うぃざ〜ど・おぶ・うぃざ〜ず  第四話


















「そう言えば、さっきのゴーレムってどこで作ったの?」
薄暗い階段を下りながら、真一郎は前を行くエリザに問いかける。
照明のないこんな暗い空間も、夜を活動時間にする彼女なら何の支障もない。
その足取りは、まるで日の光の中を行くがごとしであった。
「流石に屋敷の中ではできなかったですから、お外で作って埋めておきました」
「ご自分で作られたんですか?」
と、こちらは普通の人間な上に目が悪いために足元が覚束ない美由希の質問である。
「そうですよ。一生懸命彫刻みたいにして彫りました」
そう言って、エリザはへにゃと微笑むが美由希には全然見えていない。
こんな暗がりでは放っておくと壁に何回でもぶつかるような少女であるので、隣を歩く
雪がさりげなく先導しているほどだ。
その雪に関しても夜目が利く訳ではないが、通いなれているために美由希よりは幾分ま
しな足取りである。
「本当は登場の時にBGMが欲しかったんだけどね」
一行の一番後ろ、ノエルやさくらと一緒に歩いている忍が無念そうにぼやく。
真一郎に与えられたダメージは回復したのか―もしかしたら、そのショックで事実を忘
れたのかもしれないが―その姿は元気なものである。
「ちなみにマッドな科学者としてはどんな曲が欲しかったの?」
「う〜ん…無難な所でマジンガーZかな。でも、ライディーンも捨てがたいし…」
と、忍は歩きながら真剣に考え始める。
どうでもいいだろうに…と真一郎は思うのだが、ノエルのロケットパンチでも分かるよ
うに、彼女には常人には分かりえないこだわりがあるらしい。
まあ、超者の方だとでも言われなかっただけでもよしとしよう。
そんな風にして真一郎が忍の拘りに関して考えるのを止めると、ちょうど一行は階段の
終着点に行き着いた。
「ここに来るのも久しぶりね」
守護霊らしく真一郎の隣に平然と浮いていた七瀬が感慨深げに呟く。
感慨深いのは雪もざからも一緒なのか、彼女達も七瀬と同じように扉を見つめていた。
扉―大きさはそれ程でもないが、細部に意匠の凝らされた立派な物である。
だからと言って見える訳でもないが、終着点に着いたことを感じ取った美由希が、目を
凝らして、その扉を―正確には、その扉のある方向を見つめた。
「ここって…なんなんですか?」
「闘技場かな?たまに戦闘の訓練とかしたり、『実験』したりする場所だね」
「『実験』って?」
「それは…俺の口からは何とも言えない…」
その『実験』の光景を思い出して、真一郎は幾ばくかの恨みの篭った目でエリザを見た。
真一郎の視線に気付いているのかどうか、彼女はそ知らぬ顔で扉の取っ手を弄ると、呪
文を唱えた。
『我が名、エリザベート・ドロワーテ・フォン・エッシェンシュタインの名の下に命ず
る。封印されし扉よ、我らの前にその道を示せ』
エリザがドイツ語で早口にそう呟くと、大きな扉は地響きのような音を立てて開いた。
魔術鍵―エリザがこの屋敷に施した魔術の一つである。
この鍵のおかげで、屋敷の鍵がかけられた扉は彼女本人か、もしくは彼女に認められた
人間しか入ることができない仕掛けになっている。
それを初めて聞いたときには凄い物だ、と真一郎も感心したものなのだが…
よくよく考えれば、この屋敷に彼女に認められない人間が入れるはずはないし、普段は
エリザ一人しかいないのだから、鍵をかけるのは手間のかかる分無駄な気がしてならな
い。
無論、それをエリザに進言したこともあるのだが、彼女はその言葉を―
『いいじゃないですか、かっこいいから』
―の一言で一蹴してしまった。
それほど拘ることでもないのでそれ以降放っているが、あまりいい思い出のないここを
訪れると、嫌でも思い出してしまう。
