ギンガ・ナカジマは苛立たしげに、足を踏み鳴らした。

 約束の時間にはまだ十五分もあった。現れない相手にではなく、心に余裕のない状態で予定よりも早く来過ぎた自分を責めるべきなのは分かっていたが、それとこれとは話が別である。まだ十代の乙女であるギンガは、逸る気持ちを抑えることができなかったのだ。

 無論、待ち人に会うのを心待ちにしている訳ではない。今日が念願の、機動六課への初出勤だからである。

 査察と重なってしまったために、全体への紹介は様子を見て行われることとなってしまったが、そんなことはギンガにとっては些細なことだった。恭也と同じ職場で働くことが夢であったギンガにとっては、その事実こそが全てなのである。

 だからこそ、早く恭也の元へと駆けつけたかったのだが、管理局員として仕事を蔑ろにする訳にもいかなかったのだ。

 変わってくれてもよさそうなのに、同僚のカルタスは先に六課施設へと向かってしまった。本局技術部から出向のマリエル技師と話があるということだったが、本当のところはどうか知らない。普段から恭也の話をしている自分に対する当てつけと思えなくもないが……それもカルタス本人というよりは、実は父であり上司でもあるゲンヤの差し金という方がまだありえそうではある。

 恭也との関係について、ゲンヤは微妙に乗り気ではない。恭也に限らず、誰であっても同じなのだろうとは母クイントの言であるが、恭也個人のことは凄く買っているのに娘が関わると途端に古風な考えになるのは、父親としては良くない態度だと思うのだ。

 大事にされていることも解るだけに、余計に複雑な気持ちになるのである。

 いっそスバルのように何も考えずに生きられたら……と思わないでもない。子供の頃から密かに人気があったのに、年頃になっても浮いた話の一つもない妹を思い浮かべながら、ギンガはそっと溜息をついた。

 スバルがいれば自分のことを棚に上げて、と苦言の一つも言ったのだろうが、幸か不幸かここにいるのはギンガ一人だった。

 何とはなしに、デバイスを操作して、投影モニタを広げる。

 確認するのは、待ち人の資料だ。

 名前はコトリ・クラウゼ。特共研ではリトルバードなとど呼ばれて愛されているらしい。年齢は15歳だが魔導工学の博士号を持っており、特共研には客員研究員として在籍している。二尉待遇であるから、陸曹の自分よりも偉い。

 六課には特共研からの代表として派遣されることになっていた。本局技術部からマリエル・アテンザ技師が出向するのに対抗する形だ。自分たちの身体のことで世話になっているのでマリエルの腕は知っているが、そのマリエルに対抗する形でやってくるのだから、技術者としては相当な持ち主であることは疑いようがない。スバルと大して変わらない年齢でそれなのだから、頭の下がる思いだ。

 気になるところがあるとすれば、所属が特共研であるとうことくらいである。かの部署に所属するのは恭也以外皆女性で、見目麗しい方が多い。それに加えて奇人変人の見本市とあっては、管理局内で有名にならないはずがない。噂では特共研の職員と合コンをした男性職員は、プライドを粉々にされるという。それが本当なのかは合コンなど生まれてこの方参加したこともないギンガには知るよしもないが、かの部署で男性が正気を保つには恭也くらい強靭な精神を持っていなければならない、というのは何となく理解している。

 そんな人外魔境にに誘われるくらいなのだから、このコトリさんという方も、美人で変人であるというのは想像に難くない。常識人を自認している――決して他薦された訳ではない――ギンガは辟易する思いだったが、それを顔に出さないくらいの常識は持ち合わせているつもりだった。

 恭也を玩具にしているなんて、実に羨ましい環境にある彼女らに思うところがないではないが、仕事さえしてくれるのならば問題はない。人事に関しては自分の関知することではないし、何よりこれから六課に出向するのだから、大体のことには目を瞑れる。今のギンガ・ナカジマはとても寛容なのだ。

「あの、ギンガ・ナカジマ陸曹でしょうかっ」

 透明感のある声で誰何されるのが聞こえ、ギンガは現実に引き戻された。随分と腰が低いものだと思ったが、相手の方が立場が上、失礼があってはいけない。姿勢を正して声のした方に向き直ると――そこに、相手の姿を発見できなかった。

