「間に合ったか……」

 

 指定の座標に定刻よりも若干早く到着したことに、クロノ・ハラオウンは安堵の溜息を漏らした。ハラオウン艦隊による砲撃はこの作戦の要である。大なり小なりの妨害は当初から予想され、クロノを始めハラオウン派の局員たちはそれこそ外部の教会騎士などの力も借りて障害の排除に当たってきた。

 

 結果、相当数のスパイを逮捕し、艦隊を組織して討伐せねばならない程の魔獣の相手もする羽目になったが、艦隊に所属する戦艦は一隻も欠けることなく、指定のポイントに到着した。

 

 現時点で乗艦している人員に裏切者はいないはずである。

 

 それこそ、スパイの手引きをしていた機人を締め上げて吐かせた情報を、歴戦の分析官を多数抱える情報部のエキスパートたちが、これで全部と太鼓判を押したのだ。これでまだ裏切者がいるようなら、もはやこれまでと諦めるより他はない。

 

 ともかくこれで最悪の事態は回避することができた。聖王のゆりかごは現代の水準で見ても非常に強力な戦艦であるが、艦隊主砲による総攻撃をまともに喰らえば無事では済まない。ゆりかごの破壊はこれで確定だろう。

 

 それでも気を抜けないのは、まだまだ事態が予断を許さないからだ。あくまで最悪のシナリオを回避できただけで、地上ではまだ戦闘が続いている。後続の敵戦力が来ないとも限らないため艦隊そのものを動かすことはできないが、ゆりかごの破壊が完了して後は、いくらか地上に戦力を降ろさなければならないだろう。

 

 スカリエッティの拠点は制圧。クラナガンに散っていた敵幹部たちも悉くを補足、逮捕。雲霞の如く沸いたガジェット・ドローンの掃討も順調に進んでいる。流石に被害ゼロという訳にはいかないが、史上最悪とも言えるテロ事件の現状としては及第点と言える。

 

 事前に襲撃情報を詳細に把握できていなければこうはならなかった。それだけに、計画を前倒しにされては元の木阿弥だと、信頼のできる少数の人間を使って人員を配置し対応してもらっている。

 

 管理局、聖王教会、その他諸々の勢力まで動員できる人員は全て動員しての計画である。失敗は許されず、指示を聞いて動いてくれている者に余計な不安を与えることはできない。内心不安であっても椅子に堂々と座っているのも提督の仕事だと母にも言われ、今日まで実践してきたが……それでもクロノは状況に対する違和感を消し去ることができなかった。

 

 見落としている何かがある。推測の域を出ないそれが、何か致命的な結果を生み出すような気がしてならなかった。

 

 戦闘に参加している人間に水は差せない。ハラオウン艦隊は今でこそ暇だが、ここが落ちると全てがご破算になる。艦隊に不安を広げるのは避けたい。

 

 この状況下にあって、現場に近い所におり、違和感について相談できる、なるべく口の堅い人物。現在の状況と照らし合わせ、所在が確認できる中でそれができる人間が一人いた。

 

 

「なのは。相談がある。率直に意見を聞かせてほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バリアジャケットを解除し、制服のポケットからタブレットを取り出す。教導隊御用達の、どの世界出身の魔導師にもクソマズイと大好評のそれは、リンカーコアを微妙に活性化させ、魔力の回復を早める……という触れ込みである。

 

 実際にはどうだか知れない。科学的根拠はないというのが先頃生存が判明した恭也の所属する特共研代表リスティの見解である。だがまぁ効果があるだろうと思うことは悪いことではないという言葉で結ばれた微妙な見解の通り、少なくともなのはは魔力の回復が早まったことを実感したことはない。

 

 これはリンカーコアの魔力許容量に関することであるため、一概にも言えない。歴戦の魔導師が集まる教導隊においてなのはは最も若く魔導師ランクも高いが、先輩たちは愛用している者が多く、効果が実感できるという者もいた。

 

 それでも全員ではない辺り、やはり微妙なのかも……と思うなのはだったが、タブレットの愛用はそれこそ、緊急時こそやめない。

 

 頭が割れるような頭痛がようやく収まってくる。タブレットには痛み止めの効果もあり、その他、管理世界では合法な成分が疲労と眠気の海に沈みそうだった意識を覚醒させる。

 

 ぐったりしているヴィヴィオに、先ほど合流したヴィータ。少し離れた所でクアットロはすることもなく髪をいじっている。戦闘行為の後であるため、三分ほどの休憩中である。することは山ほどあるし、どの道、この船は衛星軌道上に待機しているはずのハラオウン艦隊の砲撃で沈められる予定なのだ。

 