七瀬に担ぎだされる度に、この扉が開かなくなってしまえばいい…と、本気で思ったこ
とを…
「は〜広いですね…」
心の奥深くの嫌な思い出など露知らず、初めてここを訪れた美由希は部屋を覗き込んで
そのままの感想を漏らす。
「この屋敷自体無駄に広いからね…ここだってあまり使ったことはないけど、造りはか
 なり頑丈だよ」
「どうして使わなかったんですか?こんなにすごいのに…」
道場としては手狭な場所でいつも鍛錬をしている美由希にとって、ちょっとやそっと暴
れた程度では傷付きもしないようなこの場所は、屋内練習場としてまさに理想の環境で
あった。
それを理解できないでもないが、真一郎は肩を竦めて、
「外には鬱蒼と茂る森、戦闘の訓練だったらそっちでやった方がいいからね」
言いながら、先に入ってしまったエリザ達について、二人も部屋に入る。
美由希でなくとも、この場所を広いと思うことだろう。
エッシェンシュタイン家の地下にありながら全面石造りで、広さはちょっとした体育館
程度なら軽く凌駕している。
透けて見える壁で区切った手前のスペースには、観覧用の椅子などが備え付けられてい
て、既に観戦するつもりでいる忍やさくらがそこに腰を降ろしていた。
「それで、ここに連れて来たからには何かさせたいことがあるんでしょ、エリザ」
「実は、初期型のオートマータが四体手に入ったんですよ」
「エーディリヒ?」
「いえ、もっと前の物です。自我とかそういった物を考えずに、ただ戦闘能力だけを特
化することを目的として、あれらは作られました」
エリザは透明な壁の前まで歩くと、右手を軽く振った。
すると、それに呼応するように壁の向こうの空間が揺らめき、四体の人形が出現した。
オートマータである以上ノエルの仲間であるはずなのだが、目の前の四体はまさに人形
の容貌を―例えるなら、出来損ないの人体模型のような容貌をしていた。
誰の手によるものかは知らないがかなり軽量化されているのだろう、本来は何かが付い
ていたであろう場所には何も付いてはおらず、その不自然さがまたそれら人形の不気味
さを際立てていた。
ブレードのような武装は何もついていないが、オートマータ、それも戦闘用と言えば何
も持っていなかったとしても、十分な脅威となりうる。
「区別が付かないので番号を振っておきました。こっちから見て右から『アイン』、『ツ
ヴァイ』、『ドライ』、『フィア』です」
「番号付けるのは構わないけど…で、俺達をここに連れてきて一体何を?」
「念入りに調べましたけど、あれらには自我が発生する余地はありません。ですから、
真一郎達に破壊をお願いしたいんです」
「エリザがやればいいじゃない…俺ら纏めてよりも強いんだからさ」
「だって、自分で戦うよりは見てる方が楽しいでしょ?」
悪びれもなく言う師匠に真一郎は深い深いため息をついた。
これは分かっていたことだ。こういうエリザの性格は今に始まったことではない。
出会った時から、彼女はいつでもこんな感じだった。
ここで怒ったりするのは彼女を楽しむだけで終わってしまう、そう悟った真一郎は追及
するのを止め、後ろの少女達に向き直った。
「じゃあ、俺とざからでいいかな?」
「待ってました!」
ざからは自分の愛刀を抱えて嬉々として歩み寄ってくるが、真一郎の隣に立つよりも早
くエリザがその襟首を掴んで、ひょいと持ち上げた。
「ざからちゃんは、今回はお休みです」
「…それじゃ私が面白くありません」
師匠であるエリザにも、ざからは遠慮なく不満を漏らす。
「我慢してください。後で私が戦ってあげるから」
「それならいいですけど…」
エリザの手から難なく離れると、ざからは手近な椅子に腰を降ろした。
そのタイミングを見計らって、エリザのアイコンタクトを受けたノエルが以前に分析し
