「すずか!」

 機動六課施設についたすずかをまず出迎えたのは、フェイトだった。

 離れていたのは二日ほどだったが、随分と久しぶりに感じる。笑みを浮かべて駆けてくる幼馴染にすずかも笑みをもって応えた。

 だが、距離が近くなるにつれフェイトの顔色に陰りが見え始める。

 それを見て、すずかはあー、と気まずそうに視線を逸らした。心当たりがありすぎるのだ。

 バレずに済むとは思っていなかったが、会話をするまでもなくバレるとは思っていなかった。こちらに走ってくるフェイトの背には微かな殺気すら見える。離れていた間に何をしていたのか、彼女が看破しているのは疑いようがない。

「この二日、ナニをしてたのかなすずか」
「ちょっと大人の階段を上ってた……とか?」

 バチっ! とフェイトの周囲で雷が弾ける。フェイトほどの高位魔導師が突発的な怒りで魔力を外に漏らすということはほとんどない。特に恭也のことで気持ちが上下するなど、フェイトにとっては日常茶飯事だ。

『これは警告だよ』という親友の無言の抗議を受けて、すずかはあっさりと白旗を揚げた。恭也について冗談が通じないのはいつものことだが、今は流石にタイミングが悪かった。

「ごめんね。私が悪かった」
「……そうだね。すすかが悪いね。後でどういうことをしてされたのかを私だけにこっそり教えてくれたら許してあげるよ」
「アリサちゃんにねほりはほり聞かれたばかりなんだけど……」
「なら、一人も二人も変わらないね。期待してるよすずか」

 ブラコンをからかうとロクなことにならない、とあらためて確信するすずかである。

 フェイトに同道しながら六課施設を行く。すれ違う局員には地上の茶色い制服が多い。六課の施設であるのだから当然だが、たまに空士の白い制服や本局の紺色の制服も目に入る。はやての、というよりもハラオウン派のコネで呼び寄せた外部の人材だろう。組織の体制を考えると決して褒められたことではないが、今は有事である。地上本部が強襲を受けててんてこ舞いになっている現状、誰と協力しているのかまで目を瞠る余裕は、きっと彼らにはない。

 すずかは微かに笑みを浮かべる。

 もっとも、この協力体制はいずれバレる。地上とていつまでもこちらを見ていない訳ではない。有事の時こそ規律が重んじられるのだ。その時問題にならなくとも、いずれ処罰されることは免れない。責任者たるはやては、特にそれを相殺するための結果を出す必要がある。

 政治的な話にすずかは興味はないが、上を目指すはやては組織に縛られている。はやてとしては、ここが正念場だろう。友人の一人としては、力になってあげたいところである。

「状況は?」
「機動六課は指令部を移動させることを決定。さっきまで色々打診してたんだけど、新しい本部がきまったよ。退役してた戦艦を借りられることになった。戦艦アースラ……私やなのはにとっては古巣だね」
「元々リンディさんが艦長をしてた艦……だよね?」
「そう。今リンディさんが手続きをしてくれてるところ。元々手を回してたんだろうね。明後日には使えるようになるって」
「流石、準備が良いね」
「こうなることまで予見してたんだろうね。助かってるから嬉しくはあるんだけど、ちょっと悔しいかな」

 リンディが先回りしてアースラの手配をしていたということは、敗北する可能性を否定してもらえなかったということでもある。上に立つ人間は先々のことまで考えなければならないというのは頭では解っているが、心では納得しにくい。ヴィヴィオを誘拐され、恭也が敗北を喫した現状ではフェイトは尚更そう感じるのだろう。命こそ拾ったが、兄は敵と戦い敗北したという汚名をかぶったままだ。妹として、一刻も早く彼の汚名を雪ぎたいに違いない。

「私は美由希さんの指揮下ってことになるのかな」
「だね。ブレイド01行方不明に伴い、ブレイド分隊はコールサインを変更。美由希さんが01、すずかが02になるよ」
「一時的とは言え、不思議な感じがするね」
「美由希さんはもっと思ってるんじゃないかな。しばらく恭也のサインを使うんだもん」
「うん。後で絶対にからかわれるよね……」
「残念。僕がもうからかった後だ」

 聞き覚えのある声に、振り向く。本局の制服の上につっかけた白衣。けだる気な雰囲気はこんな時でも変わらず、日の光の中目を引く銀色の髪が眩しい。

「リスティさん」
「や、すずか。しばらくぶりだね」

 軽く手を振りながら、リスティは懐から煙草を取り出すと一振り。一本だけ飛び出した煙草を口にくわえ――

 すずかが腕を振るうと、リスティの口に咥えられていた煙草はすずかの腕に移動していた。

「禁煙ではありませんが、控えてください」
「厳しいね、まったく」

 箱の口を上に向けて見せるリスティに、軽く煙草を放り投げる。弧を描いてくるくると飛んだ煙草はすっぽりと、箱上部に空けられた小さな口に納められた。煙草の箱を名残惜しそうに懐に仕舞いながら、リスティは続ける。

「君のデバイスが完成したからこっちに持ってきた。最後の調整があるから、この後時間をもらえるかな」
「それは構いませんが、リスティさんが直接?」
「まぁね。リトルバードをはじめ今ちょっと人が出払っててね。アースラをまた動かすっていうからそっちにも人を出さなきゃいけないし、久しぶりの忙しさだよ」
「おつかれさまです」
「ようやくすずかのデバイスができたんだ」
「そうだよ、妹ッサ。管理局製テスタロッサ式デバイス第一号。間違いなく魔導工学の歴史に残る作品になる。本当はもう少し早く完成させるつもりだったんだけどね。すずかがおかしな材質の棒を持ってきたり、その間に色々機能を追加しようとしてたら時間がかかっちゃってさ」
「ということは以前いっていた機能も?」
「HGS? それは見送ることにしたよ。テスタ式とは別に研究班を立ち上げることになりそうだから、興味があるようだったら協力してもらえるかな」

 興味は尽きないが、今は自分のデバイスのことだ。先のアリシアとの戦いで棍は破壊され海に落としてしまった。デバイスの調整は六課の行く末以前に、自分の命にも関わる重要な問題である。

