屋上から自宅マンションに戻った恭也たちはエレベーターではなく階段で自宅フロアまで戻る。外国出身の居住者の多い海鳴の中でも、このマンションは特にワールドワイドなことで有名で、五階の角はハラオウン、テスタロッサ、アルピーノの順で並んでいる。

 アルピーノさんちが一番後に入居したのに角部屋なのは、先の住民が子の独立に伴い郷里に戻ると引っ越したためだ。

 テスタロッサと表札の出た部屋の前で恭也一行は神妙な顔をしたヴィヴィオを先頭に佇んでいた。自宅に戻ってきたのである。さっさと入ろうというのが恭也以下ヴィヴィオ以外の全員の考えだったが、初めてなんだからしっかりしたいというヴィヴィオの強硬な主張に全員が折れたのである。

 基本誰が相手でも好き放題やることにしているアリシアもヴィヴィオには甘いのだ。愛される妹と言うのは得なのだなと生まれてから今日に至るまで大体第一子の長男のポジションだった恭也はしみじみと思う。

「それじゃあ……行きます!」

 気合の入った声と共に、背伸びしたヴィヴィオがインターホンを押す。チャイム音のあとしばしの時間が過ぎ。

『どちらさまですかー?』

 リインの軽いノリの声にヴィヴィオが力いっぱい、しかし夜間であるからひっそりと声をあげた。

「ヴィヴィオ・テスタロッサです。ただいま!」
『元気かつ良い子ですばらしい! 花マルをあげます!』

 鍵の開いたドアを勢いよくヴィヴィオが開くと、笑みを浮かべたリインが腕を広げて彼女を待ち構えていた。改めてただいま! と腕に飛び込んできたヴィヴィオの頭をリインはよしよしと撫でる。体格で言えばヴィヴィオの方が大きいのだが、身体の小さい方のリインがしっかりとお姉さんしている。テスタロッサ家の末妹ポジションは既に確定しているのだった。

「あらためてお帰りなさいヴィヴィオ。ここで会えるのを楽しみにしてました」
「お久しぶりです。リインお姉ちゃん。今日からよろしくお願いします」
「家族なんだから固いことは言いっこなしなのですよー」

 指でくりくりと頬をいじるとヴィヴィオが小さく悲鳴を挙げる。はやて付きの職員であるためヴィヴィオと顔を合わせることが多く交流を持つことも多かったリインにはヴィヴィオも良く懐いている。

 仲良しの妹が取られたようで何となく面白くないと視線を逸らしていたアリシアの前にリインがふよりと回り込む。お姉さんであろうと気を配っていた小さな少女は、アリシアの感情の機微にも当然気づいていた。

 ヴィヴィオよりも難しい年頃であるが、好きなものが解っているのならば攻略も容易い。何より末妹に甘いということはとっくに見抜かれていたアリシアに、リインはその末妹を味方につけて踏み込んで行く。

「さあ今度はアリシアにぎゅーなのですよヴィヴィオ!」
「アリィお姉ちゃんもぎゅー!」

 ぎゅーと抱き着いてくる二人にアリシアは『はいはい』と努めて無感動な声を出して抱きしめ返す。気を抜くとにやけ面になりそうな気がして表情筋から力が抜けない。ようやくできた妹分の前ではかっこいお姉ちゃんでいたいのだ。にやけ面など論外なのに私の妹と姉的ロリが犯罪的にかわいいから困る。

「おかえりー、みんな」

 アリシアの精神が限界を迎える前に助け船がどんぶらことやってきた。新たな家族の登場でぱっと離れるヴィヴィオに、アリシアはひっそりと安堵のため息を漏らす。危うくお姉ちゃんとしての尊厳が失われる所だった。

「アルフお姉ちゃん、ただいま!」
「おかえりヴィヴィオ。今日からよろしくな!」

 省エネ狼モードのアルフがヴィヴィオのよしよしを受け入れながらアリシアに目を向ける。その視線に入り混じった複雑な感情に、アリシアは思わず背筋を伸ばした。小さな狼に敵意は感じられないが、恭也とフェイトとドクター以外に自分を通して他人を見る存在がいると思っていなかったせいでその視線が妙にむず痒い。

