弱い──いや大したことがないというのが眼前のジェイル・スカリエッティに対するフェイトの正直な感想だった。

 機械化された身体は後天的な手術の産物だろう。おそらく首から下はそのほとんどが機械だ。後天的にここまで全身を機械化する技術は試作段階なのだろうが、ジェイル・スカリエッティであれば成し遂げていても不思議はない。倫理を次元の彼方に置き去りにした彼の技術水準は時代の最先端の更に先を行っている。

 ジェイル・スカリエッティという個人に武術の心得はないと聞いているが、機械の身体を機械が制御するのであれば元がド素人であっても戦う側からすれば大差がない。武装の差こそあれどガジェットドローンに生身の頭がついていると思えば納得もできる。

 問題はそれ以外の部分だ。既存のスカリエッティ製の戦闘機人たち。各々が個別のISを発現していた訳だが、その内いくつかを彼は操っている。トーレの『ライドインパルス』、チンクの『ランブルデトネイター』、オットーの『レイストーム』は既に確認していた。

 ISは一人につき一つというのが管理局研究者の見解である。生まれる前から体をそのスキルに特化するように調整することで効率的な魔法運用を可能にしている……何しろサンプルが皆無に近いために確かなことは言えないのだが、無理やり既存の技術に当てはめるならばISについてはそういう説明になるという。

 ならば既存の魔法魔術の習得が困難になるのかといえばスバルたちの例を見るにそうではないらしい。あくまで先天的に固有の魔法を既存の枠外の体系で実装するという現代の最先端を行く技術であるが、残念なことに判明しているISのほとんどは既存の魔法技術で再現できる。

 恐れられているのは既存のどの魔法体系とも異なる理屈でそれらが動作しており、こちらも試作段階であるテスタ式以外の魔法技術が影響を受けるAMF環境下でも行使できる点にある。

 翻って、機人と相対するのがAMF環境下で不利を感じない魔導士であれば、戦闘機人というのは少々頑丈で優秀な魔導士という解釈の元に戦うことができる。機人であることそのものはフェイト・テスタロッサにとって問題ではなかった。

 強いて問題を挙げるとすればスカリエッティが明らかに複数のISを同時に運用していることである。ISを一つの魔法体系として考えるならば複数のISを一人で運用することは不可能ではないように思える。ほとんどのISが既存の技術で再現できる以上理屈の上では可能なはずだ。

 現状唯一使用を可能としている戦闘機人たちが人間よりも遥かに機械に近い存在であることを考えると、技術の習得は人間が魔法を覚えるよりも容易かもしれない。

 現実としてスカリエッティは単体で複数のISを発動している。威力はオリジナルよりも相当に減衰していた。再現性の限界なのか、後天的な機械化では負担に耐えられないのか。理由は定かではないが、これらの技術は如何にスカリエッティをしても自身への実装は負担であったようである。

 何しろ生身であるらしい首よりも上。目から鼻から口から耳から出血している。首から上は真っ赤に染まっていた。血をまき散らしながら高速で動きまわる様はまるで幽鬼だ。

 この症状は資料で見たことがあった。リンカーコアを持たない、もしくは持ってはいるが容量の少ない人間を使った人体実験。人造リンカーコアとでも言えば良いのか。門外漢であるフェイトが見ても解るくらいの杜撰な理論で設計されたそれは、誘拐された人間に実装された。

 結果、望む結果を得られたものは皆無。強引に実装された技術は被験者に多大な負担をもたらした。

 この事例に限らず、魔法技術の他人への移植というテーマは、合法非合法を問わず大昔から存在している。習得そのものは技術を体系化することで解決したがそれ以外、習得が容易ではない人間、もしくは不可能な人間に対する魔法技術の移植は、どのようなアプローチでも成功したという話は聞いていない。

 狙ったISの発現。機人の量産。その辺りが今後の課題であるのだろう。どちらも実現のメドが立っていないという保証はないがまさに本拠地を攻められている段になって何も出ていないのを見るに、少なくとも今時点では着手していないか着手はしていても実戦に投入できる段階ではないのだと推察できる。

 その推察に乗っ取ってスカリエッティの現状を鑑みてみると、彼の行いはやはり正気の沙汰とは思えなかった。後天的な身体の機械化。複数の魔法技術の移植。現代技術の最先端の更にその先の技術を彼は自分の身体で無理矢理に再現してみせた。

 だが惜しいかな。生まれる前から機械に馴染んでいた戦闘機人と異なり、ジェイル・スカリエッティは生物学的にはただの人間だ。ハードとしての耐久力を向上させた所で生物としての根本的な耐久力はそう簡単に上がるものではない。半分以上機械の身体を手に入れた所でどの道元は人間なのだ。