 その点、特共研の責任者であるリスティが直接来てくれたのはありがたい。新デバイスについては最も意見を交換した人間でもある。その安心感は特共研の中でも随一だった。

「デバイスの名前はどうする? ちなみにこの娘の型番はLCTE−2001だけど」
「型番で呼ぶのはかわいそうじゃありませんか? ねぇ、バルディッシュ」
『Yes,sir』
「決めてあるよ? 色々悩んだんだけど、これしかないって思えるものができたから」

 沈黙が流れる。喋ろうとしない二人に、逆にすずかが問うた。

「もしかして、ここで発表する流れ?」
「出し渋ることもないだろう。僕はデバイスマイスターだし、そっちの妹ッサだって関係者には違いない」
「はじめては恭也さんに……」
「ふーん、私の前でまだそういうこと言うんだすずかってば」

 握りしめたり開いたりするフェイトの手に、バチバチと雷が走る。観念した方が良さそうだ。

「その娘の名前はね――」
























「こうして見ると、暇そうね」

 声に振り返る。アリサ・バニングスだ。本局の紺色の制服に身を包んだ彼女は、にこりともしないまま恭也の隣に腰を降ろした。床に直接である。育ちの良い彼女にそうさせるのは男として気が引けたが、アリサの視線に責めるような様子はない。

「別に暇な訳じゃないんだがな」

 今晩には終了する予定となっているが、コトリたちはまだチンクの手術を行っている。その間無防備になる彼女らを守るのが恭也と、この場に派遣された戦闘要員のミオ、ユンファの役目だ。もっとも、彼女ら二人は用事で出払っている。コトリたちの警護という役目についているのは、今現在では恭也だけということになる。

 複数の人間を守るのに一人だけ、というのは警備を仕事にしていた身としては心許ない限りであるが、偽装しているだけあってこの設備は防犯については完全には想定していないらしい。入り口は恭也の守る場所一つだけで、脱出できるような仕掛けは何一つない。ここ以外から侵入するとなれば、大規模な工事で穴を掘る必要がある。コトリたちも安心して仕事ができるということだが、それは同時に退路がないということでもある。

 要するに、この入り口から外敵の侵入を許せばその時点でコトリたちは終わりだ。彼女らの安全は元より、今彼女らが面倒を見ているチンクの命も失われることになる。色々な意味でそれを看過することはできない。アリの侵入すら許さない、という気持ちで恭也は神経を尖らせ続けている。

「怪しい人影はあった?」
「少なくとも視認できる範囲には一度も現れていないな。チンクを運び込む時、お前達がここに来た時、尾行されていたとしたらそれくらいだが、今まで何のアクションも起きていないところを見るに、まだこの施設は捕捉されていないのだろう」
「警戒しても無駄になる可能性が高いってことね」
「そうなることを祈るばかりだな。警戒して無駄だったと後で思えるなら、それは全員が無事にその時を過ごせたということだ」
「皆があんたみたいな考えかたできたら、世の中もっと平和になるんでしょうねー」

 アリサは膝を抱えてボーっと外を見つめている。この施設は廃棄区画にあるため、見えるのは廃墟ばかりだ。敵の姿はおろか人影すらない。

「このまま上手いこと運んでくれたら、私も楽なんだけどね」
「そうはいかないだろう。スカリエッティ達は知らんが、チンクを狙ったグループには大分焦りが見える。今も血眼になってチンクを探していることだろうな。チンクの回復までにここを突き止められるかは、神のみぞ知るところだが……」

 そういう時にこそ悪党というのは力を発揮するものである。チンクの手術が終了するまで、予定では後一日かからない。戦闘をするに十分な回復ができる訳ではないが、手術前に比べれば劇的な回復が見込めるだろう。既にレティたち上層部は戦後に向けて動き出しているという。チンクを確保することは、管理局にとって、またハラオウン派にとって大きな助けとなる。

 打算を抜きにしても、チンクのことは助けておきたい。六課で確保された連中も、チンクの安否をしきりに気にしているという。彼女は一部のナンバーズにとって、精神的な支柱なのだ。チンク一人をスカリエッティから離反させることができれば、残りの姉妹も引き込むことは、より容易くなる。人間性につけこむようで良い気分はしないが、更正の機会くらいはどんな人間にも与えられるべきだ。更正の余地なしとなるならば、それはその時にまた考えれば良い。 

「ところですずかの話だけど……どうしたの?」

 これまでの質問が全てジャブだったのか、にやにやと笑みを浮かべて質問を切り出してきたアリサを他所に、恭也は立ち上がる。その視線の先に、いきなり女性が落ちてくる。恭也は気配で察知することができたが、事前情報のなかったアリサは目を丸くしていた。

 癖のある明るい茶髪に、特共研製の戦闘服。身長は低くかなりの童顔で、リクルートスーツでも着ていたら就活中の大学生に勘違いされたろうが、彼女が見た目通りの年齢でないことは恭也も、隣に座ったアリサも知っていた。

「マルグリット先輩……」
「こんにちは、アリサ。恭也さんもご無沙汰してます」
「こちらこそ。そう言えば三佐に昇進されたんでしたね。二佐への昇進も間近と聞いていますよ。ご活躍されているようで何よりです」
「陛下のご指導の賜物ですよ。私の力なんて微々たるものです」

 ははは、と軽い声で笑うナナカを建物に促す。通信は傍受される恐れがあるからと、人を使って連絡を伝えている。ナナカはレティからの伝達係だ。運用部は事務仕事のエースが多く集まる関係上、前線に出せる腕っ節に信頼の置ける局員が少ない。優秀ではあるが荒事には向かないアリサなど、運用部を象徴する存在と言えるだろう。士官学校をきちんと卒業し、当初は執務官になるつもりだったというナナカは、こういう仕事にはうってつけだった。荒事にも関われるから、前線関係の仕事をたらい回しにされることもある。その分レティにも信頼され、将来の運用部長候補と目されているのだが……人好きのする童顔は、才気をあまり感じさせない。

