1、

「では、行って参ります」

 執務室にて。出立の挨拶にきたシャッハを、カリムは椅子から立って出迎えた。

 秘書兼護衛であるシャッハがカリムの周辺を離れることは非常に少ない。枢機卿を祖父に持ち、いずれその地位を継ぐと目されているカリムを狙う人間は非常に多く、今まで何度も暗殺騒ぎに巻き込まれてきた.

 誰が味方かも解らない中で、シャッハ・ヌエラはカリムが心の底から信頼できる数少ない人間だった。そのシャッハがカリムの傍を離れるという。二人の関係を知る人間ならば、驚天動地のことである。

 その心地は、当の二人の顔にも表れていた。これから出立するというシャッハの顔には苦悩が、カリムの顔には平穏が見て取れる。主を残していくことを忠勇で鳴らすシャッハは心配していた。そんな彼女の視線を受けて、カリムは穏やかに微笑んだ。

「貴女は聖務を果たしに行くのよ。もっと胸を張って、堂々となさい」
「しかし、騎士カリム。私は貴女のことが心配です」
「私なら大丈夫。これでも騎士と呼ばれる立場だもの。自分の身くらい自分で守れるわ」

 カリムは穏やかに微笑むが、それが強がりであることは彼女本人が良く知っていた。

 騎士と言っても、ベルカ社会には二種類存在する。

 一つは、これは誰もが思い浮かべる強く、人々を守る騎士だ。これは力ある魔導師に与えられる称号のようなものであり、管理局で言えばシグナムやヴィータなどがこれに該当する。

 もう一つは地位としての騎士である。前者の騎士はこちらの職位を持つことも多いが、こちらだけという騎士も存在した。カリムは紛れもない後者である。魔術師としての才能は高いがカリムのそれは予言能力に特化しており、戦闘能力は皆無と言っても良かった。戦闘訓練もしてはいるが、本職の騎士に比べれば何もしていないも同然である。刺客を相手に自分の身を自分で守るなど夢のまた夢だった。そのためにシャッハがいて、カリムも彼女を頼ってきた。

 混沌としてきたこの状況でシャッハを遠ざけることは、自らの身を敵の前に差し出すに等しい。

 それでも、カリムは恐怖を押し殺して微笑んだ。シャッハを必要としている人間がいる。それで守れる命があり、世界がある。聖界に身を置くと決めた時から、こういう日が来ることは覚悟していた。命をかけて戦う日があるとすれば、それは今なのだ。

 これから命を賭けて戦おうとしている人間がいる。教義の元に世界を導こうとする聖職者が、それを実践できないでどうするのか。騎士としての矜持が、カリムの心を奮い立たせていた。ここで引く訳には、いかない。

「だから、行ってらっしゃいシャッハ」
「行ってまいります。騎士カリム」

 挨拶と共に深く一礼して、シャッハは部屋を出て行った。

 彼女の足音が聞こえなくなって、カリムは椅子に深く腰を下ろした。『死んだはず』の恭也がもたらした情報によれば、今日がスカリエッティが作戦を決行する日だった。

 早急にアジトを攻め彼を確保することも検討されが、結局上の人間たちはスカリエッティが作戦を決行するのを待ち、それに対応することにした。

 それで命が危険に晒される人間も大勢いるが、既にある程度の準備が済んでいるスカリエッティに対し、管理局側は何も準備ができていないに等しかった。事を急いてスカリエッティが決行を前倒しにしたり、あるいはただの破壊活動に目的を切り替えた時、何の準備もできていないのではより多くの人命が失われることになる。

 大きな被害を出さないために、ある程度の被害を許容した。それはそれで仕方のないことだと理解はしていても、割り切れるものではなかった。管理局にも教会にも、何より民間人にも多くの死者が出るだろう。

 それが治安を守る管理局の人間の手によって許容された。力を持ち、予言まで行いながらも結局それを止めることはできなかった。

 自らの力不足に、カリムの手に力が篭る。自責の念がカリムの心を支配していた。

 だが、ここで潰れる訳にはいかない。スカリエッティの決行に合わせて準備することができた。教会からも秘密裏に騎士を出し、要所の警備を増やしている。クロノのハラオウン艦隊も既に行動を開始していた。これで最悪の事態は回避できるだろう。何もできずに一方的に蹂躙される。そんなことはあってはならなかった

 これからが正念場だ。

 教会も管理局も、全ての力を出し切って地上のために戦う日が来た。

 地上と、そこで暮らす人々のために、カリムは静かに祈りを捧げた。

 全ての人に、幸多からんことを。

 
