 もしかして幻聴だろうか。ギンガが首を捻っていると、「下です、下っ」と声が聞こえた。

 その声に従ってゆっくり視線を下げると、果たしてそこには少女がいた。

 本局の紺色の制服に、白衣。それだけを見れば技術者だと言えるのだろうが、驚きべきはその身長である。それほど身長が高い訳ではな自分よりも頭一つは確実に小さかった。六課のキャロよりは流石に大きいだろうが、150センチあるかも怪しい。

 子供か大人かと聞かれれば、ほとんど全ての人間が子供と答えるだろう。一部の人間は喜んで答えるに違いない愛らしさが彼女にはあった。

 その愛らしい生き物が、ぺこりと頭を下げる。

「はじめまして。特設共同技術研究開発部から出向してきました、コトリ・クラウゼです」
「……ギンガ・ナカジマ陸曹です。この度は大変失礼を」

 小さすぎて見つけられなかった、というのは大失態である。ギンガは顔を真っ赤にして頭を下げたが、それを受けたコトリはギンガ以上に慌てて、頭を上げるように言ってくる。

 慣れてますから、とはコトリの弁だ。

 就業年齢の低い管理世界ではあるが、十六歳でここまで背が低いというのも珍しい。成人しても身長が低いままの種族、というのも管理世界にいるにはいるが、そういう種族の場合はきちんと、局員証に明記される。事前に目を通しておいたコトリの資料に、そういった記述は見られなかった。病を患っていることもない。

 つまりコトリは何もハンデもなく、この愛らしい姿ということになる。局員証にも身長を記述するべきでは、と真剣に考えた瞬間だった。

「どこか寄るところはございますか?」
「いえ、このまま六課施設に向かいます」

 部下の役割として、コトリの荷物を受け取る。先立って歩くか迷ったが、コトリは荷物を預けると率先して歩き出した。相当に早歩きであるが、身体そのものが小さいので歩く速度は平均以下である。普通に歩いたら、ギンガでも追い越してしまいそうだった。

 頑張っているコトリを追い抜いてしまいそうになるのも忍びないので、努めてゆっくり歩く。こういうのを大人の配慮っていうのかしら、と思いながら歩いていると、周囲を行く人間の生暖かい視線に気づく。その視線は主にコトリに集中していた。年齢も性別も様々であるが、一様に孫を見守るお爺さんお婆さんのような優しい表情をしている。

 ちょこちょこ歩くコトリの背中を見ると、そういう表情になるのも理解できる気がした。優しい人に愛されることに関して、彼女の才能は相当なものだろう。

 それだけに、解らないことがある。

「失礼ですが、ドクターは特共研ではどのように過ごされているのですか?」

 完全に興味本位の質問だが、コトリならば答えてくれるような気がした。ギンガの質問を受けたコトリは肩越しに振り返り、困ったような表情を浮かべる。

「コトリでいいですよ。ドクターは慣れてなくて」

 そう前置きしてから、コトリは顔に指を当てて考えた。

「普通じゃないでしょうか。皆さんと同じように研究をしてます。元の研究所よりも予算が沢山あって、研究が捗っているくらいです」
「いや、そういうことではなくて……」

 特共研の環境が良いのはギンガでも知っている。マリエルなどが愚痴を言っているのを、何度か聞いたことがあった。あそこの部署は予算こそ規模相応であるが、申請が異常に通りやすいのだと言う。三提督の一人、ミゼット・クローベルの庇護を受けているということもあるのだろうが、それ以上に結果を出していることが経理の印象を良くしているらしい。

 結果を出すことができるのは、それを出せる人材を集めていることに寄る。それが人間性に若干の問題のある女性ばかりの集団を形成するに至った理由であるが、そこにコトリのようや人畜無害の人間が所属しているというのが、ギンガには驚きだった。

 あれだけ存在感があってアクの強い恭也であっても、特共研では玩具になるしかないという。そんな魔境にコトリのような小動物が入っては、三日と持たないのではないか。セクハラとかされたら、ノイローゼで倒れてしまいそうな雰囲気がある彼女が、ギンガは心配なのだった。

 ギンガの質問の意味を、明晰な頭脳を持っているらしいコトリは理解したようだった。

「その、皆さん私を『かわいがって』くれますが、それも悪いものではないと思います。家族や地元の友達と離れて暮らすの、実は凄い不安だったんですけど、特共研の皆は、その、色々と特殊なところはありますが、優しくしてくれます」