 キツい印象を受けるレティやアリサの優れた容貌とは逆の愛嬌があった。こういう力を抜くことのできる雰囲気が、恭也は嫌いではない。

「その閣下は何と?」
「ここのチンクはこちらに追従するなら作戦行動に組み込んでも良いとのことです。六課のナンバーズは後回しにするみたいですね。チンクがこちらに協力したという事実をネタに、六課のナンバーズにも情状酌量の余地があるとさせる判断みたいですよ」
「裁判でそう上手くいくものですかね?」
「上手く行く、行かせるというのは恭也さんも良く解ってるでしょう? 法務関係にもエキスパートが揃ってますから、安心してください」

 ナナカはにこー、と軽く微笑む。管理局法務の援護については、フェイトの時に受けている。更正の意思があり、高い能力を保持しているならば管理世界の法律は危険なまでに寛容だ。一味であるチンクが積極的に管理局に協力し、六課のナンバーズにも更正の意思があれば、裁判は驚くほどにあっさりと終了するだろう。監視の目は残るだろうが、それでも一生牢屋で暮らすよりは遥かにマシなはずだと恭也は信じる。

「さて、一応用事はこれで済んでしまったんですが、トンボ帰りするのも寂しいです。チンクの手術はまだ途中ですか?」
「予定通り今日中に終わるということです。ミオとユンファも出払っています」
「そうですかー。情報交換とかしたかったんですけどね」
「中でお茶でもどうですか? 見た目はこんなですが、一応設備は揃ってますよ」

 後輩の務めとして、アリサが問いかける。廃墟を偽装した設備であるが、中には最低限の居住設備も整っている。何かあった時のためにとリスティが用意した施設であるが、今回の一件が終わったら機密保持のため廃棄されることが決定している。居住区画を利用するタイミングは今しかない。

「それじゃあ、お言葉に甘えます。アリサのお茶って初めての予感」
「普段は部長とお客様にしか淹れてませんからね。実は結構上手いんですよ、私」
「楽しみー」

 女らしく話に花を咲かせるアリサたちの背中を見ながら、ふと、恭也は外に視線を向けた。覚えたのは、軽い違和感。僅かな不快感を伴ったそれは、悪い出来事の前触れのような気がした。

『こちらミオ。クロスケ! 聞こえてるか!?』

 プレシアから予告なしにミオの声が聞こえてくる。どう聞いても緊急の案件に、アリサたちも話を中断して、恭也の元によってくる。

「こちらテスタロッサ。感度良好。どうした」
『武装した輩を九人捕捉した。五人こっちで処理したが、四人は多分、そっちに向かった。質量兵器で武装してる。アリサとかは中に避難させろ」
「了解した。すぐに対処する」

 指で『奥へ』とアリサに合図を送ると、彼女は悔しそうな顔をしながらも素直に従い、施設の奥へとかけていった。内部で操作して入り口を封鎖すれば簡単なシェルターのできあがりである。ガジェットの大群でもいれば話は別だが、並の刺客が相手であればこれで十分だろう。時間を稼げれば十分な今の状況では、こんな施設にコレだけの設備があるのは僥倖と言える。

「アリサの非難はたった今完了した。他に何か伝えておくことはあるか?」
『連中、そっちにはあと二分もあればつくはずなのだ。あちし達も移動してるが、早くて五分はかかる。それまで一人で持ちこたえられるか?」
「一応伝えておくが、さきほど運用部のマルグリット三佐が到着した。彼女に補佐してもらって対応する。四人なら、まぁ大丈夫だろう。そちらにまだ刺客がいないとも限らん。十分に注意して、こっちに向かってくれ」
『大丈夫なのか?』

 ミオにしては気遣わしげな声音に、恭也は苦笑を漏らした。こういうタイプに心配してもらうのは、どうにも背中がかゆくていけない。笑われた、ということを通信の向こうで理解したのだろう。無言の怒気が伝わってくるが、それはスルーする。

「あまり知られていないことだが、俺は質量兵器で武装した連中を想定していた時期の方が、魔導師と戦った時間よりも長いのだ。安心しろとは言わないが、大船に乗ったつもりでいてくれ。こちらは何とかする。お前達も十分に注意して、ことに当たってくれ」
『了解したのだ。死んだらブッコロス。以上』
「心配ありがとう。そちらも健闘されたし。以上』

 通信を切り、さて、と恭也は気を引き締める。油断なく周囲の気配を探る。不快感ははっきりとした視線に変わっている。既にこちらは捕捉されているだろう。狙撃するつもりがあれば十分に狙えるだけの距離に、相手は近づいている。遅まきながら、恭也は懐から布を取り出して顔を隠した。世間的には恭也・テスタロッサは死んだことになっている。騙されているのなら、敵も同様にそう思っていることだろう。ここで生存がバレては、隠した意味がない。

「まずは俺が対処します。三佐は俺が行動不能になった時、連中の対処をお願いします」
「協力しなくて大丈夫ですか?」
「お気持ちだけ。質量兵器で武装しているということは、それ専門に訓練をしているということでしょう。魔導師として、三佐の力量を疑っている訳ではありませんが、そういう連中を相手にするのは、訓練を積んでいないと非常に危険です」

 ナナカに向かって手を差し出す。その手に彼女は包みを放りなげてきた。ずっしりと重い、十年前まで馴染んでいた感触。特共研特製の小太刀である。すずかが持ち込んだ棍の金属を分析して作成した特注品だ。

 腰の剣帯に小太刀を刺す。重さ、感触共に悪くない。注文は全てクリアしてくれたのだろう。仕事の速さには恐れ入るばかりだ。

 殺気が破裂する。腰の小太刀を引き抜き様に、飛来した弾丸を叩き落す。行け、とナナカに合図を送る。不満そうな顔も一つせず、ナナカは後退し姿を隠した。

 さて、と意識を切り替える。まずは狙撃担当を排除しなければならない。殺気を追い、位置を特定。身体に気を漲らせ、ウィングロードを展開。加速。空中を疾走し、瞬きする間に狙撃銃を持った男と肉薄する。距離を一瞬で詰めてきた恭也を、男は驚愕の瞳で見つめていた。男が狙撃銃を捨てるよりも早く、首筋に手刀を打ち込む。男が昏倒したのを確認してから、元きた道を逆に戻る。

