、三番の作戦で行くわよ。私とキャロがバックス、スバルとエリオがフォワード。待機位置は――」
四人の中央に、モニターを展開する。訓練フィールドの情報は既に取り込んである。三番の作戦概要も登録済みだ。
「スバルがここで、エリオがここ。私の指示があるまでその位置で待機。私は残りの時間一杯を使って準備してから移動するから、私達の待機場所は、キャロの反応を見て覚えておいて」
『了解』
返事に乱れはない。自分たちはチームだという自覚が、全員に芽生えている証拠だった。その返事に、ティアナは満足そうに頷いた。
「十分経過。では行って来る」
「いってらっしゃい。しっかりね、恭也」
フェイトの声に見送られて、恭也はゆっくりと訓練フィールドに足を踏み入れる。フィールドの端に整列していたので、端からのスタートになる訳だが、見える範囲にティアナたちの姿はなく、感じ取れる範囲に気配もない。
「奇襲戦法もアリかと思ったのだがな……」
『主様相手ではそれも成功率が低いと判断したのではありません?』
「それを補う作戦を立てることも考えられたんだが、まぁいい。いないものは仕方がない」
周囲を警戒しつつ歩きながら、恭也はプレシアと問答する。相変わらず、廃墟の中に人の姿、気配はない。
「奴らはどういう戦法をしてくると思う?」
「有効打を一撃入れれば勝ちなのですから、正攻法で来るとは考え難いですわね。とは言え、主様の足の速さはあの娘たちも知るところ。そんな主様を仕留めるとなれば……」
「足を止めるか、逃げられない状況に追い込むか、そんなところだな」
実力の拮抗する人間がいるなら話は別であるが、個人として見た場合、新人たちは皆自分たち隊長陣に数段劣る。それを埋めるために連携するという技術を教えている訳だ。今日はその成果を見る日でもある。果たして彼女たちは、力を結集することでどこまでできるようになったのか……
視界の隅に、人影が映った。気配はない。オレンジ色の髪がちらりと見えたことから、それがティアナ――の幻であることは解った。
早速、仕掛けてきた。気を緩めることなく、しかし歩みを遅らせるようなことはしないまま、恭也は道を行く。右手二時の方向、30メートルほど離れたビルの影に一人、十時の方向、同じ距離に二人目。その他、屋上に二名、正面、100メートル以上先に二名の幻体が
出現している。
幻体は恭也に狙いを定めると、躊躇いなく攻撃してきた。魔力弾の幻だ。幻である以上、どれだけ直撃してもダメージはない。幻体と本体の判断がつかない、あるいは判断するのに時間がかかる普通の魔導師ならば幻体による人海戦術も有効だろうが、幻体を一瞬で区別できる恭也には雨のような魔力弾の幻も何処吹く風だ。いくら幻体が出現しても効果がないならば無視すれば良い。視界に入ることで集中力は乱れるだろうが、明らかに期待できる効果と言えばその程度のものだ。
幻体の精製操作には魔力を消費する。ティアナの得意とする魔法であっても、常時この調子では消耗も激しいだろう。集中力を乱す程度の役目でこれでは割りに合わないと思うのだが……
雨のように降り注ぐ攻撃を無視して歩いていく。攻撃は間断なく続いていた。スバルやエリオ、フリードの姿は見えない。しばらくはこの調子が続くのか、と恭也の気持ちが緩みかけたその時、反射的に、恭也の右手が閃いた。
死角から飛来した『本物』の魔力弾が、気を込められたプレシアによって撃墜された。霧散したオレンジ色の魔力が、きらきらと虚空に散る。オレンジ色の魔力光はティアナの物だ。そして撃墜した魔力弾は一番近くにいた幻体の向こうから飛んで来た。
ティアナ本人が隠れているのか。ないと半ば確信していたが、恭也は意識して感覚の網を広げる。
「……これはまた、大仕事だな」
思わず言葉が漏れるのを、止めることはできなかった。恭也の周囲に、無数の気配がある。魔導師ではない。視認は一つとしてできないが感じからして魔力弾一つ分ほどだ。先ほど飛んできたのは、その内の一つだろう。ティアナの気配は、やはりない。移動する過程で魔力弾だけを設置できるだけし、恭也が射程に入ったその時に射出する。