 言わされている感はない。きっと、心の底からそう思っているのだろう。コトリの言葉を聞く限り、特共研の面々は優しいお姉さんのように聞こえなくもない。恭也からは特共研は男性のプライドを粉々に打ち砕くような性悪の集まりと聞いていたが、相手が変われば対応も変わるのだろうと思い直すことにした。女性の集まりに限らず、人間には良くあることだ。

「私からも質問が」

 問うてくるコトリの声は、緊張に満ちていた。言葉そのものにこれからの内容を察せられるものは何もなかったが、ギンガの嗅覚はたったそれだけの彼女の言葉に嫌なものを感じ取っていた。

 大分弱いが、これはあの不倶戴天の敵を前にした時の感覚に似ている。他の人間からも散々感じ取ったことがある。ギンガに相手の心を読むような能力はないが、次に来る質問は確信が持てた。この感性については、ギンガは絶対の信頼を置いている。つまり、

「その、恭也さんと仲が良いと聞きますが、本当ですか?」
「ええ。昔彼が母と一緒に仕事をした関係で、色々とお世話になっています」

 だから関わってくるんじゃないぞこのやろーという意味を込めて、言葉の端々に力を込めるが、その意思は伝わらなかったようだ。言葉の意味だけを器用に汲み取ったコトリは、はー、と静かに感嘆の溜息を漏らした。

「そんな昔から……凄いですね」
「それほどでもありませんよ。私と同じような環境の人間は、他に何人かいます」

 例えばエリオがそうであるし、キャロもそうだ。恭也と付き合い始めた年齢で言えば、彼女らの方が若い。更に言えば、あの憎きフェイト・テスタロッサなど一緒に家に住んでさえいた。義妹というポジションを受け入れつつ、後の嫁の座を虎視眈々と狙っているあの女と比べれば、自分の距離などそれほど近いものではない。

 思い出したら腹が立ってきた。この怒りを何処にぶつけるべきか……

「コトリさんは、恭也さんとは親しいのですか?」
「良くしてもらいました。私は人見知りをする方で、最初は特共研にも馴染めなかったんですが、それを恭也さんが取り成してくれたんですよ」

 恩人です、とコトリは微笑みを浮かべた。コトリに適当に相槌を打ちながら、ギンガはコトリを観察する。好意を抱いているに違いはないようだが、その度合いはそれほど高くないように思える。少なくとも、コトリの方から交際を申し込むということはなさそうだ。好感度で言えば、なのは以上すずか以下といったところだろう。

 分析を終えて、ギンガが安堵の溜息を漏らした。これくらいならば、掃いて捨てるほどいる。これから世話になる六課にいるフェイトやすずかのことを思えば、無視しても良いレベルだ。この人となら、友達になれるような気がした。

「コトリさんのご専門は?」

 この小さな科学者のことを好きになり始めていたギンガは、何の気なしにそう問うていた。

「魔導工学を応用した義肢や人工臓器の研究です。研究テーマは――」

 薄い胸を張って、コトリは答えた。

「人体と機械の融合です」



























「恭也さん。私、何かおかしなところはありませんでしょーか」

 緊張した面持ちで問うてくるはやてに、恭也はこっそりと溜息を漏らした。この問いは今日で五回目である。問われる度に問題ありません、今日もはやては美しいですよとシグナムを真似て励ましているのだが、シグナムほどはやて道を究めていないからなのか、それとも単にはやてが不安定なだけなのか、はやての不安は留まるところを知らない。

 始まる前からこれでは、『敵』がきたらどうなってしまうのか。こういう場面が今までなかったはずはない。似たような状況をはやては無事に乗り越えてきたはずである。それなのにこうまで不安定になる理由が恭也には解らなかった。

『主様が知らないだけで、いつもこうなのではありませんか?』

 プレシアの分析も的を得ているような気がした。自分が知らなかっただけで、これがはやての本当の姿ということか。意外と言えば意外である。昔から、はやてはしっかりした少女という印象があった。幼い身空から、八神の家長だったことも起因しているのだろうが、そのはやてが十九歳の少女であるというのも、また事実である。

 地球ならば漸く高校を卒業し大学生になろうかという年齢だ。はやてと同じ年でも働いている人間は地球にも大勢いるだろうが、管理職として部下を率いている人間は、そう多くはないだろう。軍隊、治安維持組織ならば尚更である。

