『はぁい、皆さんこんにちは、クアットロでーす』

 その映像は、オープンになっていた回線全てに強制的に割り込んできた。

 廃墟をバックに映りこんでいるのは、一人の女である。癖のある茶色の髪にメガネというそれだけを見ればいかにも学者といった風貌だったが、その奥のキツい目つきと傷に抉られた片目。それからボディラインのはっきりと出るラバースーツという非常識な記号が、その印象を台無しにしていた。加えて、右手は半ばから千切れており、全身は頭から血を被ったように真っ赤に染まっていた。

『皆さんにお知らせがありまーす。私は今日、ついに、悲願を果たすことに成功しましたー』

 カメラを前に、おどけた様子でポーズをとる。

『恭也・テスタロッサを、殺すことに、大・成・功! あー、今日は何て良い日なのかしらー。ちなみに証拠はこれ!』

 じゃじゃん! と効果音までつけて出されたのは肩口からちぎられた、人間の右腕だった。クアットロと同じように血で真っ赤に染まったその腕には、大小さまざまな傷がある。さらに手のひら辺りにひっかかった腕章があった。血で染まっていても柄は見て取ることができる。交差した二刀にまたがった烏のエンブレム。それを身に着けることが許される人間は数少ない。

 腕は明らかに男性のもの。

 そして、その腕章をつけることのできる男性は一人しかいなかった。

『こんな無骨な腕だけでごめんなさい。でも、首は私が吹っ飛ばしてしまいましたし、デバイスはうるさいから踏み潰してしまいました。それ以前にガジェットの攻撃を受けて全身かなり損傷していましたから、あの男を証明できるような部位はこれだけだったんです。でも――」

 クアットロが腕を放り投げる。虚空をくるくると回る腕にカメラが寄る、と同時に重火器が降り注いだ。轟音が空気を震わせ、乾いた血の張り付いたクアットロの髪をなびかせる。その顔には狂気に満ちた笑みが張り付いていた。今が楽しくて仕方がない、そんな表情である。

『これで、あの男を全て消し去ってやりました。あの男の最後の姿を覚えているのは私だけ。あの男の敗北は、私の中で永遠になる!』

 満ち足りた表情で、クアットロはカメラに顔を近づけた。勝ち誇ったその笑みは、全ての人間の神経を逆撫でにするようだった。

『私は全ての復讐を受けて立ちます。あの男の仇をとりたいという人間は、私を追うと良いでしょう。私のところにやってきたものにだけ、あの男の最後がどれだけ惨めだったのか教えてさしあげます。なお、今から私たちの対決の現場に向かっても、これは録画ですから手遅れです。ガジェット全てを自爆させて念入りに焼いた更地を見たいなら、お好きにどうぞ』

 クアットロが銃口をカメラに向ける。

『それではこれにて失礼します。全ての人間の敵、クアットロがお送りしました!』


 銃声を最後に、映像は途切れた。














「もうおしまいにしましょう、エリオお嬢様。貴女が私に勝つことはありえません」

 淡々としたセッテの言葉に、エリオが耳を貸すことはなかった。喉の奥から搾り出すような叫び声をあげながら、彼女は攻撃を続けている。息をつく暇もない、常人には閃光とした映らないほどの高速攻撃だが、セッテはその攻撃を両手のブーメランブレイドで危なげなく凌いでいた。

 それは高度な演算能力を全てつぎ込んだ、高度な予測の賜物だった。恭也・テスタロッサをはじめ、高速戦闘を得意とする人間の多い六課の人間を相手にするために、アリシアが提案し、クアットロとウーノがくみ上げた予測演算プログラムである。次の行動を確率で割り出し、最適化された行動を補助する機能まである。その通りに動くためにはまた別の調整が必要であるが、近接戦闘用にチューンされ、かつトーレを相手に戦闘訓練を繰り返したセッテが使う分には何の問題もなかった。

 戦闘巧者である恭也・テスタロッサなどが相手であれば、予測を打ち破るような手段を戦闘中に編み出してきたかもしれないが、技量でも彼に数段おとり、それでいて冷静さを欠いたエリオなどは、今のセッテにとっては敵ではなかった。

 クアットロが広範囲に向けて流した映像。恭也・テスタロッサを殺したという彼女の言葉を聴いてから、エリオは狂ったように攻撃を繰り返していた。このままエリオがガス欠になるまで待つのは容易いが、セッテには時間がなかった。地上本部の魔導師たちが体勢を整えつつあるのだ。周辺からは援軍が集まってきている。AMFの恩恵があるとは言え、包囲されてはいかに戦闘機人と言えども逃走に支障が出る可能性が高い。

 それにすずかを早々に撃破したアリシアが、目的を達成していた。クアットロも長年の悲願を遂げたという。こちらの陣営の大目標が二つも達成されているというのに、セッテがここに残る理由はなかった。プロジェクトFの遺産であるフェイト、エリオはできる限り確保せよという命令であるが、エリオを確保し、かつ無事に逃げおおせるというのは難しいと判断する。

 エリオの攻撃を捌きながら、横目で交戦中のトーレを見た。

 恭也・テスタロッサの同僚にして、白い魔王の姉、高町美由希とトーレの戦いは、一進一退の攻防を繰り返していた。刃がぶつかる音が間断なく響き、一つの音になっている。どちらも余所見をする余裕すらない。このまま戦闘を続けていたら最悪、二人そろって捕縛される可能性がある。それだけは何としても避けなければならない。

 セッテはエリオを諦めた。

 エリオの攻撃に強引に割り込んで距離を取ると、ブーメランブレイドを二つ投擲する。一つはエリオに向かって飛んでいく。エリオそれを渾身の力を込めたストラーダで弾き、更に踏み込んできた。一息で三撃。それを新たに生み出したブーメランブレイドで防いでいく。今度はこちらからも攻撃を割り込ませた。拳で一撃。これまでの防御で、エリオの攻撃パターンは解析できている。。顔面に拳を受けバランスを崩されたエリオは、それでも攻撃の手を緩めない。

