攻撃部隊の一つを任されていたウェンディは攻めあぐねていた。

 率いてきたガジェットは500。現時点でまだ400が生き残っている。一時間も経過していない戦闘で100の損耗は決して少ない数字とは言えなかったが、最終的には全て使い潰してよし、という許可を与えられての出撃と考えると、被害は軽微と言えた。元より綿密に計算された攻撃、進軍などウェンディの柄ではなかった。思う様に動き敵を翻弄し、一方的に蹂躙するのがウェンディの流儀だった。

 その流儀を通すことができないでいる。

 昼番フォワードたちは地上本部に出払っているから、この施設に詰めているのは留守居の部隊ということになる。魔力量、魔導師ランクなどで比較すれば、出払っている連中に比べて一段も二段も劣ると言わざるを得ない。人間の魔導師を研究対象としか見ないスカリエッティからすれば取るに足らない連中である彼らが、戦闘機人であるウェンディを苦しめていた。

 AMFの影響下の中、彼らは攻撃してくる。通常よりも時間をかけ、数人で協力してより高密度な攻撃を放ってくるのだ。その攻撃は着弾までの間にAMFでも減衰しきれない。相手の魔法を封じ、一方的に攻撃することができるというのがガジェットの売りであるが、それが見事に粉砕された形だ。それだけならばまだ良い。こちらの方が単純に物量が多い。仮にAMFがなかったとしても、質量兵器で押しつぶしてしまえば、それでウェンディの勝ちのはずだった。

 ウェンディも、最初は何も考えずにそうするつもりだった。

 そして、危うく命を落としかけたのである。

(――きたっす!)

 指揮に専念しようとガジェット群から距離を取ってしばらく。ウェンディの耳はモーターの駆動音を捉えた。空中には魔力で作られた道がある。その道を爆走してくるのはクイント・ナカジマ。タイプゼロの姉妹の祖体となった高位魔導師だ。スカリエッティをして『要注意』のランク付けをされている古強者である。

 その拳を避けるように、ウェンディはボードに乗って高度を上げた。擬似的に空を飛んでいるに過ぎないクイントは即応できず、来たときと同じ速度でウェンディから離れていく。

 そうしてガジェットの群れに突っ込み、その掃討を開始した。脅威が近くに来たことで、ガジェットの攻撃目標がクイントにシフトする。銃弾とミサイルの中、食らえば即死のはずのその攻撃を、クイントは最小限にはった防御フィールドと身体能力でもって切り抜けていく。バリケードを構築し、その向こうに陣取る連中は、すかさずその援護に入った。フォワードをクイント一人とし、他は全てその援護という極めて大胆な防御シフトだ。ガジェットの侵攻が一段落し、ウェンディが次の行動に移ろうとすると、すかさずクイントは姿をくらまし、指揮官であるウェンディを狙ってくる。

 自分の間合いに捕らえるまで、クイントは完全にウェンディの意識から消えていた。今は何とか攻撃を受けずに済んでいるが、接近に気付いた時の彼我の距離が段々と近くなっていた。このまま順調に進めば、確実にクイントの拳は自分を捕らえる。そんな予感がウェンディにはあった。機械の身体に予感など非科学的なことと思わないでもないが、悪い予感だけは良く当たる。

 自分が負けたところで大勢に影響はないだろうが、進んで負けようとは思わない。できることなら勝ちたいし、そもそも痛いのは嫌だ。ボードの高度を上げ、クイントの姿を追い続ける。脅威となるのはクイントだけだ。彼女の姿さえ見失わなければ、少なくとも自分が落とされることはない。

 臆病者! と罵ってくるノーヴェの姿が脳裏に浮かぶ。勘弁してほしいっす……と愚痴をこぼさずにはいられなかった。ウェンディが一人でガジェットを指揮する羽目になったのは、チンク姉が心配だとノーヴェが中まで着いていってしまったからだ。トーレに並ぶ姉妹でも随一の実力者に、新米の自分たちがついていってできることなど高が知れている。それでもなお着いていきたいという気持ちも解らないでもないかったが、一人残された砲撃担当の気持ちも理解してほしい。

 さて、と眼下の戦闘に意識を戻す。クイントはまだガジェットの群れの中で戦っている。今度は見失っていない。こうして彼女から意識を逸らさなければ、負けることはないだろう。

 そして物量で押し続ければ彼女らはいずれ疲労し、力尽きる。壊れても換えのあるガジェットと違い、彼らは損耗すれば換えがきかない。一人一人削っていけば、いずれこの防衛線も突破することができるだろう。

 それにしても、とウェンディは考える。入り口というのは何も一つではない。防衛線以外の場所からは、既に何体ものガジェットが施設の中に侵入していた。これだけ時間をかければ中を制圧し、目標を達成しても良さそうなものだが、魔導師でない本部の連中が思わぬ活躍をした。乗っ取られたシステムを完全に放棄し、手動で隔壁を全て降ろして時間を稼いでいるのだ。全てが堅牢とはいかない施設だが、その最奥部分の構造はシェルター並に強固である。

 この場を更地にするつもりならば外部からの攻撃だけでも何とかなろうが、それでは態々襲撃した意味がない。閉じられた隔壁を一々突破しながら、侵入したガジェットはじわじわと目標に近づいていく。その速度が、どう考えても遅い。チンクがノーヴェの援護を付けて中にいるはずだが、ガジェット群と合流した様子はなかった。チンクが最前線に到着すれば、隔壁など物の数ではないからだ。