 残りは、三人。

 施設の周辺に影。形からして男、人数は三。狙撃担当の男も含めてミオが言っていた全員だ。気配の強さからして魔導師だろうが、魔法を使ってくる気配はない。質量兵器で戦う訓練を積んでいる。恭也からすれば当たり前のことであるが、管理世界においてそれは異質だ。存在そのものが非合法の証明でもある彼らは、恭也の姿を見て一斉に自動小銃を構える。

 洗練された動き。

 だが、それでも遅い。

 普通の魔導師、並の手錬ならば大きなアドバンテージとなる質量兵器も、恭也にとっては脅威の一種でしかない。多くの先達によって培われ、恭也自身も研鑽を重ねた技術がある。ただ武装し、鍛錬しただけの連中に負ける訳にはいかない。

 それは先達への侮辱であり、自身への裏切りである。

 心は熱く、しかし頭は冷静に。淡々と彼我の実力差を分析し、無力化していく。一撃で、一人。それを瞬きの間にこなす。狙撃されてから十秒も経たず、恭也は全員を無力化することに成功した。

「相変わらずデタラメな強さですね……」
「言うほど簡単だった訳ではありませんがね」

 錬度は悪くなかった。頭数がもう少し多ければ、もっと苦戦していただろう。数を減らしてくれたミオたちには感謝しなければならない。

『こちらミオ。何か狙撃手が転がされてるけど、これはお前がやったのか?』
「テスタロッサ。そうだ。すまないが回収してきてくれると助かる」
『了解。無事なようで何より。すぐそっちに向かうのだ』

 以上、と短い言葉と共に通信が切られる。それから三十秒。先ほど昏倒させた狙撃手を抱えたミオとユンファが到着する。こちらで昏倒させた人間も含めて四人。ミオが警告してくれた人数と同数だ。

「無事に無力化できたみたいですね」
「警告があったおかげで、アリサを屋内に退避させることができました。アレがなければ、もっと苦戦していたと思います」
「非武装の局員の安全が確保できたのは何よりです」
「そちらで戦った五人の方は?」
「拘束して転がしておきました。今頃は監査部の仲間が確保しているはずです」
「こいつらは、例の最高評議会の直轄部隊?」
「状況からして、その可能性が高いですね。何か有力な情報を知っていると良いのですが……その辺りは仲間に期待しましょう」
「監査部が尋問を?」
「実は管理局一の技術を持っていると自負しています」

 ユンファは眼鏡の奥で、目を細めて笑った。妙に迫力のある笑みに、恭也の背に一筋の汗が流れる。

 何故監査部が……と思わないでもなかったが、口にはしなかった。あのレティの協力者、その有力な部下である。どんな技術を持っていたところで、驚きには値しない。

「では、この連中の尋問はレンフィールド三佐にお任せしても?」
「もちろんです。必ず情報を引き出して見せますので期待していてください」

 強い言葉と共にユンファは転がされた四人のうち三人を完全に拘束する。後ろ手に縛りなおし、猿轡に目隠しまでしている。残されたのは狙撃担当の男だった。

 さて、と息を吐いてユンファは倒れた男を掴みあげる。大の男の身体が、腕一本で宙に浮いた。ミオが口笛を吹いて揶揄する。魔法を使っている形跡はない。純粋にユンファの自身の力である。

 息苦しくなったせいか、男の意識が覚醒する。状況を理解して身体に力が込められるが、動きだすよりも早くユンファが腹部に拳を叩き込んだ。骨の折れる嫌な音。男の絶叫が辺りに響いた。

「悲鳴をあげる度に、骨を一本以上へし折ります」

 静かな宣言に、男の悲鳴はぴたりと止んだ。下手なことをしたら殺されると、心で理解したのだ。懸命な判断です、とユンファは男を施設から持ち出していたらしい椅子に降ろした。テキパキを肘掛に両腕を縛り、男の正面に立つ。

「名前は?」
「グレッグ・ローワ――」

 言い終わるよりも早く、ユンファの拳が飛ぶ。今度は顔面だ。男の口からダラダラと血が流れる。奥歯の二三本が折れたのだろう。それでも悲鳴を上げないのは、見上げた自制心である。それなりの訓練を受けたと思わせるが、瞳には恐怖が張り付いている。これだけ怯えさせれば、知っていることは全て話すだろう。

 技術も何もない実に原始的な方法であるが、ユンファは見事目的を達成していた。

「本名を答えなさい。世間を騙すための偽名は、私達も良く知っています」
「……ジョグ・リーパーだ」

 結構、とユンファは短く答える。

 しかし恭也は男の答えた名前に、ひっかかりを覚えた。どこかで聞いたことがあるような気がする。記憶を探るが、ピンとこない。逡巡している内に、ユンファは情報を特に拳や足を交えながら聞き出していく。最高評議会のコマであることを確定させ、人員とこれからの情報を洗いざらい聞き出す内に、彼らとジェイル・スカリエッティの間が上手く行っていないのだということに確信が持ててきた。

 今度の襲撃はチンクの確保と、さらった人間達の殲滅。管理局の一派が協力しているのは解っていたという。どこの所属かまでは掴むことができなかったらしいが、それでも殺すという判断を覆さなかった辺りに、彼らが普段どういう仕事をしているのかを伺わせる。

「現時点で他に行動しているメンバーは?」
「今動ける実働部隊は俺達だけだ。他の連中は別の仕事で出払ってる……らしい。詳しくは知らない」
「隠し事をするとタメになりませんよ?」
「本当だよ。俺達は班単位で行動するんだ。基本的に、他の班が今何をしてるか知らん。今日動いてたのは機人を捜索する班二つと、お前達を襲撃する班の二つ合計四つだけだ」
「では捜索班の所在地を解る範囲で答えなさい」
「デバイスで連絡が取れるようになってる。そこから勝手に調べてくれ」

 ミオが回収した全てのデバイスを持ってくる。ここにいる男達、全員のデバイス合計四つである。捜索班を捕獲するつもりなら、急いで解析する必要がある。背後の施設を使っても良いが、技術者は全員チンクにかかりきりになっている。手の空いている人間としてはアリサがいるが、天才肌の彼女でもデバイスの分析は専門外だ。