2、

 ミッドチルダ首都、クラナガン。

 そのあちこちで、ガジェットが一斉に出現した。一つ一つの数こそ少なかったが、一度に千を越える箇所に出現したことで地上本部の回線はパンク寸前まで追い込まれた。

 時間にして僅かに一分。

 本部の回線が混乱している隙をついて、アリシアは地上本部の兵器開発部門に侵入を果たした。地上本部の虎の子『アインヘリヤル』三機全てが、ここで開発製造されていた。テストこそまだであるが、実行段階にあるそれをスカリエッティは見過ごすことはできなかった。

 スカリエッティの美学には反する物の、その破壊力は折り紙付である。三機全てを動員すれば『ゆりかご』すら粉砕する威力がある。事前の無力化という判断はある意味当然のことと言えた。

 本来これはナンバーズの下位メンバーであるノーヴェたちの仕事であったが、彼女らが六課に捕まってしまったことでアリシアにお鉢が回ってきたのだ。そういう泥臭い仕事はアリシアの好みではなかったものの、恭也がクアットロに殺されてむしゃくしゃしてたのも重なって、この仕事を引き受けることにした。

 とにかく、何かを壊したい気分だったのだ。

 任務優先。殺しはなるべくしないように、というスカリエッティの最低限の指示に従い、アリシアは一人で迅速に工場を制圧した。地上本部に次いで現在クラナガンで最も警備の厚い場所であるはずだが、屈強な魔導師たちもガジェット数機を引き連れたアリシアの敵ではなかった。

 今アリシアの前には件のアインヘルヤルが並んでいる。

 魔導師に攻撃されることも想定しているこれらには、表面に魔力攻撃に対する処理が施されていた。現在の兵器の主力は魔力兵器であるため、魔導師がこれを破壊することは難しい。六課の『白い魔王』や『夜天の王』でも、単独でこれを破壊することは難しいだろう。

 魔導師に頼らずに、何かをなそうとする。その思いを結実させ、こうして結果を出したことには素直に敬意を表するアリシアだったが、アインヘルヤルを前にした彼女の目には、酷薄な笑みが浮かんでいた。

「やっぱりこれはないよねー」

 せっかく人間が兵器として恐怖される世界なのに、こんなものが対等してはその恐怖が薄れてしまう。同じ人間であるはずの魔導師がたった一人で大破壊を成す。そこに意味があるというのに、この兵器は存在するだけでそのロマンを破壊する。

 それが時代の流れだよ、とスカリエッティは笑った。事実、彼は魔導師を殺すためにAMFの技術を完成させた。それくらいならばまだ良い。そんな技術で魔法が使えなくなるような軟弱な人間に、魔導師を名乗る資格はない。力を持たない人間が道具の力を借りて、力ある人間と肩を並べる。その事実がアリシアには我慢ならなかった。

 転移魔法を使い、爆弾を転送する。装甲の厚いアインヘルヤル三機を纏めて吹っ飛ばすだけの爆弾、数にして130個。それ一つで地上本部を更地にするほどの破壊力を持つ爆弾を、せっせと一人で設置する。効率的な破壊のために、設置場所は重要である。探知魔法で位置を把握し、魔法で次々に配置。セッティングはデバイスを介して行った。人力で設置したら一時間あっても終わらなかったろうが、アリシアはこれを一分で行った。

 後はスイッチ一つを押せば完了だ。破壊を確実にするため結界を張るなどの作業はあるが、この施設でやるべきことは終了した。後はアジトに戻るだけである。

 さて、と転移魔法で外に出ようとしたアリシアの背後から、倒れていた魔導師が跳ね起きた。振り返ることもしないアリシアの後頭部に、問答無用でアームドデバイスを振り下ろした。頭を断ち割る、明らかに殺すための一撃である。普通の魔導師が相手であれば、それで決まっていただろう。この攻撃をした魔導師も世間的には十分に一流に分類される、優秀な魔導師だ。

 その優秀な魔導師の攻撃を、アリシアは振り返りもせずにシールドで受け止めた。受け止めると同時にデバイスを破壊、バインドで拘束し、屈強なその魔導師を宙吊りにする。

「死んだふりしてれば見逃してあげたのに、どうしてこういうことするかなー」

 人を小バカにしたアリシアの声音に魔導師は反論しようとするが、魔力の鎖は魔導師を拘束すると同時に首も絞めていた。声を発しようとしても呻き声にしかならない。それを解っているアリシアは、魔導師に歩みより顔を近づける。小ばかにする笑みは、相変わらずだ。

