「すずか、後退してギンガを守れ」
「了解しました。ご武運を」

 悔しそうに、しかしはっきりと了解の意を返すすずかに視線を向けることなく、恭也は歩みを進めた。

 一歩、二歩、三歩目を踏み出すと同時に神速を発動する。アリシアが魔力弾を放ったのは同時だった。豪雨のようなそれが恭也が一瞬前までいた場所を貫き、轟音と共にクレーターを開ける。人間が食らえば塵一つ残らないだろう、圧倒的な火力である。

 だが、喰らわなければどうということはない。攻撃をやり過ごした恭也は一瞬でアリシアに肉薄する。右の小太刀での一撃。

 それは攻撃が当たる寸前当たり前のように出現したバリアによって防がれたが、その向こうにあったアリシアの頭が衝撃に揺れる。徹を使い、バリアの向こう側を攻撃したのだ。

 向こう側を斬ることはできず、伝えることのできる衝撃もバリアによって大きく減衰されるが、神速の速度を加味すればその威力は無視できるものではない。バリアジャケットを着ていないアリシアには効果絶大だったらしく、ただの一撃で意識を朦朧とさせた感触が、恭也には伝わった。

 これで決める。

 そのつもりで放った喉元に放った突きは、しかし、バリアによって防がれた。徹に寄る衝撃は、さらにその奥に出現したバリアによって防がれたのだ。衝撃の通り道にバリアをもう一つ置かれるとこの手の攻撃は弱い。模擬戦の時、アルフやユーノは即座に実践してきたことであるが、意識朦朧とした状態でそれができるものなのか。

 一瞬の思考の間にアリシアの指が素早く動く。その指をなぞるように出現した魔力弾は至近距離で破裂した。恭也に防御する手段はない。中空を踏み切りアリシアから距離を取ってはいたが、その威力全てを殺しきることはできなかった。

 吹っ飛ばされ地面を転がる。受身は取れたが身体の節々に痛みがあった。服などボロボロだ。私服も丈夫な物を、と意識していたつもりだったが、流石に魔導師との戦闘に耐えられるような素材ではなかったようだ。決して安くはなかっただけに勿体ないと思いながら、袖を肩口から切り離す。気休め程度だが、これで少しは動きやすくなった。

 口の中に溜まっていた血をツバと共に吐き出し、両の小太刀を納刀する。

「こんなに頭がふらふらしてるの、生まれて初めてかも。女の子には優しくしないと駄目なんだよ、お兄さん」
「女の子扱いをしてほしいのなら、それらしくしてほしいものだ」
「私ほど女の子してる女の子も中々いないと思うよ? お兄さんのことが好きすぎて、ついつい殺したくなっちゃうんだから」
「愛情表現についてどうこう言うつもりはないが、率直な意見を言わせてもらうのならもう少し穏便な求愛の方が成功する確率は上がると思う」
「なら、私が愛の告白をしたら私をお兄さんの物にしてくれる?」

 軽い遣り取りの延長で答えようと恭也が口を開きかけると、背後から殺気が湧き上がった。それは恭也が振り返る頃には霧散していたが、明らかに人を殺す決意をした時の密度のそれは、どうもギンガから発せられたように思えた。恭也が視線を向けるとギンガは何か? と何事もなかったかのように首を傾げるが、この状況で何事もなかったようにいられることが異常であることに、果たして気付いているのかどうか。

「そういう発言は段階を経てするべきだ。俺はお前のことを何も知らない」
「こういう始まり方をする恋があっても良いと思わない?」
「どうも俺とお前の恋愛間には著しい乖離があるようだな。まずは友達からということで、妥協しないか?」
「私は友情も過激だよ!」

 叫んだアリシアの姿が消える。同時に恭也も動いた。神速は使わず、走りながら右腕を閃かせる。弾丸のような飛礫は、寸分違わず離れた場所に転移したアリシアを捉える。都合、三発。それはバリアによって弾かれたが、攻撃のタイミングが僅かに遅れた。

 その間に、加速する。アリシアは――動きもせず、魔力弾を作ってもいない。完全に待ちの状態になっているアリシアに、恭也は遠慮なく技を放つ。


『御神流正統奥義、鳴神』

 鞘から抜き放った両の小太刀による、超高速の連続突きである。気によって強化された身体での神速状態でのそれは、秒間百発を越える突きを可能にする。人間に、それも年端も行かない少女に放つ技ではない。もしも防御が間に合わなければタダでは済まない技だったが、恭也にはアリシアがこれを防ぎきるという確信があった。

 気を纏った刃とバリアが激突する耳障りな音が断続的に響く。攻撃を終、土煙が立ちこめる中、恭也は神速を使ってまた距離を取った。

 煙が晴れた先には、何も変わらないアリシアの姿があった。

「お前は防御と攻撃を同時にはできない」
「お兄さん、私のことバカにしてる?」

 アリシアの言葉に険が混じる。防御しながら攻撃をするのは魔導師にとって決して簡単なことではないが、それほど難しいことでもない。所謂一流と呼ばれるような人間は、必ずと言っても良いほどその技術を習得している。自分が高位魔導師であると自覚している人間にとって、先の発言は侮辱と映るだろう。プライドの高い人間ならば尚更だ。