 前へ、前へ。

 突き、払い、薙ぎ、打つ。それはエリオの血の滲むような鍛錬の結果だった。ここに達するまでに培われたエリオの努力の結晶を前に、セッテの脳裏にノイズが走った。彼女を負かすのに、僅かではあるが躊躇いが生じたのだ。

 だが、それは頭を振って霧散するほどの、小さな小さな一瞬の気の迷いだった。

 エリオの腹部に、ブーメランブレイドの刃が突き刺さる。投擲した二つのうちの一つが大きな軌道を描き、エリオの背後から彼女を刺し貫いたのだ。ぐらり、と力を失いながらも彼女はそれでも前に出ることをやめなかった。最後の一撃、とばかりに突き出されたストラーダは、しかし、セッテの予測を超えることはなかった。その一撃がその場所に来るとわかっていたセッテは、ブーメランブレイドを割り込ませて、突きを防ぐ。

 最後の一撃が防がれたのを見届けるよりも早く、意識を失ったエリオは落下していった。

 状況が変化した。戦いながらもそれを察知した高町美由希が、トーレから大きく距離を取った。それは拮抗した戦況にあっては、大きな隙である。状況を正しく理解していたトーレが、美由希に最後の攻撃を見舞う。足を止めていれば防げた一撃を、美由希は甘んじて受け入れた。長く結わえられた髪が、トーレの刃で断たれる。美由希は振り返りもしなかった。。中空を一心に駆け、エリオを追っていく。

「余計なことをしたでしょうか」
「……個人的にはそうだ、と言いたいが任務なのだから仕方がない。目的は達せられたのだろう? ならば、帰るぞ」

 トーレの声には棘があった。姉妹の中で最も戦いを純粋に楽しむのが、このトーレだ。実力の拮抗した高町美由希は、トーレにとって得難い好敵手だったはずである。勝つにしても負けるにしても、最後まで独力で戦いたかった。そんな思いがトーレの全身から溢れでていた。

「残念ですか?」

 見れば解ることをあえて聞くのは合理的ではない。普段のセッテならばそんな問いはしなかっただろう。エリオに感じたノイズの影響だろうか。自分の行為に疑問を感じながらも、セッテは口にした疑問を取り消すことはしなかった。

 忌々しそうに、トーレは舌打ちをする。それはこれ以上質問するな、という意思表示だった。そこまでされて更に踏み込むほど、セッテも無粋ではない。自分らしくないことをした、と反省しながらアジトに戻るトーレに続く。

「恭也・テスタロッサとも、先ほどの女とも、決着をつけることはできなかった」

 アジトに戻る道すがら、トーレが独り言のように呟いた。

「次こそは納得のいくまで戦ってみたいものだが……どうなのだろうな?」

 今度は疑問を口にすることもなく、セッテはただトーレの背中を見つめた。誰よりも頼りになるその背中は、ただ『寂しい』と言っていた。




















 廃墟に近い状態となった六課施設を前にして、はやては呆然と立ち尽くしていた。隣にはリインフォースが所在なさげに佇んでいる。クアットロが配信した映像は、地上本部からこちらに移動する時に見せられた。その場にいた人間の全てが恭也・テスタロッサ敗北の方を信じなかったが、彼の腕を見せられるに至って信じない訳にはいかなくなった。

 その映像が終わると同時に通信は回復した。真っ先に連絡を寄越してきたシャーリーによれば、施設を襲撃していたガジェットは既に離脱。人員の損害は『行方不明』が2
の他、重傷者、軽傷者が数名ずつ。いずれも命に別状がないものばかりだった。最悪の強襲を受けたにしては損害は軽微である。敵組織の幹部と思われる機人を五人も捕獲したことを考えれば、施設を半壊に追い込まれたことを差し引いても上々の結果と言えなくもない。

「はやてさん!」

 呆然と立ち尽くしているはやての元に、シャーリーがかけてくる。通信で連絡を寄越してきたのも彼女であるが、それは本来グリフィスの役目のはずだ。まさかグリフィスに何かあったのだろうか。はやての表情を察したシャーリーが、無理やり笑みを浮かべて答える。

「グリフィスは負傷していても働こうとするので、私が殴り飛ばしておきました。今はシャマル先生の治療を受けて、安静にしています」
「そっか。後でお見舞いにいかんとなぁ……」

 はやては苦笑を浮かべながら歩みを進める。電源を吹っ飛ばしたために司令室は機能していないが、有事の際の通信設備は用意してあった。地上の部隊が災害救助などの際に使う指揮車である。元の設備に比べると聊か心許ないが、何もないよりは遥かにマシだった。

「報告します」

 負傷した隊員たちに言葉をかけながら歩くはやての横で、シャーリーが事務的に報告を続ける。

 重傷者の中で目立つのはグリフィスと、数名の非武装の隊員である。非武装の人員は有事の際、シェルターに篭って救援を待つ手はずとなっていたが、乗っ取られたシステムを吹っ飛ばしたため、隔壁を手動で降ろしにいって戦闘に巻き込まれたのだ。それで死者ゼロというのは幸運以外の何者でもないだろう。彼らの警護についていた魔導師も数人いたが、彼らもそろって重傷を負っている。

 それに比べれば、外で戦っていた面々は軽傷と言えるだろう。

 機人一人が率いるガジェットの部隊と戦っていたクイント隊、それから正面で機人二人とガジェット軍団と戦っていたシャマルとザフィーラは共に怪我らしい怪我はしていない。少ない人数で持ちこたえた結果、外に出ていたフォワード部隊の援軍が間に合ったのが大きい。正面にはフェイトが、クイントたちの方がにはシグナムたちが駆けつけ、内部のガジェットの掃討にはその後、スバルたちが参加している。

 内部に侵入していたガジェットはスバルたちが全て掃討。外のガジェットはクアットロの映像が終了すると同時に撤退を始めた。ヴィータが追撃をかけたが、逃げ切れないと見ると、彼女に追われていた分のガジェットは全て自爆。敵の本拠地への手かがりは当面断たれていた。

「ギンガはどない?」
「クラウゼ博士が『治療』をしています。それにはスバルが付きっ切りになっていますが、恭也さんの一件で身体よりも心が参っているようで、意識を失ったまま目を覚まさないそうです」
「恭也さんに入れ込んでたもんなぁ……他に、誰か荒れてるんは?」
「ヴィータさんが手がつけられません。止めようとした隊員が四人が吹き飛ばされました。今は向こうで――」