 ノーヴェがいてまで、足止めを食らっているというのだろうか。

 フォワードたちのほとんどが出払い、恭也・テスタロッサをクアットロが引き受けている今、チンクの相手をできるような魔導師が六課にいるとは思えないが、その他の要因で遅れているとはもっと考えにくい。

 やはり、早急に切り上げて援護に向かう必要がありそうだ。ウェンディはボードを駆り、より高度を取った。人間の目では施設が見えなくなるほどの高度に達したところで、ボードから飛び降りる。自由落下に身を任せながら、砲撃モードに切り替えたボードを脇に構えた。

 狙いはバリケード内に篭っている、クイント以外の魔導師だ。落下しながらの砲撃など曲芸も良いところであるが、戦闘機人の性能ならばその程度は造作もない。こんな状況でも不動標的ならば百発百中で仕留める自信がウェンディにはあった。彼らの防御能力では、真正面から砲撃を受け止めることはできない。放つことさえできれば、それだけで彼らを討ち取ることができる。残る問題はクイントであるが、他の連中の援護がなければガジェットだけでもどうにかなるはずだ。

 彼女を仕留める算段をつけたら、後は適当な場所から内部に侵入し、チンクの援護に回る。

 そうして、目標達成だ。

 完璧な作戦である。落下しながら、ウェンディはほくそ笑んだ。勝利を確信した者の笑みは誰に知られることもなかったが、後にも先にもこの時の笑顔が最も勝ち誇っていただろう……とウェンディは後に思い返すことになる。唐突に先を急ぐことにしたあまり、数分前まで自分が何を警戒していたのか、この時ウェンディは完全に失念していた。襲撃の前兆だったモーターの微かな駆動音も、ローラーがウィングロードを擦る音も、空気が流れる音で聞こえることはない。

 ボードは砲撃モードに移行しているため、高速移動はもうできない。砲撃か、移動か。どちらか一方しかできないのが、ライディングボードの最大の特徴であり欠点である。いや、仮に同時に駆動することができたとしても、高揚したウェンディの精神はガジェットを大きく迂回してウィングロードを設置し、死角から高速で接近するクイントに対応することはできなかっただろう。

 必殺の間合いに近づいたクイントは、敵を仕留める狩人のそれではなく、まるでできの悪い我が子をどうしかったものかと思案するような顔をしていた。このまま仕留めて良いものか……しかし、思案したのは一瞬だった。クイント・ナカジマが管理局員で、ウェンディが戦闘機人であることに違いはない。

 ウェンディの背後。地面とほぼ垂直に滑走してきたクイントの拳がウェンディの後頭部を捕らえる。文句なしのクリーンヒットだった。一瞬で意識を刈り取られたウェンディは、自由落下の速度に拳の衝撃が加わり、弾丸のような速度で地面に向かってすっ飛んでいく。

 そのまま地面に激突すれば、如何に戦闘機人と言えども大破は免れない。拳を打ち込む瞬間に、クイント本人すらもウェンディの生存を完全に諦めたほどの文句のない一撃だった。ガジェットには攻撃の命令しか下されておらず、落下するウェンディを救うような真似はできない。ガジェットの猛攻を凌ぎながら事の推移を見守っていた隊員たちが見守る中、ウェンディはまっ逆さまに落ちてくる。

 誰もがウェンディが死ぬことを確信した、まさにその時だ。ウェンディの制御を離れたボードが、ウェンディの進路に割り込んだのだ。基本、まっすぐ飛ぶように設計されているボードは、上からの力を相殺することに全力を発揮することはできない。だが、現代科学の粋を集めたボードは高々度からクイントの拳によって加速されたウェンディの体を受け止め、地面に激突する前にその速度をほぼ相殺した。それでも殺しきれなかった速度の全てを受け止めたボードは、落下の瞬間、真ん中から折れる。。機械としての命はその時点で尽きた、と誰もが理解できるくらい致命的な音がその場に響いた。

 クイントも隊員たちもガジェットすらも、名づけられることすらなかった機械の終焉をその目で見ていた。沈黙が広がる。最初に行動を再開したのはクイントだった。指揮官たるウェンディを失ったガジェットは、行動するのが遅れた。ただそこにあるだけのガジェットを、クイントは瞬く間に十体破壊した。仲間たちが破壊されたことでようやく、ガジェットも行動を再開するが、その時にはクイントを援護した隊員たちによって、さらに五体が破壊されていた。

 意識を失ったウェンディはバリケードの中から出てきた隊員二人が、決死の思いでボードごと引きずって確保する。管理局を攻撃するようなテロリストの一味であるから、別に戦乱の中で死んだところで彼らが困る訳ではなかったが、戦う力を失った少女を銃弾の嵐の中に放置するのは流石に良心が――などと考えるよりも先に、彼らの身体は動いていた。助けられる命を見捨てるような人間は、ここにはいないのである。

 指揮官を失ったことでガジェットの統制は乱れる……かに見えたが、いざという時は守るようにプログラムされていたウェンディが姿を消したことで――プログラムされていたのはあくまで守護せよだけであり、奪還せよ、は含まれていない――ガジェットの動きはより洗練されることとなった。いきなり存在感を増したガジェットたちを見て隊員たちは忌々しげにウェンディを見やったが、気絶したウェンディは実に幸せそうな顔をして寝こけていた。

