静かな午後は警報と共に破られた。

 緊急を告げるそれに部隊長室での仕事を切り上げると、はやてはリインを伴って作戦室へ向かった。移動の間にも逐次状況報告を続けるグリフィスの声に返答しながら作戦室に着く頃には、現在隊舎に残っている主要メンバーは全て揃っていた。

 副隊長であるグリフィスに、オペレーターのシャーリー。フォワード分隊長であるなのはにフェイト、夜番責任者のクイントに美由希までいる。他、呼んではいないがアルフとザフィーラも部屋の隅で待機していた。彼女ら全員が自分の言葉を待っている。はやては気を引き締め、大きく息を吸った。

「郊外の飛行型ガジェットについては、なのはちゃんに。後から私も行くけど、先行して対処を頼むわ」

 了解、と答えてなのはが部屋を飛び出していく。飛行魔法の使用許可は既に取得済みだ。なのはのスピードならばほどなくして、迎撃地点に到着するだろう。

「シャマルはもう出発したん?」
「恭也さんからの要請を受けてすぐ、ストームレイダーで発ちました。ヴァイス陸曹も一緒です」
「そうか。保護した女の子とレリックについて分かったことは?」
「レリックについては、地下に他にもレリックが存在するらしいということ以外は。少女については教会の騎士カリムから、こちらで把握している行方不明者に合致する可能性あり、という情報が寄せられています」

 そうかー、と大したことでないように聞き流すがはやては内心で舌打ちをしていた。態々そういう情報を寄越すということは、例の人造魔導師絡みということだろう。ここにいるほとんどの人間が『事情』を知っているが、部隊室でのやりとりは記録に残る。今の時点で事態を把握しているという言質をどこにも与える訳にはいかない故の隠語たが、その一言がはやての思考を乱した。

 それほど重要な少女ならばレリックよりも優先して確保に動いてくる可能性がある。今回はレリックを優先するにしても、いずれ、となれば少女を何処に置いておくかという問題が持ち上がる。地上本部を信用できない以上、クラナガンの施設に預けることはできない。かと言って本局方面まで移送するのも、六課の目が届かず考え物だ。

 少女の安全を考えるのならばこの六課施設で預かるか、さもなくば聖王教会でカリムの信用筋に預けるしかない。カリムは信用できるし、カリムが信用するというのならばその連中に限っては教会勢力も信頼できる。

 しかし、六課の目が届かないという点では、教会も本局と似たようなものだ。はやての立場からすれば、預かるとすれば六課施設というのが当面は最適のように思えるが……

 そこまで考えてはやては思考を切り替えた。それが最適となれば、今考えるのはそこまでで良い。今後のことは、今の事態を打開してから考えるべきだ。

「女の子と一緒にレリックも回収したら、そのまま大急ぎでこっちまで戻ってくるように伝えてな」
「了解です。後、キャロから連絡がありました。後30分ほどで到着の予定です」
「急がず慌てず、でもちょっとだけ急いでって伝えてな」

 無限書庫に行っていたキャロは、フォワードの中では一番遠い位置にいる。司書長であるユーノが転移魔法で送ってくれるのならばもっと早い時間で到着できるのだろうが、本局施設は転移魔法に関するガードがかかっているため、ポートを使うのがクラナガンにやってくる一番の近道である。

 転送ポートはクラナガンの中心部にもあるためそこからならば現場にも近いが、キャロの仕事はエリオと一緒に本部待機である。街中でフリードを使って飛ぶ許可はよほどの緊急時でなければ降りないため、移動は車となる。三十分というのは妥当な時間と言えた。

 外からの敵と、クラナガンのレリック。どちらにも手を打たなければならない。

 レリックに関しては恭也とすずかが地下に向かい、近くにいたスバルとティアナが少女を保護している。ゲンヤを仲介して、地上勢力による周囲の警戒態勢も整いつつある。準備としては万全だが、物が物だ。イレギュラーが出てこないとも限らない。恭也の実力を信頼していない訳ではないが、戦力投入はまだ必要だろう。

「シグナム副隊長から通信です」
「つないでや」
「現在、シスターシャッハと共に移動中なので不安定な環境にあるため、文書での提案です」

 どうぞ、と集まった人間全ての前に、シグナムの文章が表示される。

 それによれば、シグナムは現場に急行する準備があり、シャッハの協力についても教会側と話がついているとのことだった。教会の人間であるシャッハが管理局の任務に参加することについては外から文句を言われる可能性があるが、話がついているということは、教会がこの件に関してフォローをしてくれるということでもある。

