後にスカリエッティ事件と呼ばれる一連の騒動において、管理局の対応は非常に迅速だったと評価されている。それでも後手に回ったのは否定できないが、相手の規模、事前の準備の度合を考えれば、その対応力は流石の一言に尽きた。

 

 陣頭指揮を執ったハラオウン中将はこの功績を元に大将に昇進し、オープンとなった最高評議会の二代目の議長となり、管理局における自身の派閥の基盤を不動のものとした。これにより長いハラウオン閥の時代が続くのであるが、それは未来の話である。

 

 とは言ってもいかに対応が迅速でも全てをカバーできた訳ではない。情報が入った段階と準備の時間を考えれば管理局の対応は最高の物と言えただろうが、それでも万全とはいかなかった。何しろ情報が伝わっているという事実がスカリエッティ側に漏れれば、計画を前倒しにされ即座に実行される恐れがあったのだ。せめて準備をするまでは秘密裡に行動する必要があった訳だが、秘密裡に行動していたが故にその準備には限界があった。

 

 中でも逼迫していたのが実際の現場となるクラナガンから外、あるいは中へと移動するための手段である。事前に集結していた教会騎士団及び管理局の魔導士の奮戦により主要の施設は大きな被害を免れていたが、大量に発生した負傷者重傷者を全て収容するための力はミッドチルダで最も栄えているとされるクラナガンでも、確保することができなかった。

 

 平時であればそれも可能だったはずなのだが、何しろ当時は戦時下と言って差し支えない状況である。要救助者を収容した施設を防衛するためには当然魔導師などの戦力を割かねばならず、確保できる拠点の数は限られていた。

 

 そのため戦闘の只中にあって最も不足していたのが医療施設である。クラナガンの施設全てをフル稼働しても足りず、今すぐにでも外の施設に運ばなければならなかったのだが、この移送にも当然魔導師が付き添わなければならなかった。

 

 クラナガン全域に展開する敵ガジェットの掃討、逃げ遅れた市民の救助に移送、拠点の防衛や浮上したゆりかごへの攻撃、敵拠点への対応。陸海空全ての魔導士が事に当たっていたがそれでも魔導師の数が――より正確には、AMF影響下でガジェットの攻撃から対象を守れるだけの力量を持った魔導師が不足していた。

 

 機動六課の指揮を引き継いだグリフィスの命令により、クラナガン防衛組に参加したフォワードの中で唯一フリーの航空戦力だったキャロは、フリードと共に空を飛び、ゆりかごから流れてきたガジェットの掃討などを受け持っていた。

 

 空となれば竜の独壇場である。本来の姿を解放したフリードであれば量産型のガジェットなどには遅れを取らない。破壊だけならばキャロだけでも受け持てる仕事であり、これは当然、地上クラナガンの安全にも大いに寄与していたのだが、人員を安全に輸送するための制空権を確保するには至っていなかった。

 

 キャロとフリードではガジェットを倒すことはできても、ガジェットの攻撃から輸送機を守り切ることはできなかったのだ。自分にもっとできることはないか。ガジェットを破壊しながら、キャロは考え続けていた。制空権さえ確保すれば、助けることのできる命が沢山ある。生命の危機に瀕しながら、今も助けを待っている人たちが大勢いるのだ。

 

 流れる時は待ってはくれない。ここで何とかしなければ、彼らは死ぬことになるだろう。助けるために何かをするならば今しかなく、そしてキャロにはその手段に心当たりが一つだけあった。どれだけ助けになるのか、またそもそも成功させることができるのか。召喚術師として類稀な才能を持ちながらもいまだに未熟であるキャロにとってそれは未知の領域でもあった。

 

 恩師であるユーノ・スクライアからも、決して手を出すなと言われていたことである。何も得ることができずに死ぬことになるかもしれない。この状況で自分が死ぬことはそれだけ、地上の人々を危険に晒すことになる。僅かな可能性を当てにせず、今できることだけをすれば良い。そうしたって誰もキャロを責めなかったろうが、しかし小さな召喚術師はそれを由としなかった。

 

 より多くの人を助けたい。その思いを止めることはできなかったのだ。悩んだのは一瞬である。恩師の言葉を裏切ることに大きな罪悪感を覚えたキャロだったが、それを実行することに迷いはなかった。

 

『ル・ルシエの一族が末裔、キャロ・ル・ルシエが願い奉る』

『永遠の空間。黒の領域。久遠と無限を彷徨いし偉大なる真龍よ、我が声に耳を傾けたまえ――』

 