ておいたざからの好物であるお菓子を差し出す。
すると、さっきまで不機嫌でいたことも忘れて、ざからは笑顔でそのお菓子をつまみ始
めていた。
「と言うことは、俺が一人であんな人形ズを相手にするの?」
もはや諦めの気配すら漂わせて問う真一郎に、エリザは微笑みかけ、
「さすがにそれは厳しいでしょうから、美由希ちゃん、お願いできますか?」
「私が…ですか?」
「はい。美由希ちゃんに会うのは今日が初めてですから、早めに貴女の実力を知ってお
 きたいんです」
「構いませんけど…何だか怖いなぁ」
壁の向こうの暗い場所に佇む人形は、怖がりの美由希にはそれなりの迫力をかもし出し
ていた。
剣士としてのスイッチが入れば強い美由希だが、普段の彼女にとってこういった怪奇め
いた物はできれば関わることを遠慮したい物の一つだった。
その証拠に、既に少しばかり腰が引けている。
「美由希ちゃん、無理してやらなくても大丈夫だから。力を見るっていう目的だったら
 久遠だって―」
「あ、久遠ちゃんは私と一緒にこっちです」
エリザは真一郎の言葉をあっさりと遮り、その腕に久遠を抱え上げた。
人見知りをする娘であるので普段であればすぐにでも逃げ出してもよさそうな物だが、
長旅の疲れが出ているのだろう、既に狐の姿に戻ってしまった久遠は大人しくエリザの
腕に抱かれて、そこで現実と夢の世界の境界を彷徨っていた。
「あの…七瀬さんと雪さんは?」
「美由希の力を見たい、っていうのは冗談じゃないみたいだから今回は遠慮するわ」
「それが先生の意向なら、しょうがないですね」
と、やはり椅子に座って観戦を決め込んでいる二人。
だが、この二人だけは真一郎達がピンチになったらいつでも飛び出せるような位置に待
機しているということを美由希は感じ取ったので、それ以上何も言わない。
「やっぱり俺一人でやろうか?」
「いえ、私もやります」
あくまで労わろうとする真一郎に美由希は頑として答える。
こうなってしまっては真一郎を守れるのは自分しかいない、そう思った美由希は強かった。
怖がりなんてなんのその。今ならきっと苦手のお化け屋敷にでも入れることだろう。
「ほんとに大丈夫?」
「だいじょうぶです。がんばります」
その瞳の決意が揺るがないと見るや、真一郎は微笑んで美由希の頭を撫でた。
「ありがとうね…」
「いえ、そんな…」
「さあ、決まったら準備を」
美由希が頷く。真一郎はそれを見て、エリザを促した。
「それでは、向こうに送ります。頑張ってください」
エリザは真一郎達に向き直ると、何事か軽く呟いてから腕を振った。
一瞬の眩暈にも似た感覚の後、真一郎と美由希は透明なガラスの向こうに送られていた。
自らの攻撃範囲に獲物が入ってきたことを認識したオートマータが、揃って真一郎達の
方を向く。
「やっぱり怖くないですか?」
言いながら怖いのか、美由希の手は無意識に腰の小太刀に伸びている。
「まあ、たしかに気持ちのいいものじゃないよね…」
真一郎も『骸手』を装着して軽く飛び跳ね、体の具合を確認する。
ここまで長旅だった上に、玄関先でちょっとした運動をする羽目になったが、疲労はな
い。このままでも、戦闘は十分にいける。
「…個人で戦って、倒せる時に倒す。そんな感じでいい?」
「いいですけど…真一郎さん、だいじょうぶですか?」
「お、美由希ちゃん心配してくれるんだ。何か普通に心配されるのって凄く久しぶり」
「いえ、決してそんな恐れ多いことは…」
急にしどろもどろになって答える美由希に、真一郎は女殺しの笑みで答える。
「じゃあ、俺からも心配させていただきましょう。頑張ってね、美由希ちゃん」
真っ赤になって照れる美由希を他所に、真一郎は駆け出した。
狙うのは…フィア。