トラップとしては悪くない。スバルやエリオと異なり、直接打ち合う技能に乏しいティアナならではの発案だ。惜しむらくは、これだけで有効打を与えるには、数が少ないということだろうか。もっと沢山設置し追い込むだけの手段があれば、ティアナ一人でも勝利できたかもしれない。
『魔力弾の位置をモニタに投影しておきますか?』
「いや、必要ない。当たるくらいの位置にあるものならば俺一人でも把握できる。お前はいつも通り俺のフォローだ。余裕があるようだったら、魔力弾以外の索敵を頼む」
『了解しました。主様も気をつけられますよう』
「無論だ。大見得きって負けてしまっては、教師の立場がないからな」
苦戦させて欲しいとは思う。それだけの努力や勉強を、ティアナ達はしているのだから。まだまだ負けてやるつもりは欠片もないが、力を合わせて戦うことの意味は、そろそろ理解できた頃だろう。一人一人の力はまだこちらに及ばなくても、力をあわせればあるいは……とは、恭也だけでなくなのはもフェイトも思っている。
隊長陣の誰が相手だったとしても、一矢報いるだけの実力は既にある。後はどれだけ自由に、その力を引き出すことができるかの問題なのだ。
飛来する魔力弾を、両手のプレシアを繰って撃墜する。威力はそれほど高くはない。爆発する性質もなく、これならば一刀一撃で問題なく対処できる。幻体の攻撃の合間に飛来する本物は、ティアナ本人が操作しているからか、陰湿なタイミングと角度で飛来してくる。言い換えればそれは、こちらを観察する目があるということでもあった。サーチャーの役割をするようなものを破壊できればこの攻撃も止むだろう。その破壊を優先するのが良いか。考えているその最中に、殺気を感じた。
「ようやく来たか」
振り向き様に振りぬいたプレシアが、突き出されたストラーダを外側に弾く。速度の乗った良い一撃だったが、まだまだタイミングが掴めていない。僅かに開いた体に徹の乗った蹴りを叩き込んで吹き飛ばすと同時に、恭也の周囲に青いウィングロードが展開された。スバルの飛来を確信して構えを取ると、『おりゃー』という彼女の声が『真上から』聞こえてくる。
降ってきたスバルをステップして避け、進路を塞ぐように展開されたウィングロードをプレシアで切り裂く。ギュルギュル動くスバルの体重を受け止めるウィングロードは見た目以上に硬かったが、斬ることに特化した恭也の前では紙も同然だ。目くらましとして機能していたのか、復帰したエリオが切り裂いたウィングロードの正面から突きかかってくる。
取り回しやすくスピア型に変形したストラーダによる連続の突き。鋭いそれらの攻撃はなるほど、年齢、性別を考えると十二分な点数を与えられる攻撃だったが、それでも恭也の防御を突破するには至らなかった。両手のプレシアを繰り、一つ一つを丁寧に弾いていく。そこにスバルも合流した。エリオとスバルによる連携。チームの異なる二人だが、秘密特訓の成果が出ているのか、阿吽の呼吸とはいかないまでもコンビネーションは悪くない。
「だが、まだまだだな」
悪くない程度では、負けてやる訳にはいかない。ストラーダの突きを避けながら前進し、エリオに肉薄する。槍が武器であるエリオは息がかかるほどの距離での攻防に弱い。対処に迷っているうちに恭也は肩をエリオの胸に押し当て、全力で踏み込む。それだけでエリオは弾丸のように吹っ飛んでいった。ビルの壁を破壊して遠ざかっていくエリオを横目に見ながら、スバルの拳を受け止める。両手のプレシアは消失していた。掴れると思って居なかったらしいスバルが目を丸くするのも構わず、渾身の力を込めて投げ飛ばす。
ローラーで生み出された加速が、そのままスバル自身の速度となる。飛び込んできた時の勢いそのままに、スバルは恭也から遠ざかっていった。エリオとは違うビルに直撃し、土煙の中に消える。
一先ず脅威は去った。ふぅ、と小さく溜息を吐き腰に釣られたプレシアに手を置く。
「奴らはあれで決める気だったのかな」
『本気は本気だったと思いますけれど、やるだけやってみた、という感じではありません?』
「ならば、この後に本命があるということだな」
『でしょうね。ここで終わってしまっては秘密特訓までした甲斐がありませんもの』
「何か隠し球があることを期待したいところだが」