「心配ならさずとも、はやてならば上手くいきます」
「恭也さんにそう言ってもらえるのは嬉しいですがー」

 うぅ、と呻くはやては、今までみた中で一番頼りなかった。そういう面を見せてもらえるくらい、信頼されているのだと思えば嬉しいことである。リインのことで対立することも多いが、基本的にはやてとの仲は良好なのである。不安に思っているのならそれを取り除いてやりたいし、力になってあげたい。

 指し当たって、今の自分の役割ははやてを励ますことだと恭也は理解した。

 辺りを見回し、人影がないことを確認すると、恭也はそっとはやての肩を抱き、その目を覗き込んだ。驚きに揺れるはやての目をじっと見つめながら、

「俺も微力を尽くします。それに今日来る相手も、話が解らない人間ではありません。大丈夫、自信をもってください」
「……こうして恭也さんに見つめられるの、はじめてな気がします」
「そうでしたか?」

 フェイト相手にはよくこうした記憶がある。はやてにもやっていたと思っていたのだが、本人が言うのならば記憶違いなのだろう。僅かに頬を染めたはやてが、こほん、と小さく咳払いをする。

 少しは役目を果たせたらしい。恭也は少しだけ誇らしい気分になって、はやてを解放した。

「恭也さんは小さい娘が得意なんかと思うてましたけど、それ以外もイケるんですね」
「冗談として受け取っておきますので、他所ではあまりそういうことは言いふらさないようにお願いします」
「シグナムやシャマルだけやなくて、ヴィータとも遊んであげてくださいね。あー見えてヴィータ、寂しがり屋ですから」

 口調はまるで、母そのものだ。気負いは完全に払拭できたらしいが、背中がむず痒くなって困る。

 だが、その言葉については反論したいことがあった。

 ヴィータとも遊んでやれとはやては言うが、事実としてシグナムやシャマルよりもヴィータの方が遊んでいる。無論、やましい意味はない。待ち合わせして会って買い物をしたり食事をしたりという健全な付き合いである。

 それなのにはやてにヴィータが一番遊んでいないという印象を与えるのは、一重にヴィータの行動に問題があるのだろう。シグナムもシャマルもきっと、自分と会ったことについてはやてに報告しているはずである。この日、恭也の奴と会いましてこんなことをしました、と。

 ヴィータはおそらくそれをしていない。そのことに少なからずショックを受ける恭也だったが、ヴィータの性格を考えるとそれも解らないでもなかった。ヴィータは見た目通りの照れ屋だ。十年来の知り合いとは言え、男と二人で出かけているというのは、家族にも話したくないに違いない。

 はやての性格からしてそうした方が余計に怪しまれると思うのだが、先の言葉を見るにヴィータの状況を正確に掴んではいないようである。今までよくバレなかったものだ。
 バレた時のことを考えると非常に憂鬱な気分になる恭也だったが、ヴィータが隠したいと思っていることについて一方的に暴露するのは後の報復が怖い。恭也は苦笑を浮かべると、はやてに『善処します』とだけ答えた。

「ヴィヴィオにママと呼ばれて、あれも満更ではなかったようですよ。遊び相手ができて、あれも満足しているでしょう」
「三人で並んで歩いても、親子に見えないのは困りものですね」

 けらけらとはやては笑うが、その時当事者になっているだろう恭也からすれば笑い事でもない。いい年をした男に幼女二人というのは、世間ではどう見られるのか。自分とヴィヴィオとヴィータ。どの組み合わせでも、明らかに血縁がなさそうに見えるのが憎い。

「さて、そろそろお仕事みたいですよ、恭也さん」

 はやての真面目な声音が、話を打ち切った。

 視線を追うと、こちらに向かって歩いてくる局員の姿が見える。地上の制服を着たのが、三人。脇の二人は明らかにお供という感じだった。中央の一人だけ、明らかにオーラが違う。離れてみていてもデキる女だと感じさせるのは、只事ではない。雰囲気だけならばリインやレティにも匹敵するだろう。

 事実、彼女が仕事ができる女性だということは、恭也も知っていた。最大限の敬意を込めて姿勢を正す。隣に立つ恭也がそうするのを見て、はやても姿勢を正した。

 形としては、こちらは彼女らを迎える立場である。形式的なことであっても、粗相があってはいけない。

「オーリス・ゲイズ三等陸佐です。本日は地上本部より本部隊の監査に参りました」

 地上本部の重鎮、レジアス・ゲイズ中将の実子にしてその秘書も勤める彼女は、ヒグマのような父に似て辣腕で知られている。その異名は前線部隊にも広く知られており、現場叩き上げの気性の荒い魔導師でも、彼女の一睨みには震え上がるという。