どっ、くん!!



色褪せた視界の中で、真一郎は加速する。
その目は、炎のように真っ赤にそまっていた。
ある程度血の濃い『夜の一族』には共通の能力である。
その間、身体能力はもちろん、霊力を行使する力さえ飛躍的に上昇するのである。
真一郎は生粋の『夜の一族』ではないが、その力を行使するくらいは何とかできるよう
になっていた。
(それも…エリザのおかげか、エリザのせいか…)
肉薄する。
さすがに戦闘用に設計されているだけあって、フィアは加速している真一郎に反応した。
モノクロの世界を行く真一郎に目を向けたのである。
オートマータの名が示す通り、まさに人間離れした反応速度だった。
だが、それでも…
「遅い!」
フィアがこちらの方を向いた瞬間、真一郎は即座に霊力を乗せた拳を三発叩き込んでいた。
何で出来ているのか知らないが、人形の表面が嫌な軋み方をする。
人間ならばそれで一回ずつ死んでいるはずだったが、人形は固く、そして真一郎はそう
いう意味では用心深かった。
その三発の攻撃に加え、低位な霊障ならば一撃で葬り去るほどの霊力を込めた蹴りを叩
き込む。
耐え切れずに、フィアは手近な壁に向かって勢いよく吹っ飛ばされた。
真一郎はそのフィアを…追わずに加速を解く。
襲ってくる重圧に耐えつつも、真一郎はようやく壁にぶつかったフィアに向かって右手
を翳し、
「風よ、矢となって撃て!」
真一郎の意に従い、空気は渦を巻き矢となって敵を撃つ。
硬質の壁と、真一郎の生み出した風に挟まれてフィアはその体を折り曲げ、くず折れた。
「俺も成長したな…これもこれも、人生のせいだと思うけど…」
指で額を掻きながら、ぼやく。
オートマータと言えど、所詮はこんな物だ。
創造主が自分の作った人形に負けたとあっては、面目も何も合ったものではない。
そして、人形を作るのはもっぱらインドア派の一族であったらしいので、当然のことな
がら、彼らより強い人形は作られない。
結果、一族相手には何の役にも立たない人形が量産された時期があったらしいのだ。
もっとも、今となっては残る一族の血の濃さも当時ほどではないし、人形でも十分に脅
威となるのだが、先祖帰りとも言える真一郎が相手では戦闘系のオートマータといえど
も少々役不足だったようだ。
「ごらんの通りだよ、エリザ。これくらいだったら、四体全部俺一人で倒しちゃうけど…」
この図に乗っているとも取れる発言に、ガラスの向こうのエリザが手元のマイクを取って、
『女の子な顔なのに頼もしいですね。そのギャップが真一郎の魅力の一つなんでしょう
 けど…』
「この際、俺の女顔のことは関係ないんじゃないかな?」
『そうですね、関係ありません。だから―』


背後に、風の切られる音。


その気配のない攻撃にとっさに、真一郎は頭上で腕を交差する。
フィアの手刀のようだった。オートマータらしく、それは鋭く重い。
(でも…甘い)
真一郎は力で押し切られる前に交差した腕でフィアの腕を取り、背負い投げの要領で放
り投げた。
学生時代に瞳から教わった護身道の技であるが、人形ごときに情けをかけて手を引いて
やるような真似はしない。
スポーツの分野では反則確実の、投げっぱなしの技だ。
当然、不意打ちだったので手加減はまったくしていないが、
(やっぱりか…)
床に激突する直前、フィアは体を捻って蛙のように着地していた。
恐ろしいまでのバランス感覚。美緒でもここまで出来はしないだろう。
『言い忘れてました。そのオートマータは外部からのあらゆる霊力系のを無効にします。
 物理攻撃にも強く『改造』しましたから、頑張って苦戦してください』
(ふざけんな!!)
心の中で絶叫するが、無論それはエリザに届かなかった。
打撃が主、というか自前の剣を持っていないために打撃しかできない真一郎にとってそ
の要素はかなり致命的だ。
効かないと言っても限度があるだろうし、真一郎の最大出力で攻撃すればダメージくら
いはあがるだろう。だが、それではこの地下室自体が崩れてしまう。
すっと、フィアが構えらしい構えも取らずに間合いを詰めてきた。
心なしか、表情の変わることのない顔に嘲りの笑みが浮かんでいるように、真一郎には
見えた。
「むかつくなあ…」
たかが人形と侮る気はないが、自分の攻撃を受けて平然としている姿は、武術家として
さらにはプロの退魔師として癪にさわる。
自分を攻撃的な人間だと思ったことはないが、今は激しく思う。


こいつを壊したい。


目を赤くする。両手の『骸手』に霊力を込め、構える。
霊的攻撃が効きにくい、というエリザのさっきの言葉を聞いていなかった訳ではないが、
今の真一郎には他に攻撃手段がないし、この方が慣れているので気分もいい。
「さ〜て…やろうか」
気合を入れ、常速の世界から姿を消した。