 新しい同居人の心中を察したアルフは、狼の口の端を小さくあげた。

「悪かったね。違うと解っちゃいるんだがどうにも思い出しちまう。だがあたしは恭也とフェイトが気にしないなら気にしないとも。あんたはあんた。ただのアリシアだ。それとももうテスタロッサを名乗る決心がついたかい?」
「それはもう少し考えてみようと思ってるの。でも、家族になりたくない訳じゃないってことは解ってほしいわ」
「そりゃいい。大いに考えな。なりたい自分になろうって悩みなら、いくらでも応援するってもんさ。おかえり、アリシア!」
「ただいまアルフ。私ももふもふして良いかしら?」
「いいとも!」

 ヴィヴィオと一緒にアルフの毛並みにアリシアは飛び込んで行く。全般的に大人ぶった趣味のアリシアであるが、ヴィヴィオとお揃いというのは姉心をくすぐるのである。こういう所は年相応なんだよなと、更生施設に放り込まれていた時から絶妙に困らされていた恭也がしみじみ思っていると、事前に順番でも決めていたのかまた一人ドアから顔を覗かせてくる。

「おかえりなさい皆さん」
「キャロおねーちゃん! ただいま!」

 アルフを離したヴィヴィオが今度はキャロに抱き着く。スキンシップ大好きな新しい妹分をキャロは優しい笑みを浮かべて撫でまわした。自分たちは皆同年代。リインはとにかくお姉さんぶるので、妹らしい妹ができたのはこれが初めてのことで姉心が大いに刺激されていた。世の殿方はとかく妹を欲しがるそうであるが、今ならその気持ちが理解できる気がしていた。

「ただいま、キャロさん」
「おかえりなさい、アリシアちゃん」
「キャロさんは無限書庫にお勤めなんだったかしら? 今日はアルフと一緒のお帰り?」
「あたしは明日付けでフェイトのとこに異動だよ。で、キャロが明日からあたしの仕事を引き継ぐって訳さ」
「そっか。キャロ、念願叶ったんだね」
「おかげさまで……」

 フェイトのしみじみとした言葉にキャロは頬を染めもじもじしながら応える。

 先の事件で真竜を召喚。クラナガンの制空権を得て多くの人命を助けた『空の女神』キャロを引き抜こうという部署は多かったが、他の軌道六課の面々と同じくその勲功を持って希望の部署に行けるようにリンディたちに手を回してもらった結果、キャロが選んだのは憧れのユーノ先生のいる無限書庫だった。

 キャロ本人は検索魔法をそれほど得意とはしてないが、仲間となったヴォルテールが真竜らしく尋常ではない処理能力を発揮して彼女を補佐したためトータルで見るとまさに百人力の頼もしい新人として活躍を始めた。労働力のほぼ全てをヴォルテールが賄っている状況であるものの、アルフやリインと異なり局員登録はしていないので使い魔扱いとなっている。

 どこの部署に行ってもランク制限の問題には引っかからない反面、使い魔一人分の手当はつくがヴォルテールがどれだけ働いても給料はキャロ一人分だ。

 現行の労働規則では合法的ではあるが、部隊のランク制限同様使い魔の雇用に関しても近々メスが入ると聞いている。海と陸の垣根と一緒に管理局もどんどん変わっていくのかと思うとおよそ一般的とは言い難いコースで局員となった恭也やフェイトは感慨深いものである。

 その感慨深いチームであるアルフは長くユーノの補佐として働いていたが、後任を任せられそうなキャロが入ってきたことでこちらもかねてからの希望の通りにフェイトの元に配置転換となった。局員IDの取り直しも済んでおり、階級は海曹長。はやてにとってのリインと同じ扱いである。

 ちなみに執務官補の資格はあえて取っていない。執務官としてではなくフェイト個人の補佐であるというのがアルフの主張であるのと、単純にただでさえ少ない執務官の実務補佐ができるポストを使い魔の自分が占有するのは良くないと思ったからだ。

「そろそろ同棲でも始めるんじゃないかって書庫では噂だよ」
「あのユーノがそんなに積極的だったなんて……」

 ユーノは数少ない男友達であるが、フェイトの印象は人畜無害の一言に尽きる。いつも穏やかに微笑んでいて物知りで歴史やら考古学やらが大好き。無限書庫の司書長となってからは准将待遇となったこともあり、管理局内では非常にモテることは知ってはいたが、今まで浮いた話の一つもなかった。

 あまりに噂がないものだから一時期はクロノやら恭也とお付き合いをしているのではないかという下世話な噂まで流れもしたのだが、恭也がそれなりに遊んでいることは公然の秘密であるし、クロノはさっさと結婚してしまった。