不意に、恭也の周囲に影が刺した。離れていても感知することのできる、六課では唯一の気配の持ち主である。キャロの相棒、白竜フリードが本来の姿を取り戻し、空から恭也を見下ろしていた。既に魔方陣は展開されている。感じる魔力を見るにフリードに出せる全力全開の威力だろう。勿論、あんな物が直撃したら死ぬしかない。
特共研製の戦闘服は魔導師との戦闘を前提に作られているが、基本、ただ丈夫なだけの戦闘服だ。バリアジャケットほどの強度はもちろんないし、頭部を狙われたらお終いである。
「……奴らは俺が何をしても死なないとでも思っているのかな」
『それなら、期待に応えないといけませんわね』
「教師的立場というのは面倒なことばかりだな!」
愚痴を零している暇もない。フリードは今まさに炎を放たんとしている。逃げられる方法はそれほど多くなかった。この状態から炎の有効圏外に逃げるために、とっさに思いついたルートは三つ。当然、周囲にティアナが設置した魔力弾はそのままだ。罠の中に飛び込む形になるが、負けるかもしれない、という不安は恭也の中にはなかった。
弟子のような連中が、知恵を絞って対抗してきている。これを撃ち破ってこそ教師的立場というものだ。
作戦はスバルと協力して畳み掛ける第一段階から、フリードの広域攻撃による第二段階へとシフトしていた。龍の炎が連打され、廃棄区画を模した訓練スペースが轟音と共に吹っ飛んでいく。絵面は大惨事であるが、これで恭也がくたばっているとはエリオには思えない。
事実、煙を割いて恭也は現れた。速度を殺さぬままフリードの位置を確認し、次に炎が打たれても咄嗟に動けるような位置取りを続けている。それでいてティアナとキャロがいる方への移動も忘れていないのだから、奴の感性も捨てたものではない。
つかず離れずの距離で追跡を続けながら、エリオは恭也の観察を続ける。こちらに意識を払っている様子はないが、この距離ならば気づかれているだろう。それは例え背後から打ち込んでも不意を打てないということでもある。言葉にすると益々化物じみているが、今日の恭也には隙があるようにエリオには思えた。
わざと打ち込ませようとしているのか、いつもよりも挙動を一つか二つ、タイミングを遅らせているのである。それは訓練だから手加減しているようにも見えた。討ち取るチャンスと判断することもできるが、リーダーであるティアナは恭也のコレを罠だと断じていた。事実、そのタイミングで打ち込んだ先の攻防では、二度とも難なく迎撃されている。そこで一気に戦闘不能にされなかったのは恭也のきまぐれによるものだろう。
きまぐれに生かされたというのは腹立たしいことではあるが、彼我の実力差を考えれば当然とも言える。生殺与奪の権利は常に強者にあるのだ。見逃された弱者が文句を言うのは、筋違いというもの。文句を口にするのが如何に格好悪いことであるか、エリオはその性格から十二分に想像できた。
一際大きな魔力弾が恭也の進路を真横に通過する。スバルのディバイン・バスターだ。高速で動く恭也は、狙撃砲撃する側にとっては酷く狙い難い。まして近接戦闘を得意とするスバルは、砲撃の腕はそれほどでもないのだ。それでも恭也を狙ったのは進路を制限するためでもあり、当たればラッキーという意味あいもある。もっとも直撃に関しては撃ったスバル本人も含めて、誰一人として期待していない。
事実、当たらないと直感していたらしい恭也は、目の前をディバイン・バスターが通過しても顔色一つ変えなかった。足止めの役にも立たなかったという証明でもある。
「ライトニング3。目標、依然としてそっちに向かってます」
『スターズ4、了解。行動は予定通りに。くれぐれも先走ったりはしないようにね』
「ライトニング3、了解しました」
ティアナの念押しにエリオは苦笑する。今回の作戦において、ティアナがエリオに一番念押ししたことが、『先走るな』だった。自分のことを信頼されていないようで気分が悪いが、恭也に関する自分の執着を振り返ってみると、なるほど、他人から見れば念押ししたくもなるだろうと想像できなくもない。
というか、自分がティアナの立場であったら絶対にする。それくらい、恭也・テスタロッサに関することで、エリオット・モンディアルは信用ならない。