「本当は皆殺しにしたいんだけど、今は時間がないから許してあげる。感謝してね? 今の私、すっごい機嫌が悪いんだから。普段だったらそうだなー、おじさんの両手足を切り飛ばしたり、死なない程度に焼いてみたりしてるんだけど・……別におじさん一人ならそうしても良いかな、お仕事はもう終わったし」

 笑顔はそのままに、光の剣を連続で放つ。肩口、頭頂部、つま先など身体をかするぐらいの距離を連続して、だ。高度に収束された魔力攻撃はAMF影響下でもバリアジャケットを容易く貫通する。通常魔力攻撃は非殺傷設定で行われるが、それは殺人は不味いという管理局側の都合であって、テロリストがそんなものを守るはずもない。自分の命が風前の灯火であることを理解した魔導師は、拘束から逃れようと大暴れするが、アリシアのバインドは揺るぎもしなかった。

 アリシアは無駄な努力をする魔導師を適当に焦がしながら眺めていたが、しばらくするとそれにも飽きた。うめき声をあげる魔導師をバインドで締め落として無力化し、淡々とした表情で自らのデバイスを操作。施設のシステムを掌握し、全館放送で告げる。

「今から十分後に施設ごと爆破します。このままここにいると死んじゃうので、命が惜しい人は退避した方が良いかもよー」

 やる気のない声で適当にアナウンスし、自分は転移で脱出する。十分で全員が脱出できるかは微妙なところだったが、手加減してやった上に予告までしたのだ。これ以上敵の面倒を見てやる理由はアリシアにはない。面倒な仕事は済んだ、とぱぱっと結界を張ってからアジトまで長距離の転移を果たしたアリシアは、その足でスカリエッティのいる管制室へ向かった。

 スカリエッティは中央に設えられた椅子に座り、ぼんやりとモニタを眺めていた。いつも隣にいるウーノの姿が見えない。どこに、と思わないでもなかったが、それはどうでも良いことだ。すたすたと部屋を横切りスカリエッティの横に立つ。整った顔立ちではあるが、青白い肌とぎらぎらとした目はアリシアの好みではなかった。不健康な見た目、というのはそれだけでマイナスである。

「おかえり、アリィ。首尾は……聞くまでもないようだね」
「六課の人がくるかもと思ったけど、そんなこともなかったよ。普通の魔導師はやっぱり弱いね!」
「重要施設の警備に回るくらいだ。それでもAAランクくらいの魔導師はいるはずなんだがね……」

 世間の基準で言えばそれでも十分に強いレベルに入る。大部分の魔導師はBランク以下で、それ以上ランクが上がることもないまま一生を終える。Aランク以上になれるののは、魔導師の中でも一握りだ。さらに重要施設に配置されている魔導師なのだから、地上本部の魔導師の中でも精鋭のはずである。

 それでも、アリシアの道を阻むことはできなかった。文句なく、彼女は現代の魔導師の中で最強の一角だろう。一対一で彼女を撃破するのは、精鋭揃いの管理局でも難しい。可能性があるとすれば、既存の技術に依存せずに戦う『彼』のような連中であるが……

「すずかお姉さん、生きてたんだって?」
「六課の施設で姿を確認した。戦闘行動も問題ないようだね。先ほどクラナガン沖のアースラから出撃したと、情報が入ったよ」

 ほら、とスカリエッティがモニタに映像を展開させる。旧式の戦艦から六課の面々が出撃する様子が映し出されていた。その中にはすずかの姿もある。身体に穴を空け、海に叩き落したというのにまだ生きていた。その姿を見るに、この前戦った時よりも生き生きしているように見える。あの日は本当に調子が悪かったのだろう。これなら、今日はもう少し楽しめそうだ。それでも自分を撃破することなどできないだろうが、恭也が殺されてしまった今、アリシアが興味があるのは恭也と同じ技術を持ったすずかと、美由希くらいしかいなかった。

「すずかお姉さんは私がもらっても良い?」
「構わないよ。君との共闘は今日までという約束だったからね。アインヘルヤルの破壊は達成したも同然だ。後は好きにすると良い」
「ドクターの邪魔をするかもしれないよ?」
「それならそれで仕方ないね。私は優れた人間には敬意を払うよ」
「ふーん。自分の作ったクローンに、敬意を払ったりするんだ」
「作られた存在が自然に発生したものに劣るなら、私がしてることもまた無意味だ。研究者の端くれとしては、自分のしていることを無意味とは思いたくないものだね」