 そしてアリシアは、プライドの高い部類に入るようだった。意図あっての発言と気づいてはいるようだが、その顔にははっきりと不快と書いてある。大人っぽく見せようと振舞っているのに、こういう所は実に子供っぽい。

「魔導師としての技能は俺が見た中でも二番目に優れている。普通にやっていればできるのだろうが、今の状態では無理だろうな」
「聞いてあげましょう」
「先の技を防ぎきったのは、あまりに不自然だった。一秒間に百発を越える攻撃を、一々受け止めるのはあまりにも非効率的だ。しかしお前はその全てを受け止めて見せた」

 魔法魔術の運用としては、明らかに無駄な行動である。細かな魔術を連続して運用するなら、大きな魔術を一つ発動させた方が魔力も労力も少なくて済む。それでもなおそういう方法に拘っているのは、そうせざるを得ない理由があるからだろう。

 アリシアが稀代の才能の持ち主であることは疑いようがない。魔力量は未知数な上、その運用方法はなのは達隊長陣を凌駕している。何より人を殺すことに魔法を用いることに躊躇いがない。およそ戦闘魔導師としてならば、恭也が見てきた中でも十指に入る腕前である。見た目どおりの年齢ならば、将来はどこまでの強さになるのか想像もつかない。

 だがそれでも、そんな才能の持ち主であっても、秒間百発を越える攻撃を任意に防ぐことができるとは思えなかった。

「二つか三つ。アレが発動するための手順があると考えた。最終的なバリアの発生はお前が行うとしても、攻撃位置についてはある程度は予測しなければならない。お前が予測のための術式を個人で運用している可能性もないではないが、デバイスを使っていると考えるのが最も現実的だ」
「そんな高性能なデバイス、あると思う?」
「試作段階でも良ければうちの部にはある。採算や用途の狭さを度外視すれば作れないものなどないというのがうちの部長の口癖なのだ」

 人格破綻者の集まりなのに、ミゼット婆さんの加護があるとは言え決して安くはない予算を?ぎ取り、何処に出しても恥ずかしくない研究成果を出し続けることのできる連中なのだ。

 どこの部屋を覗いても、企画段階、試作段階のアイデアや試作品がゴロゴロしている。分野を限定しなければ高性能のデバイスなど掃いて捨てるほど転がっているのだ。

「後はそれに連動して防御魔法を発動できるようにしておけば良い。これで不意打ちには対応できるようになる、が、強制的に発動する形になる分、他の魔法の発動がお前の基準で極端に遅れることになる。最悪、発動できないこともあるようだな」

 できない方が少なく思えるということは、アリシアの技術は想像以上に高いのだろう。これがスバルやティアナならば、同じことを小規模でやらせたとしても、自動で発動している魔法に割り込んで魔法を使うのは無理なはずだ。 

「でも、だからどうするのかなお兄さん。以外にインテリなことを言えるんだって発見できて私は胸キュンだけど、それだと私が凄い美少女だって確認できただけじゃない?」

 惚れ直した? と微笑むアリシアに、恭也は薄く笑みを返した。

「とんでもない。これを続けるのなら、俺の勝ちだと確信を持ったところだ。お前のそれは不意打ちと手数に対して強いようだが、高威力まではカバーしきれないとみた」
「勘違いかもよ?」
「なら試してみるまで」

 神速を発動する。アリシアとすれ違い様に一閃――それは、シールドに弾かれた。背後に回ると同時に、納刀――薙旋。四つの連撃もシールドに弾かれる。動きを予測されるというのは、やはり気分が悪い。アリシアは背中を向けたまま。神速の世界に対応できないアリシアは、こちらを振り向くことはできない。

 少女を背中から襲うという男としてあるまじき行為であるが、安いプライドを持ったまま勝てるような相手ではないことは、顔を見た瞬間に分かった。手加減はしない。殺してしまったとしても、後悔はすまい。

 再び、鳴神。

 秒間百発を越える連続の突きはやはり、少女の背後に出現した百を越えるシールドに阻まれた。動きを予測し、その通りにシールドを配置する。これを続けたとしてもシールドの群れを突破することはできない。神速の世界から脱する直前、恭也が本能的にそれを理解したのと同時に、彼女はやってきた。

「ぶち抜けぇーっ!!」

 恭也の背後――背を向けているアリシアには当然見えない位置から、十分な加速をつけたヴィータがグラーフアイゼンを振り下ろす。十年前、なのはのシールドを本当にぶち抜いた技が、アリシアのシールドを粉々に粉砕する。直撃コースだ。バリアジャケットも展開していない。逃げなければ本当に死ぬ。そんな状況で、アリシアはヴィータの攻撃をまともに喰らった。