 クイント隊の戦闘は、まだ続く――

















 変わって、六課施設の内部である。施設内のコンピュータはウーノとクアットロのハッキングによって制圧されていたが、システムが完全に乗っ取られたと見るやグリフィスは非常用の電源を物理的に吹っ飛ばせと命令を出した。これにより強引にシステムをダウン。全ての隔壁を手動で操作することによって強力無比なバリケードを構築した。非戦闘員は全て隔壁の一番奥に退避、通信はグリフィスを中心とした非戦闘員の中の男性たちが徒歩で行った。

 非戦闘員にとっては綱渡りの状況だったが、時間さえ稼げば助かると彼らは確信していた。機動六課の魔導師たちは最強である。彼女らにできないことは、おそらく次元世界の誰にもできないだろう。半ば捨て鉢の心境だったが、心は思いのほか軽かった。既にこちらの状況は伝えてあるし、駆けつけてくるのは時間の問題。後はどれだけ持ちこたえることができるかだ。

 外の大群はシャマルとザフィーラの両名と、クイントの部隊が対応している。中に入ってくるのは彼女らが打ち漏らしたものであるが、その数は決して少なくはない。魔導師はそのほとんどが外に出ているから、対応に参加できる魔導師は少ないのだ。普段はヘリのパイロットをしているヴァイスを中心に、夜番フォワードを中心とした構成でその数は15名。ガジェットの大群を相手にするには心許ない数だったが、頑強な隔壁をバリケードとした消極的な防衛は時間稼ぎとしては悪くない手段だった。

 だが、その対応部隊は戦闘機人の相手までは想定してはいなかった。恭也がクアットロを、クイント部隊がウェンディを、シャマルとザフィーラがオットーとディードを引き受けてもまだ六課にやってきた機人はまだ二人余っているのだ。その対処まで含めて本部につめた魔導師と隔壁で対応できるかはまさに賭けだった。グリフィスは祈るような気持ちで非戦闘員に避難の指示を出し、自分は徒歩での通信を指揮する立場に回った。

 さて、侵入した機人の残りの二人、チンクとノーヴェである。本来チンクは単独で行動し、ノーヴェはウェンディのフォローという計画になっていたのだが、チンクが心配だと直前になって言い出し、それにチンクが押し切られる形で配置の変更となった。ガジェットが六課の魔導師たちを引き付けている中、散発的に施設に侵入するガジェットに混じって施設に侵入を果たしたが、施設は完全に電源が落ち全ての隔壁が手動で落とされていた。

 当代でも最高の実力を持った魔導師たちが集まる部隊、その施設である。隔壁の固さは並ではなかったが、それにしても限度があった。チンクのIS『ランブルデトネイター』は金属を爆弾に変質させる能力である。変質させる金属の大きさに制限こそあるものの、その破壊力は折り紙付だ。生み出したナイフを端から爆弾に作り変えてはぶつけるという力技で、隔壁を次々に破壊する。

 隔壁は無意味となり、後は目標を見つけるだけ。ノーヴェなどは順調すぎる道程に既に気を抜いていたが、チンクはこのままで終わるはずがないと肌で感じていた。

 程なくして、それは正面から現れた。仲間を伴った彼女は、チンクたちの姿を発見すると仲間たちに撤退するように促した。彼女の仲間は、彼女よりも大分年上のようだったが、魔導師としての力量は彼女の方が上なのだろう。その指示に従い、彼女を気遣う言葉を残しその場を後にした。

 彼女の姿を見て、興奮するノーヴェをチンクは制した。

「あれは、姉一人でやる」
「なんでだよ!」

 姉思いの優しいノーヴェは断固として反対したが、チンクはそれを視線だけで黙殺した。姉の無言の抗議にノーヴェは悔しそうな顔をしながらも、黙って一歩退いた。妹の消極的な了解を受け取ったチンクは、それに向けて進み出た。

 胸元に下げられた燻った色をした石を手で弄ぶ。

 原理不明の力の働いた、不思議な石だった。あらゆる魔法を受け付けず破壊できないそれは不滅の象徴として、戦場に出る人間に古来から好まれていた。

 ただし、石は稀に灰となって崩れ落ちるという。その時がその戦士の死ぬべき時だという伝説であるが……そんな不吉なところまで含めて、チンクはその石が気に入っていた。

 この石を持て弄んでいると、敵に立ち向かう勇気が沸いてくる。子供じみていると自覚してはいるが、もはやそれはチンクの癖のようなものだった。距離にして数歩。それだけを進む間に、チンクの心は闘志で満ちた。それは心根の優しいチンクが、戦士として気持ちを切り替える儀式だった。姉から戦士の顔になったチンクは、声を挙げる。

「私に挑むのはお前か、タイプゼロファースト」
「私は、ギンガ・ナカジマです」

 それ以外に名前などないと言うように、ギンガと名乗ったそれは足を踏み鳴らした。
























 仲間と巡回中、戦闘機人と遭遇したギンガはすぐに彼らに撤退を促した。ガジェットを伴っていない彼女らに当たるには、少数の方が良い。単純な技量だけで言えば彼らの方が大分上を行っていたが、彼らの技能のほとんどは、集団で戦うことを前提としている。ガジェットと戦うにはそれでも良いが、単体で高い能力を持つ戦闘機人を相手にするには向いていなかった。

 それを理解していない彼らではなかった。娘のような年齢のギンガに後を託すことの悔しさが滲み出た顔で、彼らはその場を離れた。プライドよりも任務達成を優先してくれた彼らに感謝しつつ、ギンガは足を踏み出した。