「本局の技術班に回すのが良いでしょう。ミオ、お願いできますか?」
「らじゃったのだ。ジロー!」

 勇ましいミオの声に、ミオの影の中から銀髪の使い魔が現れる。ミオが使役する猫の使い魔のジローだ。ジローはミオからデバイスを受け取ると、夜の闇を駆けていく。猫がベースなだけに、恐ろしく機敏な身のこなしである。

「情報がわかり次第、お前達にも教えてやるのだ」
「結構。さて残る問題はこいつらですが……」

 どうします? とユンファが軽い口調で問うてくる。どこに連れて行くか、ではなくどうやって処分するかを聞いていることは、聞き返さなくても解った。死んだはずの犯罪者を管理局上層部が再利用していたという事実は、明るみに出す訳にはいかない。最もスマートな手段は、彼らをここで亡き者にしておくことである。恭也もそれは理解していた。ユンファがやるなら別にとめる気はないが、殺しの手段を聞かれても困る。

 そちらに任せると、首を振って答えると、ユンファは肩をすくめた。

 ユンファの手がひらめく。腕から踊った何かが男達の身体に纏わりついた。細く夜の闇では見えにくいが、極細の糸がその何かにはつながれていた。

 かちり、と小さな音が響く。瞬間、男達の身体が大きく跳ねた。それきり、男達は沈黙する。完全に意識を失っていた。電気か何かを流したのだろうが、大の男を複数名、一瞬で気絶させるほどの出力とは、聊か強力過ぎる道具である。

「で、こいつ一人生かしておいたのはどういう訳です?」
「恭也さんが聞きたいことがあるような顔をしていたので」
「ああ。いえ、こいつの名前に聞いた覚えがあったような、そんな気がしたので」
「名前……」

 ユンファの視線を受けて、ミオが溜息を漏らす。空間モニタを展開し男の名前『ジョグ・リーパー』を打ち込む。

「ヒット。殺人など五件の犯罪で手配中、追跡の管理局員を殺害。その後捕縛され獄中死……ということになっているのだ」

 簡単な来歴。

 だが、『管理局員を殺害』という言葉で全てを思い出した。

「お前か。ティーダ・ランスターを殺したのは」

 彼の葬儀が済み、何かできることはないかと思った時には、既に捕縛された後だった。

 そしてほどなく獄中死したと聞かされ、無力感に打ちのめされた。罪を償ったところでティーダが帰ってくる訳ではないが、その前に死んだというのはあまりにも殉職したティーダが不憫ではないのか。それでも、ティーダが帰ってこないのと同じように、死んだ犯人も帰ってくることはない。罪を償わせる機会は永遠に失われた。そう思ってたいたのに……

「そうか。お前はまだ生きていたのだな」

 すらり、と小太刀を抜く。恭也の殺気を受けて、ユンファは一歩退いた。その顔には笑みさえ浮かんでいる。酷薄なその笑みに、ミオがげんなりした顔をしている。顔を向けずとも解るくらいに、感性が研ぎ澄まされていた。いまだかつてないほどに鋭敏になった感覚が、男の恐怖を感じ取る。

 自分に生路はないと確信している。それなりに修羅場を潜ってきたのだろう。自分がどれだけのことをしてきたのかを自覚しているのだろう。

 それなのに、命乞いをしない。それが恭也には気に食わなかった。

「お前、ティーダ・ランスターを覚えているか? お前が殺した、局員の名前だ」
「覚えてる。あの空戦魔導師は、強かった。死ぬかと思ったから必死で抵抗した。生き延びることができたのは、運が良かっただけだ」
「では、奴が死んだのは運がなかっただけか……」

 それでティーダは死に、ティアナは悲しみに暮れた。

 まったくもって、世の中はこんなはずじゃなかったってことばかりだ。生きるに値する人間が死に、死すべき人間がこうしてい今も生きている。

 それが恭也には許せない。無力感に眩暈がする。

 小太刀を握る手に力を込め、抜いた。

 殺気が霧散する。意外そうな顔をしたのはユンファだ。どうして? と視線で問うてくるユンファに、恭也は静かに答えた。

「これを殺しても、俺の気が晴れることはない。ましてティーダが蘇ったりするはずもなし、奴が喜ぶはずもない。任せる。これのことは好きにしてくれ」
「わかりました。では、他の連中の処理も我々が請け負います」

 こともなげにそう言ったユンファが、男の額に指先ほどの黒い物体を貼り付ける。

「顔から行くと強力ですからね。自分が誰かわからなくなっても、私を恨まないでください」
「ちょ――」

 男の抗議をユンファが聞くはずもなく、彼女は躊躇いなくスイッチを押した。先ほどよりも強力な電流が流れ、男は一瞬で失神する。焦げ臭い匂い。男の身体から僅かではあるが煙が立ち昇っていた。出力は本当に上げてあるようだ。これが自分に対する配慮なのだとしたら、なるほど、監査部の考えることは聊か悪趣味だ。


 若かりし頃、復讐は無意味だと叔母に説いたことがある。

 ならば死者の無念は誰が晴らすのだ、と叔母は激昂した。その気持ちを解っているつもりだった。怒りをもっていたはずだ。ティーダのことは、大事だったはずだ。

 だが、心に広がるのは虚無感ばかりだ。復讐を果たしたというのに、心に達成感はない。

 復讐は無意味だ。かつての自分は正しかった。自嘲気味に笑って、恭也は踵を返した。

 











 チンクが目覚めた時、身体の違和感は全て消えていた。全てである。

 思わず飛び起きる。最初に確認したのは、自分の左目だ。視界が圧倒的に広がっている。あの日、ゼスト・グランガイツによって失われたはずの左目が、確かにそこにはあった。慣れ親しんだ眼帯の感触もない。

 誰かが勝手に機人用の眼球を移植したのだ。言葉にすると簡単なことであるが、技術的には難しいはずのことである。人間の眼球を用意しても機人には馴染まない。まず機人用の眼球が必要であり、さらにそれをチンク個人に適合するように調整する必要がある。この辺りは人間相手というよりも、機械相手と考える方が良いかもしれない。

 この技術は管理局やベルカ自治区、また聖王教会にもあると聞いているが、単純な技術力ではスカリエッティが一番だとチンクは思っていた。よって完璧な調整ができるのはスカリエッティ以外にありえない。それが今日までのチンクの認識だったが、しばらくぶりの左目は実にチンクの身体に馴染んでいた。身体についても不具合は見受けられない。IS使用による頭痛も消えていた。現時点で解る限り、身体の調整は完璧だった。