 早くもその雰囲気に呑まれつつあるはやての背を軽く小突いてやると、彼女ははっと意識を取り戻して、応対を始めた。

「……承っております。案内は私、八神はやて三等陸佐が勤めます。こちらは補佐の恭也・テスタロッサ准海尉です」
「ご無沙汰しております、ゲイズ三佐」

 一歩前に出て挨拶をすると、オーリスの表情が僅かに綻んだ。笑うことそのものに、慣れていないのだろう。笑顔というには聊か曖昧な表情ではあったが、それが彼女なりの最大限の歓待なのだと知っている恭也は、同様に笑みを浮かべた。マダムキラー、とはやてがこっそり呟くのが聞こえたが、それは聞こえないふりをする。

 そもそも、オーリスを指してマダムというのは間違いである。マダムは既婚の女性を指し、オーリスは未婚だ。それについては本人も相当に気にしているらしく、年齢、婚期などを指摘されたオーリスは、実父レジアス・ゲイズよりも恐れられている。

 はやての声も聞こえやしないかと冷や冷やしたが、見る限り、聞こえた様子はない。背中の冷や汗をおくびにも出さず、恭也は努めて平然として、会話を続ける。

「中将閣下は息災でしょうか」
「相変わらず、年に負けずに職務に励んでいます」
「それは重畳です」
「たまにはこちらにも顔を出すようにと、言伝を預かってきました。貴方の立場ですと難しいのでしょうが、できたら話し相手になってあげてください」
「近いうちに伺わせていただくと、お伝えいただければ幸いです」

 伝えます、と言葉を区切り、オーリスは鉄の女の顔に戻った。それまでの雰囲気が嘘だったかのような変貌に、はやてが一歩後退る。

「さて、案内をお願いできますか、八神三佐」
「では、こちらに」

 先だって歩くはやてに、オーリスが続く。お供の二人はさらにその後、恭也は最後尾についた。はやての補佐をするには遠い位置であるが、恭也にはオーリスの案内の他にも、関係のない人間が近付きそうになったら他所に行くように合図をするという役割もあった。

 監査が来るので余計なことはするなと六課の職員全員には通達済みであるが、それでも不測の事態というのは起こりうる。恭也の役目はそれに監査チームの立ち位置から対処することだ。

 ヴィヴィオは寮母のアイナが預かってくれているし、そちらにはザフィーラもついている。何かあったら念話連絡が来ることいなっているから、オーリスとバッティングすることは考えなくても良い。

 その保護についてもレティとカリムが手を回してくれ、一応の正当性を確保することができた。少なくともオーリス個人の権限ではどうすることもできないはずである。

 今日から合流することになっている補充人員も、監査がいる間が顔を出さないようにと念を押しておいた。ゲイズ派は地上本部でも主流であり、出世を狙うならばオーリスに顔を売っておいて損はないだろうが、補充人員のほとんどは本局からの出向であるのでゲイズ派とは折り合いが悪く、地上からの出向組もマイノリティに属している。念押しには喜んで賛成してくれた。

 後は彼女ら監査段をやり過ごせば、万事上手く行くのである。周囲すべてがバックアップしてくれるなら、それも難しくはないだろう。まだ緊張した様子のはやてを横目で見ながら、しかし、恭也はこれからの未来を楽観していた。

(恭也、悪い。ヴィヴィオが逃げた)

 アルフからの念話が、それを台無しにした。思わず足を止めた恭也をオーリスが振り返る。恭也にできたのは、それを誤魔化すためにぎこちなく笑うことだけだった。



























 今回の監査について、オーリスはあまり必要性を感じていなかった。

 本局の肝いりで設置された機動六課。地上の中にはこの存在を苦々しく思うものもいるが、成立背景はともかく成果は挙げているし、地上の部隊とも良く連携しようとしている。今までの本局の部隊と比べたら、雲泥の差だ。ハラオウン派が中心になって本局と地上が連携を密にしようとしているというのは噂として聞いているが、その成果の一つが六課であるというのならば、彼女らの目論見は上手く行っていると言わざるを得ない。