「私に挑むのはお前か、タイプゼロファースト」
「私はギンガ・ナカジマです」

 自分の名前は、それ一つしかない。両親から与えられた大事な名前だ。それを型番で汚させることは、『人間』としての矜持が許さなかった。

 銀髪で隻眼の戦闘機人は、ギンガの発言に僅かに眉を顰めたが、

「そうか。ではギンガ・ナカジマと呼ぼう。私はチンク。悪いが私たちと一緒に来てもらおう。お前を捕縛することも、私たちの任務の一つだ」
「お断りします。私の仕事は、貴女たちを捕縛することですから」
「ならば痛い目を見ることになるぞ?」
「できるなら、いくらでも」

 ふむ、とチンクは小さく唸った。子供のような容姿であるが、それが高い戦闘能力を持っていることをギンガは知っていた。八年前のあの空港で、恭也とクイントが交戦した機人の一人である。直接戦ったのはクイント一人であるが、その時の力量でさえ相当なものだった……と、クイントは言っていた。あの頃。ただの子供だったギンガは一人の魔導師へと成長したが、相手が技能の研鑽に費やした時間が自分よりも劣っているとは思えない。

 この相手は自分よりも強いだろう。ギンガはそう直感した。

 その直感は、自分の高い確率での敗北を意味していた。こういう状況での敗北は死にも繋がる。根源的な恐怖がギンガの心にじんわりと広がっていくが、理性がその侵食を押し留めた。自分の仕事は、彼女に勝利することではない。六課が直面しているこの状況を脱出することができれば、結果的には自分たちの勝ちである。地上本部に留められている仲間がここまでたどりつくことができれば、彼女らなど物の数ではない。

 自分の仕事は、彼女らを一分一秒でも長く、この場に押し留めることだ。命を繋ぎとめながらそれを達成することができれば、ギンガにとってそれ以上はない。個人としての勝利など二の次である。牙なき人の牙となるべし。幼い頃から憧れ、今尚恋焦がれるかの男性の言葉だ。

 その言葉を胸中で何度も唱えながら、バリアジャケットを装着する。両手のリボルバーナックルの感触を確かめながら、視線はまっすぐにチンクを見据えていた。

 チンクの右手が動く。それに呼応するように、虚空にナイフの群れが出現した。それらが飛び出すのと同時に、ウィングロードを展開。ブリッツキャリバーで疾走し、中空に逃げる。チンクは床に足を付けたまま、片方しかない目で中空にギンガを睨んだ。両手にナイフを出現させ、ギンガの動きを追うようにして、連続で投擲する。

 ギンガは絶えず、高速で動いていた。ウィングロードを途中で区切り、新たに生み出した別のルートに飛び移るということを細かに繰り返すことで、聊か直線的ではあるものの、擬似的な飛行を可能としている。それ故に、その軌道は通常の飛行魔法の使い手とは大きく異なる。加えてこの手の方法で空戦をする人間は少ないため、初めて相対する人間は決まって戦いにくそうにするものだが、チンクの隻眼はしっかりとギンガの動きを追っていた。

(近場に見本がいるって顔ね……)

 視界の片隅に、機人の少女を捕らえる。スバルに良く似た面差しの、少し気の強そうな少女だった。装備からして、SAか、それに似た技術を習得していると思われた。

 ナイフの一本がウィングロードを直撃する。

 爆発の振動が足元に伝わってくるよりも速く、自動で光の道は切り離された。中途で衝撃を受けると、それが全体に及ぶのを防ぐために適当な部分で消失するようプログラムされているのだ。ナイフがウィングロードを直撃したのは、開戦から数えて四度目。ナイフが直撃する位置は段々とギンガに近くなっている。チンクの目が慣れてきている証拠だ。

 攻撃の制度が悪いことを期待しての空戦機動だったが、その目は薄そうだと見るや、ギンガはウィングロードを全て消失させた。疾走の勢いはそのままに落下を始めるギンガに、チンクは驚きの表情を浮かべつつも再びナイフを投擲した。その数三本。軌道からして直撃コースのそれを、ギンガは身体を捻って避けた。そのナイフが爆発する直前、落下の速度を殺さぬように再び出現させたウィングロードを噛んだブリッツキャリバーが、ギンガの身体をチンクに向かって加速させる。

 交差は一瞬。

 すれ違いざまに全力で打ちこんだギンガの拳は、強固なバリアによって阻まれた。チンクの意思で発生したという感触ではなかった。防御に意思を割いていなかった分、チンクが次の行動に移るのは早かった。

 離脱が完了してないギンガに向けて、ナイフを一本放つ。

 顔面に向けて放たれたそれをギンガは避けることもせず、左のリボルバーナックルで強引に弾いた。拳の衝撃を受けたナイフは、しかし爆発することはなかった。

 躊躇いなくナイフを弾いたギンガを、チンクは軽い驚きの表情で見つめた。それにギンガはウィンクして応える。

 投げられたナイフ全てが爆発する訳ではない、というのは最初の段階で気付いていた。それが能力の限界なのか、意図したものなのかの判断はできなかったが、数度の交差で爆発する操作をされたナイフとそうでないものの区別が、ギンガには何となくつくようになっていた。

 先のナイフを躊躇いなく弾いたのは、それを示すためでもある。

「ご配慮、痛み入ります」
「頭を吹っ飛ばしては生け捕りもないもないからな」

 チンクはこともなげに応える。顔面をナイフで狙うことに躊躇いはないようだった。配慮してくれる割にその度合いが過激なのは、彼女が機人で自分も機人だからだろう。自分が人でないことを知っている者は、それがどれだけ頑強であるかを知っている。生け捕りというのは、とりあえず生きてさえいれば良いくらいの意味に違いない。