 攻撃者の姿を視界に入れようと不自然に振り向いた少女の腹部を抉るように、グラーフアイゼンは直撃した。その衝撃を逃がす手段はない。古代ベルカの騎士の攻撃をまともに喰らった少女は弾丸のようにすっとび、廃ビルをいくつも突き破って飛んでいく。

 後に残るのは、原型を留めない死体か。

「どうしたよ、キョウ。いつも以上に顔が暗いぞ」

 今しがた少女をハンマーで吹っ飛ばしたことなど微塵も感じさせない爽やかな微笑みで、ヴィータが憎まれ口を叩く。シグナムほどではないが、ヴィータにも自らの力を振るって喜ぶ性質がある。ここのところ新人訓練で腕を振るう機会もなかったのだろう。久し振りに思う存分アイゼンを振り回せたことが、ストレスの発散になったようだ。

「この顔立ちは生まれつきだ」
「そうか。まぁ、お前が暗いのはいつものことだよな。で、背中でやれって言ってたからやっちまったけど、あれ誰だ?」
「アリシアと名乗った。背後関係については、本人に聞けば良いだろう」
「……やっぱお前も分かるか?」
「まぁ、あれで殺せるようなら、お前の到着を待つまでもなく俺一人で片付いていたろうしな」

 アリシアが吹っ飛んだ先には、以前彼女の気配が健在である。生きているのは勿論、今すぐ死ぬような状態でないのは姿を見るまでもなく分かった。どうやってヴィータの攻撃を防いだのか知れないが、生きている以上、防いだのだろう。

 考えても手段に皆目見当がつかなかったので、恭也は考えることをやめた。

「それで、他の連中はどうした?」
「お前何も聞いてねーのかよ……ちびっこはスバルとティアナが保護した後、シャマルが回収してストームレイダーで本部に向かってる」
「襲撃の可能性アリと伝えたか?」
「一応な。ちびっこの面倒見つつ、シャマルが対応するってことで話はついてる。最悪ヘリは捨てて、転移で逃げるっつーことになってるから、ちびっこは問題ない」
「スバルとティアナは?」
「お前が交戦してるって話を聞いて飛んできそうだったから、あたしが止めておいた。今は地上の部隊と一緒に周辺地域の封鎖と警戒をしてるよ。なのはとフェイトは空戦ガジェットの押さえ、シグナムは教会からこっちに向かってる途中に足止めを喰らった。どっちにも機人の影が見えるってのが、最新の報告だな」
「ならば、ここにも影があると考えるのが妥当なところだな」

 援護がくるべき状況で、ここに来たのはヴィータ一人。状況としては芳しくない。ここで一気に勝負を決めるのならば、後三人は援軍が欲しいところだ。それほどまでにアリシアは厄介で、強い。

「女の子に酷いことするのね」

 軽い声と共に、アリシアは再び現れた。アイゼンの直撃を受けた腹部には、大きな穴が開いている。真っ白な少女らしい腹部には傷一つない。肌を隠そうともせずに、少女は笑う。

「本当、ちょっとだけ死ぬかもと思ったわ。そっちのおねーさんも強いのね」
「おめーもな。身体に当てたのにそこまでなんともなかったのは、久し振りだよ」

 自慢の攻撃を受けて無事でいるのは、騎士のプライドを逆撫でしたようだった。ヴィータの青い瞳が、強烈な意思を受けてさらに鮮やかな青に染まっていく。

「少しは本気を出す気になったか?」
「失礼しちゃうわ。さっきまでだって本気ではあったのよ? ただ、ドクターがこれを試してほしいっているから、それにそった本気だったけど」

 懐から取り出したのは、掌サイズの金属板だった。待機状態になったデバイス……状況から察するに、先の予測演算のデバイスだろう。あれ一つでレイジングハートが幾つ買えるのか。意味のない試算をしているうちに、アリシアはそれを中空に放り投げ、指を一閃。

 放たれた薄紫の魔力弾がデバイスを打ち抜いた。塵一つ残すこともなく、高価なデバイスはこの世から消える。

「……良いのか?」

 自分の安全よりも金銭が気になってしまった恭也の口から思わず問いが漏れる。あれ一つで普通の勤め人の生涯年収を軽く越える金額がかかっているはずである。戯れに壊すのには、勇気がいる代物だ。

「いいんじゃないかしら。お兄さんの攻撃で過負荷気味だったし、壊したらまた新しいのを作れば良いんだから」
「予算のことを考えなくても良い環境というのは得難いものだということを、お前は知っておくべきだな」
「かもね。でも、そうなんだから仕方ないじゃない」

 くすりとアリシアは笑ってバリアジャケットを展開した。十年前のフェイトを彷彿とさせる袖なしのラバースーツは漆黒で、少女の発育途上の体型を晒している。引き摺るような長さのマントが風に靡いていた。そのマントで身体を隠すようにして、少女は笑う。