そんな真一郎の気合の入った声を聞きながら、美由希は三体のオートマータから目を離
せずにいた。
彼女にとっては恭也以外とは二度目の『実戦』…緊張しているし、恐怖もある。
小太刀に添えられている手にも、普段には出ることのない汗が滲み出ている。
そんな中でも、先ほどの真一郎に向けたエリザの言葉は美由希の耳にも届いていた。
打撃が効かない、それが真一郎にとって致命的になりうるということも、美由希には理
解できる。
彼の腕前なら間違った所でさすがに命を落とすことはないだろうが、下手をすれば大怪
我くらいはするかもしれない。
だから誰かが、この場には美由希しかいないので、美由希が助けなければならない。
保障はないが、美由希の斬撃ならばダメージを与えられるだろう。
現在、真一郎が相手にしているにはフィアと呼ばれる一体のみである。
残りの三体は美由希の間合いの一歩外で様子を伺っている。
そもそも、多人数相手の戦闘自体始めてであるので、彼女にとっては不利なこと尽くし
だった。
経験とか、不足している分は色々と存在するが、それが分かっているのなら何かでその
不足分を補わなければならない。

(状況を正確に把握する、相手の観察を怠らない、油断はしない)
いつだったか、相手に勝つための条件を恭也に聞いた時、彼は迷うことなくこう答えた。
ついでに言えば、この後に常日頃の弛まぬ鍛錬というのが加わる。
正論であるし、意味のある言葉だとも思うが、参考にはならない。
そんな風に口答えした訳ではないが、そう思っているのが顔に出ていたのだろう、美由
希を見て恭也は苦笑した。
(もう一つ言い忘れていたな…)
八景を鞘に納め、恭也は言葉を探すように夜空を見上げる。
しばしの沈黙。
その間彼は無表情だったが、その恭也の微妙な変化を長年の付き合いから美由希は読み
取っていた。
(思いだな…)
努めてぶっきらぼうに恭也は言う。
(何でもいいから、大切な物を心に思い浮かべろ。家族でも、恋人でも、何でもいい。
 そういった物のために戦えば、人間少しは強くなれるだろう)
恭也がこういうことを言うのは稀だったので、美由希はぽかんとなった。
実際のところ、恭也にしてもそれは生前の士郎から聞いた話の受け売りだったのだが、
本当に柄でもない物言いだったので、美由希は思わず噴出していた。
それは運悪く恭也に見られていて、その晩の鍛錬は妙に恭也の攻撃が鋭かったような気
がしたが…
(思い…)
大切な物、守りたい物。
自分の一生の『剣』を賭けられるほど大事な物がそうそう転がっているとも思ってはい
ないが、今この時において美由希が剣を振るう理由はとりあえず、一つしかない。
それが、他人のため―もっと正確に言えば男性のためと言ったら、恭也はどんな顔をす
るだろうか?少なくとも、あまりいい顔はしないだろう。
むっつりと不貞腐れている恭也の顔を思い浮かべて、美由希は苦笑した。
これだけ余裕があれば、だいじょうぶ。
美由希はすべての迷いを消し、静かに両の小太刀を抜刀した。





人形が動く。
一体がその場に残り、二体が美由希に突っ込む。
その二体の最初、アインは彼女の正面から仕掛けてきた。
右手の指をめいいっぱい広げて居合いのような動作で薙ぎ払ってくるアイン。
美由希は全速で走りながらその腕をの下を潜り抜け、すれ違い座間にアインの背中を押
した。
加速した勢いもあって、アインの胴体が一瞬だけ前に泳ぐ。
それは微々たる時間だったが、こんな戦闘の最中であればそれでも十分な隙だろう。
次―ドライは既に美由希の正面にいた。
突き出される腕を左の『龍鱗』を使って流し、速度を殺さぬままその場で半回転。
右の『姫』を、ドライの首筋に突き刺す。
女の子と言えども、美由希とて御神の剣士。
人間相手だったら、十分に唾まで突き刺さる一撃だったのだがドライは思いのほか固く、
『姫』は刀身の半ばほどで止まった。
それで倒せないと見るや、美由希は即座に『姫』を引き抜いて、牽制の小刀を巻きなが
ら飛びのく。
別に期待していた訳ではないが、小刀はドライには刺さらずに弾かれ、乾いた音を立て
て床に落ちた。
(前後に一体ずつ、残りはそのまま…)
動きながらも周囲の状況を分析。鋼糸、小刀、飛針、それらすべてを使って場を作る。
恭也と戦っている時とは違う、体が軽く、何でもできそうな感覚。