自虐的な苦笑を浮かべながら観察を続ける。恭也は相変わらず迷わずにティアナ達の方へ進んでいる。魔力弾とフリードの攻撃、思い出したようなスバルのディバイン・バスターは続いているが、勝利を決定付けるような有効打どころか、かすり傷一つ負わせていない。
ティアナとキャロがいるのは、通りを挟んで2ブロック先の区画である。足場を構築しビルを無視して直進すれば、魔力弾を捌きながらでも恭也ならば二分とかからないだろう。手加減はしてくれているが、それがいつまで、どの程度続くか解らない。本気を出されたら勝ち目はないのだ。手加減していると解るような今この時に倒せなければ、勝機はやってこない。
不意に、恭也の背中に隙が見えた。わざとらしい。打ってこいという自分だけに向けた挑発だ。ストラーダを握る腕に力が篭る。エリオット・モンディアルは侮られるのが大嫌いだ。況してや相手は恭也・テスタロッサ。それが見えみえの挑発だったとしても、心中穏やかではいられない。
油断しきっている今ならば、打ち込めるのではないか。打ってくると解っていても、今の最高速度で突撃すれば流石に背中を向けたままでは、あの恭也でも対応できない『可能性』がある。
そう考える一方で、冷静なエリオはやるべきではないと言っていた。あの男ならばやりかねない。不可能だと思っていたことを何度も覆その様を、エリオは地に這い蹲りながら見てきたのだ。あの男の非常識さは嫌というほど知っている。恭也・テスタロッサはエリオの知る限り最強の剣士だ。用心してし過ぎることはない。
通りを一つ越えた。ティアナの魔力弾が全方位から殺到する。逃げ場のないはずの魔力弾の雨の中、恭也は淀みのない動きでプレシアを振るい最小限の魔力弾だけを断ち切り、紙一重の隙間を滑るように進んでいく。
恭也の目の前にはビルがある。迂回するような手間は、やはりかけなかった。屋上に向けてウィングロードを展開。尋常ではない傾斜の坂をやはり尋常ではない速度で駆け抜けていく。空が飛べない恭也にとって、足場が限定される空中は、数少ない弱点の一つだ。ティアナもこれを見逃すまいと魔力弾を殺到させるが、前に進む足は止めままに、両手の小太刀を繰り、時には回転しながら、自らに当たる魔力弾だけを、的確に撃ち落していく。オレンジ色の魔力光が粉雪のように散っていく中、エリオはまた、恭也の背中に隙を見た。
それは作られた隙だ。エリオは瞬時に理解した。
しかし、心の中でエリオは叫んだ。行くのは、今しかない。何度も作られた隙は見届けた。今ならば『やれる』とエリオは確信した。
それが間違っているなどとは、欠片も思わなかった。自分の役目は恭也を討ち取ることだ。今それができなければ、自分は使命を果たすことができない。使命を果たせないのは、負け犬だ。負け犬と侮られる自分を、エリオット・モンディアルは許さない。
今しかない。自分を追い込むと、痛いほどに心臓の鼓動が聞こえた。音が自分を支配し、倒すべき恭也の背中だけしか見えなくなった時、エリオは地を蹴った。ソニックムーブと飛行の魔法を同時に発動。ストラーダを構えて突撃する。一直線に突き出されたストラーダは一瞬の後に恭也の背に届いた。
ストラーダが恭也の背を貫く――その瞬間、恭也の身体が揺らいだ。エリオが目を凝らした時には、ストラーダは恭也の脇をすり抜けていた。貫(ぬ)かれた……それに気づいた時、振り返った恭也の腕がエリオの胸倉を掴んでいた。ウィングロードは終端を迎え、ビルの屋上である。その淵に立った恭也に釣られたエリオの下に足場はない。
「……これがお前達の作戦ならば、次は何だ? お前が俺に拘束されている状態で状況を打破するような作戦を、ティアナが考えたのか?」
エリオを睨み挙げる恭也の視線は、驚くほどに冷たい。エリオも数えるほどしか見たことのない、これは激怒している時の瞳だ。滲み出てくるような殺気に、身体が震える。震えだすエリオなど関係ないとばかりに、恭也は襟をねじり挙げる手に力を込めた。