 シャーリーが彼方を指差すと同時、大地を揺るがすような轟音が聞こえた。訓練施設のある方角である。ヴィータは副隊長だ。部下を持ち、前線で戦う人間が感情に任せて暴れ回るのを、上司として叱り飛ばさなければならないのだろうが、彼女の気持ちも痛いほどに分かる。

「時間が経てば、そのうち戻ってくるやろ。話を戻そか。つまり六課で失われた人材は恭也さんとヴィヴィオ、その二人だけいうことか?」
「その通りです」

 はやては大きく溜息をついた。

 恭也が失われたのも大きいが、ヴィヴィオが誘拐されたことも痛い。ここまで大規模な作戦を起こしまだ余力を残していたにも関わらず彼らは速やかな撤退をした。ここからヴィヴィオの誘拐が目的の一つだったことが見て取れる。彼女がどこから来たのか、正確なところは未だに謎であるが、スカリエッティ一味の計画の重要なパーツであることはこれで疑いがなくなった。

 スカリエッティたちが人命を尊重するとは考えにくい。ヴィヴィオの無事を考えるのならば、その救出は急がなければならない。

「捕まえた機人はどうしてる?」
「治療が必要な一人は搬送されましたが、残りは全員シグナム副隊長たちが監視中です」
「尋問とかできそうか?」
「一人だけ話したそうにしてる娘がいるそうですが、他の三人はだんまりだそうです」

 その一人から引き出すしかないかー、と交渉材料にできそうな条件をはやてが脳内でリストアップしているとはやてのデバイスに直接音声通信が届いた。手早く操作にすると、空間モニタに映ったのはなのはだった。移動している最中なのか、長い茶色の髪が風に靡いている。

『こちら、高町なのは。そっちはどう?』
「なのはちゃんか? いまどこや?」
『六課に戻る途中で機人の攻撃を受けて今まで気を失ってたの。その機人はやっつけて拘束したから、今そっちに向かってるよ』

 なのはの頭の後ろに、気を失った少女の後頭部が映った。他にはなのはの身長よりも大きい重火器を背負っている。少女一人と重火器を背負い、空を飛ぶ姿というのはいかにも魔法使いという言葉のイメージを崩しそうな光景だったが、管理局の白い魔王としてはこれが正しいのかもしれない。この事件が一段落ついたら、また逸話が増えそうだ、と船内ことを考えつつも、はやては『これから』のことを口にした。

「これから六課を襲撃した機人に尋問しに行くところなんやけど、なのはちゃん、どないする?」
『是非参加させてほしいな。私も色々と、聞きたいことがあるし』

 なのはの瞳に、暗い色が灯る。何を言われた訳ではなかったが、はやてはそれでなのはが恭也のことを知っていると理解した。モニタを通してなのはの激しい感情が伝わってくる。平然を装っているが、今なのははかつてないほどの怒りの感情に身を焦がしていているようだった。自制できているのは、奇跡だろう。感情に任せて荒れ狂ったとしたら、どうなるのか……想像するのも恐ろしい。

「後どれくらいでつく?」
『五分で。機人の収容は準備しておいて』
「了解や。それじゃ、五分後に」

 通信を切ると、シャーリーが安堵の溜息を漏らした。通信を横で見ていただけなのに、全身にびっしょりと汗をかいている。

「なのはさん、怒ってましたね」
「せやなぁ、怒ってたなぁ」
「ヴィータさんみたいになっちゃったら、どうなるんでしょうか」
「この辺一体、更地になるかもなぁ……」

 仮にも『管理局の白い魔王』、当代最強の魔導師の一人である。砲撃主体のなのはが感情に任せて暴れ回っては通常の建造物など欠片も残らないだろう。部隊の責任者としては、なのはの自制が一秒でも長く続くより、祈る他はない。

 とにかく、疲れた。

 本当はこのままベッドに直行して一眠りした気分だったが、自分は部隊の責任者で今は有事である。やるべきことは山ほどあるのだ。今ここで気を抜く訳にはいかない。

 ぺち、とはやては両頬を叩いて気合を入れると、指揮車に入る。なのはの到着までまだ少し時間がある。それまで少しでも仕事を進めておこうと思ったのだ。今この段階で処理しなければいけない案件だけでも、眩暈がするほどあった。それが今も加速度的に増え続けている。

 自分はどうしてこんな仕事をしているのだろうと心がくじけそうになるが、これは自分にしかできないことだと思い直す。

 まずは、一つ一つ。めげそうになる心を知ったしながら、はやては仕事にとりかかった。




















 考えるのは自分の仕事ではない。自他共にアホの子と認めるナンバーズの一人であるウェンディは、長期的な物の見方をすることを常日頃から放棄していた。姉妹達もそのスタンスを理解してくれており、難しい話を持ってくることなかったし、重要な案件は全て姉妹が勝手に決めてくれた。クアットロなど意地悪な姉には貧乏くじを引かされることもあるものの、難しいことで頭を悩ませることに比べたらそれも随分と楽な生き方に思えた。

 死ぬまでその生き方を貫く。ウェンディはそのつもりだったが、早くも宗旨替えをしなければいけない場面に直面していた。

 戦闘機人とガジェットの大部隊による六課襲撃は、結果だけを言えば成功に終わった。第一目標である『ヴィヴィオ』の確保に、フォワード部隊の足止めに出ていたはずのアリシアが成功したからである。本来はウェンディたち襲撃部隊が『ヴィヴィオ』を確保する計画だったのだが、旗色が悪くなったと判断したスカリエッティがアリシアの合流にゴーサインを出した……らしい。

 アリシアも普段であれば面倒くさがって手を貸してはくれなかったろうが、クアットロに恭也・テスタロッサと戦う権利を奪われたことで、今日の彼女は機嫌が悪かった。憂さ晴らしのできる環境を与えてくれるのならば、一も二もなく飛びついただろう。

