アースラを飛び立ったヴィータはなのはと共に、聖王のゆりかごに向かって一直線に飛んでいた。

 手加減なしの最高速度である。人間は本来、空を飛べるようにできていない。どういう理屈で飛ぶにしても、意識的、あるいは無意識的に加減をして飛ぶものである。

 管理局の魔導師でもそれは同じだが、ヴィータとなのははその常識を完全に無視していた。ただ飛ぶだけならばそれでも良いが、戦闘行動が伴うとなるとそれは自殺行為となる。最大速度の飛行魔法を維持しつつ、戦闘行動までするのは、いかに高ランクの魔導師といえど至難の業だ。

 普段であればなのはもヴィータもそんなことはしない。今の二人は後進に指導をする立場だ。常識的に危険とされていることを教官がやっていては、生徒に示しがつかない。

 しかし、恭也を殺されたという怒りが、二人に無茶をさせていた。沸点を遥かに超える怒りは、二人を逆に冷静する。思考が驚くほどクリアになり、あらゆるものが良く見えていた。魔導師としての人生の中で、最高のパフォーマンスを発揮しているのが、皮肉にも怒りに身を任せた今この時だった。

 聖王のゆりかごの周囲では警護のためのガジェットと、それに対応するために出撃した管理局の魔導師が戦闘を開始していた。AMFの濃度も相当なものであるが、浮上する敵の本拠とも言える場所にやってくる魔導師である。流石に、精鋭だった。

 その戦闘の中を我関せずと、ヴィータとなのはは突き抜けて行く。高ランク魔導師の安全を無視した最大速度だ。管理局の魔導師は元より、ガジェットでも反応することができない。背後に去ったガジェットは完全に無視し、先に展開しているガジェットを排除することに二人は集中した。視界を埋め尽くすほどの数でだ。機動六課の部隊員として、普段のように活動しているのであれば一旦引き返し、態勢を立て直す場面であるが、二人が選んだのは『突撃』だった。

 何人たりとも、邪魔はさせない。

 真正面。最低限のシールドを展開し、ヴィータは魔力弾を生成する。こちらを『排除すべき目標』と定めてたガジェットの攻撃が殺到するが、頑強なシールドはビクともしない。光や煙を置き去りにしたヴィータは、それを目くらましとするように生成した全ての魔力弾を発射。高速で、正確にガジェットを打ち抜いて行く。一発で、一体。魔力の無駄は一切ない。今の自分が絶好調であることを自覚しながら、ヴィータは機械的に魔力弾を生成し続けた。

 落下していくガジェットには目もくれず、聖王のゆりかごに迫る。接触まであと十秒。そこで二人の動きに変化が生まれた。なのはの周囲に、無数のシューターが出現する。それらはレイジングハートの制御で周囲のガジェットを打ち落としていくが、なのはの周囲に数十のシューターが留まり続けていた。

 なのはの虚ろな視線は、ゆりかごの壁を見据えている。その意図を察したヴィータは進路を譲り、軌道を変更する。

 減速をほとんどしないまま、空中で反転。

 そして、カートリッジをロードする。

 ジェット噴射を始めるグラーフアイゼンの勢いを殺さず、そのまま回転。身体が分解されそうなほど軋みを挙げるが、そんなものは気にしなかった。志半ば、敵の刃に倒れた仲間の無念に比べたら、こんなものは痛みの内には入らない。

 怒りで視界が真っ白にしながらも、目標に正確に当てられるよう、角度、速度を微調整する。ヴィータが攻撃態勢に入るのを待って、なのはの周囲のシューターが一斉に聖王のゆりかごの側面に着弾した。『魔王』とあだ名される魔導師の攻撃であるが、流石に先史時代のロストロギア。対魔法防御の施された外壁は、シューターの雨では破れなかった。

 時間をおかずに修復が始まる。このまま放っておけばダメージはなかったことにされるだろう。現代の技術をして驚くべき修復力であるが、裏を返せばつまり、修復しなければならないほどのダメージがあった、ということでもあった。

 相対するのは『鉄槌の騎士』ヴィータと、その相棒グラーフアイゼン。古代に生まれ、現代に蘇ったベルカの騎士。仲間の無念を晴らすために戦うベルカの騎士に、砕けないものなどあるはずがなかった。

「ぶちぬけぇっ!!」

 鋼の伯爵の一撃は確かに、ゆりかごの壁を粉砕した。ガレキと一緒に戦艦の中へとヴィータは飛び込み、それに遅れて、なのはも突っ込んでくる。

 外ではまだ、ガジェットと管理局の魔導師が戦っている。外壁に穴が開いたことで、通信の向こう側が沸き立っていたが、追随してくるものはなかった。武勲を挙げるならばこれ以上の機会はないが、外のガジェットを無視することもできない。それぞれに、それぞれの役割がある。ヴィータたちは中、彼らは外。その役割に優劣はない。

「ま、その方が都合はいーんだけどな」

 一人ごちて、ヴィータは立ち上がる。スカートにかかった埃を払いながら、通路を見渡した。通路は前後二方向に伸びている。前か、後ろか。ゆりかご内部の情報はないが、ここからどちらに向かうかで、目標であるクアットロにたどり着くまでの時間が決まる。

 首を取るのは自分だと思っているヴィータにとっては重要な問題だったが、なのははヴィータの問いを待たずに歩き出していた。ヴィータから見て後ろの通路だ。そちらに何を感じたという訳ではないのだろう。着地した時、たまたまそちらを向いていたとか、その程度の理由のはずだ。

 会話もせずに歩き出したなのはに、流石にヴィータもむっとしたが、今は何より時間が惜しい。文句は後で言うと心に決めて、ヴィータも歩き出す。

 かつかつ、と廊下を行く足音だけが響く。今のところがジェットの姿はない。突入した時にできた穴はもう塞がれたのだろう。外で繰り広げられている死闘の喧騒は、もう聞こえなかった。

 静かな環境が、ヴィータの考えを内に内に向けていった。

 恭也・テスタロッサのことを考える。

 プログラムであった守護騎士たちと、ユニゾンデバイスであるリイン。リインの所属が何処になるかはいまだ議論の余地のあるところだが、主であるはやてを除いて全員が純粋な人でない八神一家において、唯一の人間が恭也・テスタロッサだった。