「ないな。前衛の一人であるお前が捕まれば、時間を稼ぐ手段が半減する。いや、高速で動ける分、スバルよりも良い働きをするだろう。要するにお前が捕まることで、お前達チームの勝つ確率が半分以下になる訳だ。さて、ここから何か逆転できるような策があるものかな。俺にはとんと思いつかないのだが、どうだ、ティアナ。お前、何か知っているのか?」
『――スバル、『ハンターシフト』よ』
『私一人で!?』
『いいから行きなさい!』
『了解!!』
慌てふためく二人の声に、恭也の視線の冷たさが一段と強くなる。エリオの手から落ちたストラーダが、屋上で乾いた音を立てた。
「もう一度聞くぞ。お前にこうしろと、ティアナが命令したのか?」
「……僕は間違ったことはしてない」
「お前が先走った結果が、今のこの状況だ。前衛の一人であるお前は俺に捕らえられ、スバルとティアナはその尻拭いをしている。フリードもお前がいるせいで攻撃することができない。勝率も大きく下がったろうな。これが、お前一人のせいだ。さて……何か言うべきことがあるのではないか? 己を見返すことも、時には必要なことだと思うが」
「僕は、間違ったことは、してない」
「お前には失望した」
力の抜ける恭也の腕を、エリオは渾身の力で掴んだ。この腕は絶対に放すまい。殺意に近い強烈な意思を込めて恭也を睨むと、彼が無感動に拳を握り締めるのが見えた。徹の乗ったアレが顔に当たれば、意識を保つことはできない。間違いなく、ここでリタイアすることになるだろう。泣いて謝れた仕切りなおすチャンスくらいは与えてくれるだろうが、そんなことは死んでもご免だった。
恭也の気配が、死にそうなくらいに怖い。気を抜いたら泣き喚いて蹲りそうになるのを必死に堪え、腕に力を込める。
「空でも飛んで、少し頭を冷やしてこい」
殴られる。そう覚悟して、エリオは身を硬くした――
『主様!』
鬼気迫るプレシアの声が、辺りに響いた。行動を諌めるような雰囲気ではない。明らかな警告の意図で発せられたその声に、恭也の動きが一瞬だけ止まる。
その一瞬が、エリオの待ち望んだ瞬間だった。
「バインド!」
搾り出すような叫びに従い、エリオの手から魔力で編まれた鎖が放たれる。零距離で放たれた鎖は腕を伝って恭也を拘束し、その端を地面に打ち付けた。
「ストラーダ!」
恭也は拘束され、身動きができない。攻撃するには最大のチャンスだ。驚愕の色を顔に浮かべる恭也の腕を電撃で弾くと、ストラーダを構えるのもそこそこに恭也に突きかかる。胸倉を掴む時に消してしまったため、今の恭也は無手だ。
一撃目。
胸元を狙って放たれた突きは、身体を逸らせた恭也に避けられた。バインドに拘束されていると言っても、身体を動かすだけの余裕はある。危なげないと言えばそうであるが、いつもの恭也を見ているだけにそこに余裕がないのは見て取れた。行ける。エリオのストラーダを握る手にも力が篭った。
二撃目。
踏み込み、引き戻したストラーダを再び突き込む。狙いは腹部だ。恭也はこの時になってようやくプレシアを両手に出現させたが、これを防ぐのには間に合わない。一撃目と同じく身体をそらして対応するが、完全に避けるには至らなかった。ストラーダの刃が戦闘服を切り裂く。
三撃目。
バインドを斬ろうとするプレシアに向けてストラーダを突き出す。行動を制限するものをまず排除するのは当たり前のことであるが、眼前のストラーダはそれ以上の脅威だ。鬱陶しそうに舌打ちをしつつ、プレシアでストラーダを迎撃する。片手の小太刀と突き出した槍。それが相殺される辺りに力量差を感じるものの、まだまだ有利なのはこちらだ。エリオは腕を緩めない。
四撃目。
そこからの攻撃は拮抗した。バインドで動きを制限されたまま、恭也は両手のプレシアを繰ってストラーダを迎撃し続ける。迎撃そのものは落ち着いているが、バインドを解除するだけの余裕はない。拘束は依然として恭也に有効である。
恭也が拘束されてから時間にして三秒。エリオが稼いだ時間はそれだけだったが、たったのそれだけがティアナが立てた作戦の全てだ。スバルと、制御された残りの魔力弾の到着が間に合ったのだ。全方位。ビルの屋上をぐるりと囲むように配置された魔力弾の包囲に隙はない。ウィングロードを滑走するスバルは、上空、直上から恭也に迫る。