 掴み所のない笑みを浮かべるスカリエッティに、アリシアは小さく溜息を漏らした。

 人格の破綻したこの男が、狂っていることはアリシアも認めるところである。だが優秀な技術者であることも同様であり、その技術があったからこそ自分はプレシア・テスタロッサの遺伝子から生み出された。どういう理由で生み出したのかは彼のみぞ知るところであるが、情の薄い彼にしては自分に向ける視線には不可思議な熱があるように思えた。身の危険を覚えるほどではなかったが、それは狂気にも似た愛情のように感じられた。

 その感想を信じるなら、どうして自分を生み出したのかにも答えが出るような気がした。

 だが、それもどうでも良いことだ。スカリエッティが自分をどう思っていようと知ったことではない。彼に対する義理は果たした。後は好きにして良いというのなら、好きにするまでだ。

「今までお世話になったお礼に、計画の邪魔はしないであげるね」
「ありがとう。優しいアリィ」
「さよなら、おかしなドクター。計画が成功することを祈ってるわ」

 先の曲がったとんがり帽子を頭から降ろして一礼すると、マントを翻して管制室を出る。誰も居ない廊下に、アリシアの小さな足音が響く。転移で外に出ようと魔法を発動しかけたその時、角を曲がってきた人影があった。

「アリシア、もう行くのね」
「そうよ。もうここにいる理由もないもの」
「そう。寂しくなるわね……」

 メガーヌはそう言って、顔を曇らせる。管理局に籍を持つ、かつてスカリエッティと敵対したこともあるこの魔導師は、客分としてアジトに留まり続けていた。管理局員としての正義を持ちながらも、スカリエッティの悪事にも手を貸している。以前の地上本部の攻撃には、彼女の転移魔法が大きな役割を果たした。アリシアでも同じことはできるが、彼女ほど大規模に、そして精密に転移魔法を操ることはできない。こと、物を移動させるという一点において、メガーヌはアリシアの先を行っていた。

 自分より有能な人間がいるというのは忌々しいことではあるが、事実としてメガーヌは優秀である。優秀な人間には敬意を払う。それは人間として当然のことだった。

 だが、メガーヌが実験材料としてではなく、客分としてアジトに残ることができたのは、彼女が優秀であったからだけではない。彼女はその性格からナンバーズの姉妹の信頼を勝ち得ていた。どんな人間にも分け隔てなく接するメガーヌは、あのクアットロからさえも一目置かれていた。料理を作ったり訓練の相手をしたり、姉妹にはなくてはならない存在となっていた。

 培養層から生まれたアリシアは、母や家族というものを知らない。そんなアリシアが、母というものをぼんやりとでもイメージできるのは、メガーヌの存在に寄るところが大きかった。

「そんな悠長なこと言ってていいの? 今日の行く先によっては、メガーヌお母さんも不味いことになるんじゃない?」
 
 メガーヌはスカリエッティに協力した。管理局に籍は残り、局の方ではまだ行方不明として処理されているが、事実が明るみにでれば犯罪者として手配されるだろう。アリシアが開放されたように、メガーヌにも既に自由が約束されている。もう一人の客分であるゼストも、相棒であるアギトと一緒に出て行ったばかりだ。

 被害者として管理局に復帰するなら、今が絶好の機会であるのに、彼女はまだアジトにいた。その理由が、アリシアには解らない。

「ここも戦場になるかもしれないでしょう? トーレとセッテと、セインも残ってるから、私にもできることがあるんじゃないかと思って」
「管理局の魔導師が、敵を助けるの?」
「私に聞くにしては、今更のことね。ナンバーズの皆は、大事よ。貴女だって、私をお母さんと呼んでくれるでしょう? そんな風に呼んでくれる子を、置いていくなんてできないわ」

 呆れた様子でアリシアは溜息を漏らした。魔法で心を読むまでもなく、メガーヌの言葉は本心だろう。スカリエッティや自分も大概だが、彼女もまた狂っているようだ。

「誰かに伝えたいことはある?」
「色々あるけど、それは自分で言うわ。せっかく自由になったんだから、貴女は貴女のしたいことをやりなさい」
「生きてここから出るつもりなのね」
「それはそうよ。外でも娘が待っているもの。こんなところでは死ねないわ」