 全身から血を流しながらも戦う彼の姿、既に身体のほとんどを棺桶に突っ込んでいるに等しい。このままでは死ぬ、ではなくいつ死んでもおかしくない状態だ。管理局の犯人逮捕については生かしたままというのが原則である。魔法魔術が非殺傷設定になっているのはそのためのものだ。

 放っておいても死ぬ人間であっても命を奪うことに代わりはない。今のスカリエッティを無力化するイコール殺すということだ。そこに忌避感は当然ある。

 しかし、フェイトが逡巡がしたのは一瞬だった。

 それしかないのであればやるしかないのだ。ここには自分しかおらず、眼前の敵の野放しにすれば多くの人間が命の危機に晒される。ここを逃れても、遠くないうちに死ぬだろう。逃げの手を打てば次の瞬間には死ぬかもしれないが、僅かでも生き延び悪事を働く可能性があるのであればそれを摘み取るのがフェイト・テスタロッサの仕事だ。

 少なくとも恭也・テスタロッサならば、それを躊躇った理はしない。脳裏に彼の姿を思い浮かべたフェイトは、覚悟を固めた。

 一歩。高速機動でのそれは彼我の距離を一瞬でゼロにする。

 その間。爆発する金属のナイフを魔力を変換させた電撃で撃ち落とし、飛来する赤い光線を身体を捻って回避。爆発の余波はこの速度であれば問題にならない。飛来するブーメラン・ブレイド。右の刃を振りぬく。スカリエッティ。肘から発生させた刃をこちらに振りぬいてくる。左の刃。強引に振りぬいて腕を根本から斬り飛ばす。

 翼を広げた鳥の様なその体制は、彼が最も得意とする技の中途の形。鞘を持たないフェイトにその全てを再現することはできないが、彼の動きならば目を瞑れば細部まで思い返すことができる。

 薙旋

 本来は抜刀からの瞬速の四連撃である。フェイトには鞘というものが存在しないため、強引にでも再現できるのは最後の二撃のみ。オリジナルは最初の二撃が最速であるが、フェイトのそれは後半の二撃の方が早い。

 戻った二つの刃はジェイル・スカリエッティの身体を打ち据える。刃は寝かせて一応の手加減はした。それでも無理を重ねた彼にはその辺りが限界だったのだろう。生身同様酷使に耐えていた機械のボディもその時点で限界を迎えた。脚部は火花を吹いて半ばから折れ、スカリエッティは仰向けに倒れ込む。オイルとも血とも知れない液体が床に広がっていく。

 油断なくバルディッシュを構えるが、動き出す様子はない。戦闘は終了した。それでも警戒は解かずに小さく息を吐いたフェイトの元に、突入部隊とは別に基地に突入していたヴェロッサからの通信が入った。

『こちらヴェロッサ・アコース。テスタロッサ執務官。応答願う』
「こちらフェイト・テスタロッサ。どうしたの?」
『やられた。この施設はも抜けのからだ。研究資料はほとんどが無事だが、直近明らかに持ち出された形跡がある。サンプルなども僕が見る限り破壊された形跡はないが……一つだけ、生体ポッドが開放されている。ここに残っているらしい最後の戦闘機人のウーノにも逃げられたようだ』

 スカリエッティを見下ろしながら、フェイトは深々とため息を吐いた。

 考え得る限りかなり最悪に近い状況である。とは言え、本来であれば後手後手に回らざるを得なかった状況の中こうして先手を取れているだけで僥倖と言えば僥倖なのだ。

 現場の人間はそれを解っている。本来奇襲をかけられていた所こちらが先手を打つことができたのだ。感謝されても非難されるいわれはないが、上の人たちまでそう判断してくれるとは限らない。

 出るはずだった犠牲が出なかったのは仮定の話だが、確保できずに逃げられたというのは事実なのだ。当面はこの件で上からは絞られることになるだろうことを考えると頭が痛い。

 スカリエッティも何かあった時の手段は当然考えていたという訳だ。流石に腹心であるクアットロの裏切りについてはそこまで高い可能性と考えていなかったと思うが、薄い可能性の中の想定の内ではあったのか。いずれにせよクアットロの裏切りが判明してから手段を整えたにしては手際が良すぎる。

 この施設については近い内に引き払うつもりだった。そう考えるのが自然ではある。研究のデータ、その成果であり助手でもある戦闘機人のウーノ。そして持ち出せるだけのサンプルを持ち出すことができれば、研究そのものは継続できるが、これらの研究のキモはスカリエッティという存在があってこそだ。

 機人であり、スカリエッティの助手を務めていたウーノだ。当然優秀ではあるのだろうが、研究者としてのスカリエッティに匹敵するかと言われれば疑問が残る。研究の継続には最低限、現状を引き継げるだけの研究者が必要なはずだが。