 それでも突付かれることは変わりないだろうが、今は緊急時である。戦力は喉から手が出るほど欲しい。

「シグナムは現場に急行、スバルとティアナに合流。シャマルがつくまで少女の警護。少女をシャマルに引き渡してからは、現場待機。地下への突入は恭也さんの指示に従ってな。こっちからは」
「あたしが行くよ。新人どもの面倒もみねーといけねえしな」
「そうか。なら、ヴィータにお願いしようか」

 おう、と短く答えてヴィータは部屋を出て行く。視線を巡らせると、不満そうななフェイトが目に入った。なのはが外的の対処に向かいはやてがその後詰。シグナム、ヴィータがクラナガンに向かうとなると、手の空いている昼番フォワードの隊長格はフェイトしかいなくなる。エリオとキャロの本部待機は決定しているため、必然的にその指揮はフェイトが采ることになるだろう。

 要するに、留守番が確定したのだ。仲間が働いているのに自分は待機という状況に苛立ちばかりが募っているようで、足元はカツカツと小さく床を打ち鳴らしている。相当ストレスを感じている証拠だ。

「安心……って言葉を使って良いのかどうか分からんけど、これで終わるってことはない。本部待機の人達も、気は抜かんといてな」
「あ、うん。別に気を抜いてる訳じゃないんだ」

 大丈夫だよ? と不安そうに言い含めるフェイトは、思わず苛めたくなるほどに可愛らしい。今の年齢でこれなのだから、年端も行かない少女だった頃にこういう顔を何度もされただろう恭也は、一体どれほど葛藤したのだろうか。その精神力には驚かされるばかりである。

「何か心配事でもあるん?」
「うん。恭也のことなんだけどね」
「あー、恭也さんのことかー」

 いつものことやなー、と内心思ったが、口には出さない。フェイトは恭也の話を始めると長いのだ。

「で、恭也さんがどうかしたん?」
「何か嫌な予感がするんだ。私にとって何か良くないことが起こるんじゃないかって」

 恭也の話をしていたはずなのに、フェイト本人の話になってしまった。はやてはおや? と首を傾げる。いい間違えたのかと思ってフェイトを見るが、彼女は真面目な顔をしたままだ。美由希やクイントに助けを求めても、首を横に振るばかりである。

 さてどうしたものかとはやてが少しだけ途方に暮れていると、通信を担当していたシャーリーから報告が入った。

「地下探索に向かった恭也さんについて続報です。地上部隊の方から援護を回してもらうことになりました」

 フェイトの肩がぴくりと震える。何となくオチが見えてきたが、はやては代表者の責任として、その先を促した。

「ちなみに、誰が援護に向かうん?」
「108隊のギンガさんです」
「はやて!」
「気持ちはわからんでもないけど、あかんよー」

 代用の人員を当てることは、外部から突付かれる要因にもなる。指揮はフェイトでなくとも、例えばクイントであっても可能であるが、可能な限り本来のシフトで運用しなければならない。

 その方針に沿うならば、フェイトの代わりが勤まるのはシグナムしかいないが、彼女は今シスターシャッハを伴って現場に向かっている。シグナムを呼び寄せることもできなくはないものの、あくまでシグナムを送り届けたついでに協力してくれるという体のシャッハに空振りをさせてしまうことになる。

 人材とチャンスの無駄遣いができるほど、六課は環境に恵まれている訳ではない。恭也コンのフェイトには悪いと思うが、これも仕事と諦めてもらうより他はなかった。

「その代わり、何か状況に変化があったらすぐに出てもらうから。エリオ達も一緒に、すぐに出られるようにしておいてな」

 了解! という言葉を言うが早いか、フェイトは司令室を出て行く。いても立ってもいられないというあの様子では、大方外に準備運動でもしにいったのだろう。不倶戴天の敵であるギンガが恭也の近くに行くと解っては恭也コンの血が疼くに違いない。

 援護に出せるかは後の展開にも寄るが、ここで不満を爆発させられるよりは外で大暴れされた方がマシである。尻拭いは時間的にエリオの役目か。

 彼女にとっては良い迷惑だろうが。隊長の面倒を見るのは部下の役目とも言える。エリオから見てフェイトは姉的存在でもある訳だから身内でもあった。身内の世話くらいは身内でするべきなのだ。