 ならばさっさと逃げれば良いのに、メガーヌはそれをしない。実の娘と同等かそれ以上に、ナンバーズの皆が大事なのだ。やはり、彼女は狂人である。

 メガーヌから視線を逸らし、アリシアは歩みを進めた。転移魔法で部屋からデバイスを呼び出す。他の荷物は全て安全な場所に運び出した。このデバイスはアジトに残った最後の私物である。古風な杖の形をした、ハンドメイドの一品である。生まれて初めて自分で作り、それからずっとカスタマイズし続けてきたストレージデバイス。

 名前は『C4U』。色々名前を考えて見たが、やはりシンプルなものが一番しっくりときた。

 アリシアは大きく息を吸って、吐いた。

 これからは何にも縛られずに生きることができる。

 自由だ。

 今までだって決して拘束されていた訳ではないが、これからは本当にしたいことができるのだ。

 なのに心が沸き立たない。

 転移魔法で外に出る。空を飛び、高々度で停止した。そこからは戦火に包まれたクラナガンが見渡せた。赤い炎の花が咲き、黒い煙が立ち昇っているのが良く見える。

 ここは地獄だ。多くの人が死に、多くのものが滅びる。悪の手先たるガジェットが暴れ回り、罪のない人々を殺して回るのだ。それに思うところはない。しかし、正義の味方がやってこないことに、アリシアは大きな不満を覚えていた。

 この世界には彼がいない。アリシアの心のずっと奥から求めてやまない彼の声が、全く聞こえない。

 それだけで、そこそこ楽しかったはずの世界が無価値に見えた。

 戯れに、吹き飛ばしてみようか。それを成すだけの力が、アリシアにはあった。計画を進めてきたクアットロは怒るだろうが、彼女に配慮してやる義理は何もない。あの女は、恭也・テスタロッサを殺した。その意趣返しをする権利は、自分にもあるはずだった。

 半ば本気で、クラナガンを吹き飛ばすだけの魔法を、編み始めた。広大な魔方陣が展開し、膨大な魔力が集まっていく。一角を吹き飛ばした時の数百倍の魔力がアリシアに集まるが、デバイスの力を借りた彼女に、制御できないものではなかった。

 戦艦の主砲に匹敵する魔力が、集まる。それを放とうとした、まさにその時――

 周囲に張り巡らせた防壁に、何かが直撃した。障壁はそれを粉々に粉砕する。それが何か、確かめようとした次の瞬間に、二撃目。今度は破壊せずに、それを受け止めた。

 それは石だった。どこにでも落ちているはずのそれが、先程に続けて二度、アリシアの障壁に直撃したのだ。こういう、無粋な攻撃をする人間に心当たりがある。

 飛んできた方角を演算で割り出し、視覚を強化。その先を凝視する。

 紫色の髪が、風に流れていた。自分が主役だと言わんばかりの顔で、その女は廃棄区画のビルの屋上に立っていた。距離にして数十キロ。通常の視覚では認識もできないほどの距離が開いているのに、その女は確かに、アリシアに向かって手招きをした。

 らしからぬ挑発的な笑みに、アリシアの心はわき立った。

 この女は、ここで殺そう。

 そう決意して、彼我の距離を一気に縮める。

「自分から殺されにくるなんて、良い度胸だねすずかお姉さん!」
「聞き分けのない子におしおきをしにきたの! しつけのできない女って、恭也さんに思われたくないもの!」
「いい加減、夢見るのやめなよすずかお姉さん! お兄さんもう殺されたんだよ!」
「貴女こそ良く考えなさい。あの人が殺されたくらいで死ぬと思う?」

 すずかの微笑みながらの物言いに、アリシアは一瞬言葉に詰まった。その通りだと思ってしまったのだ。

 だが、クアットロは確かに殺したと言った。死体は一部分しか映っていなかったが、あれだけの数のガジェットと戦闘をしたのなら死体が粉微塵になっていても不思議ではない。何より、恭也の死を疑うならば、クアットロの裏切りが前提となる。クアットロはウーノに次ぐ、スカリエッティの思想に心酔しているナンバーズである。恭也を憎んでいることについては、誰もが知るところだ。

 恭也が生きているということは、クアットロがスカリエッティ一味全員に嘘をつき、今も行動しているということだ。

 それはありえない、とアリシアは頭を振った。何も考えていないのはすずかの方だ。恭也が死んだのを信じられずに、妄言を吐いてこちらを騙そうとしている。一瞬、信じかけてしまった自分に恥じ入るように、アリシアは声を張り上げた。

「新しい武器があるんでしょ? それを出すまで待ってあげるよ。最初から全力全開じゃ、いくら何でもすずかお姉さんがかわいそうだからね!」
「ありがとう。でも、すぐにそれを後悔させてあげる!」