 無限書庫も激務の職場であるし今は仕事が恋人なのだろうと皆も納得していた矢先にこの微笑ましいカップルは正式に成立した。大分年の差があるが、キャロの慕情はフェイトも昔から知る所である。初恋成就せりというのは保護者の一人としても女性としてもとても喜ばしいことだと思っていた。同時に友人が人間に変身できるフェレットではなかったことに安堵のため息を漏らす。

「保護者組としてはどうだい?」
「そこらのロクでもない男に引っかかったというなら今日にでも闇討ちに行くが、ユーノなら大丈夫だろう」
「同じ職場で働いてるならすれ違いとかもなさそうだしね」
「公私混同はしないようにするつもりですっ!」
「でもなるべくシフトは一緒にしておいた方が良いよ。一緒に暮らしてる人が寝てる時に帰ってきて起きた時にはもういないなんて寂しいもん」

 ね? とフェイトがじっとりとした視線を向けてくる。『恭也はこういうこと言ってくれなかったよね?』という無言の声が聞こえてくるようである。管理局員としての恭也は正直暇な部類に入るため、魔導士ランクも高く特に執務官になってからのフェイトとは時間が合わず直接顔も見ない日が何か月も続いたことが多々あった。

 知らせがないのは元気な証拠というか、恭也自身は孤独に強いタイプであるのでそこまで気にもしていなかったのだが、連絡さえよこさないと言うのはフェイトにとってはとても不満であったようで、話し合いの結果、どんなに忙しくても毎日必ずお互いの声を聴くということで落ち着いた。

 そういうものなのかと知ってからはなるべく誰とも連絡を取り合うようにしている恭也であるが、フェイトから言われなければ今もそのままだったと自覚しているので、フェイトの嫌味にも目を逸らすことしかできなかった。

 それに同調する声がリビングから続く。

「良いことを言うな、フェイト・テスタロッサ。どれだけ心が通じ合っていたとしても、共に時間を過ごすことには意義がある」

 のっそりとフリードを腕に抱いて現れたのは黒づくめの美女である。重そうな黒いローブに長い黒髪。肌の白さも相まってそれ以外の黒さがとにかく目立つ。女性にしても大分長身で恭也が僅かに見上げるほどだ。シグナムが童顔に見えるほどの鋭い風貌は大剣でも持っていればベルカで鬼にでも思われるのではないかという程の強面だ。

 真竜ヴォルテール。キャロの盟友であり割と新しい同居人の人間形態である。異空間に引きこもっている状態では魔法の行使がやりづらく、真竜の形態では無限書庫と言えども邪魔になるという理由で仕方なく行っていたものであるが、この方がフリードを愛でやすいと気づいてからは好んでこの形態で過ごしている。

 ユーノとの逢瀬の邪魔になるからという理由で無限書庫ではフリードを腕に抱いて仕事をしているそうだ。恭也がやってきたと気づいたフリードはあっさりとヴォルテールの腕を離れ恭也の頭の上に移動していく。フリードの背を追い、恨めしそうな視線を向けてくるヴォルテールに恭也は苦笑を返した。赤子のすることなのだそんなに目くじらは立てないでほしい。

「お前はどうだ? ヴォルテール。キャロの同棲には賛成か?」
「人の生は短い。身体ができあがっているのであれば番を選び子を産み育てるのに早すぎるということはなかろう」
「番とかそういう言い方はやめてよヴォルテール……」
「雄としては聊かひ弱な気がせんでもないが求愛行為に余念がないというのは良いと思う。毎日欠かさず書庫の陰で我が巫女に愛を囁いているのは見上げたものだ」
「やめてー……」
「そうは言うが我が巫女よ。雌雄共に暮らすのであれば目合い子を成すのは当然のことだ。フリードも妹ができれば良い姉となってくれると思う。私も全霊をかけて子育て支援をするから十人でも二十人でも好きなだけ産むが良い」
「その辺にしてやれヴォルテール」

 耳まで真っ赤になって蹲ってしまったキャロを見かねて恭也が助け舟を出す。恭也の真似をしてフリードまできゅくると鳴くと、ヴォルテールも言葉を止めた。ヴォルテールは肩を竦めると恭也の差し出した拳に自分のものを突き合わせる。生まれた場所も年齢も種族も性別も異なるが、割と意地悪という点で二人の性質は一致しており妙に気が合っていたのだ。

「宴の準備は既にできているぞ。行くぞ、我が巫女よ」

 回復したらしいキャロの腕を引くヴォルテールに先導される形で、恭也たちは漸くダイニングに入る。ヴィヴィオアリシア歓迎の飾りつけのされた部屋の中央にあるテーブルには、家人各々の得意な料理が並んでいる。全て手作り、というのがテスタロッサ家のこだわりである。