 少なくともそれまでには脱出しないと命がない。クロノの通信が入ったのは、さて動こうとしたまさにその時だった。

 

「こんな時に意見?」

『こんな時だからこそだ。僕は今、この状況に違和感を覚える。君が見える範囲で構わない。何か違和感はないか?』

 

 違和感と言われても、となのはは周囲を見回す。激しい戦闘の後で疲労困憊だ。自身も含めてヴィヴィオは寝転がったままだし、ヴィータも疲労の色が濃い。唯一平然としているのがクアットロで、彼女はクロノの通信にも聞き耳を立てることもなくただ佇んでいる。

 

 そんなクアットロになのはは違和感を覚えた。事情は全て知らされた。事前に知らされていなかったことに怒りを覚えない訳ではないが、それでクアットロに対する私怨が消えた訳でもない。

 

 だが、クロノが違和感という曖昧なものでなのはに通信を送ってきたように、なのはは直感という曖昧なもので、クアットロにレイジング・ハートを向けた。明らかな敵対行為に、クアットロが片眉を上げる。クアットロが取った行動はそれだけだった。それが余計に、なのはの直感を確かなものにする。

 

「違和感がある? 違和感しかないよ、クロノくん。だってこんな顔してる奴が、味方の訳ないもん」

「それはあんまりなんじゃありません? 今の貴女、人殺しの顔してますわよ」

 

 シューターがなのはの周囲を舞う。一言でも間違えばこれで射貫くとばかりの鋭角的な動きに、クアットロはあっさりと白旗を上げた。両手を見えるようにしてなのはに向けて掲げたクアットロに、ひとまず最悪の事態は避けられた横で見ていたヴィータはほっと溜息を吐いた。

 

 そんなヴィータを見て、クアットロも警戒を緩める。次の瞬間、

 

 しゅ、と小さな音を立てて、シューターがクアットロの胸を貫いた。背後に一つだけ回していたシューターの奇襲である。立場が微妙とは言え無警告の攻撃に、ヴィータも思わず声を挙げかける……が、シューターに貫かれたクアットロの姿が一瞬ブレたことに、理性よりも先に本能が身体を動かした。

 

「アイゼンっ!!」

 

 今しがたなのはが貫いた『クアットロ』に向けて鉄球が殺到する。とっさに放ったにしても普通ならば十分に戦闘不能にできる一撃だが、それが相手がきちんと存在する場合による。事実として、ヴィータの放った鉄球はそのほとんどが『クアットロ』を貫通したが、なのはと異なり物量で押したのが奏功したのか、その内一発が当たりに命中した。

 

 一際大きく『クアットロ』の姿が揺らぐと、その姿がかき消える。直前まで彼女が立っていた場所に音を立てて落下したのは、拳大ほどのデバイスである。

 

『アリシアお嬢様の発案でドクターが作成した、インテリジェントデバイスのAIを後付けでも実態化を可能にするシステムの試作版……まぁ、おたくのリインフォースの親戚のようなものだと思ってくれて間違いありません。この音声を聞いているということはバレたってことだと思いますが、デキは良かったでしょう? そしてこの音声が流れた段階で自動的に、その部屋は封印されます。この装置は五秒後に自動的に消滅――』

 

 後の証拠になるとか分析に回すとかそんなことを一切考えもせず、怒りに任せて放ったなのはのディバインシューターがデバイスを討ち抜いた。

 

「こちらスターズ01緊急事態発生。機人クアットロが裏切っ――」

『念話他、全ての通信が遮断されています。この部屋一体を強力な妨害システムが覆っている模様』

「あのクソメガネっ!!」

 

 ついに汚い言葉を吐いたなのはは怒りを発散できるものを探して部屋をひた走った。怒り狂ったなのはを見て、ヴィータは逆に冷静になる。

 

「アイゼン。奴のいった『封印』について詳しく」

『本体管制とは別個のシステムにつき、時間制限あり。偽装思念波の逆算からおよそ五分後には突破可能』

 

 ふむ、とヴィータは考えた。外部との接触を遮断したのなら全滅を狙うチャンスだったはずだが、クアットロが仕掛けたのは妨害のみに留まっている。本体が既にゆりかごの中にいないのを見るに、彼女の本命はゆりかごの外にあったのだろう。

 

 恭也の生存を先頃まで知らなったヴィータが計画の全体を知るはずもないが、彼女がゆりかごの中にいないことは、恭也にとっても予定外のことのはずだ。

 

 封印は五分。つまりはその五分の間に決着をつけるつもりの訳だ。それを短いと取るか十分と取るかは人によるだろうが、あの機人は邪魔さえ入らなければその間に何とかする自信があるのだ。その上で奴が向かう場所など一つしかない。

 