 というか、恭也関係でテンパっているフェイトに、係わり合いになりたくない。

「さて……残りの人は隊舎で待機でお願いします。アルフさん、本当に『もしも』の時は転移魔法での送り迎えをしてもらうことになりますんで、よろしくお願いします」

 あいよ、と軽く答え、狼形態のままアルフは去っていく。フェイトの番にでも行くつもりなのだろうか。フェイトの使い魔である彼女は
魔導師ランク制限にひっかからないようにするため、局員登録されていない。六課の人員であるのに局員ではないから、明確な仕事は割り振られていないのだ。

 ユニゾンできるというユニークスキルのために、なんとなくはやての補佐という仕事を割り振られているリインとは、随分な違いである。おそらく彼女が、ザフィーラと並んで六課で最も暇な人材と言っても良いだろう。隊長であるはやてでも、彼女が普段何をやっているのか全然知らなかった。

「アルフさん、いつもなにやってるんでしょーか」
「恭也の近くをうろうろしてることが多いような気がするよ。私、一緒にご飯食べてるところ何度か見たことあるもの」
「というか、あの人恭也くんの使い魔じゃなかったの?」
「無駄にラブラブしてますよね、あの二人」

 どうやらあの人は知らないところでいちゃいちゃしていたらしい。彼氏がいたこともできる予定もない処女としては、身近でいちゃつかれるというのはイライラさせられることこの上ない。

 しかも、アルフは恭也の身内だ。仮に二人がくっついたとしても、家族は増えないのである。それは何というか、非常に勿体無い。どうせなら家族の輪が広がってくれた方が、面白おかしいし、皆も楽しい。

 具体的には八神家の誰かを貰ってくれないかと思うのだが、シグナムもシャマルも一時期ほどがっつかなくなってしまっていて、恭也の嫁レースではフェイトやギンガに大きく遅れを取っている。飢えた狼のように迫ってしまえばあのおっぱいだ。実は巨乳好きそうな恭也ならば落ちると思うのだが、昔ほど上手く行っている様子はない。

 仲が冷えている訳でもなさそうだ。距離感はむしろ、近くなっている気さえする。家族であるはやての目からみても、思わず胸が高鳴るような、艶めいた表情をすることがある。二人のあの表情は、きっと恭也にしか引き出せない。

(ああいうのが、大人の関係いう奴なんやろうか……)

 私も良い人みつけんとなー、と心中で一人ごちる。若い身空で彼氏の一人もいない自分が、何だかとても空しくなった。



















 地下道は最悪の一言に尽きた。

 空気はじめじめしているし、何より臭いが良くない。スカートを裂いた時点で一張羅としての機能は諦めていたが、地下特有の臭いはすずかの少女としてのプライドをがりがりと削っていた。

 地下道にいる間は良いだろう。ここに居る間はどこの誰でも等しく同じ臭いだ。

 だが、これで地上に上がり周囲の臭いが普通になれば、自分からこういう臭いがすることを恭也に知られてしまう。恭也と別れて地上に上がらない限りそれは確定された未来であるだけに、暗がりで恭也と二人きりという、昨晩のうちに妄想した中でもおよそ考えうる限り最高のシチュエーションにあっても、すずかの心は晴れずにいた。

 恭也の後について油断なく周囲を警戒しながらも、すずかはそんなことを考えている。恭也の背中は相変わらず頼もしい。この人がいれば自分はいらないのでは、という思いすら抱かせる。少女らしい時期の多くを鍛錬に費やし普通と呼ばれるには憚られるような実力を得た今であるからこそ、恭也の異質さが分かるようになってしまった。

 恭也は個人で戦うことを前提とする。必要に迫られて連携をすることはあるが、連携の本質である実力以上のものを引き出すということができるのは、すずかの知る限り美由希だけだ。戦時における恭也を理解するということに関して、美由希は他の女性の追随を許さないところにまで達している。

 それは恭也も同じらしく、コンビで戦う時二人は打ち合わせなどしない。一緒にいるだけで、次に相手がどう動き、自分がどう動くべきなのかを言葉ではなく感覚で理解していた。

 その域にまで達するとその感覚を日常生活にまで持ち込むことができるらしく、二人でいる時の彼らを見ると長年連れ添った夫婦のように感じることがある。

 恭也に恋する乙女としては羨ましい限りだが、連れ添い過ぎて遠慮がなさ過ぎ女性としての扱いが雑になっている感も否めない。

 お姫様のように大事にされるか、美由希のように気の置けない扱いをされるか。どちらが良いかというのは、個々人の好みに寄るだろう。すずかも美由希が羨ましいと思う反面、大事にされていると態度で感じることのできる今の扱いも、それはそれで良いと思うところがあった。