 負けは死に直結する。不幸に過ぎる自分の未来を意識して、ギンガの感性はさらに研ぎ澄まされていく。

 彼女の技量と、防御性能。それらを加味した結果、自分がかの機人に勝つことのできる可能性は限りなく低い。純粋な技量にそれほどの開きは感じないが、彼女の固有能力とも言うべき『爆発』は危険だった。勝ち目があるとすれば消耗するまで待つくらいだが、彼女の体力が自分のそれを上回っていた場合、持久戦に持ち込むのはあまりに危険である。

 さりとて、短期決戦を挑むには多大な危険が伴った。単体でも勝ち目が薄いのに、相手にはまだスバルの親戚のような控えの機人がいる。援護に回られたらその時点でギンガの敗北が決定する。自分の身の安全をある程度確保した上で、これ以上この機人たちを先に進ませないためには、ここでチンクを倒すしかない。

 彼女の技量と、防御能力。それを現状の手札で突破する方法……それらを瞬時に計算して、ギンガは深呼吸をした。

 時間稼ぎは不可能だ。ここは綱渡りをするしかない。勝てる確率は少ないが、勝てなければ自分はロクでもない目に合い、守るべき人が危険に晒される。

 勝たなければならない。その思いが、ギンガの感性をより鋭くしていった。

 ちり、とギンガの両目の奥が痛んだ。瞼を押さえて頭を振るが、痛みは消えなかった。視力に影響はない。チンクを睨むようにして見据えながら、ブリッツキャリバーを引っ込める。自分の足で地面の感触を確かめながら、ゆっくりと距離を詰めていった。

 無造作な動きに見えたのだろう。実際にそうだ。チンクの顔には微かな驚きの色が浮かんでいる。罠を警戒しているようだが、様子を見るというようなことはしなかった。両手に一本ずつのナイフを生み出し構えると、眼前にはナイフの群れを出現させる。遠距離、近距離と両方に対応できるチンクにとっては万全の体勢だが、ギンガにとってそれは好都合だった。

 攻撃魔法の準備に入る。デバイスの能力の全てはその演算に回した。攻撃も防御も正真正銘の手動となる。ナイフを食らったら最後、戦闘には復帰できないだろう。防御は考えなかった。チンクの身体に拳が到達するまで、攻撃は全て避け続ける。

 ナイフの群れが放たれる。ブリッツキャリバーを起動――ウィングロードを展開して、中空に逃げる。身体を捻り、ウィングロードを消し、ある時は自由落下に身を任せながら、ある時は身体の負担も気にせずに加速しながら、ナイフを避けていく。

 先の繰り返しだが、視線はチンクから外していない。何かを狙っている、というのはチンクにも理解できたろう。ナイフを生み出し続けながら、その瞳に警戒の色が浮かぶのが見えた。逃がさない。ブリッツキャリバーを消しウィングロードを消し、頭から地面に向かって落下する。空中で身体を捻り、着地。チンクまでの距離は、後三足だった。

 一足。後二歩まで詰める。残ったナイフが全て降り注ぐ。急所に当たるもの以外は全て、身体で受けた。ナイフが数本身体に傷を作り、一つは肩に刺さったが、ギンガの歩みは止まらなかった。ナイフの爆発はない。滑るように距離を詰めながら、静かに呼吸を整える。

 歩みが止まらないのを見て、チンクは防御の意思を固めた。ナイフを放り出し、ギンガに向けて腕を交差させる。注文どおりの状況に、ギンガは僅かに口の端を上げて笑った。

 大きく息を吐き、拳を引きつける。何千、何万回も練習したSAの動き。脳裏に刻まれた恭也の動き。彼の十分の一の力でも出せるように祈りながら、ギンガは引き絞った右拳を放った。

 ばちり、と光が散った。何の魔力も込めていないただの突きは、チンクのバリアによって簡単に阻まれた。それだけか、とチンクがギンガを見据える。

 無論、それで終わりではない。

 拳が直撃した瞬間、準備していたギンガの魔法が起動した。拳の直撃によりバリアの向こうに僅かに遅れて発生した振動を、魔法で捕捉し増幅させる。最初は小さな風のようだった振動が、魔法によって増幅され暴風に変わった。

 バリアに囲まれているチンクに、これを避けることはできない。

 空間が、ギンガとチンクの間で爆発した。バリアの中で荒れ狂った衝撃は、チンクの小さな身体をボロ雑巾のように吹き飛ばした。直撃させたという手応えはあった。魔法の反動で半ばから吹き飛んだ右手を見下ろしながら、ギンガは小さく安堵の溜息を漏らした。


 恭也の技術を真似しようと思い至ったその時から、この技の完成形は見えていた。身体能力による技術を魔法によって増幅し、ダメージを与える。そのためには技術の安定と高度な術式の完成が必要だった。術式についてはこっそりと特共研に注文を出していた。技術と魔法の融合というプランを持ち込んだら、彼女らはそれは面白いと二つ返事でOKを出してくれた。

 代わりに完成したら世間に技術を公表するという約束であるが、そんなことはギンガにとって些細な問題だった。特共研の仕事は速く、注文から一年ほどで術式は完成したが、問題はギンガの技術の方だった。恭也たちが『徹』と呼ぶその技術を習得するのに三年。戦闘の中でも確実に出せるようになるまで、更に二年かかった。技術と術式を融合させるという、技の初期段階に到達することができたのは、今年に入ってからのことである。