 成立背景がどうであっても、成果を出しているのならばそれを認めない訳にはいかない。事実を捻じ曲げて事を成すのは、地上にとっても不利益を生む。名を取って実を放棄するような真似は、実質的な地上本部の支配者であるレジアス・ゲイズの望むところではなかった。最大派閥の主がそうだと言うならば、地上に所属する人間は内心はどうあれ、それに従わざるを得ない。地上とて一枚岩ではないが、全体の意思統一は本局よりもやりやすい。それくらいに、レジアスの力は地上に浸透しているのである。

 そしてその浸透こそが、オーリスがこの場に派遣された理由とも言える。レジアスの力に満たされている人間にとっては。その力の及ばない存在を許すことはできないのだ。何とかして粗を探してこいというのが、地上の幹部の言葉だ。

 粗を態々探しに行くなど時間の無駄であることに、彼らは気づかない。六課は必要な存在だ。そこに地上の好悪は関係ない。それは公言してこそしていないが、レジアスの意思でもある。そもそも、地上の戦力だけで犯罪に対応できるのならば六課など設立されることはなかった。本当に必要ないのならば、今の本局と地上の関係からして設立を拒否できるはずである。設立してしまったということは、地上の戦力不足の証明に他ならない。

 忌々しいことではあるが、それは事実なのだ。六課が役に立っているのもまた、事実である。地上の人々の役に立っている以上、それを排除するのは管理局に籍を置くものとして正しいことではない。排除するならば、その分のアテができてからにするべきだ。

 そしてそのアテも、やはり事実として存在する。幹部たちもそれを知っている。それなのに六課の監査だ。接触を持つことはそれだけ、相手にこちらを知る機会を与えることになる。相手に踏み込むつもりで、こちらの喉を噛み千切られていたのでは、どちらか狩人かわかったものではない。

 はやてと恭也にバレないようにオーリスはこっそりとため息をついた。監査の相手をするために、彼らの業務も滞ってしまうのだ。一部の人間の溜飲を下げるためだけのこの仕事にオーリスは早くも嫌気が差していた。

 メディアに露出することが多い割りに、はやてをはじめとした女性隊長陣の仕事ぶりは実に誠実である。地上幹部がいらだっているのも、そういうイメージの乖離という身勝手な根拠があるのだろう。オーリスも個人的にはメディア露出に思うところはあるものの、管理局のイメージアップのために助力しているのだと思えばそれも立派な仕事だと割り切ることができる。容姿が優れていることも、カメラの前で微笑むことができるのも、立派な才能だ。少なくとも自分はあのようにできないし、文句を言っている幹部も同様のはずである。その上でそれ以外にも優秀な能力を持ち、前線で戦っているのだから彼女らを良く思わない人間は面白くないに違いない。

 そんな六課の隊長の中でも、恭也・テスタロッサは一際異彩を放っていた。六課憎しという主張をする人間の中でも、彼の評価だけは割れている。

 恭也は現場の人間の生存能力向上のため、惜しみなくその技術を供与していた。質量兵器を用いる犯罪者に対する対処方など彼の意見をまとめて作られたほどで、それが確立されていたおかげで助かった地上の人間は、両手ではきかないだろう。所属している部署の特殊性もあいまって本局の人間でありながら地上部隊に顔を出すことも多く彼に教えを受けた人間は多い。そんな彼らと現場に出動したこともある恭也を、仲間としてみてる人間もいるのだ。

 これは現場に下るほど多く上層部に行くほど少なくなっていく傾向にあるが、上層部でも決してゼロではない。地上幹部の中にも、恭也の行動に一目置く人間はいないではないのだ。何より、レジアスがその一人である。奴が地上にいれば……という小言を、オーリスは何度聞いたか知れない。

 オーリス自身の恭也の評価も決して悪いものではなかった。実直な性格も仕事に対する誠実さも、厳しい父の背中を見て育ったオーリスにとっては好ましい。男性として見た場合、少々考えてしまうところはあるが、そういう目で彼を見る女性局員も多いと聞いている。

 その恭也に、オーリスの視線は吸い寄せられていた。

 視線が定まっていない。きちんと案内の仕事をこなしながらも、その視線はせわしなく動き回っている。それを態度から感じさせないのは、彼の技量によるものだろうが一度視線が動いていることに気づいてしまうと、彼が内心で慌てているのだということがオーリスにも理解できた。

