「はい朝礼始めるよー」
旧機動六課施設。正式名称まで未定の中にある特共研ミッドチルダ支部にて。特共研の代表であるリスティ・C・クロフォードは居並んだ部下たちを見回した。
好き勝手に研究するのが流儀であるため時空管理局の中でも自由な勤務体制をしている特共研であるが、この時だけは本局ないし地上施設で仕事をする全ての職員が手を止めてリスティの声に耳を傾ける。誰もが研究に集中するあまり連絡の不行き届きが多発し過ぎて後援してくれている提督にそれでも社会人かとガミガミ怒られたからである。
「皆も知ってると思うけど今日から新しいメンバーが加わる。クアットロとアリシアが僕付き、トーレ、チンク、セッテが恭也たちブレイド分隊の受け持ちだ。この中でセッテは管理外世界での研修がほぼ内定している。本部からのゴーサインが出次第離脱することになっているからそのつもりでいてくれ」
『研修って何するのー?』
「メイドです」
『リスティ、私もメイドさんほしい!』
「うちの施設は関係者以外立ち入り禁止だ。どうしてもというなら自分たちでメイドになるんだね」
『いいねそれ!』
皮肉で言ったつもりのリスティの言葉に誰かの好意的な言葉が重なるとアッと言う間に有志によるメイド服出勤が決まってしまった。いかに研究のための時間を捻出するかに腐心する研究者たちだけあって、研究に関係のないことを決めるのはとにかく早い。
当初の目的であったろうご奉仕は完全にスルーしてメイド服による勤務に着地したのは良いことなのか悪いことなのか。リスティは最近癖になりつつある深いため息を吐く。彼女自身も自由な研究者の一人ではあるが、同時に管理職でもあった。管理職には管理職の苦労があるのだ。自由なばかりではいられないのである。
「研究班に入ることになるクアットロとアリシアだけど、うちは何を研究するのも自由だ」
「非合法なものでもですかぁ?」
「それなりの建前が必要でアプローチも限定的になるけど、可能か不可能かで言えば可能だね。その代わり何を研究しているかは公にしてもらうし、公にしない研究はしてはいけない……ことになってる」
持って回った言い方をするリスティに突っ込みを入れるほどクアットロもアリシアも野暮ではなかった。他ではできないような研究ができるという触れ込みの部署なのだから、そうではなくてはと心の底から思う。
やりたい研究をやりたくて管理局の他のセクションから、あるいは民間の研究所から叩き出された研究者にとってここは最後の砦である。公になっていない研究など掃いて捨てる程あるし、たった今注意したリスティにも研究者ではない恭也が知っているだけで秘密の研究が三つもあった。
「とりあえず決まってる研究テーマがあるなら聞いておくよ?」
「私はデバイスね。既存技術のダウンサイジングと高効率化」
『やったーっ!!』
主にデバイスの研究をしているアイリーン・ノアが手放しで喜ぶ。好き放題研究がしたいという人間でも話し相手くらいは欲しいのだ。基本的に特共研にはある程度経歴のある人間しか来ないので年少の同僚はそれだけで先輩方の癒しなのである。大喜びな先輩に気を良くした目立ちたがり構われたがりのアリシアは、早速懐柔を開始する。
「アイリーンお姉さん、こちらお近づきの印にどうぞ」
当たり前のように秘匿回線を使って昨日のうちにクアットロと記憶をすり合わせて書き起こした例の設計図を送り付ける。中々の大容量に困惑したアイリーンだったが即時解凍し、中身を見るとかっと目を見開き無言で通信を切った。
「……朝礼くらいは最後まで聞いてほしいもんだけどね。何渡したんだい?」
「明日には皆に共有します」
「頼んだよ。クアットロの方は?」
「私は義肢の研究ですね。純粋な人間の戦闘機人化を目標にあれこれと」
『わーい!』
建前上は出向という形になっているが既に居座るつもりでいる『人と機械の融合』をテーマに研究しているコトリ・クラウゼが喜びの声をあげた。JS事件が起こってからこっち彼の研究が表にも裏にも流出して魔法科学界は空前の大騒ぎとなっている。
特にAMFを始めとした対魔術師系の研究とコトリの属するデバイス以外の機械関係は技術流出で研究が二十年は進んだと研究者たちが一心不乱に研究を進めている最中だ。これで多くの人を救えると思うと身の引き締まる思いであるが、正直身体がいくつあっても足りない。