 そしてアリシアが本気になったら、大抵にことは成し遂げられる。普通の魔導師にとってAMF環境下というのは地獄であるが、当代でも超一流の魔導師であるアリシアにとっては、スカリエッティ自慢のAMFと言えどもはどこ吹く風のはずだ。

 普段であればアリシアの活躍を、ウェンディは誇らしく思ったことだろう。圧倒的な力で全てをなぎ倒していく彼女は、ウェンディにとって憧れだった。

 だが、それも自分の身が安全ならばの話だった。アリシアの活躍に自分達の救出は含まれていなかったらしく、よく言えば置いていかれた、悪い意味で言えば見捨てられた形のウェンディたちの立場は、極めて悪かった。

 戸籍も何もない自分達のような存在は、秘密裏に事を処理するには都合が良い存在だ。生きるも死ぬも相手の気持ち一つ。管理局が死ぬべしと定めれば、それ一つでウェンディの首などすぐに飛ぶだろう。スカリエッティに繋がる唯一の手段であるから生かされているが、本当に価値なしと判断されれば次の瞬間には首が飛ぶかもしれないのだ。

 死ぬのは嫌だ。死ぬことそのものに恐怖はあまりないが、まだ生きていたいという願望がウェンディを突き動かしていた。ない知恵を絞って、打開策を考える。

 一緒に捕まった仲間は、それに協力してくれそうにない。タイプゼロファーストに足腰が立たなくなるまで打ちのめされたノーヴェは、部屋の隅でうずくまって動こうとしない。反骨精神の塊で、常日頃から何にでもイライラしている彼女が顔を上げようともしない辺り、タイプゼロファーストは身体よりも心を砕きにいったのだろう。聞けば、ノーヴェと戦った時、彼女はチンクとの戦いで片腕を失っていたという。そのハンデがあって尚、完膚なきまでに打ちのめされたのだから、機人としての能力に自信を持っていたノーヴェにとって、これ以上の精神的打撃はないに違いない。

 他に視線を向ければ、オットーとディードである。

 彼女らも確かに負けたようだが、ノーヴェのように打ちのめされてはいなかった。二人については平常運転である。つまり、何を考えているのか分からないということだ。仕事を与えれれば忠実にこなす彼女らだが、それ以外のことについては何を考えているのか分からないことがある。同じ遺伝子を持つお互いのことは大事に思っているようだが、二人について分かっていることと言えばそれだけだった。この状況を打開するために何かする、という発想を持っているかどうか怪しい。戦力としては、期待出来たものではない。

 後はチンクであるが、彼女はこの場にはいなかった。特に損傷が酷かったチンクは別の場所に移送されているという。

 戦闘機人に関する技術はスカリエッティが発展させた最先端のものだ。管理局といえどおいそれと手を出せるものではないが、この組織にはタイプゼロたちがいる。六課に限っていうならば、機人を調整する技術を保有していてもおかしくはない。チンクの安全を考えるならば、安心できる事実であるけれども、専門の人間に見せなければならないほどチンクの怪我が深刻であるならば、助けを期待することはできなかった。

 共に戦いにきた仲間については、これで絶望的である。後は外から仲間が救出にきてくれるかだが、それについてはもっと望みが薄かった。自分達が大事にされているという確証はあれども、それだけだということをウェンディは良く理解していた。あるから使っているというだけで、どうしても必要ということはない。

 スカリエッティが作戦の遂行に本当に必要としているのは、情報を処理管理するウーノと潜入工作をしているドゥーエ。後は最大戦力であるアリシアと、頭の回るクアットロくらいのものだ。管理局の魔導師がAMFに対して決定打を持っていない以上、機人の戦闘力はガジェットで換えがきく。そのストックがまだ豊富にある以上、危険を冒してまでウェンディたちを助けにくる理由はない。

 内部、外部からの援護は見込めないならば、自分でやるしかない。そのことを十分理解していたウェンディは、しかし周囲を見回した時点で頭を抱えた。六課施設の一室である。見た感じ壁は薄い。元々牢獄として設計されたものではないことは、特に調べなくてもわかった。ボードさえあれば破壊できるだろうが、そのボードは取り上げられていた。武装については全て解除されている。流石にスーツはそのままであるが、接続されていた装置などは全て解除されていた。

 加えて、この部屋には番人がいた。桃色の髪をポニーテールにした、剣士である。資料で見たことのある顔だ。名前は確かシグナム。ランクSのベルカ式魔導師で、六課の中では恭也・テスタロッサに次ぐ、近接戦闘のプロだった。

 そのシグナムが抜き身のアームドデバイスに体重を預けるようにして、出入り口を塞いでいる。本人がそう口にした訳ではないが、監視役なのは明らかだ。じっと目を閉じて佇んでいるその姿は、隙があるようにも見えなくもないが、例えばウェンディが不意に動こうとすると、目を開き、視線を送ってくる。動きの一つ一つまで把握されていると考えて良いだろう。

 戦闘機人の能力はAMFによって制限はされないから、こんな場所に押し込められたとしてもISを発動することはできる。ボードがないと活躍の場面の少ない自分は別として、ディードやオットーは十分に戦うことができる。

 だが、既に戦う準備のできているシグナムを前に、行動を起こすことは不可能だった。仮に全員一斉にとびかかることができたとしても、行動に移す前に半分が、移した直後に残りの二人が行動不能にさせられるだろう。奇襲失敗はすなわち、立場の悪化を意味する。現状、最悪と言っても良い状況なのだ。これで何かをしくじれば、即座に首が飛んでもおかしくはない。

 暗すぎる自分の未来に、ウェンディは溜息をついた。考えれば考えるほど気分が滅入るが、暗くなってばかりいても仕方がない。どうにかして少しでも良い状況に持っていかなければ、後は落ちるばかりなのだから。

 ウェンディが自分と姉妹たちのために口を開こうとした、まさにその時である。出入り口の前に立って動かなかったシグナムが、一歩横に退いた。チャンス、と思うより早く、ドアが開く。中に入ってきたのは八神はやてと高町なのは。ブリーフィングで何度も見せられた要注意人物の二人だ。