 空を舞うフリードの背中で、キャロは複雑な印を組み、呪文を唱える。眼前ではなく異界にいる龍に呼びかけ、召喚するための技術である。ル・ルシエの巫女に受け継がれるべき技術であるが、キャロはそれを完全に習得する前に里を追放された。

 

 それでもその技術を習得することができたのは、無限書庫の司書長であるユーノの協力が大きかった。いつか万端の準備を整えた後に一緒にやろうと言われたことを、自分一人で行っている。成功しても失敗してもきっとあの人は怒るだろう。脳裏に思い描いた師の顔を力の源にし、呪文を続ける。しばらくすると、その時点でゆりかご周辺以外のクラナガン上空にいたガジェットの『視線』が全てキャロの方へと向いた。

 

 呪文の途中であるキャロはそれに対応することはできない。フリードは背中のキャロの邪魔にならない様、独自の判断で動き、ガジェットを避け炎で撃ち落としていく。生まれた時から一緒にいるとは言え、本来のフリードは単独で戦える程に精神が成熟してはいない。幼い白竜が今まで戦えていたのは、一重に召喚主であるキャロの指示があってこそだった。

 

 キャロとてまだ子供であるが、フリードはそれよりも更に年下である。ドラゴンという極めて精強な種であることからそれでも地力だけで何とかなっているが、これを長時間続けることはできない。現在、キャロは単独で行動しており、増援は望めそうにない。フリードの対応の遅れは即ち、キャロの死に直結する。

 

 自分が死の縁に足をかけているのにも関わらず、キャロは呪文と印を正確に続けていた。それが信頼であることはフリードの幼い精神でも理解できた。短い彼の竜生の中でキャロは最も大切な女性であり、家族であり、守るべき仲間だった。ここで何もできなければ、生きている意味がない。生まれて初めてフリードは心の底から奮い立ち敵に立ち向かっていた。

 

 そうして稼いだ時間が、キャロによって身を結ぶ。こことは次元の異なる空間にいる、キャロの声を聞き届けることのできた存在を、キャロの精神は確かに感知していた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗く何もない空間で、それの意識は揺蕩っていた。時の流れから切り離されたそこには何もなく、あれからどれだけの時が流れたのかもおぼろげだった。人の戦士と戦い、傷が癒えてからは考えることもなくなった。反覚醒の意識のまま、ただ時だけを過ごしていたそれの元に、小さな声が聞こえた。

 

 助けを求める、純粋な巫女の声だった。意識が覚醒する。この空間にまで声が届くということは、力ある召喚師の証明でもあった。相手の求める内容にも依るが一度や二度力を貸してやる分には問題はないだろう。

 

 だがそれも、何の因縁もない相手であればの話だ。

 

 声を聞いた瞬間、それは声の主が『あの少女』あることを理解していた。忘れたと思っていた怒りが、小さくそれの中に甦った。人の世界の理も倫理も、異なる種族であるそれには関係がなかった。

 

 全ては自分が満足いく結果を得られるかどうか。長い時間、たった一人で揺蕩っていたそれの意識は、覚醒した状態でも微睡んでいた。一つ念じると、召喚師の意識がこちらの世界にまで呼び出される。

 

 何もない空間にいきなり呼び出され、目の前には巨大な生物の気配。肉の器から解き放たれた人間は、ただそれだけで発狂する者もいるのだが、流石にそれを召喚しようというだけあって、声の主の精神は強かった。

 

『問おう。お前が我を喚んだ巫女か』

「はい。ル・ルシエの一族が末裔、キャロ・ル・ルシエと申します」

 

 対する少女の声は震えていた。自分の力量が、それを使役するに到底足りないことが理解できたからだ。使役するに力が足りない存在を、異空間から召喚することは基本的には不可能である。召喚される側にも自由意志がある故に、特別な『何か』がない限り最低でも命令を強制するだけの力量が必要とされる。

 

 少女は確かに召喚師として申し分ない才能を有していたが、それはただの原石であって、衆目に晒せる程に磨き込まれてはいないものだった。十年二十年。人生の全てを研鑽に費やせば、いずれはこの領域にも届くだろうがそれは来るかも解らない遠い未来の話だった。

 

 使役することのできない強大な存在の前に、ただの人間の少女が引きずり出されたのだ。生きて返してやる理由もそれにはない。無論、ここで殺す理由もない。少女の生き死になど、それにとってはどうでも良かった。

 