エリオは魔力弾の道を作るように、這うような姿勢で後退する。伏せたその上を魔力弾が通過していった。手の空いた恭也はバインドの切断にかかっていたが、まだ全てを斬り終えた訳ではない。包囲はより狭まった。仮に神速を使ったとしても、魔力弾を迎撃しきることは不可能であるし、直上のスバルに対応するのも不可能だ。
勝った。今度こそ、エリオはそれを確信した。恭也に打つ手はもうない。これで、自分たちの勝ちだ――
「プレシア、重ねるぞ」
『了解しました』
淡々とした主従の声が届いたのは、そんな時だ。
プレシアをだらりさげた状態のまま、恭也の姿が一瞬ゆらめき――その次の瞬間、全ての魔力弾とバインドが消失した。オレンジの魔力光が視界を埋め尽くす中、エリオが驚愕の声を挙げるよりも早く、恭也は次の行動に移る。
獲物はスバルだ。直上から迫っていたスバルは、魔力弾の包囲を前提として行動していた。大前提が崩れたことに動揺を隠し切れないスバルに、一瞬で恭也が肉薄する。交錯する。落下速度を味方にしたスバルと、恭也の一撃。一瞬の勝負に勝利したのは恭也だった。気を纏った峰打ちが右手のリボルバーナックルを粉砕する。衝撃で吹き飛ばされたスバルは屋上を転がりながらも、すぐさま起き上がる。予定が崩れてもまだ模擬戦は続いているのだ。
だが、恭也の行動は早かった。スバルが起き上がった時には既に彼女から十分に距離を取り、腕を引き絞るようにして構えている。
踏み込み。床を砕くほどの強力な踏み込みと共に、恭也の姿は世界から消えた。
美由希の得意とする刺突攻撃。小耳に挟んだ名前は『射抜』と言っただろうか。納刀されたプレシアの一撃を鳩尾に食らったスバルに意識がないのは明らかだった。身体をくの字に折り曲げ、スバルは弾丸のようにすっ飛んでいった。
恭也の視線がエリオに向く。次は自分だ。まだ刃を合わせてもいないのに、叩きのめされる未来がはっきりと見えた。
だが、ただでは負けない。負ける未来が確定したのだとしても、全力は尽くす。せめて自分に恥じないようにしなければ死んでも死に切れない。
恭也の腕が動いた……ように見えた。視線は一度も外していない。エリオが聞いたのは納刀の音だけだったが、その直後に、ストラーダの先端部分がずるり、と切断された。目を丸くするエリオを他所に、恭也はとん、と両手をプレシアの柄に乗せる。
それが模擬戦で、エリオが見た最後の光景になった。
スバルとエリオが戦闘不能に追い込まれたことで、ティアナは降伏を宣言した。キャロもフリードも消耗していたとは言えまだ戦えたが、恭也を相手にフォワード二人なしでは流石に分が悪い。必ず勝つと意気込んでいたこともあって、集合場所まで歩く途中はお通夜ムードであったが、集合場所についた二人に告げられたのは、模擬戦は新人チームの勝ちという恭也の判断だった。
「大人気ないことをした。反省はしている」
平謝りする恭也の言う所には、手加減するという当初の戒めを自分で破り、つい本気になってしまったことが原因であるという。それは恭也が本気を出しさえしなければ、追い込んだ時に勝てたということでもあった。自分の作戦は間違ってなかったのだと、遠まわしにではあるが証明されたティアナは、心中でガッツポーズを取ったが、その作戦についてはティアナ達の勝利とは別に隊長達の間で物議をよんでいた。
囮作戦のようなものは認められないと主張するなのは、フェイト。それに対して虎穴にいらずんば虎子を得ずと反論するヴィータとシグナムという構図である。反省中の恭也が議論に加わっていないため、隊長陣は真っ二つなようだ。議論に決着が出るまで待機という指令が出てから既に十分が経過しているが、白熱した議論は収まりそうにない。
「スバルとエリオは大丈夫でしょうか」
「今日一日は動けないかもしれんが、命に別状がないことは保証する」
やった俺が言うのも何だが……と恭也は淡々と答えた。無表情なのはいつもの通りだが、ティアナには恭也がしょぼーんとしているように見えた。いつにないその光景に、ティアナの心はときめく。憂いのある表情が、また良い。いつまでも見つめていたいと乙女な感情がティアナの心を支配するが、脇を突付くキャロによって現実に引き戻される。
どこか呆れた様子のキャロに咳払いを一つ。