 問題は恭也がどうして慌てているのかということだ。隣を歩くはやてには何も変化がない。慌てる原因を共有していないのだろう。八神はやては優秀であるが、まだまだ経験が足りない。内心を顔に出さずに行動することは、特にこの緊張した状況下では不可能だろう。

 となると、より何故という疑問は深まってくる。はやてと共有していないということは、六課絡みではない可能性が濃厚であるが、恭也が個人的な案件を仕事に持ち込むとも思えない。ならば、六課絡みの一件であるがはやてに黙っているという方がまだ自然である。視線の動き具合からして、何か、あるいは誰かを探している風だ。

 誰か、というところまで考察して、オーリスは直感した。今この施設にいる人間で重要な人間は一人しかいない。先日の事件で六課が保護することになった、あの少女である。六課に囲われないよう地上でも手を尽くしたが、本局の方が一手早かった。少女は今、管理局法と職務規定に守られている。六課が何か大きなヘマをしない限り、誘拐でもしない限りは、六課施設から少女を連れ出す方法はない。

 彼女がどれほど重要な存在なのか。六課と『こちら』ではその度合いが異なるだろうが、六課にとっても大事な人間であることに変わりはない。それに、少女が恭也に懐いているということは、オーリスも報告を受けていた。強面ではあるが、あれで恭也も子供には好かれるという。彼ならば少女を不当に扱うということはしないだろう。こういう仕事だ、恭也が常に面倒を見るということはできないだろうが、隊舎に住んでいるのならば寮母が面倒を見てくれる。子育てとして十全の環境とは言えないが、気の抜いた育児をする親など掃いて捨てるほどいるこの時勢に、身元不明の少女に対する扱いとしては破格と言える。

 その少女を恭也が探しているのだとしたら、彼の態度にも説明がついた。はやてが事情を知らないところを見るに、深刻な事態とは考えられていないはずだ。目付け役の視界から姿を消したというその程度だろうが、恭也が少女を探そうとする気持ちも理解できた。今六課の中で、監査の目に一番触れさせたくないのはその少女だ。法と規則によって守られていると言っても、後から問題が出てこないとは限らないのだから。

 オーリスが振り返ったのは、何となくだった。振り返ると、視界の隅に尻尾が見えた。茶色の尻尾。それはゴムで結ばれた少女の髪の毛だった。それが件の少女であることはすぐにわかった。横目で恭也を見ると、彼はまだ少女を補足していないようだった。恭也はデバイスなどの機械に頼ることなく、人間を個別に判断できると聞いている。魔法使いでない人間もその対象だ。それなのに少女を補足できていないのは、少女が今立っている位置が、恭也の能力の範囲外だからだろうか。

 能力に限界があるのは当然のことだが、いまだに解明されていない点の多い恭也の能力について、その限界を目の当たりにすることができたのは貴重な経験である。恭也自身はその限界について勿論知っているだろうが、恭也がそれを少女に教えているとも思えなかった。ならば少女は自分でその限界を嗅ぎ取ったとでも言うのだろうか。オーリス・ゲイズは科学者ではないが、もしそれが本当だとするならば実に興味深い話だった。

 オーリスはあの少女に、個人的に興味が沸いた。

「失礼。お手洗いに行ってもよいでしょうか」

 オーリスの申し出ははやてによって認められた。当然のように案内に着こうとするはやてを『一人で行けます』と手で制す。向こうとしては部外者に勝手に歩き回られるのは面白くないだろうが、トイレに監視をつけるのも物々しい話である。はやてはそれでもついていこうとしたが、それは恭也によってとめられた。

 軽く会釈して恭也に礼を言うと、オーリスは一人で歩き出した。恭也たちは応接室で待っていると言い残して去っていく。人の視線はない。これで自由だ。先ほど少女を見かけたところまで小走りでかけていく。そこに少女はいなかったが、人がいた形跡はあった。そして何となく、見られているような気もする。

「出てきなさい。悪いようにはしませんから」

 かまをかけるつもりで、近くにいる人間だけに聞こえるくらいの声量で宣言する。これで食いついてこなければ放っておくつもりだったが、運はオーリスに味方していた。背後の植木の中から、少女がそろそろと這い出してくる。先ほどちらっと見た、茶色の髪をした愛くるしい少女だった。普段はにこにこと微笑んでいるだろう顔は、今緊張で強張っている。明らかにおびえた表情だ。そんなつもりはなかった、と言っても少女は信じてくれないだろう。