 いずれにしても、敵は強大である。詰められる時に差を詰めておかないと、最終的な勝者になることはできない。そろそろはんぶんこくらいで妥協できるパートナーでも見つけるべきだろうか。

「すずか、待て」

 分配に応じてくれそうな人間を脳裏にリストアップしていると、恭也に呼び止められる。敵襲か、と周囲の気配を探るがそれらしいものは感じられない。レリックらしい反応も同様だ。探査用の簡易デバイスにはレリックのデータを打ち込んであるが、やはりそれらしい反応はない。

「どうかしましたか、恭也さん」
「援軍だ。合流して行動しよう」

 援軍? と首を傾げると同時に、モーターの駆動音が耳に届いた。それが段々と大きくなっていくにつれ、その人間の気配まで感じ取ることができるようになる。覚えはないが、似た気配を感じたことがある。人間に近いが完全に人ではない気配。それでいて味方であり、地下に来ているとなると、心当たりは一人しかなかった。

「ギンガ、こっちだ!」

 恭也が声を挙げると、モーターの駆動音が一気に加速した。疾走を通り越して爆走な音を引き連れて角を曲がって飛び込んできたのは、同僚クイントの風貌を色濃く残した少女だった。

 薄暗い地下にあっても見劣りしない風貌に歓喜を滲ませ、胸に飛び込むくらいの勢いで角を曲がってきたギンガは、恭也の他に人間がいることに気づいて、急停止する。

 暗がりの中、ギンガの瞳がすずかの身体を上から下までさっと眺める。その目には隠しきれない敵意が覗いていた。眼前の人間が敵かそうでないのか見定めている……という雰囲気ではない。その視線の鋭さから、敵でない可能性は頭から排除していることは感じ取れた。敵であるのならば、どの程度の敵なのか。ギンガが考えているのはそのレベルのことである。

 恭也と一緒にいること。風貌などで、自分が誰であるのかくらいの察しはついただろう。自分の扱いがどうなるかは彼女の嗅覚次第だ。

 数瞬の観察を終えたギンガは……にこりと笑みを浮かべて、手を差し出してきた。

「はじめまして、ギンガ・ナカジマ陸曹です」
「月村すずかです。こちらこそよろしくお願いします」

 躊躇いながらも、その手を握り返す。壮絶な握力で手を握りつぶしてくるという古典的な嫌がらせがすずかの脳裏を過ぎったが、ギンガは普通の握力で普通に握手を求めてきた。

 フェイトからは不倶戴天の天敵と聞いていた。どれほど強烈なキャラなのかと内心では警戒していたが、こうして握手してみる限り実に礼儀正しい美少女だ。スバルの姉なのにどこか清楚な雰囲気が地下でも眩しい。

「お前が援軍ということか」
「レリック発見に伴い、この近辺は管理局員が配され交通規制も始まっています。地下突入には先行人員として私が、必要なら戦力を追加することもできます」
「どれくらいの数だ?」
「うちの部隊からとりあえず15人。今他の部隊にも声をかけている途中なので、もっと増やせると思います」
「敵対勢力の高位魔導師と戦闘の可能性がある。密閉空間で多人数は逆に不利だ。突入はしばらく待ってもらえ」
「了解です。そのように伝えます」

 やりとりはそれで終わった。音声ではなく文書で今の内容を地上の部隊に伝えると、ギンガはローラーデバイスを消して恭也の後ろについた。戦闘が恭也、真ん中がギンガ、最後尾がすずかという配置である。

 相談も何もなしに自分の位置を理解したギンガに、すずかは内心で舌を巻いた。美由希と三人の時には、そこは自分がいる位置だったからだ。ブレイド分隊では三人で行動する場合、最も実力で劣るものがその位置にいることになっている。

 恭也の近くが良いと思っての行動と考えられなくもないが、特に恭也が口を挟んでいないところを見るに、ブレイド分隊の方針、というよりも恭也がいつも、どのように仕事をしているのかを理解している風だった。

 自分の実力が劣っていると認めるようなものである。普通ならそこに不満の一つも見え隠れするものだが、ギンガにその様子は見られない。恋敵が近くにいるというのに、中々デキた少女だと感心する。

(フェイトちゃんがいたら、そうでもなかっただろうけど……)

