フェイトとヴィータの戦いは決着の付かぬまま、食堂のおばちゃんの罵声によって終結した。食は全ての基本である。歴戦の魔導師であってもそれは変わらない。

 ある種、はやてよりも偉いおばちゃんに平謝りしている二人を他所に、ヴィヴィオを連れて食堂を出た恭也はその足で部隊長室に向かった。

 部隊長として、関係各所と折衝することの多いはやては施設を空けることも多いのだが、今日は部隊長室で仕事をしているはずである。ヴィヴィオを六課で預かるのならば、まずははやてに顔を見せなければならない。

 フェイト怖さに少々順番が前後してしまったが、家族がらみのフェイトが少々アレなことは、その親友の一人であるはやても良く知っている。フェイトが怖かったと正直に告白すればはやても許してくれるだろう。

「これから会うのは、俺の上司の人だ。きちんと挨拶するんだぞ」
「わかったー」

 返事もはっきりとしている。

 うさぐるみを手にしてからのヴィヴィオは妙に強気だった。フェイトを前にしていた時はおっかなびっくりだったのに、今はその表情もきりりとしている。恭也の手をぎゅっと握りしめているのは相変わらずだが、明らかな進歩だった。

 精神的な支柱があると人間、短時間でも変わるのだろう。

 いずれにしても、世の中全てが敵に見ていただろう、病院にいた時に比べると実に頼もしい変化だった。

 フェイトにしてもエリオにしても、出会った頃はもっと人を寄せ付けることをせず、刺々しかった。

 それを考えると、ヴィヴィオは彼女らよりもずっと社交的であるのかもしれない。

 恭也は一つ咳払いをすると、ドアをノックした。

「はやて。恭也・テスタロッサです。ヴィヴィオを連れてきました」
「はいってください」

 はやての許可の声と共に、部隊長室に入る。はやては自分の執務机で仕事中だった。こ書類から視線をあげてちらりと恭也に目をやると、視線で少し待つようにと伝えてくる。

 書類の末尾にサインをする音が部屋に響くと、はやては大きく伸びをした。ごきごきと、背中が鳴ったのが聞こえる。

 その音に、苦労しているのだな、と恭也はそっと溜息をついた。まだ二十歳にもなっていないのに、背伸びをするその仕草が妙に様になっているのが悲しい。

「シャッハから話は聞いてますよ。なんや、大活躍継続中やそうで」
「どうにも、そういうことらしいです」

 にこやかなはやての視線が、ヴィヴィオを捉える。知らない女性の視線。昨日までのヴィヴィオならばさっと背中に隠れてしまったのだろうが、今のヴィヴィオは違う。うさぐるみをぎゅっと抱きしめると、自ら進んではやての前まで歩き、ぺこりと頭を下げた。。

「ヴィヴィオです。よろしくおねがいします」
「私は八神はやてです。ご丁寧にどうもな」

 既に『パパ』の一件は知れ渡っているらしい。はやての視線にはからかうような色が浮かんでいるが、自分でそれに乗るのは玩具にしてくださいと宣言するようなものだ。

 立場が上の彼女に主導権を取られると、それを奪い返すのは難しい。最近のはやては、それを分かった上でからかうようになってきた。まだまだリンディやレティのような試合巧者のようにはいかないが、その片鱗が見えつつある。

 からかわれる側の恭也としては、はやてにはもう少しおしとやかに育ってほしいのであるが、管理局で出世をするということは綺麗なままではいられない、ということなのかもしれない。

 全くもって、世の中というのはこんなはずじゃなかったってことばかりである。

「恭也さんの娘さんらしい、礼儀正しい娘やないですか」 
「俺には勿体無いことです」
「そういうことにしておきましょうか。恭也さんのシフトについてですが、私の権限で変更しておきました。なのはちゃん達もこれは了承済みです。美由希さんとすずかちゃんのシフトはお任せしますんで、決まったら報告よろしくお願いします」
「お手数をおかけして申し訳ありません」