「本当はもっとお兄さんと遊びたかったんだけど、時間みたい。このまま続けてたら魔王様とかまでこっちにきちゃいそうだし、そしたら流石の私も勝てないもの」
「お前でも白い魔王は怖いのか?」
「一対一なら負けないけどね」

 魔導師としてのなのはの力量は管理世界にも知れ渡っている。管理局に所属する魔導師として、あの世代では間違いなく最強の一角だろう。それに勝てると断言するなど、魔導師の端くれならば冗談でもできるはずもない。

 それをアリシアは臆面もなく言ってのける。心の底からそう思っていることが分かるだけに、それを傲慢と笑うこともできなかった。

 実際、戦えばどうなるのか。指導者の端くれとして、見てみたい気もする。

「じゃあねお兄さん。今度会う時にはきっと私の虜にしてあげるから」
「話の流れで帰ろうとしているようだが……逃がすと思うか?」

 すずかをギンガの警護に回しているが、この場にはヴィータもいる。飛行魔法であれば初動さえ見逃すことがなければ自分で追いつけるし、転移魔法は発動する前にしとめることができる。特に転移魔法はピーキーだ。単純に撃てれば良いだけの砲撃魔法と異なり、きちんと発動できなければその場から一ミリたりとも動くこともできない。

 アリシアの才能については見せ付けられたばかりだが、こちらにも意地というものがある。目の前にいる敵をむざむざ逃がしたとあっては、管理局員の名折れだ。
 
「追いかけっこで逃げるのは難しいかも。だから、人質なんてとっちゃうよ。上を見て?」

 アリシアが指差すのを目で追って、絶句した。

 空に魔方陣が完成したところだった。街の一区画をそのまま覆えるほどの大規模な魔方陣である。

 魔法陣とは魔法の設計図のようなものだ。熟練した魔導師や技術者ならばそこから大雑把な魔法の方向性を判断することができる。

 つまり素人目には何も分からないということでもあるが……魔法を何も知らない素人だったとしても、魔方陣を見て判別できることがいくつかある。

 一つは操る魔法が複雑になればなるほど、魔方陣も複雑になっていくこと。

 そして、規模が大きくなればなるほど、魔方陣は大きくなるということだ。街区一つを覆えるならば、単純に街区一つに影響を及ぼすことができると考えて良い。廃棄区画に人はいないが、ここは廃棄区画の中心である。人質は自分達だ。魔法が発動するまでに術者か魔法そのものをどうにかしなければ、纏めて吹っ飛ばされることになる。

「発動まで後十五秒! それまでに私を殺せるかどうか、やってみる?」
「……一度だけだぞ。行け」
「ありがと。お兄さん、愛してるよ」

 手を振りながら、アリシアは一瞬で転移した。残りは十秒。それまでにこの街区から出なければならない。

「総員、その場から離れろ! ヴィータ、ギンガを連れて飛べ!」
「了解!」

 周囲にいる局員にオープンチャンネルで指示を出し、自分も撤退の準備を始める。空を飛んで逃げるのが一番楽で安全だが、ヴィータは二人も運べない。走る速さだけならば、すずかは恭也に引けを取らない。どちらがどちらを運ぶかというのは、考えるまでもなかった。

 ヴィータに抱えられるギンガがこちらを見ながら文句を言っていたが、そんなことに構っている余裕はない。発動までの残り時間、全力でかけ続けなければ巻き込まれる。

 廃棄区画を走る。時折神速も交えて、一直線に疾走する。それにすずかは着いてきていた。走りにくい服装で珍しく息も切らしていたが、最高速に近い速さに良くついてきている。プレシアの出したカウントダウンが視界の隅に入った。

 3、2、1。

 それがゼロになった時、本当に魔法は発動した。背後のすずかを抱きかかえて飛び衝撃に備える。天の魔方陣から降り注いだ光が、廃棄区画を薙ぎ払った。

 空爆でもされたかのような轟音と衝撃が、恭也を襲う。

 衝撃が納まった時、廃棄区画は煙に包まれていた。これが晴れるまでにはまだ時間がかかるだろう。検証しなければならないことは山ほどある。当事者の一人として、それに参加しなければならない未来に恭也は頭を抱えた。

 これだけ派手に吹っ飛ばされて、現場から何が得られるとも思えない。徒労に終わる可能性が高いが、管理局としてはやらない訳にもいかない。アリシアについても根掘り葉掘り聞かれるだろう。事件がどうこう言うよりも、それが一番心に響く。

『恭也さん、無事ですか?』
「……こちらブレイド01。ブレイド03と共に離脱に成功。レリックも無事だ」
『それは何よりです。ヴィータさんとギンガも無事と分かりました。今後の行動についてはこちらから指示しますので、少しの間その場で待機をお願いします』
「了解した。こちらからも何か分かったら連絡する」