 恭也コンのフェイトのことだ。恭也絡みでは何をするかわかったものではない。流石に仕事中に地下道で恋敵と乱闘するとは思いたくないが、フェイトならやりかねないという思いがどこかにあった。

 その危うさが、ギンガからも感じ取ることができる。結局は、似たもの同士なのだ。恭也が絡まなければ二人はきっと良い友達になっていただろうと思うと、勿体無い気もする。

 周囲に気を配りながら、地下道を進んでいく。地下道そのものは広大だが移動してきたのが少女であることを考えると、その範囲はそう広くはない。

「地図によれば、この先は広場……のようなものになっている」

 恭也が事実だけを端的に告げる。狭い場所で戦い難いのは敵も味方も一緒だ。迎え撃つにはある程度広い場所が必要である。敵の目的がレリックの確保だけならば少女を見つけてから動き出したこちらよりも先にレリックを回収し離脱している可能性は高いが、何らかの目的で戦力を残している可能性も否定はできない。

 何しろ、敵対勢力は謎が多く強大だ。管理局の、それもレリック事件に関して対応している部署の戦力を削ることは、彼らにとってプラスに働く。地上で万全の布陣である機動六課を相手にするよりも、地下道という閉鎖空間で少人数という今回は、敵からしてみれば迎え撃つのに絶好の機会だ。

 戦闘は起こるものだ、くらいの覚悟ですずかは歩みを進めていた。恭也とギンガの背中にも緊張が走る。ゆっくりと進んでいき、やがて広場に出た。恭也の宣言したとおり、そこは地下道にしては広大なスペースである。入り口は二つ。自分たちが入ってきたのと向かい側に設えられており、距離にして中間、左右両方に梯子が据えつけられている。

 その右側の梯子の脇に、トランクがあるのが見えた。デバイスに何の反応もないが、そこにあるのは間違いはない。

「恭也さん」

 声をかけて、指でそちらを示す。気配察知の鋭さについては恭也に及ばないが、暗闇での視力ならばすずかに分がある。部下に先に発見されてしまったことにバツの悪そうな顔をする恭也だったが、すぐに気を引き締めて、全員でそちらに移動するように指示を出す。

 トランクは梯子のすぐ脇に落ちていた。恭也が確保をすると、すずかはギンガと一緒に周囲を警戒する。トランクに何か仕掛けがないか検査できるのは、恭也のプレシアだけなのだ。

 やがてプレシアの走査が終わると、恭也がトランクをそっと開ける。

 果たして、中にあったのはレリックだった。資料で見たものと同じ形をしており、ロストロギアらしく手に触れなくても魔力を感じる。

「プレシアによれば本物のようだ」
「一安心ですね」
「ああ。だが、捜索は続行だ。レリックがこれ一つとは限らんからな」

 恭也はトランクの蓋を閉め、苦い顔で告げる。言い出したら永遠に探し続けなければならないが、初期の段階で可能性を潰しておくのは重要なことだ。

 とは言え、確保した物を持ち歩き続けるのも効率が悪い。このレリックは誰かが地上まで持っていかなければならないだろう。個人で持っていても良いが、この後は地上で待機している局員を連れてより広域を捜索するというのであれば、小休止の意味も込めて全員で戻るのもアリだ。

 この場で一番偉いのは恭也であるから、判断は恭也に委ねられる。

「……一度戻って体勢を立て直そう」
「良いのですか?」
「潜るにしても準備があった方が良い。ギンガはともかく、俺もお前もいきなりだったからな。最低限の目的は達成できたのだから、小休止をはさんでも良いだろう」

 それで方針は決定した。レリックのケースはギンガが持つことになり、梯子から地上に出ることが決定される。梯子を上る順番は、すずか、ギンガ、恭也の順番だ。一番強い恭也が殿を務め、地下の敵に警戒する。

 地下に長居はしたくない。後続のギンガに視線を送ってから、梯子に手をかけ――

 梯子を蹴って思い切り地面を転がった。対応の遅れたギンガは恭也が地面に引き倒している。三人が飛びのいた次の瞬間、魔力弾が梯子に殺到した。梯子は吹っ飛び、地下に爆風が吹き荒れる。

 煙によって視界が遮られる。爆音にやられて耳も酷い状態だが、攻撃の気配だけは察知することができた。その感覚だけを頼りに、煙の向こうから飛来する魔力弾を避け続ける。ギンガが対応できているのか心配だったが、あちらには恭也がいる。彼ならば何とかするだろうと割り切り、自分が生き残ることだけに専念する。