 上司の配慮に、恭也は深々と頭を下げる。

 頼んでいた訳ではないが、手回しの良いことである。

 ともあれこれで、しばらくヴィヴィオに専従することができるようになった。

 スターズやライトニングと異なり、ブレイド分隊は無理矢理仕事を生み出しているようなものなので、仕事の内容については驚くほどに融通が効く。秘匿できるような立場ではないため対外的におかしくないような案件に限定されはするが、責任者であるはやてがそれを認めれば、それはもうブレイド分隊の任務となるのだ。

 今までのシフトでは三人のうち誰かが昼夜のフォワードについていたが、ヴィヴィオがやってきたことでそれも変わることになるだろう。ヴィヴィオには今のところ恭也也が専従でつくつもりでいるが、他の人間の手もいずれ必要になってくる。

 美由希にすずか、アルフやザフィーラの手も、そのうち借りることになるはずだ。

 少女一人に随分なことであるが、六課施設で預かるということは、それだけヴィヴィオに不自由を強いることだ。遊びたい盛りの幼い子供に、それは酷である。せめて命の危険くらいは気にせずに過ごしてほしいというのが、恭也の正直な気持ちだった。

「それはそうと……リイン?」

 ヴィヴィオの件が一段落したことを受けて、恭也は声のトーンを意識して落とした。

 明らかに声のトーンに怒気が混ざったことに気づいたヴィヴィオが、本能的に後退る。関係ないヴィヴィオでそれなのだから、呼ばれた方が溜まったものではない。ミニデスクに座っていたリインは恭也の視線と声を受けて、泣きそうになっていた。

 視線を向けることもしなければ、挨拶をしようともしなかった。そこにヴィヴィオはいないものとして、無視しようとしていたのだ。

 早速、その行いを後悔し始めているようだが、恭也の声を受けてもリインから謝罪の言葉は出てこなかった。

 その態度に、恭也はさらに怒気を強くする。後退るリインに、一歩、また一歩とゆっくり近付いていく。

「礼節については教えたはずだな? そこで不貞腐れるのが果たして正しい行いだったのか、分からないお前ではないはずだが」

 もはや詰問である。大の大人だって、この雰囲気ならば泣きたくもなるだろう。本来ならば間違っても子供相手にすることではない。 

 はやてからも、強く言いすぎだという無言の抗議がくる。しかる方法一つをとっても、恭也とはやてでは考え方が違うのだ。方針の違いで揉めたことも過去に何度もある。今日のこれも、後々問題になる予感があったが、それでも、リインの家族として言わずにはいられなかった。

「リイン」

 もう一度、名前を呼ぶ。

 家族の中でも子供然としたリインは、礼儀について物分りが良い訳ではなかったが、初対面の、それも子供を相手に不貞腐れるのが悪い行為だと気づけない程に愚かではなかった。

 事実、不安そうな顔をしているヴィヴィオにちらちらと視線を送り始めている。細部まで気が回らないだけで、本質的には心根の優しい少女なのだ。庇護を必要とする少女を放っておけるほど、薄情ではないのである。

 目じりに溜まっていた涙を袖で拭うと、リインはふよふよと空を飛び、ヴィヴィオの前まで移動した。

 掌に乗る大きさのリインは、まるで絵本の要請のように愛らしい。近くで見れば、その愛らしさを強く感じることができるだろう。初めて、それも間近でリインを見たヴィヴィオは目をきらきらと輝かせていた。