 誰かが番にでもなるか、あるいは内弟子でも取れば話は別だが、それ以外でもう身内が増えることはないだろう。

 その仲間が死んだのである。殺されたのだ。クアットロという機人に。

 人が死ぬことに、否やはない。生命というのはいつか死ぬものだ。それを悲しみこそすれ、否定するのは理に反している。それに生き残っているものがいつまでも悲しんでいたら、死んだものが迷わずあの世に行くことができない。内心はどうあれ、せめて笑って見送ってやろうというのがヴィータの流儀だった。

 戦士が殺されることも、別に良い。殺し殺される関係の中で、自分だけ殺されることに意義を唱えるのはフェアではない。恭也とて覚悟して戦場に臨んだはずだ。汚い手で相手にハメられたのだとしても、全てを相手のせいにすることはできない。戦場で仕方がなかったは通らないのだ。本人の力量不足でそうなった、ということも少なからずあるはずである。そこに怒りは沸くが、受け入れるより他はない。恭也も自分も、戦士なのだから。

 だが、そこから先は話は別だ。

 あの機人は恭也・テスタロッサを侮辱した。その人生をバカにした。死んだ事実も、殺された結果も受け入れることはできるが、それだけは騎士として友人として女として我慢がならなかった。ベルカの民は名誉を重んずる。何よりも大切な家族の名誉を汚されて、黙っていられるはずがなかった。

 広い部屋に出る。動力部――ゆりかごの中枢とも言える部屋である。そこを守護するものとして、ガジェットが大量に配置されていた。これまで相手にしてきた型よりも、洗練されたフォルムをしている。AMFの濃度も取り分け濃い。新型、あるいは強化型であることは見て取れた。

「なんだよ、あたしはハズレか……なのはの奴、こういう時の運は良いんだよな」

 ぶちぶちと文句をこぼしながらも、仕事はする。あのクソメガネに直接復讐する機会が遠のいたことは業腹だが、なのはならばきっちりと仕事をこなすだろう。管理局の白い魔王とあだ名される魔導師が、遅れを取るところなど想像できない。自分と、怒りを正しく共有しているのはなのは一人だ。彼女にならば、復讐の機会を譲ってやっても良いと、ヴィータは思えた。

「なら、あたしはあたしの仕事をしねーとな!」

 グラーフ・アイゼンを展開させる。長年連れ添ってきた相棒も、恭也の復讐を果たす機会に打ち震えていた。問題を抱える幼女を捕まえることに定評のある恭也だが、彼は不思議とデバイスにも受けが良かった。自分の相棒だけあってアイゼンも気難しい性格をしているが、恭也のことはとても気に入っていたのだ。

「全ての敵を叩き潰して、キョウの奴の弔いにする。出し惜しみするんじゃねーぞ、アイゼン!」
「jawohl!」
























「あらぁ、私の相手はなのはちゃんですかぁ」

 ゆりかごの司令室。聖王の玉座のある場所で、クアットロは艦内をモニタリングしていた。投影モニタには、動力部で戦闘を始めたヴィータの姿が映し出されている。さすがにベルカの騎士、流石に赤の鉄騎である。最新型と強化型のガジェットをありったけ配置したつもりだが、たかが一人の魔導師相手に、既に劣勢に追い込まれていた。ほどなくして、動力部は制圧され、破壊されるだろう。推進力は大きく下がるが、それは折込済みだった。

 それにあれはメインの動力部であって、全てではない。アレが完全に沈黙しても、まだゆりかごは動き続ける。完全に制圧するには、司令室を押さえるしかない。そこには最強の手駒である、聖王陛下が控えていた。並の魔導師では相手をすることすら適わない存在であるが、それでも、白い魔王が相手では絶対と言い切れなかった。

(まぁ、勝つつもりではないんですけどねぇ……)

 管理局には負けることが、クアットロの望みである。自分に出せる情報のほとんどは既に恭也を通してリークしてある。既にゆりかご破壊のために、ハラオウン艦隊が動いているはずだ。ヴィータに動力部を破壊されることも織り込み済みである。彼女が動力部を破壊をすることで、艦隊も余裕を持って集合場所に到着することができるだろう。

 後は、内部にいる最高評議会派の狩り出しであるが、これは潜入しているドゥーエが上手くやっているようだった。事情は良く解らないが、敬愛するあの姉も管理局に寝返ることにした様で、最高評議会一派の狩り出しに協力しているとのこと。長年、管理局の裏側を見続けてきたドゥーエがいて、加えて管理局一の才媛と名高い『紫紺の女帝』がいる。

 もはや詰んだも同然である。後は彼らに全ての責任を押し付けて、空いたポストに功労者が座れば良い。心の躍る権力闘争である。

 さて、と今度はモニタを切り替えてなのはを見る。彼女の進路にガジェットは配置してない。艦内の戦力はヴィータの方にほとんど回した。白い魔王にぶつけることのできる戦力は、聖王陛下ただ一人。スカリエッティの力を借りて調整はしたが、意識はそのままである。身体だけは大きくなったが、中身は子供のヴィヴィオのままだ。

 それでも、ある程度はスカリエッティを騙す必要がある。全く戦えないのでは話にならないとダメ元でレクチャーをしてみたが、素体が良かったのか本人の才能か、ヴィヴィオは驚くほどの速度で技術を吸収していった。

 単純な魔導師ランクでは、AAAはあるだろう。魔力量はゆりかごのバックアップがあり、個人では比べ物にならない。これを一度で扱う技術があれば、彼女一人でも計画達成は可能だったが、魔力の操作にはそこまでの才能はなかった。コピーでこれなのだ。オリジナルはどれだけ規格外の存在だったのかと、想像するだけで興奮する。

 誰も彼もが、英雄のクローンを作りたがる訳だ。こんなものが量産された暁には、世界の軍事バランスはまた変わるだろう。AMFやガジェットなど比ではない。単純な火力で相手を焼き尽くす悪夢のような時代が、来るかもしれないのだ。

 クアットロは大きく溜息をついた。そんな時代に生まれることのできなかった我が身を嘆いたのである。ならば自らの手で、というのが悪党の本懐ではあるものの、労力を割かないに越したことはない。

『クアットロ、そちらの様子はどうだい?』

 生まれの不幸を嘆いているクアットロの元に、創造主から通信が届く。相変わらず不健康な顔色に、目だけがギラギラと輝いていた。我欲に正直に生きるクアットロをして、真性の狂人と言わしめる男である。袂を分かつ決意をした今でも彼に対する敬意は消えていない。クアットロは姿勢を正し、モニタに微笑んで見せた。