 すずかが左手を掲げる。手の甲には薄い紫色をした金属板があった。形はフェイトのバルディッシュや、恭也のプレシアと同じものである。すずかはそれに軽く口付けをすると、静かに唱えた。

「目覚めよ、スノー・ホワイト」

 すずかがその名を口にすると、デバイスが展開した。

 空よりも青い色をした、しかしすずかのような女性が持つには無骨な形、大きさをした棍だった。元々持っていたアリシアが真っ二つにした棍よりは、いくらか細いだろうか。それでもすずかの身長より長いそれは、細身の彼女が持つには大きすぎるものだった。

 それを事も無げに振るい、構える。流麗なその動作は、何度も何度も基礎を繰り返した証だ。

 スノー・ホワイト。その名前をアリシアは聞いたことがあった。魔女に毒りんごを食わされて眠りにつくも、王子様のキスで目覚めるという童話のヒロイン。確か第97管理外世界、高町なのはの故郷の童話である。恭也の住居があるということで、その世界については一時期調べたことがあった。童話の知識もその時仕入れたもので、『白雪姫』も読んだことがあるが……

「デバイスが白雪姫なら、それにちゅーしたすずかお姉さんは王子様じゃない?」
「わ・た・し・も、スノー・ホワイト!」

 向きになって反論するすずかを中心に、白い霧が出現する。キラキラと太陽の光に反射するそれは、細かな氷の粒だった。すずか自身の能力か、氷属性の魔力変換でも搭載しているのか。いずれにしても彼女との戦闘に大した影響はないが、後者だとしたらまさに最先端の技術力である。

 デバイスに魔力変換機能を持たせることは、魔導工学における難題の一つとされている。比較的原理の解明されている電気や炎でも実装は難しいとされているのに、氷で、しかもそれが実用段階にあるというのだから、特共研の技術力の高さが伺えた。今の段階ではすずかの能力ということを否定できず、これがデバイスの魔力変換であるというのはアリシアの推測の域を出ないが、特共研ならばやりかねないという思いが自らを天才と自負するアリシアにもあった。

 恭也の技術を研究し、それを魔法体系として認可させようと本気で頑張る連中である。高機能デバイスの一つや二つ、生み出したところで驚くに値しない。

 その最先端のデバイスを構えたすずかが、アリシアを見上げる。自信に満ち溢れたその顔が、アリシアの癪に障った。この自信がどこから来るのか。聞いて見たい気もしたが、それ以前に、恭也が生きてるなど妄言を吐くこの女を生かしておきたくなかった。

 自分が受け入れた事実を受け入れないこの女が、アリシアは大嫌いだった。

「決着をつけようか、アリシアちゃん」
「上等だよすずかお姉さん!」

 今度こそ、完膚なきまでに殺す。塵も残さず、跡形もなく。月村すずかという存在をこの世から消し去るべく、アリシアは光の雨を降らせた。



















3、

「始まったか」

 クラナガン沖に停泊した戦艦アースラ。新たに六課本部となったその船の艦橋で、はやては呟いた。

 モニタにはクラナガン全域の様子が映し出されている。方々で火の手があがり、黒い煙が立ち昇っているのは、艦橋からも見えた。未曾有の惨事が起こっているこの時に待機している自分に歯噛みするが、これが役目であると何度も言い聞かせて、その場に留まる。

 聖王のゆりかご。

 聖王を核としたロストロギアであり、最新鋭の戦艦と比べても遜色ない機能を持った戦艦である。クラナガン郊外に死蔵されていたそれが、今浮上したのだ。浮上しながらクラナガン方面に移動を続けるそれは、ついでとばかりに大量のガジェットを吐き出していく。そのほとんどは地上のガジェットに合流するが、一部はゆりかごを護衛するように周囲に留まり続けていた。

 あれが此度のスカリエッティの計画の要である。あれが成層圏を抜け、月の周回軌道まで到達したらこちらの負けだ。事前に何も知らされていなければ、右往左往するしかなかっただろう。

 ここまでは管理局に潜入していたナンバーズを締め上げて得た情報の通りだった。周回軌道には既にクロノのハラオウン艦隊が向かっている。上昇のスピードは一定。ガジェットを出し続け、航空戦力も相手にしながらでは、こちらの艦隊が到着する方が早い。