「目覚めたようだな」

 その声で初めて、部屋の中に自分以外の人間がいることに気付いた。ベッドの上で身構える。虚空から出現させたスティンガーを握りながら相対した男は、見覚えのある黒ずくめ。クアットロの宿敵でもある、恭也・テスタロッサだった。

「記憶の混濁が見られるようだが、大丈夫か?」

 混濁、と眉根を顰めるチンク。逡巡して、記憶が明瞭になる。

 そうだ。この手術については合意の上で行われた。施術したのは特共研のコトリ・クラウゼ。管理局に出向している技術者で、機械と人間の融合を研究しているという。管理局サイドでは戦闘機人関係の技術者として優秀な部類に入る人間だ。

 協力するという合意をチンクがした段階で、この施術はサービスとして行われた。そこまでしてもらう義理はないとチンクは突っぱねたが、引き込んだ以上戦力として働いてもらうと、有無を言わさず手術代に寝かされた。このまま殺されるのでは、という疑問すら湧き上がったが、結果はこの万全な体調である。

 もっとも、知らないうちに何かされているという可能性も否定できないが、今はそれを気にしても仕方がない。胸元のペンダントを握り締め、気持ちを落ち着かせる。

「大丈夫だ。問題ない」
「そうか。ならば今後のことについて話し合っておきたいのだが、大丈夫か?」
「それよりも先に聞いておきたいことがある。お前と、クアットロのことだ」

 クアットロの名前を出すと、恭也は心底嫌そうな顔をした。ノーヴェが良くやる顔である。クアットロと相性の悪い人間は大抵こういう顔をするのだが、恭也もそれ類に含まれるらしい。視線を恭也からずらすと、部屋の隅にある椅子に白いファーコートがかけられていた。少し汚れているが、あれは間違いなくクアットロのものだ。

「クアットロはドクターの思想に心底ほれ込んでいた。人間をさげすんでもいた。お前に対する復讐心は、その最たるものだろう。そのクアットロがドクターを裏切り、お前につくなど私には考えられない。お前は一体、クアットロに何をしたのだ?」
「別に、大したことじゃない。お前が今いった、俺に対する復讐心につけこんだ、それだけの話だ」

















 銃声は聞こえた。

 だが、それだけだった。弾丸は発射されたが、恭也の額を貫きはしなかった。銃口は天を向いていた。クアットロが自分で、照準を諦めたのだ。

 生かされたことを認識した恭也は、プレシアの軌道を強引に逸らす。既に確定した行動をキャンセルしたせいで、気で強化した身体が凄まじい悲鳴を上げる。首からそれたプレシアは、クアットロの腕に食い込んだ。愛刀がクアットロの腕を半ばまで切断するのを視界の隅に見ながら、恭也は身体ごとクアットロに突っ込んだ。

 プレシアの軌道は変えられても、加速まで殺すことはできなかったのだ。機人とは言え女の身体である。恭也の体当たりをまともに食らったクアットロは人形のように吹っ飛ぶ。身体中を襲う痛みに耐えながら、恭也は強引に再加速。クアットロの身体を抱え、ブレーキをかけた。

「何故だ」

 短く問うた恭也に、クアットロは口の端をあげて笑った。

「だって、つまらないんですもの。私が欲しかった勝利は、降って沸いたような幸運では得られませんの」
「それでお前が負けて、死ぬとしてもか?」
「空疎な勝利を掴むよりは、何百倍もマシですわ」

 答えるクアットロに澱みはない。選択を後悔している様子もなかった。あれだけ精密に稼動していた周囲のガジェットが全て沈黙している。既に交戦の意思すら放棄したクアットロを前に、恭也は深々と溜息をつく。戦闘の意思のないクアットロを相手に、振るう刃はなかった。ヴィヴィオの誘拐の件を含め、まだ聞かなければならないことがある。

「先ほどアリシアの声が聞こえた。ヴィヴィオを確保したとはどういうことだ? あの娘が、お前達の計画の要なのか?」
「私が喋ると思ってますの? 負けたのですから煮るなり焼くなり好きにして構いませんけれど、見くびるのも大概にしてくださいな」
「わかった。ならば対価を支払おう。お前に俺を殺す権利を与える」

 クアットロの瞳に、暗い希望が灯る。

「詳しく話を聞かせてくださいます?」
「俺の知りたいことを全て話せば、お前の身柄を保証する。その後に俺を狙えば良い。姉妹には迷惑がかかるだろうが、それはお前の自由だ。無論俺は全力で阻止させてもらうが……それでも良ければ、ということだな」
「黙って殺されるつもりはないということですわね」
「それではつまらないのだろう?」
「もっともですわ。でも、貴方にそんな権利がありますの?」
「俺のコネを存分に使わせてもらおう。事件が大きくなりすぎたことも、逆に良い方に働くだろう。過去に遡ってお前の情報を操作すれば、ある程度の自由は保障されるはずだ」
「私がこの話を断ったら?」
「どうせ喋らないお前を連れまわしても無駄だ。ここから勝負の仕切りなおしといこう」

 既に身体は限界を迎えているが、疲労度はクアットロの方が大きいはずだ。疲労によって気配を殺す術を完全に使いこなせなくなれば、位置を捕捉するのは容易い。一度離れ、そこから仕切りなおしたとしても、勝利を掴み取るのはそれほど難しくない。

 格付けは既に決した。主義主張によって勝利を捨てたクアットロに、女神はもう微笑まない。

「私に選択肢はないようですわね……」

 根負けしたのはクアットロが先だった。どいてくださいます? と当然のように言うクアットロに従い、恭也はクアットロの上から退き、起き上がるのに手まで貸す。

「貴方の提案を飲みましょう。今後は貴方に協力させていただきます。何かプランはありまして?」
「それについてはお偉方に指示を仰ぐ。秘匿回線で繋ぐから、しばらく待て」