「ええ、ドクター。全て順調ですわ」
『そうか。陛下の調子はどうなのかな?』
「良好です。すぐにでも高町なのはと戦えるコンディションですわ」
『それは何よりだね。ところでクアットロ。私から一つ質問があるのだけれどね』
「何でしょうか、ドクター?」


『……何故、私を裏切ったのだね?』


 あはー、とクアットロは満面の笑みを浮かべる。鏡を見なくても理解できる。自分は今、最高に楽しそうに邪悪な笑みを浮かべている。

 その笑みを向けられた創造主はと言えば、嗜めるような色もなければ、苦悩する様子もなかった。どうしていそういう行動を取るに至ったのか。疑問に思ったから聞いているだけという、実に軽い調子だ。平然とした様子で彼は、処刑のためのスイッチを押すのだ。そうなれば自分は無残に粉みじんになるしかない。愛情の一片も感じられないその態度に、クアットロの背筋は震えた

 快感に震える身体を両腕で抱きしめながら、クアットロはその隻眼を創造主に向ける。彼も狂人ならば、クアットロもまさに狂人だった。自分の命がゴミのように吹き散らされるかもしれないこの状況に、この上ない楽しみを感じているのである。

「だって、魅力的な提案をされてしまったんですもの。全てを裏切ってでも手にする価値がありますわ」
『恭也・テスタロッサのことかい? あぁ、やはり彼は生きていたのだね? あれだけ彼を殺すことに執着していたのに、君は彼の誘いに乗ったのかい?』
「ドクター。私は奴を殺したかったのではありません。負かしたかったのです。あの男が私に負けたと心の底から思わなければ、私は満たされませんわ」

 だからこそ、彼の手を取り生みの親を裏切ったのだ。全ては復讐のため。そのためなら姉妹だって売り渡すし、創造主だって殺してみせる。その先に、恭也・テスタロッサの後悔に満ちた顔があると思えば、どんな恥辱にも耐えることができる。

 そんな自分勝手な思いのために、長年積み上げてきた計画が潰された。その怒りたるやどんなものか。クアットロの告白を聞いたスカリエッティはしかし、くつくつと忍び笑いを漏らしただけだった。心底楽しそうに、邪悪に笑う。

 クアットロとスカリエッティの顔立ちに、似ているところはあまりない。身体的な特徴で言えば、トーレの方が良く似ていると言っても良いだろうが、こと笑顔に関して、二人は良く似ていた。

『ならば仕方ないね。それも生命の揺らぎだ。父親として、娘の成長を誇らしく思うよ』
「欲望に忠実であれ、が私のモットーですもの。ドクターもそれは同じでしょう?」
『違いない。それではクアットロ、名残惜しいがさよならだ。私は別に放っておけば良いと言ったのだけれどね、ウーノはどうも違う考えらしい。君を許すべきではないという彼女の主張を、今回は受け入れさせてもらうことにした。これから君とは敵同士となる訳だが、まさか後悔はするまいね?』
「無論です。ドクター」
『ならば良い。クアットロ、欲望に忠実に生きる私の娘よ。良い人生を歩みたまえよ』
「ドクターこそ。私の目的を邪魔しない範囲で、悲願が達成されることを祈っていますわ」

 通信が切れる。

 それと同時に、システムがけたたましい警告音を発し始めた。外部から凄まじい速度でハッキングを受けている。間違いなくウーノの仕業だろう。クアットロも良く仕事を手伝ったものだが、システム制御に関する限りではウーノに勝てると思えなかった。

 とは言え、それは純粋に腕を比較した場合の話である。ある程度は誰かの裏切りを想定していただろうが、大事な計画の実行日にそこまでの備えをしているはずはない。対してクアットロは、この日のために――というよりも、いつか自分が裏切った時のために、色々な手を予め用意しておいた。ゆりかごのシステムには、普段からこつこつ作成していた虎の子の防壁がいくつも用意されている。

 ウーノの腕にかかればそれも時間稼ぎにしかならないが、あちらも今にそれどころではなくなる。要するに、それまでの時間を稼ぐことができれば良い。その間に管理局の魔導師がアジトを落とせれば問題ない。

 裏切りの発覚は、予定よりも早かった。こちらも予定を繰り上げ、変更をした方が良いだろう。こうなった以上、聖王陛下を持って高町なのはに当てる合理的な理由は存在しない。ヴィヴィオは強力な戦力だ。何かあった時のためにキープしておくのが、賢い使い方である。

 だが、クアットロは中止の命令を出さなかった。理由は簡単だ。それでは全く、面白くない。

 ガジェットは予定の通りに外に放出する。クラナガンの空に散っている魔導師たちを消耗させる理由もクアットロにはもうないが、彼らは味方ではない。仮に味方であったとしても、積極的に生かしておく理由はクアットロにはなかった。

 これは、クアットロが望んだ戦いであり、スカリエッティが望んだ戦いでもある。自分の欲望と競合しない限り、クアットロはやはり生みの親の希望を優先する。自分を生んだだけあって、趣味嗜好はかなり共通していた。日頃休まず鍛錬を積んだ良い人間が、悪の手先になす術もなく敗北する。そういう場面を見るのが、クアットロは溜まらなく好きだった。

 他人から見れば意味のない戦いでも、クアットロには重大な意味がある。自分の命を危険に晒しても、それを止めることはできない。

 愉悦に酔うクアットロの目の前で玉座の間、その扉が吹き飛ばされた。煙の向こうから歩み出たのは、白い魔王。当代でも最高の力を持った管理局の魔導師、高町なのはだ。座った目つきをした彼女は、まずヴィヴィオを見た。成長こそしているが、面影は残っている。それがヴィヴィオ本人であることは、なのはにも解ったことだろう。

 普段の正義の味方然とした彼女ならば、愕然としたに違いない。それが正しい正義の味方というものだ。

 だが、眼前の白い魔王はヴィヴィオを見ても顔色一つ変えなかった。これでは敵役、まるで殺し屋だ。

 悪役をやらせるはずだったヴィヴィオも、なのはの雰囲気に押されてどん引きしていた。才能こそあるが、ヴィヴィオは圧倒的に経験値が足りない。成長する過程で色々詰め込んでいるがそれでも、高町なのはを相手にするには力不足だ。洗脳でもしておけば話は別だったのだろうが、それは許さないと恭也・テスタロッサからもキツく言われていた。