 そしてもう一人――

「一応検査してもらったよ。命に別状はないみたい。しばらくしたら目覚めるって、うちの『お医者さん』が保障してくれたから、心配はいらないと思う」

 高町なのはがウェンディの元まで歩みより、背負っていた少女を降ろした。ラバースーツは病人のようなものに変わっており、唯一のトレードマークともいえたリボンもないが、眼前の少女は間違いなく姉妹の一人であるディエチだった。ディエチの分担は地上本部と六課の間に網を張って、そこにやってきた高町なのはかフェイト・テスタロッサの相手をすることだったはずだが、ここにこうしているということは負けた、ということなのだろう。

 見れば、高町なのはも大分消耗している様子である。それでも何でもないように立っていられる辺りこの女は本当に人間なのかと、戦闘機人のウェンディの目から見ても疑わしかった。伊達に、魔王などとあだ名されている訳ではないということか。

「さて、色々と聞きたいことがあるんやけど、まずはお知らせからやな。うちの設備がふさがってもうたから、銀髪のちっこい娘は本局の施設に回したわ。信用筋やし乱暴なことはされへんと思うから安心してな。一週間も様子を見れば、あんたらに合流できる思う」

 資料を読みながら言うのは、八神はやてだ。彼女はシグナムが用意した椅子に腰掛け、ウェンディたちを順番に見回した。

「それから地上本部付近で戦ってた背の高いヅカっぽいおねーちゃんと、ピンクの娘は行方不明や。うちの恭也さんと戦っとった――」

 恭也の名前が聞こえた瞬間、高町なのはの肩がぴくりと動いた。表情などは髪に隠れて見えなかったが、見えない何かが身体から噴出したようにウェンディには見えた。

「――恭也さんと戦っとったクアットロも行方不明や。それからアリシアって娘もな。さて、あんたらのお仲間についての情報はこれで全部や。これからは、これからのことを話そうと思う。まず第一に、私らにはあんたらと取引する用意がある。スカリエッティ確保に有益な情報を提供してくれたら、減刑や待遇改善に繋げることを約束するわ。流石に無罪放免って訳にはいかんやろうけど、何もせんよりは遥かにマシんなると思うで」
「あの、ちょっと聞いても良いっすか?」
「なんや」
「あー、私らは拷問されたりとか変な実験されたりとか、そういう目にはあったりしないんすか?」

 自分達が悪のテロリストであることを考えると、これほど間抜けな質問もないが、はやては笑ったりせずにウェンディの言葉を受け止めた。

「するところもあるかもしれんけど、うちらはせんよ。それにあんたらについては手荒に扱ったりせんようにって、上からもお願いされとるんや」

 がりがりと頭をかきながら、はやては書類に視線を落とした。アナログな紙の書類である。スカリエッティのアジトではほとんど見たことのないそれを眺めるはやては身体全体から疲労感がにじみ出ていた。横にいる高町なのはと同じ年齢のはずだが、こうしてみるとはやての方が五歳も十歳も老けているように思える。

「せやから、何から何まで話した方が得やと思う。ほんとは話し合って決めたらええって言うところやけど、私ら今時間ないから、今すぐ決めてな」

 話あって決めろと言うが、肯定以外の答えを望んでいないことはウェンディにも解った。そもそも、生きたいと望むのならば、ウェンディたちにそれ以外の選択肢はない。

「わかったっす。知ってることは全部話すっすよ」
「協力、感謝するわ」

 力なく、はやては笑う。それにつられて、ウェンディも愛想笑いを浮かべた。汚い笑顔を浮かべるようになったものだ、と自嘲しながら、より話の通じなさそうな高町なのはを見やった。なのはは座った目つきで、自分達を見ていた。何の感情もこもっていない爬虫類のようなその目に、ウェンディが覚えたのは悪寒だった。こんな相手によくディエチは喧嘩を売ったものだ、と思うウェンディの目を引いたのは、高町なのはの胸元にあるペンダントだった。

 手のひらに乗るくらいの赤い石が一つである。その石にウェンディは見覚えがあった。ウェンディが気付いたのと同時に、たまたま視線を上げていたノーヴェが高町なのはを見た。当然、胸元の石にも目が行く。ウェンディ以上にその石に見覚えのあったノーヴェが動いたのは、その一瞬後だった。

 獣のように這いながら床を駆ける。目標は高町なのは。一直線に敵対行動を取るノーヴェにシグナムが当然のように動く。ノーヴェが動き始めるのとほとんど同時にデバイスを引き、進路に割り込みむ。弓の弦を引くように身体を捻り、後はデバイスを振りぬくだけ。武術に疎いウェンディすら、次の瞬間にはノーヴェの身体が両断される未来を幻視していた。

 しかし、ノーヴェと一緒に動き出していたのはシグナムだけではなかった。それまで何もしていなかったディードが、ノーヴェに体当たりしたのだ。更に、シグナムとの間にオットーが割ってはいる。何の感情も浮かんでいないその顔には、不退転の決意が見えたような気がした。シグナムのデバイスは、そんなオットーの鼻先で止まっている。
彼女らからすれば許し難い敵対行動のはずだが、シグナムの顔には笑みが浮かんでいた。

「仲間を守らんとするその気概は、嫌いではない」

 そう言って、シグナムはデバイスを引いた。脅威は去ったとばかりに、はやての背後に戻る。

「……で、何でこないなことしたのか聞いてもええか?」

 椅子に座ったまま、ディードに組み伏せられているディードを見て、はやては言った。

「手前らチンク姉に何をした! チンク姉を返せ!」

 負傷していることすら忘れたように身体をバタつかせながら、ノーヴェは吼える。射殺さんばかりのその視線は、なのは一人を見ていた。視線で人が殺せるなら十回は死んでいるであろう殺気にさらされながら、なのはは暴れるノーヴェと自分の胸元を見やった。赤い小さな石……待機状態のデバイスである。それがノーヴェを激怒させた要因らしいと悟ったなのはは、はやてに視線を向ける。

 はやては溜息をつくと、小さく頷いた。それが『肯定』の合図なのだとは、ウェンディにも理解できた。上司の許可を取ったなのはは、集団から一歩進み出た。ディードに組み伏せられたままのノーヴェの近くに跪くと、その顔を覗き込んだ。