 今にも飛びつきそうな勢いだったが、恭也とはやての視線を受けて、ぐっと思い留まった。

 今はリインの時間。自分が出るべき幕ではないと、肌で感じたのだ。

 幼いながらに心の機微に聡い少女は、うさぐるみをぎゅっと抱きしめ、リインの言葉を待った。

「……はじめまして。私はリインフォース・ツヴァイといいます。ファータ、恭也・テスタロッサの娘です」
「ヴィヴィオです。よろしくお願いします」

 挨拶を終えたヴィヴィオがこちらを見上げてくる。娘というのはどういうこと? というのはヴィヴィオの立場からすればもっともな疑問だ。

 その疑問に答えようとして、はやてが胡乱な目付きをしていることに気づいた。リインはうちの娘という主張を曲げないはやてとの間では、まだリインの問題は片付いていない。リイン自身は恭也の娘と名乗っているので対外的にはテスタロッサ家の娘ということになってはいるのだが……心情的に割り切れない物があるのは十分に理解できる。

 いつかゆっくりと話をしたいと思うが、今ここで話をしているとリインとヴィヴィオの問題が片付かない。はやてのことはとりあえず無視することにした。

「このリインはお前のお姉ちゃんだ」
「お姉ちゃん?」
「ファータ! 勝手なことを言っては困るのですよ!」
「お前にも悪い話ではないぞ、リイン」

 ふよふよ漂うリインの肩を掴み、耳に顔を寄せる。ヴィヴィオには聞かせられない内密な話だ。ナイショ話が気になるのか、ヴィヴィオアh一生懸命背伸びして聞こうとするが、大人と子供の身長差は如何ともし難い。

「ここで黙って頷いておけば、お前は今日からお姉ちゃんになれるぞ。頼ってくれる妹が欲しいと昔から言っていたではないか」
「それはそうですが……」

 事実ではあるものの、それを認めると自分の立場が危うくなるために、簡単には認めることができない。

 しかし、リインのお姉ちゃん願望もまた切実なものだった。

 テスタロッサ家は姓を名乗っていない人間も含めると結構な大所帯になるが、その中でもリインは割と古参の部類に入るのに立場が弱いと常々嘆いていた。自分よりも後に身内になる人間は年上ばかりなので、お姉ちゃん風を吹かせることができない。

 エリオ達は自分を対等に扱ってくれてはいるものの、雰囲気としてテスタロッサ家の末っ子という立場は不動のものだった。

 新たにメンバーが加入しない限り、このポジションが覆ることはない。自分よりも年下で庇護を必要とするヴィヴィオなどは、リインが長いこと待ち望んでいた人材だった。

 だがこれを認めると、恭也の愛娘というほぼオンリーワンの肩書きを手放すことになる。それがリインの葛藤の原因となっているのだが……迷っている表情を見るに、恭也は後一押しと判断した。

「ヴィヴィオ、お前からもお姉ちゃんにお願いするんだ」
「リインさんは、お姉ちゃん?」
「そうだ。この娘はお前のお姉ちゃんだ」
「お姉ちゃん……」

 噛み締めるようにヴィヴィオが囁くと、その声はやけに部屋の中に木霊した。それは決して大きな声ではなかったが、リインの心を揺さぶるには十分なものだったようで、

「リインお姉ちゃん、よろしくお願いします」

 ぺこり、と頭を下げるヴィヴィオに、リインはあっさりと白旗を揚げた。

「お姉ちゃんに任せるのですよ!」

 その笑顔には言い知れぬ力が篭っていた。お姉ちゃんとしての使命に目覚めたリインに怖い物はない。あっという間に打ち解けた二人を見て、恭也は満足そうに頷いた。

 フェイトとリイン。これで身内の問題は解決したと言っても良い。他の人間にも伺いをたてる必要はあるが、あの二人に比べれば些細な問題だ。エリオは自分が蔑ろにされなければ家族構成については気にしないし、キャロは物凄く人間ができているから家族が増えることを歓迎こそすれ反対はしまい。ルーテシアは我関せずだ。

「流石恭也さん。幼女を扱わせたら管理世界一ですね」
「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい。カリムやシャッハにも、あることないこと吹き込んだでしょう」
「でも、そういうオーラが出てるとしか思えないくらい得意ですよね? ちょっと生まれや家庭環境に問題のある幼女を引き寄せるの」