 両方の技術が揃えば技は完成すると思っていたギンガは、そこで更に壁にぶつかった。制御が思っていた以上に難しかったのだ。ギンガのデバイスはそれほど高い演算能力を持っていないことも、原因の一つと言えた。魔法の演算にデバイスを持っていかれること。準備に若干の時間がかかること。二つの技術を併用することで、そもそもの『徹』の成功率が下がってしまうことなど合わせて、六課に赴任する前に試算した技の成功率は、結局五割に届かなかった。

 研究中の技としては中々の成功率だと思うが、恭也など鼻で笑うだろう。百回やってその全てを成功するようでないと、彼はできるとは認めない。

 だから確実に成功できるようになるまでは、恭也には伝えないと心に決めていた。いつか眼前で披露し、お前は凄いなと褒めてもらうのがギンガの夢だった。

 いまだ世に出ていないこの技を、ギンガは『吼破(ハウリングバスター)』と名づけた。

 チンクは立ち上がることもできなかった。吹き飛んだ右手の痛みに顔を顰めながらもギンガは起き上がり、チンクに歩み寄っていく。

「死ねっ! タイプゼロ!」

 それまで息を潜めていたスバルの親戚のような機人――胸のプレートには\の数字が刻まれていた――が、赤紫色のウィングロードの上を疾走し、足を繰り出してくる。直撃すれば首が吹き飛ぶような一撃を、ギンガは左手一つで受け流し、攻撃の勢いそのままに機人を投げ飛ばした。

 気合の声はそのまま悲鳴に変わった。なす術もなく壁に叩きつけられた機人は、しかし即座に立ち上がりつっかかってくる。普通の人間ならば全身の骨が砕けて即死してもおかしくない衝撃だったはずだが、機人だけに中々頑丈なようである。

 SAをベースにした体術には目を瞠るものがあったが、チンクに比べると荒削りは否めない。感情に任せて繰り出される攻撃には斑があった。片腕で戦うハンデを差し引いても、ギンガにはその攻撃が良く見えていた。殺人的な威力を持った拳や蹴りを見切り、避け、あるいは残った左腕で受け流していく。

「てめえ、片腕のくせにやるじゃねえか……」
「私が片腕に見えるようなら、貴女もまだまだね」

 武術とは腕だけ、足だけでするものではない。身体全てを使うことを意識できないようなら、そこから先に進める見込みはないと、ギンガは何人もの先達から教えを受けてきた。自分の未熟で腕をなくしたが、他に異常はない。眼前の機人一人が相手ならば、これでも十分なほどだった。

 相手の力量がおそらく、自分よりは下だろうということを悟ったギンガは、僅かに肩の力を抜いた。それでも油断はできないが、チンクを相手にした先の戦闘よりは組し易いのは間違いない。この現場を処理することができれば、他の援護に行くことができる。最大の脅威であったチンクを排除することに成功した今、この機人の排除は急務だった。

 万が一にも敗北することがないよう、機人を観察する。

 体術の技量は悪くはない。機人であるから正当な訓練の対価として得た技能ではないかもしれないが、見た目通りの年齢として扱っても良いならば、相当な使い手と判断することができる。良い師匠の下につけば、これからもっと成長できるだろう。

 身長は小さい。自分よりは頭半分ほどは小さかった。チンクよりは大きいはずだが、足のローラーを加味すると女性にしても小柄である。それなのに胸は中々豊かなのだから、世の中間違っている。

 自分もそれなりに大きい部類に入るはずだが、そこに小柄という要素が加わった眼前の機人は視覚的効果においては自分を遥かに上回っていた。どちらの胸が大きいかと適当な人間に問うた場合、おそらく大抵の人間が眼前の機人を支持するだろうことを想像して、ギンガの心に暗い闘志が漲っていく。

 髪は目を引く赤色、瞳の色は金である。それを除けば容姿は驚くほどスバルに似ていたが、その顔に浮かんでいるのは苛立ちだった。笑顔でいることの多いスバルと比べると、対照的である。それでも似てると思える辺り、相当に顔立ちが似ているのだろう。

 そこに何か陰謀めいた匂いを感じないではないが、そんなことは些細なことだ。

 年下、反抗的、何だが巨乳。これは非常に危険だった。個性的な過去を持った反抗的な年下の少女に好かれるのは、恭也の得意技である。その基準で言うならば、この機人は危険だった。今の段階で上下関係を叩き込んでおかないと、手遅れになるかもしれない。

 ただでさえ、最近は元金髪ツインテールが色気づいてきてきる。これ以上ライバルを増やすことは避けたかった。

 とりあえず、念入りに、叩きのめす。

 一歩、また一歩と歩み寄ってくるギンガに、機人は逆に一歩、また一歩と退いた。

 ギンガは笑みを浮かべた。

 まるで悪魔のような笑みだった、と機人――ノーヴェは後に、震えながら妹たちに語って聞かせた。
 
 

 

 








「ほらほらどうしたの、すずかおねーさん! 上手に避けないと死んじゃうよ!}

 少女の哄笑を遠くに聞きながら、すずかは全速力で動いていた。アリシアの放つ攻撃は、まさに光の雨である。四方八方から自分を狙うレーザーを、すずかは半ば勘頼みで避け続けていた。

 戦闘を行うのに支障はないが、既に全身に怪我をしている。直撃こそしていないが、傷を受ける感覚はどんどん狭くなっていた。ジリ貧、というのはすずかにも理解できていた。そもそも、恭也たちが一緒にいても勝つことができなかった相手だ。自分一人でどうにかできる相手ではない。自分の役目は時間を稼ぐこと。そう割り切って戦闘を始めたつもりだったが、その時間稼ぎすらもう難しくなっていた。