 今度こそ決着をつける時なのだ。騎士として友人として恭也の勝利を疑ってはいないが、いざという時には必ず復讐するという決意を胸に、ヴィータは荒れまくってる戦友を見やった。

 

「なのは、無駄に動いてねえで少し休め」

「……………………そうする」

 

 ガレキを散々蹴とばして荒い息になったなのはは、ヴィヴィオの横にごろんと寝転がった。

抱き枕にしようと伸ばした手は、ころころヴィータの方に転がって空振りする。

 

「……ヴィヴィスケ。もうちょっとなのはに優しくしてやれよ。今こいつは何というか……難しい時期なんだ」

「ヴィータママの方がいいー」

 

 子供というのは正直である。はっきり拒絶されてしまったことで、情緒不安定気味ななのははしくしく泣き始める。それを気にせずヴィータの膝をいそいそと整え、ヴィヴィオはその絵に頭を乗せて寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こちらクロノ・ハラオウン。恭也・テスタロッサ、応答してくれ」

 

 遊撃戦力として地上本部の指揮下に入り、避難民の誘導や護衛、ガジェットの掃討、同じ任務に従事していてかつ危機的状況に陥った部隊の救援。今この時ほど、管理局が人員を総動員して働いていたことはないかもしれない。

 

 上も下も陸も海も、たった一つの目標のために働いている。奇しくも、レジアス・ゲイズ他、多くの人間が夢見ては諦めた、一つになった管理局の姿がここにはあった。衛星軌道上に向かってゆっくりと上昇している『聖王のゆりかご』にとりつき、無限とも言えるほどに吐き出され続けるガジェットを掃討しているのは、海と陸の混成部隊である。

 

 敵対勢力から寝返ったチンクと共にガジェットを叩き潰しながら感慨にふけっていた恭也の耳に、旧友の声が届いた。

 

「恭也・テスタロッサ。どうしたクロノ」

 

 ハラオウン艦隊を指揮し、ゆりかごを破壊する一連の作戦では最も重要な立場にいるのがクロノたちだ。地上でいくら人々が団結しようと、クロノたちが仕損じれば全てがご破算になる。この状況、このタイミングでの通信に嫌な予感を感じずにはいられないが、

 

『ゆりかごの中のなのはたちと通信が途絶えた。機人クアットロがそちらに向かったと思われる。気を付けてくれ』

 

 クロノの言葉は、ある意味で恭也の予想通りだった。最悪よりはまだマシであるが、できれば実現してほしくなかったことでもある。

 

 しかし、奴ならばそれくらいのことはするだろうという予感めいたものがあった。あの手の人間は、転んでもタダでは起き上がったりしないものだ。

 

「……忠告感謝する。何故お前が?」

『どうも話が上手く行きすぎている気がしてね。なのはに意見を求めた直後に通信が途絶えた。彼女らに何かあった訳ではなく、唐突なジャミングというのがうちのエンジニアの見解だ。元々彼女は危険人物ではあるが、特に君に執着しているという話だしな。そのまま行方をくらませてくれるのであれば不幸中の幸いだが』

「きっとそうはならないだろう、というのがお前の読みという訳だ」

『全く。世界はこんなはずじゃなかったってことばっかりだな。そんな訳だから身辺には注意してくれ。僕はこちらで全力を尽くす』

「武運を祈る。きちんと、ゆりかごは灰にしてくれ」

 

 通信を切り、傍らで聞いているクアットロに向き直る。スカリエッティからの寝返り組で現在管理局側で活動しているというのは共通するが、全く信用できないクアットロと異なり、恭也自身は、彼女のことは信頼できると思っていた。

 

「姉上、聞いていたと思いますがクアットロがどうやら離反したようです」

「……あれは一体何を考えているんだろうな」

「自分のことしか考えておらんのでしょう。ゆりかごの中にはいないと見えますので、すぐにこちらに姿を現すかと思いますが……」

 

 恭也たちの耳に、銃声が二度聞こえた。

 

 管理世界では無法者でさえ魔法を使うため、あまり聞かぬ音である。魔法使いの優位性は法を守らない者こそ守りたいのかもしれない。魔法使いを殺しうる弾丸を誰でも放つことができるようになればそれこそ、管理世界のパワーバランスが崩れかねない。

 

 リスティの話ではそれも技術的にはもうすぐ実現できるところまで来ているらしいが、それはともかく、管理世界であまり聞かない音を識別できる人間は限られている。管理局員のほとんどはそれを銃声と識別できないはずだが、恭也・テスタロッサはそれを識別できる数少ない側の人間だった。

 

 自分への『誘い』だと理解した恭也は、そちらの方に歩みを進める。管理局からの通信までオフにした恭也に、同道していたチンクが目を向けるが、その真剣な表情を見て口を噤んだ。