 別に無視してやっても構わなかったのだが、そうでなければ見逃すことはできないとまで言われては、従うより他はなかった。現状の戦力で、どうにかするしかない。高町なのはと聖王ヴィヴィオ。このカードを長引かせることが、クアットロ最大の使命となった。

『ヴィヴィオちゃーん? ここで頑張ったらパパにたーくさん褒めてもらえるわよぉ』

 単純な思考の人間には、エサをやるに限る。

 案の定、恭也の名前を出したらヴィヴィオの目つきは変わった。親のためにならば殺し屋にも挑む娘。馬鹿な少女だ。それだけに扱い易いのだから、今は文句は言うまい。

 やってきた殺し屋は、ヴィヴィオが戦う意思を見せたことで警戒のランクを一つ上げた。座った目つきのままデバイスを構えるなのはに、ヴィヴィオは無手で構えを取る。

 激戦になることを予想したクアットロは、こっそりと部屋の隅に移動した。防護壁をおろした比較的安全な場所である。魔法に携わるものならば金を払ってでも見たいこのカードを生で、それもデータを取りながら見れるこの席は、まさに特等席だ。

 なのはが動く。一撃で相手に意識を刈り取るはずだったその魔力弾は、虹色の輝きによって阻まれた。聖王の鎧。ヴィヴィオ固有の魔法で、堅牢な防御を誇る魔力障壁である。燃費が悪く、個人の魔導師では使いようのない魔法であるが、現在ヴィヴィオはゆりかごの魔力炉とリンクしている。対人戦であるならば、その魔力は無尽蔵と言っても良い。バックアップ分まで含めれば、なのはの魔力量を軽く凌駕していた。

 魔導師としての経験の差はいかんともしがたいが、それを埋めるだけのハンデは切ってある。加えて天性のセンスがあれば『白い魔王』が相手でも良い勝負をするだろう。

 娘に意味のない戦いをさせたことに、恭也は後で怒るのだろうが、彼の条件を飲んだとは言え、古巣を裏切ってやったのだから、これくらいの見世物はあってしかるべきだ。

 椅子に踏ん反り返りながら、モニタを見る。

 攻撃が防がれたことに『白い魔王』には全く動揺が見られなかった。防がれたのならば、防げない様に撃つまで。シューターが一つ二つと生み出され、それが『白い魔王』の周囲を埋め尽くす。あぁ、とクアットロは甘美の溜息を漏らした。今の彼女の思考は実にシンプルで暴力的だ。単純すぎて眩暈がするが、それだけに美しい。その感情が自分にも向けられているのだと意識すると、背筋がぞくぞくした。

 恭也のそれに比べれば遥かに劣るが、この女の憎しみも悪くはない。

 笑みをかみ殺しながら、クアットロはモニタを食い入るように見つめた。戦いはまだ、始まったばかりである。











 



















 ガジェットが煙をあげている。一つや二つではない。無数のガジェットの残骸を踏み越えながら、フェイトはとある洞窟の前に立った。クアットロから得た情報の通りの座標に、その洞窟はあった。一見すればただの洞窟であるが、そんな場所にガジェットが配置されているはずもない。

 忌々しいことだが、クアットロの情報は正しかったということなのだろう。これでスカリエッティや他の機人の逮捕に繋がればそれだけ、クアットロの罪が軽くなる。それが法というもので、事実、フェイトも昔その制度の世話になった訳だが、釈然としない気持ちがフェイトの胸にはあった。

 良心に目覚めたというのならば良い。悪事を悔いて、これからは善行を積む。法が目指すのはそういう更正であり、制度もそのためのものだ。それが建前というのが解らないほど子供ではないつもりだが、それでも、クアットロを野放しにするのは危険なように思えた。

 当然、監視はつくのだろうが、あの女が恭也を諦めるように思えない。いつかまた、良くないことをするだろうという確信がフェイトにはあった。自分に解るのだから当然、交渉に当たった恭也はその可能性に行き着いているはずだ。ともすればそれを認めたからこそ、クアットロは仲間に入ったのかもしれない。

 その交渉の内容を知ることは、フェイトにはできなかった。恭也ともクアットロとも、まだきちんと話す機会を得ていない。クアットロのことは、あの映像くらいでしか知らないが……やはり、あの女のことは好きになれないし、信用もできなかった。

 大きく、息を吐く。

 何はともあれ、今は目の前の仕事だ。

 フェイトたちの突入の前に、シャッハ率いる教会騎士団が仕事をしてくれた。ガジェットの残骸は、彼らの成果である。AMF環境下の戦闘は決して簡単なことではないが、一人の離脱者も出ていないという事実に、彼らの優秀さが伺える。流石に、恭也の要請で教会がアジト攻略用に差し向けた精鋭だ。

 対して、六課がアジト攻略用に割いた人員は、フェイトを含めて三人。フェイトの他には美由希と、エリオだけである。

 美由希は恭也が生きていることを知っている。それどころか、彼女の『仲間』を使って、恭也と直接連絡を取ったりもしている。情報部を交えた秘密行動中につき、居場所は要として知れないが、美由希が直接連絡を取っていることで、恭也とも事前に打ち合わせをすることもできた。

 最新の情報では行方不明だったチンクを確保。共闘を飲ませてこちらに引き込んだ。相変わらず、問題を抱えた見た目小さい女性には最大限の力を発揮する。家族の手の早さに呆れると共に、休みなく仕事を続ける彼には敬服の念を抱いた。

 今日この日まで、恭也はチンクを伴って破壊活動に従事していた。テロの影響を少しでも減らすためだが、警備は少ないとは言え、スカリエッティの拠点を攻めているのである。チンクの、そしてクアットロの手引きがあるとは言え、それを毎日続け、そして成功させるのは並の神経でできることではない。

 綱渡りを続け、成功させた恭也のためにも、この作戦を失敗することはできなかった。スカリエッティと、残った機人の確保。それから捕らえられている魔導師の保護とやることは山積みだが、今のクラナガンでは多くの人が戦っている。ここが自分の戦場なのだと思うと、気が引き締まった。