コトリもクアットロの経歴に思うところはあったが、優秀で体力ありそうで二徹くらいは軽くこなしてくれそうな同僚の登場に文句などあるはずもなかった。頭の中でデスマーチが鳴り響いている状況では倫理などは軽く吹き飛ぶのである。
対するクアットロの方も合法的な組織に所属するには聊か不安はあった。どんな環境でもそれなりにやっていける図太さはあると自負しているが、どうせいなければならないなら過ごしやすい環境の方が良いに決まっている。
世のため人のためな良い子ちゃんばかりであればやるにしても反吐が出る気持ちで一杯だったろうが、モニター越しに見た科学者たちの目はどいつもこいつもイカれていた。スカリエッティとの違いは日の当たる所で倫理にしがみついているということくらいで、皆々科学に魂を売り渡しているのが見て取れた。
これから親しくするであろうコトリも軽く言葉をやり取りしただけで科学に対する狂気じみた執念を感じることができた。ともすれば小学生に見えるような容姿の人間が機関銃のように語りたいことを強引に理性で推しとどめているような高揚感を伴う焦燥感。何度も深い隈の刻まれたであろう目元はどんな化粧よりも美しい。
目を閉じ小さくため息を漏らした。何のことはない。自分程度の狂気などその辺に転がっているものなのだ。世界は自分が愛するに足るものだと思えると、ここでの暮らしも悪いものではないように思えた。
「お嬢様に倣って私もプレゼントを。こちらをどうぞ、コトリさん」
アリシアに同じく秘匿回線を使ってコトリに送り付けたのは、JS事件の際、スカリエッティが最後にウーノに施したアップデートの中身である。ウーノの身体構成とできる範囲で収集したパーソナルデータは、スバルたちを元に開発されたスカリエッティ系戦闘機人の最新モデルである。
戦闘機人の多くは管理局に回収されそのデータも収集された。最後期にロールアウトされたノーヴェやセッテは確かに最先端の技術を積み重ねているが、そのデータを更にフィードバックして強化されたウーノこそが、技術の最先端を行っていたのは疑いがない。
戦闘の際に売りとなる技術がないだけで並みの魔導士など歯牙にもかけない程の戦闘力と高度な電子戦を両立したウーノは、何かあった時の保険でもあったのだろう。アジトを引き払う際に撤退するウーノはサーバの中身を抹消していたようだが、それ以前にクアットロが持ち出しゆりかごの中で隠していたものまで消すことはできなかった。聖王のゆりかごの設計図と並んで、このデータはクアットロ達の秘密データの目玉の一つである。
データを解凍して中身を見たコトリはぴ、と短い悲鳴をあげて目を見開くと、拳を叩きつけるようにして通信を切った。リスティの深々とため息を吐くと恭也たちに向き直る。部下の奇行などいつものことだ。これくらいで弱音を吐くようなら曲者たちの上司など務まらないのである。
「トーレ、チンク、セッテの処遇については恭也・テスタロッサ准海尉に一任する。現状、部に共有する方針があるなら聞いておきたい」
「流派の開設と何なら弟子を取ってほしいと主に聖王教会からせっつかれていましたので、トーレと姉上を叩き台にしようと思っています」
ふむ、とリスティは頷く。姉上発言については激しい突っ込みがあるものと身構えていたのだが不気味なほどにあっさりと受け入れられた。身内からの方が反発があったくらいである。何故かと試しにリスティに問うてみれば彼女は何を今さらという顔をしてあっさり言った。
『君が特殊な事情を抱えた小さい女の子に異常に情熱を燃やす男だってことは皆理解してるよ』
変にからかわれるよりはマシなのだろうがド変態だと思われているようで心外だった。少しは同調してくれるかと一番尖った反応をしてくれそうなエリオにその話をしてみた所、彼女は過呼吸寸前まで腹を抱えて笑い転げた。他の関係者もエリオ程ではないにしても大ウケである。甚だ不本意だと思っているのは自分だけのようだと気づいた時点で、恭也はもう気にせず堂々とすることにした。気にした素振りが弄られる元だと流石に理解できたからだ。