 

 要望を叶えてもらう形で『姉』というポジションに収まったが、自分を含めて管理局に寝返った姉妹たち全員はまだ微妙な立場にある。行動の指針を決めるのは完全に恭也であり、チンクはそれに従うのみである。

 

 銃声を識別できるのはチンクも同じだ。その銃は管理外世界で入手したもので、誰でも人間を簡単に殺せるものだと彼女が自慢していたものだ。バリアジャケットを貫通できない程度の破壊力しかなく、魔導士との戦闘には不向きだというのがチンクの判断だったのだが、クアットロの考えは違った。

 

『人間が人間同士で殺しあうために発明された、殺すためだけの兵器です。これほど美しいものはこの世にありませんわ!』

 

 如何にもクアットロらしい執着の理由である。チンクは一言で言うなら趣味ではなかったのだが、共に戦う以上、ある程度は情報を共有していなければならない。クアットロが管理外世界からちょろまかしてきた銃器のデータはチンクも把握しており、先の音はその銃器の中の一つが発した音に間違いはない。

 

「恭也、姉も戦う」

「姉妹同士で戦わせるのは――」

「私は今、その姉妹のために戦っているのだ。あれも姉妹ではあるが、他の姉妹のためにならんことをしているのであれば、姉としてそれを正す義務がある」

 

 保護観察を受けているような立場なのにその内一人が問題を起こし、管理局員によって正されたというのであれば、チンクたち姉妹に良い所は何もない。『問題を起こした』というのが確定的なのであれば、最低でもその解決に尽力しなければ加点要素が何もない。

 

 これまで散々非合法な破壊活動に従事しておいて、風向きが変わった途端に寝返った者を一体誰が信用してくれるだろう。信用は行動によって長い時間をかけて獲得せねばならず、今はその一歩を、動くことのできるチンクが代表して踏み出しているに過ぎない。

 

 この歩みには妹たちの人生がかかっているのだ。姉としての決意に満ちたチンクの表情に恭也の方が折れた。

 

 後は言葉などない。銃声のした場所に駆けつけると、満面の笑みを浮かべたクアットロがそこに立っていた。白衣を翻すと優雅に一礼し、恭也とチンクに見えるようにして懐から古風な砂時計を取り出す。それをひっくり返して全員に見える場所に置くと、クアットロは『それ』を始めた。

 

「この砂時計の砂が全て落ちたら、地上本部が攻撃されます」

 

 言葉が終わるが早いか、クアットロの額に飛礫が直撃した――瞬間、その姿はぼやけて消えた。相変わらずの幻。近くにいる気配はする。しかし、この手の技術では管理世界でも随一の恭也をしても、正確な位置を看破できなかった。

 

 人を食った笑い声に、恭也の背に冷や汗が流れる。砂時計の砂は、さらさらと流れ続けていた。

 

「まぁまぁ慌てずに。私と違って貴方には頼りなるお仲間が沢山いるでしょう? 彼女らに対処されないように、賢い私は一計を案じました。頭上をご覧ください? あちらにありますのは聖王のゆりかご。目標は既に地上本部に設定済です。区画の一部を切り離して落下。大質量で押しつぶすという力技でございます」

 

 不味いと直感的に悟る。それが事実だとすれば対処が難しいことは、技術に疎い恭也にも確信が持てた。目を閉じてクアットロを探す。気配は周囲に薄く広がっており、声はすれども感知はできない。ここに来て彼女は、一つも二つも腕を上げていた。

 

「外装は古代ベルカの技術の結晶。戦艦の主砲クラスでもないと穴は開きませんが、時間内にあれを狙える位置につける可能性があるのは、旧型のアースラのみ。アルカンシエルでは火力不足と出ています。破壊はできると思いますよ? でも粉々にしないと意味はありませんわよねぇ? 質量は変わらないんですから」

 

 かたり、と僅かな足音を察知した恭也は、その方向に飛礫を放つ。微かな手ごたえこそあったが、直撃には至っていない。精度は上がってきているが……このペースだと絶対に間に合わない。

 

「唯一の懸念はレジアス・ゲイズが用意した三機のアインヘリヤルでした。でもそれはかわいいアリシアお嬢様が破壊してくださいました。それではそれでは、機動六課の頼もしいお仲間たちは? 大規模破壊が得意な面々も、転移魔法の使い手も皆、今手が離せませんものね? 仮に手が空いていたとしてもごめんなさい? 今から準備が間に合うかしらー」

 