 プレシアを操作しリンディへの秘匿回線を開いているその最中、クアットロが何気なく質問してきた。

「私が裏切ったらどうするつもりですの?」
「それはないだろう」

 こともなげに答える恭也を、クアットロは鼻で笑う。

「まさか私の良心を信じるとでも? そこまで良い子だとは思いませんでしたわ」
「そんな曖昧なものには期待しない。人間の基準で考えれば、お前は最低の悪党だ。信じるべき良心など感じられないし、本来ならばここで斬り捨てておくのが正しいのだろう。だが、社会正義以上に今の俺には取り返さなければならないものがある」

 ヴィヴィオを安全に取り返すためには、敵組織と内応する者がいた方が心強い。他の機人の戦闘結果は知らないが、既に何人かの捕虜は出ているだろう。情報を引き出すならば彼女達からでも良いが、一度捕虜になった人間を組織に戻すと流石に疑いを向けられる。

 だが、クアットロなら。恭也・テスタロッサを殺したという復讐を達成したクアットロならば、疑うものはいないのではないか。勿論そこに確証はないが、何もしなければヴィヴィオ救出のためにこちらが打てる手段は大きく制限される。内応するクアットロというのは、今の恭也にとって実に魅力的なコマだった。

「そのためになら悪党とだって手を組むと。貴方も大概に、悪党ですわね」
「何とでも言え」
「私が裏切らないと確信を持った理由は、まだ聞いていませんけれど?」
「お前に信じるべき良心はないが、お前の矜持についてはその価値がある。それに俺へ憎悪は本物だ。自分の命すらかけて空疎な勝利よりも敗北を選んだお前ならば、復讐の機会をちらつかせれば、他の全てを投げ出すと、俺は確信を持っている。断言しよう。お前は主も仲間も姉妹の情も、自分以外の全てを裏切ってでも、復讐と憎悪を優先するような存在だ。俺はその悪徳をこそ信じる」

 クアットロは笑った。邪悪そのものの笑みだった。胸糞の悪くなるその笑顔を見て、恭也は安堵の溜息を漏らす。自分の判断は、間違っていなかったと。

「改めて宣言しましょう。お前は私がこの手で、必ずくびり殺して見せますわ」
「上等だ悪党。返り討ちにならないよう、精々悪知恵を働かせておけ」


















「とまぁ、そんなことがあった。あのクズに提供された情報を元に俺達は今動いている。お前を助けることができたのは、ついでのようなものだな」
「クアットロが……」

 裏切ったというのはまだ信じられないが、らしいと言えばらしい気もする。クアットロの恭也・テスタロッサに対する憎悪は本物だ。復讐の相手との共闘など許せるものではないだろう。それがまた、彼女の復讐の炎を燃やす結果になっている。復讐の念が本物であるならば、彼女が恭也を裏切るということはあるまい。

「そのヴィヴィオを餌にされるとは考えなかったのか?」
「普段はどうか知らないが、俺については少なくとも迂遠な手段を好まない。六課襲撃の時だって、奴は俺の前に姿を現す必要などなかったはずだ。それでも出てきたのは、俺に奴の力を認めさせた上で、自分の手で殺したいからだろう。ヴィヴィオを盾にしたら、そのどちらも達成できる可能性が低くなる」
「お前は良くクアットロを見ているのだな」
「自分を付けねらう存在を分析観察するのは当然のことだ」

 俺も死にたい訳ではないからな、と静かに続けてベッド脇の椅子に腰を降ろした。

「体調はどうだ?」
「問題ない。どの程度大丈夫なのかは一度身体を動かしてみないことには解らないが、無理に動かなければ戦闘行動も問題ないと思う」
「ならば期待させてもらおう。遅くとも明後日には俺に同道してもらうが、構わないか?」
「是非もない。妹達のために働くと決めた身だ。お前達の好きに使ってくれて構わない」

 そうか、と小さく呟いた恭也がカップを差し出してくる。湯気の立つそれに匂いは感じられない。受け取って口をつけて見ると、仄かに塩の味が感じられた。成分としてはただ暖かいだけの湯であるが、それが機械の身体に染み渡った。

「生身の部分があるのならば、そういうものも効くだろう。まだ本調子でないのならば、今晩くらいはゆっくりと身体を休めると良い」
「姉として、妹たちのために何かしたいのだが……」
「今は身体を休めることだ。それは別に、明日からでもできる」

 そうか、と今度はチンクが切り返した。カップを恭也に返すと、話はそれで終わりとばかりに立ち上がる。その視線が、チンクの胸元に向いた。今気付いた、という風を装っているが、視線は彼に助けられた時から感じていた。

「これがどうかしたか?」
「知人の持っているデバイスの待機状態に似ているのでな。少し気になった」
「高町なのはのレイジングハートだな。私も似ている、とは思っていた」

 首から下がったそれを外して、恭也に差し出す。

「私のお守りだ。『凍った時』という不可思議な現象で固定化されたものでな。不滅の象徴と言われ、昔から戦場に立つ人間には重宝されていたそうだ」
「それは知っているが……触っても構わないのか?」
「もう知らない仲ではないだろう。別に減るものでもなし、構わない」

 恐る恐るといった感じで、恭也がそれに手を伸ばす。

 恭也の手に渡った瞬間、黒ずんだ赤色の石に鈍い光が灯った。ずるり、と空間そのものが動いたような音がした、次の瞬間。凍っていたはずの時が動き出した。不滅でなくなった、というのはチンクにも解った。何をしたのだ、と恭也にキツい視線を送る。

 凍った時は現代の魔法技術でも解明されていない不可思議な現象であるが、何かをきっかけに崩壊することが確認されている。常時が不滅の象徴であるように、それは破滅の前兆とされていた。これから姉妹のために働こうというチンクには、縁起でもない話である。

 だが、恭也にとっても寝耳に水だったようだ。急に動き出した赤色の石を、困った顔で見つめている。

 その石はチカチカと小さく瞬くと、明らかに恭也の方を向いて、喋りだした。

『お兄ちゃんへ。聞こえていますか?』

 その声は酷く遠い。掠れて、今にも消えてしまいそうな儚い声は、しかし、チンクにも聞き覚えのあるものだった。

 高町なのは。機動六課に所属する、当代最強の魔導師の一人。そのなのはと恭也は浅からぬ関係だと聞いているが、兄と呼ばれているとは聞いたことがない。彼を兄と呼ぶのはスカリエッティが調べた限り、フェイト・テスタロッサただ一人のはずである。