 魔力弾が止んだのを見計らって腕を振るう。巻き起こされた風によって煙が張れると、魔力弾によって酷い有様になった地下の広場に別の人影が現れていた。

 黒いライダースーツのような光沢を持つ服に黒いマント。頭には黒いキャップを目深に被っていて顔をうかがい知ることはできないが、線の細さとアップにされた金髪から、少女であると推察する。

 彼女が、敵対勢力の魔導師だろう。それも、こちらの素性を確認するよりも先に攻撃をしかけるような、非常に好戦的な魔導師である。

 実力もかなりのものだ。攻撃される直前まで恭也が反応することができなかった。今も正面に相対しているのにそこにいないかのような存在感の希薄さを感じている。それは自身の魔力についてだけでなく、存在までも隠蔽する技術を得ているということだ。テスタ式の魔導師以外にこれをできる人間に出会ったことは管理世界では数えるほどしかないが、その数少ない一人の中によりによって敵対魔導師が入ることにすずかは内心で舌打ちした。

 気配が希薄ということは、それだけ相手の動きが読みにくいということだ。薄暗いせいもあって足場も悪い。暗いことはすずかにとって苦にはならないが、あくまで普通の人間である恭也には間違いなくマイナスだろう。
 
 そんなマイナスの中でレリックを確保したまま、敵対魔導師を無力化しなければならないのは、如何に恭也と言えども難事のはずだ。

「俺は時空管理局機動六課、ブレイド分隊分隊長、恭也・テスタロッサ准海尉だ。現在、ロストロギア及び、敵対魔導師の捜索中だ。貴女がもし管理局員であるのなら、所属を述べてほしい」

 事務的に恭也が問う。本当に管理局員であると考えているのではないだろう。プレシアを展開して柄に手を置き、ゆっくりと距離を詰める恭也の背中からは、視認しかねないほどの殺気が迸っていた。

「管理局員ではないよ。所属はどこって言われるとちょっと困るかな。組織名とかある訳じゃないし……悪の手先? まぁ、お兄さんの敵であることに間違いはないよ」
「ならば、管理局員に対する攻撃及び、ロストロギアの不法所持の疑いでお前を拘束する。大人しく縛につけ」
「うわ、初めて言われたよそんな台詞。でも縛につけって何か背徳的な感じがしてゾクゾクしない?」

 軽い口調の少女に対し、恭也は距離を詰めていく。一足一刀の間合いに、後二歩、一歩。

 踏み込んだ瞬間。世界から恭也は消えた。次に現れたのは少女の背後だ。少女の周囲から火花が散る。都合、五回。少女はかすり傷一つ負っていない。

「丸腰の女の子に切りつけるなんて、酷いお兄さん」
「無傷で立っているお前に言われたくはないな」

 話しつつも、恭也の右手が翻る。額を砕くほどの速度で放たれた飛礫は、少女に当たる直前、不可視の壁に当たって弾かれた。

 かつ、かつ、と地下道を小石が転がる小さな音を聞きながら、すずかはそっと動き出した。恭也を援護するべく、加速する。すずかが走り出すのを待って恭也も神速を発動した。常人では捕らえきれないはずの速度の中、年端も行かない少女を多角的に、それも本気で攻撃する。恭也が突く、すずかが殴る。恭也が斬る。すずかが蹴り飛ばす。

 そのどれもが人間の身体を両断し、粉砕するほどの一撃だった。敵対存在とは言え、バリアジャケットすら発動していない少女に対して放つ攻撃ではない。その攻撃が二人合わせて15回。単純計算で、人間を十五回殺すことのできる猛攻に晒された少女は、眉一つ動かすことなく、また、その場を一歩も動くことはなかった。

 プレシアが、拳が、少女に触れる直前、不可視の力によって阻まれる。局所的なシールド。攻撃だけを受け止める最低限の領域しか持たないそれで、少女は数瞬のうちに放たれた全ての攻撃を受けきった。

 加速を解いて、ギンガの元に合流する。恭也の頬を、汗が伝って落ちるのが見えた。

「お兄さんもそっちの巨乳のお姉さんも、優しいんだ。もっと本気でやれば、今ので私を殺せたかもしれないのに」

 言葉の内容よりも、自分を指して真っ先に巨乳と表現されたことに、内心イラっとした。

「俺たちの仕事は犯人の捕縛であって抹殺ではないからな」
「凶悪犯なら生死を問わずにならない?」
「お前が凶悪かどうかはまだ判断の分かれるところだ。それに、そういう悪人ならば殺して良いという考え方を、俺は好かん」
「立派だね、お兄さん」
「俺からすればこれが普通だ。生殺与奪は慎重にやるべきで、力を持つものはその責任のあり方についても考えなければならない。非殺傷設定だからと気にせず大きな力を振るうことには、常々思う所がある訳だが……いや、ここでお前相手に議論することではないな」

