『友でない何かとして』

















 傷だらけの背中を、冷たい汗が流れる。倒すべき敵を前にして、動くことができない。
息をすることすら躊躇われるような重苦しい沈黙の中、恭也は二刀を構えたままそれと

峙していた。

 相対するのは、白い少女である。身の丈はある太刀を無造作に構え、しかしその姿に
は違和感というものが存在しなかった。アルビノのような白髪は一番下の妹に言われて
からポニーテールに結われているが、少女然としたその身から発せられる雰囲気は武人
のそれである。

 始めた時には興味本位で観戦していた妹分達は、この雰囲気に耐えかねて皆退出して
いる。今この場――高町家道場にいるのは、向かい合う二人ともう一人だけ。その女性
も、この場で音を発するような愚を犯さず、ただ静かに二人を見つめていた。


「なあ、恭也」

 沈黙だけを共として過ぎていく時間の中、先に口を開いたのは白い少女の方だった。

「……我らがこれを始めてどれくらいになる?」
「さあ、もう一時間は過ぎたと思うが……」
「確かこの後、皆で出かける予定があったと思うのだが……」

 ちなみにここで言う皆というのは高町家全員のことではなく、自分――高町恭也と白
い少女。そしてこの遣り取りを見守っている女性の三人である。

「そうだな。だが、始めてしまった手前、中途半端にやめる訳にもいくまい」
「ならば恭也から構えを解いたらどうだ? そうすればこの馬鹿馬鹿しい睨みあいも終
わるぞ?」
「いや。それはお前の役目だ。何しろ俺の方が未熟なのだからな。たまには勝ちを譲っ
てくれてもいいだろう?」

 元々がただの訓練である。そんなものに勝ちも何もないのだが、恭也が態々その言葉
を用いたことで、少女の形のいい眉が寄せられた。

「未熟という自覚があるのなら、目上を立てるべきではないのか?」
「目上ならば、下を慮るべきだ」

 主張としてはどっちもどっちだが、どちらにも相手に譲るという考えは欠片もない。
確かにお互いにとって相手は敬うでべき相手ではあるのだが、それ以前にライバルなの
だ。いくら事情があると言っても、わざと負けてやるなんてことができるはずもない。

「負けろ」
「ふざけるな」
「我に勝てると思っているのか?」
「わざと負ける理由にはならん」
「……試してみるか?」
「こういう形の勝負をしようと言い出したのはお前だぞ?」
「むぅ……」
「だから、責任を取ってお前から剣を引け」
「言い出しと勝負の結果は無関係だ。終わらせたいのなら、お前が――」

 揚げ足の取り合いは終わりを見せない。普段は不必要なまでに落ち着いた二人である
のに、こうして睨みあいを続ける姿は、まるで子供のようだ。二人を知る人間なら苦笑
しつつもその珍しい光景を見守るのだろうが、今回は聊か勝手が違った。

「二人とも……ちょっといいですか?」

 穏やかな、ともすれば聞き逃してしまいそうな控えめな声が、しかし、道場に響いた。
言い争いをしていた二人はぴたりと口論を止め、その声の主を見やる。

「今日は、三人でお買い物に出かけよう……そう言ったはずなんですけど?」

 今まで二人の言い争いを黙って見守っていた、二人にとって何よりも大切な存在であ
る女性が、微笑みを絶やさぬままに言葉を続ける。

「私はもうず〜っとここで待ってるんです。前から楽しみにしてたから、氷那もなのは
ちゃんにあずけて、準備も昨日からしてたのに……」

 女性はまだ笑顔だ。しかし二人は、誰もが美しいと形容するであろうその笑顔の裏に、
二人は底冷えのする何かを感じ取っていた。

『今逆らったら……殺られる』

 年齢にも容姿にも性別にも、見事に共通項のない二人の剣士の、これが共通の見解だ
った。


『すみません(すまない)』

 二人はあっさりと得物を鞘に納め膝をつき、その場に畏まった。その忠犬のような態
度に、女性は喜ぶでもなく、深いため息をつく。

「言われてやめられるんだったら、最初から喧嘩しなくてもいいのに……」
「しかしな、雪。お前の言だから聞いたが、恭也は我にとって弟子のようなもの。それ
に負けたとあっては、我の沽券に関わるのだ」
「そういうことは、私との約束がないときにして。恭也さんも、私と出かけるのがそん
なに嫌なんですか?」
「いえ……決してそのような……」

 板についた無表情に狼狽のスパイスを加え、恭也は目を泳がせる。白い少女――名前
をざからと言う――も、自信の塊のような彼女にしては珍しく、女性と視線を合わせよ
うとしなかった。

「二人共、反省してる?」
『はい……』
「じゃあ、ざからはシャワーを浴びて着替えてください。恭也さんはその後にシャワー
を浴びて、超特急で着替えてくださいね?」
「かしこまりました」