 はやての至極真面目な問いに、恭也は黙るしかなかった。身内は誰一人血が繋がっていないし、生まれか家庭環境に問題があった率は恭也本人を含めて何と100%である。反論する余地はまるでない。

「幼女についての話は置いておくとして……実はちょっと困ったことになりまして。恭也さんのお力を借りたいな思ってたんですよ」
「俺にできることなら何なりと」

 ヴィヴィオを預かる決定をすることではやてに迷惑をかけたばかりだ。折り入っての頼みというのであれば、恭也に断る理由はない。

「実は、明日地上本部の査察が入ることになりまして」
「査察とは穏やかではありませんね……」

 とは言え、無理もない話ではある。地上の制服を着て体裁を保ってはいるが、六課の上層部は本局人員で固められている。そんな施設が地上本部の総本山ミッドチルダはクラナガンにあるのだから、あちらとしても面白いはずはない。

 査察にしてももっと早い段階で、それも頻繁にやりたかったというのが地上の本音だろう。

 それがここまでずれ込んだのは、一重に六課上層部の尽力に他ならない。別に探られて痛いところが満載な訳ではないが、態々査察にくるくらいなのだから、粗探しをするに決まっている。両者の関係を円滑にするためには必要なこととは言え、本音を言うならば来てほしくはない、というのがはやてリンディの思うところのはずだ。

「それで、俺は何をすれば?」
「私と一緒に査察団の相手をしてほしいんです。できれば、その日は専属で」
「それは構いませんが……俺で大丈夫ですか?」

 例えばなのはやフェイトなどは対外的に顔も売れているし、魔導師としての力量も認められている。階級も恭也よりはずっと上だ。指名されればそれに否やはないが、他にもっと適任がいるように思えた。

「むしろ恭也さん以外に考えられません。六課で一番地上に受けが良いのは、多分恭也さんですし」
「それはまぁそうでしょうが……」

 少なくとも、レジアス・ゲイズと普通に話ができるのは自分だけだろう、という自己分析はできる。主に現場からの支持ではあるが、覚えも決して悪いものではない。

 しかし、以前、ティーダ・ランスターの葬儀で将官を殴り飛ばした過去は無視できるものではなかった。いざという時に上官を殴る男というのは、地上本部の上層部にも広く知れ渡ってしまっている。否定一辺倒でないのが救いではあるが、否定的な意見を持つ人間も少なからずいる。

 あれについて後悔はしていないし、もう一度チャンスがあっても同じことをするだろうが、あまり褒められてことではないというのは恭也本人も理解していた。

 事件の手打ちは済んでいるが、査察にくる人間によっては蒸し返されることにもなりかねない。六課と地上の関係は険悪の一言に尽きる。できることなら自分を外した方が、というのが恭也の考えなのだが、はやての意見は異なるようだった。

 こういう時のはやては、梃子でも動かない。恭也は溜息を吐くと、一人覚悟を決めた。

「わかりました。シフトについては美由希やすずかと相談して、調整しておきます」
「助かります」
「それにしても明日ですか……補充人員の受け入れも明日でしたよね?」

 人手不足についてはどの部署も一緒であるが、最前線で戦う六課もそれは同様で、上に不足の補充を打診していたのだが、それがついに明日実るのである。なのは達と同様出向という形ではあるが、人手が増える事実の前には些細な問題だった。

 だが、補充人員全員がくるということは知っていても、それが誰なのかを知っている人間は意外なほどに少ない。部隊長であるはやてと補佐のグリフィス、夜番責任者のクイントと自分くらいのものだ。

 これ以外のメンバーが補充人員が誰であるのかを知るのは、明日の顔合わせ当日ということになる。

 別に秘匿するようなことでもない。一緒に仕事をする間柄なのだから、誰が来るというのは早く知れれば知れるほど良い。身内で固められている感のある六課ならばそれは尚更だったが、言い出せない理由がその人間関係的なことであるのだから仕方がない。