 情報が良い方向に作用している。最悪の事態は回避できそうだが、それで目の前の地獄が良くなる訳でもない。現状を改善するには、今ここで奮闘する必要があった。

 そのために六課のフォワードメンバーのほとんどは出払っている。情報に基づいた作戦によって、彼女らは地上の各地点に振り分けられていた。

 フェイトを中心としたチームが、スカリエッティのアジトを襲撃。これにはヴェロッサ率いる教会騎士数名に、美由希とエリオが参加している。アジトの制圧と資料の確保が目的だ。敵対組織のアジトに潜入するには心許ない人数であるが、同道する教会騎士は騎士団の中でも精鋭と聞いている。

 流石にフェイトに比べれば見劣りするものの、そもそも彼女と同ランクを求める方が間違いである。教会が精鋭というのなら、はやてはそれを信用するしかなかった。

 ティアナを中心とした若手メンバーは、108部隊と合流してクラナガン各地に散っている。右腕を損傷したギンガであるが、コトリの尽力で一応の応急措置は成された。戦闘に参加するのはオススメしないというコトリの言葉を無視して、ギンガは現場へと戻っていった。先輩としてギンガのことは心配だったが、今は何かに打ち込んでいた方が良いだろうと、はやては参加を許可した。スバルにはくれぐれもギンガに無理はさせないようにと言い含めてあった。

 スバルも傷ついてこそ居たが、打ちひしがれる姉を見て幾分冷静になれたようだった。ギン姉のことは任せてくださいと答えるスバルは、いつもより幾分大人に見えた。ティアナもギンガを支えエリオのケアに走ったリと、随分と奮闘してくれた。今回に限って言えば隊長陣よりも若手の方がダメージが少ないように思える。

 はやての目から見ても深刻なのは、アースラに残った二人だった。

 ゆりかごへの突入という役割に志願した二人は、仏頂面でモニタに映るゆりかごを眺めていた。

 なのはとヴィータである。

 作戦の概要が説明された時点で、二人は真っ先にゆりかごへの突入を志願した。

 理由は簡単だ。上からの情報ではゆりかごにはクアットロが配置されていたからである。恭也が殺されてから二人の目は淀んだままだった。正直、こんな状態の二人にクアットロを任せることは不安だったが、魔導師としての実力でこの二人に勝る人間は六課にも少ない。ランクで言えばはやての方が上であるが、広域殲滅型のはやては、拠点に潜入しての作戦行動には不向きだった。

 向き不向きで言えば砲撃型のなのはもそうであるが、彼女は近接特化のシグナムと模擬戦ができるほどに、器用な立ち回りができた。新人たちの訓練を見ていたことも、この場合は良い方に作用していた。戦艦の中でもなのはならば存分に力を発揮できるだろう。

 明らかにいらいらとした様子で、二人はじっと艦橋の窓から、遠くに見えるゆりかごを眺めていた。その視界を遮るように、全ての通信の上位に割り込んで、フレームがモニタが展開される。

『はーい、六課のみなさーん、おひさしぶりでーす。ナンバーズの、クアットロでーす」

 発信元はゆりかご。言葉の通り、ナンバーズのクアットロだった。白いファーコートも含めて見た目は修繕されているが、過去恭也がつけた右目の傷はそのままだった。モニタにアップになったその顔に、ヴィータの表情が不快そうに歪む。

 そのヴィータの視線を遮るように、はやては動いた。クアットロの視線をモニタ越しに受けて立つ。

「こちら機動六課部隊長、八神はやてや。降伏の申し出やったら歓迎やけど、そうやないんやろ?」
「当たり前じゃないですかー。今日や負け犬さんたちに、宣戦布告をしにきましたー」

 ぎり、とヴィータの歯軋りが聞こえる。ここが外であったら暴れだしそうな雰囲気だ。そんなヴィータに比べれば、なのはは驚くほどに静かだったが、彼女の握り締めた拳は力の入れすぎで真っ白になっていた。どちらも激怒しているのは手に見て取れる。これ以上煽られたら何をするか解らない。

 はやて自身、クアットロの顔を見ているとムカムカして仕方がないが、仲間二人の怒りが臨界点を突破するのを黙ってみているよりは何百倍もマシだった。

『まずはこちらをご覧くださーい』

 切り替わった先には、玉座があった。古めかしい造りのその上には、バリアジャケットに身を包んだ美少女が目を閉じて座っている。年齢こそかけ離れていたが、それがヴィヴィオであることは一目で解った。魔法で外見を調節することはそれほど難しいことではない。肉体への負担を考えないのなら、かなりの長期間そうすることも可能であるが、ヴィヴィオがそれを望んだはずもない。この成長がクアットロの手によるものであるのは、明らかだった。