『卑小なる人間の巫女よ。お前の力は我を使役するに能わず。故に我は対価を求める』

『心して答えよ人間の巫女。お前の望みを我に託すに、お前は我に何を捧げるか』

 

 故に、それは定型となった文句を巫女に投げる。声を届けた力不足の巫女を眼前に呼び出したのだ。協力してやる意思はある。それくらいは巫女にも伝わったはずだ。捧げたもの次第では、本当に力を貸してやっても良い。人の世界がどうなろうと竜であるそれには知ったことではなかったが、この状況でも物怖じしかなったことに対して対価を払ってやるのも吝かではない。

 

 何と答えるかはあまり関係がなかった。よほど舐めたことを言わない限り力を貸すつもりでいたそれの前に、小さな人間の巫女は何の躊躇いもなく答えた。

 

「偉大なる真龍よ。貴女に私の全てを捧げます」

「困っている人たちを助けられるなら、私はこの命も、身体も、魂も、何もいりません! だからお願いします。地上を、皆を、私の仲間を、助けてください!」

 

 全ての生命にとって、死とは絶対的な恐怖である。少女の心にも恐怖がない訳ではない。まして死の具現ともいえる強大な存在を前にしての発言である。それが死に直結することも、少女は良く理解していた。次の瞬間に自分が死ぬことも、願いをかなえてもらった後に自分が死ぬことも、容易に想像することができた。

 

 対価を求める存在を前に、全てを捧げるというのはそういうことだ。死んだ方がマシだという目に合わされても少女は抵抗することもできない。召喚主と召喚獣に交わされるのは、一種の契約だ。まして力が全く釣り合っていな状況で、弱者が強者に対して全てを委ねたのだ。

 

 顔を見たこともない他人を助けることに、少女は迷わなかった。自分という存在が消えたとしても、それで全てが守られるというのであれば、その魂は何も後悔していなかった。死への恐怖に勝るのは、どうしても地上を救いたいという少女の真摯な願いだった。そこには一点の曇りもない。少女は、本当に、心の底から顔を見たこともない他人を助けるために、命を投げ出すと言っているのである。

 

『人にとって、生かされるべき命だったと、そういう訳か……』

 

それはやはり人間の都合であって、竜であるそれには関係のないことだった。龍には龍の価値観があり、人間には人間の価値観がある。それは本来相容れることはない。種族が異なるということはそれだけで、距離を置く理由になる。過去にそれに起こった出来事について、全てが納得できた訳では決してないが、眼前の少女に責を問うのは如何に種族が異なるにしても傲慢であり、少女には何の罪もないことをそれは漸く心の底から納得することができた。

 

『清らなる魂を持った人間の巫女よ。汝の願い確かに聞き届けた』

『汝の力、我を使役するに能わず。故に我は、汝との盟約によりこの力を貸し与えよう』

『今より我は汝が力。汝が盟友となる。我が名を魂に刻め、我が巫女よ。我の名は――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が現実へと戻ってくる。その間、フリードはたった一人で戦っていた。キャロが『戻ってきた』ことを察したフリードはガジェット群から意識を逸らさないまま、キャロに向かって小さく吠える。相棒の声援をその身に受けたキャロは印を解き、強い意思でもって最後の呪文を口にした。

 

 

「龍魂召喚! 久遠の彼方より来たれ! 我が盟友、『真龍』ヴォルテール!!」

 

 

 次元が避け、それが現実世界に現れる。覚醒したフリードも幼龍とは言え生物としては巨大な部類に入ったが、キャロの召喚に応じ、その近くに出現したそれは巨大なフリードが見上げる程に大きかった。見上げるような巨大な身体。漆黒の鱗は陽光すら否定するかのように、青空にあっても黒く輝いている。

 

 ゆりかごが出現したことにより、クラナガンの空は管理局によって監視されている。当然、それの出現も感知され、次は何だと味方を大混乱に陥れていたが、敵も味方も人間もそうでないものも、全ての感情思惑を吹き飛ばすように、それは大きく吠えた。

 

 大気が震え、全ての動きが止まる。強大な存在の出現にゆりかごを守るように戦うガジェットでさえ、僅かな間動きを止めた。人間も機械も全ての視線が自分に集まっていることを感じたそれは、それが当然というように尊大に、名乗りを上げた。

 

『我が巫女の召喚に応じ顕現した。我は真龍ヴォルテール! 空は我ら龍の領域である。屑鉄どもがわが物顔とは片腹痛いわ!』

 