「おかえり、ヴィヴィオ、アリシア」
「リオおねーちゃん! ただいま!」

 女の子はお料理できなきゃだめ! という幼い頃からのキャロの強硬な主張により料理を覚えさせられたエリオであるが、普段はあまり腕を振るう機会がない。一人、あるいは人数が少ない時には食事に時間をかけないタイプのため、同僚などは彼女が凝った料理を作れるということを知らない人間も多い。

 その腕は自分以外に食べる人間がいる時にのみ発揮されると言って良い。言い出したキャロは別格の腕を誇っているが、大人組と比べても明らかに上手いのがエリオである。親友の言葉を守って研鑽だけは怠らなかったのが彼女だとすれば。

「シアおねえちゃん! ただいま!」

 イマイチ研鑽を積まなかったのがルーテシアだ。最初からそこそこ器用にできたせいで研鑽を積まなかったこともあり幼馴染の中では一人平凡な腕なのだが、それでもこういう機会があれば凝った料理をしっかりと完成させるのである。

 技術の習得に何度も失敗を重ねたエリオからすれば理不尽なことこの上ないが、何事にも向き不向きがあるものだと今では割り切っていた。

「さ、料理が冷めちまうからさっさといただこう」

 アルフの音頭で全員がテーブルにつく。テスタロッサ家は勢ぞろいすると人数が多いため、他の二家に比べるとテーブルが大きい。いつもは家長席ということで上座が恭也の席なのであるが、今日はヴィヴィオとアリシアが主役であるので、彼女らがそこに座る。

 後は各々思い思いの席に。フリードも食事中は行儀よく自分の席――足の長い背もたれのない椅子に立ち、テーブルの上の食事を一緒に食べる。狼形態のアルフやザフィーラ同様床で食事を取ることもあったのだが『人間の世界で暮らすのであれば人間の流儀は身に着けておくべき』というヴォルテールの提案が採用され、このような形で落ち着いた。

 もう少し成長すれば人化の術も使いこなせるようになるはずで、そうなったら頑張りますとキャロは今から息巻いている。

「ユーノと住む場所決まったのかい?」
「ここに住めたら良いねという話はしてるんですけど、こっちだとその私の年齢が……」
「こっちだと普通はまだ小学校に行ってる年齢だもんね」

 成人男性が血縁のない少女と一緒に住んでいるという事実だけを見れば事案である。その少女の方が妻ですと自称するなら猶更だ。

 その点管理世界は子供でも普通に就業しているケースも多いため、成人年齢の線引きも結婚に関する法律も地球に比べて非常に緩い。その分違反した時の罰則も重いのであるが、キャロたちのように本人同士に合意があり、保護者がそれを認めているのであれば、法律がそれを妨げるようなことはない。

 あくまで夫婦として過ごすのであれば地球ではなく管理世界でとなるのは当然の帰結だった。

「部屋はそのままにしておくからいつでも帰ってくると良いよ」
「リオくん……」

 長年のルームメイトの言葉にキャロはしんみりする。テスタロッサ家は4LDKの物件であり、恭也とリインの部屋、フェイトとアルフの部屋、エリオとキャロの部屋、ルーテシアの部屋という部屋割で最近まで使っていたのだが、メガーヌがこちらに部屋を借りるようになったのでルーテシアが引っ越して現在一部屋空いている。ヴィヴィオとアリシアはそこを二人で使う予定で、ゲボウサを含めて二人の荷物は既に運び込んである。

 ヴィヴィオ以外は仕事なので部屋に一人になる彼女を見越して、隣のハラオウンさんちからエイミィが来てくれることになっている。とは言えいつまでも昼間一人では情操教育にも良くない。ヴィヴィオの身の振り方がテスタロッサ家の喫緊の課題なのだった。

「ルーテシアさんは一人でお部屋を使ってたの?」
「ロッテと相部屋」
「噂の使い魔さんね。史上ほとんど例を見ない引継ぎされた使い魔さんに会うの楽しみにしてたんだけど今日はいないの?」
「一家の団欒を邪魔するほど無粋じゃないって」
「固い奴だよ猫のくせに」

 皮肉を言うアルフの口調も軽い。彼女とは特に八神家に肩入れしていた恭也と色々あったが十年近く過ごしていれば情も移るというものである。ルーテシアにとっては一番身近な存在であり話し相手であり、また姉のような存在でもあった。