「これは私のデバイスのレイジングハート。十年前に大事な友達から譲り受けて、それからずっと私の相棒をしてるの。貴女は何と間違えてるのかな?」
「嘘だ! それはチンク姉のもんだ! チンク姉をどうした!」

 なのはとしては心を尽くして説明をしたつもりなのだろうが、相手に聞く耳がなければそれも意味がない。なのはは肩を竦めると助けを求めるように視線をウェンディに向けた。

「チンク姉のことは知ってるっすか?」
「空港を襲った時の片割れの、銀髪のチビっこでしょう?」
「そうっす。そのチンク姉が持ってるお守りに、それは凄い似てるんすよ」
「こんな形はよくあると思うけど……そんなに似てるの?」
「かなり」

 戦闘機人であるウェンディの目で見ても、それは非常によく似ていた。なのはの持っている方が色合いが僅かに明るいが、見せられたのが一瞬だけならば同じ石と判断していたかもしれない。チンクの石を近くで見たことがあり、今なのはの石を近くで見たからこそ違うと判断できたが、遠目に見たノーヴェには同じ石と見えても仕方なかったろう。

「つまりは、勘違いで襲い掛かってきたって、そういうことだね」
「そうなるっすね。ノーヴェの代わりに謝るっすよ」
「気にしなくて良いよ。別に誰が悪い訳じゃないもの」

 なのはの声は気持ち悪いくらいに平坦だった。何の感情もこもっていないその声の向こうには、しかし激情の色が見えた。この場にいる自分達を皆殺しにしたいのを、理性で押さえているような、そんな気さえする。この女は危険だ。感情を理性で抑えられているうちに、さっさと退場してもらった方が良い。この先何があっても、高町なのはに敵対はしないとウェンディは心に決めた。

 少しでも敵意を抱かれないように愛想笑いを浮かべながら、ディードを促す。その意を的確に汲んでくれたディードはまだ暴れているディードを引きずって、後ろに下がった。

「それで何を知りたいっすか?」

 姉妹を守るために身体を張るのは、これで最後っすね。と心中で笑いながら、暴れるノーヴェを隠すように、ウェンディは一歩前に出た。














 意識を取り戻した時、チンクはベッドに寝かされていた。身体は酷く痛んでいた。それがタイプゼロファースト――ギンガ・ナカジマの攻撃によってもたらされたことを思い出すのに、それほど時間はかからなかった。即死ではないが、致命傷だった。放っておかれたらいくら戦闘機人でも死んでいただろう、そんな傷を負ってなおチンクが生きているのは、そう願い、そう行動した人間がいたからだった。

 寝台に寝転がったまま、自分の身体を確かめる。万全には程遠い。特にISなどの使用には大きく制限がかかるだろう。無理にやれば使えないこともないだろうが、十全に使うことができるのは精々一、二回。それ以降は脳の回路が焼ききれる可能性があった。

 それでも、死ぬ一歩手前だったことと比べれば格段にマシな状況だった。戦闘機人には最先端の技術の集合体だと聞いているが、何もスカリエッティが編み出し、独占していた技術ではない。管理局や民間にも数は少ないがそういう研究をしている人間がいるという。六課においては恭也・テスタロッサの所属部署から一人を出向させたとも聞いていた。

 そんな人間ならば、最低限のメンテナンスくらいはできるだろう。敵を助ける理由をチンクは見出すことができなかったが、彼らはあれでも『正義』の組織である。助けられる命ならば敵でも助けなければならないというスタンスは、まさに敵であるチンクとしてはありがたい。

 とりあえず、生き残ることはできた。

 これからどうしたものか、と考えながら、チンクは寝台から身を起こした。

「ぎゃー!」

 脇で作業をしていた女が、チンクの唐突な行動に飛び退る。緑色の髪にメガネに白衣。スカリエッティと似たような格好の、いかにも技術者といった風貌の女だった。脳の片隅に、その女のことは記憶していた。名前は確か、マリエル・アテンザ。管理局に籍を置き、タイプゼロたちのメンテナンスにも関わっているらしい技術者だ。

「貴女が私を治してくれたのか?」

 それらしい機材が揃った部屋で、傍らに技術者と寝台に寝転がっていた自分。それ以外の選択肢は考えにくい状況だったが、マリエルは首を横に振った。

「私が手を出すのはこれから。そこまで手を入れたのは特共研のクラウゼ技師よ」

 気を取り直したマリエルが、メガネを直しながら応える。クラウゼという名前に聞き覚えはなかったが、特共研については知っていた。かの部署ならば、戦闘機人について知識のある技術者がいてもおかしくはない。

「妹達について質問しても良いだろうか」
「六課にきた人たちは無事らしいわ。写真は非公開だけど、名前は聞いてるの。六課が確保してるのは、ディード、オットー、ノーヴェ、ウェンディ、ディエチの五人よ。もっとも、本人たちがそう名乗ってるだけだから、本当にそうかは解らないけどね」

 投影モニタの情報を読み上げるマリエルを横目に見ながら、チンクはそっと溜息を漏らした。六課施設の襲撃に参加したメンバーは自分を加えて全員。さらに高町なのはを待ち伏せしていたはずのディエチまでいるということは、彼女も敗北したということなのだろう。管理局の白い魔王が相手では、元々勝算の薄い戦いであったが、そんな戦いに文句も言わずに一人で臨んだ妹のことを、チンクは密かに応援していたのだった。

「他には? 六課以外に捕まったという情報はないだろうか」

 質問してから、彼女がそんな質問に応える義理はないのだ、ということに思い至る。へそを曲げられ、治療をしてくれないのでは。そんな心配を始めるチンクを他所に、マリエルは続けて空間モニタを操作した。

「六課から上がってる範囲でそういう情報はないわね。地上本部付近で戦闘した二人の機人と一人の魔導師は逃走したと聞いてるわ」
「もう一人。恭也・テスタロッサと戦っていた者がいたと思うのだが――」

 その言葉の途中で、チンクはマリエルの空気が変わったのを察した。咄嗟に口をついて出ようとした言葉を、理性で押し込んだような感じである。地雷を踏んだことは理解できた。どうにも血の巡りが悪いようである。どういう結果になったのか気にはなったが、これを突っ込んで聞くと、自分だけでなく妹たちの立場まで悪くなるような気がした。