 別に子供は嫌いではないのでそういう顔をされるとオーリスも傷つくのだが、子供を安心させるような振る舞いはどうにも苦手だった。無理に微笑もうとして泣かれた思い出が、今もオーリスの心に傷を残している。

 だがそれでも努力はするべきだろうと思い直して、威圧しないよう、ゆっくりと歩みより少女に視線を合わせた。赤と緑のヘテロクロミアが印象的な美少女だった。

「私はオーリス・ゲイズといいます。あなたのお名前は?」
「ヴィヴィオです。よろしくお願いします」

 ぺこり、と少女は頭を下げた。恭也が保護しているだけあって、実に礼儀正しい。緊張を感じている相手にも礼を失しない辺り、彼の教育の成果が伺える。

「怖がらないで。私は今日、お父さんのお仕事を見に来たのよ。あなたと同じね」

 う、と小さくうめいて少女――ヴィヴィオが後退る。少女的には恭也の後をつけていたことは秘密であったらしい。このまま逃げ出しそうな雰囲気だったので、オーリスは慌てて言葉を付け足した。

「あなたのことは秘密にするわ。お父さんのお仕事が見たかったのよね?」

 こくこくとヴィヴィオが頷く。自分の予想は間違っていなかったと、オーリスはこっそりと安堵のため息を漏らした。これで少女を恫喝する地上職員という汚名をかぶることは回避できそうだ。

「お父さんはどう?」
「優しくてかっこいいです」

 迷いなく応えるヴィヴィオに、オーリスは苦笑を浮かべるしかなかった。聞きたかったのはそういう抽象的なことではないのだが、優しくてかっこいいという評価には納得のいくものがあった。子供に対しては特にそうだろう。

「今日の仕事ぶりはどうかしら」

 質問を変えると、ヴィヴィオはうーんと首を傾げて考える。

「女の人と仲良くしてます」

 実りある返答を期待していた訳ではなかったが、返ってきたのは先程よりも余計に反応に困る答えだった。女性比率の高い六課では、人間関係を円満に行おうとしたら当然、女性と仲良くしなければならないだろう。特に恭也の部隊は橋渡しや補充の意味が強い。十全な人間関係の構築は、仕事のうちと言える。

 ただ、娘のような立場の少女から『仲良く』という言葉を聞くと、ふしだらなことをしているように感じられてならない。恭也に限ってそんなことはないと信じることはできるが、子供というのは大人にない着眼点を持っているとも聞く。彼女の見たものがかつてないスキャンダルの始まりだとしたら、同じ管理局員として見過ごす訳にはいかなかった。

 詳しく、と身を乗り出しそうになる自分を、しかしオーリスはぐっと堪えた。オーリス・ゲイズといえども女性である。ゴシップに、興味がないではないのだ。おほん、と気を取り直すように咳をする。興味は尽きないが、今する質問でもない。第一自分は、トイレにいっている途中なのだ。あまり長くては、いらない詮索をされることになる。スパイ行動をしていると思われるのならばまだ良いが、そうでない気遣いをされるのは、名誉に関わる。

「お話ありがとう。お父さんを観察するなら、見つからないようにね」
「ありがとうございます」

 ぺこり、とヴィヴィオは頭を下げた。実に礼儀正しい、良い少女である。こんな少女ならば、六課でも大人気だろう。治安維持の最前線の場所に年端もいかない子供を置いておくのは、情操教育としてどうかと思うところはあるものの、その辺りは六課の隊員たちがカバーしてくれるだろう。自分たちの仕事が必要だと、一番理解しているのは働いている当人たちだ。その意味をきちんと子供に教えられる人間がいるとしたら、それは彼らを置いて他にない。

 ここで暮らすことはヴィヴィオにとって良い経験となるだろう。それで管理局で働きたいと思ってくれれば、人生の先達としてこれ以上はない。ヴィヴィオのことは努めて、ただの保護対象の少女と考えることにした。

 さて、とオーリスは深呼吸をした。まずは本当にトイレを探さなければ。怜悧な、監査にやってきた地上局員の仮面をかぶりなおして、オーリスは歩き出した。



 









中書き

すいません、また難産でした。
最近どうもスランプで、申し訳ないです。
次の話からようやく機動六課ある日のパートに入り、ナンバーズの登場です。