スウェーしてドライの腕を避け、今度は『姫』で反撃する。
徹を乗せた、美由希にしてみれば百点に近い斬撃だったが、ドライはオートマータらし
く腕で受け止める。
案の定、『姫』の刃は少しばかりめり込んだだけで止まってしまう。
と、ここで人間のプロならばこの機を逃さずに反撃、美由希はあえなく命を落としてい
ただろう。
だが、彼女の相手にしているのは人間ではなくオートマータ、しかも戦闘特化型だった。
美由希の作った一瞬の隙、それについて『考える』さらに一瞬の間。
人間ならば、本能とか直感で下せるはずの判断をドライはすることができない。
そして、その一瞬は、『神速』の世界を生きる御神の剣士にしてみれば十分過ぎるもの
だった。


『小太刀二刀御神流 雷徹』


既にドライの腕にある『龍鱗』に『姫』を打ち付ける。
稀代の二刀の徹が干渉しあい、相乗された効果はドライの腕をこそぎ落とした。
美由希は立て続けに相手の顔面に突きを放つが、そこは流石にドライを身を引いてアイ
ンと合流し、体制を立て直す。




対峙する、一人と二体。
オートマータは今度は二体同時に美由希に襲いかかった。
美由希は油断なく構えを解き、それらを相手に『舞った』。









「美由希ちゃん、強いですねぇ」
ガラスの向こうで動き回る真一郎と美由希からは目を逸らさずに、エリザがぽつりと呟く。
「真一郎が引っ掛けたくらいだからね。本格的に戦ってる所を見るのは私も初めてだけ
 ど…」
「やっぱりもてるんですか?真一郎」
「その点は相変わらずですよ…放っておいても女の子が寄ってくることには、私はもう
 諦めましたけど」
「そうですか…」
真一郎の魂の従者とも言うべき二人にそう答えられ、エリザは腕を組んで深いため息を
ついた。
ちなみに久遠(狐)は、近くの椅子で睡眠中。
どんな夢を見ているのか、安らかな寝顔である。
「そんなに気になるんだったらエリザも海鳴に住んだら?その方が真一郎で遊べるし、
 さくらや忍の家にも近いから何かと便利でしょ?」
「そうしたいのは山々なんですけどね…」
別に引っ越さなくても、いつでも瞬間移動できるエリザなら世界のどこに住んでいても
同じである。
こっちの屋敷をほったらかしにして、真一郎の家に住むという七瀬の提案も非常に魅力
的であるのだが、状況がそれを許してくれない。
今は、まだその時ではない。
夜の一族の古参、エリザベートにはまだ成さなくてはならない役目がある。
…まあ、要するにその役目さえ終われば彼らと一緒に住むことにも吝かではない。
相川家の住人は皆長生きしそうなので、退屈しないで住みそうだ。
(それでも、まだ仕事を完遂させるには時間がかかりますけど…)
その仕事を終えるためには真一郎の力を借りなければならないけれど…
「まあそのうち、ですね。残念ですけど」
そう七瀬に微笑んで、エリザはティーカップに口をつけた。













何合か打ち合った後、美由希は二体のオートマータから離れた。
最初に比べて、美由希の動きも格段に良くなってきている。
オートマータと言っても、想像力すら欠如しているただの人形。
幼い時から『生きた』恭也を相手にしてきた美由希にとって、恐れるには足りない敵だ。
だからといって油断はしていない。
対峙する二体には無数の傷があるが、美由希の方は怪我らしい怪我をしていというのが
その証拠である。
そして、相手の動きも段々と読めてくるようになった。
研ぎ澄まされた動きに見えるが、観察してみるとそれは単調の極み。
こうすればこう、という決まりがあれらの頭の中に放り込まれているのが手に見て取れる。
弾かれたように二体は分散し素早い―あくまでも美由希レベルよりも下の人間から見れ
ばであるが―動きで、美由希の正面と背後に回る。
タイミングを合わせて、疾走。
美由希を挟んで二十メートルにも満たない距離を二体のオートマータが疾走する。
(まだだめ…早すぎる)
反撃に移ろうとする自分の体を必死に抑えて、美由希は心の中でカウントする。
迫る二体のオートマータ。引き付けて、さらに引き付けてその時を待つ。