「すまない。忘れてくれ」

 それだけを言うと、チンクは押し黙った。

「……治療を始めたいんだけど、良い?」

 マリエルもそれまでの悪い空気を払拭するかのように、努めて明るい声を出す。治療してもらう義理などないが、やってくれるというものを拒む理由はなかった。取られて困る情報も、チンク個人にはない。

 指示に従い、寝台に寝転がる。マリエルは空間モニタを操作すると、チンクの周りに機械が集まってくる。アジトのラボには劣るが、技術の粋を集めたものであるのは見てとれる。それを操作するマリエルの手際にも澱みはない。モニタを真剣に見つめるその表情に狂気は全くないが、それでもチンクはそこにスカリエッティに通じるものを感じていた。

 それを口にしたら、彼女は気を悪くするだろうか。などと詮無いことを考えていると、どうしようもない眠気がチンクを襲った。命の心配がないのならば、別に眠っても良いか。当面任務のことについては考えなくても良いのだし、少しくらいの休息は必要だ。いつになく甘えた考えであるが、消耗したチンクにそれに抗うだけの余力はなかった。

 マリエルに視線で確認すると、彼女は苦笑を浮かべながら小さく頷いた。心優しい技術者に感謝しながらチンクは瞳を閉じ――一瞬で意識を覚醒させた。

 廊下に足音。男が数人。力強い音は急いでいる証拠だ。いきなり様子の変わったチンクに、マリエルも不審な目を向けるが、足音が近づいてくると状況が理解できたのか、、緊張した面持ちを浮かべた。

「貴女の関係者ではないのか?」
「人払いまでしたのよ。近づいてくる人間がいるはずないわ」

 ならば彼女にとっては敵、ということになる。敵の敵は味方という言葉があるが、それがこの場合も当てはまるかどうかは微妙だった。何しろスカリエッティに敵は大勢いる。味方ですら、下手を打った今を見計らって襲い掛かってこないとも限らない。

 組織間のパワーバランスなどチンクにとってはどうでも良いことだったが、戦闘能力が大きく制限されている現在はいかにも不味い。

 どうやってこの状況を乗り切るか。チンクが結論を出すよりも早く、足音は部屋の前で止まり、無遠慮に踏み込んできた。

 男が五人。いずれも屈強な物腰である。見覚えのある顔は一人もないが、彼らの全員が『その道』のプロであることは見てとれた。少なくとも、人を殺すのに躊躇うような人間は一人もいないはずである。殺し屋のような風貌をして彼らはしかし、管理局の制服を着ていた。最悪から数えた方が大分早そうな展開に、チンクは軽い眩暈を覚える。

「この部屋は現在、本局技術部が押さえています。彼女の身柄も同様ですが、貴方がたの所属をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「我々は最高評議会の指示で動いている。その機人の身柄は我々が押さえる。これが命令書だ」

 男の一人が紙切れを突き出すのと同時に、背後に控えていた男がチンクを拘束するべく動き出した。

 だが、マリエルがそれを阻む。男たちが真っ当な人間でないことは、彼女にも察せられたろう。男の前に立ちふさがったマリエルの背中は震えていたが、それでも彼女は道を譲らなかった。

「承服できません。確認しますので、しばしお待ちを」
「最高評議会の決定は全てに優先される。それを阻むことは、罰則の対象となるが、貴官はそれでも我々の邪魔をするというのか?」
「大の男が大挙して一人の女の子を連れ出そうとすることが、私には正しいことだとは思えません」
「我々は管理局員だ」
「鏡を見てはいかがです?」

 話しているうちに興が乗ってきたマリエルの口調にはとげとげしいものが混ざっていく。逆に、男達からは剣呑な雰囲気が出始めていた。マリエルも彼らが管理局員ということは疑っていないのだろう。つまり、根っこのところで彼らは仲間であり、無茶をしてくることはないと思っている。

 彼女の味方ができる存在の中で、それが大きな間違いであることを知っているのはチンクだけだった。いざという時、彼らは殺人という手段を平気で行うことができ、また彼らの背後にいる連中はそれを容易に揉み消すことができる。男達がその気になればマリエルは殺されるだろう。

 彼我の戦力差を計算する。不調の戦闘機人が非戦闘員のマリエルをかばい、この場を脱出することができるのか。答えは否だった。万全の状態で、さらに一人であってもこの状況から男達全員を撃破するのは至難の業だろう。撃破も逃走もできない。となれば、チンクが取りうる手段は一つだった。                                                                                                   「お前達についていく。彼女に手を出すのはよせ」

 寝台から起き上がり一歩進み出ると、男達はようやく殺気を霧散させた。緊張の切れたマリエルがその場に尻餅をつく。目じりには涙が溜まっている。本当は泣き出したいくらいのはずなのに、その瞳はじっとチンクのことを見つめていた。

 クアットロなどは蛮勇と笑うだろうが、チンクはこの女性の勇気を無駄にしたくはなかった。会ったばかりのこの女性を、死なせたくはなかった。

「貴女には感謝している。その力はどうか、私の妹達に使ってやってくれ」

 一礼し、男達に続いて部屋を出る。

 一連の事件の詳細は全ての局員に知れ渡っている訳ではないが、病人の服装で、銀髪隻眼の少女が管理局施設の廊下を歩いているのは嫌でも目立つ。中にはどういう事情なのかと声をかけようとする者もいたが、先導する男の一瞥ですごすごと引き下がっていった。この状況がただごとでなく、チンクを連れ歩く彼らがただものでないのは一目で理解できただろう。

 正面の玄関から堂々と外に出て、そこに止められていた護送車に押し込められる。両隣を男に固められ、正面に更に男が座る。運転席と助手席にやはり男が一人ずつ。たかが小娘一人に随分なことであるが、戦闘機人相手にAMFの助けなしに、これだけの人数で臨んでくることに、彼らの懐事情の厳しさが窺い知れる。