「二人とも元が良いですから一年もあれば形になるでしょう。その上で俺と美由希と四人で他の人間に教えることになるかと。差し当たっては教会から人員を受け入れる形になるかと思いますので、そのように調整していきます」
「その手のことについては君ら以外門外漢ばかりだから、全権限を君に与える。教会との友好の懸け橋だ。是非実現させてくれ」
「了解」
「さて。彼女らについてはこんな所かな? 特に質問はないようだからこれで朝礼を終了する。皆研究にとりかかってくれ」
リスティの号令を合図に一斉に通信が切れる。静かになった会議室にリスティは疲れた様子で大きく伸びをした。
「思っていた以上に素敵な職場で安心したわ、リスティお姉さん」
「僕も君らが馴染んでくれそうで嬉しいよ。お嬢さんたちは自分の部屋の鍵は?」
アリシアを筆頭に、今日からここで働くことになる全員がカードキーを掲げた。旧機動六課施設を使用しているため、宿舎もまた同様の機能を果たしている。二人部屋であることを受け入れられるのであれば家賃光熱費全てタダという破格の条件である宿舎は独身世代には大人気だ。
部屋割はアリシアとクアットロ、チンクとトーレ。一人で部屋を使っていたすずかの所にセッテが入ることになった。もっとも、アリシア基本海鳴に戻るつもりでいるのでクアットロは事実上の一人部屋で、すずかもセッテの実家での研修が既に決まっているので二人でいるのも少しの間だ。
「よろしい。恭也から聞いてるかもしれないけど、クラナガンの中央区に社宅としてマンション1フロア借り切ってる。全部で八部屋あるけど三部屋は僕とエレンとアムリタで使用中だ。残り五部屋を使いたい時は専用の予約フォームを作ってあるから空きを確認してから使うようにね。
誰かが男連れ込んでる時にバッティングすると凄く気まずいから。それじゃあ、アリシアとクアットロは僕についておいで。ラボについて説明がある」
「はーい。お兄さん、またね」
「お元気でー」
ひらひらと楽しそうに手を振る二人を見送ってから、恭也は残りの面々に向き直った。早朝訓練をした後に皆シャワーを浴びてきているので、妙にこざっぱりしている。
「さて引き受けた当日で悪いんだが、俺はこれから出張に行かねばならない。予定ではすぐに戻ってくることになっているが、先方の都合がよく解らんので正確な所は解らない。とにかく留守中のことは美由希が差配することになっているので、美由希の指示に従ってくれ」
「出張、という言葉の割には雰囲気が物々しいが、戦いにでも行くのか? 手が必要なのであれば姉は手助けする用意があるぞ」
「こういうのは男の仕事と心得ております。弟の顔を立てると思って行かせてください」
「……行先は?」
「領域外世界です」
時空管理局の定義する所によれば、世界は三つに区分される。管理局の支配が及び共通の法が敷かれている管理世界。その法の埒外にあるが、同時に不可分と不可侵の原則が適用される管理外世界。残りの一つがそれ以外――なのではなく、最初にそれ以外があり残った部分を二つに分けたという順序の方が正しい。
絶対存在によって支配される治外法権、原則的な不干渉地域。好き放題やっていた旧最高評議会の面々でさえ、この領域については存在しないものとして扱っていた。
「そんな存在に顔が効くというのも中々素晴らしいことですね」
『年寄り持ち上げても何もでないよ』
ほほほ、とミゼットは上品に笑う。品のようおばあちゃんという風であるが激動の時代を提督として生き抜いた管理局の古強者である。この老婆の前では管理局の裏の支配者とまで言われるレティ・ロウランが借りてきた猫のように大人しくなるのだから年の功とは侮れない。
「否やはないのでここまで来ましたが訪いを入れるにしても俺は先方と何を話せばよろしいので?」
『私だって特別何も話した訳じゃないよ。挨拶して適当に話しかけて聞かれたことに答えて終わりさ』
「それで意味はあるのですか?」
『人間以外の真竜みたいな連中はあの大仙狐様のことが大層怖いみたいでね。私らが定期的に挨拶してるってのが抑止力になるんだよ』
「仲良くなれたら人外の勢力と強力な協力ができるかもしれませんね」
『そしたらボーナス弾んでやるよ。階級でも戦艦でも何でも持っていきな』
(これはフラグというやつなのではありません?)