 魔法は万能ではないということを、恭也は嫌という程知っている。大規模なことをしようとすればするほど、それには膨大な魔力とそれ相応の手間がかかる。戦艦の一区画を仮に転移魔法で対処しようとすると、Sランクの魔導師が三人は必要になるだろう。

 

 ちょうど闇の書に対処した時と同じような按配だが、その時共に戦ったユーノとアルフは本局の無限書庫におり、シャマルは地上本部で負傷者の対応に当たっているはずだ。距離的にユーノとアルフは間に合わず、シャマル一人では対処できないだろう。

 

 地上に彼女らに匹敵する魔導師がいるのなら話は早いが、自分以外の大質量を、それも長距離転移させられる程の使い手は、管理局全体を見ても数える程しかいない。恭也が把握している限り、その転移魔法の使い手は全て本局の所属である。

 

 では単純に破壊すればと思うが、それはクアットロが言った通りに難しい。奇跡的にアースラからのアルカンシエル発射が間に合うとしても、闇の書事件の時と異なりここは大気圏内であり、その他の条件も厳しい。一射で完全に破壊というのは無理筋だ。

 

 それでも打たないよりはマシだろうが、それはあくまで本当に最後の手段だ。そも間に合うのであれば、の話であるが。

 

 そして戦艦の主砲クラスの砲撃を人力で賄おうとした場合、なのはクラスの魔導師が十人単位で必要となるが、なのはクラスの魔導師はそれだけで希少だ。その希少性を数で補うことも可能ではあるのだろうが、クラナガン周辺にいる魔導師が一斉に砲撃したとしても、ゆりかごの一区画を破壊するのは厳しい。

 

「もしかしたら、あそこでぷかぷか浮かんでいる真龍なら破壊できるかもしれませんわね? で・も、そんな不確かなことに賭けるよりも、優しい優しい私は素晴らしい解決手段を用意して差し上げました」

 

 足音に、恭也は振り返る。おどけて両手を広げて登場したクアットロは、取り出したナイフでスーツの胸元を切り裂いた。首の付け根。そこに明らかに外付けされた無骨な装置が見える。

 

「私の心臓が、制御装置とリンクしています。それが鼓動を止めれば……早い話が私が死ねば装置は止まります。悪党一人の命で世界を救う。何ともらしい筋書ではありませんか」

 

 ころころ笑い、クアットロは忍び寄ってくる。無防備な恭也の胸元に手を当て、顔を覗き込んでくる。眼帯を外すと、自分がえぐった右目が見える。整った女性の顔に不釣り合いな傷跡と、狂気に淀んだ左目。

 

 この傷をつけた時よりも更に淀んだその目は、今も確かに自分のことを見ていた。狂気の奥に歓喜が見える。機人クアットロは、この後の勝利を疑っていないのだ。

 

 それが恭也・テスタロッサの敗北を意味する。その事実を認識していくにつれ、恭也の心は重くなっていった。呼吸が荒れ、動機が早くなる。この、狂人から目を離すことができない。

 

「貴方は誰より強い人。世のため人のためなら、無抵抗の女子供だって斬り捨てる、そういう人」

「でも貴方は誰より弱い人。世のため人のためでも、無抵抗の女を斬り捨てたら、その傷は一生貴方を苛むでしょう。魘されて飛び起きるのかしら? 不安定になった貴方はフェイトお嬢様にでも手をあげるとか? あぁ、想像するだけでワクワクしますわ。壊れていく貴方、打ちひしがれる貴方、周囲の献身も同情も憐憫の、貴方の心の奥底には届かない」

 

「そこにいるのはこの私! 私が! 永遠に貴方の苛むの!」

 

「ああ、私は! これが、これが見たかった! 貴方の苦しむ顔が、思い悩む顔が! 今の私の全て! 私のこれまでは、このためにこそあった! 私の復讐は、今ここに成立する! ああ、チンクちゃん?」

 

 足音を殺し、熱延するクアットロの背後に忍び寄っていたチンクは、突然振り向かれて足を止めた。そこにクアットロが指を鳴らすと、小さな銀髪の機人は膝から崩れ落ちた。

 

「ドクターが私たちナンバーズに仕込んだ物は二つ。自分のバックアップと、緊急停止装置。実行できるのはウーノ姉さまを除けば私のみ。意識はあるでしょう? でも三分はそのままのはずですから、大人しくしててくださいね」

 

 ぱしん、と手を打ち合わせて、クアットロは両手を広げた。

 

「では改めて――さあ! 正義の味方、恭也・テスタロッサ! 世のため人のために、私を殺しなさい! 今ここには私と貴方の二人だけ! 私を殺して世界を救うか、私を生かして世界を滅ぼすか、答えはただ二つだけ。良い子の貴方なら、どちらが正しいのか考えるまでもないでしょう?」