 補充されるのはフォワード一名、研究者二名、その他の人員が三名だ。フォワードの補充は、最終候補に残った人間がそのまま採用された、となれば、主に誰のために秘匿しなければならなくなったのか分かるというものだろう。一緒に働くとなれば私情は決して挟むことはないだろうが、その可能性を排除できるとなれば全力で排除にかかってきてもおかしくはない。

 黙っていたことで嵐は吹き荒れるだろうが……それも、折込済みだ。

 せめて文句を聞くくらいのことはしなければならない。面倒なことこの上ないが、これも義兄の、家族の務めと諦めることにした。

「受け入れについてはグリフィスくんに任せてあるので、問題はないと思います」
「だと良いのですが……補充についてねちねち突いてくるようなことがあったら困りますからね。できるだけ、査察団とは顔をあわせないように配慮してもらえるとありがたいかと」
「そう伝えておきます。恭也さんは今日はこれから、ヴィヴィオの紹介ですか?」
「ええ。寮母のアイナさんからにするか、新人たちにするか迷うところではありますが」
「なら、スバル達を先にするのがええかもですね。これからちょうど休憩に入るところみたいですし、早い方がええでしょ」
「そうします。ヴィヴィオ?」

 すっかりリインと打ち解けていたヴィヴィオは恭也の呼びかけに飛んで戻ってくる。妹を取り上げられたリインが早速抗議の視線をおくってきた。現金なものだ、と恭也は苦笑を浮かべる。

「これから、残りのメンバーのところにお前を紹介しにいくぞ。良い娘にできるな?」
「ヴィヴィオ、良い娘にする!」
「良い返事だ」
「リインは私と一緒にお仕事やから頑張ろうなー」

 当然のようについていこうとしたリインは、はやての言葉にとめられてしまう。恨みがましい目をはやてに向けるリインだが、はやてはそんなものには取り合わない。リインのことに関してならば、はやては鬼になれるのだ。

 個人的なことを優先するなら、リインははやてを無視して恭也に同行するのを選ぶだろう。

 しかし、管理局籍はないとは言え、リインは六課に雇用されている身ではやてはその責任者だ。知己の間からであるからこそ、果たさなければならない義理もある。子供っぽい見た目で子供っぽい思考をしていても、リインも働く者としての常識は持ち合わせていた。

 恭也についていこうとする自分と、仕事をしろというはやて。どちらが正しいことを言っているのか、分からないリインではない。

「……リインはここに残るのですよ」
「偉いぞ、リイン」

 頭を撫でると、リインははにかむように微笑んだ。羨ましそうにするヴィヴィオの頭を撫でながら、恭也は部隊長室を後にした。

 

 











「ゲットだよっ!!」

 休憩中のはずのフォワード組を訪ねた瞬間、土煙を上げて駆けて来たスバルにヴィヴィオはゲットされた。ヴィヴィオを高い高いしたスバルはデバイスの性能を如何なく発揮し、その場でぎゅるぎゅると回転する。

 土煙に焦げ臭さが混ざる段になって、流石にやりすぎではと恭也も不安になったが、遊ばれている当のヴィヴィオは楽しそうだった。きゃっきゃと声を挙げるヴィヴィオを前に、スバルは更に速度を上げる。