三、二、一…


(いま!)
攻撃の当たるぎりぎりまで引き付けて、美由希は『神速』の世界に入る。
モノクロになった世界の中、美由希はその場で反転して背後から迫っていたオートマー
タのさらに背後に回った。
彼女のその動きに、それらは気付いたのだろうか?
だが、仮に気付いていたとしてもそれらの反応速度では対処のしようがない。
そんな絶妙のタイミングを見計らって、美由希は動いた。
離れていく隻腕のオートマータ―ドライの背中に、弓を引き絞るようにして構えた『龍
鱗』を向ける。


『小太刀二刀御神流 奥義の参 射抜』


踏み込むと同時に、『神速』の世界から出る。
ありったけの加速をつけた美由希は、あっさりとドライに追いつき、その背に『龍鱗』
を突き刺す。
それでも勢いは殺されず、ドライの体を貫通した『龍鱗』はその向こうにいたアインま
でも一緒くたに貫いた。
そのまま、美由希はその部屋を駆け抜け、二体のオートマータを纏めて壁に叩き付けた。
アインもドライもそのまましばらく動いていたが貫いた場所が当たりだったのか、しば
らくして動かなくなった。
息を吐いて、動かなくなった人形から『龍鱗』を持った左手を引き抜く。
貫いた時に、多少左腕を傷付けてしまったが、それだけだ。
弱い…というつもりはないが、強くもなかった。
美沙斗や恭也、真一郎と比べてしまっては見る影もない。
実際はこれらのオートマータ、美由希の思っているほど弱くはない。
ただ、恭也の弟子として人生を過ごし、美沙斗からいくばくかの手ほどきを受けた美由
希は並の一流よりは遥かに強かった。
さっきの美由希の動きを見れば、あの恭也でも美由希に賞賛の言葉を送っただろう。
いつものむっとしたような表情はそのままだろうが…
でも、それでも、あの恭也に誉められるは、悪い気分はしない。
「―真一郎さん…」
気付いて、美由希は真一郎を振り向いた。
瞬間、美由希の視界を光の点が生まれた。
その場所に向かって、彼女は導かれるようにして『姫』を滑り込ませる。



室内に、二つの音。
両断された最後のオートマータ―ツヴァイが胴体を上下に両断されて床に転がった。
無論のこと、機能は完全に停止している。
潤滑油らしき液体が自分の靴を濡らすのにも構わず、美由希は振りぬかれた『姫』を不
思議そうに見つめていた。
何かを斬ったという感覚は、なかった。
そこには初めから何もなかったかのように、『姫』はその空間を通り過ぎたのだ。


『御神流奥義の斬式 閃』


先ほどの斬撃はそう呼ばれる技術であり、御神流の最高峰の技でもある。
これを意識的に出せた剣士は御神流の歴史の中でも数えるほどしかいない。
無論、美由希はそれを意識的にだせる訳ではなく、今の攻撃も偶然の賜物だったのだが、
それを出せるということ自体優れた剣士の証明でもある。
残念ながら美由希はそれに気付いていないが、その実力に気付いた人間はその場に少な
くとも、二人はいた。
それはさておき―
「真一郎さん!」
今度こそ、当面のすべての敵を片付けた美由希は、真一郎の方を振り向いて―