(言質が取れたことをプラスと考えるとするか)
プレシアとの念話はおくびにも出さない。貧乏くじを引かされたのだ。これくらいのご褒美を期待するくらいはあっても良いだろう。
恭也はミゼットとの会話を適当に切り上げ眼下に広がる惑星を眺めた。約十万人が生活するミッドチルダ型惑星。地球やミッドチルダは青い星などと言われるがこちらは緑や茶色の方が多いように思う。陸地六、海が四くらいだろう。データ上では地球と同じくらいの大きさらしいがその星に十万人だ。
さぞ広々とした生活をしているのだろうと思えば、その十万のほとんどは大仙狐様の住処周辺に住んでいるため、星のほとんどが前人未踏の領域である。生物学的には垂涎の土地であるが契約上惑星外の人間の立ち入りは原則的に許されていない。
例外はこの惑星から外に出た人間の子孫及びその配偶者とミゼット・クローベル本人もしくはその指名を受けた者、更にそれを受け継いだ者のみである。
管理世界文明とは無縁の生活をしており、それらしい技術は都市部外苑にある転送ポートと通信用のデバイスのみだ。艦艇の着陸など当然許可されていないので、契約上の領土のぎりぎり外である衛星軌道の手前で待機している。ここから転送されて星に降りるという訳だ。
「そろそろ降下時間だ。準備は良いか?」
「万全だ。悪いな提督。忙しいのに手間をかけた」
「閣下の人選的に、僕か君の二択だったからな。手間をかけさせたのはこちらの方だ」
提督閣下――クロノ・ハラオウンは腰に手を当ててため息を吐く。結婚し子供も生まれ出世頭と世間に騒がれる程に出世もしたが、同時に苦労も背負い込むことになった。身長の伸び甲高かった声も男らしく渋くなった分、悲哀が余計に滲み出ているように思う。重責と激務の中にあってもそれを表に全く出さないユーノやリンディなどとは対照的だ。
「できれば話を広げてくれるなよ」
「それは無理な相談だな。正直下の星について資料をもらった時かわ悪い予感しかしない」
「勘弁してくれ……」
そんな声と共にクロノはしかめっ面を浮かべる。最近の彼の癖だが、そんな顔をしていると気づいたクロノはぐにぐにと自分の顔を揉みだした。顔が怖いと子供に泣かれたのは先月のことである。家庭にまで仕事を持ち込むなと母と妻に注意された所思わず、
(僕の母は家庭に仕事を持ち込んでこんな顔をしていましたけどね)
と口答えした所、結託した嫁と母に有無を言わせずマンションの外に放り出されて鍵を閉められてしまった。たまたまそのタイミングで帰宅した恭也は、扉の前で部屋着のまま途方に暮れている友人の姿を見て事情を察した。
クロノ、飲みに行こう。
他人を酒席にここまで自然に誘えたのは生まれて初めてのことかもしれない。
「友人として局員の一人として協力は惜しまないとも」
「良い話風にして僕に主体を押し付けるなよ。それは僕の役目だ」
しかめっ面を努力して普通の顔に戻したクロノが拳を差し出してくる。その拳に軽く拳を合わせた恭也は、ふと小さく笑みを浮かべた。十年来の友人の示す不器用な友情に心中で感謝しつつ管理局式の敬礼をする。
「行ってくる」
「気を付けて」
僅かな浮遊感の後、景色が一変した。SFの世界からファンタジーへ。石造りの如何にも神殿といった風の中央に設えられた転送ポートの前に、恭也にとっては懐かしい装いをした女性が立っていた。
「時空管理局の方で相違ないでしょうか」
「はい。時空管理局よりミゼット・クローベルの名代として参りました恭也・テスタロッサと申します」
「ご丁寧に。私はサラーラ。当代のカンザキです」
「大仙狐様にお仕えする巫女のようなお役目の聞いています」
「その通りです。大仙狐様より案内を仰せつかっております。私に続いてどうぞ」
サラーラは恭也の返事を待たずに歩き出す。控え目に行っても歓迎はされていない事務的な対応は、この星の閉鎖環境を考えれば当然のことだった。