 

 それしかないというのなら、是非もない。力なき人の刃になる。その誓いに偽りはない。それでどれだけ自らの行いに苛まれることになろうとも、地上と、人々を守れるのならば安いものだ。

 

 小さく息を吐き、止める。視線の交錯は一瞬。抜き打ちで、一瞬で首を跳ねる。確実な絶命を期した必殺の一撃は、放った恭也とそれを食らうはずだったクアットロの予想を裏切って、空を切った。

 

 プレシアの刃が根元から消失している。刃を振り抜いた姿勢で固まった恭也の耳に、相棒の声が届く。

 

『それでは、三人目の私が第三の選択肢を提示しましょう』

 

 この世界にやってきて、しばらく。プレシアの元を離れてからずっと隣にいた彼女と同じ名を持った相棒は、彼女とは異なる明るい声で断言した。

 

『主様。この女は嘘を吐いています。地上本部への攻撃は偽装です。実際には何も起こりません。後十秒、何もしないでそのままお待ちください』

 

 まさに降って湧いた言葉に、恭也の目が点になる。そんな都合が良いことがあって良いのか?

 

 本当に地上本部が攻撃を受けたら、死ななくても良い人間が大勢死ぬことになる。自分が悪人一人を殺すことを躊躇ったせいで、守るべき多くの人が命を失うのだ。

 

 だが、だが……と恭也は考え、プレシアを鞘に納めた。腕を組み、目を瞑る。もはやクアットロのことは精神からも排除して、ただ時間が過ぎるのを待つことにした。

 

 時間が過ぎる。クアットロも口を開かない。長年自分の全てを賭けて追い求めてきた相手である。何を言っても、彼の心を揺さぶることができないことが解ってしまったのだ。

 

 事態が膠着したまま時間だけが過ぎる。五、四、三、二、一、

 

「ああ。ああー………………あああああああああっっっっ!!!」

 

 カウントがゼロになったたっぷり数秒。現実をようやく受け入れる気になったクアットロは 拳銃を放り出し、喉が裂けんばかりの奇声をあげた。地団駄を踏む。顔を真っ赤にし、頭を掻きむしりながら汚い言葉を吐き続けガレキに八つ当たりする。

 

 必勝の策だったのだ。これで心置きなく死んで有終の美を飾れると思っていたから、今自分がその必勝の策を看破されて生存していることが許せなかった。怒りと恥辱とその他諸々の感情を、吐き出し切ることができない。

 

 クアットロを良く知るチンクでさえ彼女が壊れたと思った。妨害工作からようやく立ち直ったチンクは、身体の節々を確認しながら傍らに立つ恭也を見上げる。

 

 深く、とにかく深く息を吐いた彼は、心底の安堵の表情を浮かべていた。

 

「事後に聞くのも何だが、何故解った?」

『女の勘と言えたら素敵ですけれど、これが一番主様にダメージがありますもの』

 

 実は何も仕掛けなどなく、ただ人を殺しただけでそれにも意味はなかった。はったりだけで自分を殺させ、残りの人生全てをかけてそれを苛ませることができるなら、それは非常に悪辣でクアットロらしいとも言えた。

 

『それにいくら裏切ったとは言え、それが露見したことになったのは後になってのことなのですから、計画にない要素を盛り込めるとも思えません』

「スカリエッティが計画に盛り込んでいたと考えることは?」

『彼が求めていたのは秩序ある混沌。善も悪も皆相争う環境こそ望み。それに彼の売りは技術力ですからね。大質量で押しつぶすなんて原始的な方法を許すとは思えませんし、地上本部が消えることは彼にとってもデメリットしかありません。力の担い手にして、新たな力の的ですもの』

 

 混乱の一翼を担った物が物理的な大打撃を受けてなくなったとなれば、それを糾弾する勢力が振り上げた拳の行く先をなくしてしまう。技術を遠まわしに売り込む先としても、それのサンドバックにするにしても、技術を提供する側のスカリエッティとしては、管理局にはできるだけ勢力を維持したまま残っておいてもらった方が都合が良いのだ。

 

『ゆりかごの砲か何かで狙うといった方が主様相手にはまだらしかったと思いますが、それも可能性としては薄いですしね』

「兵器などの管制は全てウーノ姉さまが握っていたからな。いくらクアットロが裏切っていて時間があったとしても、彼女に露見させずにセキュリティを突破できるとは思えん」

 

 衛星軌道上まで浮上は既にプログラムされていて解除できない。管制のほとんどはウーノに握られているため、ゆりかごが衛星軌道上まで移動するその間、ガジェットはずっと放出され続け、ゆりかごの武装解除をすることもできない。

 