 話が逸れたことに気づいた恭也は一度大きく息をついて、少女に視線を戻した。

「それしかないようだから全力で行かせてもらうが、ここから先は死ぬことも殺すことも覚悟してもらうぞ」
「そんなの最初からしてるよ。良かった。お兄さんが殺せない人だったらどうしようかと思ったけど、その感じならちゃんとやってくれそうだね。十年近く待ったのに今が食べごろじゃなかったら怒るところだったけど、安心した」

 うんうん、と少女は大きく頷き、腕を大きく掲げた。

「せっかくのお兄さんとのバトルなら、こんな暗いところじゃ興ざめだよね。場所を移すよ」

 不味い、と感じることができたのは日頃の訓練の賜物だろう。恭也と視線を合わせることなく共に駆け出し、少女に攻撃しようと試みたが、少女の動作が完結する方が速かった。動作は一つ。指を打ち鳴らすだけ。

 ただのそれだけで地面が光を発し、周囲の空間が歪み始める。

 転移魔法。それも個人を対象としたものではなく、空間まるごとを対象にした広域の転移魔法だ。言うまでもなく高位魔法である。すずかの仲間の中でも使うことのできる魔導師は限られており、シャマルかユーノ、後はアルフくらいだろう。

 それでも、ここまで即時に発動できるかどうかは怪しい。彼ら彼女らが大がかりな転移魔法を使う時には、某かの準備を必要としていたはずだ。少女も、似たような準備をしていた可能性は否定できないが、もし、これを即時発動させたというのならば、すずかが予想していたよりもずっと、高い能力を持った魔導師ということになる。

 今の時点でも、恭也と自分の攻撃をシールドだけで捌くという離れ業を見せているのに、これ以上隠し玉があっては勝つこと以上に生き残ることが難しくなってくる。

 自分たちだけでどうにかできるのか……

 六課にきて初めて、任務達成の困難さを自覚しながら、すずかの周囲の景色は消失した。














 浮遊感に次いで、落下。実際に落ちた訳ではない。足の裏は確かに地面を踏みしめていたが、身体はどこまでも落下していくような感覚。転移魔法の酔いに苛立ちを覚えながらも、意識は事務的に現在の状況を確認し始めた。

 先ほどまで地下にいたはずなのに、今は空が見える。地上に飛ばされたのは間違いはないが、周囲にあるのは廃墟ばかりだ。廃棄区画のどこかだろうが、最悪ここがミッドチルダでない可能性すらある。壁の中に埋め込まれなかっただけありがたい状況ではあるが、戦う場所の選択を相手に握られてしまった以上、罠の只中に放り込まれることも考えておかなければならない。

 気配から、すずか、ギンガも一緒にいることは分かった。最低限の安心はしつつ、プレシアからの報告を待つ。

『現在位置、ミッドチルダ、クラナガン南部の廃棄区画ですわ。正確な座標はいりまして?』
「必要ない。それよりも六課に通信を繋いで、簡単な状況説明を頼む」

 了解しました、というプレシアの声を遠くに聞きながら、恭也は少女の姿を探した。

「ここなら自由に戦えるでしょ? お兄さん」

 距離にしておよそ20メートル。ガレキの頂上に少女はいた。黒ずくめの格好に黒いキャップ。服の中に押し込められているのか、その金髪の大部分は見えていないが、相当な長髪であるのは見て取れた。目深に被った帽子のせいで顔形の全てを見ることはできないが、高い声と細い体つきから、少女、それも十代前半であることには当たりをつけられた。

 日の光の下であると、それが一層強調される。状況からして、少女が犯罪組織に加担していること。それも、作戦を実行する部署にいることは間違いがない。管理世界のモラルについて誰かに相談したい心境ではあったが、十歳のエリオとキャロを働かせている辺り、方向性が違うだけで機動六課も似たようなものである。