 息があがっている。体力は全ての資本とフォワードよりも体力作りに時間を割いているブレイド分隊に所属するすずかでも、既に体力の限界にきていた。命がけの状況で高速で動き続けることが、強靭なすずかの心臓にも負担をかけていた。

 一度動きを止めてしまったら、もう動き出すことはできないだろう。動きを止めてしまったその時が、この勝負の終わる時だ。

 そしてアリシアの言葉から推察するに、それが命を失う時でもある可能性は高い。この少女は無邪気に笑いながら、人を殺すことができる。可憐な笑顔の下に秘めた残虐性は、この短い戦闘の中でも嫌というほどに伝わってきた。

 親友と同じ顔をしている少女がその様に振舞うことに、すずかは内心で怒りを覚えていたが、怒りだけでは実力差はどうしようもなかった。何とか逆転できないものかと探っては見たが、アリシアの防御を破ることはできなかった。なのはのような大火力を直撃させることができれば話は別だろうが、すずかや恭也のような近接主体の人間に、アリシアはまさに天敵と言えた。

「それにしてもすずかおねーさん、どうしたの? 話に聞いてたよりも全然弱いじゃない? おにーさんよりも強い時があるって噂を聞いたよ?」
「それはただの噂ですから、忘れてくれて大丈夫ですよ!」

 後頭部を狙ったレーザーを紙一重で交わす。髪を一房持って行かれた。命の危機を脱したことよりも、その事実にすずかは怒りを覚えたが、復讐の機会を与えてくれるようなアリシアではなかった。まるで詰め将棋のようにすずかをレーザーで追い込んでいく。

「んー、でも調子が悪いように見えるのはほんとなんだよね。もしかしてあの日って奴?」
「女の子ならもっと、慎みを持ってくださいっ!!」

 苛立ち紛れに怒鳴ってみる。舌打ちでもしたい気分だった。本当にあの日な訳ではないが、不調なのは本当だった。敵に見抜かれるとは自分もまだまだ、と考えるすずかの肩をレーザーが抉った。出血が、すずかの頬を赤く染める。激痛で動きが鈍った。足が止まる。その瞬間をアリシアは見逃さなかった。

「これで、おしまいっ!!」

 全方位。三次元的に、あますところなく、魔力の光がすずかを取り囲んだ。はぁ、とすずかが溜息を吐くと同時に、アリシアは指揮者のように指を振るった。一斉に放たれたレーザーが、すずかの身体に穴をあけていく。それでも致命傷は避けようと、最低限の防御はしたが、足に、腕に、胴に、レーザーは次々に直撃していく。一瞬意識を失ったことで、気で作った足場が消えた。

 重力に引かれて落下していく中、すずかは最後の力を振り絞って、棍を放った。閃光のようなその一撃も、アリシアのシールドを貫くことはできなかった。耳を劈く衝撃音と共に跳ね返り宙を舞った棍は、レーザーによって三つに断たれ、落下していく。

「じゃあね、おねーさん」

 アリシアはにこりと微笑んで、すずかに指を向けた。一条の光が、すずかの心臓を貫く。力を失ったすずかの身体は血を流しながら落下し、海に落ちた。







「あんまり面白くなかったけど、あのおっぱいを排除できたんだから、問題ないよね」

 まるで宿題一つを片付けたというような気軽さで、アリシアが呟く。三秒も眼下の水面に広がる血の赤を見つめると、アリシアは中空で踵を返した。トーレとセッテはまだ手が離せないようだった。ここで戦力を足止めする、というのが初期の任務だったが、すずかと戦っている途中に別のお願いがスカリエッティから来ていた。

 六課方面の部隊が劣勢らしい。残存戦力がどうも頑張っているようで、このままではフォワードが帰還する前に任務を達成できなくなるということだった。

 大したことではない。AMFの張り巡らされた六課施設に侵入し、目標の少女を確保する。ピンポイントの転移は難しいだろうが、短距離を刻みながら行けばAMFの中でも問題なく転移は発動するだろう。

 それはアリシアと言えども相当に魔力を消耗する行為だったが、ギリギリ間に合う試算した。

 途中で誰かに捕まれば戦いの趨勢は解らなくなる。並の相手ならば消耗した状態でもあしらえるが、なのは達エースクラスに捕まったら逃げることもできない。目標を達成できるかどうかは運に任せるしかない。

 それでも、アリシアは実行することを選択した。命を雑に扱うその行為が、単純に彼女の好みだったからである。

「結局私頼みなんだから。ドクターも結構大雑把だよね」

 誰にともない愚痴を漏らしながら虚ろに微笑み、アリシアは虚空に消えた。






















 銃弾の流れる音。ミサイルが爆発する音。これぞ戦場という音が耳に馴染む頃になっても、戦闘の趨勢は決まっていなかった。

 全身自分の流した血で真っ赤になった恭也だが、しかし動きに遅滞はなかった。鋭い痛みが全身に広がることで、むしろその神経は研ぎ澄まされていた。

 ガジェットを500を破壊した辺りから考えることを止めた。一体一体は問題にならない戦力でも、クアットロという頭脳に統率されたがジェットは、恭也にとってもまさに脅威だった。

 相手にしなければならないのはガジェットだけではない。気配を完全に遮断したクアットロが、常にこちらの命を狙っていた。気配の殺しっぷりは一流の暗殺者も舌を巻くほどで、どれだけその技術を研究し、鍛錬を重ねたのかを忍ばせていた。