 同時にルーテシアにとっての魔法の師匠でもある。教えたのは基礎理論のみで実践はほとんどなくデバイスもリーゼロッテが片手間に地球の部品で作った簡易的なものであるが、元の素養が高かったのか教え方が上手かったのか、こと器用さではエリオやキャロを上回っている節がある。

 当たり前のようにリーゼロッテと一緒にふよふよ浮かびながら読書をしているルーテシアを見た時にメガーヌは流石私の娘と感動したものだが、地球人としてこっちで暮らす意思が固く管理世界で就職するつもりが全くないことを知るとその場に崩れ落ちてしまった。今でも酒の席ではお前のせいだ的なことをぐちぐち言われるのはご愛敬というものだ。

「ヴィヴィオを私の後輩にしたいって話だけど、無理そう?」

 ルーテシアの言葉に恭也が渋面を作る。

「無理だな。すまないヴィヴィオ。進路は最大限お前の意思を尊重して決めるつもりだったんだが、当座行く学校は教会の意思に沿う形になりそうだ」
「パパが謝ることはないよ! シアお姉ちゃんも! どこの学校に行ってもシアお姉ちゃんはシアお姉ちゃんだもん!」
「ヴィヴィオ……」

 なんて良い娘なんだとルーテシアはひしとヴィヴィオを抱きしめる。同じ学校であれやこれやとお姉さん風を吹かせたかった思いはあるが、妹分にここまで言わせてしまったら引き下がらざるを得ない。良い妹分を持ったと感動しているルーテシアを横目に見ながら、アリシアが問う。

「教会から圧力でもあったの?」
「私はカリムとシャッハからことあるごとに……教会がヴィヴィオに入ってもらいたい学校が二人の母校なんだって」
「俺はこの間教皇庁に仕事で行った時に聖下に呼び出されてな。大聖堂で待っているというからおかしいとは思ったんだが、行った先には聖下他二百十五名の枢機卿が勢ぞろいだ」
「圧力にも程があると思うんだけど」

 枢機卿は全部で二百十五人と知っているアリシアは呆れ顔で苦笑を浮かべる。枢機卿は管理世界中に散っているから恭也にその話をするためだけに教皇が全員を招集したことになる。言葉の通り圧力をかけるにも程があるというものだが、それだけに教会の本気具合も伝わってくる。

「向こうもそう思ったらしい。今後大抵の頼みは聞き入れるから、今回ばかりはどうか折れてくれと聖下に頭まで下げられた」

 ここまですれば教会そのものの面子に関わることはアホでも解る。それを断ったら対外的にどういう風に対応しなければならないかというのも、一応大人であるから恭也も理解できる。右も左も解らない年若い少女の人生を大人が寄ってたかって決めつけるということは聖職者である彼らにとって不本意なことであるのだろうが、聖王教会という看板を掲げている手前彼らはヴィヴィオを繋ぎとめるために全力を尽くさねばならないのだ。

「だがそれも今回限りだ。次があれば俺が管理局とも教会とも関係を断って地球に引きこもるような人間だということは向こうも解っているだろうし、事実そうするつもりだ。教会がヴィヴィオの意思に反してあちらに取り込むような圧力をかけてくることは今後ないと思われる」
「こういうカードはもっと他の時に切った方が良いような気がするんだけど?」
「カードはもう切った、というのもあちらなりの誠意と言えなくもない。難しい話をしたがとにかくだ、ヴィヴィオ。行く学校を勝手に決めたという手前、それ以外はあちらも最大限配慮してくれるだろう。充実して学園生活を送って友達と仲良くしてなりたい大人になってくれ」
「パパ! 私、パパみたいなかっこいい剣士になりたい!」

 はい! と手をあげてほっぺにケチャップをつけたまま身を乗り出したヴィヴィオに、彼女以外は一様に苦笑を浮かべた。施設にいた頃からそういうことを言っているということは報告書にも書いてあったしその報告書は教会にも渡っている。

 この美少女の主張が今回の教会の行動にも繋がったのであるが、ヴィヴィオは当然そのことを知らない。

「棒振り以外にも楽しいことはあると思うよ?」
「ごめんなさい! 私、パパとかリオお姉ちゃん見たいなかっこいい人になりたい!」
「褒めてほしかった訳じゃないんだけどなー」

 エリオはこの年にして気遣いのできる妹分を頼もしく思いながら、本人に言えば断固否定するだろうが、否定しようがないくらいに相好を崩してヴィヴィオの頬のケチャップを拭いてあげる。