 外様は辛いと思いながら、少女に向かって歩みを進める。全身に緊張を漲らせ、隙あれば首を刎ねるくらいのつもりで小太刀の柄に両手をそっと置く。

 すずかにはギンガと一緒に待機を命じた。連携という点では、すずかには若干の不安が残されている。どんな時でも戦えるようにと日頃から訓練してはいるが、獲物はないし、動き難い格好の彼女ははっきりと言えば足手まといだ。

 美由希がいれば、と栓のないことを考えながら、一歩、また一歩と一足一刀の間合いへと近付いていく。

 少女の力量は相当なものだ。行動の端々から場慣れしてないのは読み取れるが、それを補ってあまりあるほどの実力がある。

 自分とすずかの攻撃をよりによってピンポイントなシールドで防がれた時は、正直死を覚悟したものだが、こうして落ち着いてみて解ったことがある。

『あれは、魔法の一種ですわね。現在から短期的な未来予測をし攻撃地点を算出。そこに必要最低限の魔力でシールドを発生させる。そういう魔法であると推察します』
(俺にとっては、まさに天敵だな)
『見たところあの小娘本人にはそれほど負担がかかっているようには見えません。高度なプログラムを組んで高性能なデバイスに物を言わせ、本人がするのは実行直前に魔力を供給するのみ、というレベルまで簡略化しているはずです』

 言葉にすると簡単だが、それだけでもかなりの玄人仕事である。特共研のスタッフを使っても、あれだけの防御魔法を組み込んだデバイスを作り上げるのは骨のはずだ。

 それに、特化した魔法を走らせることのできる高度な演算能力を持ったデバイスは、値段も張る。先の防御魔法を十全に展開するためだけのデバイスならば、レイジングハートがダース単位で買えるくらいの金額が必要になる。

(あれをやりながら高度な魔法を使われたら俺にはなす術がないんだが……)
『ご安心ください。大部分をデバイス任せと言っても、デバイスだけで魔法は使えません。高度な魔法の負担は術者にかかっておりますので、あの防御を使いながら高度な魔法は使えないはずですわ』

 単純な魔力弾による攻撃しかしてこなかったのはそのためか。しかし、、

(転移魔法についてはどう説明する?)
『原理としては同じでしょう。最初からあの広場には小細工をされていた節があります。後は魔力を流すだけ、という状態にしておけばあの防御を行いつつも、併用は可能です』
(つまり、最初から待ち伏せされていたという訳だな)

 その間にレリックを持ち去ることもできたはずなのに、少女は小細工をしてまで自分たちを戦うことを選んだということだ。

(舐められているな)
『ええ。生意気な小娘に、思い知らせてやりましょう』

 少女の顔、瞳が赤いことまで見て取れるようになった。恭也の背に冷や汗が流れる。少女は凛然とした佇まいを崩していない。

「自己紹介を聞いていないな。本気でやりあう前に、良ければ聞かせてくれないか?」
「お兄さんを叩きのめした後に言おうと思ってたのに……お兄さん、空気読めないとか女の子に言われない?」

 あぁ……という溜息のような声が、すずか達から漏れるのが聞こえた。全面的に同意している雰囲気に恭也はこっそりと溜息を吐く。

「不本意ながら、良く言われる」
「もうちょっと気をつけないと、女の子にモテないよ?」
「今度から気をつけよう」
「でも、そういう空気読めないところもお兄さんの魅力よ。私はそういうのかわいいと思える心の広い女だから、気にしなくても良いかも」
「気遣い、感謝する」

 俺は何故敵対組織の少女に慰められているのだろうか、と自分の男性としての扱いについて疑問を感じる恭也だったが、一種緩んだ空気は、少女がキャップを外したその瞬間に凍りついた。

 金色の髪が、風に流れる。露になった赤い瞳は好奇心に爛々と輝き少女の魅力を十全に引き出していた。

「しばらくぶりだねお兄さん。私はアリシア。名字はないの。皆からはアリィって呼ばれてます」

 子猫のように微笑んだ少女は、唖然としている恭也に向けてそっとウィンクをした。

「うん、私、お兄さんのその顔が見たくて十年待ったんだから。お兄さんなら絶対に私が私なことに気づいてくれると思ったよ」

 少女、アリシアが腕を降るうと、周囲に薄い紫色の魔力弾が出現する。それは一つ、二つと加速度的に増えて行き、アリシアの周囲を隈なく覆うまでになった。

 恭也が、一歩退く。はっきりと、恐れを示す恭也に、アリシアは笑みを深くした。

 それは酷く嗜虐的で、そうであるが故に、恭也を魅了した。