 恭也はそういう努力が嫌いではなかった。あの強気なクアットロが地味な鍛錬に時間を割いている様を想像し、命がけの戦闘の途中にも関わらず笑みを浮かべる――同時に、首を僅かに左に逸らした。遅れて銃声が聞こえる。視線をそちらに向けると、既にクアットロの気配はそこになかった。

 相変わらず見事な所作であるが、気配の消し方が段々と雑になっていた。この極限状況はクアットロにとっても相当にストレスなのだろう。戦いながら、恭也はクアットロのおよその位置を掴むことに成功していた。後一度か、二度。クアットロの攻撃を避けることができれば、その位置を看破できる。

 自分が追い込まれつつあることは、クアットロも理解しているはずだ。硝煙と爆音の中、クアットロの焦りの気配が微かに伝わってきた。

 ここまで憎悪を向けられたことは、恭也の人生で生まれて初めてだった。クアットロに同情の余地はない。女性の顔に傷をつけ目を奪ったことも、今の恭也の心を痛めてはいなかった。因果応報。特に悪事を働く人間にはそうあるべきだというのが、恭也の考えだ。クアットロが悪人で、裁かれるべき人間であるということに疑問の余地はない。

 もし死刑執行の仕事が自分に舞い込んだとしても、躊躇いなく刃を振り下ろすことができると、恭也は確信もしていた。

 しかし、である、それとは別のところで、恭也はクアットロにシンパシーを感じていた。強烈な負の感情に支配された瞳で自分を見つめる彼女に、今は遠くにいる主の姿を重ねたのかもしれない。主は自分を通して色々なものを見ていたが、クアットロの視線は自分で止まっている。強烈な感情を受け止めている事実に、恭也は仄かな喜びを感じていた。

 好敵手、というにはあまりにもロクでもない人間で、不謹慎ではあったが、任務も自分の立場も忘れて、恭也は少しだけ、本当に少しだけ、この戦闘を楽しんでいた。

『前から思っていましたけれど、主様はきっと、狂っていらっしゃるのですね』
「今更だな。それより敵の数は?」
『今破壊したガジェットが1458体目。十全に稼動している数は、約400というところでしょうか。一人で成した戦績としては、中々の物ではありませんか?』
「もう一度やれ、と言われても達成できるか解らんな。自分でも、ここまで動けているのは奇跡だと思う」
『私も従僕として誇らしいですわ』
「ならばそれを裏切らんようにしないとな!」

 ウィングロードを疾走し、すれ違いざまにガジェットを両断する。爆風に巻き込まれる前に、神速で離脱。解除したその瞬間、クアットロの殺気を捉えた。視線を向けた先に、クアットロの気配を捉えた。はっきりと視線を向けられて動揺したのか、空間がブレて、クアットロの姿が露になる。幻影ではない。本物だ。

 彼我の距離はおよそ50メートル。

 これで決める。クアットロの姿をその目にはっきりと捕らえた恭也は、神速を発動した。

 進路を塞ぐように、カバーに入ったガジェットを両断していく。三つ、四つ、一息で両断した恭也の前に、数十体のガジェットが殺到していた。最初からこうなることを予測していたのか、恭也の進路を塞ぐような配置である。壁が一度できれば、迂回しなければならない。神速状態で動くことのできる恭也にとって、少々の距離は大した問題ではなかったが、クアットロから目を切ることはすぐそこにまで手繰り寄せた勝利が、また遠のくことを意味していた。

 今この時も、仲間は窮地に立たされている。この場を一刻も早く片付けて、救援に向かわなければならない、決着は今、ここで着ける。躊躇っている時間は、恭也にはなかった。

 神速を、さらにもう一度。

 久しぶりの超神速に気で補強された身体にも痛みが走る。クアットロの想定外の動きをした恭也は、ガジェットの攻囲が完成する前に、その隙間を強引にすり抜けた。視線の先にはクアットロ。銃を構えようとしている彼女の顔には、憎悪と、受け入れがたい敗北の予感があった。直感したのだろう。このままでは一瞬、自分が遅い。銃弾を放つ前に、首は断たれる。

 それは恭也も、事実として認識していた。神速が解かれる。それでも足は緩めなかった。残りの距離は三歩。右のプレシアを最小の動きで振りかぶる。首を刎ねる。ただそれだけを、後は淡々と実行するだけだ。恭也は勝利を確信し、クアットロは敗北を受け入れた。

『こちらアリシア。ヴィヴィオちゃん、確保したよー』

 あらゆる音を雑音として排除していた恭也の耳が、その人物の名前を拾ってしまった。その内容を理解するのに数瞬の時を要する。既に行動に入っていた身体は脳の指令を実行している途中だった。それは今更止まるようなものではなかったが、リソースの全てを戦闘行為に傾けていた恭也の行動は、その言葉のせいでほんの数瞬遅れた。

 そしてその数瞬が勝負をひっくり返した。

 自分の額にぴたりと狙いを定めた銃口を、恭也は妙に静かな気持ちで見返していた。

 戦場に、乾いた銃声が響いた。それまでに比べたらバカみたいに小さなそれが、勝負の終わりを告げた。

















 後書き

 これで諸々の戦闘に一区切りです。

 予定通りとは言え後味の悪い区切りとなってしまいましたが、今後の展開は多分、皆さんの想像通りになるのではないかと思います。

 二話お届けするのに半年もかかってしまいましたが、今後はもう少し早くお届けできればと思います。

 遅筆ですが最後までお付き合いいただけましたら、幸いです。