 ちら、と視線を横に向けた。

 ストラーダを持ったエリオが、視線をずっと洞窟の方に向けている。意思の光は戻ったが、目は虚ろなままだった。

 戦闘行動に問題はない。動きのキレだけを見ればいつもよりも鋭いくらいだ。

 今のエリオに戦闘をさせるべきではない。家族として、上司としてそれは解っているつもりだったが、人手が足りない今の状況は、フェイトの手ではどうしようもなかった。

 どんな状態であれ、戦力になるのであれば連れていかなければならない。

 生きていることをまだ明かせない恭也がこちらに合流できず、すずかがアリシアとの戦闘で手が離せない今、高速戦闘ができて戦闘機人と交戦経験のある魔導師は、貴重なのだ。

「さて……行こう」

 フェイトの号令で、三人は駆け出した。肉体だけの疾走ではなく、魔法も併用した駆け足である。それは普通の人間の目には留まらない。訓練を積んだ魔導師でさえ、捉えることが難しいほどの高速である。その速度を維持したまま、フェイトはアジトの中を疾走し、隠し扉を破壊する。

 クアットロの情報の通りの場所にあったそれは、先行した部隊が態と見逃した最深部への最短ルートである。その中にも警護のためのガジェットはいたが、走る三人の敵ではなかった。雷が、剣が、槍が、交差する度にガジェットをただのガラクタへと変えていく。

 地図が本当であるとすると、その先には広間がある。魔導師が戦闘するに十分な広さと、天井の高さ。そしてミッド系の魔導師の砲撃が直撃しても壊れない強度を持った壁。アジトに侵入された時、そこで迎え撃つための場所。そういった場所が、いくつも設置されているという。

 あちらが選んだのは、その内の一つだった。広い部屋の中央にいるのは、二人の機人である。トーレと、セッテ。どちらもあの日、クラナガンの空で戦った相手だった。

「我々は、一対一で戦う用意がある」

 口を開いたのはトーレだ。セッテは何も言わないまま、ただトーレの後ろに佇んでいる。時折、エリオに視線をやるが、虚ろな目をしたエリオはそれに気づいてもいない。

「これを飲むならば、一人を奥へ通そう。飲まないならば、全員でここで戦うことになる。我々はどちらでも構わない。決まったら教えてくれ」
「フェイト、先に行って」

 美由希が言う。エリオも、ここに残るべきは自分だとばかりに、ストラーダを利き手に持ち替え、フェイトの前に出た。美由希の前にはトーレ、エリオの前にはセッテという形である。クラナガンの空で戦った相手が、再び見える形になる。

 逡巡したのは一瞬だった。二人の機人を撃破するだけならば、三人で行動した方がより早く処理できるだろう。

 しかし、今は一刻を争う。ただでさえ、教会騎士を陽動に使い、スカリエッティに時間を与えている。実は自身も陽動で、本命は隠し通路をこっそり移動しているヴェロッサであるのだが、王手をかけられる駒は多いに越したことはない。素通しさせてくれるのならば、これに乗るより他はない。

 残す二人には犠牲を強いることになるが、美由希はあの日、決着のつかなかった相手を前にやる気十分であり、エリオはエリオで、既に戦うつもりでいた。こちらはむしろ、相手のセッテの方にやる気が感じられない。表情の読めない相手ではあるが、フェイトには彼女が、エリオを慮っているように思えた。

 機人なのに……湧き上がった気持ちを、フェイトは暗い顔で抑え込む。犯罪者に自然ならざる方法で生み出された。その出自をどうこう言うのであれば、フェイト・テスタロッサも似たようなものだ。自分を受け入れてくれた人がいたように、彼女らにだって受け入れてくれる人は必ずいる。

 人間的な変化であるならば、フェイトはそれを受け入れたいと思っていた。

 ともあれ、相手がエリオを慮ってくれるのであれば、大事にはならないだろう。高い魔力と『雷』の変換資質。魔導師としておよそ最高の素質を持って生まれたにも関わらず、性別だけ目標を誤ったエリオは、研究材料として価値がある。殺すなとまで言われているかは解らないが、優先的に確保せよくらいの指示が出ているはずである。

「わかった。二人とも気をつけてね」

 声をかけ、トーレとセッテが空けた道を魔法を使って駆けて行く。

 ガジェットの妨害はまるでない。無人の野を行くかのごとく、廊下を駆けたフェイトは一つの扉の前に出た。いかにも、この先に何かあるという気配の扉である。中には人の気配。それも、一人だ。あまりにスムーズに行き過ぎたことに、フェイトは逆に罠の可能性を疑ったが、一人でここまで来てしまった以上、踏み込むしか道はない。

 深呼吸して、気持ちを落ち着けると、フェイトは扉を開けた。

 そこは、広大な空間だった。トーレたちが待っていた部屋の、倍はある空間の中央に、スカリエッティが立っている。凶悪な面構えに、白衣。マッドサイエンティストを絵に描いたような男は、フェイトを前にしても余裕の態度を崩していなかった。

「ほう。やはり一人で来たかね。君の仲間が私の娘たちに勝てると踏んだのかな」
「私たちの目標は、貴方の確保です。その目標を優先したまで」

 バルディッシュを戦闘機動。サイズフォームにして、スカリエッティとの距離をつめながら、周囲の気配を探っていく。機人の気配も、ガジェットの気配もない。恭也の情報では機人は全部で12人。目撃情報と加味すると、ここに残っているのはウーノとセインのみ。どちらも戦闘に特化したタイプではない。今更援護に現れたりはしまいが、絡め手で来る可能性は十分にあり、油断はできない。

 周囲を警戒し続けるフェイトに、スカリエッティはくつくつと静かに笑う。

「あぁ。ウーノならばもうここにはいないよ。セインも私たちの邪魔はしないとも。彼女には客人の護衛を頼んでいてね。何かと世話になった彼女を安全に地上に届けるよう、命令しておいた。君に相対するのは正しく、私一人だ」
「ウーノがいない、というのはどういうこと?」
「さて。そこまで答える義理はないね。私は悪人で、君は執務官だ。ならばやるべきことは、一つしかあるまい」
「執務官としては、自首を強く勧めます」
「自ら道を放棄するということは、ありえないよ。私を拘束するならば、力ずくでやることだ」

 スカリエッティから、余裕は消えない。彼は大犯罪者であるが、ただの人間だ。魔導師を相手に戦う力は持っていない。そのはずだが……落ち着き払ったその態度に、フェイトは言い知れない圧力を感じていた。何かある。そう確信したフェイトは、バルディッシュを握る手に力を込めた。周囲には相変わらず、ガジェットも機人の気配もない。

「フェイト・テスタロッサ。執務官として、ジェイル・スカリエッティ、貴方を拘束する」
「やってみると良い。プロジェクトFの成功例の一つが、どれだけの力を持っているのか。私も非常に興味があるのでね」