 通信が終わると疲労感が身体を支配した。気に扱うようになって身体は頑丈になったが、それでも連続使用は応えるものだ。今すぐ風呂にでも入って床につきたいが、状況がそれを許してそうにない。

 手が空いた今の状況も、ただ一時のものだろう。

 だが、何もしなくても良い。ただそれだけの時間が、今の恭也にはありがたかった。

 大きく深呼吸をして、身体の力を抜く。服が汚れるのも構わずに、地面に腰を下ろした。すずかも、それに倣う。良い年をした人間が都市部でやる行動ではないが、服は汚れに汚れていたし、周囲も酷い有様だ。廃棄区画から海の方に逃げてきたこともあって、周囲の視線もない。誰も咎めはしないと分かると、気を抜くこともできた。

「膝枕でもしましょうか?」
「気持ちだけ受け取っておこう。流石に、そこまでは気を抜けん」

 お互いに苦笑を浮かべあって、地面に背中を預ける。それだけなのに、妙に気持ちが良かった。


















「廃棄区画いうこともあって、巻き込まれた人はゼロ。地下道ごと吹っ飛ばされたこともあって、証拠が出てくる見込みも薄いと、これからは捜査のレベルを一段階下げるいうことになりました」

 アリシアが魔法で廃棄区画を吹っ飛ばしてから約一日。それから恭也達は一睡もせずに捜査に協力した。特に破壊行為を行った魔導師については厳しく聴取されたと言っても良い。実行犯の顔を見た人間がほとんど六課の人員というのが気に食わなかったのだろう。聴取をする地上の局員の態度は決して良いものとは言えなかったが、それを責める気分になれなかった恭也は大人しく話せることを全て話し、渡せる映像は全て提出した。

 108部隊主導の現場検証にも立会い、六課に戻ってからは報告書の作成。簡単な会議を何度か繰り返し、簡易的な事務処理に全てが片付いた時には、丸一日が経過していた。事件に立ち会ったすずかも同様である。彼女は立場も低いが持ち前の体力もあり、よく協力してくれた。

 元々ブレイド分隊は補充の側面が強く、シフトも割りと自由にずらせること環境にあったからこそできた芸当である。その分、正規の仕事については美由希に皺寄せが行ってしまったが、美由希も文句を一つも言うことはなかった。

 今が非常時だということは、皆解っているのだ。

「まずは皆さん、ご苦労様です。でもこれで一つ山を越えました。休める人はしっかりと休んで、今日以降の捜査に備えてください」

 休める人に、という言葉に集まった面々が苦笑を浮かべる。非常時だろうと平時の仕事を疎かにはできない。ただでさえ人手不足の管理局、機動六課だ。疲れているからと言って休めるような優しい職場ではないのである。

「さて、ではこれが休息前の最後の会議いうことになります。まずはこちらから報告を。シャーリー?」

 はやての言葉を受けて、シャーリーが投影モニタを展開する。表示されるのは昨日交戦した連中の映像である。なのはとフェイトが戦ったという空戦ガジェットに、シグナムとシャッハが戦ったという戦闘機人達。ガジェットについては今まで見たどのガジェットよりも洗練されたフォルムとなっていた。

 おそらく、新型なのだろう。見れば、動きも今までより格段に良くなっている。相手の技術も進歩しているということか。

 そして、戦闘機人である。シグナムとシャッハが相手にしたのは四人の機人だった。全員が同じラバースーツに身を包み、番号の振られた金属輪を首から下げている。V、X、Z、\。いずれも近接戦闘を得意としているようで、連携と多勢によってシグナム達を苦しめていた。

「こっちの二人には見覚えがあるわね……」
「ええ。あの時、空港で戦った連中でしょう。背の高い方はトーレと名乗っていましたが。察するに、他の連中は姉妹機でしょうか?」
「首の番号が名前になってるなら資料の作成も楽そうね」
「俺は番号を名前にするという習慣は、どうも好きません」

 そうやって付けられた名前を死ぬほど嫌っていた女性のことを思い出す。同じ顔をした女性は今、科学者として自分の傍にいるのだから皮肉なものだ。

「それは私もよ。でも、空いた部分にも人員がいるのなら、最低でも九人の機人が相手方にはいるということになるわね」
「それもかなりの腕だ。七番と九番は荒削りだったが、残りの二人からは相当な錬度を感じた。このクラスが他にもいるとなれば、地上の魔導師に対応できるとも思えんな」

 交戦したシグナムが忌々しげに口を開く。多勢に無勢であっても、敵に後れを取ったという事実が潔癖な彼女には許せないのだろう。カリムからの情報によれば、シャッハも似たような状態であるという。

 だが恭也は結果ほどに二人が後れを取ったとも思っていなかった。機人という存在はAMFの中でも問題なく行使できる、魔法でない魔法のような力を行使するという。魔導師にとってはそれだけでも随分なハンデだ。戦闘行為の多くを魔法に依存する管理世界にあっては、機人のそれは現状相手を一方的に攻撃することのできる理想的な力である。