 そうなれば後はもう二人の世界だ。割ってはいる余地を見出せなくなった恭也は一先ずヴィヴィオをスバルに任せることにし、責任者であるなのはを探す。

 探し人は、苦笑を浮かべながらやってきた。

「お勤めご苦労様、恭也くん」
「はやての所にはもう行って来たので、こちらにも顔見せにきた。事情は……知っているようだな」

 スバルは脇目も振らずに突撃してきた。来るタイミングをある程度知っていたとしか思えない。ヴィータかリイン、あるいはその両方から情報が入っていると見るべきだろう。

 そしてそれは、六課に所属する全員に知れ渡っていると覚悟するべきだ。明日からの生活を想像すると気が滅入るばかりだ。

「ヴィータちゃんがママになったって聞いたんだけど」
「アレが勝手に呼んでるだけだ。別に奴と所帯を持った訳ではないからな」
「それは隊舎が原型を留めてるから分かるけど……良いの? 色々噂が立っちゃうんじゃないかな」
「別に悪いことをした訳でもないのに、子供のすることを制限することもできんだろう。一応言うには言うが、それでも駄目なら諦めるしかないな」
「釘を刺すなら早い方が良いかもよ。パパが恭也くん一人なのにママが複数になったら、困るのは恭也くんでしょ?」
「それもそうだな……」

 自分では思いも寄らなかったなのはの発想に、恭也は頭を抱えた。

 家族でなければお姉ちゃんと呼ばないというルールは分かったが、ヴィータをどういう判断でママと呼んだのかはまだ解っていない。お姉ちゃんと違って、ママは普通複数人いるものではない。

 常識に照らし合わせるのならば、ヴィータがママになってしまった以上、これ以上ママは増えないと考えるられるが、子供のすることに絶対はない。

 ヴィヴィオが六課の女性を手当たり次第にママと呼ぶ未来を想像してみる。パパは自分一人だ。子供のすることと笑い話にするには、聊かきつい状況かもしれない。

 振り回すことに飽きたらしいスバルによって、ヴィヴィオは頬擦りされている。

 頬擦りしたくなるものわかる、愛らしい少女だ。こんな少女にパパと呼ばれるのも、男冥利に尽きるというものである。

 そこに限って言えば不満はないが、ママ複数というのはやはり不味い。

「そもそも感覚が麻痺しているのではないか? 例えヴィータ一人であってもママと呼ばせるのは不味かろう」
「子供のすることって恭也くんが押し通せばヴィータちゃん一人のうちはまだ何とかなると思うんですけど」
「増えたらどうしようという話をしているのだろう? ならば最初から一人の例外も認めるべきではないな」

 シグナムの言葉に、なのはは押し黙る。人間関係に突っ込んだ話をしないシグナムにしては、随分と真面目で的を得た意見だった。思いも寄らない人間から出てきた意見に恭也は軽い驚きを覚える。

「もっとも、お前がヴィータと所帯を持つつもりだというならば、止めはしないが……」
「所帯を持つことそのものは考えないではないんだがな」

 シグナムの言葉に、恭也は何となく溜息をついた。

 公的にはもう二十も半ばを過ぎた。働きはじめる年齢が低い管理世界は、当然結婚可能な年齢も低い。恭也くらいの年齢ならば、男女ともに結婚している人間の方が多いくらいだ。

 恭也とて結婚を考えない訳ではない。

 結婚を前提に付き合っても良いかと思える女性は、こんな自分には勿体無いことに何人かいる。真剣に交際を申し込めば、あちらも真剣に考えてくれるだろう手応えもあったが、今の今までその領域に踏み込むことはしなかった。

 家庭を持って見たいというのは昔からの漠然とした夢ではあり、それはこちらの世界にきてからも変わることはなく、今でのその夢は継続している。

 しかし、そこに踏み込むために何かが足りないような気がしてならないのだった。

 気持ちがない訳ではない。ただ、今はその時期ではない。

 踏み込む勇気がない言い訳のようにも思えるが、精神的な受け入れができない現状では、結婚などまだ遠い未来の話だろう。

 時期がくれば、いずれそうなる。結婚に関してはなるべく気楽に、そう考えることにしていた。

「その辺りは追々だな」
「そうか。一生の問題だろうから、ゆっくり考えると良い」

 突っ込んだ意見を言った割りに、シグナムの引き際はあっさりとしたものだった。

 もっと突っ込んだ話をするものと思っていたらしいなのはは肩をこけさせるが、話は既に終わった雰囲気である。この場にいるのは三人。二人が話を続けるつもりがなければ、それで話は立ち消えである。