 唯一可能性があるのが内部からの破壊工作であるが、本気で戦争をしていた時代の建造物であるためにその頑丈さは折り紙付きで、特に魔導師による破壊工作には万全の対策を行っている。そのため第97管理外世界にあるような質量兵器による破壊が望ましいが、ゆりかごを破壊するだけの物量を内密に運び込むことはできないし、外からガジェットを回避しつつ運び込むのも、これまた現実的ではない。

 

 全てクアットロ本人が、こちらに寝返った時にもたらした情報と分析であり、現に今その情報の通りにゆりかごは動いている。局員たちは今もまだ死闘を繰り広げているのだ。疲れることが色々あり過ぎたが、まだまだ休めるような状況ではない。

 

「行くぞクソメガネ。下に降りてきたのだから下で闘え。完敗したんだから文句は言うなよ」

「貴方に負けたつもりはありませんけどっ!!」

 

 語気を荒げて言うものの、クアットロは敗北そのものは受け入れていた。性根はねじ曲がっていて往生際も悪いくせにそういう所は潔い。矜持の問題なのだろうが、それでも悪党には違いないのだから、あくまで『正義の味方』側にいる恭也にとっては扱いにくい女である。

 

 恭也が視線を向けると、クアットロはしぶしぶといった様子で実は展開されていた簡易的な通信妨害を解除した。途端、

 

『こちらクロノ・ハラオウン。恭也・テスタロッサ、まだ生きているか?」

「恭也・テスタロッサ。どういう訳か無事だ。機人クアットロを確保した。同道させるが局としては問題ないか?」

『君が良いなら構わないが……確認だが、何も問題はおきなかったんだよな?」

「ああ、現状何も問題はない」

 

 微妙にはぐらかした答えに、クロノは恭也の意図を察した。何か問題は起こったが、それを黙認しろと言っている。

 

 普段借りを作りたがらない恭也にしては珍しい行動である。管理局の責任のある立場にいるクロノとしては、本当に何か問題が起こったのあれば看過はできないのだが、当事者の一人である恭也が問題ないと良い、一番怪しい機人クアットロが確保できており、把握できる範囲で特に被害がないのであれば、諸々黙認することに抵抗はない。

 

 それに何より、恭也に貸しを作れる良い機会なのだ。それを被害のない問題行為を黙認するだけで得られるのだから、クロノとしてはお得な買い物である。

 

『なら良いか。貸し一つということで手を打とう。クアットロの調整はこちらで済ませておく』

「恩に着る。以上だ」

 

 通信を切ると恭也はさっさと走り出した。チンクがそれに続き、クアットロも嫌々それに続く。ナンバーズの中ではバックアップの担当だったが、クアットロとて機人である。常人とは比較にならない運動能力を有した素体は、恭也たちに『ついていくだけなら』問題ない。

 

 常人と比較にならないと言っても、超人と比較してはやはり見劣りするし、ナンバーズの中でも戦闘担当だったチンクは、小柄であることを差し引いても、継続的な運動性能はクアットロよりも二枚は上である。

 

 これから延々とクラナガンの廃墟を走らされるのかと考えると陰鬱になるクアットロである。それもこれも、あの憎きデバイスに邪魔されたからで――と走りながら思考して、クアットロは疑問に行きついた。先を行く恭也もチンクもこれを疑問に思っていない。

 

 インテリジェントデバイスだろうとストレージデバイスだろうと、使用者の判断に反する行動はしないように設計されている。疑似的な人格を付与されているが、あくまでAIはAIであり、道具の範疇は出てはならない。

 

 思考や分析はしても、判断をしてはならないのだ。道具が一々使用者の判断に異を唱えていては、転がるものも転がらない。それは管理局側の技術であろうと、悪の秘密結社であろうと変わりはない。道具は道具だ。主に判断の変更を促すことはある。命の危機が迫っている時には自発的に行動することもある。

 

 だが、相手を殺すと判断した恭也の行動を、プレシアは彼が実行に移してから妨害してみせた。デバイスの設計思想を逸脱した行動に、クアットロの疑問は深まる。

 

 管理局に所属していても、デバイスが自前ということは多くある。機動六課では八神はやての一味はその全員が古代ベルカのデバイス所持者である。恭也・テスタロッサとその義妹フェイト・テスタロッサのデバイスは、アリシアのクローン元であるプレシア・テスタロッサが作成した――とされているものだ。

 

 どちらもミッドチルダ式で組まれており、回ってきた資料を見た限りでは設計思想に奇をてらった所はなかった。悪人であろうと技術者である。道具は道具。その考え方は一貫しているはずだが、狂人というのはそういうラインを容易く踏み越えるということをクアットロは良く知っている。

 