 技術が発展すればいずれ対抗もできるだろうが、今現在、それは確かに脅威となりうるのである。

 そして機人は、高い戦闘能力をも持っているのだ。そこに更なるハンデを強いられたのでは、低位の魔導師は溜まったものではない。

 冗談でも誇張でもなく、敵方の戦闘機人は『魔導師殺し』とも言える存在だった。

「でも、今は注意されたしと警告する以外に方法もない。機人についてはマリエルさんやリスティさんからも意見を聞く言うんで、話がついてます。あー、特共研からは何や人を寄越してくれる言うことになりそうなんですが、恭也さん、ご存知ありません?」
「いえ、初耳ですが。まさかリスティが直接乗り込んでくると?」
「最近きた客員の科学者さんを寄越してくれるそうです。小さな鳥を苛めないように言うてましたが、何かの暗号ですか?」
「……まぁ、あだ名のようなものです」

 その人員配置に思うところがないではないが、リスティが最適の人材と判断して送ってくれたのならば、科学者ではない自分に拒否権などあるはずもなかった。
 
 仕事を私事だけで片付けることをリスティはしない。どれだけ疑わしくあっても、リスティがそうしたのならばそれが最適の人材なのである。何より、リスティ本人が来ないこと以上に嬉しいことはない。

 答えの弱い恭也にはやては怪訝な顔を向けていたが、引っ張るほどの話題でもないと判断したのか、そこで話を打ち切った。後は、と言葉を続けようとして、周囲を見渡す。

 皆、聞きたいことは一緒のようだった。色々な意味を込めた視線が自分に集まるのを感じて、恭也はそっと溜息をついた。黙って隣に立つフェイトと、狼形態で待機しているアルフに問いかける。

「俺の意見を言う前に、二人に話を聞いてみたい。俺は間違いないと思うが……お前達はどうだ?」
「私も、そう思ったよ」
「あんたがそうだって思うんなら、それが答えじゃないのかい?」

 フェイトの口調は沈み、アルフは刺々しい。今の心情を表した二人の声音に、恭也は全てを話す決心を固めた。

「察しの通り、あれはプロジェクトF.A.T.Eの技術を使われて作られた、クローンでしょう。俺たちは奴の顔に見覚えがある。今まで考えてきましたが、間違いもないようでした」
「じゃあ、あれはアリシア・テスタロッサのクローンなの?」

 時の庭園で戦った一人でもあるなのはが、弱々しい口調で問いかける。フェイトにとっては十年来の親友であるなのはだ。フェイトの家庭事情についても、テスタロッサの家族を除けば一番に精通している。問う声が弱いのもそれを慮ってのことだろうが、なのはの問いに恭也ははっきりと首を横に振った。

「違う。それははっきりと断言できる。あれは……」

 言葉を一度切った。口にすれば取り返しのつかないようなことになる気がして、言いよどんでしまう。

 だが、自分一人が抵抗したところで現実は何も変わらない。何もかもが違う彼女が確かにそこにあって、生きているのだから。

「……あれは、アリシア・テスタロッサじゃない。あれは間違いなく、プレシア・テスタロッサだ」

















「んふふふふ……」

 もう何度目になるかしれない少女の含み笑いに、その少女に抱えられた銀髪に眼帯の少女――チンクは少女にばれないようにそっと溜息をついた。アリシアの奇行が目立つのはいつものことであるが、昨日管理局の魔導師と戦って以来この調子である。奇行はたまにするから奇異に映るのである。それが続くとなったら、それはもう奇行ではなくただの変人だ。

 誰かに頼られるのは自分の姉度が上がるような気がして嬉しいが、アリシアの頼り方は愛玩動物のそれだった。いつも部屋に連れ込まれては腕に抱えられ愛でられる。

 それはチンクの目指す姉像とは程遠い。

 できることならやめてほしいのだが、アリシアはこの集団にあって数少ない、丁重に扱わなければいけない人間である。チンクとしても自分の主義主張に反するからと言って、無碍にはできないのだった。

「恭也・テスタロッサはそれほどの存在でしたか?」
「もう最高! 想像してた以上の人だったわ。あの目、あの顔、あの雰囲気、全部が全部大好き!」

 人物評の辛いアリシアをして、文句なしの賞賛である。恭也・テスタロッサに関してはトーレやクアットロも執着しているが、その二人とてここまでではないだろう。トーレは好敵手として、クアットロは復讐の相手としての興味である。

 だが、アリシアはどうも純粋に男性として恭也を好いているようだった。今も恭也のことを語りながらチンクを抱く腕に力を込め、身体をくねくねと動かしている。整った顔立ちもだらしなく緩んでいた。普段こそ年齢にそぐわない理知的な表情ばかりのアリシアであるが、こういう時は本当に年相応に見える。どちらかと言うと頭の残念なセインやウェンディと気が合っているのも、理解できるというものだ。