 平伏して答える恭也。そして、顔を上げた時には、女性――雪は、ざからを連れて母
屋の方に消えていた。

 普段は物静かなのだが、長年自由を得られなかったせいかこういう時の行動力は凄ま
じいものがある。封建の時代の女性は奥ゆかしいと聞いた記憶があるが……伝聞のとい
うモノの嘘に直面する瞬間である。

 いずれにしても、動かないことには始まらない。これ以上雪の機嫌を損ねてはたまら
ないと、恭也は手早く荷物を纏めて彼女らの後を追った。





















「なあ、この歩きにくい服はどうにかならんのか?」

 その言葉に嘘はないのだろう。自分の足元を見ながら歩くざからは、心底迷惑そうな
表情を浮かべている。

 歩きながら弄っているのは美由希から借りたスカートなのであるが、人生の目的が今
のところ『戦う』ことにしかないざからには、それがお気に召さないらしい。男女を問
わず、行きかう人間の大半が彼女を――より正確には彼女達三人を振り返って見るが、
その視線の意味するところに今の彼女は気付くはずもなく、ぶちぶちと文句を漏らすば
かりである。

「別に常から着ている服でもいいであろう? それなのに何故こんな非効率的な……」
「今時あんな服を着てたら目立つでしょう?」
「……そうなのか?」
「そうなの。だから、我慢してね」

 別にそこらの有象無象の目に付いたところで気にするざからではないが、不用意に目
立つことは、世話になっている高町の家を巻き込むことになりかねない。何かと騒がし
い家ではあるが、ざからはざからなりにあの家が気に入っている。彼らに……ひいては、
恭也や雪に迷惑がかかるというのならば、このやたらに動きぬくい服も我慢せねばなら
ないだろう。

 ため息と共にすっぱりと足元を気にするのを止め、ざからは顔をあげた。

「それにしても、お前に『今時』を語られるとは心外だぞ、雪。お前の知識は我と同じ
程度ではないのか」
「毎日戦ってばかりの貴女と違って、私はちゃんと勉強してますから。恭也さんと一緒
にいられるよう、ずっと努力しているんですよ」

 『ね?』と邪気のない笑顔を向けられるが、それに返せる言葉があるはずもなく、恭
也はただ赤くなってうめくばかりである。

「どんなものであれ、努力を重ねるのは良いことだ。我を巻き込まずに、これからも精
進するといい。それよりも、我らはこれから何処に行くのだ?」

 話を振られ、雪は頬に指を当てて考え、

「お買い物……ですよ。桃子さんに頼まれた物と、それから私達の身の回りの物……そ
んなところですね」
「ふむ……すると、我と恭也は荷物を持てばいいのか?」
「いや、荷物を持つのは俺だけだ」

 恭也にすればそれは当たり前の理屈だったのだが、ざからはそう思わなかったようで、
先程の服装に関する時と同じような――いや、それ以上の不満を込めた視線を投げてく
る。

「負担は仲間で分けて背負うものだ。恭也一人にだけそんなことをさせる訳にはいかん」
「そう言ってもらえるのはありがたいが、これは俺の……男の仕事のようなんだよ」
「我ら相手に見栄を張っても意味はないぞ? そんなもので誤魔化されるほど、我らと
汝の関係は薄くはないつもりだが……違うのか?」

 無駄を嫌うざからの言葉は常に直球である。それだけに、その言葉はなによりもずっ
しりと恭也の胸に突き刺さるが、ここで引き下がるようなら、最初から反論をしたりな
どしない。

「違わない。俺もざからや雪さんのことは大切に思っている。だが、これは決まってい
ることだ。男には、女を守る役目がある。これは俺の……信念のようなものなんだ」

 世間に問えば、時代錯誤と言われるだろう。だが、誰になんと言われようとこの持論
を曲げるつもりは、恭也にはなかった。剣士として男として生きていく上で、それは譲
れない部分なのだ。普段は女性に負けてばかりであるが、こういう時の恭也は非常に頑
固である。何度も刀を交えたざからには、恭也のそれを何とかするのがどれほど困難な
ことか、嫌というほど分かっていた。

「解かった。我は荷物は持たん。お前が一人で持て」
「ありがとうな、ざから」
「だが、辛くなったのならば言え。我はお前のことを無碍にしたりはせんからな」

 面と向かって礼を言われたのが照れくさいのだろう。そっぽを向いたざからは、それ
きり口を開こうとはしなかった。






















「やはり持った方がよいか?」
「……気持ちだけ受け取っておく」

 まるで漫画のように積み上げられた荷物を持ちながら、陰鬱に、それでも健気に答え
る恭也の背中はどこかすすけて見えた。まあ、男女一緒の買い物においての男の立場な
どこんなものだ。

 少し前を歩く雪の背には、恭也に荷物を持たせている気負いは感じられない。いや、
むしろクリスマスのプレゼントを待つ子供のように、気持ちが高ぶっているようにすら
感じられる。普段は人をたて、和を重んじる彼女にすればそれは少々子供っぽい仕草で
あったが、彼女がそういうことをするのも自分達の前だけなのだ。信頼の証明とでも思
えば、この程度の荷物の重さなど大したこともない。