轟音が響いた。
美由希の目に映るのは、息がかかるほどに密着した真一郎とフィア。
真一郎の拳はフィアの腹部に当たっているが、目に見えた破壊の後はない。
「これでいいんでしょ、エリザ」
ふっと力を抜いて、真一郎は床に体を投げ出した。
フィアはその場に立ち尽くしたまま、ぴくりとも動かない。
「あの…真一郎さん?」
ん…と、美由希の方を向いた真一郎は軽く目を見開いた。
「すごいね…三体全部片付けたの?」
「え…あ、はい」
誉められたということを意識して、美由希の頬が赤く染まる。
真一郎は部屋の中に転がっている三体のオートマータの残骸を見渡して、頷く。
「ほんとはもう少しかかるかと思ったけど…うん、これも美由希ちゃんのおかげかな。
 ありがとう」
「あの! それよりも…」
このまま真一郎の笑顔を見続けていたら倒れてしまう。
そう感じた美由希は、慌てて話を逸らした。
「その、人形はどうやって倒したんですか?」
「ん…これ?」
真一郎は床に座ったまま、フィアの成れの果てを目で示す。
「…『吼破 絶』、とりあえずそんな感じの名前を付けたんだけど、まだ試作の段階な
 んだ。鎧徹ってた技術の応用なんだけど…」
『真一郎も美由希ちゃんも、強いんですねぇ』
マイクなどないはずなのに、エコーのかかったエリザの声が部屋の中に響く。
「これでいいでしょ?今日は、もうエリザの遊びには付き合わないからね。もういい年
 なんだから、ちゃんと自制してよ…」
真一郎は疲れた声でそう言った。
本当に疲れていたのだろう、普段はわりと鈍い美由希ですら気付いたエリザの変化に彼
は気付くことはできなかった。
『じゃあ、そっちの残骸と一緒にこっちに戻します』
そして、エリザは何事かを呟くと美由希達に向かって右手を振った。


一瞬、視界が暗転する。


気が付くと、美由希はガラスの向こう、エリザ達のいる観覧室の方に転移していた。
まじまじと、自分の手を見つめる。
不思議な感覚。例え何度、この瞬間移動を体験しても慣れることはないだろう。
「お疲れさまでした。美由希ちゃん」
労わりの微笑みを浮かべたエリザの差し出す紅茶を、美由希は何となく受け取った。
そのまま、紅茶を飲む。誰の好みかは知らないが、美由希には少し甘い気がした。
「着いたそうそうごめんなさい。お客様を迎える態度ではなかったですね」
「そんなこと、ありませんよ。私、こうやって体を動かすのは好きですから」
「…そういってもらえると嬉しいです」
『エリザ〜!!』
どう控えめに言っても悲痛な叫び声に、美由希はびくっと体を振るわせた。
彼女は慌てて声のした方―ガラスの向こうではあるが―を見て、声を失った。
「あら、真一郎。どうしたんですか?」
『これは! なに!』
真一郎の叫び声の合間に、閃光と衝撃音。
こちら側ではそうでもないが、ガラスの向こうでこれを聞いていたら、どんなに眠りの
深い人間でも飛び起きるだろう。
そんな衝撃と共に、真一郎は良く分からない生物のような物の『大群』に囲まれて、そ
れを必死の形相で撃退していた。
退魔技術も、魔術も出し惜しみしていない。本当に必死である。
「え〜幻聴だとは思ったんですけど、さっき真一郎が私に逆らったみたいだったので、
 その仕返しなんてしてみました」
『仕返しって―』
その叫び声は、顔に飛びついてきたスライムによって遮られた。
急な重みに耐え切れずに床に尻餅をついた真一郎に、小動物サイズの生き物に殺到する。
「―――!!!」
もはや、絶叫は声にもならない。
「さて、そろそろ行きましょうか」
何事もなかったかのように、エリザは手を打ち合わせて立ち上がった。
忍にノエル、さくらはその提案にあっさりと従い、来た道を戻っていく。
ざからはお菓子を食べながらその胸に久遠を抱えて出て行く。
最後の頼みの綱…な、つもりで美由希は七瀬と雪を見たが、彼女達は苦笑して肩を竦め
ると、ざから達の後を追った。
「美由希ちゃんは、シャワーでも浴びますか? 案内しますけど…」
「あの!真一郎さん、だいじょうぶなんですか?」
「大丈夫ですよ、美由希ちゃん。こんな程度で何とかなるような人を私は弟子にしたり
 しませんから」
そう言って、エリザは微笑む。
その笑顔はとても魅力的だったのだが、美由希の不安は消えない。
「でも…」
「いいですから、だいじょうぶです。心配しないで上に行きましょう」
エリザに背を押され、美由希は観覧室を歩く。
ガラスの向こうで戦っている真一郎には後ろ髪引かれる思いだが、シャワーは浴びたい。
(真一郎さん、ごめんなさい)
心の中で真一郎に平謝りしながら、美由希はエリザに押されて部屋を出て行った。