『ヴィヴィオちゃんこそ、かつての聖王陛下のクローン。このゆりかごの核にして、私達の最終兵器です。私達で調整しましたから、戦闘能力はアリシアお嬢様にも匹敵するでしょう。現代でも最強の一角。六課の皆さんの相手になるかしらー』

 くるくるー、とクアットロが回転する。バカっぽいその仕草に、ついにヴィータがグラーフアイゼンを展開した。血相を変えたグリフィスがヴィータを羽交い絞めにするが『うるせぇ!』という彼女の怒号と共に彼は吹っ飛ばされた。

 それでも怒りが収まりきらないヴィータは、どすどすと足音を立ててモニタのクアットロの前に立つ。モニタの中で、クアットロがヴィータを見下ろした。明らかに人を見下したその態度に、ヴィータの怒りも頂点に達する。

『さらに艦内には最新型のガジェットを多数配置してますから、頑張ってここまで来てくださいね、かわいいヴィータちゃん』
「上等だこのクソ野郎! あたしが行くまでそこを動くなよ。叩きのめしてキョウに土下座させてやるから覚悟しておけっ!」

 ふふふのふー、と笑うだけ笑って、クアットロは一方的に通信を切った。後には怒り心頭のヴィータが取り残される。やり場のない怒りを抱えたヴィータは、足を踏み鳴らしていた。

「くれぐれも、くれぐれも任務優先でな」

 局員の仕事は犯人の確保であって殺害ではない。私怨に走って確保できたはずの犯人を殺害したとなれば処分は免れないだろうし、何より彼女らのためにならない。なのはもヴィータもバカではない。言葉の意図もそうしたらどうなるかも十分に理解しているはずだが、理屈と気持ちは別のものだ。いざクアットロを前にした時気持ちを抑えることができるか、それははやてにも解らなかった。

 正直、まだ冷静でいられるシグナムやフェイトを差し向けた方が良かった気がしないでもないが、結局は二人の強い希望に押される形でこの配置となった。無言で艦橋を出て行く二人の背中に、はやてはそっと溜息を吐いた。

 こんな二人の姿を見たら恭也が何というか、考えてしまったのだ。口は悪いし割と嘘つきな男だったが、仲間思いの優しい人だった。憎しみに取り付かれ、それに振り回されないように動く二人の姿は、見るに耐えないに違いない。

 かけるべき言葉はいくらでも思い浮かぶが、それが二人の心に響かないことも解っていた。時間が解決するのを待つか、クアットロを確保するか。明確なゴールがにたどり着くまで、おそらく二人はずっとあのままだ。これでクアットロを取り逃がすようなことになったらと思うと、背筋が凍る思いだった。

 家族と友人のことを思いながら、はやてはモニタに視線を戻した。空中に出たガジェットには既に、地上の航空戦力が当たっている。彼らは首都防衛の精鋭だ。AMFに苦戦こそしているがガジェットの数を確実に減らし続けている。

 だが、ゆりかごからは今もガジェットが吐き出されおり、全体数は増えるばかりだ。戦況は押され気味で、何より質量兵器を搭載したガジェットに制空権を握られているのが大きい。せめて制空権を確保しなければ、クラナガンでの移動もままならない。負傷者の搬送や、外部からの応援の都合もある。

 出るならば、今だった。

「グリフィスくん、指揮は任せたで」
「お任せください」

 六課施設襲撃の際に負傷したグリフィスも、怪我を押して復帰してくれた。彼に指令席を譲ると、はやては早足で廊下を行く。

「リイン、こんな怖いことに巻き込んでごめんな」
「気にすることはないのですよ。私も六課も一員で、はやてちゃんの相棒ですから。今こそ、リインの力を役立てる時なのです。ここでしり込みしてたら、ファータに笑われてしまいます!」

 リインは気丈に微笑む。六課の中でも特に行動の基準を恭也に置くのがリインと、彼の妹であるフェイトだった。恭也の死に打ちひしがれていても良さそうなものなのに、リインやフェイトは六課の面々のケアに奔走してくれた。恭也ならこうするだろう。彼女らは本気でそう考えているのだ。

 それにどれだけ助けられたか、リインは知らないだろう。リインの邪気のない笑顔に、はやてを始め多くの人間が癒された。

 この娘のがんばりのためにも、この作戦は成功させなければならない。自分の仕事に誇りを持ち、仲間を何よりも思っていた恭也に対する餞になると信じる。

「よし、行くでリイン。今日は私も、最初から全力全開や!」