「それにしても、桃子殿に頼まれたにしては随分な大荷物であるな。めもとやらに書い
ておらなんだ物も買っておったようだ。余分な物は全て汝の私物なのか?」
「あら、全部が私物って訳じゃないですよ。今日買った物の中には、ざからのお洋服だ
って入ってるんですから」
「服だと? 我はそんなものを頼んだ覚えはないぞ? 新しいものを買う必要など、ど
こにもないではないか」
「女の子はみんな着飾るものなの……って桃子さんが言ってたんですよ。私はある程度
の服だったら自分で作れますけど、ざからはそうもいかないでしょう?」
「確かに我には雪のような能力はないが……」

 着飾るという行為が無駄に思えてならないのだろう、ざからは難しい顔をして雪を見
返す。だが、雪の言を思い返せば、今日の買い物は桃子の案となる。ということは、目
の前の女が服を買ったのも、彼女の意思に寄るものなのだろう。

 彼女は高町の家長である。世話になっている恩もあるし、この身のお洒落とやらが桃
子の意思なのであれば、従わぬ訳にもいくまい。

「分かった。家に帰ったら、買った中から桃子殿に見立ててもらおう」
「ありがとう、ざから。桃子さんも喜びますよ」

 雪は微笑み、少し下にあるざからの頭に手を乗せようとして――無粋な電子音に阻ま
れた。彼女は苦笑しながら手を引っ込めると、バックから携帯電話を取り出し、

「はい、雪です……今ですか? 買い物も終わったので帰るところだったんですけど…
…はい、恭也さんもざからも一緒にいます……それなら、私だけで……構いませんよ…
…では、そのように。失礼します」


 電話を切り、雪は苦笑を維持したまま、

「桃子さんからヘルプの電話でした。私はこれから翠屋に行きますから、恭也さんとざ
からは先にお家に帰っていてください」
「すると、帰りは遅くなるのでしょう? その分だと母さんと一緒のようですが、大丈
夫ですか?」

 桃子は出勤にスクーターを使っているが、雪にはそういった足は存在しない。故に帰
りは二人して徒歩ということになるが、翠屋の閉まるような時間に女性を、しかも心に
決めた女性を歩かせるのは、恭也としては避けたい事態であった。

「心配してくださるのは嬉しいですけど、私はそこらの殿方よりは強いつもりです。桃
子さんも無事にお連れしますから、恭也さんは安心してお家で待っていてください」

 雪は微笑み、足早に二人から離れていく。

 言葉には相当な自信があったが、彼女の力量からすれば強ち冗談とも言えない。不埒
な輩など、雪の氷術の前には赤子に等しい。

「あれの力量は汝も知っているであろう? 能力を正当に評価せぬのは、あれにとって
の侮辱であるぞ」
「分かってはいるがな、それでも心配なものは心配だ。俺が近くにいれば、少なくとも
俺が雪さんを守ることができる。自分の知らぬところで雪さんが危機に陥るのは、どの
程度のものであっても、受け入れることなどできん」
「男女の間のことは、あまり我は知らぬ。だが、あれのことはもう少し信頼してやると
いい。あれも汝と同様、心の強さを持っている。お前の信頼を裏切るということはある
まいよ」
「…………今、少しだけお前が妬ましくなった」
「ほう? 聞こうか」
「お前は俺よりも雪さんのことを知っている」
「ならば、我は前から汝が妬ましいよ。雪の中にはお前がいる……長き時を共に過ごし
てきた我よりも、ずっとな。これを妬まずにいられようか」

 冗談のように荷物を持つ男と、容姿には不釣合いな老成した雰囲気を纏った少女。ま
ばらな人の流れの中を歩きながら、二人の間に珍妙な沈黙が流れた。

 二人の言うように、嫉妬とは違う。友情とも、ましてや愛情などでは決してない。だ
が、それらの感情に匹敵する濃さの『何か』が二人の間には確かに存在していた。

 どちらともなく、苦笑する。それでその『何か』は霧散して、消えた。



「帰ったら、相手をしてもらえないか?」
「いいだろう。今日も返り討ちにしてやる」




 そうして、友達でも恋人でもない二人は帰路についた。




















後書き

 もうすぐ十万hitだというのに、私は一体何をしてるんでしょうねぇ……こんにちは、M2です。

 『進路相談?』に遅れること一月少々、ようやっとこいつをお送りすることができました。半オリキャラの
ざからを使ってのリクエスト。しかも、真一郎のシリーズと以前に書いたリクエストのざからではキャラが
違うので、書いていて戸惑いもしましたが、どうにか形にはできたと思います。


 どちらのざからが好きか……と、問われると残念ながら答えることはできません。真一郎シリーズの方
のガキっぽいざからも好きですし、リクエストの方の落ち着きまくったざからも好きです。共演なんてことは
絶対にありませんが、一人のキャラで二つのキャラを作れたのはいい経験なったと思います。


 それでは、リクエストしてくださったRYOUさん、ありがとうございました。


 次は十万のキリ番SSにてお会いしましょう。