「恭也さんはどう思いますか? その、今日の私達について」
「俺は良かったと思うが」
「なのはさん達があっちでエキサイトしてるんですが……」
「主義主張の違いはあるだろう。安全を考えるなのは達の言い分も解らないでもないが、俺はヴィータやシグナムと同じ意見だ」
「何故、と聞いても良いですか?」
「決まってる。お前達が俺に勝ったからだ」
「勝てば全てが許されると?」
「俺たちの背中には地上と、そこに暮らす人々の命がある。任務を達成するのは最低限のことだ。管理局員であることに恥じない範囲で、俺たちはあらゆる手を尽くさなければならない。好んで危険に飛び込むのではあれば俺も注意警告をしたろう。事実、エリオが無謀な特攻をしたのだと判断した俺は、ああなってしまった訳だしな」
ここで、恭也は苦虫を噛み潰したような表情をした。十数分前の自分を思い出しているのかもしれない。すると、プレシアから笑い声があがった。デバイスが笑うという光景にティアナは目を丸くするが、慣れたことなのか、恭也は柄を軽く小突くだけに留めた。
「だが、元々ああなる予定だったのだろう?」
「恭也さんに勝つにはあれしかないと思いました」
ティアナは正直に告白する。
高速戦闘を得意とする恭也を仕留める方法をいくつも考えたが、どれも決定打に欠けていた。スバルとエリオの二人で畳み掛けることもフリードの攻撃で広範囲を纏めて焼き払うことも作戦の一つではあったが、事実恭也を追い詰めるには至らなかった。
設置した魔力弾で狙撃することもできなかった。幻覚魔法で不可視化を施した魔力弾だったが、見えないだけでは恭也の感覚を突破することはできない。それならば数で押すしかないと配置を考え、どうにか隙を突こうと手動でタイミングを狙う方法を取った。正直、これは行けるのではと期待していたのだが、スバルとエリオの攻撃の合間を狙っても恭也は難なく対応して見せた。これで手加減しているというのだから、酷いものである。
動く足がある間は話しにならない。
だから、恭也の足を止める手段がどうしても必要だった。
『命令違反を装って僕が仕掛ければ、アレは絶対に頭にきて足を止めるはずです』
人間関係にヒビの入りそうなその作戦を提案したのは、当のエリオだった。作戦立案担当のティアナは当然、エリオの言う『絶対』という部分に疑問を持った。世の中絶対なんてものは絶対にない。恭也がエリオを捕まえて足を止めてくれななければ、全てが台無しになるのだ。勝算の見出せない作戦に大事なチームメイトを危険に晒す訳にはいかないとティアナは反論するが、エリオは絶対に絶対だと太鼓判を押した。
熟慮の末、ティアナはそれを信じることにした。他にもいくつか恭也を仕留める案を考えはしたが、エリオのプランが最も成功律が高いように思えたのだ。平行して実行できる作戦を無理なく組み込み、状況に応じてその順番を入れ替える。後はそれを実行できるように参加メンバーでコンビネーションの訓練を繰り返すだけだった。
「実際にはなのはさんやフェイトさんたちの対応も考えなければならなかったので、時間全てを突っ込めた訳ではないんですが……」
「準備しているのとしていないのでは恐ろしいほどに違いが出るだろう。実際、その準備で俺に勝てたのだから、お前達の手順は正しかったということだな」
「でも、お情けで勝ったようなものですから」
「お前はそう思うのだろうが」
恭也は苦笑しながら、脇腹の傷を見せた。刃で斬られたような傷だ。対魔法処理をしているらしい、一着中々の値段のする戦闘服が損傷しているのである。模擬戦前は間違いなくついていなかったから、これは戦闘中エリオがつけた傷ということになる。
「俺が大人気なく本気を出さなかったとしても、これで有効打と処理されていただろうな。俺がイエス、なのはもイエス。俺がイエスと言えばフェイトもイエスと言うだろう。残りの二人が反対したとしても、3対2でお前達の勝ちだ」
「じゃあ、スバルとエリオはやられ損ってことですか?」
「……そういうことになるな」
汚点を指摘された恭也は、益々渋面になった。恭也の腰で、プレシアがカタカタと揺れる。声を出さずに『笑う』を表現しているらしい。デバイスにしては感情表現が器用すぎる。