『主様。少し女同士で話がしたいのですけどよろしいでしょうか』

「誑かされたりしないようにな」

 

 言って、恭也は待機状態のプレシアをクアットロに向けて放り投げた。それを受け取り、目の前に掲げる。デバイスというのは使用者であれば念話のように音声に頼らない会話も可能だが、赤の他人ではそうはいかない。

 

 本音を言えば誰とも会話などしたくない気分だったのだが、敗者の立場が弱いことは重々承知しているクアットロである。勝者からの申し出となれば、断る訳にもいかない。

 

『惜しかったですわね』

「ええ。貴女がいなければ、と心の底から思っていますよ」

『私からすると、貴女は少々狂気に欠けます。まぁまぁではありますけれど、とびっきりではありません。でも中途半端では身を滅ぼしますし、命がある内に気づけて良かったではありませんか。己に才能がないのだと』

「デバイスに狂気と言われましてもねぇ……」

『あら。私ほど狂気に精通している存在はありませんよ?』

「では教えていただけます? 真の狂気とは一体どういうものなのか」

『良いでしょう。狂気とは――」

 

 

 

 

 

 

 

『――狂気とはね、こういうことを言うのよ小娘』

 

 

 

 

 

 

 

 少女から大人の女性にいきなり変質した声音に、クアットロの口から小さく息が漏れた。その声には聴き覚えがある。かのスカリエッティが尊敬していると言ってやまなかった天才学者の一人。プロジェクトFの産みの親。

 

 そして恭也・テスタロッサの元の飼い主。プレシア・テスタロッサ。

 

 当時、プロジェクトFは完成していなかった。素体のクローニングだけは一応の成功を見せていたが、記憶の継承だけが上手く行っていなかったという。現在こそ途方もない試行錯誤の果てにその技術的な問題は解決しているが、基本、たった一人で研究を続けていた当時のプレシアにとっては、その辺りが技術的な限界だったと言われている。

 

 しかし、実現できていなかったとしても、アプローチをしていなかった訳ではない。科学者であれば当然、問題解決のための試行錯誤をしていたはずであり、現実的な解決案としていきついた場所は、現在とそう変わらないはずである。

 

 現在の記憶の転写は人格を記憶をデータ化し、クローニング素体が培養層にいる間に身体に馴染むようにゆっくり転写する方法が取られている。データになった記憶はあくまでデータであり、その転写先であるクローニング素体の元に転写されないとアクティブにはならない。

 

 またデータは人間の記憶人格の大本であるため、人間の身体に転写する前にアクティブにすると、自分が人間でないという事実に耐え切れずにデータその物が破損するという事例が散見されている。

 

 インテリジェントデバイスのAIはストレージデバイスに比べてより人間らしく柔軟で高度な思考ができるように設計されているが、その思考方法はデバイスの範疇をでない。彼女らはどこまで行っても人間らしいAIであり、人間そのものではないのだ。

 

 この住み分けが、人間の人格データをデバイスのAIにできない理由であり、デバイスのAIをクローニング素体に移植することが好まれない理由の一つである。思考がAIの範疇を出ないのであれば、肉の身体を用意するのは完全に無駄だからだ。

 

 人間の人格データは、デバイスには定着できない。それが現在の通説であり、プロジェクトFに沸いた裏の界隈では常識となっていることである。

 

 だが、世の中には狂人というものが確かに存在する。それがジェイル・スカリエッティでさえあれば、今の自分でなくても構わないという科学者がいたように。それがプレシア・テスタロッサでさえあれば、器が何であっても構わないという女がいてもおかしくはない。

 

 長い間自分の中で燃え盛っていた復讐という名の炎が、今完全に消えてしまった。こいつは頭がおかしい。自分には無理だ。一瞬でもそう思ってしまうと、クアットロにはもう情念を維持することができなかった。

 

 プレシアの言った通り、狂人とはある種の才能を持った人間のことを指す。

 

 ここまで復讐の念を維持できたクアットロは決して凡才ではないはずであるが、外的要因で躓いたこと、何より、そこから立ち上がることができなかったことは、究極的には狂いきれないことの証明でもある。

 

 怒っている人間は激怒している人間を見ると冷静になるという。自分よりも遥かに深い狂気を見て、クアットロはようやく本来の自分を取り戻した。

 

 清々しい、とは程遠い。今も口惜しさ惨めさは心の中に強く刻まれているが、こんな感情も決して悪くはない。しばらく涙に枕を濡らすのだろうが、それでも、長い時間を費やしたことが漸く終わったことに確かな安堵を覚えていた。

 

 今、自分は確かに負けたのだ。自分を負かした勝者の背を負いながら、クアットロはその敗北を噛みしめていた。