うぃざ〜ど・おぶ・うぃざ〜ず  第一話













「困ったなぁ…」
さっきから何度目になるか知れない台詞を呟きがら、相川真一郎は本当に困っていた。
場所は彼の自室である。
世間の基準からすれば、広い部類に入るこの部屋。
内装は私服の納められたクローゼット、趣味の本の入った本棚にコンポ。
それからめったに使わない机に、いつも使っているベッドと至って普通の部屋である。
女性のような外見からはあまり想像できないが、真一郎は煌びやかな物が好きな訳では
ない。
その外見を気にしているからこそそういう性格になったのだろうが、少なくとも今まで
それで得をしても損をしたことはなかった。
部屋に後生大事に刀を飾っている同居人の少女の部屋と比べれば、平和なものである。
さて、この女顔の青年を困らせているのは机の上に置かれた一枚の紙片だった。
それには流麗な筆跡のドイツ語が綴られている。
普通の人間なら読むことすら諦めているような物であるが、僅かながらドイツ語の知識
を持っていた真一郎は辞書を引っ張り出しながらも一応の解読には成功していた。
雪に頼めばすぐにでも終わったのだろうが、彼女は今私室で読書に耽っている最中である。
何はともあれ―
「困った…」
彼は困っているのである。
手紙の差出人は真一郎の―より正確には真一郎と雪の『師』である。
曰く、『退屈だから、遊びにきなさい』、とのこと。
一応お願いの形式を取ってはいるが、『師』のお願いは真一郎にとって命令に近い。
不本意なことではあるが…逆らったら何をされるか分かったものではないからだ。
女性関係では何かと苦労する真一郎ではあるが、『師』の場合はその究極とも言えた。
だが、いつまでも困っている訳にもいかない。
ドイツまで行くことが決定された以上、こちらも色々と準備しなければならない。
まず、『戦力』。
七瀬達が同行することは当たり前なので、彼女達以外で戦力になりそうな人物。
だが誰でもいい訳ではないから困っているのである。
『師』の住んでいるのはドイツのとある辺境なのだが、あの場所『夜の一族』であって
も限られた者しか入ることはできない。
そうでなければ、『師』と個人的に親しい人物である必要がある。
ちなみに真一郎は後者であるが、自分達の他に『師』と親しい人物となると…
「やっぱり、さくら達に頼るしかないか…」
真一郎の後輩綺堂さくらと、その姪の月村忍。それから月村家メイドのノエル・エーア
リヒカイト。彼女達がついてきてくれればこれほど心強いことはない。
それでも、『師』の屋敷に行くのだったらまだ心許ない。
『師』の屋敷に連れて行くに足る人物で、ちゃんと戦力になってくれそうな人物。
考えるまでもない。その条件に最適な少女の顔が彼の脳裏にはすぐに浮かんだ。
喜ぶべきなのだろうが、真一郎の顔色は優れない。
「でも、それしかないんだろうな…」
誰かを頼らなければならないという事実と、それが自分を慕ってくれる少女であるとい
う事実が真一郎に重く圧しかかる。
それでも、彼女に頼らなければならない現実を知って真一郎は深くため息をついた。






「これはつまらない物ですが…」
我ながら月並みな台詞だなと思いつつも、真一郎は持ってきた包みを桃子に差し出した。
つい先日、仕事に行った先で手に入れた山の幸の詰め合わせである。
さすがに新鮮取れたてとはいかないが、それでも十分に舌を唸らせる品々だった。
「これはご丁寧に」
包みを受け取った桃子は、僅かな香りから中身が何かを悟ったようでどことなく嬉しそ
うだった。
高町家の客間である。
たまたま休日だったらしい桃子を前に真一郎は座布団に正座している。
まだ何も用件は告げていないが、何か普通でなにことを言いにきたと言うのは察したら
しく、どことなく桃子は身構えている様子だった。
「それで相川さん。今日はどういったご用件で?」
「それなんですが…」
「お茶持ってきたよ」
客間の襖が開かれて、お茶を乗せたお盆を持った美由希が入ってくる。
彼女は二人の前にお茶を置くと、真一郎に少しだけ笑いかけて出て行こうとしたが、
「美由希ちゃん、できればここに残ってほしいんだけど…」
「え?」
驚きと喜びの入り混じった表情で、美由希は振り返る。
彼女は桃子と顔を見合わせて、桃子が頷いたのを見るとその場に正座する。
それでも、さりげなく自分に近い場所を選んでいることに笑みを浮かべながら…
「実は、美由希ちゃんを旅行に誘いに来たんです」
「旅行ですか?」
これは、桃子。あまり驚いた様子はない。対してぽかんとして真一郎を見返している。
「俺の先生を訪ねる目的なんですが、それに美由希ちゃんに同行してほしいんです。で、
 美由希ちゃんの意思の確認と、桃子さんの許可をいただきにきたんですが…」
「私は構いませんよ。相川さんでしたら信用できますからね。美由希はどうする?」
「行きたいけど…でもいいのか〜さん?翠屋とか忙しくならない?」
「年頃の美少女が何言ってるの。か〜さんだってまだ年じゃないんだから大丈夫よ」
「うん…ありがとう」
「ということで、その旅行に関しては了解しました。美由希の面倒よろしくお願いしま
 す」
「いえ、こちらこそ。どちらかと言うと、美由希ちゃんに迷惑がかかるかも…」
「そんなことないですよ。相川さんと旅行に行けるんだったら、この娘何でもしちゃい
 ますから」
「か〜さん…」
顔を赤くして反論しようとする美由希を見て、桃子は笑った。
「本当のことじゃないの〜。ああ、忘れていました。費用はいくらお支払いすれば…」
「それは心配なさらないでください。費用はすべてこっちで負担します」
「ご迷惑では…」
「俺の勝手で美由希ちゃんを誘った訳ですから、これくらいはさせてください」
迷惑をかけることになるかもしれないのだから、これは譲れない。
さらにこの高町家を訪れる前、さくら達には今回の旅行を断られているので必死である。
桃子はいくらか考えていたようだったが、結局この青年の要請を受けることにした。
真一郎は彼女に頭を下げて、未だにぼ〜っとしている美由希に目を向けた。
「美由希ちゃん、ごめんね急に誘っちゃって…」
「そんな!嬉しいです…」
美由希は本当に嬉しそうだったので、内心ほっとする。
きっかけは打算的な物であるが、誘ってよかったとも思う。
「あ、そうだ。相川さん…その旅行どこに行くんですか?」
「そういえば言ってませんでしたね…俺の先生の住んでいるとこ、ドイツです」
今度は親子二人して…ぽかんとする。
真一郎の先生と聞いて、おそらく日本の山奥とでも想像していたのだろう。
まさか、それが外国―それもドイツの辺境だなどとは夢にも思わなかったに違いない。
二人の意表をつけたことに少しの満足感を覚えつつ、真一郎はお茶を飲み干した。





それから、日程などの相談をしてから真一郎は高町家を後にした。
春休みに入ってからの旅行。行き先はドイツ。
美由希にとってイギリス以外の初めての海内旅行だ。
七瀬達全員も一緒。真一郎も一緒であるし、楽しい旅行になりそうだった。
ただ、気になることがないでもない…



自分の部屋でその旅行の簡単な準備をしながら、その時初めて美由希は首を傾げていた。
手には自分の愛刀『龍鱗』と『姫』が握られている。
武器を持参…というのが真一郎からのお願いだった。
「何か…変…かなぁ」
とは思いながらも、美由希はそれ以上疑うことはなかった。