 白衣のポケットから取り出されたスカリエッティの両手には、機械式の篭手が装着されていた。何らかのデバイスであるのは、間違いはない。たがそれでも、スカリエッティが人間であることに変わりはない。何のアシストもなければ、その篭手がどんなものであったとしても、ただの強力な武器で終わってしまう。

「私の自慢話を聞いてもらっても良いかな。何、時間はとらせないよ」

 投影モニタで篭手の調整をしながら、スカリエッティは歩く。広い部屋と言っても、高速戦闘を得意とするフェイトにとってはこの部屋全てが一足一刀だ。既に彼は十分に射程県内に入っているが、手が出せなかった。両手を下げて無防備に歩いてくる恭也を前にした時と、感じるものが似ている。

 スカリエッティは間違いなく武術に関しては素人であるが、何か隠し持っているという疑念はフェイトの中から消えなかった。

「生体と機械の融合が戦闘機人のテーマだ。調整された肉体に、最新の機械でのアシスト。ガジェットの指揮能力を持った彼女らは、AMF環境下で無類の能力を発揮するだろう。魔導師に変わる戦力として、これはこれで申し分ない。だが、まだまだ課題が多くてね。いまだに狙ったISを引き出し、それを安定して使える器を用意することができていないのだよ。これが解決すれば、研究も大きく進歩すると思うのだがね……」

 ままならないものだ、とスカリエッティは嘆息する。世間話でもするかのような彼の態度に、フェイトは無言を貫く。その実験のために一体どれほどの犠牲が支払われたのかを思うと、怒りを抑えることができなかった。そのためにどれだけ命が失われても、彼は何の痛痒も感じないのだろう。

「未完成の技術を披露するのは心苦しい限りだが、『金色の雷神』たる君を相手にするならばそうも言っていられない。科学の発展には犠牲はつき物。ならばその中に、私自身が含まれていたとしても、何の不思議があるだろうか」

 スカリエッティがシャツの前を切り裂いた。そこにあったのは、無機質な胸板。人間のそれではない。一目で機械とわかる身体が、不気味な光沢を放って稼動している。バルディッシュが感知している気配は、あくまで人間。戦闘機人とは違う。彼はまだ、人間だった。

「まさか……改造したのか。自分自身を?」
「これも課題の一つだよ。娘たちは生まれる前から調整していたから、機械との適合も問題はない。後天的な手術は、色々と調整が面倒でね……体質的に合わない人間も少なからず存在する。かく言う私も、機械とは相性が悪いらしい。これだけの改造をするのに、随分と時間をかけてしまったが、そこは試作品ということで許してくれたまえ。それでも、見れないほどの性能ではないと保障しよう」

 スカリエッティの気配が、変わっていく。認識が人間から、機械に。やがて戦闘機人と同じ反応を示すようになった。彼は今、人間を辞めたのだ。

「人はどこまで強くなれるのか。その答えが今の私自身だ。私の研究の全てをこの身体に注ぎ込んだ。ここで私は死ぬだろうが、私の研究は他の私が引き継ぐことだろう。戦闘起動をするのはこれが初めてだよ? 五分か、三分か、それよりも短いかもしれないが、私の最後の晴れ舞台だ。存分に楽しんでくれたまえ。フェイト・テスタロッサ」

 その言葉を最後に、スカリエッティは姿を消した。転移ではない。高速機動を得意とする魔導師としての勘で、フェイトはバルディッシュを振りぬいた。ばちり、と魔力の光が散る。バルディッシュの魔力刃を受け止めたのは、光の刃だ。トーレの肘から出ていたものが、スカリエッティにも存在している。

 ライトニンングインパルス。

 トーレのISを、スカリエッティは使って見せた。彼女ほど洗練された動きではなく速度も遅いが、それでも目にも止まらない速度であることに、変わりはない。

 にやりと笑うスカリエッティの目から、赤い涙が毀れる。生身の身体の部分に、既に負担が出ているのだ。毛細血管の損傷が、既に始まっている。本当に命がいらないのか。今まさに死のうとしている相手に、フェイトの足は僅かに後退した。そんなフェイトを見て、スカリエッティは笑みを浮かべる。

「プレシア・テスタロッサの娘にしては、随分と怖がりなことだね」
「母さんを知っているのか?」
「知っているとも。だからこそ私はアリィを生み出したのだよ。ちょうど良い。私が死ぬまでに無力化できなら、その事情について話して差し上げようではないか」
「その言葉、守ってもらうよ!」

 もはや一刻の猶予もない。フェイトは一切の手加減をやめた。全力全開。今自分にできる全力で、この男を叩き潰す。バリアジャケットのマントが消え、幼い日のそれに近いフォームへと変化する。

 真・ソニックフォーム。

 まだ改良中のフォームであるが、高速機動を主にするフェイトの戦闘スタイルでは、これが最も力を発揮できるジャケットである。

 サイズから大振りの二剣に変化したバルディッシュを構える。

 二剣を構える現代の魔女に、赤い光が殺到した。




























 今にも崩れそうな廃墟に、イヅミは飛び込んだ。背後を見もせずに、収束した魔力弾を撃ちまくる。気休めにしかならないだろうが、今はそれで良い。先に廃墟に飛び込んだ部下が、更に密度の増した収束攻撃を撃ち込んで行く。

 爆発。それが二回。

 追ってきたガジェットは二体。無力化に成功したことを確認して、イヅミはそっと溜息を漏らした。

「被害報告」
「死者0名。重傷者五名。軽傷者は……全員ってことで良いでしょうか」
「構わんよ。私もその一人だ」

 周囲の警戒に二人を割いて、廃墟の中央まで足を引きずって歩く。身体の節々が痛い。できることなら一息入れたい所であるが、民間人を連れている上に、周囲にはまだガジェットがうろうろしている。最低限、他の魔導師が詰めている拠点まで移動する必要があった。そこも絶対ではないが、何の設備もない廃墟よりはマシである。

 ただ、問題はそこまで無事に辿りつくことができそうにないことだ。何処かから湧いて出たガジェットは現在、クラナガン全域に広がっている。管理局や聖王教会の戦力が適宜応戦。首都陥落という恐ろしい事態には陥っていないが、どこもかしこも戦火に巻き込まれており、安全な場所などない状態である。