「んーと……教えるには流派を立ち上げないといけないんだっけ?」
「いけない訳ではなく人が集まる見込みがあるのであれば立ち上げた方が良いと方々から言われている」

 御神流をベースにした恭也と美由希の技術は、元の剣術とはほぼ別のものになりつつある。管理世界での戦闘に適応したその技術は、特に近接戦闘を主にするベルカ系の騎士には受けが良く、教えを請いたいという要請も引きを切らない。

 そのため大人数に本格的にとなると、税金やら資格やら面倒なことも絡んでくるためそれらの問題を一気に解決する方法として、流派の創設が提案されているのだ。

「そうなるかもしれないということで高町氏にも話を通しておいた。もはや別ものだから好きにするといいという言質ももらっているので、ヴィヴィオに教えるのも問題はない」
「やったー!」
「とは言えリオの言う棒振りを始めるのはもう少し先だ。美由希とも相談して基礎訓練のメニューを作ってくるから、そこから始めて行こう。剣の道は長く険しいぞ?」
「がんばります!」

 むんと拳を握るヴィヴィオにお姉さんたちから頑張れの声がかかる。

 そんな少女たちのやり取りを見ながら、恭也は頭の中で流派の創設を大分前倒しすることにした。

 開設のための実績は十分というか、既に教会と管理局から内定はもらっている。審査もあるが名ばかりのものだ。後必要なのは指導実績ということなので、元からの使い手と認識されている恭也と美由希以外に、一から戦闘技術を叩き込まれた人間が最低二人必要だ。

 元より恭也はチンクに、美由希はトーレに教えることで話がついているので、彼女らの技術習熟を待って流派の解説ということになる。元々筋の良い二人であるから形になるまでに一年を見ていたのだが、ヴィヴィオに姉弟子として紹介するなら早い方が良いだろう。

 戦闘機人が頑丈であることを考えれば期間を半年に縮めるのも問題なく思える。欲を言えば三か月。人間であれば間違いなく死ぬレベルの過酷な鍛錬となるが管理局相手に修羅場を潜った者たちだからまさか死にはしないだろう。

「他に興味のあることはない?」
「魔法も使いたい! きらきらしたバリアーでパパを守るの!」
「カイゼル・ファルベのことを言ってるのかな? あれはゆりかごがないといけないってマリエルたちが――」
「大丈夫よヴィヴィオ。ゆりかごの設計図くらい賢い私の頭にちゃんと入ってるから、あれをべースにしてヴィヴィオ専用のかっこかわいいデバイスを作ってあげるわ」
「アリィお姉ちゃんありがとう!」
「……アリシアあのね? ゆりかごに関しては私三か月くらい調査と聴取を頑張って、千ページくらいの報告書を提出したばっかりなんだよ。『製造またはコピーの見込みは限りなく薄いものである』って書いたんだけど」
「書き直しかもね? ちなみに現物からドクターとウーノが設計図を逆算したんだけど私が覚えてるのは現行の技術では再現できない部分だけだから全体で言うと一割くらいだと思うわ」
「それなら大丈夫……かな?」
「完全な設計図が欲しいならクアットロに聞くと良いわ。あの子なら設計図全部覚えるでしょうしコピーの二つや三つどこかに隠してると思う」
「世界はこんなはずじゃなかったってことばっかりだ……」

 施設での聴取は全て記録されている。そこに虚偽があれば改めて罰せられることになるがゆりかごは本体が完全に破壊されたこと、当事者のヴィヴィオに技術的な知識が皆無であり、主体となって行動していたのはスカリエッティとウーノであるとされていたので、施設収容者であるアリシアたちへの聴取はそこまで厳しいものでなかったと記憶している。

 アリシアもクアットロも白だと判断したのは当局だが、把握していたのが事実全てではないとなると関連資料の修正を余儀なくされる。執務官であるフェイトは聴取の責任者の一人であり、ゆりかごに関する調査報告を上げた人間の一人だ。

 設計図の記憶も設計図の存在もヴィヴィオのデバイスが表に出るならいずれ明るみになるだろう。問題として対処するなら早ければ早い方が良いのだが、三か月かけた千ページの仕事が無駄になるかもしれないという思いは、フェイトのあまり強くない心を挫こうとしていた。

 一人どんよりしているフェイトを他所に、今日この日をもって明確に姉になった少女たちはこの後誰がヴィヴィオをお風呂に入れるかで揉めに揉めていた。