 チンクの目から見ても、彼らは明らかな準備不足だった。常に殺気立っているのは、余裕のなさの現れである。非武装のマリエル相手にすぐに手をあげたのは、それだけ時間もないと告白しているようなものだ。この場にいる五人の独断専行の可能性すらあった。少なくとも、スカリエッティの指示でないことは確信が持てた。

 ならば、どうとでもなる。

 機人のことを知り尽くしている彼が、自分を不要と断じたならば万に一つの勝ち目もなかっただろうが、ここにいるのは機人との戦闘に関しては全くの素人だ。その道では知れた実力者であっても、付入る隙はあった。現に彼らは自分を拘束しただけで安心していた。当然するべき身体検査もしてない。

 チンクは首を左に傾げ、それから前に倒した。はらり、と眼帯が落ちると同時に、何かが床に落ちた。それが空の眼窩に収められた金属球であることに男が気付いた時には、既に遅い。

「IS、ランブルデトネイター」

 眼窩で既に爆弾へと変わっていた金属球は、チンクの声と共に炸裂した。音の衝撃で護送車は震え、男達は閃光で目を焼かれ悶え苦しむ。護送車の中で無事だったのは、それが分かっていたチンクだけだった。光か音、あるいは両方で行動できない男達を他所に、チンクは再びランブルデトネイターを発動させた。自分が背中を預けている護送車の壁、その周辺だけを低威力の爆弾に変えて吹き飛ばす。

 神経を使う作業に、チンクの脳が悲鳴を上げる。痛みで意識を失いそうになるほどの頭痛に顔を顰めながらも、開いた穴から転がり落ちるようにして、外に出た。管理局の護送車が轟音を発したことに周囲は騒然となっている。その中から出てきた隻眼の、手錠をかけられたチンクは周囲の視線を集めに集めた。そんな視線から逃れるように、チンクは走り出す。とにかく人間のいない方へ。能力の制限された今の状態では、何をするにしても周囲が邪魔になる。周囲に誰もいないような環境が、チンクの最も望むものだった。

 小さな身体を最大限に動かし、走り続ける。人の目を避けるように、路地を走り、街の明かりから遠ざかっていく。地上本部が襲撃されたばかり、それも警戒態勢のクラナガンであるが、事件が起きたすぐ傍であっても、管理局の目が即座には届かない場所がある。チンクはすぐに、人の気配の外に抜けた。周囲に誰もいないのを肌で感じながら、走るスピードを落とし、やがて止まった。

 クアットロのように気配を感じた消したりするような技能はないが、自分が注視されていのは嫌でも分かった。嫌な感じのする金属が周囲に三つ。おそらく質量兵器だろう。前に一つ、後ろに二つ。まだ囲まれてはいないが、それも目前である。

 もはやあちらも、生きてこちらを捕まえようとはしないだろう。顔を見られ声を聞かれたというのはマリエルも一緒だが、自分はいらないことまで感づいている可能性がある。少しでもその可能性があれば、どんな人間でも殺す。彼らはそういう、自分達と同種の悪党だった。

 そう、悪党である。彼らと自分達が同じ穴の狢であると理解しながらも、しかしチンクは彼らを許せないでいた。

 彼らはあのマリエルを殺そうとした。自分に優しくしてくれ、脅されても自分の信念をまげながったあの技術者を殺そうとした。チンクだって人を殺したことはある。スカリエッティの命令で積み重ねた悪行は、両手では数え切れない。他人から見れば自分も彼らも変わらないことは分かっていた。

 だが、義理を感じ、それを返そうとするだけの良心くらいは持ち合わせていた。仲間や家族を守り恩人に優しくできる、最低限の良心だ。それだけは何があっても失ってはならない。自分達に捕らえられ虜囚となりながらも、自分達を家族と呼び、愛してくれたメガーヌはチンクたちにそう説いた。

 ここで彼らを逃がせば、またマリエルが危険に晒される。

 ならば彼らは、ここで殺す。例えこの身を犠牲にしても、絶対に息の根を止めてみせる。

 脳髄を破壊せんとする痛みと戦いながら、チンクはこれを、最後の戦いと思い定めた。ここにくるまでに拾った空き缶を握り締め、男たちが動き出すのを待つ。

 チンクが覚悟を決めた、その時、彼女の横を風が通り抜けた。

 次の瞬間に、気配の一つが消失する。何が起こったのか。チンクが考えを巡らせるよりも早く、もう一度風が吹いた。残っていた二つの気配も、それで消失した。

 何かの罠かもしれない。チンクは警戒を解かないまま、一秒二秒と相手の動きを待ったが、二十を数える頃になり、ようやくチンクの耳に足音が届いた。足音を殺すことになれた、微かな足音。警戒していなければ、研ぎ澄まされた聴覚を持った機人の耳でも聞き逃していただろう。それくらいに、その足音は小さかった。

 チンクの視界の一点が、微かにブレる。最初に見えたのは、白い女物のファーコート。見覚えのあるその白さに、チンクは自然と口を開いていた。

「クアットロ?」
「残念だが人違いだ」

 聞こえたのはクアットロには似ても似つかない、低い男の声だった。声が聞こえると共に、男の姿がはっきりとしていく。上から下まで全て黒一色の男だったが、羽織っているコートだけが、夜の闇の中、目に痛いほどに白かった。

 男は一匹の獣を連れていた。薄い紫色の体毛の狼である。ドラゴンなどの魔獣が散見される管理世界では巨大な獣など決して珍しくはないが、都市部で見かける類にしてはその狼は随分と大きい。成人女性一人分くらいの大きさ、重さはあるだろう。その狼は、男に全幅の信頼を預けるかのように寄り添っていた。

「とりあえず、場所を変えよう。俺もお前も、人目に触れたくない事情があるだろう」

 男の提案に、チンクはただ、こくりと頷いた。

 チンクの記憶が確かで、見ているこれが幻でなければ、男の名前は恭也・テスタロッサといった。














新年一発目が二ヶ月もあいてしまって申し訳ありません。
読んでいただいている方の中で誰一人本当に死んだと思ってらっしゃった方はいらっしゃらないと思いますが、こんな展開と相成りました。
どうやって生き残り今どういう状況なのかは、また次回。