 現在、クラナガン全域に避難命令が出されている。管理局の魔導師は拠点の防衛に当たる一方で、市民の避難を援護していた。イヅミの部隊に回された任務は市外に散るガジェットを一体でも多く破壊し、逃げ遅れた市民がいれば確保、避難場所まで誘導するというものだった。

 ガジェットを適宜掃討しつつ、市民を確保。良かったのはそこまでだった。新たに出現したガジェットに追い回され、拠点からは引き離されていく。空を飛ぶことができれば良いが、空は空で飛行戦力がうようよしている。魔導師が一人で逃げるならばそれでも良いが、今最優先すべきは確保した民間人を安全に拠点まで移動させることだ。

 既に救援信号は出しているが、どこも手が足りていないのが実情である。拠点の防衛戦力を削れば話は別だが、あちらの戦力が薄くなれば集まった民間人に不安が広がる。暴動でも起きたらそれこそ問題だ。周囲に同じように散った部隊が駆けつけれくれるのが、最も可能性の高い援軍である。

 とは言え、それも望みが薄い。戦況は絶望的だった。

 イヅミは考えをまとめる。最優先すべきは、市民の安全。それは間違いがない。次が負傷者の移送。この場合は、部隊内に出た重傷者五名だ。その二つを達成するため、部隊の中で優先順位をつけていく、誰が何をし、どこに残って戦うべきか。一通りのプランを組み終わったところで、イヅミは部下を呼んだ。

「シュナウファー。お前に民間人の護衛を命じる。これは最優先の任務だ。必ず全うし、彼らを拠点まで送り届けること」
「……隊長はどうされるおつもりですか」
「私はその援護だ。他の連中にも適宜指示を出すが、皆お前を援護するために動く。他にも何人か護衛をつけるが、良く協力して任務を全うせよ」
「私はこの部隊で、一番階級が下です。何故最初に、私に話をされるのですか?」

 予想通りの反応に、イヅミは軽く噴出した。そういうだろうと思ったから、最初に説得することにしたのだ。ヒトミは頭が固いが、非常に仲間思いで正義感が強い。民間人の援護に動く――要するに、肉の壁になる覚悟を固めて殿を務めるというと知れば、是非自分がと言いかねないからだ。

 だが、隊長としてそれを認める訳にはいかなかった。指揮の引継ぎはきちんとできるようにしている。上の階級の人間が指揮できなくなれば、その次の人間が指揮を取れるようになっていた。指揮を取れる人間がいなくなれば、その時点でイヅミの部隊は解体され、どこか指揮のできる人間の下に組み込まれることだろう。

 誰かが命をかけなければならない状況だ。そうしなければ全員が死ぬ。そういう時、最初に命を張るべきは、上に立つ人間である。イヅミはそう教えられたし、かつての上官はそのように行動した。一番下っ端だった自分を逃がすべく彼らは行動したし、そのために命を張ることに文句も言わなかった。

 自分に覆いかぶさり、最後まで戦った上司の姿を今でもはっきりと覚えている。彼女は今も、部下のために戦っているのだろうか。そう思うと胸が締め付けられる思いがした。今、あの時彼女がした決断を、イヅミはしようとしている。眼前に立つヒトミは、あの時の自分と同じ顔をしていた。こういう状況ではあるが、それが何となく嬉しかった。

「お前が昔の私と同じような顔をしてるから、では理由にならないだろか」
「なりません。民間人の護衛であれば私よりも相応しい方がいらっしゃいます。是非、援護部隊に加えてください」
「隊長の私が判断した。それには従ってもらう。何よりそうあるべきだと、普段から言っているはずだが?」

 少し凄んで見ると、ヒトミは僅かに怯んだ。軍属の人間にとって上の命令は絶対だ。特に差し迫った状況にあっては、命令の遅滞は全員の危険に繋がる。本来であれば口答えをすることも許されない状況だ。問答が許されているのは、イヅミが配慮しているからに他ならない。

 本来ヒトミがするべきは、了解、とだけ答えて大人しく任務に着くことだった。それがどんなものであれ、上官が正規の手順で命令したことだ。さらに倫理に反しないのであれば、後に誰もヒトミを責めたりはしないだろう。この場で最も優先するべきは、民間人を守ること。ヒトミはその役割を命じられたのだ。

 だが、ある種の正義感がその命令に従うことを拒否していた。その気持ちがイヅミには痛いほど理解できる。仲間を見捨てて逃げるなんて、そんな格好悪いことはできないと、イヅミはあの日、部隊が壊滅の危機に瀕した時、確かに上司に言った。

 あの日は援軍が間に合った。マンガに出てくる正義の味方のように、仲間がやってきて助けてくれた。今度もそれを期待するのは、虫が良すぎるというものだろう。

 沈黙が場を支配する。ヒトミの頬には悔し涙が流れていた。泣き顔のまま、ヒトミが首肯しようとしたその時、廃墟を轟音が揺るがした。

 襲撃――

 遅れて、外に出していた部下の声が聞こえる。デバイスには周囲に散ったガジェットの状況が映し出される。囲まれていた。ヒトミたちを護衛につけて民間人を逃がすのは、当座不可能になった。眼前の脅威を排除しなければ、皆死ぬ。状況は更に悪化したが、イヅミの隣に立つヒトミの顔には笑みが浮かんでいた。

「不謹慎にも程があるぞ、お前」
「シュターデン隊の一員として、共に死ねることを光栄に思います」
「勝手に死ぬな。石に噛り付いてでも生き延びろ。任務は変わってないぞ。私達が死んだら、一体誰が民間人を守るんだ」

 とは言いつつも、イヅミの顔にも笑みが浮かんでいた。部下に仲間を見捨てたと思わせずに済んだ。そのことだけは、本当に嬉しい。

「ミルカ。後半班をつれて反対側を守れ。ジェット、ハンナ、サンディは民間人の警護。残りは私と一緒にこっちだ」

 最低限の指示を出し、ついでに使えそうなものを持ってきて簡単なバリケードを作る。ガジェットの武装にはないも同然であるが、あるに越したことはない。既に外では、警戒に出ていた部下が応戦していた。その援護のために、収束攻撃を放ち続ける。

 さて、どこまで持つか。考えているうちに、ガジェットの反応が増えた。総数、十体。銃弾がバリケードを吹き飛ばす。部下の一人がそれに巻き込まれるのが見えた。血を流すその隊員を、別の部下が物陰に連れて行く。