「それはようございました。恭也・テスタロッサをお嬢様が相手されるとなれば、ドクターも喜ばれることでしょう」
「でもね、クアットロに申し訳ないかなとも思うの。もう長いこと恭也のこと殺したいって思ってるんだし、クアットロの分も残しておいた方が良いのかなって」
「良いのではありませんか? あれの性分からして、分け与えられたということを素直に受け入れるとも思えません」

 クアットロは十二人いる姉妹の中でも一番の曲者である。ある意味、もっとも創造主であるスカリエッティに近い存在とも言える。人間に対しても管理世界に対しても色々と屈折した感情を持っているが、その中でも恭也に対する感情は偏執狂的とも言えて、自分の柄ではないと以前は全く参加しなかった戦闘訓練にも、恭也をより確実に殺すためだけに積極的に参加するようになった。

 恭也をハメるための作戦を考えることにも余念はない。スカリエッティの理念を忘れた訳ではないだろうが、クアットロの自分の時間のほとんどを恭也・テスタロッサに捧げていると言っても過言ではない。その内訳が殺意と復讐心で埋め尽くされているのに目を瞑れば、恭也に向ける感情はアリシア以上とも言える。

「お嬢様は恭也・テスタロッサを殺そうとは思わないのですか?」
「別に殺すことに抵抗はないのよ。でも、生かしておいた方が色々できたりしてもらえるし、嬉しいじゃない」
「参考までにお聞きしますが、あの男に何をするつもりなのですか?」
「一緒に過ごしてほしいかな。一晩でも二晩でも、抱きしめてくれたら嬉しいと思うの」

 臆面もなく言ってのけるアリシアに、チンクは軽い驚きを覚えた。執着っぷりからもっと凄いことを要求するものだと思っていたのに、その口から出てきたのは随分と乙女な発想だった。

 それが限界なのかとも考えたが、もっと過激な表現のある漫画をウェンディ達と一緒になって読んでいるのを見たことがある。知識として知らないということはないはずだ。

 知った上で、そうしてもらうだけで十分と言っているのである。

 その尺度が、チンクには良く分からない。相手には最大限、自分を求めてほしいと思うものではないのだろうか。クアットロの激烈な愛情を見ていただけに、アリシアの発想はチンクには淡白にすら思えた。

「それだけで良いのですか?」
「私も女の子だもの。それ以上をほしいとも思うのよ? でも、お兄さんが近くにいてくれたらそれで良いって思っちゃうと思うの」

 傍にいてもらったことはないんだけどねー、とアリシアの言葉は軽い。

 だが、自分を抱きしめる腕に僅かに力が込められたのを、チンクは感じていた。その手にそっと、自分の手を重ねる。

「どうしてなのかしらって考えたこともあるのよ。でも、きちんとした根拠は出てこなかったの。きっと、私の魂がお兄さんを求めてるのね。プレシア・テスタロッサもそうだったのかしら」
「どうでしょうか」

 プレシア・テスタロッサは既に故人である。会ったことのないチンクにそんな女性の心情など分かるはずもないが、資料を見た限りではクアットロ以上に世を嫌い、自分と目的のために生きた女性のように思えた。男に傍にいてほしいとか女々しいことを考えるような人間にはどうしても思えないのだが、その遺伝子から作られたアリシアが言うと、馬鹿げた妄想だと切って捨てることもできない。

 クローンであるアリシアとプレシアは別個の人間であるが、同じ遺伝子を持つ存在である。趣味嗜好が似通ったとしても、不思議ではない。

「それよりもチンクはどう思う? この髪とこの目。お兄さんは綺麗だって言ってくれるかな」

 わくわくした気持ちを隠そうともせずに問うアリシアの髪は、既に金色ではなくなっていた。アリシア個人の趣味で染められていた金髪は元の黒髪に戻っており、矯正していたウェーブも元通りになっている。少女然とした愛らしさは残るものの、そうしているとプレシア・テスタロッサのクローンなのだと思い知る容姿をしている。

 金髪、赤目にしていたからこそ在りし日のフェイト・テスタロッサと瓜二つとなっていたが、こうして見るともう別人だった。

「私は美しいと思います。おそらく、恭也・テスタロッサも同じことを言うでしょう?」
「そう思うなら、良かった。私を見た時のお兄さんの顔が忘れられないの。私を見た時凄く嬉しそうな顔をして、それから凄く悲しそうな顔をしたの。フェイト・テスタロッサのふりをしてた私を見て、一目でプレシアのクローンだって気づいたんだわ。これってやっぱり、愛よね? 私じゃなくてプレシアに向けた愛っていうのが少し気に食わないけど」
「それを区別できるほどに器用な性格ではないと、ドゥーエからの報告にもありました。お嬢様はお嬢様のままで迫れば、あの男も落ちる可能性があると」