 フェイトの疑問を見越していたのか、死人同然のスカリエッティは僅かに口の端を上げてみせた。

「ジェイル・スカリエッティというのは私だけを指すのではない。この私が潰えたとしても、次の私が研究を引き継ぐだろう。成果は全てウーノが持ち出した。私の仕事はこれまでだ」

 ふー、と大きくスカリエッティは息を吐いた。もう言葉を発するのも苦になるらしい。彼はここにおいて行く。その結論を出すのに時間はかからなかった。持ち出すべきものを全て持ち出したのならばもうこの施設そのものに用はないだろう。後々のことを考えるならば死体であってもスカリエッティを担ぎ出していくべきだとは思ったが、ここで潰えるのが彼のためなのだとフェイトは思った。

「何故、母さんのクローンを作ったの?」
「生前の彼女に私は会ったことがある。一目見て惹かれたよ。狂気に生かされている彼女について、もっと知りたいと思った時には色々なものが手遅れだった。ならばせめてと手慰みにアリィを生み出してみた訳だが、遺伝的情報が同じなだけでは違う人間だというのを再確認しただけだった。せめて記憶があればよかったと思わないでもないが、それでも、やはり別の人間になったという確信に近いものがある」

 クローニング技術について、プレシアは最先端を行っていた。その分野が禁忌の研究とされていたのもあるだろうが、それでも研究者として優秀だった彼女は『既に死んだ人間と同一の存在を生み出す』ということについて十年前の時点でさえ完成に近い所までこぎつけていた。

 だが天才であるが故にプレシアには理解できてしまった。既存の技術の積み重ねでは同一の存在を新たに生み出すことはできても、死んだ人間をこの世に蘇らせることはできないことに。本物よりも本物らしいとしても、それは決して本物にはなりえないのだ。

 そうしてクローニング技術の研究はその時点で凍結され、アルハザードへの到達を目標とすることになる。凍結されていたはずの研究は後に何者かの手によって流出し、それがエリオを生み出すことにもつながり、あのアリシアが生み出された。

 スカリエッティが生み出したかったのがプレシア・テスタロッサならば、あのアリシアは似ても似つかない。同一の遺伝子を持っていたとして、ここまで違う存在になるものなのかと、遺伝的には娘であるフェイトでも思うくらいだ。もしかしたら彼女も幼い頃はああだったのかもしれないが、それを恭也に聞いた所で、彼は苦い顔をして首を横に振ることと思う。それについてはフェイトも同意見だ。

「あの狂気は、彼女であるからこそ持てたものなのだ。他人に移植した所で維持できるとは思えない。与えられた記憶など、所詮は情報に過ぎないものだ。いずれは技術が解決するのだろう。永遠に同じ人間が存在し続ける。それはそれで結構なことだ。だがそこに揺らぎはなく、それは私の生み出すべきものではない。プレシア・テスタロッサは彼女一人だ。この私が生涯をかけて得た、最も価値のある結論はそれだったな」

 視線が濁ってきた。もう目も見えていないのだろう。ごろりと寝転がった身体には力が感じられない。

「末期の時は一人で過ごしたい。お願いできるかな。フェイト・テスタロッサ」
「さようなら。ジェイル・スカリエッティ」

 無理は解っていたがこの戦闘にも意味はあった。強引な移植を行った後天的な機人による戦闘データだ。素体を回収される恐れがあるため、外でデータを取ることにも躊躇いはあったが、まもなくこの施設はガレキの下に沈む。この身体が素体として回収されることはおそらくない。

 データは既にウーノと新しいジェイル・スカリエッティの元に渡っている。彼女らならばこれを生かして研究を次の段階へと進めてくれるだろう。その成果を見れないことは残念ではあるが……研究に失敗はつきものだ。今の自分はその役目ではなかった。ただそれだけのことである。

 この記憶感情を次世代へと受け継がせることは可能と言えば可能であり、ウーノもそれを望んでいたが、スカリエッティがそれを拒否したのだ。継承された記憶など所詮はデータである。再現するだけならばウーノでも可能だ。それで納得できるのであればそうすると良いと言うと、彼女は酷く打ちひしがれたような顔をしていたが、さて、それも生命の揺らぎと言えるのだろうか。

 単純に、この感情を別の個体に引き継がせたくはなかったのだ。プレシア・テスタロッサに対するこの狂おしいまでの感情は、自分ただ一人だけのものだ。

 これが生命の揺らぎというものだろうか? この執着を恋など愛だの呼ぶのであればそうなのだろうが、きっと違うのだろうとスカリエッティは結論付けた。

 さて、と大きく、大きく息を吐く。身体の感覚が全くない。次に発する言葉が、今生、最後の言葉になると確信が持てた。聞く人間などいない。ただの空気の揺らぎであるが、それこそ自分の最期に相応しいとスカリエッティは単純に、思っていたことを口にした。

「さて、死後の世界というのは、あるものかね」