 助かった、とシグナムに視線を送ると、彼女は何のことはないと肩を竦めさせた。からかってくることもたまにはあるが、波長の近いシグナムは助けられる範囲では、こういう助け舟を出してくれることもあるのだ。

「キョウ兄! この娘かわいい! すごくかわいい!」
「そうか。それは良かったな」

 気のない追従も何処吹く風。ヴィヴィオを愛でるスバルのテンションは天井知らずだった。

 そう言えばスバルも常々妹が欲しいと言っていたような気がする。ナカジマ家の家族仲は驚くほどに良好であるが、末っ子のスバルはお姉ちゃん風を吹かせる相手がいないのだ。

 年齢的にキャロも妹系に含まれるはずではあるのだが、姉になりたいスバルによればデキが良すぎてもいけないそうだ。姉甲斐がないとでも言えば良いのか。慕われているのは分かるし頼りにしてくれているのも分かるのだが、どうも妹というのとは違う気がするらしい。

 贅沢な上に微妙に失礼な話である。

「ねえ、ヴィヴィオ、スバ姉って呼んで?」

 妹ができたら言わせて見たい一言NO1と公言してはばからなかったことを、早速お願いしていた。

 ティアナがやめなさいよ、とちらちらと抗議の視線を送っているが、お姉ちゃんチャンスに目がくらんだスバルの目には、ヴィヴィオしか入っていなかった。
 
 ヴィヴィオはそんなスバルの顔を真正面から見返して、心底不思議そうに首を傾げる。言っていることの意味が分からないとでも言いたげにスバルを見つめて、次いで恭也に顔を向けてきた。

「スバルさんは、パパの家族?」
「ちがうよ。もしかしたら義妹にはなるかもしれないけど」
「じゃあ、お姉ちゃんとは呼べないです。ごめんなさい」
「そんな!」

 芝居ががった仕草でスバルが項垂れる。冗談のように落ち込むスバルに、逆にヴィヴィオが慌ててしまう。

 慌てるくらいならばお姉ちゃんと呼ぶくらい構わないと思うのだが、そんなスバルを見ても言葉を覆さない辺り、ヴィヴィオの自分ルールも強力なようだった。

「あんた、何もそんなに打ちひしがれなくても……」
「ティアには分からないよ、お姉ちゃんと呼ばれない私の気持ちなんて」
「私だって妹も弟もいないんだけどね」
「お前はお姉ちゃんと呼ばれなくても良いのか?」
「弟か妹が欲しいと思ったことは、そんなにないものですから」

 人それぞれですよ、とこちらを見て微笑むティアナから、そっと目を逸らす。言外に込められた意味に心がちりちりと痛んだ。

 視線を逸らした先で、エリオとばっちり目があう。

 部隊長室からここに来るまでの間に、テスタロッサ家の家族構成についてはヴィヴィオに教えておいた。テスタロッサ姓でこそないが、あの二人は身内であると、ヴィヴィオは知っているのだ。

 それを伝えた訳ではないが、雰囲気からそれを察したのだろう。エリオははっきりと迷惑そうな顔をしたが、気を利かせたキャロがその手を引っ張ってくる。エリオはキャロの言うことならば良く聞くのだ。

 不満そうな顔をしたエリオはそのまま、恭也が何かを言う前にヴィヴィオの前に立たされる。ほら、とキャロに促されるとエリオは無理矢理、ぎこちなさ全開の笑顔を作った。

「僕は、エリオ・モンディアルだ。よろしく、ヴィヴィオ」
「私はキャロだよ。よろしくね」
「よろしくお願いします。リオお姉ちゃん、キャロお姉ちゃん」

 贔屓だ! と大人気ない抗議の声を挙げたスバルは、ティアナの一撃で黙らされた。


 
 






後書き
期間が空いた上に短くて申し訳ありません。
次は六課の追加メンバーと査察の話です。
それが終わると、ある日機動六課パートとなります。