 男女関係の手管については、潜入任務を行っているドゥーエに勝るものはいない。気配を悟られるために恭也本人に近付くことすらできないでいるが、それでも、管理局に籍があることを利用して恭也を男性としての面から調査する辺り、自分の仕事に拘りを持っているのだな、と感じる。

 調査しろという指示があった訳ではないのに詳細に調べられた恭也の身辺調査については、彼の女性の好みや遍歴についても記されていた。そこにはドゥーエによる多分は主観が含まれてはいたが、今までとは全く違ったアプローチで作られた報告書に、チンクたちは多いに興味を刺激されたものだ。

 その報告書をアリシアが読んでいないはずがない。恭也についてはクアットロに負けず劣らず拘っている彼女だ。ドゥーエの分析についても当然、頭に入っているだろう。暗い色が好きではないと頑なに金色に染めていた髪を黒髪に戻したのも、恭也の反応を見たからだけではないはずだ。

 それでもなおチンクに問うてきたのは、言葉が欲しかったからだろう。要するに、自分の行動に対して後押しが欲しいのだ。これがベストだと判断しての行動であっても、それに自信を持つことができない。任務であればそうでもなかったのだろうが、事は男女間の問題でもある。年頃の少女らしい不安は、チンクを安心させた。

 これがクアットロだったら、何の疑問もなく行動に移していただろう。そういうのはかわいくないし、姉としての腕の振るい甲斐もない。
 クアットロは妹ではないしアリシアも同様だが、姉とは立場ではなく生き方であるというのがチンクの持論だ。不安で背中を押してほしい少女がいたら助ける。相手が自分より上の立場であってもそれは変わらない。

 何故なら自分は、姉なのだから。

「ありがと。チンクが聞いてくれて、少し安心できたよ」
「それは何よりです」

 安心ついでにそろそろ解放してほしいのだが、とは口にできなかった。チンクは姉ではあるが、アリシアの方が立場は上なのだ。それを忘れるのは、姉的生き方ではない。

 アリシアの腕がチンクの身体を弄る。『抱きしめる』の延長行為で性的な意味はないのだろうが、アリシアの手の平が胸を掠めた時に、僅かに呻き声を漏らしてしまった。聞かれはしなかったか、とアリシアを盗み見ると、彼女の興味は既にチンクの首飾りに移っているようだった。

 自分だけがエロいことを考えていたようで、途端に気恥ずかしくなる。今度はアリシアの目を気にせず、大きく溜息を吐いた。恥ずかしい思いをしたせいか、身体が妙に熱い。

「この首飾り、いつもしてるけどどこで手に入れたの?」
「昔、とある研究施設を襲撃した際に手に入れたものです。どういう来歴かは分かりませんが、戦士はこれをお守りとして持つものだという話を小耳に挟んだので、それ以来身に着けています」

 アリシアが手にしているのは、粗末な首飾りである。装飾は黒ずんだ小さな赤い宝石だけ。それが透明なプラスチックのケースで固定され紐に通されている。

 宝石に直接加工がされていないのは、それがそういうものであるからだ。

 人間はこれを『凍えた時』と読んでいる。どういう理屈かは今の科学力を持っても不明だが、とにかくあらゆる干渉を受け付けず、破壊されることもないという代物だ。

 それがどういう来歴なのかも良く解っていない。形も一定ではなく、のような宝石からただの石、果ては機械部品としか思えないような形の物まで出土している。

 チンクが手に入れたのも例に漏れず、市販されていた一品なのだろう。装飾のチープさがいかにもそれらしいが、首から下げられることとあまり華美ではないことが気に入って、普段から身に着けるようにしていた。

 だが、この『凍えた時』には破滅の逸話も残されている。これもまた原因は不明であるが、凍っていたはずの時が突然動き出すというものだ。不滅の象徴がそうでなくなるのだから、それは凶兆とされ持ち主に不幸が訪れるとも言われている。

 このペンダントも灰となって消えないという保障はない。そうなった時、自分はどう思うのだろうか。考えると疑問は尽きないが、起きてもいないことを気にして最初から気分を落ち込ませるよりは、不滅の象徴であるという事実のみに着目し、気分を高揚させた方がずっと建設的だ。

 性格の悪いクアットロなどは、いつか時が動き出すのではと事あるごとに言っているが、それを気にするチンクでもなかった。

「宜しければ、お嬢様にも見繕いますが」
「私は良いわ。ロマンチックなのは嫌いじゃないけど、私には合わないと思うの」

 それきり、アリシアは興味を失ったようだった。チンクを抱えてにやにやするだけの作業に戻り、あちらから声をかけてくることはなくなった。本格的に長くなりそうな少女の態度に、チンクは心中で溜息を吐く。

 だけれども、文句は言わない。

 何だかんだで、チンクも抱きしめられるのは嫌いではないかった。姉である以前に女の子である。悪の一味であっても人恋しくなる時があるのだ。