 収束砲撃を一体に集中。それを撃破するが、残りのガジェットが前進してくる。廃墟に取り付かれるか、廃墟そのものを狙われたら終わりだ。外に、打ってでるしかない。

 しかし、半数を受け持ってもらったとは言え、ガジェットの数は一つ減っても五体。AMF状況下で戦うのは、少々厳しい数字だ。それしかないと解っていても、身震いする。死ぬのが恐ろしい。そう考えるのは人間として自然なことだろう。

 大きく、大きく息を吐いた。恐れを全て押し出すように、深く、深く。

 そして息を吸い込み、再び吐いた時、恐怖は身体の奥底に去っていった。指でヒトミを招くと、彼女は猫のように擦り寄ってきた、これから死地に行くというのに、笑顔を浮かべる部下に、イヅミは躊躇いなく拳骨を落とす。

「私とヒトミで打って出る。全員、その援護。減らすつもりだが、全部行けるかは解らん。もしもの時は、訓練の通り指揮を引き継ぐように。五秒前――」

 3、2、1。ヒトミと共に、廃墟から打って出た。ガジェットが五体。相手にとって不足はない。手近に見えたガジェットに一息で踏み込む。銃口が向くが、こちらの方が速い。僥倖だ。渾身の力でデバイスを振り抜いて、ガジェットを両断する。それが爆発するよりも早く、ヒトミを伴って、更に前へ。今度は二体。銃口は既にこちらを向いている。デバイスから警告音。残りのガジェットにもロックされたのが理解できた。

 援護の収束攻撃が飛んでくる。ガジェットに当たるが、減衰された攻撃はガジェットを破壊するには至らない。一瞬動きを止めたが、それだけだった。残った連中も消耗している。厳しい局面だが、やるしかない。こういう時のために日々訓練をしてきたのだ。力の振るい所だと思えば、胸も張れるというものだ。

 銃弾の雨、バリアジャケットを掠るが、損害は警備だ。疲労から足が悲鳴を上げているが、まだだ、と念じながら酷使する。触手の攻撃を、ヒトミが紙一重で避けるのが見えた。すり抜け様に触手を抱えてへし折ると、さらに踏み込み短棍の一撃を放つ。ガジェットは一度、びくりと震えるとそのまま沈黙する。一撃で一殺。悪くない成果だが、ガジェットはまだ残っている。

 敵を撃破した。その瞬間に、気持ちが緩んだのだろう。動き出すのが僅かに遅れたヒトミの足を、銃弾が掠める。万全の状態ならば何ということのない攻撃だが、連戦により消耗したヒトミにとって、それは無視できないダメージだった。バリアジャケットで相殺しきれなかったダメージが、直接身体に伝わる。動きの止まった身体が、今度はぐらりとよろめいた。

 それはこの乱戦にあって致命的な隙だった。残ったガジェットは全て、ヒトミに銃口を向けた。眼前にいるイズミを無視して、である。弱い人間を叩く。戦いの常道だ。戦闘行動をプログラムした人間は、相当に優秀で性格が捻じ曲がっていたのだろう。顔も知らない人間に内心で毒づきながら、しかし、イズミの行動に躊躇いはなかった。加速魔法を発動し、ヒトミの前に割ってはいる。少し離れた場所にシールドを展開し、更にデバイスを構えた。

 迎撃できればそれでよし。

 だができなければ……イズミは考えるのをやめた。最善を尽くす。それだけを考えて、デバイスを握る腕に力を込める。

 銃弾が放たれた。シールドが紙のように砕け散り、イズミに銃弾が殺到する。一歩、一歩。歩みを進めながら、強引に銃弾を切り払っていく。払いきれなかった銃弾が身体に辺り、血しぶきが飛ぶ。気絶しそうなほどに痛いが、まだ生きていて、戦える。何より後ろには傷ついた仲間がいるのだ。自分は隊長で、彼らを守る義務がある。あの日、あの時、自分を導いてくれた人たちはもっと明確な死を前にしても一歩も引かずに戦った。

 あの時に比べたら、今の状況など何ということはない。左の肩を銃弾が貫通する。そこで銃弾の雨は止んだ。唯一動く右腕を振るい、倒れこむようにして眼前のガジェットに突き刺し、雄たけびを上げながら、振りぬく。バチバチと火花を散らすガジェットの向こうで、改めて残りのガジェットが銃口を向けるのが見えた。避けられない。日々の訓練で培ってきた直感が、それを悟った。

 ヒトミが叫ぶのが聞こえた。あの日、自分もこんな風に叫んだのだろう。銃弾が飛び交うなか、身体を張って守ってくれたクイントのことを考えながら、イズミはそっと目を閉じた。




 その瞬間、黒い風が吹いた。



 その涼しげな感触を、イズミは良く覚えている。瞳を開けた時には、ガジェットは全て両断されていた。文句の付けようもない鮮やかな斬り口は、使い手の腕が凄まじい物であることを語っている。何が起こったのか、理解するよりも先に、イズミは声をあげていた。張ってきたヒトミに引き倒され、怪我の具合を確かめられている間、イズミたただ、声を挙げていた。

「何者だ! 管理局員なら、所属と名前を述べろ!」

 煙の向こうにヒトミが大声で怒鳴る。咳き込む声。男のようだ。それがゆっくりと近づいてくる。

「本局情報部所属。ヒカル・G・リバー……もう必要ない? 解った。この身分証は捨てるぞ」

 煙を割って出てきたのは、イズミの想像通りの男だった。

 死んだはずのその男は、管理局ではヘリのパイロットが着るような迷彩服を着ていた。その上に黒く染められた、聊か丈の合っていない黒のファーコートを羽織っている。風にたなびくそれを鬱陶しそうに押さえながら、男は顔をイヅミに向けた。その目が軽く見開かれる。イヅミの方は、言葉がない。味方のためにガジェット千体を斬り、行方不明だと聞いていた。死んだとは信じなかったが、心のどこかで諦めてもいた。

 あの日、自分と部隊の仲間を助けた男が、再び目の前にいた。神だか何だか、良く解らない者の計らいに、イヅミは涙を堪えることができなかった。泣き出すイヅミを見て、男は口の端を小さく上げて笑った。

 あの日、絶望の中に希望を見た。助かった、生きてて良かった。そういう感情と一緒に聞いた名前を、男は口にした。






「時空管理局本局、機動六課ブレイド分隊分隊長、恭也・テスタロッサ准海尉だ」