神殿っぽいターミナルから外に出ると想像通りの光景が広がっていた。向かって左手には外壁に囲まれた中世都市が一つ。整備された石畳がターミナルの前まで通っており、その石畳が右手側に続いている。その先には大きな山があった。事前情報ではここが大仙狐様の住まう山であるという。
その山に向かって歩くサラーラに恭也も黙って従う。石畳は山の手前まで続き、そこから先には石段が続いていた。自然そのままというのを想像していたがきちんと人の手は入っている。この辺りは大仙狐様ではなく人間の都合が優先されていた。多くの人間に長いこと祭られるような存在である。お高く留まっているのかと思えばそうでもない。まだそれなりに人間に愛着が残っているのだろう。
何歩か先を行くサラーラの服装を見やる。細部のデザインは変わっているがかつてこれを着用していた人々は式服と呼んでいた。巫女やら神主やらああいう服装を動きやすいように改造したもので、記憶の中の退魔師たちはこれを着て刀を振り回し光を放っていた。
かつては特別感のあったそれも、管理世界に来てからは物珍しさもない。恭也の周辺では武器を振り回さず空を飛ばずビームも出さない人間は少数派だ。この星に外敵が現れるはずもなく大仙狐様と戦うということもなかろう。巫女の役目を果たす人間に動きやすさというものは必要ないように思うが、それは作った者の趣味か逆にこだわりのなさか。
物思いに耽りながら山道を行き、辿り着いたのは注連縄っぽい縄の張られた洞窟である。石畳はその入口までだ。整備されていたとは言え山道を登ったと思えば、今度は薄暗い洞窟の中を下っていく。
ターミナルを出た時点で感じていた空気の美味さは山道では更に清涼となったのだが、洞窟に入ってからは一転、静謐なものへと変化していた。入口の縄とこの気配。どんなに鈍感な人間にもこの先に何か強大な存在がいると空気が教えている。
魔力があり感性の鋭い人間からすると間断なく無形の圧力をかけられているようなものだろう。毎日街からここに通っていると思しきサラーラも、緊張の面持ちで額に汗をかいていた。カンザキとは激務なのだなと他人事のように考えていると、恭也たちの足は目的地を踏みしめていた。
薄暗い洞窟の先は、大空洞だった。見上げる程に広い空洞の天井には穴があり、そこから僅かに光が差し込んでいる。その光に照らされるのは、やはり見上げる程に大きい獣だった。人の視界には収まりきらぬ程のそれは新たに眼前に現れた恭也をみてぐる、と小さく唸り声をあげる。小さくといってもそれは大きな狐にとっての話で人間の身からするとそれは身体の芯を揺さぶる程の重低音だ。現に恭也は身じろぎする程度で済んでいたが、隣に控えていたサラーラは耐えかね二歩三歩後退していた。
「管理局の者か。いつもの小娘はどうした?」
「そろそろ年だとのことで代理で参りました。恭也・テスタロッサと申します」
「ほう。恭也か……」
身じろぎした大仙狐が顔を近づけてくる。むせ返るような獣の匂いが鼻孔を満たしたが不思議と不快感はなかった。赤い二つの瞳がぎょろりと見つめてくる。普通の人間ならば恐怖で動けなくなるのだろう。事実、今まで出会った誰とも比較するのも烏滸がましいほどの巨大な魔力は人間の身が如何に小さいものであるかを思い知らせてくる。
サラーラは我関せずを決め込んだのかその場で平服して地に視線を落としていた。大仙狐の魔力の圧にガタガタと震えている。
「なんぞ、儂にいうことがあるのではないか?」
「そうだな……」
何と言うべきか。言葉はいくつも恭也の脳裏を巡ったが、結局口から出てきたのはシンプルな言葉だった。
「大きくなったな。見違えたぞ久遠」
瞬間、大仙狐は天を見上げ雄たけびをあげた。びりびりと、先ほどの唸り声とは比較にならない程の振動が大気を震わせる。兵器もかくやという威力に、地に伏せていたはずのサラーサもひっくり返ってごろごろと壁の方まで転がされている。