「このポンコツについてはさておいておくとしてだ。ティアナにキャロ、お前たちに一つ頼みがある」
「何でも仰ってください」
キャロに先立ってティアナは答える。恭也が頼みごとをするなど、めったにあることではない。作戦について褒められたついでに、ここでポイントを稼いでおくのも悪いことではない。欲に目が眩んでいるとも言えるが、それを指摘するような野暮なキャロはいない。
「スバルとエリオが起き上がったら、風呂に誘ってやってくれないか?」
「……理由を聞いても良いでしょうか」
何でもと言った矢先ではあるが、ティアナは恭也の言葉に僅かに警戒心を持った。恭也は男で、自分たちは全員女だ。風呂に入るのはいつものことだが、態々誘ってくれと言われると裏を感じざるを得ない。まさか覗きでもするつもりなのでは、という疑いすら持ち上がってくる。ばっちこーい、と言えないのが乙女の辛いところだ。
キャロも同じことを思ったようで、警戒心を持った乙女二人は恭也から距離を取った。何を口にした訳ではないが、態度は口ほどに物を言ったようで、恭也は自分たちが何を思ったのか、瞬時に理解した。頭痛を堪えるように額を抑え、大きく溜息を吐く。
「疚しい意味はないからな」
「解ってますよ。もちろん」
「……まぁいい。スバルとエリオなんだが、手加減をあまり考えずに思い切り打ち込んでしまったからな。大きな怪我になっていないというのは確信しているが、跡になっていないとも限らん。お前達にはそれを確認しておいてもらいたいのだ」
「なんだそんなことですか」
「そんなことと言うが、大事なことだ。傷は勲章だというなら話は別だが、女性なら好き好んで身体に傷はつけたくないだろう」
「じゃあ、スバルかエリオに傷がついていたとして、それが治らないものだったら恭也さんは責任を取るんですか?」
口にしてから、意地悪な質問だとティアナは思った。案の定、恭也は難しい顔をして黙ってしまう。キャロがわくわくした表情で恭也を見つめている。幼いキャロではあるが、やはり女の子。こういう話題はそれなりに好物なのである。
「そういうことには向こうの意思も必要だ」
「確かに、職場結婚とかすると気まずいかもしれませんね」
「お前まで冗談を言うようになったら俺は誰と話せば良いんだ……」
その答えは誰にも解らなかった。
結局、午前だけでは隊長達の討論に決着は出ず、ティアナたちの扱いは保留となった。スバルとエリオは医療室に担ぎ込まれ、午後一杯は出てきそうにない。一週間昼食奢りの権利でランチだけは豪華になったが、隊長達の雰囲気が険悪なせいであまり味はしなかった。
それならば午後は……と期待したが、討論が長引いたせいでなのは達は不参加。担当になったのは手の空いていた恭也である。憧れの人の専属指導にティアナの心はときめくが、スバルとエリオならばともかく後衛担当の自分やキャロに、恭也の直接指導は地味に活かし難い。
それは恭也も分かっていたようで、整列するチームの異なるフォワード二人と一匹を前に、困った顔をして頭をかいていた。
「訓練内容は自由となのはには言われてきたんだが……戦術討論でもするか」
「でしたら、午前の模擬戦の検討をしませんか?」
「それはなのは達がやっている訳だが、まぁ良いか。きっちりレポートに纏めて突きつけてやるのも悪くない」
くくく、と恭也は邪悪な笑みを浮かべる。その模擬戦の内容で討論しているなのはに態々レポートを突きつけるなど、ティアナからすれば正気の沙汰とは思えないのだが、恭也にすればこれも遊びの延長なのだろう。管理局の白い魔王と恐れられる高町なのはに遠慮なく突っ込みを入れることのできる人間は、管理世界広しと言えども、恭也をおいて他にはいない。
「では最初から行ってみよう。スバルとエリオの言も欲しいところだが……それは後で良いか。どういう意図があって指示を出したのか、作戦立案者の立場から詳しく頼む」
「了解です」
テストを採点される生徒の気持ちで、恭也の前に立つ。周囲には既に気を利かせたクロスミラージュが、前日までに使っていた資料を展開してくれている。
本番よりも緊張している自分を自覚しながら、ティアナは憧れの人を前にプレゼンを始めた。