 恭也はそっと、赤色の石に手を伸ばした。今にも泣きそうな顔で、ただ赤色の石を見つめている。

『どれだけ遠く離れていても、お兄ちゃんに届くようにちょっと魔法を使いました。驚くかもしれないけど、なのはは実は魔法使いだったのです』

 チンクの知るなのはの声よりも、どこか幼い。まるで子供のような声が、ただ部屋の中に響く。

『お兄ちゃんへ。突然お兄ちゃんがいなくなって悲しいです。私も、お母さんも、お姉ちゃんも、晶ちゃんも、レンちゃんも、フィアッセさんも、皆、皆、みーんな悲しい思いをしました。今も正直、とても悲しいです。帰ってきてほしいって、すごく思います』

『でも、お兄ちゃんのことだから、いなくなったことには何か、理由があるのだと思います。そしてきっと、今もどこかで困った人を助けているのだと、そう信じています。よく分からないけど、そんな気がするんです』

『お兄ちゃんへ。私が魔法を使えることは秘密なので、このことは誰にも言えません。だから私以外の皆はきっと、これからもずっと私より寂しい思いをすると思います。そんなお兄ちゃんが、ちょっとだけ嫌いです。でも――」

『ただ一人、お兄ちゃんを信じることのできる私は、お兄ちゃんの味方でいたいと思います。もう会えないかもしれないけど、いつかきっと会いたい、会えない時にはせめてこの思いが届くように、こうして言葉を込めました』

『お兄ちゃんへ。きっと誰かのために、痛い思いをしてるはずのお兄ちゃんへ。どれだけ遠く離れていても、どれだけ時が流れても、私はお兄ちゃんの味方です。だからくじけず、前を向いて、お兄ちゃんの思いを貫いてください』

『この思いがきっと、届きますように。お兄ちゃんが少しでも、安らかな気持ちになれますように、こうして言葉を送ります。親愛なる高町恭也様へ、貴方の妹、高町なのはより』

 時間が来た。赤色の石にヒビが入っていく。どんどん遠くなっていく声が、最後にただ一言、部屋に響いた。

『お兄ちゃん、がんばれっ!!』

 そうして、赤色の石はさらさらと、砂になって崩れ落ちた。後には耳に痛いほどの沈黙が流れる。恭也はただ呆然と、崩れ落ちた砂を見つめていた。

 今にも泣き出してしまいそうな恭也の頭を、チンクはそっと抱きしめた。抵抗するでもなく、恭也が体重を預けてくる。千体以上のガジェットを破壊し、機人たちを苦しめた無双の剣士の、何と儚いことだろうか。

「ここで見たことを、絶対他言しない。秘密は墓の下にまで持っていくと妹達に誓う。だから、お前も好きにすると良い。お前には命を救ってもらった。そしてこれから世話になる。その恩を少しでも返させてくれないか?」
「……少しだけ、泣いても良いか?」
「あぁ。好きなだけ泣け」

 そうして恭也は、声をあげて泣いた。子供のように泣く恭也の頭を、チンクはただ、そっと撫で続けた。












「お前には大きな借りができたな」
「気にするな。妹のことで元々借りがあったのだ。それで相殺、貸し借りなしだ」
「いや、妹の件はお前が力を貸すことで相殺できていた。これは俺の、個人的な借りだ」
「律儀なのだな……」
「何でも言ってくれ。俺にできる範囲のことならば、何でもする」

 別に良い、と続けて口にしようとしたが、泣いてすっきりとした恭也の顔には不退転の決意が見えた。何か、相応のことを対価に出さない限り、この男は一歩も引かないだろう。大の男が女の胸で泣いた。それ程までに、先のことは恭也にとって踏み込んでほしくないものなのだ。

 かと言って、今のチンクにとっては妹達のことが全てだ。特に欲するこどなどない。彼の秘密に相当するほどのことなど、望むべくもないのだが――

「笑わないで聞いてもらえるか?」
「誓おう。先ほどのことの、秘密に誓って」
「私は姉だ。姉は妹達の範とならねばならない。理想の姉足らんと頑張ってきた私だが、私はこんなナリだ。威厳というものには、少し欠けるのは否めない。そこで、だ。お前、私を敬ってくれないか? 嘘でも良いのだ。お前みたいな男が持ち上げてくれれば、妹達の私を見る目も、変わると思うのだ」
「お前の気持ちは、妹たちには通じていると思うのだがな」
「それでも、だ。目に見える形で証が欲しいのだ。普通であれば胸の奥にしまっておいた気持ちだが、お前の秘密の対価になりそうな私の希望はこれしかない」

 笑ってしまうくらい自分本位な願いを恭也が笑うことはなかった。恭也は彼ができる精一杯の微笑みを浮かべると、チンクの前に膝をつく。

「解りました。それくらいならばお安い御用です。俺のことは恭也とお呼びください、姉上」
「……自分で言っておいて何だが、背中が痒くなるな、これは」
「自分で言ったことなのですから守っていただかないと困ります姉上」
「なぁ、やはり別のことに変えても良いか?」
「それはできません姉上。敬愛する姉上をないがしろにするなど、今の俺には無理な話です」
「正直に言え。お前、私をからかっているだろう」
「滅相もありません。姉上には敬意を持って接しています」

 決して敬意100%ではない笑みを浮かべて、恭也は言う。

 だが、つい先日まで敵だった良く知らない人間の願いを聞き届ける。それくらいの度量はあるようだった。自分で言い出した手前、もはや引っ込めることはできないが多少の背中の痒みくらいは、我慢しても良いだろう。恭也・テスタロッサが自分を『姉』として扱っているのは、とりあえず事実なのだ。これで妹達の自分を見る目も変わると思うと、恭也の態度も許せるような気がした。









あとがき


StS編をやると決めた時から絶対やると決めていた話その1 向こうのなのはのメッセージ回でした。

相当な難産だった割に随分とあっさり終わってしまった感がありますが、一つ山を越えました。次回からラストバトル編です。
ちなみにすずかのデバイスの名前はまだひっぱります。きまってますがまだ秘密です。大したものではないので期待はしないでいてくれると大変助かります。