 ヴォルテールの龍言語を理解できたのは盟友であるキャロだけだったが、その巨体を上回る程巨大な魔方陣が展開されるに至ると、ガジェットを含めた全ての存在がそれが攻撃行動を起こしていると理解できた。

 

 反応したのは持ち場というものが存在しなかったガジェットたちである。手の空いていた全てのガジェットがヴォルテールを何とかするべく飛び上がり攻撃を加えた。並の魔導士ならば100回は死んだろう猛攻にも真龍はびくともしない。自分たちの周囲を飛ぶくず鉄には目もくれず、複雑な魔術を完成させたヴォルテールはそれを解き放った。

 

 古来より、龍は人間種族よりも歴史の古い生物として知られている。管理局のような種族全体を統括しようとした組織ができるのも、管理世界ではこれが初めてではない。興亡を繰り返している人類とは異なり、龍はひっそりとではあるが、その文明を維持してきた。

 

 時に人間と協調し、時に敵対しながら洗練されてきた龍の魔法魔術は人間とは全く異なる系統を歩んでいると言われている。フリードのブレスも大まかに分類すればその龍魔法の一種だ。斯様に、世間一般のイメージとして高威力だが大味と思われている龍言語魔法であるが、それは間違いである。

 

 人間よりも遥かに長い期間洗練された龍の魔法魔術は、その巨躯からは想像できない程に繊細な現象を引き起こすことを可能にしている。未熟で幼いフリードであればまだしも、長い時を生きた真龍にとって、クラナガン上空を舞う敵味方を識別し、敵とその攻撃だけを魔法で叩き落とすなど造作もないことだった。

 

 殺到したガジェットが全て、ヴォルテールの龍言語魔法によって撃ち落されていく。AMF影響下、それなりに耐久力のあるはずのガジェットがまるで紙屑のように粉砕され、粉々になってクラナガンに散っていく。人間にとっての難題をあっさりと解決した自分の盟友に、術者であるキャロは目の前の現実が信じられなかったのだが、

自分の巫女の反応が薄いことに聊か不満そうに呻いたヴォルテールは、小さく身じろぎしてキャロを促した。敵を倒しついでに味方を守るのは召喚獣の仕事であるが、それ以外は巫女の仕事である。自分のすることを思い出したキャロは、慌てて通信を開いた。

 

「こちら機動六課ライトニング分隊所属、キャロ・ル・ルシエ三等陸士です。現在、クラナガン上空、黒い龍の上にいます。この龍は私が召喚しました。ご覧のように制空権は確保しました。全ての攻撃が私たちが叩き落とします。どうか安心して、負傷者の移送を開始してください」

 

 キャロの言葉に返ってきたのは沈黙だった。もしかして伝わらなかったのか。しばらく待ってもう一度同じことを言おうとすると、あらゆる場所からキャロに対し、感謝を伝える言葉が飛び込んできた。厳密に制空権が保証させる訳ではない。無事に目的地まで到着できるかは、実際に飛んでみないと解らないことだ。この状況で護衛なしで空を飛ぶのは、医者にもパイロットにも相当な精神的負担を強いることになる。

 

 確かにヴォルテールは彼らの安全を保証してはくれるが、実際に彼女と繋がっていない彼らに真の意味でそれは理解できない。彼らの恐怖を取り除いてあげられないことに、キャロはいたたまれない気持ちになったが、それを察したヴォルテールは念話でキャロの心に語りかけた。

 

『矮小なる人の身で、全てを行おうとするな。人にも龍にも不可能はある。我が巫女よ。お前はその小さき身で最善を尽くした。それでも尚文句を言う輩がいるのであれば、人間など見限るが良い』

「ありがとうヴォルテール。でも私は人間だから」

 

 だから見捨てないと、キャロは本心でそう言っている。長く生きているヴォルテールには理解できた。人間は龍からするととても軽い理由でもって同族を裏切り、同族を殺す。同じ人間だからという理由で彼らを守るというキャロの行動理念はヴォルテールからすると相当に甘いものだったが、それこそがキャロに従うことにした理由であると自分を納得させることにした。

 

 小さな少女が理想に生きようとしている。長い龍生だ。たまには吐き気がするくらいに甘い理想を実現させることに、力を貸してやっても良いだろう。自らの新しい門出を祝福するように、ヴォルテールは長い雄叫びをあげた。

















あとがき

とりあえず年内更新一発目です。ギンガチームの短い話と、フェイトそん戦闘編の予定です。
が、戦闘描写が予定よりもかなり短くなってしまっているため改稿作業中です。投稿まで今しばらくおまちください。