一頻り吠えて満足したらしい大仙狐は、再び恭也に顔を近づけると大きな口の端を広げて笑みを浮かべた。にやりとさえ表現できないまさに怪獣の笑みだ。
「よかった、よかった。解らないようなら食い殺していたところだ」
「顔が怖いから昔みたいに小さくなれるか」
「少し待て」
言って、大仙狐は口からぺいと毛玉を吐き出した。毛玉――一抱え程の大きさの狐は身震いをすると、恭也の手前までとてとて歩き、首を傾げる。
「これくらい?」
声もおどろおどろしい巨大な狐に比べれば随分と愛らしくなっていた。恭也の記憶にある久遠よりは幾分低く身体も大きいように思えたが、こちらにきてたった十年程の自分と比べて久遠の過ごした年月はおそらく比較にならない。もう少し小さくというのは野暮だろう。
「俺にはこれくらいでちょうどいい。俺と並んだ時のことを考えてくれるとは大人になったな」
「久遠、おっとなー」
ころころ笑ったと思うと、久遠は急に伏せの状態になった。
「……儂はこんなにこんなこっぱずかしいキャラだったか?」
「まさしく童心に帰るというやつだろう。たまにはそういうのも良いんじゃないか」
「そういう恭也は、そういうやつだったねー?」
狐のまま胡乱な目つきになった久遠は、するりと歩いて恭也の足にすり寄った。こっぱずかしいキャラはなるようになれと開き直ったらしい。狐を吐き出した方の久遠である大仙狐の方は丸くなって寝入っているように見える。
「あっちを放って外に出るのはまずくないのか?」
「大仙狐様は大変自由な方であられますので、お散歩に出られることなどしばしばでございます」
「カンザキとしては、それはよろしいので?」
「玉体がこちらにあるのなら特には。御座が移るということもありましょうが、その時は私どもも移るだけの話ですので」
「お強くあられる」
「それが我々の生きる理由でございます」
澄ました顔でサラーラは答える。ここにあるのが当然。ここにいるのが当然。生き様に疑いを持たないというのは外で生まれた恭也からすれば手放しには褒められない者であるが、人生を賭けて信ずるものがあるというのは貴いことであると思う。
とっつきにくい所があるのにしても職務には誠実。どの道次も自分が来ることになる可能性が高いのだ。カンザキが交代するにしても、サラーラより付き合い易い人間がなるとは限らないのだから、今のカンザキであるサラーラとは仲良くしておきたい。
「久遠、もう一人増えろ」
「くぅん」
ぺい、と今度は幾分小さい久遠が吐き出される。ぱたぱた身じろぎした小さい方の久遠をサラーサに差し出した恭也は、朗らかに微笑んでみせた。
「サラーラ殿、我々は良き友人になれると思いませんか?」
「……此度の使者殿は大変紳士的かつ友好的であったと長老たちに宣伝しておきます」
恭也の意図を察したサラーラは小さい方の久遠を受け取るとしかと抱きしめる。身体が複数あるという感覚は理解が及ばないものの、どうも意思は統一されているらしい小さい方の久遠は恭也の意図を汲んでサラーラに甘えだす。
顔を押し付けてみたり頬を舐めてみたり。努めて表情を出さないようにしていたところから一転。至福の表情で小さい久遠と戯れるサラーラに、恭也は更に追い打ちをかけた。
「私が年に一回は来るように致します。何かお望みのものがあれば何なりと」
「カンザキの座にはしがみつきます。甘いお菓子がほしいです」
サラーラと力強い握手を交わす。顔見せ以外にすることがなかった恭也はサラーラと他愛のない世間話とこういうお菓子がほしいというリクエストを聞くだけ聞いてターミナルに戻った。小さい久遠を抱えにこにこ手を振るサラーラに見送られながら、足元の大きい方の久遠を見る。
「どうかした?」
「いや、提督閣下に何をお願いしたものかと思ってな。俺は戦艦も階級もいらないのだ」
「あぶらあげー、たくさん!」
「皆で稲荷寿司でも作るか。これからしばらく時間はある。今までのことも、これからのこともゆっくり話そう」
「くぅんっ!!」